万葉集(雪中梅鶯:せっちゅうばいおう)

( 筑波山雪中梅 )
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( 同上 )
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( 雪か梅か  同上 )
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〈 鶯鳴くも   学友N.F さん提供)
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万葉集その七百二十五 (雪中梅鶯)

「雪中梅鶯」(せっちゅうばいおう)とは雪が降りしきる中、
凛として咲く梅や雪を羽根に乗せながらしきりに美しい声を響かせている
情景を想像した筆者の造語です。

万葉人はこのような光景を目の当たりにして、一人静かに楽しみ、
また、愛する人に見せたい、雪が積もる梅の一枝を贈りたいと願いながら
美しく詠い、やがて文学的な表現―雪月花の世界へと進化させてゆきました。

次の歌は越中国司の大伴家持が冬と春の交錯したさまを描きつつ
春到来の喜びを詠ったものです。

「 うち霧(き)らし 雪はふりつつ しかすがに
         我家(わぎへ)の園に うぐひす鳴くも 」
                     巻8-1441 大伴家持

( 空一面をかき曇らせて雪が降り続いている。
 そんな冬の情景なのに我家の園では鶯の声が。
 あぁ、やはり春が来ているのだなぁ。)

立春も過ぎたというのに雪が降りしきっている。
春はまだまだ先だと思っていたら、突然、鶯の声が聞こえてきた。
恐らく梅の蕾も膨らんでいるのでしょう。
喜びの歓声が聞こえてくるような一首です。

    うち霧らし: 空を一面にかき曇らせて
    しかすがに: その一方では

「 我が背子に 見せむと思(も)ひし 梅の花
      それとも見えず  雪の降れれば 」 
                    巻8-1426    山部赤人

( あの方にお見せしょうと思っていた梅の花、
 その花は雪が枝に降り積もっているので、どれがそれとも
 見分けがつきません。)

当時、梅といえば白梅。
雪が積もると梅かどうかは見分けがつかない。
そういえば大伴旅人の

「 我が園に 梅の花散る ひさかたの
     天(あめ)より雪の 流れ来るかも 」  巻5-822 

という歌もありました。
紅梅が中国から伝わるのはずっと後、奈良時代の終わり頃です。

「 淡雪に 降らえて咲ける 梅の花
     君がり遣(や)らば  よそへてむかも 」 
                      巻8-1641 角 広弁(つの ひろべ 伝未詳)

( 淡雪に降られても健気に咲いた梅の花。
      その花をあなたのところへお届けしたら
      私だと思って偲んで下さるでしょうか。)

          君がり:あなたさまのもとへ
          よそへてむかも: 私だと思って下さるでしょうか
                      よそへ:なぞらえる:見立てる

女は男に惚れているが、男はつれない。
雪に打たれた梅はまるで私のよう。
そんな花をあの方に贈ったらどう思われるだろうか。
少しは健気で可愛いいと思って下さるでしょうか。
宴席でおどけて女の立場でうたったもの。

次の歌は我国和歌史上初めて「雪、月、花」を歌に詠みこんだ
記念すべき1首です。

「 雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花
       折りて贈らむ   はしき子もがも 」 
                    巻18-4134 大伴家持



( 雪の上に照り映えている月の美しいこんな夜に
梅の花を手折って贈ってやれる可愛い娘でもいればなぁ ) 
 
        はしき:「愛し」き
        もがも: 願望 

雪の白、これを照らす月光、さらに白梅とすべて白一色につつまれた庭。
共に眺める美しい女性を目に浮かべる。
これは、まさに文学の世界。

以来、「雪月花」は日本の美の精神を象徴するものとして今日まで
継承されていますが、「花」が梅ではなく「桜」をさすようになったのは
平安時代からで、後代、漢詩で「雪月花」という言葉が見えます。

「 琴詩酒ノ友 皆 我を抛(ナゲウ)チ
       雪月花の時 最も君を憶(オモ)フ 」    白楽天

( 琴や詩や酒を楽しんだ友は皆ばらばらになり
     今は消息も聞かなくなってしまった。
     雪の朝、月の夜、花の時になると
     君のことが思い出されてならない )


      万葉集725(雪中梅鶯)完


   次回の更新は3月1日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-02-21 11:23 | 植物

万葉集その七百二十四 (梅ふふむ)

