万葉集その六百八十四 (雲雀の文学)

( ヒバリ 雄 )
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( 雛に餌やりする ヒバリ 雌 )
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( 揚雲雀 )
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万葉集その六百八十四 (雲雀の文学)

 「 揚雲雀(あげひばり) 見上ぐる高さ より高く 」 稲畑汀子

 雲雀の雄は高い空で「ピーチュル ピーチュル」と囀り、雌は
草の茂みなどで「ビユル ビユル」と鳴きます。
「晴れた日に空高く上がって鳴く」ことから「日晴れ」とよばれ
転じて「ヒバリ」になったとか。

ひとしきり楽しげに囀ったあと一直線に地面に降りてくる雲雀。
その姿から揚雲雀、落雲雀ともよばれ、古代から多くの人達に
親しまれてきました。

 私達にとって楽しげに聞こえる雲雀の囀り- 
でもそれは餌を確保するために縄張りを主張しているのです。

また地面に着陸する時、わざと巣からかなり離れた地点に下り、
そこから忍者さながら潜行して外敵に覚られないように戻って
雛を守るなど、実生活の雲雀さんはなかなか忙しい。

   洋の東西を問わず古くから多くの人たちに愛されてきた雲雀は
   文学、詩、和歌、俳句にいたるところで登場しています。

  まずは中原中也の詩から。

「 ひねもす空で 鳴りますは
  あぁ 電線だ 電線だ
  ひねもす空で 啼きますは
  あぁ 雲の子だ 雲雀奴(ひばりめ)だ 

  碧(あ-ぉ)い 碧(あ-ぉ)い 空の中
  ぐるぐるぐると 潜(もぐ)りこみ
  ピーチクチクと啼きますは
  あゝ雲の子だ、 雲雀奴(ひばりめ)だ  」  (中原中也 「雲雀」より)

次は教科書で習った上田敏の海潮音から

「 時は春 日は朝(あした) 
  朝(あした)は七時 

  片岡に露みちて 
  揚げ雲雀なのりいで
  蝸牛(かたつむり)枝に這ひ 
  神そらに知ろしめす。

  すべて世は事も無し 」
             ロバート ブラウニング 
                          (上田敏訳 海潮音所収 春の朝より) 

勿論万葉集にも登場しています。

「 朝(あさ)な朝(さ)な 上がるひばりになりてしか
             都に行きて早帰り来む 」 
                          巻20-4433 安部沙弥麻呂

( 朝ごとに空高く舞い上がる雲雀になりたいものだ。
そして都に行きすぐに戻ってこよう。)

755年、防人が難波に集結して大宰府に出発するにあたり
兵士を閲兵、鼓舞する為に勅使が遣わされました。
数々の行事が終わった後、勅使を慰労する宴が催され、兵部省の役人大伴家持たちが
接待にあたります。

主賓の勅使(作者)は
「春めいてきた都にすぐにでも戻りたいが―。
まだ残務があるので残念だ。
雲雀になって空を飛び、とんぼ返りしたいものだなぁ」と詠った。

「 ひばり上る 春へとさやになりぬれば
      都も見えず 霞たなびく 」 
                           巻20-4434 大伴家持

( もう雲雀が舞い上がる季節になったのですね。都の方角も春の使いといわれる
霞がたなびいていて朧気にかすんでおりますなぁ ) 

「さやに」: はっきりと明瞭に 

古代、霞がたなびくと春が到来したと感じられていました。
家持は勅使に対し
「お勤めご苦労様でございます。
都もすっかり春めいて霞で見えないくらいでございます。
帰心矢の如しでございましょうが、今しばらくご辛抱を」
と気を遣ったものです。

当時の防人制度は関東、甲信越、中部地方から21歳~60歳の男が徴兵され
一旦難波に集結して、そこから船で大宰府に派遣されていました。
(防人の定員は3000人で3年に1回1000人ずつ交代。)

当時の定めでは3000人集結するとき 従5位相当の高官
       1000人 〃      内舎人(天皇の付人)
を派遣し慰労の詔勅を下すことになっていましたが、
今回の場合、かなり重要な軍務のため、更に上の高官即ち
従4位、紫微中台首席次官 (官房と親衛隊を兼ねた天皇直属の行政府次官)を
派遣したので家持も格別な接待をしたようです。
 
なお、当時兵部省次官であった家持は防人達に歌を作って差し出すように命じた為、
当時の実態を知ることができ、重要な歴史遺産となっています。

「 うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上(あが)り
     心かなしも   ひとりし思へば 」      
                     19-4292 大伴家持

( うららかな春の日、暖かい太陽の日差しの中を
  雲雀が空を舞い上がっています。
  こんなに素晴らしい日なのに私の気持ちは
  一向に晴れないで、一人物思いにふけっています。)
                        
この歌は人間の不安、さびしさ、心のゆらめきを表現したものとしては
万葉集の中でも稀有のものであり、家持一人が「万葉集」において達成した世界(伊藤博)と
評されています。
 
家持がこのような孤独感を抱くに至った背景には次のような経緯があります。

大伴家は有史以来、天皇家に従い「武」と「歌」で天皇を守護する名門中の名門。
ところが家持の時代になると藤原一族が政治を壟断して完全に朝廷を牛耳り、
大伴家は凋落の一途を辿ります。
強力な後ろ盾であった聖武天皇、橘諸兄は相次いで世を去り、無力となった家持は
中央の政治の舞台から姿を消し、遂に左遷に次ぐ左遷と悲哀のうちに、その生涯を
都から遠く離れた陸奥の国で終えることになります。

然しながら作歌の世界では澄み切った境地に達し、次から次へと秀作を生み出し
永遠の命を得ました。
孤独とはすべての人間の心の深淵に持つ本源的なものであり、
それを超越すると、やがて「無」という境地に達するものでありましょうか。

再び現代詩の世界へ。

「 雲雀の井戸は天にある・・・・あれあれ
  あんなに雲雀はいそいそと
  水を汲みに 舞ひ上がる
  はるかに澄んだ 青空の
  あちらこちらに
  おおき井戸の 枢(くるる)がなっている 」 (三好達治 揚げ雲雀 )

              枢:井戸の釣瓶(つるべ)の回転軸

最後に漱石の草枕から
 
「 たちまち足の下で雲雀の声がした。
  谷を見下ろしたが どこで鳴いているのか影も形も見えぬ。
  ただ声だけが明らかに聞こえる。- 

  あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。
  のどかな春の日を鳴き尽くし鳴きあかし、
  また鳴き暮らさなければ気が済まんとみえる。
  その上どこまでも登って行く。
  いつまでも登って行く。」                    夏目漱石(草枕)

多くの人たちに愛され親しまれた雲雀は今や余り見かけなくなりました。
緑肥として栽培されていたレンゲソウ、ウマゴヤシ、アブラナ、クローバー、などが
少なくなり、子育てをする場所がなくなったからでしょうか。

「 日輪に きえいりてなく ひばりかな 」 飯田蛇笏


          万葉集684 (雲雀の文学)完


         次回の更新は5月18日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-10 15:41 | 動物

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