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万葉集その五百八十八 (浜辺の歌)

( あした 浜辺を   小豆島の夜明け )
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( さまよえば     小豆島 )
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( 昔のことぞ    稲村ケ崎海岸  )
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( しのばるる    安房鴨川海岸 )
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( 風の音よ     能登 )
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(  雲のさまよ   三浦海岸 )
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(  寄する波も    銚子 犬吠埼 )
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(  貝の色も   小豆島 )
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(  間奏     ハワイ )
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( ゆうべ浜辺を もとおれば  逗子海岸の夕暮れ  学友 J.K さん提供 )
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(  昔の 人ぞ しのばるる    同上 )
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(浜辺の歌)

「 あした(朝) 浜辺を さまよえば
  昔のことぞ  偲のばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  よする波も 貝の色も 

  ゆうべ浜辺を 廻(もとお)れば
  昔の人ぞ  偲ばるる
  寄する波よ 返す波よ
  月の色も  星のかげも  」

                   ( 作詞 林 古渓 作曲 成田為三)

この歌は 林 古渓が若かりし頃、神奈川県辻堂東海岸、成田為三は能登の
海岸をイメージして作られたといわれています。

幼い頃、母が海辺で歌ってくれた懐かしい歌。
ゆったりと流れる美しい旋律は、いまや名曲となり世界各国で
演奏されているそうです。

四方山々に囲まれた奈良に都があった頃、多くの人々は海に憧れ、
近くの紀伊や難波に足をのばし、その感動を語っています。
さらに、律令国家の統一が成ると全国に国府が置かれ、
また、難波が防人の集結拠点になると、人々が海に接する機会が飛躍的に多くなり、
船旅も頻繁に行われて、多くの歌が詠われました。

万葉集で海は260余首。

美しい海、清き浜辺、寄せる波、返す波、潮騒、浜の真砂、荒海等々。
その中から冒頭の「浜辺の歌」と雰囲気が似ているものを
ピックアップしてみましょう。

「 大伴の 御津(みつ)の浜辺(はまへ)を うちさらし
    寄せ来る波の   ゆくへ知らずも 」 
                            巻7-1151 作者未詳

( 大伴の御津の浜辺を 洗いさらすようにして打ち寄せて来る波、
      この波はいったいどこへ流れ去っていくのだろうか )

     「大伴の御津」 難波の津 「大伴」は大阪から堺にかけての総称。
              大伴氏の領地があったことによる。

作者は鴨長明の
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも もとの水にはあらず」(方丈記)の
無常観を感じているのか「ゆくへ知らずも」と詠っています。

寄せては返す波を眺めながら、昔の人を偲んでいたのでしょうか。

「 住吉(すみのえ)の 名児(なご)の浜辺に 馬立てて
   玉拾(たまひり)ひしく 常忘らえず 」 
                              巻7-1153 作者未詳

( 住吉の 名児の浜辺に 馬をとどめて 玉を拾ったその楽しさは
  いつも心に残って忘れられない )

住吉の名児: 住吉の海岸であるが所在は未詳 粉浜説あり。

作者は都から難波に出かけて美しい石や貝を拾いあげて
お土産にしたようです。
寄せる波に打ち上げられる玉のような貝は桜色?
初めて海を見たのでしょうか。
その熱い感動ぶりが伝わってくる一首です。

「 冬の日の 疾風(はやち)するにも 似て赤き 
           さみだれ晴の 海の夕雲 」   与謝野晶子

さて、「浜辺の歌」には3番が存在し、昭和22年7月 中等音楽から
削除されているのを御存じでしょうか。
1~2番とは打って変わり、雰囲気が一変しています。
解釈が難しいこと、前の歌とのつながりが不明なので
唱歌にそぐわないと判断されたのでしょうか?

「 疾風(はやち)たちまち  波を吹き
  赤裳の裾(すそ)ぞ  濡れ漬(ひ)じし
  病みし我は  すでに癒えて
  浜辺の真砂  まなご(愛子)いまは 」
  
                     ( 作詞 林 古渓 作曲 成田為三)

「 突然、疾風(しっぷう)が吹いて 波が立ち
  わが愛する人の赤裳(着物の赤い下着)が ずぶ濡れになってしまった。
  大病を患った私は、既に癒えたが あの人はもういない。
  浜の小さな砂、そして愛する人は 今元気でいるのだろうか。」

 と解釈すると、1~2番の「昔の人、昔のこと」は病気を患う前に愛した人
 そして逢い引きした様々な出来事を思いだしながら、浜辺をあてどもなく
 彷徨している姿が思い浮かべられるのです。

「 白波の 寄そる浜辺(はまへ)に 別れなば
          いともすべなみ 八(や)たび袖振る 」 巻20-4379 
                    大舎人部 禰麻呂( おほとねりべの ねまろ) 足利の防人

( 白波の寄せるこの浜辺で 故郷から遠く離れて
  愛する人と別れてしまったからには、もう、どうしょうも無い。
 ただただ、何度も何度も袖を振るばかりだ )

防人の任期は3年。
往きは官費、帰りは自費。
旅費が尽きて、行き倒れとなる人も多く生還が期し難い旅です。
愛する人と別れなければならない深い悲しみがこもり、浜辺の歌の
気持に通じます。

さて、浜辺の歌3番の「赤裳」。
古の男を魅了してやまなかった赤い下着のことです。
波や雨に濡れてたくしあげると白い太ももがチラッと見える。
その官能に大いにくすぐられた万葉男は多くの歌を詠っています。


「 我妹子(わぎもこ)が 赤裳の裾の ひづつらむ
    今日の小雨に 我さへ濡れな 」 
                          巻7-1090 作者未詳

( いとしいあの子は、今日の小雨で今ごろ赤裳の裾を濡らしていることであろう。
      よ-し、俺様も濡れて行こう 。)

自分も濡れることによって共に一体だと詠っています。

「浜辺の歌」で「赤裳」「ひづつ」という言葉が出てきたのには
「びっくりぽん」。

一体なんで こんなところに出てきたのか?
林 古渓さんも万葉集を勉強していたのかしらん。

「 なびきあひ くだけてひろき 夕凪の
                九十九里が浜の  波のましろさ 」  若山牧水



              万葉集588(浜辺の歌) 完

              次回の更新は7月15日です

by uqrx74fd | 2016-07-08 00:00 | 自然

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