( 夜の梅 奈良公園  )
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( 白梅  皇居東御苑 )
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( 白梅、紅梅   同上 )
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( 枝垂れ梅ふふむ   下曽我梅林 )
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万葉集その七百二十四 (梅ふふむ)

万葉集で「ふふむ」という言葉は「含む」と漢字表記され
元々口に何かを入れ、その口が膨らんだ様子をさす言葉だそうです。
転じて「内にじっと秘めている」という意になり、
花や若葉がまだ開かないで蕾(つぼ)んでいる状態あるいは成熟していない年頃の女性、
または処女をさすときなどに使われています。

「 春雨を 待つとにしあらし 我がやどの
     若木の梅は いまだふふめり 」 
                     巻4-792 藤原久須麻呂

(  梅の若木は春雨が降るのを待って咲くといわれていますが、
 我家の梅はいまなお蕾のままです。)

大伴家持から送られてきた歌に対する返歌。
当時、春雨は花の開花を促すと信じられていたようです。

作者は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの大納言、藤原仲麻呂の子。

この歌には含意があり、作者、久須麻呂が家持の娘を嫁にもらいたいと
何度も申し入れたが、当の娘はまだ12歳。
家持は当惑し
「誠に勿体なくも有難い仰せでございますが、娘は何分幼少ゆえ
 もう少し成長し、事の判断出来るようになるまでお待ち願えませんか。」

と婉曲に断ったのに対し

「 誠に尤もな仰せ、我家の梅もまだ蕾のまま。
  時期が参りましたら改めて。」と深謝したもの。

春雨を作者、若木の梅に家持の娘を寓しています。

「 去年(こぞ)の春 いこじて植えし わがやどの
     若木の梅は 花咲きにけり 」 
                       巻8-1423 阿倍広庭(中納言)


( 去年の春、掘り起こして移し植えた我家の若木の梅。
 今初めて見事に咲きましたよ。)

       いこじて: い:接頭語  こじて:根こそぎ掘り起こすの意

どこからか移植した梅が見事に咲いたと喜びあふれる1首。
当時、梅は珍重され大切に育てられていたようです。

「 春柳 かづらに折りし 梅の花
           誰(た)れか浮かべし 酒杯(さかづき)の上に 」
              巻5-840 村氏彼方(そんじの おちかた)

( 春柳、この柳の蔓(かづら)に添えて挿そうと手折った梅の花。
     その花びらを、めぐる盃に浮かべたのは、どなたでしょうか。)

730年2月、太宰府長官大伴旅人邸で催された梅花の宴での歌32首の1。
すべての歌に梅、柳、桜、竹、鶯、雪など、めでたい景物が詠いこめられた
文藝史上特筆される一大絵巻です。
この歌は
「どなたか存ぜぬが、杯に花びらを浮かべるとは風流なことをされたことよ 」と、
褒めたたえた1首。

鬘(かずら)は頭に載せる冠のようなもので柳の生命力にあやかろうとしたのです。

「 ひさかたの 月夜を清み 梅の花
      心開けて 我(あ)が思へる君 」
          巻8-1661 紀小鹿女郎女(きの をしか いらつめ)

( 月夜が清らかなので、梅の初花が開くように
 私の心もほんのり開けて、もうお見えになるとお慕いしている私。)

作者は安貴王(天智天皇曾孫)の妻で大伴家持と親交があった女性。
浮いた話も聞かないので、宴席での歌と思われますが、
待つことの喜びを詠った珍しい例とされています。

 ひさかたの: 月の枕詞 光などに掛かる。
 清み:清々しいので

梅の蕾、初花、杯の花びら、月夜の梅。
古代貴族たちの雅やかな生活が偲ばれる歌の数々でした。

 「 りんりんと 梅枝のべて 風に耐ゆ 」 中村汀女

       りんりんと( 凛々と): きりっと



       万葉集724(梅ふふむ)完


   次回の更新は2月22日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-02-14 15:56 | 植物

万葉集その七百二十三 (春立ちぬ)

( 春霞  山の辺の道 奈良  筆者撮影 )
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( 手賀沼幻想  学友N.F さん提供 )
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( 藪椿    同上 )
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( 八重桜  同上 )
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( 枝垂れ桜  同上 )
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( 薔薇   同上 )
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  万葉集その七百二十三 (春立ちぬ)

