2016年 07月 01日
万葉集その五百八十七 (飛鳥慕情)
( 聖なる山とされたミハ山 右は聖徳太子ゆかりの橘寺 )
( 飛鳥寺 我国最古の本格的仏教寺院 蘇我馬子開基 6世紀末 )
( 同 復元図 )
( 飛鳥の秋 棚田 )
「 大和は国の真秀(まほ)ろば 畳(たた)なづく青垣
山籠れる 大和しうるはし 」 古事記
( 大和は素晴らしい国どころ、幾重にも重なる青々とした垣根のような山々
その山に囲まれた美しい大和よ )
この歌を口ずさむとき瞼にすぐ思い浮かぶのは飛鳥と山辺の道。
古代大和の面影を一番強く残していると思われる地です。
標高は決して高くはないが幾重にも重なり、なだらかな稜線をえがく山々、
緑濃き木々、山の麓を取りまくように流れる飛鳥川、美しい棚田、
由緒ある寺社、巨大な古墳群、そして四季折々の花々。
古の時代、そのような光景に加えて、なんと鶴の群れが飛んでいたというのです。
まずは万葉集の訳文から。(巻3-324 山部赤人)
( 神の来臨する神なび山に
たくさんの枝をさしのべて
生い茂っている栂(つが)の木
その名のように いよいよ次ぎ次ぎと
玉葛のように 絶えることなく
ずっとこうして いつも通いたいと思う
明日香の古い都は
山が高く川は広くて大きい
春の日はずっとその山を眺めていたいし
秋の夜は清らかな川の音に聴き入る
朝雲の中、鶴が乱れ飛び、
夕霧の中で、河鹿が鳴き騒いでいる
あぁ、見るたびに声にだして 泣けてくる
栄えた古を思うと )
巻3-324 山部赤人
(訓み下し文)
「 みもろの 神(かむ)なび山に
五百枝(いほえ)さし
繁(しじ)に生ひたる 栂(つが)の木の
いや継ぎ継ぎに
玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく
ありつつも やまず通はむ
明日香の 古き都は
山高み 川とほしろし
春の日は 山し見が欲し
秋の夜は 川しさやけし
朝雲に 鶴(たづ)は乱れ
夕霧に かはづ騒(さは)く
見るごとに 音(ね)のみし 泣かゆ
いにしへ思へば 」
巻3-324 山部赤人(一部既出)
一行づつ訓み解いてまいりましょう。
「 みもろの 神(かむ)なび山に 」
「みもろ」は「御室」で神が来臨して籠るところ
「神なび山」 神のいます山 橘寺東南のミハ山もしくは雷山とされる
「 五百枝(いほえ)さし」
枝がたくさん伸びて広がっている
「 繁(しじ)に生ひたる 栂(つが)の木の 」
繁(しじ)は茂で 枝が密生している
栂は松科の常緑高木
「 いや継ぎ継ぎに 」
いよいよ次ぎ次ぎと
栂(つが)と次(つぎ)を掛けている
「玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく 」
伸びてゆく葛のように絶えることなく:
玉葛は枕詞 玉は美称、葛は蔓性植物
「 ありつつも やまず通はむ 」
ありつつも: ずっとこうして
「明日香の 古き都は 」
天武天皇が壬申の乱勝利の後造営した飛鳥浄御原宮
「山高み 川とほしろし」
とほしろし: 大きく雄大である
「大」の古訓に「とほしろし」とあることによる
「春の日は 山し見が欲し」
「山し」の「し」は強調 春の日はずっと山を見ていたい
「秋の夜は 川しさやけし」
秋の夜は清かな川音を聴いていたい
「朝雲に 鶴(たづ)は乱れ 」
朝雲に鶴が乱れ飛び
「夕霧に かはづ騒(さは)く 」
夕霧の中で河鹿が鳴き騒ぐ
「見るごとに 音(ね)のみし 泣かゆ」
あぁ、このような美しい光景をみると声を出して泣きたくなる
「いにしへ思へば 」
栄えた古の都を思うと
巻3-324 山部赤人
(反歌)
「 明日香川 川淀(かはよど)さらず 立つ霧の
思ひ過ぐべき 恋にあらなくに 」
巻3-325 山部赤人
( 明日香川の 川淀を離れずに いつも立ちこめている霧
なかなか消えないその霧のように
すぐ消えてしまうような ちっとやそっとの想いではないのだ。
われらの慕情は )
思い過ぐ:想いが消える
恋:古都への慕情 原文は孤悲、一人悲しむの意
都が飛鳥から藤原京、さらに平城京に遷った後、旧都を訪れた作者が
懐古の情に耽けりながら詠ったものです。
飛鳥の古き都は神岳に生い茂る栂の木のように、次々(栂々:ずっと)と
訪れたい地だと誉め、自然の躍動を「山と川」、「春の日と秋の夜」、
「朝、雲、鶴 と 夕、霧,河鹿」の対句表現を積み重ねて讃え、
理想的な自然の姿、生き物の躍動する世界を表現しています。
にもかかわらず、往時の人々の行き来、賑わいは絶えた。
「霧」は嘆きの溜息。
旧都への慕情を「恋」という言葉で表現した斬新な歌です。
以下は犬養孝氏の「飛鳥の鶴」からです。
「 鶴は人間がかわいがってくれるところをちゃんと知っている。
秋10月末に、シベリヤ、蒙古の方から飛来してきて,越冬し
春3月には、もとの地へ帰ってくるのだ。
飛鳥の地への鶴の飛来など とうてい望むべくもないとは言い切れない。
もし真神の原を流れる飛鳥川がきれいになって、河鹿の声がきかれるように
なるならば「朝雲に鶴(たづ)は乱れ」は夢ではない日が来ないとも限らない。
わたしは飛鳥川畔に立って「夕霧にかはづさはく」実景を思い、飛鳥の田に
群れいる鶴、山地にこだまする鶴群(たづむら)の凛とした鳴き声を
飛鳥のために、日本のために,思いえがくのである。」
( 明日香風第三所収 現代教養文庫 )
「 飛鳥寺 鐘の音響く 鶴(たづ)鳴きわたれ 」 筆者
万葉集587 (飛鳥慕情) 完
次回の更新は7月8日の予定です。
by uqrx74fd | 2016-07-01 07:04 | 心象