万葉集その四百六十二(我が心焼く)

( 忿怒の表情 蔵王権現 金峰山寺 奈良、吉野)
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( 我が心焼く  とんど焼き  奈良 春日大社 )
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( さらに燃え盛る火  同上 )
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( 心鎮まれ 鎮まれ   同上 )
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( 若草山焼き  奈良  )
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( 祈り、やっと心の平穏を取り戻しました  船宿寺 奈良葛城古道)
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これは最愛の夫を寝取られた女性の哀しくも清らかな愛のお話です。
一夫多妻が黙認されていた古代とはいえ、「愛する人は貴方だけ」と一途に
思い詰めていた女性が、ある日、夫に他の女ができたことを知った時の
驚きと悲しみは如何ばかりであったことでしょう。

今日も夕方になるといそいそと出かけてゆくであろう男。
とり残された寂しさと、むらむらと燃え盛る嫉妬の炎。
頭の中では冷静にと言い聞かせながらも、感情を抑えることが出来ません。
「 お釈迦様でさえ、あまたある人間の煩悩の中で一番消し去ることが難しいのは
嫉妬心だとおっしゃったではないか 」
と呟きながら遠ざかりゆく夫の後姿を瞼に浮かべる。

夜の帳が降りる頃、愛する夫が女と過ごしている情景を想像すると
もうたまらなくなってきました。
とうとう忿怒の激情が押し寄せ、自分でも信じられないような言葉が
口をついて飛び出してきます。

「 さし焼かむ 小屋の醜屋(しこや)に 
   かき棄(う)てむ 破(や)れ薦(ごも)敷きて
   打ち折らむ 醜(しこ)の醜手(しこて)を
   さし交(か)へて 寝(ぬ)らむ君ゆゑ

   あかねさす 昼はしみらに
   ぬばたまの 夜はすがらに
   この床(とこ)の ひしと鳴るまで 
   嘆きつるかも 」         
                    巻13-3270 作者未詳


一行ごとに訓み解いてまいりましょう。 ( )内 訳文

「 さし焼かむ  」

「さし焼かむ」の「さし」は接頭語で火の手を上げる意を含む
   ( 焼きに焼いてやりたい)

「小屋の醜屋(しこや)に」
         ( あの汚らしいちっぽけな家に)

「かき棄(う)てむ」

    「かき」は接頭語  (とっぱらって捨ててしまいたいような)

「破(や)れ薦(ごも)敷きて」
             ( 汚い破れむしろを敷いて)

「打ち折らむ 醜(しこ)の醜手(しこて)を」

         ( へし折ってしまいたいようなあの女の汚らしい手を )

「さし交(か)へて 寝(ぬ)らむ君ゆゑ」
 

    ( さし交わして寝ているあなたのお蔭で )

「あかねさす 昼はしみらに 」

   「あかねさす」は昼の枕詞 「しみら」は「終日」   ( 昼は一日中 )

「ぬばたまの 夜はすがらに」


   「ぬばたま」は夜の枕詞 「すがら」はずっと  ( 夜も一晩中 )

「この床(とこ)の ひしと鳴るまで」

             ( この床がミシミシと鳴るほどに) 

「 嘆きつるかも 」   ( この私は 嘆いているのです)  
  
                        巻13-3270 作者未詳

では、分かりやすく意訳で全文を

 「 えぇい わたしの夫を寝取ったあの女のボロ小屋を焼いてやりたい。
   今ごろあの憎ったらしいあの女の小屋で、
  棄ててしまいたいような 破れむしろを敷いて、
  へし折ってしまいたいような 汚い腕に抱かれて
  薄汚い女と腕を交わしているあんたのお蔭で
  私ときたら、もう、昼はひねもす、夜は夜もすがら
  寝床を転がりまわり、地団太踏んで 床がミシミシと鳴るまで
  泣き叫んでいるんだよ。
  あぁ-。あぁ-。 もう涙が止まらない 」

泣き叫ぶだけ泣き、ようやく冷静になったあと、
やっぱりこの女性は賢かった。

「 我が心 焼くも我れなり はしきやし
    君に恋ふるも  我が心から 」 
                   巻13-3271 作者未詳

 ( 我が心を焼くのも私。
   いとしいあなたに恋焦がれるのも我が心。
   誰のせいでもない、自分のせいなのだ )

「はしきやし」 「愛(は)しきやし」で「いとおしい」
「我が心から」 すべて自分のせい、

「 このようになったのも私の至らぬせいではないか。
反省するべきところは反省し、あの人に愛されるように努力しよう。
やっぱり私はあの人が好きなんだ 」

万葉集でも稀な自省の歌です。
悪態の限りをついた嫉妬心から内に秘めた純愛へと変化し、
品性がない女性から見事、淑女に変身しました。
作者は相当な教養を持ち、利発な女性だったのでしょう。

もし、この言葉を男が聞いたら 
「 あぁ、なんと可愛い女なのだろう。
  すまなかった。
  いやいや、これは一時の浮気。許せ、許せ。」

と謝ったであろうと想像させるような見事な表現力。
数ある万葉歌の中でも特に記憶に残る作品です。

以下は諸氏評の要約です。

伊藤博 ( 万葉集釋注 集英社文庫 )

『 万葉集中最高に面白い歌であろう。
  恋敵とそれを抱いて寝る男の姿の描写は具象性に富み、印象すこぶる鮮明。
  その姿を思い描いて,静まる床の中でギシギシ寝返りをうってもがく
自分のありようを戯画化している。
それだけに白塵を振りまくような女の狂おしさが目に見えてくる。
笑いの中に痛い涙を託した名作  』

大岡信 (私の万葉集 講談社現代新書)

『 万葉集で激情の表現においてこの歌の右にでるものはない女の嫉妬と憤激。
夫が他の女と夜を共に過ごしている情景を想像して、憎悪の限りを尽くして呪う。
しかし、いったん激情がおさまった後は、他人を恨むことの空しさをしみじみ感じ
自己反省に沈潜している。
反歌の内省の調べは忘れがたい秀逸。
 豊かな詩藻の持ち主、万葉女性歌人の層の厚さを感じさせる。

犬養孝 (万葉恋の歌 世界思想社)

『 燃えに燃えて、今日でいえば硫酸でもぶっかけかねない軽蔑と唾棄と怒りの激情。
万葉の中でこれほど嫉妬の激しさは他に見ることが出来ない。
一見、下品、卑猥の限りを尽くしているようだが、五七、五七の進みゆきの中に
飾ることの知らない純一の愛情の波は脈打つように述べられている。
「君」という言葉が出てきてからは鉾先を自らの心に問い詰めて
嘆きの訴えに終わらせている。
純愛の切なさは1300年をこえて、せつせつとにじみ出てくるようである。
一見野卑に見えた表現はかえって純一無雑の真情の輝きに浄められるかの
ようである。』

「 冬こもり 春の大野を焼く人は
       焼き足らねかも わが心焼く 」 
                  巻7-1336 作者未詳(既出)

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by uqrx74fd | 2014-02-07 04:53 | 心象

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