    「 月数(つきよ)めば いまだ冬なり しかすがに
              霞たなびく 春立ちぬとか 」 
                         巻20-4492 大伴家持

( 月日を暦で数えてみると、まだ冬。
     ところが、あたりは一面に霞がたなびいている。
     やはり季節の春が到来しているのだなぁ。)

795年12月23日、現在の太陽暦2月6日頃、
治部少輔 大原今城邸での宴席での歌です。

以下は60年来の親友N.F君のコメントです。

 『 寒中見舞いでも出そうと思いながら、ぐずぐずしている内に、
   もう立春がそこまで来てしまいましたか。
   そういえば、先週のNHK-BSの「俳句王国」の兼題は、
   「春隣」(はるどなり)でした。

   「 結露せし 窓の青空  春隣 」
   「 齢(よわい)積む 音閑かなり 春隣 」

 1月26日、町会の防犯パトロールで集会所に集ったとき、
 隣の梅林の梅の枝を眺めたら、もうツボミが大きく膨らんでいました。
 「梅のツボミも膨らんできたねぇ」と、さり気なく言うのは、
 写真をやったり万葉を学んだりしている小生であります。

 すかさず女性陣が「桜も膨らんできてるわよ。
 風も”ぬるんだ”感じがするわねぇ」と応じてくれました。

 山登りを趣味とする者には、春霞はいささか迷惑なのであります。
 冬の山は、峻厳な冷気のせいで山並みをクッキリと見せてくれますが、
 春の訪れとともにガスがかかるようになり、遠くの山がぼやけてしまいます。

 山男は、せっかくの春霞を愛でることを知らず、恨めしげに
 「ガスってやがらあ」と無粋なことを申します。
 とっさに、「霞み立つ 春立つらしも」と、一首ものすることができれば、
 洒落てるのですがねぇ。 』

「 うち靡く 春立ちぬらし 我が門(かど)の
    柳の末(うれ)に うぐひす鳴きつ 」 
                       巻10-1819 作者未詳

(  草木の靡く春がいよいよやって来たらしいなぁ。
  我が家の柳の枝先で 鶯が鳴きはじめたよ )

 古代「靡く」という言葉は
 「 草や髪の毛が風に靡く、人が横になる、服従する、引きつけられる、慕う 」
 などの意味に使われ、そのほとんどが現代に継承されています

 この言葉が「うち靡く春」すなわち、春の枕詞になると、
 今まで静かに冬眠していた草木や動物が暖かい日差しを浴びて生き生きと動き出し、
 花が咲き、鳥が囀りながら木々を渡ってゆく躍動感あふれる情景を醸し出す。
 たった二文字「うち」の凄さ、日本語の奥深さです。

 「柳に鶯」は珍しい組み合わせですが、鶯は笹の多い林の下や藪を好みます。
 「梅に鶯」は詩歌や絵の世界で多く採りあげられていますが、
 梅の蜜を吸いに来るのはメジロが多く、時には雀が花を啄んでいることも。

  「 ひさかたの  天(あめ)の香具山  この夕べ
          霞たなびく 春立つらしも 」 
                  巻10―1812 柿本人麻呂歌集

( 長い冬が過ぎて寒々としていた大和平野にも何時とはなく夕靄が立ちはじめ、
  美しい香具山がおぼろに煙って見える。 
  ああ 春が来たのだなぁ。)

おおらかな調べで、美しくも堂々たる風格を感じさせる一首。
「この夕べ」の「この」で「今日の夕べ」という時をはっきり限定し
「春立つらしも」と詠い収め「暦が春になったその日」即ち立春を寿ぐ歌です。

「伊予国風土記」によると香具山は天上より天降(くだ)った時二つに分かれて
一つは大和に落ち、もう一つは伊予に落ちて天山になったとか。
このような由来から香具山は神の山と考えられ「天の」が冠せられています。

再びN.F君です。

 『 これから久しぶりに南高尾山稜の往復(約5時間)を単騎で歩いてきます。
   1月6日以来の山歩きです。
   きょうは、最高気温が15℃を越えるかもしれません。

   「 春の初めの歌枕  霞たなびく丹沢連峰 」、
   「 富士の山  霞たなびく 春立つらしも 」

   ということでガッカリでしょう。 』 

 「 時は今 春になりぬと み雪降る
      遠山の辺(へ)に 霞たなびく 」 
                  巻8-1439 中臣 武良自(むらじ)

