万葉集その六百九十三 (山桑伝説)

 ( ヤマグワ   東京都薬用植物園 )
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(  ヤマグワの実   同上 )
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( 桑の花   同上 )
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( 桑の実 濃紫色になると食べごろ  同上 )
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   万葉集693(山桑伝説)

「 昔々 吉野に美稲(うましね)という男がいて、川に梁(やな)をかけて
  鮎をとる生活をしていた。
  ある日、川の上から当時、柘(つみ)とよばれていた山桑の枝が流れてきて
  その梁にかかったので取り上げて家に持ち帰ったところ、突然
  絶世の美女に変身した。

  美稲(うましね)は驚き、かつ喜び、契りを交わし妻にして、
  仲睦まじく暮らしていたが、この美女はもともと仙女であり、
  水の精の仮の姿であったので、やがて領巾布(ひれぬの)をまとって、
  常世の国に飛び立ち再び戻ってくることはなかった。
                                 ( 続日本後記、懐風藻)

奈良時代、このような伝説が広く知られていたらしく、万葉集では
この話をふまえた歌が3首残されています。
いずれも宴席で詠われたもので、まずは吉野川で仙女と出会い手を取りあって
山を越える場面を想像しています。

    「 霰(あられ)降り 吉志美(きしみ)が岳(たけ)を 険(さが)しみと
                      草とり放ち 妹が手を取る 」 
                                   巻3-385 作者未詳

( 霰が降ってきしむ、その吉志美の岳が険阻なので、
  私は手でつかんだ草を放して、いとしい子の手を取ったことだ。)

     「 霰降り」: 吉志美が岳の枕詞 
              霰の音が「かしましい」(やかましい)の類音
       
     「 吉志美(きしみ)が岳 」 : 吉野山中の一嶺と考えられるが所在不明

この歌は民謡として流布していたらしく、愛人と共に山に登るという設定は
歌垣などでよく詠われたようです。
仙女伝説とは関係がないように思われますが、宴席でまず美女と
手を取り合っての道行きを演出したのではないかと思われます。

「この夕(ゆうへ) 柘(つみ)のさ枝 流れ来(こ)ば
       梁(やな)は打たずて 取らずかもあらむ 」
                         巻3-386 作者未詳

( 今宵、もし、柘の枝が流れてきたならば、簗は仕掛けていないので
  枝を取らずじまいになるのではなかろうか。)

宴は夕暮れ時の川のほとりで催され、味稲(うましね)が梁を仕掛けた
伝説をふまえて詠ったもの。
今は梁がないので美女を手に入れることが出来ないのが残念だ
との意がこもります。

「 いにしへに 梁打つ人の なかりせば
    ここにもあらまし  柘(つみ)の枝はも 」 
                    巻3-387 若宮年魚麻呂(わかみやの あゆまろ )

( 遠い遠いずっと昔、この川辺で梁を仕掛けたという味稲(うましね)という
      男がいなかったら、ひよっとして柘(つみ)の枝は今もここにあるかも しれないな。
      なんとかあやかりたいものだ。)

「 あぁ、昔の味稲が羨ましい。
  俺たちもこのような幸運に恵まれないものかな。」

と笑いながら盃を重ねて談笑する男達です。

竹取物語と似たこの話は「柘枝伝」(しゃしでん)ともいわれていますが、
まとまった物語としては今日伝わっておりません。

ただ、日本書紀や懐風藻に同類の話が部分的に載っているので、
この話を知っていた人が「こんな昔話もあったようだ」
と宴席を盛り上げるために披露したものと思われます。

簗(やな)とは今日でも鮎漁に用いられている魚を捕るための仕掛けで、
木を打ち並べて水を堰(せ)き止め、一箇所に流れるようにして流れてくる魚を
簗簀(やなす)に落とし入れるもの。

