2017年 03月 09日
万葉集その六百二十三 (ちんちん千鳥)
今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)
( タイゼン 同上 )
( ハジロコチドリ 同上 )
( メダイチドリ 同上 )
「 ちんちん千鳥の啼く夜さは
啼く夜さは
硝子戸(がらすど)しめても まだ寒い
まだ寒い
ちんちん千鳥の啼く声は
啼く声は
燈(あかり)を消しても まだ消えぬ
まだ消えぬ
ちんちん千鳥 親ないか
親ないか
夜風に吹かれて 川の上
川の上 」
( ちんちん千鳥 北原白秋作詞 近衛秀麿作曲)
幼い頃歌った懐かしい童謡。
澄み切った冬の空気に響きわたるような哀感ただよう曲です。
「 わたし呼(よぶ) 女の声や 小夜ちどり 」 蕪村
絶え間なく鳴き続けるちんちん千鳥。
それは高く細く透き通るような声。
「ちんちん」とは風鈴あるいは鈴のような音を暗示しているのでしょうか。
鈴は神社の巫女さんが祭礼の時に振っているように、魂を高め、
鎮める道具とされています。
古の人たちはそのようなチドリの声を耳にすると、何とも言えない
うら悲しい気持ちになったり、懐旧の念に駆られて寒い夜を過ごしたのです。
「 さ夜中に 友よぶ千鳥 物思(ものも)ふと
わびをる時に 鳴きつつもとな 」
巻4-618 大神郎女(おほみわの いらつめ)
( 真夜中につれあいを求めて呼ぶ千鳥よ。
物思いに沈んでしよげ返っているときに、むやみやたらと鳴いたりして。 )
大伴家持に贈った一首。
作者は奈良の三輪山付近出身の女性と思われますが詳細は未詳です。
家持に恋焦がれ何度も歌を送ったが全く反応なし。
「私にそんなに魅力がないのかしら」と思いに沈んでいる時、
恋人を呼んでいるらしい千鳥の声が響いてきた。
澄み切った調べが夜空に高く響く。
「こんな鳴き声を聴くとますます寂しくなるではないか」
と溜息をつく作者です。
伊藤博氏によると「鳴きつつもとな」とは
『 環境の状況と作者の心情とのあいだに生ずるやりきれない違和感を
述べる表現として結句に用いられる。
相手の反応がないことを嘆いている自分なのに、
千鳥には応える友がいるらしいことが
「鳴きつつもとな」なのである。』 (万葉集釋注2)
「 夜ぐたちに 寝覚めてをれば 川瀬尋(と)め
心もしのに 鳴く千鳥かも 」
巻19-4146 大伴家持
( 夜中過ぎに眠れずにいると 川の浅瀬伝いにきて
我が心がうち萎れるばかりに鳴く千鳥よ。 )
「 夜ぐたちに」: 夜中を過ぎたころ。「くたち」は「盛りを過ぎる」の意
「 寝覚めてをれば」: 寝床に入っているが眠れないで目をさましていること
「 川瀬尋(と)め」: 川瀬は家持の居館近くを流れる射水川(富山)の浅瀬
「尋(と)め」:追い求める。ここでは浅瀬伝いにきて
「心もしのに」 : 心が萎えてしまうほどに
家持の都の留守宅は奈良の佐保川のほとり。
千鳥と河鹿(かじか)がよく鳴くことで知られていました。
真夜中に千鳥の哀しげな声を聴き、都に置いてきた妻が急に懐かしく
思い出したことでしょう。
あぁ、早く都に帰りたい!
「 夜ぐたちて 鳴く川千鳥 うべしこそ
昔の人も 偲(しの)ひ来にけれ 」
巻19-4147 大伴家持
( 夜中過ぎになって鳴く千鳥。
昔の人もこの声の切なさに心惹かれてきたのは
なるほど もっともなことだなぁ。 )
うべしこそ:なるほど、なるほど尤もなことだ。
家持は「昔の人」に人麻呂を意識しているようです。
人麻呂の千鳥の歌といえば
「 近江(あふみ)の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
心もしのに いにしへ 思ほゆ 」
巻3-266 柿本人麻呂
( 近江の海の夕波千鳥よ、お前たちが哀しそうに鳴くのを聞いていると
心もうつろに萎えて、ひたすら昔のことが思われてならない )
心も萎えてしまうほどに昔が思われるのは天智天皇の近江朝。
あの華やかなりし都は壬申の乱で滅亡し今や荒れ果てた廃墟になっていたのです。
「夕暮れの波間を鳴きながら群れ飛ぶ千鳥」を、たった4文字に凝縮した「夕波千鳥」。
美しくも哀しさを感じさせる名歌中の名歌です。
「 夕千鳥 波にまぎれし 如くなり 」 高濱年尾
万葉集623(ちんちん千鳥)完
次回の更新は3月19日の予定です。
by uqrx74fd | 2017-03-09 21:00 | 動物