万葉集その七百十三 (無常)

( ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にはあらず  宇治川 )
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( 巻向の山辺響(とよ)みてゆく水の 水沫(みなわ)のごとし 世の人我れは  :山辺の道)
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( 露の命ははかなくて )
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( 世の中は 漕ぎ去(い)にし 船の跡なきごとし )
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万葉集その七百十三 (無常) 
 
 無常とは読んで字の如く「万物は常ならず」で「非情」「無情」とは
全く別の深い意味を持つ言葉です。 

我国に仏教が伝来したのは552年、欽明天皇の時代、百済王が
釈迦仏、経綸などを献上したことに始まるとされています。
その新教をめぐって崇仏派の蘇我氏、反対派の物部氏が激しく抗争を
繰り返し、蘇我氏が勝利。
物部氏が滅びると急速に仏教が広まり、天武天皇の時代、国教としての
性格をもち、持統天皇の692年には全国の寺院数が545か所に急増しました。

聖武天皇の時代、諸国に国分寺、国分尼寺の建立を命じ、752年、大仏開眼。
以来、仏法を以て国家を鎮定し保護する、いわゆる鎮護国家の道を歩みます。

万葉集も仏教思想の影響を受け、中でも、当代の学識者大伴旅人、
山上憶良、大伴家持などが共感して無常観を詠っています。

「 世の中は 空しきものと 知る時し
    いよいよますます 悲しかりけり 」  
                        巻5-793 大伴旅人

大宰府に赴任してから半年後、都から大伴宿奈麻呂(すくなまろ)他界の知らせを
受け取って悲しんだもの。(異母妹 大伴坂上郎女の夫)
その1か月前に妻を亡くしただけに人生無常を深く感じたようです。

「 常盤なす かくしもがもと 思へども
       世の事理(こと)なれば 留(とど)みかねつも 」 
                                巻5-805 山上憶良

( 常盤のように不変でありたいと思うけれども
 老いや死は人の世の定めであるから 留(とど)めようにも止められない。)

長歌で美しかった乙女はあっという間に老いさらばえ、若々しく凛々しい
青年もやがてよぼよぼになって人に嫌われる。

この世で何とも仕様がないものは、歳月が遠慮なく流れ、
くっついて追いかける老醜があの手この手でわが身に襲いかかる。
どうにも施す術がないと詠ったあとの1首です。

「 うつせみの 世は常なしと 知るものを
     秋風寒み 偲(しの)ひつるかも 」 
                            巻3-465 大伴家持

( この世ははかないものだとわかっているものの、
秋風が寒々と身にしみるので、亡き人が恋しくてたまらない )

739年 3年前、3才位の幼女を残して亡くなった妾を偲んで詠ったもの。
妾とは妻の一人で正妻に次ぐものとして当時の社会では公に認められていたが
いかなる人物か不明。

家持が妾のもとに通い始めたのは16歳頃のようです。
( 幼子は成長して藤原家に嫁す。)

「 巻向の 山辺響(とよ)みて  行(ゆ)く水の
       水沫(みなわ)のごとし 世の人我れは 」 
                         巻7-1269 柿本人麻呂歌集

( 巻向の山辺を鳴り響かせて流れゆく川、うつせみの世にある我らは
 その川面の水沫のようなものだ )

水沫によせて人の無常を詠った人麻呂の名歌。
巻向山の麓、清流が流れるところにこの歌碑が置かれています。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山に 照る月は
       満ち欠けしけり 人の常なき 」    
                      巻7-1270  古歌集

( あの初瀬の山に照っている月は、満ちたり欠けたりしている。
     人もまた不変ではありえないのだなぁ )

初瀬に住む人が毎日月を眺めながら感慨を述べたもの。


仏教思想の「諸行無常」の本来の意味は、

「 万物は絶えず変化しており一瞬たりとも、同じ状態でない。
  それは縁と偶然によって支配され、盛者は滅亡することもあるし、
  栄え続けることもある。
  善行を続けてきた人は必ずしも幸せになるとは限らない。

  この世の世界においては、すべての出来事がなんの保証もなく
  我々の気持ちや思惑を無視して動いてゆく。
   それゆえ、この世に対する不信を仏教によって信に変え、
   無常の中に妙を見出す。」

といったところでしょうか。

「 世間(よのなか)を 何に譬(たと)へむ 朝開き
         漕ぎ去(い)にし船の 跡なきごとし 」
                    巻3-351 沙弥満誓( さみまんぜい)

( 世の中 これをいかなるものに譬えたらよいだろうか。
 いってみれば 朝早く港を漕ぎだして消え去った船の
 その跡がなにもないようなものではないか )

航跡がすぐ消えうせる儚さを人生に譬えた1首です。

ご参考:

教科書で習った懐かしい名文です。

「 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、
  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
  奢れるもの久しからず ただ春の夜の夢の如し 」  (平家物語)

「 ゆく川の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず
  よどみに浮かぶ うたかたは かつ消えかつ結びて
  久しくとどまりたる ためしなし
  世の中にある 人とすみかと またかくのごとし 」  (方丈記)


「 あだし野に 露消ゆる時なく 鳥辺山の煙立ち去らでのみ
  住み果つる習ひならば いかに もののあはれも なからん
  世は定めなきこそ いみじけれ
  命あるものを見るに 人ばかり久しきはなし 」    (徒然草)

  

          万葉集713 (無常) 完



        次回の更新は12月7日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-11-29 22:14 | 心象

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