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万葉集その七百四十三 (吉野の鮎)

( 奈良 吉野 宮滝 )
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( 吉野川で泳ぐ子たち  同上 )
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( 万葉人はこのような情景を 鮎走る と詠った  同上 )
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( 鮎の塩焼き   吉野山で )
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万葉集その七百四十三(吉野の鮎)

昨年の夏、奈良は吉野の宮滝を訪れた時のことです。
近鉄下市口下車、炎天下徒歩2時間余の道のりを
吉野川に沿ってテクテク歩き。

車の往来が激しい通りを抜け、田舎道に入ると山百合が咲き乱れ、
周りに心地よい香りを漂わせていました。
胸一杯新鮮な空気を吸い込みながら、およそ1時間ばかり歩き続けたところ、
川べりの鄙びた小屋の脇に「鮎塩焼き 1匹500円」の看板あり。

「おお!これは、これは」と願ってもない幸運に小躍りしながら
店に入り、早速、塩焼き3匹注文。

「生簀(いけす)の鮎を今から炭火で焼くので少々お待ちを」と店主。

乾いた喉をビールで潤すことしばし。
やがて「おまちどう」と木串にさした鮎が目の前に。
早速、頭からかぶり付き、「旨い!」と思わず声を出す。
「親父さん、こんな美味い鮎、初めて食べたよ」と褒めると
嬉しそうに肯きながら

「 吉野川の鮎は川面に散り浮く櫻の花びらをついばんで食べるので
櫻の匂いが身に沁みて「櫻鮎」とよばれる。
だから、ひときわ風味が良いんだ。」と
教えてくれました。

楽しい鮎談議で一時を過ごしたのち、店主に「ありがとう、また来るよ」と
挨拶し、宮滝へ。

宮滝は天武持統天皇時代、離宮が営まれた風光明媚なところ。
吉野山から流れ込む清流は栄養分がたっぷり。
鮎も気持ちよさそうにスイスイ泳いでいたようです。

「 隼人(はやひと)の瀬戸の巌も 年魚(あゆ)走る
      吉野の滝に なほ及(し)かずけり 」 
                        巻6―960 大伴旅人

( 隼人の瀬戸へ来て見ると白波が大岩に砕け散り実に勇壮な風景だ。
  でも鮎が身を躍らせて走っている吉野の滝の流れの爽やかさの方が
  もっと素晴らしい。)

 隼人の瀬戸:所在については2説あり

「鹿児島県阿久根市 黒の浜と天草諸島長島との間の黒の瀬戸」または
「北九州市門司と下関壇ノ浦との間の早鞆の瀬戸」

旅人は「隼人の瀬戸」の荒々しい海波に感心しながらも、
吉野の流れを思い浮かべて望郷の念に駆られています。

「鮎走る」はピチピチと飛び跳ねながら渓流をさかのぼる鮎を
瞼に思い浮かべているのでしょう。

   「 氷魚(ひお)食えば 瀬々の網代木 見たきかな 」 松瀬青々

氷魚とは鮎の稚魚で琵琶湖など特定の湖に棲むものをいいます。
通常の鮎は初春に海から川を遡上して、上流で川藻を食べながら
体長21~30㎝位に成長したのち、秋には川の下流で産卵し、
その稚魚が海に戻りますが、琵琶湖に棲む鮎は海に下らず生涯湖で暮らします。

その為、体長が6cm位にしかならないので特に子鮎とよばれ、
その稚魚が氷魚(ひを:ひうを)。  
氷のように半透明のためその名があります。
晩秋から冬になると、増水した湖水とともに瀬田川や宇治川へ大量に押し流され、
人々は下流の近江の田上川(たながみがわ)や宇治で網代を用意して捕りました。

網代とは網の代用という意味で、竹や木などを編んで連ねた魚を獲る装置です。

次の一首は宴会の席上、「意味のないナンセンスな歌を詠め」所望があり、
即座に応じたものです。

 「 わが背子が  犢鼻(たふさき)にする 円石(つぶれいし)の
        吉野の山に 氷魚ぞ 懸有(さがれる) 」 
                 巻16-3839 安部朝臣子祖父( あへのあそみ こおほじ)

( 亭主が褌にしている丸石 その丸石の吉野の山に
 氷魚がぶら下がっているわい )

     犢鼻(たふさき): 犢鼻褌の略でいわゆる三尺ふんどし 
     円石(つぶれいし) :角の取れた丸い小石

万葉唯一の氷魚です。

朝廷文化華やかなりし頃、宴席で舎人親王( とねりしんおう:天武皇子)が
「 おおーい 皆のもの! 歌を詠め。
上手く詠んだものには賞金10万円と景品をつかわす。 
但し、条件がある。 
 意味が全く分らない面白歌を作ること。
意味が分かる歌は失格 」

という呼びかけに応じて詠ったもの。

作者は合格、賞金を獲得したそうですが、
この歌の面白味はどこにあるのでしょうか?

まず、 犢鼻(たふさき) と 円石(つぶれいし)
      つまり、「 平たくて薄いふんどし」を「重くて丸い石」といい、
次に  「大きい吉野山」を「小さな丸い石」と戯れ、
さらに 「川の氷魚」が「山にぶらさがっている」 、しかも
琵琶湖にしかいない魚が吉野にいる。

と支離滅裂な表現。
しかし、なんとなく意味ありげ。

そこで伊藤博は

「 女と男のむやむやとした叫びとだけ分るように布石し、
女と男の関係が何かきわどいものが感じられないわけではないと
いうところにくだけて酒などを飲む男たちを満足させる面があったと思う 。
なかなかしたたかな歌 」 と粋な解説です。(万葉集釋注)

 「褌(ふんどし)、氷魚」を男に「吉野の山」を女に見立てると
 このような深読みになるのでしょうか。

1300年前に「言葉遊び」というものが既にあり、
それがのちの俳諧や川柳などに繋がっていると考えると、
この歌も大いに意義があるのでしょう。

  「 吉野川 八十瀬(やそせ)の隅(くま)に 鮎を掛く」 
                          鈴鹿 野風呂(すずか のぶろ)

       八十瀬の隅 ;あちらこちらの隅で
           鮎を掛く: 餌を付けない空の釣針で鮎を引っ掛ける(掛け釣り)。
                  群れをなして泳ぐ魚に行う漁法。

6月1日、鮎釣り解禁。
釣人は喜び勇んで清流に向かいますが、鮎を賞味するなら
土用入りから2週間後が最適。
というのは、梅雨の時期、餌である珪藻が出水で流れとられ
栄養源を失った鮎は痩せ衰えてガリガリなのです。

梅雨明けになると、餌が豊富になり、たっぷり食べた鮎は
丸々太って美味。
筆者が吉野川で食べた頃が、ドンピシャリだったのです。

   「 鮎の骨 強き吉野の 坊泊り 」 百合山 羽公 


 万葉集743(吉野の鮎)完



次回の更新は7月5日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-06-28 09:48 | 動物

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