2012年 12月 08日
万葉集その四百一(馬来田:まくた)
( ツリブネソウの群生 )
( ハンの木湿原地 )
( ミニチュア水車 馬来田小学生作 )
( 道の駅 )
( 野点 )
馬来田(まくた)は昔、「うまくた」「うまぐた」とよばれ、現在は千葉県木更津市に
編入されている万葉の故地です。
古代豪族、国造(くにのみやっこ)馬来田氏がこの辺り一帯を支配していたので
その名があるといわれていますが、大伴旅人の先祖に大伴連(むらじ)馬来田という
人物がいて、関連性は不明ながら「ひよっとしたら この地は大伴氏の所領だった?」と
想像するのも楽しいことです。
JR木更津から久留里線で6駅の30分。
ローカル線らしい素朴な駅舎の改札口を出ると、付近案内板にならんで
この地ゆかりの万葉歌碑が置かれています。
町おこしの一環でしょうが、「駅前に」とは全国的にも珍しい。
「 馬来田(うまぐた)の 嶺(ね)ろに隠り居(い) かくだにも
国の遠かば 汝(な)が目欲(めほ)りせむ 」
巻14-3383 作者未詳(東歌)
( 私は今、馬来田の山々に隠された遠い国にいるが、さらに旅を続けて故郷から
隔たってしまったら、益々お前を見たくなって仕方がなくなるだろうなぁ )
昔、この地は上質の麻の産地として知られ、朝廷にも貢納していました。
作者は都へ品物を納めに出向いたのか、あるいは使役、防人としてこの地を
離れたのか定かではありませんが、もし防人だとすれば大宰府まで1000㎞。
生還を期すことが確実とは言えない長い長い旅です。
懐かしい故郷を何度も振り返りながら妻子の面影を目に浮かべ、万感の思いで
詠ったことでしょう。
近年、馬来田はハイキングコースとして整備され、春は桜や菜の花、
秋はコスモスが美しく、さらに広大な湿原地帯に多くの野花が群生しています。
駅から住宅街を15分位歩いて右折すると田園地帯にさしかかり「馬来田の嶺(ね)ろ」と
詠われた山並みが見えてきました。
高い山ではありませんが峰々が切れ目なく続き他国との境界をなしているようです。
このあたりは、里芋、枝豆などが植えられ、栗の木や竹林も多く、
春には筍が多く採れることでしょう。
「 馬来田(うまぐた)の 嶺(ね)ろの笹葉の霜露の
濡れて我(わ)来なば 汝(な)は恋ふばぞも 」
巻14-3382 作者未詳(東歌)
( 馬来田のお山の笹葉に置く冷たい露に濡れそぼちながら私が行ってしまったなら
お前さんは一人せつなく恋い焦がれることだろうな )
「来(き)なば」は「来れば」とする説もありますが「行ってしまったら」の意と
解釈する学者が多くなっています。
分かりにくい表現ですが「行く先を起点にして言った方言(伊藤博)」だそうです。
前の歌同様、都へ向かう旅人が詠ったものか、あるいは民謡だったかもしれません。
心地よい秋風に吹かれて細い野道を行くと、彼岸花、ススキが咲き乱れ、
セイタカアワダチ草の群生が周りを黄色に彩っています。
やがて「ハンの木」の湿原地へ。
この地の奥に「いっせんぼく」とよばれる湧水があり、昔、千か所で水が
「ぼくぼく」と音を立てて湧き出していたのでその名があるそうですが、
今はわずか1か所にその面影をとどめているのみです。
尾瀬のような板敷の道が約500m近く続き、ツリフネソウの群生が圧巻。
春には水芭蕉や芹も生育しており、脇を流れる小さな清流は美しく、水底の
水藻がゆらゆらと揺れて緑の髪のようです。
馬来田小学校生徒作と書かれたミニチュアの水車が心地よい音を立てながら
クルクルと廻っていました。
「 旅衣 八重着重ねて 寐寝(いの)れども
なほ肌寒し 妹にしあらねば 」巻20-4351
望陀(まぐた)の郡(こほり)の上丁 玉作部国忍(たまつくりべのくにおし)
( 旅衣、そいつを幾重にも重ね着て寝るのだけれども、やはり肌寒くて仕方がない。
お前の肌ではないのでなぁ )
望陀(まぐた)は今の馬来田 上丁は一般兵士
防人に徴集された村人の歌です。
当時は野宿が原則、大阪の難波まで食糧持参の自給自足生活です。
途中で熊や狼などに襲われたり、食糧が尽きて行き倒れになった人もあり、
命懸けの旅でした。
寒さに凍えながら布にくるまって休む兵士。
思い出すのは故郷に残してきた妻の肌の暖かさ。
「 透きとほる 日ざしの中の 秋ざくら 」 木村享史
秋櫻=コスモス
湿原地を一回りしたのち、少し引き返すと武田川沿いに約500mのコスモス街道。
道の両脇に色とりどりの花々が咲き乱れ、風にゆらゆらと揺れています。
今日は町を挙げてのお祭りです。
屋台もたくさん出ており、老若男女が子供連れで大勢集まっていました。
コスモスを背景にした優雅な野点もみられ、のどかな風景です。
地元の人が作った枝豆を買い、コスモスの種をお土産に沢山戴いて、
楽しいハイキングもあと1㎞で終わりとなります。
歩くこと約15㎞。
平坦な道が多く左程の疲れはありませんでしたが、雨上がりの湿原地で
ぬかるみに足をとられて難儀しました。
大和から遠く離れ、奈良とは無縁と思われたのどかな片田舎。
都へ向かう旅人が詠い、編者がその歌を採用したお蔭で、万葉集との深い縁を
認識させられた1日でありました。
「 万葉の 馬来田の里の 秋桜(あきざくら)
しなひて立てり 風に吹かれて 」 筆者
by uqrx74fd | 2012-12-08 14:54 | 万葉の旅