    「 桑やりて 蚕棚は 青くなりてゆく 」 山口青邨

万葉集での柘(つみ)すなわち「山桑」は在来種。
桑とよばれるものは「マグワ」で中国渡来の外来種。

また、桑(くわ)の語源は蚕が食べる葉すなわち食葉(くわ)あるいは
蚕葉(くは)が訛ったものと考えられています。

5世紀中ごろ、雄略天皇が后妃に養蚕を勧め、諸国に桑を植えさせて以来、
養蚕は女性の最も大事な仕事の一つとされました。
この伝統は現在の皇室、皇后陛下にまで受け継がれております。

 「 生あたたかき 桑の実はむと 桑畑に
                幼き頃は よく遊びけり 」    佐藤佐太郎 
                            
               はむと:食むと

初夏になると小粒のイチゴの様な実がなり、濃紫色に熟すると食べごろ。
養蚕盛んなりし頃は至るところで桑の木が植えられていたので
あの甘酸っぱい味を覚えておられる方も多いことでしょう。

    「 黒くまた赤し 桑の実 なつかしき 」  高野素十


            万葉集693 (山桑伝説)完


            次回の更新は7月20(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-07-12 08:27 | 植物

万葉集その六百九十二 (鮎釣る乙女:旅人幻想)

( 幾く年も この場所一人 鮎を釣る     寒川逸司   木津川 奈良)
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( 吉野の鮎売り   奈良 )
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( 鮎の宿 つたや  京都 奥嵯峨 )
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( 銘菓 吉野川   奈良の老舗 鶴屋徳満製 )
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   万葉集その六百九十二 (鮎釣る乙女:旅人幻想)

今から約1300年前、大宰府長官、大伴旅人は九州、唐津の東に位置する
松浦郡玉島あたりに旅しました。
昔、神功皇后が鮎を釣り上げたという伝説の地です。

美しい渓流を眺めながら、やおら持参した瓢(ふくべ:酒入れ)を取り出し、
盃をかたむけはじめます。

爽やかな初夏の風が心地よく吹き渡り、陶然とした心持。
しだいに瞼が重くなり、うつらうつら。

やがて、川のほとりにこの世のものとも思われない美しい乙女が現れ、
楽しい夢の世界へと誘ってくれたのです。

物語のあらすじは

『 松浦の地に赴いてあちらこちらを歩いているうちに、ふと玉島川で
  鮎を釣っている乙女たちに出会った。

  あまりにも美しく照り輝く容姿なので、「もしや仙女ではないか」と尋ねると
  「いやいや私共は漁師の子で、あばら家に住む名もない者、
  名乗るほどの身分ではありません。
  ただ生まれつき水に親しみ、また山を楽しんでいます。

  あるときは川に臨んで魚の身を羨み、あるときは煙霞の美景に
  眺め入っておりましたが、今日ここに今たまたま高貴なお方に巡り合い、
  嬉しさを包み隠すことができません。

  思い切ってお打ち明けいたしますが、どうかこれから後は、
  共白髪の夫婦の契りを結んでいただけないでしょうか。」

  私は答えた。

  「 喜んで仰せに従いましょう 」

  折しも日は西に落ち私が乗る黒駒はしきりに帰りを急いでいる。
  そこで私は自分の心の内を述べ次のように詠った。 』 

「 松浦川(まつらがわ) 川の瀬光り 鮎釣ると
           立たせる妹が 裳の裾(すそ)濡れぬ 」
                  巻5-855 さすらい人(大伴旅人)

( 松浦川の川瀬がキラキラ輝いている。
 その中で鮎を釣ろうと立っている美しい乙女よ。
 あれあれ、赤い裳(も)の裾(すそ)が水に濡れて。)

「 遠つ人 松浦の川に 若鮎(わかゆ)釣る
          妹が手元(たもと)を 我れこそ まかめ 」 
                           巻5-857 同上

( 遠くにいる人を待つという名の松浦の川で、若鮎を釣るあなたの手。
 私はその美しい手を枕にしてぜひ寝たいものです。)

すると乙女は応えた

「 若鮎(わかゆ)釣る 松浦(まつら)の川の 川なみの
       並(なみ)にし思(も)はば 我れ恋ひめやも 」 
                            巻5-858 娘子

( 若鮎を釣る松浦川の川なみの、その並という言葉のように
 あなたに対する私の気持ちが並み(通り一遍)のものであったなら、
こんなに想い焦がれることがありましょうか。)

