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万葉集その八百八(吉野の宮)


象山(きさやま)、吉野川  万葉人は山川の春秋の美しさを賛美した

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宮滝 この界隈で天皇の離宮が営まれた
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奥千本から金峰山寺を臨む
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西行庵への道  吉野
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万葉集(吉野の宮1)
   

 今回は古代の天皇が何故、神、さらに神をも従える絶対神と詠われる

 ようになったのかというお話です。

 まずは天皇の重要な政(まつりごと)、国見、すなわち

 春の初めに聖なる山に登り、国土を俯瞰(ふかん)しながら、

 そのにぎわいを褒めることにより豊かな秋の実りを予祝する

 農耕儀礼から。

             「 大和には 群山(むらやま)あれど 

             とりよろふ 天(あめ)の香具山
                 登り立ち 国見をすれば 

              国原は けぶり立ち立つ 

             海原(うなはら)は かまめ立ち立つ
                うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづ しま) 大和の国は 」 

                    巻1-2 舒明天皇

              (意訳)

              ( 大和には多くの山々があるけれども、その中でも

                 木々も豊かに生い茂り、美しく装っている香具山。

              神話の時代に天から舞い降りたと伝えられる天の香具山。

              その頂に登り立って国見をすると、

              国土には盛んに炊煙の煙が立っている。

               民の竈(かまど)は豊かなようだ。

             海原(広い池)には、かもめ(ゆりかもめ)が盛んに飛んでいる。

                 海の幸も豊かなのであろう。

                この上もなく美しい国よ。

               豊穣をもたらすという蜻蛉が盛んに飛び交う

               わが日本の国よ  ) 

            国原:陸地

            海原(うなはら): 川、沼を海に見立てた

              五穀豊穣、豊かな水、これほど素晴らしいことがあろうかと

              国土を賛美し、自然の恵みを感謝しつつ民を想う。

              万葉の黎明を飾るにふさわしい堂々たる歌です。

           ところが時代が遷り持統女帝の時代になると国見は天皇ではなく

           臣下が詠い、場所も山から俯瞰するのではなく山、川と対峙する形に

           変わってゆきます。

         次の歌は持統天皇の吉野行幸の折の国見の歌です。

         まずは訳文から。

              「 あまねく天下を支配される 

              我が大君のお治めになる天の下に

                国といえばたくさんあるけれども、

              中でも山と川の清らかな河内として

                特に御心をお寄せになる吉野の国の

              豊かに美しい秋津の野辺に

                宮柱をしっかりとお建てになると、

              ももしきの大宮人は

               船を並べて朝の川を渡り、

              船を漕ぎ競って夕べの川を渡る。

               この川の絶えることなく

               この山のようにますます君臨し給う

              水流の激しいこの滝の都は

               見ても見ても見飽きることがない 」 

136 柿本人麻呂

         (訓み下し文)

             「 やすみしし 我が大君の 

              きこしめす 天の下に

               国はしも さはにあれども 

              山川の 清き河内と

               御心(みこころ)を 吉野の国に 

               花散らふ 秋津の野辺に 

             宮柱 太敷きませば 

               ももしきの 大宮人は 

             舟並めて朝川渡る  

               舟競(ふなぎほ)ひ 夕川渡る

             この川の 絶ゆることなく

               この山の いや 高知らす

             水激(みずそそ)ぐ  滝の宮処(みやこ)は

                    見れど飽かぬかも 」     

           136  柿本人麻呂

            一行づつ訓み解いてまいりましょう

   

                「 やすみしし 我が大君の 

              あまねく国をわが大君が

   やすみしし: わが大君の枕詞 八方を広く治めるの意

                 きこしめす 天の下に

                         支配される天下

               きこしめす:統治される

                国はしも さはにあれども

 

