2018年 09月 06日
万葉集その七百一(秋さらば)
( 鶏頭 古代名:韓藍 からあい 山辺の道 奈良 )
( ミヤギノハギ 神代植物公園 )
( 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに 鹿鳴かむ山ぞ 高原の上 京都御所 )
万葉集その七百一 (秋さらば)
「さる」という言葉は万葉集で130例と多くみられ「去」「離」「避」の
原文表示がなされています。
通常は「移動する」「特定の場所からいなくなる」などの意で使われますが、
時間帯や季節を表す語に付く場合は「やってくる」という逆の意味に変わる
特殊な言葉です。
つまり、「夕さらば」は「夕方になると」、「秋さらば」は「秋になると」。
古代の人は、自分自身の意思にかかわらない自然現象については神意の発動を感じ、
このような用例になったと思われますが、歌語としての5文字は使いやく、
「秋されば」となったり、「冬籠り 春さりくれば」(長い冬が終わり春が来ると)
のように2句目に使われる場合もあります。
「 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし
韓藍(からあひ)の花を 誰(た)れか 摘みけむ 」
巻7-1362 作者未詳
( 秋になったら移し染めにしようと、私が蒔いておいた鶏頭の花なのに、
一体、どこの誰が摘み取ってしまったのだろうか。)
韓藍は唐(から)からきた藍(染料の総称)。
鶏頭は染料として衣類に直接摺り染め(移し染め)にしていました。
丹精して育てた鶏頭が見頃になったのに知らない間に摘み
取られてしまった。
いったい誰がこんなひどいことをしたのだろう。
ここでの「移す」には結婚する、あるいは関係を持つという意味が
含まれています。
というのは、この歌は「花に寄せる」比喩歌で鶏頭は最愛の娘を暗示
しており、
「大切に育てたあの子、時が来たらこれと見込んだ男に嫁がせようと
楽しみにしていたのに知らぬ間にあらぬ男にとられてしまった。」
と嘆いている母親の歌と思われます。
「 - - 露霜(つゆしも)の 秋さり来れば
生駒山 飛火(とぶひ)が岳の
萩の枝(え)を しがらみ散らし
さを鹿は 妻呼び響(とよ)む
- - 」
巻6-1047 田辺福麻呂歌集
(- - 露が冷たく置く秋ともなると
生駒山の飛火が岳で
萩の枝を からませ散らして
雄鹿が妻を呼び求めて 声高く鳴く- - )
作者は最後の宮廷歌人で、左大臣橘諸兄の庇護を受けていた人物。
741年 聖武天皇が都を恭仁京に遷都した時、平城京が廃都となり
寂びれゆく様子を悲しんだ長歌の一部です。
「飛火」は緊急時伝令の為の狼煙台(のろしだい)。
歌の前段で、春は桜が咲き、カワセミが鳴き飛ぶ美しい都も荒れてゆくと
悲しんでおり、そのうるわしい土地から離れてゆくので神がお怒りにならないよう、
一種の地霊を鎮める役割も担っている長歌です。
「 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに
鹿鳴(かな)かむ山ぞ 高原(たかはら)の上 」
巻1-84 長皇子
( 秋になったら 今、我らが見ているように
鹿が妻に恋焦がれてしきりに鳴いているのを見たいと思うような
高台の山ですね。)
天武天皇の子、長皇子が志貴皇子(しきのみこ:天智皇子)を 奈良佐紀の宮の
私邸に招き宴した時の歌。
二人は佐紀の宮から北に見える小高い丘を見ながら春の景色を楽しんでいます。
そして「今もみるごと」は屋敷の中にある絵。
秋の野で鳴く鹿の屏風絵を見ながら詠っているのです。
邸宅の春の景色を楽しみながら、
「 秋にもまたおいで下さい、きっとこの絵のような景色や鹿の声が
聞こえますよ。」
と細やかなおもてなし。
天武系と天智系の皇子が打ち解けながら、和気あいあいと楽しんでいる
様子が彷彿されます。
京都御所を拝観している時、このような情景ぴったりの襖絵を見付けました。
妻呼ぶ鹿と萩の取り合わせ。
まるで、この歌のために描かれた絵のようです。
「 この寝(ね)ぬる 夜(よ)のまに秋は 来(き)にけらし
朝けの風の 昨日(きのふ)にも似ぬ 」
藤原季通(すゑみち) 新古今和歌集
( 寝ていたこの一夜のうちに、秋がいつの間にかやってきたらしい。
今日の明け方の風は、昨日とちがって涼やかだ。)
風に秋を感じた歌が多い中、肌の冷気で秋到来を詠った一首。
朝夕日増しに深まりゆく秋。
そろそろ熱燗が恋しくなる季節です。
「 夕されば 秋風吹きて 縄のれん 」 筆者
万葉集701 (秋されば) 完
次回の更新は9月14日(金)の予定です。
by uqrx74fd | 2018-09-06 10:38 | 自然