( ようやく春になったのだなぁ。 
  いまだに雪が降り積もっている遠くの山のあたりにも
 霞がたなびいているよ。)
 
「春は霞と共にやって来る」と考えていた古(いにしえ)の人々。
「時は今」という言葉に待ちに待ったに春到来の喜びがあふれているようです。

N.F君いわく

 『 春がいいか、秋がいいかという問いに、秋に軍配を上げたのは
   額田王だったと思うが、 ボクは、みずみずしい新緑の春の方が好きだ。
   年齢的な気分もあるかも知れない。
   やはり、待ちに待った春だね。
   登山をやる者には、春霞は遠望がきかず、時として邪魔者扱いするが、
   「春霞」として古来、日本人には愛されてきたようだ。

 「 時は今 春になりぬと み雪降る
         遠山の辺(へ)に 霞たなびく 」 

  いまのボクの気分にぴったりだなあ。
  「春は霞とともにやってくる」かあ。
  植物が、寒い冬の間じっと耐えながらも、春の喜びのために着々と春の準備をしていた。
  それが今、一斉に芽吹き始めた。
  庭の山椒も芽吹いてきて、もういつでも筍と一緒に召し上がれと告げている。 』

「 春の野に 心延(の)べむと 思ふどち
         来(こ)し今日(けふ)の日は  暮れずもあらぬか 」
                   巻10-1882 作者未詳

( 親しい仲間同士で、伸び伸び一日過ごそうと春の野にやってきました。
 今日は何時までも日が暮れないで欲しいものだなぁ )

心を許したもの同士の会話は何時まで経っても尽きることがありません。
時よ止まれ!
 
N.F君曰く

  『 そうだねぇ、
   春野でジジイ放談でもやりたいものだ。
   ピクニックにでも行きたい気分だ。   』

  「 春いまだ ほろりほろりと 友逝きぬ 」 日野草城

友人達との放談を楽しみにしていたN.F君。
春を待たず昨年末に急逝してしまいました。

前日まで元気だったのに、言葉もありません。
年来の友に先立たれた筆者や仲間は茫然自失。

このブログ開設当初からボクを励まし続け、
適切なアドバイスを寄せてくれた心の友。
返す返すも残念無念、痛恨の極みであります。

キミの春風駘蕩とした大らかな人柄は多くの人達に慕われ、
防犯パトロールで親しくなった小学生の卒業式に
来賓として招かれた時は嬉しそうだったなぁ。

写真はプロ級の腕前、山を愛し花を愛で、名利など振り向きもせず、
ひたすら誠実に生き抜いた男。

酒好き、飲めば飲むほどに人生を語り周囲を楽しく盛り上げてくれる。

あぁ、思いは尽きない。
もっともっと長生きして欲しかった。

ノブさん、

今、君の遺影を前にして、静かに盃を傾けている。
仲間と共に旅した写真をスライドさせながら。

その1コマ1コマから君が語りかけてくれているようだ。
「おい! みんな! いつまでも仲良くしろよ」と。

60余年間の楽しいお付き合いは、ボクの人生をこの上もなく豊かに、
そして幸せにしてもらった。

ありがとう! ノブさん。
さようなら! わが心の友よ。

  「 友情の ただ中に じっと眼をつむる 」  日野草城




     万葉集723 (春立ちぬ)  完


     次回の更新は2月15日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-02-07 15:49 | 自然

万葉集その七百二十二 (雪の恋歌)

( 皇居東御苑 )
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( 高千穂神社  佐倉市 )
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( 同上  桜の蕾も寒そう )
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( はだれ  北の丸公園  東京 )
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万葉集(雪の恋歌)

「 かきくらし ふる白ゆきの いやましに
      深くなりぬる 我(わが) おもひかな 」  樋口一葉

万葉集での雪歌は150首余。
約半数が恋歌、他は白梅、鶯との取り合わせ、新年の賀歌、
大雪の喜びなどが詠われています。

当時、雪は繁栄をもたらす瑞祥と歓迎されていましたが、
大和は降雪が少なく、たまに大雪でも降ろうものなら、外に出て
子供のようにはしゃぎまわり、朝廷の役人たちは、皇居に駆けつけて雪掻きをし、
お上から酒をふるまわれるのを楽しみにしていたのです。

