2018年 11月 01日
万葉集その七百九 (爽籟:そうらい)
( オミナエシもゆらゆら 奈良万葉植物園 )
( 風に流される雲は飛天のよう )
( 潮風の音、波の音 瀬戸内海 松山にて )
万葉集その七〇九 (爽籟:そうらい)
「爽籟」と清々しく爽やかな秋の風をいいます。
「籟」は穴が三つある笛のことで、古代の人はその笛を吹くことを
「吹籟:すいらい」とよんでいました。
そして、松を渡る微細な風があたかも笛の音に聞こえることから
「松籟:しょうらい」という言葉が生まれ、さらに秋風の響きを
「爽籟」と名付けたのです。
日本人の繊細な感覚はさらに秋の季語「色なき風」をも生み出しました。
「 吹きくれば 身にもしみける 秋風を
色なきものと 思ひけるかな 」
紀友則 古今和歌六帖
陰陽五行説の「秋の色は白」に由来するといわれていますが、
芭蕉は
「 石山の 石より白し 秋の風」 と詠み
石田波郷は
「 吹きおこる 秋風 鶴を あゆましむ」 と
鶴の白さを秋風に重ねています。
華やかな色がない風には寂しさが身にしみとおるような感覚をともない、
のちには「もののあはれ」とも結びつきました。
かの北原白秋の名もその由縁といわれております。
万葉時代にはまだ「爽籟」「色なき風」という言葉は見えませんが、
秋風の肌寒さ、もの寂しさなどを感じている歌は随処にみられ、
日本人の細やかな感性が芽生えていたことを感じさせます。
「 恋ひつつも 稲葉かき分け 家居(いへを)れば
乏(とも)しくもあらず 秋の夕風 」
巻10-2230 作者未詳
( 家に残してきた妻に恋焦がれながら、一面の稲葉をかきわけて
ここに居をかまえていると、ひっきりなしに秋の夕風が吹き続いてくるよ。)
作者は農作業にいそしむため、家から離れた田地に掘立小屋を建てて
わび住まいをしているようです。
当時、貴族といえども自身で農作業をしており、大伴坂之上郎女が
畑仕事をしている歌なども残されています。
一人寂しく滞在する仮小屋に秋風が吹きつける。
身も心もわびしさ、寂しさを感じさせる1首です。
稲葉かきわけ: 収穫期を迎えた稲田の前に庵を造っての意
乏しくもあらず: 「乏し」:少ない「非ず」反語
少なくない。ここでは「ひっきりなしに」
「 秋風の 吹き扱(こ)き敷ける 花の庭
清き月夜に 見れど飽かぬかも 」
巻20-4453 大伴家持
( 秋風が吹きしごいて 庭がまるで花絨毯のようです。
それに月の光の清々しいこと。
いくら見ても飽きることがないすばらしい夜ですね )
孝謙天皇、聖武太上天皇、光明皇后列席、紫宸殿の宴の席上で
詠うべく用意したが、何らかの事情で奏上できなかったもの。
秋風が吹いて庭の萩を散らす。
澄み切った夜空に煌々と輝く月。
盃を傾けながら見惚れる堂上の人々。
まさに王朝絵巻を彷彿させるような美しい光景。
古今和歌集調に近い洗練された歌です。
吹き扱(こ)き敷ける : 風が吹き萩の花を庭一面に散らしたの意
「 家離(いえざか)り 旅にしあれば 秋風の
寒き夕(ゆうへ)に 雁鳴き渡る 」
巻7-1161 作者未詳
( 懐かしい家を離れて、ひとり旅空に身を過ごしていると
秋風がひとしお寒く感じる夕暮れ時だ。
あぁ、雁が鳴きながら渡って行くよ。 )
古代の人は、雁は家郷と我が身をつなぐ使者であると信じていました。
「雁よ、私が無事だと妻に伝えておくれ」という気持ちがこもる旅愁の歌。
幼い頃によく歌った次の歌詞を思い出させてくれる一首です。
「 更け行く 秋の夜 旅の空の
わびしき思いに 一人なやむ
恋しや 故郷 なつかし父母
夢路に たどるは 故郷(さと)の家路 」
( 旅愁 犬童玉鶏作詞 オードウエイ作曲)
万葉集709(爽籟)完
次回の更新は11月9日(金)の予定です。
by uqrx74fd | 2018-11-01 16:17 | 自然