2017年 04月 06日
万葉集その六百二十七 ( 桜の歌 )
( 同上 )
( 山辺の道 桃と桜 奈良 )
万葉集その六百二十七 (櫻の歌)
「 さくら さくら
野山も里も 見渡すかぎり
かすみか雲か 朝日に匂う
さくら さくら 花ざかり 」 (日本古謡)
桜前線の北上が始まり、琴の調べとともに流れてくるこの曲を耳にすると、
たちまち浮き浮きするような気分になります。
南の小さな島々から、北海道の隅々まで順次桜で埋め尽くされてゆく。
このような国は世界広しと云えども、我国だけでありましょう。
あぁ!日本人に生れてよかった!としみじみ感じる季節です。
万葉人もこのような光景を「国のはたてに」( 国の隅々まで)と詠い
桜の到来を寿ぎました。
「 娘子(をとめ)らが かざしのために
風流士(みやびを)が かづらのためと
敷きませる
国のはたてに 咲きにける
桜の花の にほひはも あなに 」
巻8-1429 若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)口誦
( 乙女たちの 挿頭(かざし)のために
風流士(みやびを)の蘰(かずら)のためにと
大君がお治めになる
国の隅々まで 咲き満ちている
桜の花の まぁ何と輝くばかりの美しさよ )
「 かざし」: 花や小枝を髪に挿して飾りとしたもの
「 風流士(みやびを)」 : 都会風の風流を解する教養ある男子
「 かづら 」: 柳や蔓草などを頭に巻く髪飾り
「 敷きませる 」: 天皇が国を統治し領有しておられる
「 国のはたてに 」: 端手、涯 :隅から隅までも 国の果てまで
「 にほひはも あなに 」: にほひ:明るく照り映える
はも: 感動の助詞
あなに: あぁ、ほんとうに の意の詠嘆
「 去年(こぞ)の春 逢へりし君に 恋ひにてし
桜の花は 迎へけらしも 」
巻8-1430 同上
( 去年の春 お逢いしたあなたに恋焦がれて 桜の花は
この春もこんなにも美しく咲いて あなたをお迎えしたのですよ )
作者は宴会の席で,古歌として伝えられているものを口誦したようです。
桜を擬人法的に詠っています。
国の隅々まで桜が咲き誇り、美しい花の化身である輝くばかりの乙女が
私を迎えてくれた。
それは桜と同時に生命に対する賛歌でもあります。
「 あしひきの 山桜花 一目だに
君とし見てば 我(あ)れ恋ひめやも 」
巻17-3970 大伴家持
( 山々に咲き匂う桜の花。
その花を、あなたと一緒に一目だけでも見ることができたら
こんなに想い焦がれることもないことでしょうに 。 )
家持が大病を患い床に臥せていた時、歌友、大伴池主と歌のやり取りを
していた中の一首。
恋文仕立てで詠うことにより、親愛の情を示したもので、古代ではよく
用いられた手法です。
万葉時代の桜はすべて山桜か遅咲きのカスミザクラ。
カスミザクラの突然変種がナラヤエザクラになったともいわれ、
現在、東大寺近くにある智足院で栽培されたものが残っています。
自然の中で咲く山桜について 小清水 卓司氏が次のように述べておられます。
『 桜の中で日本の精を包含した花として謳歌されるものは、山桜系である。
この桜の類は何れも、花と葉が同時に開くいかにも清浄な清々しいもので、
多種多様な変種があるが、みなその背景を必要とし、しかもその背景は
人工的な物体ではなく、どこまでも大自然そのもの、例えば常緑樹や、
山川渓谷等の背景が配されてこそ、真のよさや、真の表情が
表れるものである。』
(万葉の草・木・花 朝日新聞社)
今やソメイヨシノ全盛の時代。
それでもよく気を付けて見ると山桜が逞しく生き残っています。
古びた山里を歩いている時、一本の大木が満開の花を咲かせている。
それこそ絵になる風景、感動もひとしおなのです。
「 やどりして 春の山辺に ねたる夜は
夢のうちにも 花ぞちりける 」
紀貫之 (古今和歌集)
万葉集627(桜の歌)完
次回の更新は4月14日(金)の予定です。
by uqrx74fd | 2017-04-06 11:04 | 植物