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万葉集その三百八十二(室生の里)

(  室生 太鼓橋 )
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( 室生寺の石楠花 )
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( 鎧坂 金堂へ )
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( 室生寺 十一面観音菩薩  絵葉書より)
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( 室生寺五重塔 )
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( 石楠花 )
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近鉄大阪線、長谷寺から室生へ向かう路線の両側は広々とした田園の先に幾重にも
重なる青垣と美しい杉の林が続きます。
人麻呂の「東(ひむがしの)の野にかぎろひの立つみへて-」の名歌の舞台、阿騎野の
榛原駅を通り過ぎ、ほどなく室生口大野駅に到着。
長谷寺から2駅です。

ここから室生寺まで約8㎞の道のりをバスで移動。
枝垂桜で有名な大野寺の前を通ると宇陀川と室生川が合流する地点の向う岸に
巨大な磨崖仏(まがいぶつ)が聳えているのが見えてきました。
鎌倉時代、後鳥羽上皇の勅願により興福寺の別当雅縁(がえん)が、宗慶や宋の石工集団を
指揮して彫ったと伝えられている高さ11,5mの弥勒菩薩線刻仏です。
あっという間に通り過ぎたので車窓からよく見えませんでしたが、
以前、真近に仰ぎ見たときの柔和なお顔と美しい立ち姿が瞼に浮かんできました。

「 磨崖仏(まがひぶつ) 宇陀の菫(すみれ)に 立ち給ふ 」  皿川旭川

バスは山道に掛かり右へ左へ曲がりながら室生川に沿って進んで行きます。
水の神、龍神が籠ると信じられている室生の山々を源流とする室生川の
豊かな水は勢いよく巨岩にうち当たり、白いしぶきを上げながら掛け下ってゆき、
やがて宇陀川、名張川、木津川へと流れつがれて淀川と合流して大阪湾に出るのです。

「 鶯に朝なの冷えや室生村 」 波多野爽波

新緑と清流を楽しみながら約25分。室生の里に到着です
深い山の中に囲まれたささやかな集落で、万葉人が住んでいたころは、
桃の産地であったのか、恋の歌として詠われています。

「 大和の室生の毛桃 本(もと)繁く
    言ひてしものを成らずはやまじ 」 
                 巻11-2834 (既出:175桃 ) 作者未詳


( 大和室生の桃は木の幹からは多くの枝が茂り、きっと美味しい実をならせるだろう。
俺様も心を込めてあの娘に繁々と話しかけ、一生懸命に口説いたのだから
必ずこの恋を実らせてみせるぞ。)

「繁く」は「桃の木が盛んに育っていること」と「繁く口説く」を掛けています。
古代日本で「モモ」とよばれていたものは、中に硬い核(種)がある果物の総称で、
主として今の「ヤマモモ」をさしていた(牧野富太郎博士)ので、産毛がある桃は
中國からもたらされたものと思われます。
桃の原産地とされる黄河地域では今から3千年前に既に栽培されていたと
言われていますが、我国へはかなり早い時期に伝来していたのでしょうか。
万葉集で詠われている室生の歌はこの1首のみです。

 「 室生寺に手斧の音や日の永き」 谷田部 栄 

 参道の両側に建ち並ぶ土産物屋や飲食店を覗きこみながらぶらぶら歩いていると
 ほどなく明治4年(1871)創業の老舗旅館「橋本屋」。
かの土門拳氏が40日も泊まり込んで雪の室生を撮影したという伝説の宿です。
宿の前を左折すると、室生川の上に朱も鮮やかな太鼓橋。
その先には「女人高野室生寺」と刻まれた石柱が深い杉木立の前に立っています。

「 蝶くぐる 女人高野の 仁王門 」 窪田映子

「高野」とは女人禁制の高野山のことで、室生寺は女性を受け入れる寺とされたので
その名称があります。
寺伝によれば、室生寺は681年天武天皇の願いで役行者(えんのぎょうじゃ)小角(おずぬ)が
創建し、のちに弘法大師によって、真言宗の道場の1つになったとされていますが、
元々は水の神様である室生龍穴神社という社が草創の起源だともいわれています。