「 松浦川 七瀬(ななせ)の淀は 淀むとも
       我は淀まず 君をし 待たむ 」 
                           巻5-860 娘子

( 松浦川のいくつもある瀬にある淀みは、これから後たとえどんなに淀もうとも
      私はためらわず、ただただあなた様一筋にお待ちいたしましょう。)

  我は淀まず: 心変わりしないの意

この話を聞いた人は後に次のように詠った。

「 松浦川 玉島の浦に 若鮎釣る
    妹らを見らむ 人の羨(とも)しさ 」  
                          巻5-863 後の人が追和(大伴旅人)

( 松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る美しい娘子。
 その乙女たちを見ている人が羨ましくてなりません。)

この「松浦川に遊ぶ」と題する序文と単歌群(11首)はすべて大伴旅人作と
考えられており我国文学史上極めて重要な位置を占める歌物語とされています。

即ち純然たる空想の世界を詠った文藝作品が日本文学の歴史に初めて
出現したのです。

この美しくも面白い作品を生み出した旅人は極めてロマンティスト。
この歌を材料に長編も書く事ができそうです。
同じ大宰府で活躍した山上憶良はリアリスト。
貧窮問答歌などと比べるとその作風の違いは歴然たるものがあります。

この歌物語の材料は、当地に伝わる、神功皇后伝説、中國の仙女との艶なる物語
「遊仙窟」などからヒントを得たものと考えられていますが、
それらを消化した上で、自らの幻想の世界を生み出したのです。

万葉集は歌集と共に物語文学の嚆矢でもあります。


 「 酒旗高し 高野の麓  鮎の里 」 高濱虚子

            ( 高野は和歌山県高野山か )


     万葉集692(鮎釣る乙女 : 旅人幻想 ) 完


      次回の更新は7月13日(金)の予定です。
  
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# by uqrx74fd | 2018-07-05 17:06 | 生活

万葉集その六百九十一 (末摘花)

( 末摘花は紅花の別名。 花の先端を摘むのでその名がある。 )
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(  染料や口紅の原料になるが、絹2反染めるのに紅花12kg必要とされる超高級品 )
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( 最初は黄色 だんだん赤くなります。 種から油をとり、葉は漢方薬に )
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( 黄の色素は水に流れるのでこの性質を利用して紅の原料を取り出す、)
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万葉集その六百九十一 (末摘花)

「末摘花(すえつむはな)」は「紅花」の別名で、開いた花の先端だけを
摘み取って染料や口紅の原料にすることからその名があります。

1991年、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から
大量の紅花の花粉が発見され、綿密な調査分析の結果、3世紀中頃には
加工技術を携えてきた渡来人がこの地域で染物や化粧品などの生産を
していたことが判明しました。

魏志倭人伝に記載されている卑弥呼が魏の皇帝に献じた赤色の織物は、
これらの紅花が使われた可能性もあるとされています。

古代の王朝人にとって紅は紫と共に最高の色。
紫は高貴、紅は情熱。
男達を魅了した恋の色でした。

万葉集では26首が紅(くれない)、1首が末摘花と詠われています。

「  紅の裾引く道を 中に置きて
      我れか通はむ 君が来まさむ 」 
                       巻11-2655 作者未詳

( 紅の裳裾を引いて歩きなれた道。
 こんな道が真中で二人の間を少し隔てているだけなのに、
 ちっとも会えない。
 いっそのこと、私の方からあなたのもとへ行きましょうか。
 それとも、あなた様からお出でくださいますか。)

男から女のもとに通うのが習いの時代。
すぐ近くに住んでいるのに一向に訪れてこない男。

毎日毎日、今か今かと待ち続けるも、とうとう我慢が出来なくなって、
自分の方から押しかけようかと催促しています。
でもこれはルール違反。
ちょっと脅迫めいた詠いぶりです。
そんな女に嫌気がさして男は心変わりしたのかもしれません。

「 紅に 深く染(しみ)にし 心かも
    奈良の都に 年の経(へ)ぬべき 」 
                        巻6-1044  作者未詳

( 紅に色深く染まるように深く馴染んだ気持のままで、私は奈良の都で
   これからの年月を過ごせるのであろうか、)

