2019年 06月 07日
万葉集その七百四十 (ぬばたまの夜)
( 檜扇は朝咲き夕に萎む一日花 同 )
( 万葉人はこの黒い実を、ぬばたま とよんだ )
( 葉は儀礼用の扇に似ているので檜扇の名がある )
万葉集その七百四十 (ぬばたまの夜)
万葉集には不思議な言葉があり「ぬばたま」もその一つです。
語源は不詳とされていますが、烏玉(ぬばたま)と表記されているものもあり、
烏(カラス)のような黒い玉、すなわちアヤメ科多年草「檜扇:ひおうぎ」の
光沢ある黒い実のこととされ、万葉集で79首も詠われています。
しかしながら、美しい花や実を詠ったものは皆無。
すべて、夜(43首)、黒髪(16首) 、闇、夜床、黒馬、夜霧、夢、
夕べ、月、などに掛かる枕詞として使われているという珍しい存在、
しかも大半が恋歌なのです。
照明が乏しかった古代、油火など使えるのは一部の限られた上流階級のみ。
庶民は夜の帳が下りると早々と寝床につき夜明けとともに起き出して
仕事にかかるというのが日常の生活でした。
昼間の農作業や漁などは力仕事でしたから、年配者は床に就くなり爆睡。
そして、若い人たちは男女の関係を楽しんでいたとなると、閨(ねや)の歌が
多くなるのも当然でした。
「 ぬばたまの 妹が黒髪 今夜(こよひ)もか
我がなき床に 靡けて)寝(ぬ)らむ 」
巻11-2564 作者未詳
( つやつやとしたあの子の黒髪、その黒髪をあの子は今夜も
私のいない床に長々と靡かせながら 寝ていることであろうか。)
当時、女性は長い髪を床の枕の上に藻のように靡かせながら寝るのを習いと
していたようです。
艶にして悩ましい恋人の寝姿を悶々としながら思い浮かべている一人寝の男。
官能的な雰囲気を漂わせている佳作です。
「 かくのみや 我が恋ひ居(を)らむ ぬばたまの
夜の紐だに 解き放(さ)けずして 」
巻17-3938 平群氏郎女(へぐりのうぢの いらつめ)
( このような辛い思いばかりして 私は焦がれ続けていなければ
ならないのでしょうか。
夜の寝巻の紐だけでも解き放って寝たいのに、それすらできないままに。)
越中在住の大伴家持に送った12首の中の1首。
作者の素性は不詳とされていますが、奈良県生駒山一帯に勢力を張り、
5世紀後半大臣を出した大豪族の末裔と推定され、家持が朝廷に仕えていた時に
知り合った女性のようです。
12首の歌は物語風に編まれており、親しい友としての戯れだったかもしれません。
それに対する家持の返歌はなし。
つれないですなぁ。
かくのみや: 「かく」は奈良にいる作者と越中在住の家持が遠く離れている
状態をさす。「離ればなれのままで」の意。
「 おほならば 誰(た)が見せむとかも ぬばたまの
我が黒髪を 靡けて居(お)らむ 」
巻11-2532 作者未詳
( あたなのことを、通り一編に思うなら、どこのどなたに見せようとして
この黒髪を靡かせておりましょうか。)
「 好きなあなたに私の大切な黒髪を結んで欲しいのよ。
それなのに冷たい人、ちっともお見えにならないで。」
と拗ねている可愛い女です。
おほならば: いい加減な気持ちならば
「 ぬばたまの 夜渡る月に あらませば
家なる妹に 逢ひて来(こ)ましを 」
巻15-3671 作者未詳
( 私が夜空を渡る月であったらなぁ。
あの人のところへ行ってまたここに帰って来ることができるのに 。)
新羅へ派遣された使人が博多湾の入口糸島半島の先端、志賀島(しかのしま)あたりで
詠んだ一首。
旅先での月は故郷を偲ぶよすがでした。
新羅に使者が派遣されたのは646年から779年までの間に27回、
万葉集巻15に145首の歌が残ります。
「 よわよわと 咲き始めたる 射千(ひおうぎ)の
いろかなしきは ただ一日のみ 」 斎藤茂吉
「ぬばたま」は平安時代になると「ひおうぎ(檜扇)」とよばれるようになりました。
その広い剣状の葉が扁平に互生し、檜の薄板で作った儀礼用の扇(檜扇)の
ようにみえるところからその名があります。
7月から8月にかけて暗紅色の斑点がある美しい黄赤色の花を咲かせますが
朝咲き夕べに萎む1日花です。
「 九月になれば 日の光やはらかし
射干(ひおうぎ)の実も 青くふくれて 」 斉藤茂吉
晩秋に莢(さや)が弾け黒い球形の光沢ある実を付けます。
檜扇は「射千(やかん)」とも書かれます。
漢方に由来する名で、乾燥させた根茎を喉や咳の薬として用いており、
万葉集に表記されている漢字の中に「夜千玉」「野千玉」(共にぬばたまと訓む)
があり薬草としても身近な存在であったようです。
「 夏草の 野に咲く花の 日扇を
狭庭(さにわ)に植つ 日々に見るかに 」 伊藤左千夫
万葉集740(ぬばたまの夜)完
次回の更新は6月14日(金)の予定です。
by uqrx74fd | 2019-06-07 08:10 | 生活