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万葉集その四百四十五(葛城古道 朝妻)

( 朝妻近辺 後方は金剛山)
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( 極楽寺鐘楼門 )
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( 一言主神社 )
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( 同、大銀杏)
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( 九品寺への道 左側)
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( 長柄の古い町並み 堺屋太一氏の実家もこの辺りにある )
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( 九品寺 )
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( 同 石仏 )
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天孫降臨の伝承地とされる高天原から極楽寺へ向かう道は狭くて急な下り坂が続き、
倒木がところどころで行く手を妨げています。
難儀しながら歩くこと約40分。
ようやく見晴らしのいい場所に出ました。
眼下に大和三山がパノラマ状に広がり、大和国原そのものです。

葛城古道は標高300mの高台を歩く道が多いので、空気が清々しく、
美しい緑の田畑や低い山並みを俯瞰できるのも魅力の一つです。

金剛山の麓を過ぎるあたりに朝妻とよばれる地域があります。
古代、国造(くにのみやっこ)が置かれ、渡来人も住み着いて繁栄した群落で、
天武天皇も行幸され流鏑馬(やぶさめ)を行ったとも伝えられているところです。

万葉集では「朝妻」という言葉の響きの良さからでしょうか。
2首の恋歌が詠われています。

「 今朝(けさ)行きて 明日には来ねと 言ひし子か
     朝妻山に 霞たなびく 」
                       巻10―1817 柿本人麻呂歌集

( 「 今朝はひとまずお帰りになっても、今夜また来てくださいね 」
  と言ったあの子。
  その姿は朝妻というのにふさわしい。
  あぁ、外を見ると、その名をもつ朝妻山に霞がたなびいているよ。 )

「朝妻山」は金剛山の東に連なる小高い丘稜地帯と思われます。
一夜過ごした朝、女性は早々に起きて身づくろいを終え、後朝の別れを待っている。 
作者はその初々しいしぐさを愛でながら朝の妻という呼び方にふさわしいと
感じたのでしょう。
ほのぼのとした情景を感じさせる一首です。

「 子らが名に 懸(か)けのよろしき  朝妻の
    片山崖(かたやまきし)に 霞たなびく 」 
                        巻10-1818 柿本人麻呂歌集


( あの子の名に懸けて呼ぶのにふさわしい朝妻山の、その片山の崖に霞が
 たなびいている )

片山は一方が山で他方が開けている地形の山側をいい「きし」は崖のことです。
前の歌と同様の発想なので同じ作者かもしれません。
一夜共にした相手を朝妻と美しく詠う風雅な万葉人。
1300年を経た現在でも使いたくなるような言葉です。

「 葛城の 一言主の 冬の雷 」 有馬朗人

大和3山を眺めながら歩いて行くとやがて極楽寺に至ります。
951年開基といわれる浄土宗の古刹です。
堂々たる鐘楼門をくぐり、阿弥陀如来が鎮座まします本堂を参拝。
前方に金剛山の山肌が迫り、後方は大和平野が広がる素晴らしい眺めです。

この辺りから金剛山の山並みが途絶え、葛城山の麓を辿ることになります。
点在する石仏を拝みながら歩くこと約40分。
左手の葛城山を眺めながら坂を下ると、やがて古い街並みが続く長柄の集落へ。
由緒ありげな大きな家が立ち並び、格子戸が美しい。
杉玉を吊るした酒屋もあり、昔、金剛山に登拝する人達の宿場町として栄えた
面影が残るところです。

さらに歩くこと30分。
長い松並木の参道を進み、ようやく葛城一言主神社に到着しました。
葛城山を背にした堂々たる社殿。
主神は「 善いことも 悪いことも遠慮なく一言で言い切る 」託宣、予言の神とされ、
願い事をすれば一言だけかなえて下さるというので
土地の人たちから「一言神(いちごんじ)さん」とよばれて親しまれています。

境内には樹齢1200年と云われる大銀杏がひときわ目を引きます
「乳銀杏」とも云われ、この木にお祈りすると、子供が授かり
お乳がよく出るともいわれる御神木です。

「 猶(なお)見たし 花に明行(あけゆく) 神の顔 」   芭蕉


一言主神には次のような伝説があります。
「 役行者が鬼神たちを集めて、葛城山と吉野の金峯山とをつなぐ岩橋を掛けさせたが、
一言主神は容貌が醜いのを恥じて昼は出ないで夜のみ働いた」
しかし芭蕉は「神の顔が醜いなどということはあるまい。
本当はこの花盛りの山々の夜明けにふさわしく、きっと美しいにちがいない。
そんな神様のお顔を是非一目拝見したいものだ」 と詠んだのです。

ほのぼのとする土地の神への挨拶句で境内に句碑が立てられています。

一言主神社を後にした後、千体石仏で知られる九品寺に向かいます。
高台から眺める大和三山が美しく、疲れも忘れて歩くこと3㎞。
ようやく最終訪問地、九品寺に到着。
堂々たる本堂、庭のあちこちに立つ石仏の多さには圧倒されながらゆっくりと
拝観させていただきました。
境内には木々の剪定をしている植木職人が二人だけ。
静寂(しじま)を破るかのように蜩(ひぐらし)の声が響いてきました。

空を見上げると夕焼け雲。
最寄りの御所駅まであと4㎞。
さぁ、もう一息と呟きながら、夕日に照り映える美しい葛城山を眺めつつ、
長い長い散策を終えました。

「 葛城の 山懐に 寝釈迦かな 」 阿波野青畝

  葛城山を寝釈迦に見立てて詠んだ雄大な句です。


 

by uqrx74fd | 2013-10-11 07:54 | 万葉の旅

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