740年10月の終わり、伊勢に向かった聖武天皇が12月15日に突然
恭仁京遷都を決め、造都を急ぐため5位以上の官吏をすべて新宮に移住させました。

この歌は奈良に残された老人が詠ったものと思われ、荒れるに任せている都の
惨状を眺めながら、華やかだった頃を懐かしみ、これから先、愛情を持ち続けて
住み続けることが出来るだろうかと嘆いています。
老人の瞼には都の建物の赤い柱や行き交う乙女の紅の衣が
目に浮かんでいたのでしょう。

「 黒牛の海 紅にほふ ももしきの
         大宮人し あさりすらしも 」
                   巻7-1218 藤原卿

( 黒牛の海が紅に照り映えている。
 大宮に仕える女官たちが、浜辺で砂(すなど)りしているらしい。)

作者の藤原卿は不比等、武智麻呂、房前、宇合、麻呂のうちの誰か。
房前が有力視されています。

701年持統太政天皇、文武天皇が紀伊の国、牟婁(むろ)の湯に行幸された折の
歌かもしれません。

黒牛は和歌山県海南市黒江、船尾あたり。
黒と紅を対比させたもの。

女官たちが赤い裳裾(ロングスカート)をたくし上げ、白い素足を出しながら
砂浜で浅利などを獲っている。
マリンブルーの美しい海と白い真砂。
明るい笑い声が響きわたり、絵画のような情景です。

「 外(よそ)のみに 見つつ恋ひなむ 紅の
      末摘花(すえつむはな)の 色に出でずとも 」 
                          巻10-1993 作者未詳

( たとえあの方が 色鮮やかな末摘花のようにはっきりと私のことを好きだと
    素振りに見せて下さらなくともいいのです。
    私は遠くからそっとお慕いしているだけで。 )

万葉集唯一の「末摘花」。
この言葉は古今和歌集に本歌取りされ、源氏物語の主要登場人物の名前「末摘花」
として採られ、そして現在に至るまで夏の季語として使い続けられている。
名もない万葉人の恐るべき造語力です。

「 人知れず 思へば苦し くれなゐの
      末摘花の 色に出でなむ 」 
                    よみ人しらず 古今和歌集

( あの人に知られないままに こっそりと想っているので苦しいことです。
  いっそのこと、あの鮮やかな紅の末摘花のように はっきりと態度に
  出してしまおうか。)

前記の万葉歌(10-1993)を本歌取りしたもの。
こちらは秘めたる恋は苦しいので、いっそのこと相手に告白しようか
と詠っています。

「 なつかしき 色ともなしに 何にこの
           末摘花を袖に ふれけむ 」 
                         源氏物語(末摘花)

( それほど心惹かれたわけでもなかったのに
 なぜ末摘花のような赤い鼻の姫と寝てしまったのか。)

美女が多い源氏物語の中で異色の姫君が登場。
この歌の背景をざっと述べると、


「 光源氏は心惹かれていた優しくしとやかな夕顔を失い思い悩んでいる。

  その頃、故常陸宮の姫が父君亡きあと、荒れゆく館に一人寂しく
  暮らしながら、時折琴をかき鳴らして過ごしていることを耳にする。

  源氏は心を動かされて仕えている命婦に、その琴を聞きたいと手引きを頼む。
  ところが、源氏の親友、頭中将(とうのちゅうじょう)もこの姫に
  心をかけていて、二人競り合っていた。

  源氏はしばしば姫のもとに文を送るが、引っ込み思案の姫からは
  何の返事もなし。
  ある夜、源氏は何としても姫の琴を聞きたいと強引に召使に案内させ、
  とうとう姫の部屋に入り込む。

  暗い夜、灯りもなく容姿は分からないが静かで鷹揚、少し頼りなさそうな
  姫様のようだ。

  そのような様子を奥ゆかしく好ましいと思った源氏は後日再度訪問し、
  遂に共に一夜を過ごす。
  しかしながら、その時も部屋は薄暗く顔かたちははっきり分からない。

