万葉集その六百七十六 (安眠快眠)

( 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花 )
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( カタクリは1年の大半を地中で過ごす眠り姫 )
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( 快眠? エゴンシーレの模写  筆者 )
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( うたた寝 ?  オスカーココシュカの模写  筆者 )
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( 春の夢 パウルクーレ風  筆者 )
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   万葉集その六百七十六 (安眠、快眠)

寒かった冬も過ぎ、ようやく「春眠暁を覚えず」の季節到来。
何物にも代えがたい至福のひとときです。

静かな環境での安眠熟睡。
古代の人達はそのような眠りを「安寐(やすい)」と云っていました。

ところが大伴家持さんは頻繁に歌を交わしあっていた心の友、大伴池主が
越前に転任し、近くにいない寂しさから夜も寝れなくなり、
ホトトギスに友も寝かせるなと詠うのです。

「 ほととぎす 夜鳴きをしつつ 我が背子を
     安寐( やすい)な寝しめ ゆめ心あれ 」 
                        巻19-4179 大伴家持

( ホトトギスよ 夜鳴きをし続けて、わがいとしい人に
  安眠などさせてくれるなよ。
  わが意を体して、ゆめ怠るでないぞ。)

時鳥の声を一人で聞くのはあまりにも寂しいので、
「 池主を寝かさないで鳴き続けてくれ、そして共に過ぎし日を思い出そう」
と恋歌仕立てで詠ったものです。

いささか大げさな感じがいたしますが、心を許した友が身近にいなくなった
寂しさ伝わってくる1首。

          「な寝しめ」:「な-め」で禁止を表す。
                  通常は「なーそ」と使われる。 「寝かすなよ」の意

「 思はぬに 妹が笑(ゑ)まひを 夢(いめ)に見て 
     心のうちに 燃えつつぞ居る 」  
                        巻4-718 大伴家持

( 思いもかけず あなたの笑顔を夢に見て、心の中で
  ますます恋心をたぎらせています )

「娘子に贈る歌7首」のうちの1つで、娘の名は不詳。

「思いがけず夢に見たのはあなたが自分を想ってくれているのだ」と
切々たる恋心を詠っています。

灯りが少なく、蝋燭も高価だった昔、人々は日が暮れると共に床に就き、
そのまま爆睡し愛しい人の夢をみる、あるいは恋する人と
抱き合って睦むことが何よりの楽しみでした。

万葉集には夢を詠ったものが90首もあるのは、当時、通い婚のため
一緒に過ごす時間が少なく、一人寝の日が多かったためと思われますが、
それにもまして、恋人が自分の夢を見てくれると、自分のもとに現れると
信じていたので、寝る前に「どうかあの人が自分の夢を見てくれますように」
と祈ったのです。

ロマンティックな習慣ですねぇ。

「 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花
         君のみ見めや   戯奴(わけ)さへに見よ 」 
                            巻8-1461 紀 郎女

( 昼間は綺麗な花を咲かせて、夜になればぴったりと葉を合わせ、
  好きな人に抱かれるように眠る合歓。
  ほんとうに羨ましいこと。
  そんな花を主人の私だけが見てもよいものでしょうか。
  お前さんも御覧なさいな。
  あなたと一緒に見ながら抱き合いたいのよ。)

合歓の花木を添え、大伴家持に贈った一首。
漢字の「合歓」は「合歓ぶ(あいよろこぶ)」つまり男と女が抱き合うことを
意味します。

年上で人妻(天智天皇の曾孫 安貴王の妻)でもある作者が
花によせて共寝を誘っているのです。

歌を通じてお互い特別親しい間柄なので、家持を下僕のように呼びかけて
戯れ興じているようですが内心は本気かもしれません。

      「 君のみ見めや」 : 君は主人の意で作者自身をさす

      「 戯奴(わけ) 」 : 年少の召使などを呼ぶ言葉 
                    ここでは大伴家持をさし、年下なので
                    わざと見下したした言い方をしている


ところで、万葉集では二人の共寝を「味寐(うまい)」と表現しています。
「味寐」(うまい)とは云い得て妙。
お互い抱き合いながら「美味かった」、「よーく味わった」
というニユーアンスが含まれているのですから。

「 人の寝(ぬ)る 味寐(うまい)は寝ずて はしきやし
        君が目すらを  欲りし嘆かむ  」 
                          巻11-2369 作者未詳

(  人様がするような共寝は出来ずに、あぁ。
   せめてあの方の顔だけでもと溜息ばかりついているうちに
   すっかり夜があけてしまいました。)

         「はしきやし」: 愛(は)しきやし 詠嘆をあらわす修飾句 
                   ここでは「あぁ-」
         「君が目すらを 欲りし」 : 一目だけでも見たい

「 白妙の 手本(てもと)ゆたけく 人の寝(ぬ)る
        味寐(うまい)は寝ずや  恋ひわたりなむ 」 
                        巻12-2963 作者未詳

( 手枕もゆったりと打ちくつろいで、人さまが寝るような
  快く楽しい眠りは出来ないので、おれはこうしていつまでも
  恋に悩み続けるのだろうか )

            「手本ゆたけく」: 女の腕を枕にして心楽しく

伊藤博氏は

『 従来「安寐(やすい)は安眠、「味寐」(うまい)は熟睡、安眠の意と解釈されていた。
  ところが、若い後輩が ヤスイとは「一人寝の熟睡」ウマイとは
  「男女二人で共寝する熟睡」と発表した。後生畏るべし。
  そう思って用例にあたってみると、まさしくことごとくがこの新見に
  よって処理できる。

  そもそも「安し」は自己の心情の安らかさ、「味し」は対象自体に具わる
  性質の良さをいう語であるから、「安寐」と「味寐」とのあいだに
  相違があるのは当然なのである。

  それにしても、いかにもおっとり自然に歌を詠んでいるように見えながら
  万葉人が、ことばづかいにきわめて厳密であった点に、
  感服しないわけにはゆかない。) 』

と述べられ、さらに、

「 人や犬など、意思あるものが(何かを)越えるについて
  「越ゆ:自ら越えるの意」といい、
  風や波など、意思なきものが越えるについては「越す:神が越させるの意 」
  といって厳しく使い分けたり、また原則として降る現象が見えない霜、露に
  ついては「置く」、降る現象が「雨」「雪」には「降る」と
  いって区別したりするなど、かような姿勢が「安寐」「味寐」一つに
   限らないことを思えば、なおさらである。」

と付け加えておられます。
                       ( 万葉のいのち はなわ書房 )
       

「 朝寝して 風呂酒一献  昼寝して
              時々起きて   居眠りをする 」  筆者

               ( この人物は小原庄助さん )
ご参考

( 民謡 会津磐梯山 )
 
  会津磐梯山は宝の山よ 
  笹に黄金がなりさがる

  何故に磐梯あのように若い 
  湖水鏡で化粧する

  北は磐梯 南は湖水 
  中に浮き立つ翁島

  主は笛吹く 私は踊る  
  櫓太鼓の上と下 

  小原庄助さん 何で身上(しんしょう)潰した
  朝寝 朝酒 朝湯が好きで
  それで身上つぶした
  ハァ もっともだ もっともだ


           万葉集676 (安眠快眠) 完

           次回の更新は3月23日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-03-17 17:24 | 生活

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