恋の歌は天皇から庶民に至るまで詠われておりますが、今回は
名もなき人々の雪に寄せる純情、淡い恋歌です。

「 わが袖に 降りつる雪も 流れ行(ゆ)きて
      妹が手本(たもと)に い行(ゆ)き触れぬか 」
              巻10-2320  作者未詳

( 私の着物に降りかかった雪よ、ずっと空を流れて、
 あの子の手首に触れてくれないものかなぁ )

愛しい人とは何事も共にしたいと願うのは恋するものの心理。
雪降る中、恋人の姿を目に浮かべ、共に歩いている姿を想像している。
美しい幻想の世界です。

「 わが背子を 今か今かと出(い)でみれば
       淡雪降れり 庭もほどろに 」  
                     巻10-2323 作者未詳

( あの方のお越しを今か今かと待ちかねて、戸口に出て見ると
庭中うっすらと 淡雪が降り積もってしまっているわ。)


愛しい人がいつまで経っても現れない。
折角約束したのに。
とうとう待ちきれなくて外に出てしまった。
切ない思いの女が立ちつくす可憐な姿と淡雪の情景が美しい。

庭もほどろに: 雪が地肌に交ってうっすらと積もる状態

「 笹の葉に はだれ降り覆ひ 消なばかも
      忘れむと言へば  まして思ほゆ 」 
                     巻10―2337 作者未詳

( 「笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように
私の命が消えでもすれば、あなたを忘れることもありましょう。」
などと、あの子がいったものだから、ますますあの子が愛しく思われることよ。)

 はだれ降り:うっすらと降り置いた

「 一目見し 人に恋ふらく 天霧(あめぎ)らし
       降りくる雪の 消ぬべく思ほゆ 」 
                           巻10-2340 作者未詳

( たった一目みただけのあの子、それなのにどうしてこんなに
恋焦がれてしまつたのだろう。
まるで大空をかき曇らせて降ってくる雪のように
身も心も消え入るばかり。 )

天霧(あめぎ)らし:「雪がやがて消えてしまうように
我が身が消え入りそう」の意

以上4首は全て巻10に収蔵されています。
この巻は春、夏、秋、冬、四季整然と区分されており、さらに自然現象、
動植物、相聞に細分化され後の古今和歌集分類の先駆をなすものです。
後の人はこの巻をお手本にして作歌を学んだと思われますが、秀歌も多く
名ある人もあえて読み人知らずとして詠ったものもあるようです。

 「 雪はげし 抱かれて息の つまりしこと 」 橋本多佳子



     万葉集721(雪の恋歌)完

  次回の更新は2月8日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-01-31 17:50 | 自然

万葉集その七百二十一 (鴨の恋歌)

( マガモ雄  皇居)
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( マガモ雌  田沢湖 )
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( ホシハジロ:中央赤首 キンクロハジロ:左下  皇居 )
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( カルガモ  東寺  京都 )
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万葉集その七百二十一 (鴨の季節)

鴨はカモ科のうち比較的小形の水鳥の総称とされています。
世界で約170種、我国でも30余種といわれ、我々が目にするのは
マガモ、コガモ、ヨシガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、スズガモ、
ホシハジロ、キンクロハジロなど。
中でも一番多いのは、マガモ、別名青頸(あおくび)とよばれ、
単に鴨と言う場合はマガモさすことが多いようです。

マガモは雄雌異色で雄は金属光沢がある緑色をしており、襟に白い首輪、
胸は紫ががった栗色と際立つ容姿ですが、雌は全体が地味な黄褐色で
波型の黒い模様があります。
雄は「グェッ グェツ」メスは「グェーグェグェ」と鳴き、
情感には程遠い「だみ声」。

  「 夜ふけたり 何にさわだつ 鴨の声 」 正岡子規

万葉集では29首。
番(つがい)で泳ぐ姿が愛されたのか、恋の歌も多く詠われています。

「 葦辺(あしへ)行く 鴨の羽音の 音のみに
    聞きつつもとな  恋ひわたるかも 」 
                    巻12-3090 作者未詳

( 葦のあたりを飛びわたる鴨の羽音のように
 噂をいたずらに聞くばかり。 
 でも、私は空しいと分かっていても、
 ただ、ただ、あの人をお慕い続けています。)

