2017年 03月 02日
万葉集その六百二十二 (千鳥)
( コチドリ 同上 )
( シロチドリ 同上 )
( 蛙の仲間たち 動物図鑑 万葉人は河鹿:カジカの声を楽しんだ )
「千鳥」とは元々数多くの鳥の意で群を作って飛ぶところから、その名がある、
あるいは鳥が「チ、チ」と鳴くと聞きなし、「チ+トリ」になったともいわれています。
その種類は多く、チドリ科、シギ科、カモメ科、ウミスズメ科など19科、
約390種類の水鳥、海鳥が含まれており、学術的には鷸(シギ)千鳥目に
総括されていますが、数が多すぎ素人が一瞬で見分けるのは難しいようです。
歌の世界ではチドリ科のうち大型のケリ類を除いたものをいい、コチドリ、
イカルチドリ、シロチドリの3種が日本で繁殖しています。
(コチドリは夏鳥として渡来)
「ピォ ピォ ビユ-、ビュ-」 と鳴くのはコチドリ
「ピォ ピオ 」は イカルチドリ
「ククリ ククリ」は メダイチドリ 、オオメダイチドリ
「ピヨイ ピヨイ ピピピ 」が 白チドリ
その特異な声は哀調を感じさせる上、水辺をチョコチョコと走り廻る姿が
愛らしく、古くから無数の歌や俳句に詠まれてきました。
現在は冬の季語とされていますが、万葉集では26首、季節に関係なく
詠われています。
「 千鳥鳴く み吉野の川の 川音の
やむ時なしに 思ほゆる君 」
巻6-915 車持千年(くるまもちの ちとせ)
( 千鳥鳴く吉野川の川音のように、一時とてやむときもなく
あの方のことが思われます。)
723年、持統天皇吉野離宮行幸の折の歌。
この歌の前の長歌で
「 朝霧が立ち、河鹿が鳴く美しい吉野を自分一人で眺めるのは残念だ。
都に残してきたあの人にもこの素晴らしい光景を見せたいものだ」
と詠った後の或る本による反歌。
異境を旅する時はまず土地褒めをするのが当時の習い。
女帝に従ってきた女官も多くいたので女性の立場で詠ったものと思われます。
きらびやかな衣装をまとった都人。
風光明媚な吉野。
男も女も、都に残してきた愛する人を思い出しながら、千鳥の声に
聴き惚れていたことでしょう。
次の2首は問答とされる二人の掛け合いの歌です。
「 佐保川に 鳴くなる千鳥 何しかも
川原(かはら)を偲(しの)ひ いや川上(かはのぼ)る 」
巻7-1251 作者未詳
( 佐保川で鳴いている千鳥よ。
なんでそんなに川原を愛しんで、ずんずん川を上ってくるのか )
「 人こそは おほにも言はめ 我がここだ
偲(しの)ふ川原を 標(しめ)結ふな ゆめ 」
巻7-1252 作者未詳
( 人々は平凡な景色だというかもしれません。
だけど、私がこんなに愛しんでいる場所ですから
勝手に標を張って締め出すようなことはしないで下さいな )
「おほにも」: 「凡(おほ)にも」で「いい加減に」
「ここだ」: こんなにも甚だしく
「標結ふ」:立ち入り禁止の標識 女を独占したい男の立場で用いることが多い
ある人が千鳥に向かって問いかけ、千鳥の立場で答える形になっています。
伊藤博氏は
『 ただ、これだけでは意味をなさないので、千鳥を男、川原を愛する女に譬え、
ある第3者が「お前何であんなつまらぬ女に惚れて通っているのだ」
とからかったところ
「 つまらぬ女かも知れないが、俺にとっては愛しい人。
無用な邪魔立てはするなよ。
もしかしたら油断させて横取りする気ではあるまいな 」
と答えたものらしい。』
とされています。
この解説がないと、理解が難しい問答歌です。
「 我が門(かど)の 榎(え)の実もり食(は)む 百千鳥(ももちどり)
千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ 」
巻16-3872 作者未詳
( 我が家の門口の榎の実を もぐもぐと食べ尽くす群鳥、
群鳥はいっぱいやってくるけれど、私が待つ肝心の君は
一向においでにならないわ。)
榎はエノ木科の落葉高木、赤黒い小さな実を求めてムクドリが群れて
食するそうですが、ここでの百千鳥は群れをなした鳥。
この歌は筑前国の謡ものらしく
「もり食む」に貪欲な、「百千鳥」に多くの男達を寓し
「 女好きな男たちは私の体を求めて、うようよやって来るけれど
肝心なあなたは来ない。
そんなに邪険にしていると他の男と一緒になってしまうよ 」
とからかっているように思われます。
周りが囃しながら歌う宴席での定番だったのでしょう。
「 入り乱れ 入り乱れつつ 百千鳥 」 正岡子規
万葉人の造語、百千鳥は一体何の鳥か諸説ありましたが、現在では
種類も様々な小鳥が野山で鳴き交わす様子を言う四季の季語です。
「 佐保川の 清き川原(かわら)に 鳴く千鳥
かわづと二つ 忘れかねつも 」 巻7-1123 作者未詳
( 佐保川の清らかな川原で鳴く千鳥と河鹿。忘れようにも忘れられないなぁ。
早く旅を終えて家に帰りたいよ )
佐保川は春日山に発し、奈良市を西南に流れる川で千鳥と河鹿が名物と
されていました。
清流に鈴を転がすように鳴く「かじか」。
河鹿と書きますが実は蛙の一種です。
晩春から雄のみが雌を求めて「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鳴き出し初秋には鳴きやみます。
古代の人達は千鳥と河鹿の美しい二重奏を楽しんでいたのです。
優雅ですねぇ。
佐保川の千鳥も河鹿も今は姿を消し、狭くなった川の土手は桜並木に
なっています。
川べりに座ってせせらぎの音を聴いていると、往時の様子が
目に浮かんでくるようです。
余談ながら、酒に酔った人の足取りを千鳥足と云いますが、これは千鳥類などが
蟹などを捕えるため歩行中頻繁に向きを変え、踏み跡がジグザグになるようすに
由来するそうな。
「 酔ひ足りて 心閑(しづ)かや 遠千鳥 」 日野草城
万葉集622 (千鳥) 完
次回の更新は3月10日(金)の予定です。
by uqrx74fd | 2017-03-02 20:26 | 動物