万葉集その六百八十六 (ちはやぶる)

( ちはやぶるは神に関係ある言葉  大神神社  奈良
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( 大神神社の巫女 )
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( 紅葉の名所 龍田川   奈良 ) 
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(  映画 ちはやふる  広瀬すず主演のポスター )
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万葉集その六百八十六 (ちはやぶる)

「ちはやぶる」は「いちはやぶる」の略とされ、いにしへの昔の言葉です。

その原義は「「いちはや」は「逸早や」で最速、最強。
「ぶる」は「荒ぶる」「大人ぶる」と同じく「さま(様)」の意。
したがって「ちはやぶる」は
「畏怖すべき霊力、活力に満ち、凶暴で荒々しいさま」のことで、
主に神や神社のある地名にかかる枕詞として使われ
「ちはやふる」と清音でいわれることもあります。

古代、神は山、川、海、坂、道などを領有する自然界の支配者であり、
また、熊、龍、虎、狼、蛇などにも神霊が宿り、怒らせると猛威を振るう
恐ろしい存在と考えられていました。
人々はその怒りを鎮めるために住む地区ごと、道の岐路、坂の上などに
神社や祠(ほこら)を設け、供え物をして祈ったのです。

やがて時代を経ると神には恐ろしい「荒魂:あらたま」ばかりではなく
敬虔に祈ると願い事をかなえてくれる「和魂:にぎたま」をも持つ
存在として崇めることになり現在に至っています。

万葉集での「ちはやぶる」は16例。
うち12例が神や神に関する枕詞として用いられています。

次の4首は道ならぬ恋をしてしまった男女の嘆きの歌です。

「 夜(よ)並べて 君を来ませと ちはやぶる
     神の社を 祷(の)まぬ日はなし 」  
                      巻11-2660 作者未詳(女)

( 毎晩続けて、あなたどうかいらして下さいと霊験あらたかな神の社に
 祈らぬ日など1日もありません。)

     祷の)む: 祈祷する


「 霊(たま)ぢはふ 神も我れをば 打棄(うつ)てこそ
      しえや命の 惜しけくもなし 」 
                     巻11-2661 作者未詳(女)

     ( 霊験あらたかなる神様、 今はもうこの私を見捨ててくださいまし。
       ええい!もうこんな命など惜しくありません 。)

       霊(たま)ぢはふ :神の枕詞 ちはやぶるよりも神の内面に目を向けた表現
       しえや: ええい、もう 
                赤塚不二夫の漫画「おそまつ君」の決め言葉「シエー」の原語

「 我妹子(わぎもこ)に またも逢はむと ちはやぶる
        神の社に 祷(の)まぬ日はなし 」 
                           巻11-2662 作者未詳(男)

   (いとしいあの子にもう一度逢わせて下さいと、霊験あらたかな
    神の社に祈らぬ日など1日もない。)

「  ちはやぶる 神の斎垣(いかき)も 越えぬべし
     今は我が名の 惜しけくもなし 」 
                           巻11-2663 作者未詳

      ( 霊験あらたかなる神の社の玉垣さえも越えてしまいそうだ。
        今となってはもう私の名前なんかちっとも惜しくない。)

       斎垣(いかき)は神域の周囲の垣根でこれを越えることは禁忌。
       当時、名を捨てることは命を絶つほど重要なこととされていました。

どうやら男は人妻に恋し、女も男に惚れてしまったようです。
結末がどうなったのか、続く歌がないので分かりませんが、
二人とも神の祟りをも恐れぬ決意をしている様子から結ばれたか?

「ちはやぶる」といえば今も昔も業平,百人一首で大人気の歌。

「 ちはやぶる 神代もきかず竜田川
           からくれなゐに  水くくるとは 」        
                           在原業平 古今和歌集、百人一首

( 神代にもまったく聞いたことがない不思議さであるよ。
      この竜田川にもみじが散り敷いて、水を真っ赤にくくり染めにするとは。)

詞書に「屏風の絵を題にしてよめる」とあるので実景を前にして
詠ったものではありませんが、創造主が川全体を美しい模様に
しているというスケールが大きい歌です。

      竜田川: 奈良県生駒郡を流れる川で古くから紅葉の名所
            川のほとりに竜田神社があり風の神が祀られている
            その神が紅葉を吹き散らされたのであろうかの意がこもる

         からくれない: 韓(から)の国から渡来した紅の意で鮮紅色
         水くくる: くくり染めの意。
                    布地のところどころを糸で括(くく)って染め残し作る
                     「しぼり染め」とよばれる染色法。
                      ここでは紅葉が川一面におおって流れるのではなく
                     一群一団に流れている様子をくくり染めのようだと詠っている。

最後に、この歌をもじった古典落語「千早振る」の一席をどうぞ。

岩田という物知り隠居がおり先生とよばれていた。
ある日、茶を飲んでいると、なじみの八五郎がたずねてくる。
なんでも、娘に小倉百人一首の
「 ちはやふる 神代もきかず竜田川 からくれないに 水くくるとは 」
の意味を聞かれて答えられなかったので隠居に教えを請いにきたという。

隠居もこの意味を知らなかったが、知らぬと言うのも沽券に係わると思い
即興で次のような解釈を披露する。

「 江戸時代人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った。
  その際「千早」という花魁にひとめぼれした。

  ところが千早は力士が嫌いであったため竜田川は振られてしまう。(千早振る)
  振られた竜田川は、それではと妹分の「神代」に云い寄るが、こちらも
  「姐さんが嫌なものは、わきちも嫌いでありんす」という事を聞かない。
   ( 神代も聞かず竜田川)

   そのことから成績不振になった竜田川は力士を廃業し、実家に戻って
   家業の豆腐屋を継いだ。

   それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れ、
   「おからを分けてくれ」と物乞いをした。
   「よしよしわかった」と竜田川がその女をよく見ると、
   なんと零落した千早大夫のなれの果てではないか。

   激怒した竜田川は、おからを放りだし千早を思い切り突き飛ばした。
   千早は井戸のそばに倒れ込み、こうなったのも自分が悪いと
   井戸に飛び込み入水自殺を遂げた。」

   「おからくれない」(からくれない) に「入水」( 水くぐる )

それを聞いた八五郎は

   「 大関とあろうものが、失恋したくらいで廃業しますか 」
   「 いくらなんでも天下の花魁が乞食までおちぶれますか 」

など隠居の解説に首をひねったが、隠居はなんとかごまかして
八五郎を納得させた。

やれやれと思ったところ八五郎は
「 ちはやふる 神代もきかず竜田川 からくれなゐに  水くくる 」 
までは分かりましたが最後の「とは」って何ですか?と突っ込んだ。

隠居はとっさの機転で
『 千早は源氏名で、彼女の本名は「とわ」だった 』  

初代、桂文治作といわれている「千早振る」(別題 百人一首)の一席でした。

「 ちはやぶる 神代もきかぬ ご趣向を
            よく詠みえたり   在五中将 」 蜀山人

                  在五中将:在原業平(阿保親王の第五子)

辛口で知られる太田蜀山人も手放しで褒めた業平の「ちはやぶる」。

今や漫画や青春映画「ちはやふる」(学生のかるた俱楽部の物語)など大人気。
この言葉が1300年前に生れていることを知ったら若者たちは
さぞ驚くことでしょう。

 「 ちはやぶる 春日の野辺に こきまぜて
          花ともみゆる 都人かな 」 
                  凡河内躬恒(おおしこうちの みつね)



       万葉集686 (ちはやぶる)完

     次回の更新は6月1日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-24 15:56 | 心象

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