  そしてある雪の日、偶然にも姫の顔を見た。 」

俵万智さんの表現を借りると (愛する源氏物語 文芸春秋社より)

「 座高が高くて猫背、鼻は象のように長く、その鼻の先が垂れて赤く
  色づいている。
  髪だけは豊かで美しいが、青ざめた肌に、やけに広い額。
  長い顎、骨ばった肩、身に付けているものも、古臭く
  薄汚く、仰々しい。
  気力をふりしぼって話しかけると、儀式を行う役人のような仕草で
  口もとを押さえ、恥ずかしがる。
  その上、無理な笑顔がニターッと・・・。

  原文は、これより詳しく、まったく容赦のない描きぶりで
  同じ女性として、読んでいて辛くなるような場面である。」

それでも光源氏は、この姫をあとあとまで面倒を見たのですから
立派なものです。

「 百姓の 娘顔よし 紅藍(べに)の花 」 高濱虚子

紅花の栽培地は山形県の月山の麓や最上川のほとりがよく知られていますが、
出羽最上が産地として台頭するのは江戸時代からで、
昔は伊勢、武蔵、上総、下総、大和など二十四か国が税として
納めていました。

6月中旬ころ、飛鳥を一望できる甘樫の丘の西側や石舞台古墳の北側の
丘陵地に咲く数千本の紅花群の中に立つと、遥か昔、卑弥呼が中国に
送った紅染めの衣や飛鳥高松塚古墳壁画の女性の赤色鮮やかな唇が
目に浮かび、遥か遠くの夢の世界に誘(いざな)ってくれます。

  「 わが恋は 末摘花の 莟(つぼみ)かな 」 正岡子規



  万葉集691 (末摘花)完


次回の更新は 7月6日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-06-28 17:02 | 植物

万葉集その六百九十 (麦の歌)

( オオムギ  奈良万葉植物園 )
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(  コムギ     同上 )
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(  ライムギ  東京都薬用植物園 )
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(  映画 麦秋ポスター  )
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  万葉集その六百九十 (麦の歌)

麦は古代の主要な穀物のひとつで大別して大麦と小麦に分けられます。
大麦の原種はアフガニスタンから西アジア一帯の山岳地に野生する
二条種、穂に粒が二列に並んでいるものとされ、他に進化した六条種も。

我国には3~4世紀に朝鮮からの移民と共に伝来し、
主に醤油、味噌、麦酒、飴などの原料や家畜の飼料に用いられ、
その後色々な品種改良がなされてきました。

 小麦の主要種であるパンコムギの原産地は、西アジアのカピス海南岸を
中心とする地域とされ、4~5世紀に中国北部から朝鮮を経て北九州に。
主にパン、うどん、麺、菓子の原料として広く用いられています。
 
723年、朝廷は飢饉に備えて麦などの雑穀の栽培を奨励する太政官府を
発布しており、オオムギはそのまま粒食し、コムギは主として粉にして、
餅(団子)や煎餅に加工されたようです。

万葉集では3首、それも恋の歌です。

「 馬柵(うませ)越し 麦食む駒の はつはつに
      新肌(にひはだ)触れし 子ろし愛(かな)しも 」 
                      巻14-3537(或る本)   作者未詳

(  柵ごしに麦を食む馬は柵に妨げられて、ほんの少しづつしか食べられない。
  そのように、俺はあの子の新肌に、ほんの少し触れただけ。
  あぁ、あの子が可愛くて、いとおしくてたまらないよ。)

「馬柵越し」:柵を隔てて麦を食う馬の動作、馬は穂の出る前の青麦を好む。

「はつはつに」:「はつかに」から現在の「僅かに」に変わった言葉。

 かわいいあの子の新肌に、ただ一度ほんの少しだけ触れた。
 恥ずかしがっていたあの姿、思い出すたびに益々可愛くなる。
 あぁ、ほんのちょっとでは満足できない。
 心ゆくまで抱きしめてやりたいよ。

