万葉集その六百九十四 (伊豆と湯河原)

( 伊豆の海 城ケ島 )
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( 修善寺温泉 )
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( 映画 伊豆の踊子ポスター )
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( 富士山5合目 )
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万葉集その六百九十四 (伊豆と湯河原) 

古代の伊豆はもともと独立した国でしたが、大化の改新(645年)のとき、
駿河国に併合され、681年(天武10年)、再び1国としてたてられた
という歴史をもちます。

温暖な気候、風光明媚な海山の自然、新鮮な魚介類や山の恵み、
疲れを癒す温泉など人々が住むには申し分ない環境ながら、
都と直結する交通の要衝、東海道から外れていたためか、
万葉集に登場する歌は少なく、伊豆の海、伊豆の高嶺に寄せた恋歌
そして伊豆で作られた船を詠ったもののみです。

「 伊豆の海に 立つ白波の ありつつも
           継ぎなむものを 乱れしめめや 」 
                      巻14- 3360 作者未詳

( 伊豆の海に 立ちしきる白波のように 
     私は二人の仲を このままずっと長く続けていこうと思っているのに
     何であなたの心を乱したりなどいたしましょうか。)

男から「何でこんなことを言うのか、俺が嫌いになったのか」と
問われて応えたものと思われます。

今まで男から体を求められいつも応じていたのに、今日は拒否した。
あの人、他の女と浮気しているのかもしれない。
ちょっと気持ちを確かめてみようと拗ねてみせたのかも。

「 白波は強風にあおられて立ち騒ぐかと思えばたちまちにして消え、
また瞬時に現れ立つ。
伊豆乙女の恋心はとつおいつ揺れ動き、これまで幾度となく恋人から
離れ戻りしたようで何とも心もとない。」
                      (永井郁 万葉の道 日本教文社 )

ありつつも: 同じ動作を継続することを示す。 ここでは「ずっと」。
乱れしめめや: あなたの心を乱れさせるようなことをいたしましょうか。

「 伊豆の海に 立つ白雲の 絶えつつも
       継がむと思(も)へや 乱れそめけむ 」 
                             巻14-3360 同 (或る本)

( 伊豆の海に湧き立つ白雲のように、湧きあがっては消え
  湧いてはまた流れ去ってゆく。
  そのようにお互いの行き来が途絶えがちであっても、
  なお 二人の仲を続けようと思う気持ちが私にあるから、
  心が乱れはじめてしまったのでしょうか。)

そんな生易しい気持ちで恋したのではないのに、
あの人の訪れが途絶えがちなので気持ちが乱れる。
いっそのこと別れてしまった方が、どんなに楽になることか。
でも、どうしても忘れられない。

乱れそめけむ: 相手に逢いたいゆえ心が乱れるの意

次の歌は東国の方言交りで分かりにくいですが、歌意は面白い。

 「 ま愛(かな)しみ 寝(ぬ)らく 及(し)けらく さ鳴らくは
             伊豆の高嶺の 鳴沢(なるさは)なすよ 」
                     巻14-3358 作者未詳(或る本)

( かわいさのあまり 寝たのはしょっちゅう。
 それにつけても噂のとどろきは、伊豆の高嶺の鳴沢なみよ。)

    ま愛(かな)しみ : 可愛くて可愛くて仕方がない

    及(し)けらく: 繰り返すの意 ここでは何度も抱いた

    さ鳴くなくは: 噂が大きいのは

    伊豆の高嶺: 天城山、あるいは伊豆から見える富士山とも

伊藤博氏によると
「 鳴沢とは高く音を立てる渓谷をいう、富士山には西部の大沢など
  岩石が崩れ落ちる。
  その崩壊の音の凄まじさを世間の噂に譬えたもの。」(万葉集釋注)


  「 初旅の 伊豆湯ヶ島に あくがるる 」 矢島渚男

古代、伊豆で作られた船は材質が良く、難波の港でも見られたようです。

「 防人の 堀江漕ぎ出(づ)る 伊豆手船
      楫(かじ)取る間なく  恋は繁(しげ)けむ 」  
                               巻20-4336 大伴家持

( 防人が難波堀江から漕ぎ出してゆく伊豆手船、 
     その楫を漕ぐ手の休む間がないように、防人たちはひっきりなしに
     故郷の妻を恋しく思っていることであろう。)

東国各地から難波に集結した防人が、港から九州に出発するため、
次から次へと堀江から小舟に乗り、漕ぎ出している様子を見ながら、
「もう二度と逢えないかもしれない。
さぞかし望郷の念に駆られていることであろう 」

と、防人を監督する家持がその心中を思いやった1首です。

伊豆手船とは伊豆仕様の船のことで、当時、伊豆の他、能登、熊野、足柄での
造船が盛んだったことが知られています。
その造船方法は山で伐採した丸木をその場で刳りぬき、
刳り船として川に流し海辺で舷側などをつける作業をしていたそうです。

    楫(かじ)とる間もなく: ひっきりなしに

  「 湯河原や 山蟻走る 奥湯径(おくゆみち) 」 赤松薫子

風土記によると、道後(伊予国)、牟婁(むろ:紀伊国)、湯本、湯河原(伊豆国)、
有馬(摂津)などは、古代からすでに著名な湯治場として知られており、
それぞれ万葉集にも登場しています。

次の歌は万葉唯一「温泉が湧き出ている」と表現したもので、
もともとは民謡であったとも。

「 足柄(あしがり)の 土肥(とひ)の河内(かふち)に 出(い)づる湯の
        よにも たよらに 子ろが言はなくに 」  
                            巻14-3368 作者未詳

( ここ足柄の河内でお湯が勢いよく湧き出て、ゆらゆらと揺れています。
  私の心もあの湯と同じ。
  いつも不安で揺らいでいるのです。
  あの子は「迷っている」などと少しも言っていないのに、
  やっぱり心配だなぁ。)

よにも : 決して
たよらに: ゆらいで安定しないさま 

「足柄の土肥の河内」は現在の湯河原町(神奈川県)と伊豆の国境(静岡県境)を流れる
千歳川沿いの奥湯河原温泉とされています。
梅の産地であることから「小梅湯」(こごめゆ)ともよばれ、
「こごめ」には「子産め」という意味も含まれているとか。

なお、現在、伊豆に土肥という地名があり温泉と金山跡で知られていますが、
こちらは万葉歌とは関係なく、1611年、土肥金山開発中当地にある安楽寺境内の
坑口から温泉が湧出したのが土肥温泉の始まりで、この源泉は発見者の
間部(まぶ)彦平に因み「まぶ湯」と名づけられたそうな。

 「 滑(なめ)らなる 岩はだに触(ふ)りて  吾がひたる
        御湯は古りにし   玉湯とぞおもふ 」  中村憲吉


           万葉集694(伊豆と湯河原)  完



次回の更新は7月27日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-07-19 18:09 | 万葉の旅

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