万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

( 橘の花  山の辺の道  奈良 )
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( 紫草  東京都薬用植物園 )
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( ニワトコ: 古代名 山たづ  東大小石川植物園 )
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( エゴの木  古代名 山ぢさ   同上 )
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( シロバナヤエウツギ  古代名 卯の花  同上 )
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  万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

藤、躑躅、牡丹、芍薬が過ぎ、今は花菖蒲、紫陽花、紅花、薔薇の季節。
山百合の蕾もふくらんできました。
野山を色とりどりに染める中、白い花々がひっそりと咲いているのも心洗われ、
清々しい気持ちにさせてくれます。

「 わがやどの 花橘を ほととぎす 
        来鳴き響(とよ)めて 本(もと)に散らしつ 」 
                                 巻8-1493  大伴村上

( 我家の庭の橘の花、美しく咲くその花を
     ホトトギスがやってきて鳴きたて、根元に散らしてしまった。)

作者は家持と古くから交流があったようですが、一族の系統は未詳。

橘は近畿地方以西の暖かい海岸線に近い山地に生育するミカン科の常緑高木で、
古くは蜜柑類の総称とされていました。
6月頃、5弁の白い花を咲かせ、秋には黄色の美しい実を付けますが、
古代の橘は我国固有のニホンタチバナと推定され、酸味が強くて食べられなかったので、
もっぱら観賞用として植栽されていたようです。

白い花、黄金色の実、常緑の葉。
橘は永遠の繁栄を人の世にもたらすものとして珍重され
「常世花」(とこよばな)ともよばれていました。

   「 駿河路や 花橘も 茶の匂ひ 」  芭蕉

次は根が赤く紫色の染料になるのでその名がある紫、
花は小さな小さな白色です。

「 韓人(からひと)の 衣(ころも)染むとふ 紫の
                  心に染みて 思ほゆるかも 」 
                   巻4-569 麻田陽春(あさだ やす)


( 韓人が衣を染めるという紫の色が染みつくように
 紫の衣を召されたお姿が私の心に染みついて
 あなた様のことばかり思われてなりません。)

730年、大宰府長官、大伴旅人が大納言に任ぜられ都に栄転することに
なった折の送別の宴での1首。
作者は旅人が高貴な身分に許される紫染めの衣を着用していたので、昇進のお祝いと
尊敬をこめて詠ったものと思われます。

紫草はムラサキ科の多年草で日当たりのよい草地に自生し、
初夏に五弁の白い花を咲かせます。
根が赤紫色をしているのでその名がありますが、古代から紫染めの重要な染料とされ
また乾燥させて皮膚病、解熱、火傷、などの薬用にも用いられていました。

古代の人の憧れであった紫草の栽培は19世紀中頃、石炭の副産物コールタールの
成分から誕生した化学染料の普及により急速に衰退し今や絶滅の危機に瀕しています。

次は「ニワトコ」(古代名 山たず)

ニワトコはスイカズラ科の落葉低木で、まだ寒さ厳しい2月、
多くの木々が冬籠りをしている最中(さなか)に緑も鮮やかな新芽を出し、
「もうそろそろ春だよ」と告げてくれる目出度い木です。
本州、四国、九州の山野に自生し、早春、暖かくなるとブロッコリーのような
蕾から淡いクリーム色の五弁の小花を房状に咲かせ、夏から秋にかけて
美しい赤色の球形の実をつけます。

「 君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山たづの
     迎へを行(ゆ)かむ 待つには待たじ 」 
                            巻2-90 衣通王(そとほりの おほきみ)

( 恋しいあの方との別離以来、随分長い日にちが経ちました。
  もうこれ以上待てません。 
  今すぐにでもお迎えに上がりたいのです。)

この歌の題詞に
「古事記に曰く軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に姧(たは)く。
この故にその太子を伊予の湯に流す。
この時に衣通王(そとほりのおほきみ)恋慕(しのひ)に堪(あ)へずして
追ひ往(ゆ)く時に、歌ひて曰く」  とあります。

