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万葉集その七百三十七 (ホトトギスと初夏の花)

( 古の人はホトトギスの初音を心待ちにしていた )
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( 卯の花は現在「うつぎ」とよばれている )
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( 橘の花の香りは清々しい )
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( 万葉人は風に靡く藤を藤波と詠った )
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万葉集その七百三十七 (ホトトギスと初夏の花)

万葉集で詠われているホトトギスは155首。
雁(66首)、鶯(51首)を大きく上回る圧倒的な多さです。

万葉人は何故この鳥をかくも好んだのでしょうか?
155首の歌を大きく分類してみますと、

◎ 懐古の情をかきたて、いにしへを恋ふる鳥
    中国の伝説、『 蜀の望帝が臣下の妻を奪った罪で国を追放され、
    死後、ホトトギスになって故郷に戻り、「不如帰(ホトトギス)」と啼いた』
    という故事による。

◎ 人を結びつける仲立ち役、恋の使い

◎ 初音を待ち焦がれ、恋人を連想させる鳥

◎ 孤愁を感じさせる鳥 
   自分の卵を他の鳥に育てさせる托卵の習性があり、
   「ホトトギスの子は親もなく一人で生まれて可哀想だ」という
   高橋虫麻呂の歌に由来。

◎ 風雅な鳥
   花鳥風月の名の通り、自然、花との取り合わせ(橘、卯の花、藤、菖蒲など)

と多彩な詠われ方をしています。
今回は風雅な鳥と初夏の花々とのコラボです。

「 五月山(さつきやま)  卯の花月夜(うのはなづくよ) ほととぎす
      聞けども飽かず また鳴かぬかも 」 
                           10-1953 作者未詳

      ( 5月の山に 卯の花が咲いている美しい月の夜
        こんな夜のホトトギスは いくら聞いても聞き飽きることがない。
         もう1度鳴いてくれないものかなぁ。)

「卯の花月夜」、なんという美しい万葉人の素晴らしい造語よ。

数多くの鳥の中で初音という言葉が使用されるのは「鶯」、と「ホトトギス」のみ。
その第一声を待ちわびた古代の人々です。

万葉人も「トッキョ キョキャ キョク」とか「テッペン カケタカ」と
聞きなしたのでしょうか。

「 我がやどの 花橘に ほととぎす
     今こそ鳴かめ 友に逢える時 」 
                   巻8-1481 大伴書持(ふみもち)

      ( 我家の庭の花橘に来て、ホトトギスよ さぁ、今こそ鳴いておくれ。
        大切な友に逢っている時に。)

大伴家持の弟,書持は殊の外、花好きでした。
自邸に「花薫れる庭」と称賛されるほど多くの樹木や草花を多く植えていたらしく、
橘も白い花を咲かせて、心地よい香りを漂わせていたことでしょう。

「 藤波の 散らまく惜しみ ほととぎす
        今城の丘を 鳴きて超ゆなり 」 
                        巻10-1944 作者未詳

       ( 藤の花の 散るのを惜しんで ホトトギスが
         今城の丘を 鳴きながら越えている。 )

  今城の丘: 所在不明とされるが万葉集地名総覧(樋口和也著 近代文芸社)によると
          「欽明記にみえる大和国今来郡(いまきのこほり)で後に高市郡と改称された。
          現、吉野郡大淀町今木は巨勢渓谷に接続する今木谷の地」とされる。

  今城(いまき)に類音「今来る」を掛けたか。

「 ほととぎす 鳴く羽触(はぶ)れにも 散りにけり
         盛り過ぐらし 藤波の花 」 
                            巻19-4193 大伴家持

   ( どうやら藤の盛りは過ぎたらしい。
     ホトトギスが鳴きながら羽ばたいているので、僅かな動きでさえ
     ほろほろと散ってしまいそうだ。)

この歌の前に「ホトトギスが藤の枝に止まり、羽ばたいている」と詠う
長歌がありそれを受けたもの。

家持は大のホトトギス好き、63首も詠っています。
その内容も「初音」「鳴かない鳥の恨み節」「名のる鳥」「網で獲り飼育」
「蝶の幼虫を産み付ける橘を庭に植え、ホトトギスを誘う」「夏到来」
「卯の花、藤、菖蒲(しようぶ)、栴檀、萩」との取り合わせなど実に多彩。
これだけで1冊の本を書けそうな凄さです。

万葉人に詠われたホトトギスは平安時代の古今集、新古今和歌集にも受け継がれ、
四季を代表する詠題となりました。
そして、ホトトギスのことを一通り知らないものは歌人の資格なしとまで
言われるくらい重要な季語になったのです。