「 石楠花(しゃくなげ)の 風に抜けゆく室生寺 」 渡辺政子

仁王門をくぐり抜けると小高い丘の上に金堂が立ち、「鎧坂」とよばれている
なだらかな石段が上の方まで続いています。
下から見上げると段差が如何にも鎧の「さね」が重なってように見え、一段上がるごとに
金堂がせりあがるように姿をあらわし、さながら舞台のせりの装置です。
さねとは「扎」と書き、鉄または練り皮で作った鎧の材料の小板で、これを重ねて
革緒で絡めたものです。
石段の両側は石楠花が今を盛りと咲き誇っており、金堂が花の台(うてな)に乗って
いるように感じられ、山岳地における心憎い堂塔の配置には感嘆させられます。


「 みほとけの ひじまろらなる やわはだの
     あせむすまでに しげるやまかな 」    会津八一


「み仏の 肘まろらなる 柔肌の 汗むすまでに 茂る山かな」
 
( 御仏の肘のまるくふっくらした柔肌が 汗ばむかと思われるほど、
 この山の茂りは濃いことだ。 )

まろらなる ; まるくふっくらした
柔肌 :柔らかな感触、女性の肌
汗むす: 汗ばむ 

金堂の内陣には釈迦如来を中心に十一面観音など魅力ある仏様が所狭しと立ち並び、
私たちに微笑みかけて下さっているようです。
作者が官能的と感じたのはどの御仏だったのでしょうか?
十一面観音、如意輪観音? 仏様には性別がないはずなのに?
観音像はいつも世の男たちを魅了させてくれます。

金堂の左の弥勒堂を拝観した後、裏手の石段を上ると灌頂堂(かんじょうどう:本堂)。
日本三如意輪の1つとされる如意輪観音が迎えてくれます。
立ち膝の蠱惑的な姿で、ヒンドゥー教の影響が感じられる仏さまです。

「 ささやかに にぬりの たふの たちすます
    このまに あそぶ やまざとの こら 」会津八一


「ささやかに 丹塗りの塔の 立ちすます 木の間に遊ぶ 山里の子ら 」

( こじんまりと清らかに赤く塗られた塔がすっきりと立っている。
 そのあたりの木間に遊ぶ山里の子供たちよ )

灌頂堂の西側に出ると、五重の塔に続く石段が現れます。
三方、巨大な杉木立に囲まれ、石段の前の石楠花(しゃくなげ)が所狭しと満開です。
波打つような階(きざはし)の果てに仰ぐ優美な塔は屋外にある五重塔としては
国内最小の16m余。
巨木に囲まれているさまは如何にもこじんまりとしていて可愛らしく、
木々の緑、塔の濃茶、白、朱色の取り合わせも絶妙のバランスを保っています。
まさに「自然と人工の見事に調和した地上の楽園(白洲正子:私の古寺巡礼、法蔵館)」
と讃えられるに相応しい美しい塔です。

「 山デ生マレタ山雀(ヤマガラ)ハ
  塔ノ雫(シズク)デ身ヲ濯(スス)ギ
  羊歯(シダ)ノ林ノ
  恋ニ酔ウ  」     榊 莫山


いよいよこれから奥の院へ向かいます。
「無明橋」を渡り、「賽の河原」とよばれる場所を越えて杉木立の中、
昼なお暗い石段を上ってゆきます。頂上まで390段。
既に入口の仁王門から五重の塔まで310段を登って来たので合計700段、
往復1400段の長丁場です。
天然記念物に指定されている羊歯が一面に生えている中、石楠花も健気に
枝を伸ばし、疲れた身を癒してくれています。
所々の苔むした石仏も「頑張れよ!」と励ましてくれているようです。
少し膝ががくがくしてきました。
雨上がりの滑りやすい石段。
足下を踏みしめながらゆっくりと登って行きます。
古の人たちは都から歩いてきたうえ、階段もない山道を登ったのですから
如何に大変だったことか。
苦しければ苦しいほど、ご利益も大きいと信じながら自らを励ましたことでしょう。

 ようやく登りきったところが奥の院。
御影堂で弘法大師の像を拝し、堂宇を一巡りして一休み。
清々しい風が吹きわたり、汗を乾かしてくれます。
眼下には緑の山々に囲まれた室生の里。

「女人高野」と聞くと、なんとなく女性的なお寺を想像しますが、峻烈な石段、
杉の巨木、むき出しの巨岩、苔むした山肌、原始的な羊歯。
「 堂塔以外は女性どころか極めて男性的もしくは猛女的なお寺であったわい」
と呟きながらお山を下りたことでした。

   「 石楠花の 紅ほのかなる 微雨の中 」 飯田蛇笏

by uqrx74fd | 2012-07-28 22:16 | 万葉の旅

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