2012年 04月 28日
万葉集その三百六十九 (つつじ花 にほえ乙女)
( 新宿御苑 )
『 つつじが咲くと初夏を感じる。
庭には小ぶりな赤色の花と、紅むらさきの中型と、やや大きい紅白の絞りのつつじが咲く。
誰がいつ植えてくれたのか思い出すこともできないまで、すっかり庭に馴染んで、
定番の季節の花になっている。
つつじが咲くと、そのほとりにしゃがんで、「つつじ花 匂え乙女」と囁いてやる。
花も私もちょっとうれしい。
「万葉集」の昔から、それは「さくら花 栄え乙女」と一対に賞(め)でられてきた
花乙女なのだ。』
( 馬場あき子 花のうた紀行 新書館より)
「 物思(ものも)はず 道行く行くも
青山を 振り放(さ)け見れば
つつじ花 にほえ娘子(をとめ)
桜花(さくらばな) 栄え娘子
汝(な)れをぞも 我れに寄すといふ
我れをぞも 汝れに寄すといふ
汝はいかに思ふ
思へこそ 年の八年(やとせ)を
切り髪の よち子を過ぎ
橘の ほつ枝(え)をすぐり
この川の 下にも長く
汝が心待て 」
巻13-3309 柿本人麻呂歌集 (一部既出)
(訳文)
( 男:
「何の物思いもせずに道を行きながら、
緑したたり茂る山を振り仰いでみると、
目に入るのは色美しいつつじ花 その花のように匂ひやかな乙女よ、
咲き誇っている桜花、 その花のように照り輝く乙女よ、
そんなお前さんを世間では私といい仲だと噂しているようだ、
そんな私をお前さんといい仲だと噂しているそうだ。
当のおまえさんはどう思っているかね。 」
(女:
「憎からず思っているからこそ、この長い年月を、
あの切り髪の年ごろを過ごし、同じ年頃の子よりも背丈が伸び
橘の枝先を越えるようになった今の今まで、
この川の底よりも深く、心の奥で長い間
お前さんの気持ちが私のほうに向くまで待っていたのに。 」 )
(語句解釈)
「物思はず」無心に
「道行く行くも」道を行きながら
「寄す」 心を寄せていると人が噂する
「思へこそ」 貴方を想えばこそ
「切り髪」 肩のあたりで切りそろえる少女の髪型
「よち子」原文「吾同子」 自分と同じ年頃の若い子
「ほつ枝」 秀(ほ)つ枝 枝振りがよい
「すぐり」 過ぐり 背丈が枝を超え
この歌は問答歌とされており、「汝はいかに思ふ」までが男の問いかけ
「思へこそ」からは「このようなことを今さら聞くのは心外だ」という
気持ちがこもる乙女の答えです。
また、男の歌の「山」に対して女は「川」となっており、
「人麻呂の表現に多い対句(伊藤博)」とも指摘されています。
今日、「匂う」という動詞は嗅覚に関する語として用いられていますが、元々は
内面の奥に隠れているものが何かに触発されて表面に美しく映え出たさまをいいました。
その語源は「丹」(に)「穂」(ほ:秀)「生」(ふ)で、鉄分を含む丹土が高熱で焼かれて
鮮やかな朱色に変身することにあるとされています。
赤や紫の美を讃える以外に「白妙に にほふ」と白色を賛美する表現もあり、
女性の美しさ、衣装、自然、季節の花々などあらゆるものを褒め称える言葉として
万葉集で75例もみられる慣用句です。
また、娘子(おとめ)は原文で「遥越賣」となっていますが、一般的には
「未通女」と表示されることが多く、清純な処女を暗示しています。
「 つつじ花 にほえ娘子(をとめ) 」
犬養孝氏は 「ツツジのように美しいおとめではなく、つつじの花の美が、
そのまま、かぐわしいおとめの美とかさなっているのだ」(万葉12か月 新潮社)
と述べておられます。
まさに瑞々しく、輝くような美貌の乙女が彷彿される一首であり、調べ美しく
多くの人たちに歌い継がれたことでありましょう。
「 吾子(あこ)の瞳(め)に 緋つつじ宿る むらさきに」 中村草田男
by uqrx74fd | 2012-04-28 18:18 | 心象