軽太子は 第19代允恭天皇の皇子 木梨軽皇子
軽太郎女(かるの おおいらつめ)は 皇子の同母妹で体が光り輝き
衣を通すほど美しかったので衣通王(そとほりのおほきみ)ともよばれていました。

その二人が「同母兄妹の結婚は厳禁」という掟を破ったので皇子は伊予に
流されたのです。
流罪が何時解けるか分からない皇子。
禁忌の恋といえども燃えさかった炎は簡単に消えそうにありません。
衣通姫はついに伊予まで行き皇子に逢おうとしているようです。

逢ったところでまた引き離されるだけなのに- -。

せめて異母兄妹であったなら許されもしたことでしょう。
このような悲恋が起きたのは兄妹別々に育てられたせいかも知れません。

なお、この歌は古事記、日本書紀の話を形を変えて転載されたもの。

「ニワトコ」という名前の由来は古事記の
「山たづといふは、今の造木(みやっこぎ)をいふ」の記述に由来し、
「ミヤッコギ」が「ミヤッコ」→「ミヤトコ」→「ニヤトコ」→「ニワトコ」に
転訛したものと推定されています。

  「 えごの花 一点白し  流れゆく 」 山口青邨

次はエゴの木、果皮にエグ味があるのでその名があり、
   古代「チサ」とよばれていました。

「 息の緒に 思へる我れを 山ぢさの
    花にか君が うつろひぬらむ 」 
                        巻7-1360 作者未詳

( 命がけで思っている私なのに あなたは山ぢさの花のよう。
  もう気持が変わったの? )

エゴノキの花は美しい純白。
然しながら盛りは短く、すぐに茶色に変色して萎んでしまう。
花のうつろいやすさにかけて男の心変わりを嘆いている可憐な乙女です。

「息の緒」とは、「苦しさのあまり死を思う状況の中で、僅かな生を意識した時に
用いられ、命の極限状態をあらわす言葉(伊藤博)」です。

「エゴノキ」は小川のほとりなどに多く自生しているエゴノキ科の落葉高木。
初夏になると小枝の先に5弁の白い花が塊になって下向きに咲き、花後、
ラグビーボールのような形をした小さい緑色の果実が無数に実り、熟すと
果皮がさけて褐色の堅い卵形の種子が落下します。

昔はその種から油をとり洗濯に使っていたので石鹸の木とも。
実が固く、遺跡が発掘されると良く出てくるそうです。
この果実や葉をすりつぶして採った樹液を川に流して
魚を獲る方法があり(現在は禁止)魚がふらふらになって浮かんでくるそうな。

最後に「夏は来ぬ」と歌われている卯の花。

「 卯の花の 咲く月立ちぬ ほととぎす
     来鳴き響(とよ)めよ  ふふみたりとも 」 
                            巻18-4066 大伴家持

( 卯の花咲く4月がついに来た。
     ホトトギスよ来て鳴きたてておくれ。
     花はまだ蕾のままであろうとも。)

月立ちぬ : 卯の花が咲く月がやってきた 
         ここでの4月は旧暦、現在の5月中旬
ふふみたりとも:「含む(ふふむ)」蕾のままの意

北は北海道か南は九州まで自生する卯の花。
今は空木(ウツギ)とよばれている落葉低木です。
木の中が空洞であるためその名があるといわれていますが、
材質が固いので古くから木釘や杖、槌などに加工されました。

折口信夫氏は
「 この花はその年の稲の豊凶を占う花で、山野に長く咲く年は豊作、
  長雨続きで花が少ないか、あるいは早く散るときは凶作と信じられた」(花と民俗)

と述べておられますが、卯の花の蕾が米に似ているからなのでしょうか。

「 卯の花の 匂う垣根に   
  ほととぎす 早も来鳴きて
  忍音もらす  夏は来ぬ    」  

                 「 夏は来ぬ より 佐々木信綱作詞 小山作之助作曲」



     万葉集688(夏の白い花) 完


     次回の更新は6月15日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-07 16:49 | 植物

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