余談ながらホトトギスは口の中が赤く、子規とも書きます。
かの正岡子規は肺結核で喀血して以来雅号を「子規」と名付けたとか。

   「 時鳥 時世の一句 なかりしや 」 正岡子規




         万葉集737 (ホトトギスと初夏の花)完


           次回の更新は5月24日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-05-16 14:52 | 動物

万葉集その七百三十六 (燕来りて雁帰る)

( 燕わが家に来たれり )
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( 雛も生まれる )
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( 箱根の燕は青い )
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〈帰る雁   宮城県伊豆沼)
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万葉集その七百三十六 (燕来りて雁帰る)

古代中国では、陰暦3月最初の巳の日は禊(みそぎ)を行う格別の吉日でした。
後に3月3日に固定され、上巳(じょうし)とよばれていましたが、
いつしか美しい庭園の清冽な流れに盃を浮かべて詩歌を詠う行事、
曲水の宴に変わっていったそうです。

元正、聖武天皇の時代、この雅やかな行事が渡来して王侯貴族の屋敷に
流水の庭園が造られ盛んに詩歌が詠われましたが、中でも漢詩が好まれ、
我国最初の漢詩集「懐風藻」が編まれたのも この時期でした。

都から遠く離れた越中在任の粋人、大伴池主も漢詩に興じ、
川の流れに舟を浮かべて「柳桃」の詩を詠み、心の友、大伴家持に送りました。
しかしながら家持は長患いに罹っていたので病床から、
「宴に参上できないのはくれぐれも残念だった」と返しています。

 次の文は池主の漢詩を訳したものです。(漢文は省略)

「 晩春のうららかな日ざしは賛美の甲斐あり、
  上巳の爽やかな風景は遊覧に値する、
  柳の路は川に沿って、人々の晴着の色をさまざまに染め、
  桃の花咲く里は、流れが海に通じていて、そこに舟を浮かべる、
  雲雷模様の酒壺に桂の香を酌み入れて清酒(すみざけ)を満々、
  鳥の型をした盃は 詩詠をうながし 曲がりくねる水面はよどみなく流れる、
  欲しいままに酔い、陶然となって彼我を忘れ
  酩酊して所かまわず 座り込むばかり 」
  
対する家持の漢詩返歌訳文です。(同)

「 晩春の暖かい日ざしの中 佳景はことのほかうららか、
  上巳の穏やかな風は 頬をかすめて吹くともなしに吹く、
  訪れる燕は泥を含み 我が家を祝福して翔(かけ)り入り
  帰りゆく雁は 葦をくわえて遠く沖に飛び去る
  聞けば君は友と詩歌を詠じて 今年もまた曲水を祝い
  上巳の酒宴に盃を勧めて 清流に浮かべられたと
  我もまた佳宴に列なりたいと思いつつ
  病苦いまだ抜けやらず脚下よろめくことを覚ゆ 」

この家持の漢詩の中の「訪れる燕 帰りゆく雁」(来燕帰雁)から
万葉集唯一の燕の歌が生まれました。

「 燕来る 時になりぬと 雁がねは
       国偲(しの)ひつつ 雲隠り鳴く 」 
                       巻19―4144 大伴家持

( 燕がやって来て雁さんそろそろ交代の時期ですよ告げています。
 一方、雁は、雲から出たり隠れたりして鳴きわたりながら
北へ向かって飛んでいきました。
 きっと遠くの故郷を思いながら飛んでいるのでしょうね )

家持が越中に着任して早や5年。
「国偲ひつつ」には妻が待つ奈良の都への望郷の念が滲み出ています。

万葉での雁は63首。ほとんどが来る雁を詠い、帰雁は僅か3首(うち家持2首)。
平安時代になると帰雁が主流になるのでその先駆をなすものです。

 「 この鳥の ゆききするとは おもはねど
         燕の飛べば  都おもほゆ 」  岡 麓

燕は3月から5月にかけて台湾、フイリピンから3~4000㎞、
インドネシァ西ジャワから6700㎞という信じられない長い距離を渡って来て
前年と同じ場所に巣を作ります。

然しながら都市化によるコンクリートの舗装で巣を作る泥がなくなり、
また餌にする虫が農薬の影響で減少し、めっきり少なくなったのは残念なことです。

燕は古くから多くの人々に愛され大切に保護されてきました。
何故ならば燕は農作業が始まる頃、害虫である虻、蚊、蝿、ヨコバイ、トビゲラ等を
食べてくれ人間にとって有難い益鳥であるとともに、夫婦仲が良いことや子供を
大切にするところから「燕が巣を作るとその家は繁盛する」という俗信があり
人々はその来訪を心から歓迎したのです。


なお、「つばめ」の語源は「つちばみ」(土食)が訛ったものとする説、
「つばくらめ」(つば:光沢 くら:黒、め:鳥)が訛ったもの。(新井白石)
などあり新井説の支持が多いようです。