ひそかに恋する人が、私を好いてくれているという噂はよく聞くが
ちっとも会いに来てくれない。
やはり片想いなのかしらと嘆く女です。
 
「音」:噂
「聞きつつもとな」:「もとな」は「どうしょうもなく」
             噂を聞くばかりでどうしょうも無く

 「 鴨すらも おのがつまどち あさりして
     後(おく)るる間(あいだ)も  恋ふといふものを」
                          12-3091 作者未詳

( 鴨でさえも お互いの連れ合い同士が餌をあさるうちに
 片方が少しでも遅れると、それだけで恋しがるというのに。)

  なかなか会いに来てくれないあの人。
  鴨は少し離れても恋しがるというのに、冷たい人。

       おのが つま どち: 「つま」:「配偶者(男女の別問わず)」
                     「どち」:同士
       あさりして:     「餌を漁(あさ)る」

  「 夫婦鴨 さみしくなれば 光り合ふ 」  松本 旭

  「 鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて
             浮たる心  我(あ)が思はなくに 」

       巻4-711 丹羽大女娘子 ( たにはの おほめ おとめ:伝未詳)

( 鴨が浮かんで遊んでいるこの池に、木の葉が散って浮いている。
 でも、私の気持ちはこんな浮いた心ではありません。
 真剣なのです。)

それなのにあの人はそう思ってくれていない。
作者はいかなる人か分かりませんが、丹波の国の女性か?

3首連続して詠われており、伊藤博氏は
「池のほとりの宴席での遊行女婦(うかれめ:教養ある遊女)であることをうかがわせる。」
とされています。

「 外に居て 恋ひつつあらずは 君が家の
      池に棲むといふ 鴨にあらましを 」 
                       巻4-726 大伴坂上郎女

( 離れていて恋い焦がれてなんかおらずに
 いっそ君のお家に棲むという鴨でありたいものですわ )

聖武天皇に恋歌仕立てで贈ったもの。
作者は宮廷にも活発に出入りしており、大伴家の女主人として家を守り
甥の家持の後押しもしていたようです。
その甲斐あってか、聖武天皇も大伴家に対する信頼は大なるものがありました。

「 横縞の 紺に白添ふ 鴨の翅(はね) 」  山口青邨

鴨は秋に寒地より群れをなして飛来して湖沼、河川に生息し、春になると再び
帰ってゆきますが、カルガモと鴛鴦(おしどり)は留鳥です。

唐沢孝一著 「目からウロコの自然観察」によると

『 鴨類は配偶者を選択するのは雄であり、雄はよく目立つ色彩を進化させた。
  雄が種ごとに独特の色彩をしていることにより、異種との交雑を避けることが出来る。
  ところが10月末~11月ころ、渡来したばかりのカモ類の雄は雌のような
  色彩をしている。

  これをエクリプス羽という。
  エクリプス(eclipse)とは日食や月食のことで、
  食とは欠けていることを意味する。色彩が欠けて地味な羽毛のことである。
  よく目立つ雄の生殖羽は求愛では有利だが天敵に見つかりやすい。

  そこで、天敵の多い北国の繁殖地では換羽して地味なエクリプス羽に変わる。
  そのまま日本に渡って来るので、渡来したばかりの雄は地味な色彩を
  していることになる。』        (中央公論新社 一部要約)
  
そして鮮やかな色彩に変化した雄は早速婚活開始。
声高らかに鳴き、水をはじいて尾をそらすなどさまざまな
パフオーマンスを披露。

雌が好みの雄を選んでカップルが成立すると、二羽で睦まじく行動し交尾。
めでたく雛が生まれると、雄は早速、別の雌鳥に求愛する。

浮気者め! 
いやいやそうではありません。
というのは、渡り鳥は死亡率が高いので、種の生存保持の上からも
必要な行為なのだとか。

オシドリ夫婦といえば仲良く一生を添い遂げる―「鴛鴦の契り」
というイメージがありますが、鳥の世界では毎年相手が入れ替わっている
仮面夫婦だったのか。

  「 日輪が ゆれて浮寝の 鴨まぶし 」 水原秋桜子 



万葉集721 (鴨の季節)完


次回の更新は2月1日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-01-24 16:10 | 動物