2013年 04月 20日
万葉集その四百二十 (カタクリの花)
( 同上 )
( 同上 )
「 をさなくて わがふるさとの 山に見し
片栗咲けり みちのくの山に 」 三ヶ島霞子
雪解けと共に北国のカタクリの花便りが届いてまいりました。
ユリ科多年草のカタクリの古名は「堅香子(かたかご)」です。
「堅」は「片」の意で、種から成長する過程で、まず片葉が生じ、
数年以上(7年とも)を要してようやく両方の葉がそろうことによります。
また「香子(かご)」は「鹿の子」、すなわち、鹿の斑点のような葉をもつことに由来し、
当初「カタハカノコ」とよばれていたものが「カタカゴ」に変化したといわれています。
さらに花の形がユリに似ているところから「片子百合」(カタコユリ)になり、
真中の「コユ」が「ク」につまって「カタクリ」になったそうです。(諸説あり)
カタクリの花の美しさを最初に詠ったのは大伴家持。
万葉集でたった1首しか残されていませんが、カタクリを語る時に
必ず引用されている集中屈指の名歌です。
「 もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
寺井の上の 堅香子の花 」
巻19-4143(既出) 大伴家持
( 泉のほとりへ美しい乙女たちが三々五々、水桶を携えて集まってきます。
そのかたわらにカタクリの花が咲き乱れて-- 何と美しいことよ )
長い冬からようやく待望の春を迎え、その喜びに溢れんばかりです。
こんこんと湧く清泉、入り乱れる乙女、群生する美しい花。
乙女たちの笑い声や水の音まで聞こえてくるような気がいたします。
「もののふ」は元々「朝廷に仕えた上代の官人」が原義でしたが、
古代の朝廷には職掌ごとに多くの氏族が奉仕していたので、
それらの総称として「もののふ(物部)」という言葉が用いられました。
( 武士,武辺のイメージとなるのは平安時代からです)
さらに氏族が多かったことから八十(やそ=数が多い意)に掛かる枕詞と
なったとされています。
初々しい乙女の枕詞にそぐわない気がしますが、調べが良く、すらすらと
言葉に出して歌える一首です。
「 妹がくむ てらゐの上の かたかしの
花咲くほどに 春ぞなりぬる 」 藤原家良
この歌は大伴家持の歌を本歌取りしたものですが、平安時代「堅香子(かたかご)」は
「堅樫(かたかし)と訓まれていました。
万葉仮名はすべて漢字で書かれていたので王朝人は正確な訓み方がわからず
「何やら堅い木」に咲く花と勘違いしていたようです。
鎌倉時代になり、万葉集の注釈書を刊行した仙覚が「カタカゴ」という訓み方を唱え、
これが現在の「カタクリ」であるとし、以来ゆるぎない定説となっています。
「 春雨の ふりつぐ中に みづみづしく
一日閉じたる かたくりの花 」 土屋文明
カタクリの花は夜明けとともに開き、夕暮れになると閉じますが、
雨や曇りの日には開かないお天気次第の気難し屋でもあります。
「 かたくりの若芽摘まむと はだら雪
片岡野辺に けふ児等ぞ見ゆ 」 若山牧水
カタクリの若芽葉はおひたし、味噌、胡麻、胡桃、豆腐和え、三杯酢、
さらに鱗茎(球根)は天麩羅にして食べると美味。
鱗茎(りんけい)は片栗粉にし、薬用として風邪、下痢、湿疹、切傷にも効ありとされ
古くから重用されてきました。
ただし、現在では原料不足と手数が掛かるため、ジヤガイモからとったものを
片栗粉と称して売られています。
「 日中(にっちゅう)を 風通りつつ時折に
むらさきそよぐ 堅香子の花 」 宮 柊二
紅紫色の清楚な花は気品があり、清純な乙女を連想させます。
恥じらうように下向きに咲く姿も初々しく「春の妖精」の名にふさわしい。
カタクリはまた、「眠り姫」ともよばれています。
「花の命は短くて」の言葉通り、1か月余で花も葉も跡形もなく消え去り、
次の春まで地下で眠ってしまうのです。
1年の大部分を地下で過ごすのは、夏は樹木の葉の影になって日ざしが届かず、
冬は積雪に耐えられないためで、冬が終わり落葉樹の葉の茂るまでの間に地表に顔を出し
太陽の日ざしを一杯浴びて鱗茎に養分を蓄え、繁殖のための種を作ります。
「片栗の 一つの花の 花盛り」 高野素十
群生を離れてひそやかに咲くカタクリの花。
たったの一輪でも春の訪れを声高に告げているようです。
by uqrx74fd | 2013-04-20 07:04 | 植物