馬の比喩が新鮮。情景が目に浮かぶような1首です。

「 馬柵(うませ)越しに 麦食(は)む 駒の 罵(の)らゆれど
       なほし恋しく 思ひかねつも 」 
                         巻12-3096 作者未詳

( 馬柵越しに麦を食べている馬が怒られているように
私も母親から、あの人に会うなと怒鳴りつけられてしまった。
でも、やっぱり恋しくて恋しくて--。
そう簡単に忘れられないわ。 )

好きな男に こっそり逢っているところを母親に見つかり
「もう逢うな」と怒鳴りつけられた。
でも、私は好きなのよ、忘れるなんて無理、無理 。

前掲載14-3537(男歌)の続きと見ると面白い。(巻は離れているが)

 「 初夏の雲の なかなる山の国
       甲斐の畑に 麦刈る子等よ 」  若山牧水

 「 麦刈りや 娘二人の 女わざ 」  村上鬼城

麦収穫の時期を麦秋といい6月一杯。
そうそう、往年の大女優、原節子主演の「麦秋」という映画もありました。
     ( 1951年 小津安二郎監督 )

この時期は蛍飛ぶ季節。
夜空を美しく彩ります。

 「 夜半の風 麦の穂だちに 音信(おとづれ)て
       蛍とふべく 野はなりにけり 」     香川景樹

近代で麦が食料として大活躍したのは先の大戦後。
米が不足するなか50%麦入りの飯,時には80%の麦飯。
真っ黒な弁当におかずは梅干し1つということもありました。

白米は勿論、麦すら食べられない人はさつま芋汁(すいとん)や、
麦粉を焼いてお湯に溶かした焼きこがし。
この匂いはなかなか芳しく、今でも懐かしく思い出されます。

 「 むせるなと 麦の粉くれぬ 男の童 」 召波

それでも何とか健康を維持出来、パンやミルクの配給が始まると、
食糧事情は徐々に好転、餓死する人は少なかったよう。

今や「麦とろ」や「麦入り、雑穀入り飯」は健康食に。
昭和は遠くなりにけりです。

「 麦飯に 瘦せもせぬなり 古男 」   村上鬼城

高度成長期になると、少年少女たちは
     
「 二人が会うのは麦畑 
  仕事の休みに話します
  空には ま白な雲が行く
  二人は楽しい恋人です 」  (スコットランド民謡)

という歌を学校で習い、中年のおじさんたちは

 「 麦笛や 四十の恋の 合図吹く 」  高濱虚子

のでした。


       万葉集690(麦の歌)完



   次回の更新は6月29日(金)の予定です。

                    
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# by uqrx74fd | 2018-06-21 16:29 | 植物

万葉集その六百八十九 (入梅)

( 傘さす子供   春日大社  奈良 )
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( 卯の花  歌の世界では 「卯の花腐:くた)し」 と詠われる   奈良万葉植物園)
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( フサフジウツギ  ウツギは卯の花の現代名  小石川東大植物園 )
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(  6月に咲いたカワラナデシコ   奈良明日香 ) 
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( 雨の露草  法華寺  奈良 )
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   万葉集その六百八十九 (入梅)

暦の上での入梅は立春から135日目。
梅の実が熟する頃です。
通常6月11,12日あたりから始まる約30日の長雨と予測されていますが、
今年は6月6日に近畿、東海、関東甲信越が梅雨の入り。

「梅の雨」という言葉は室町時代の本に見える(倉嶋 厚:季節しみじみ事典)そうですが、
歌語としてよく使われるようになったのは江戸時代。

   「 降る音や 耳も酸(す)ふなる 梅の雨 」  芭蕉

( 梅雨時の連日の雨音は、いいかげんに聞き飽きて、
  耳も酸っぱくなる感じである。
  「酸っぱいのも道理、梅の雨だもの。」
   という洒落 )

が早い例とされていますが、万葉時代この季節の雨は「卯の花腐(くた)し」と
詠われました。

「 卯の花を腐(くた)す長雨(ながめ)の 水始(みずはな)に
    寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ子もがも」 
                                19―4217 大伴家持

