2015年 08月 13日
万葉集その五百四十一 (朝顔、昼顔、夕顔)
( 同上 )
( 同上 )
( 同上 )
( ヒルガオ科 空色朝顔 同上 )
( 昼顔 同上 )
( 夕顔 自宅 )
( 朝顔市 東京入谷 )
万葉集で朝顔を詠ったものが5首あり、通説では桔梗のこととされています。
「顔」と言う字はもともと美しい容貌を言い、転じて花を指すようになったそうですが、
何故「朝顔」が「桔梗」なのか?
「 萩の花 尾花葛花 なでしこの花
をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花 」
巻8-1538 山上憶良 (秋の七草)
「 朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど
夕影にこそ 咲きまさりけれ 」
巻10-2104 作者未詳
( 朝顔は朝露を受けて咲くというけれども、夕方の光の中でこそ、
なお一層その美しさが際立つものなのですね。)
先ず、憶良の歌は秋に咲く花7種。
作者未詳歌は夕方になると映える花。
夏の花であり夕べに萎む朝顔はこの2首に該当しません。
さらに、我国最初の漢和辞典「新撰字鏡」(901年頃:僧 昌住著)に
「桔梗、阿佐加保(アサカホ) 又云う 岡止々支(オカトトキ=桔梗の別名)」
の記述があり、中国から朝顔(牽牛花)が渡来したのは平安時代となれば、
キキョウ説が主力となるのは無理からぬところです。
「 君来ずは たれに見せまし 我が宿の
垣根に咲ける 朝顔の花 」 読み人知らず 拾遺和歌集
平安時代、垣根に咲くと詠われたこの花は間違いなく朝顔です。
然しながら、2015年7月31日付 夕刊読売新聞で伊藤重和氏(変化朝顔研究会)が
「 朝顔は奈良時代に薬草として持ち込まれた 」と述べておられ、
もしそうであるならば、下記の万葉歌は朝顔と解釈することも可能になります。
「 わが目妻(めづま) 人は放(さ)くれど 朝顔の
としさへこごと 我(わ)は離(さか)るがへ 」
巻14-3502 作者未詳
( 俺のいとしい人 他人は引き離そうとするけれど
あのように朝顔のような美しい子を 幾年経(た)とうと離したりするものか )
目妻は愛(め)づる人。
「年さへこごと」は難解で学説が別れますが、「年を経ようとも」の意か。
正式な結婚までいっていないのでしょうか、
周りの人が反対して二人の間を割こうとしているようです。
朝顔は愛しい人を譬えたもの。
「 臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく
色には出(い)でじ 朝顔の花 」
巻10-2274 作者未詳(既出)
( あなたのことを思い悩んで夜も寝られず毎晩寝返りばかり打っている私。
万が一、恋患いのまま死んでしまうようなことがあっても、
朝顔の花が咲くように、はっきりと顔に出すようなことはいたしますまい )
「臥(こ)いまろび」の原文表記は「展転」:「横になってころがる」意で
「激しい嘆きや悲しみの姿態として好んで使われる言葉(伊藤博)だそうです。
「灼然(いちしろく)」は→「いちしるし」→「いちじるしい」と現代語に転訛しました。
心の内に秘めた恋の炎。
激しければ激しいほど決して顔に出すまいと決心する。
この女性に桔梗を当てはめると着物姿のキリリとした姿。
朝顔なら浴衣姿の艶な姿。
どちらも甲乙つけがたい。
「うす曇 遠かみなりを 聞く野辺の
小草がなかの 昼顔の花 」 木下利玄
万葉集で「貌花」と詠われているものが四首あり、
昼顔、カキツバタ、オモダカ、ムクゲ、キキョウ説がありますが昼顔が有力です。
「 高円の 野辺(のへ)の貌花(かほばな) 面影に
見えつつ妹は 忘れかねつも 」
巻8-1630 大伴家持
( 高円の野辺に咲きにほふ かほ花
この花のように面影がちらついて
あたたを忘れようにも忘れられない )
聖武天皇東国巡幸に従った作者が妻、坂上大嬢に贈ったものですが、
昼顔は朝顔ほど華やかではなくどちらかと言えば地味。
作者は単なる美しい花の比喩で「貌花」と詠ったのかもしれません。
昼顔は全国各地の野原、道端など日当たりの良い所ならどこにでも生える
つる性の多年生草本で、夏になると付け根から花柄を出し、その先端に
5cmほどの朝顔に似た紅紫色の花を咲かせます。
「暮そめて 草の葉なびく 風のまに
垣根すずしき 夕顔の花 」
拾遺愚草 (藤原定家の私歌集)
夕顔はウリ科の蔓性1年草で、夏の夜に平たく5裂した白い花を咲かせ
翌朝には萎みます。
瓢箪と同属で、干瓢の材料となる植物ですが、夕闇に白く浮かび上がる
優雅な姿が好まれ、源氏物語に
「心あてに それかとぞ見る 白露の
光そへたる 夕顔の花 」 (夕顔の巻)
と詠われています。
夕顔は残念ながら万葉集には登場していません。
「 夕顔の うしろの闇の 深さかな 」 池田草衣
以下は 「杉本秀太郎著 花ごよみ 講談社学術文庫」からです。
『 江戸も末近く、文化文政の頃、朝顔は江戸の人の栽培熱をあおりたてた。
大輪,奇花を咲かせ競うのだ。
江戸の流行はたちまち日本中にひろがり、とび散った朝顔の種は
庭にも、垣にも、鉢にも、路傍にも、野ずえにも、それこそ浜の真砂の数ほどの
花を朝ごとに咲かせるようになった。
明治の世になると、朝顔はいっこうに珍しい花ではなくなった。』
国立歴史民俗博物館に付属する「くらしの植物苑」で毎年7月の終わりから夏の間、
珍しい朝顔が展示されます。
突然変異した様々な朝顔を何度も交配を重ねて生み出された変化朝顔も多く、
江戸時代の栽培熱を彷彿させてくれますが、その再現には大変な苦労が
あったことでしょう。
「 朝顔の 昔の色の 濃むらさき 」 寺谷なみ女
by uqrx74fd | 2015-08-13 10:35 | 植物