                    国といえば たくさんあるけれど

                    国はしも: 「はしも」は強調

          さはにあれども:たくさんあるけれども

                山川の 清き河内と

            山川の 美しくも清らかな河内として

                河内: 河を中心とし山に囲まれた小生活圏

                御心(みこころ)を 吉野の国に
 

                 天皇が特に御心をお寄せになる 吉野の国に

                御心を:吉野の枕詞 天皇が心をお寄せになるの意

                花散らふ 秋津の野辺に 

               (稲の)花が盛んに散る 秋津の野辺に

       秋津: 吉野離宮一帯 :蜻蛉(せいれい)の滝付近か 

       「秋津」はもともと蜻蛉(トンボ)を意味し、

      その語源は

       「秋に多くいづる」が縮まったものとされている。

   古代、田の収穫前に多く群れ飛ぶのは豊作のしるし。

   聖霊として大切にされた蜻蛉はやがて豊かな実りを表す大地

   「蜻蛉島(あきづしま)大和の国」と詠われ、

   日本国全体を象徴する「秋津島」へと変化してゆきます。

                 宮柱 太敷きませば

                立派な御殿を建てて

                太敷きませば: 宮の柱が太く立派なの意

               ももしきの 大宮人は 

                        大勢の大宮人は

        ももしきの:大宮に掛かる枕詞、

    石や木を築いて建てた立派な宮を闊歩するの意

                舟並めて 朝川渡る

                    舟を並べて朝に川を渡り 

 

              舟競(ふなぎほ)ひ 夕川渡る

                 舟を漕ぎ競って 夕べに川を渡る

               この川の 絶ゆることなく

                 この川の流れが絶えることなく

              この山の いや 高知らす

                 この山のように 益々君臨し給う

     

         高知らす: 立派にご統治になる

               水激(みずそそ)ぐ  滝の宮処(みやこ)は

                 水流が豊富で流れが激しい この滝の宮は

              見れど飽かぬかも 」 

                見ても見ても 飽きることがありません

136  柿本人麻呂

              (反歌)

                「 見れど飽かぬ 吉野の川の

                  常滑の 絶ゆることなく またかへり見む 」 

             巻137 柿本人麻呂

                 ( 見ても見ても飽きることがない吉野の川

                   その川の常滑のように 絶えることなく、
                        またやって来て

                      この滝の都を見よう。)

           ここには国土の豊穣を寿ぎ民の竈に思いを致すことがありません。

           吉野の国と川の美しさを褒め称え、そのような美しい場所に

           宮を営まれている天皇を称える。

           まさに天皇賛美の歌に変化しているのです。

            なぜそのように変わったのか?

           その理由を知るためにはまず、なぜ香具山ではなく吉野なのか?

           そして時代背景を見なければなりません。

                まず、吉野についてです。

           近江に都があった頃、大海人皇子は皇位継承を巡るさなか、

           兄、天智天皇の殺意を感じ、
          妃、鵜野讃良(うののさらら:のち持統)を伴い

          吉野に隠棲しました。

    そして、天智天皇崩御後、9か月の忍従苦節を経て、壬申の乱に勝利して即位、

    天武天皇が誕生。

     以来、吉野は天武朝発祥の聖地と位置づけられ、飛鳥に都が置かれると

     吉野川のほとり宮滝付近に離宮が営まれて、歴代天皇の行幸42回、

     なかでも持統女帝は32回も訪れたのです。(女帝前後を含めると34)

        吉野は水が豊富に湧き出るほか、水銀、金銀を産する鉱山があり、

        歴代天皇は水の神に五穀豊穣を祈り、かたわら鉱物発掘作業督励し、

       さらに創建時代の精神に戻って良き国造りへの決意を新たにしたものと

        思われます。

             万葉で詠われた吉野は70余首。

           これだけ行幸が重なると歌も多くなるのも当然でしょう。

「 み吉野は 神の宮なり 鮎走る 」 筆者

                      次回に続く 

                  万葉集808(吉野の宮)完




         次回の更新は
109日(金)の予定です。


by uqrx74fd | 2020-10-01 16:12 | 心象

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