( 卯の花を痛める長雨で水かさが多くなった川、その流れの先に木の屑が
  いっぱい集まっています。
  このような木屑のように私のところに美しい女性が
  集まってくれたらいいのになぁ。)

    水始(みずはな):  「はなみず」とも読み水量の増した流れの先端のこと。
                 ここでの「腐(くた)す」は「腐らす」ではなく「散らす」「だめにする」
                 の意です。

万葉人にとって、この時期の長雨は卯の花だけではなく、
撫子、花橘も散らし、ホトトギスを山にとどめておく恨めしい雨でした。

「 かくばかり 雨の降らくに ほととぎす
      卯の花山に なほか鳴くらむ 」  
                     巻10-1963 作者未詳

( こんなに雨が降っているのに、 ホトトギスは卯の花の咲く山辺で
 今もなお鳴きたてているのであろうか )

「 ホトトギスよ!
お前がいくら卯の花を好むかといっても、こんな雨が降る中、
いつまでも山の中にこもって鳴きたてていなくてもよいだろう。
早く里に下りてきて、ここで鳴いておくれよ 。」

と初音を待ちわびる作者です。

「 見わたせば 向ひの野辺の なでしこの
           散らまく惜しも 雨な降りそね  」
                  巻10-1970 作者未詳

( 見わたすと ま向かいの野辺に美しく咲いている。
  雨よ 降らないでくれ。
  こんな美しい花を散らすのが惜しいんだよ。)

撫子は花期が早く6~7月から咲き出します。
桔梗も然り。
秋の7草が一堂に会することは、もはや無理かもしれません。

「 雨間(あめま)明けて 国見もせむを 故郷の
       花橘は 散りにけむかも 」  
                         巻10-1971  作者未詳

( 雨の晴れ間を待って山野を眺めたいと思っているのに
 故郷の橘の花は 雨に打たれてもう散ってしまったことであろうか )

作者は旅に出て帰郷する途中のようです。
はるか彼方の故郷の方角を眺めながら、「懐かしい花橘よ、散らずに待っていておくれ。」
と願う作者。

「 卯の花腐(くた)し」は平安時代になると「五月雨」(さみだれ)と共に
詠われるようになります。

「 いとどしく 賤(しづ)の庵(いほり)の いぶせきに
       卯の花腐し  五月雨(さみだれ)ぞする 」 
                            藤原 基俊(もととし)

( ただでさえ鬱陶しいわび住いの庵なのに、五月雨が降り続き
  卯も花を傷めつけていることよ 。)

梅雨時の憂鬱を表現するため、花を次第に弱らせていく「卯の花腐し」と
「五月雨」をかさねあわせたもの。

「 五月雨に 物思ひおれば 時鳥
    夜深く鳴きて  何地(いづち)ゆくらむ 」 
                        紀友則 古今和歌集

( 五月雨の季節です。
物思いにふけってじっとしていると、ホトトギスの声が聞こえる。
こんなに夜更けに鳴いていったい何処へいくのであろうか。)

千々に思い乱れている恋する人。
「さ乱れ」と「五月雨(さみだれ)」 を掛けた技巧の歌です。

そして江戸時代にやっと梅雨が登場します。

 「 筍の 合羽(かっぱ)着て出る 入梅(ついり)かな 」 支考

筍(たけのこ)の皮を合羽に見立てた洒落。
この時期は筍がにょきにょきと伸びる季節です。

 「 五月雨を 集めてはやし 最上川 」  芭蕉

梅雨の語源は多湿を意味する「つゆ」とされ、湿っぽく感じますが、
五月雨の語感は強く爽やか。

そして現在。

「梅雨」は主に時候,雨期を、「卯の花腐し」「五月雨」は共に
雨そのものを詠うという繊細な表現がなされています。

以下はそれぞれの使用例です。

「 谷川に 卯の花腐し ほとばしる 」 高濱虚子

「 五月雨(さみだれ)は 今ふりやみて 青草の
      遠(とほ)の大野を 雲歩みゆく 」  太田水穂

「 これよりの 梅雨の憂き日の 一日目 」  稲畑汀子



       万葉集689 (入梅) 完


      次回の更新は6月22日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-06-14 17:50 | 自然