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万葉集その六百二十八 (あだ桜)

( 吉高大桜  千葉県印旛村 )
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( 三春滝桜   福島県 )
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( 上田城   長野県 )
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( 又兵衛桜  奈良県 )
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( 千鳥ヶ淵   東京 )
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( 六義園枝垂れ桜     東京 )
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( 醍醐寺   京都 )
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(  玄賓庵   山辺の道  奈良 )
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(  高千穂神社   佐倉市 )
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(  新宿御苑   東京 )
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(  同上 )
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万葉集その六百二十八 (あだ桜)

「 明日ありと 思ふ心の あだ桜
         夜半に嵐の 吹かぬものかは 」 親鸞聖人絵詞伝

親鸞聖人9歳の時に詠んだと伝えられる一首。(ほんとかしら?)

得度(僧侶になること)するために青蓮院の慈円和尚を訪れたが、生憎夜中。
慈円は「今日は遅いから明日に」と云った時に答えた歌とされています。

「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で
 散ってしまうかもしれません。
 私の命も同じように何時果てるかもわからない。
 どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」 と
お願いして了解を得たそうな。

この歌を人生で最初に覚えたとされる向田邦子さんは
「あだ桜」という随筆で

「 人生の折り返し地点をはるかに過ぎ、残された明日は日一日と
  少なくなっているのに、まだ明日をたのむ気持ちは直っていない。
  さしあたって一番大切な、しなくてはならないことを先に延ばし、
  しなくてもいいこと、してはならないことをしたくなる性分は
  かえって年ごとに強くなってゆくような気がする。」

と述べておられます。( 父の詫び状 所収 文芸春秋社)

「思い立つた日が吉日」という言葉もあり、花見も散らぬうちに
 楽しみたいものです。

さて、こちら万葉人は風流な恋歌であだ桜を楽しんでいます。

「 やどにある 桜の花は 今もかも
      松風早み 土に散るらむ 」  
                      巻8-1458 厚見 王

( 庭に植えてある桜の花は 今ごろ松風がひどく吹いて
  ひらひらと地面に散っていることだろうか。)

作者は官人(少納言) 。
749年奉幣使として伊勢神宮に遣わされたの記録がありますが
詳しいことは未詳。

「やどにある桜」: 女の家の庭の桜を我家のもののように
            馴れ馴れしく云っており相手の女性は
            我がものという意識が底にある

女の家の落花の美しさを思いやった風流を装いながら、
他の男に心を移しているのではないかと疑っているのです。

それに対して女性は

「 世間(よのなか)も 常にしあらねば やどにある
    桜の花の 散れるころかも 」 
                     巻8-1459 久米女郎

( 人の世は 定まりないものです。
  我家の庭の桜も、空しく散ってしまいましたよ。 )

あなたこそ、一向に訪れがないものですから、待ちくたびれて
他の男に魅かれてしまいましたと応えたもの。

色よい返事を期待していた男はあっけにとられたことでしょう。
久米女郎の経歴は未詳、万葉集でこの1首のみです。

  世間(よのなか): 無常の人の世の意で男女の仲を譬えている

「 あしひきの 山の際(ま)照らす 桜花(さくらばな)
     この春雨に 散りゆかむかも 」 
                            巻10-1864 作者未詳

( 山あいを明るく照らして咲いている桜の花。
  この春雨に散ってゆくことだろうか。)

作者は前の日に満開に咲く桜を見てきたのでしょうか。
今降る春雨に打たれて散っているだろうかと、惜しんでいます。

万葉人にとっての桜は、明るく生きる生命の象徴、
散る桜は命の再生の肥やし。そして稲の神様の化身。
桜咲く時期になると山の神様がそろそろ田植えだよと教え、
花が多ければ多いほど、散る時期が遅ければ遅いほどその年は
豊年と信じられていたのです。

万葉人の詠んだ散る桜。
そこには親鸞聖人が詠った仏教的無常観は微塵も見られません。
「世間(よのなか)も常にしあれば」と詠っても、彼らにとっては
男と女の間の話。

あだ桜は万葉人にとって恋のあだ花だったのでしょう。


        「 桜花 何が不足で 散りいそぐ 」  一茶




    万葉集628(あだ桜)完

次回の更新は4月21日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2017-04-13 22:02 | 植物

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