また、「燕」という文字の文献での初出は日本書紀が早く、
667年山城国葛野郡(かどのぐん)が「白燕を奉る」、
689年持統天皇が「讃岐国三木郡(こおり)で捕えた白燕は放し飼いにせよ」と
詔されたと伝えられています。
白燕は瑞祥とされたのでしょう。

「 大和路の 宮もわら屋も 燕かな 」 正岡子規

最後に島崎藤村の懐かしい童話「燕の来る頃」からです。

「 沢山な燕が父さんの村へも飛んできました。
一羽、二羽,三羽、四羽、― とても勘定することの出来ない何十羽といふ
燕が村に着いたばかりの時には、直ぐに人家へ舞ひ降りようとはしません。
離れそうで離れない燕の群は、細長い形になったり、円い輪の形になったりして
村の高いところを揃って舞っています。
そのうち一羽空から舞ひ降りたかと思ふと、何十羽という燕が一時(いちどき)に
村へ降りてきます。
そして互いに嬉しそうな声で鳴き合って,旧い馴染みの軒端を尋ね顔に、
思ひ思ひに分かれて飛んで行きます。
父さんの家に、隣の大国屋へ、一軒おいた八幡屋へ- 」
                         ( 1920年刊 ふるさと所収)

「 詩をつくる 友一人来て 青柳(あをやぎ)に
             燕飛ぶ絵を かきていにけり 」   正岡子規


万葉集736(燕来りて雁帰る)完


次回の更新は5月17日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-05-09 11:31 | 動物

万葉集その七百三十五 (端午の節句)

( 青空に翻る鯉のぼり   古河 )
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( 鯉のぼりと桃の花 )
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( 菖蒲:しょうぶ と大きな筆先のような花  神代水生植物園 ) 
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( よもぎ餅つき  奈良三条通り 猿沢池の近く )
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万葉集その七百三十五 (端午の節句)
 
5月5日は「端午の節句」、別名「菖蒲(しょうぶ)の節句」ともいわれます。
では「端午」(たんご)とはどういう意味なのでしょうか?

「端」とは端緒という言葉があるように「はじめ」。
「午(ご)は午日」で「うまの日」。
つまり「端午」は「月の最初の牛(うま)日」のことで本来は5月5日に
限りませんでした。

しかしながら「午」(ご)と「五」は「重五」(55)という言葉があるように、
中国では漢時代から「端午の日」は「5月5日」に固定され、
この日に薬草を摘み、菖蒲や蘭(香草の一種)を入れた湯で沐浴し、
菖蒲酒を飲むなど、病気、厄災を祓う行事が行われていました。

我国にも早くからこの習慣が伝わり、推古天皇の611年5月5日に
菟田野(うだの:奈良県宇陀郡)で薬狩が行われたとの記録(日本書紀)が
あるように宮廷行事に採り入れられ、天武朝以降、定期的なものになります。

次の歌は「薬狩」後の宴での有名な一首です。

「 あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 
      野守は見ずや 君が袖振る 」 
                    巻1-20  額田王

       薬狩:薬草を摘んだり、鹿の若角(鹿茸:ろくじょう)を採る行事。
           標野:  天皇家の薬園や狩場等立ち入り禁止地区

   「 手折るもの 根ごと引くもの 薬がり」  椋(むく) 砂東

端午の節句に欠かせない菖蒲は「サトイモ科」の多年草。
    初夏に黄緑色の筆先のような花を咲かせますが、
    花菖蒲(はなしょうぶ:あやめ)とは全く別種の植物です。

    香りが高いので邪気を払い、病疫を除くと言い伝えられ、
    軒に葺き、頭に挿ざし、菖蒲湯をたて、浴後は菖蒲酒で一献となります。

    古代「あやめぐさ」とよばれた菖蒲は万葉集で12首詠われていますが
    ホトトギスや花橘と共に登場しています。

「 春過ぎて 夏来向かえば 
  あしひきの 山呼び響(とよ)め
  さ夜中に 鳴くほととぎす

  初声を 聞けば なつかし あやめぐさ
  花橘を 貫き交え かづらくまでに 里響(とよ)め
  鳴き渡れども なほし 偲(しの)はゆ 」 

                        巻19-4180  大伴家持
( 春が過ぎて 夏がやってくると
      あしひきの 山を響かせて 真夜中に鳴くほととぎす
      その初声を聞くと やたらに心が浮かれる

      ほととぎすは、菖蒲や花橘を混ぜて糸に通し
      鬘(かづら)にして遊ぶ五月まで
      里中を響かせて鳴き渡るけれど
      それでも飽きることなく 心が浮き浮きします。)

  越中在住の作者が歌の友 越前判官 大伴池主に送った長歌で
  ほととぎすにことよせて旧懐の念を詠ったもの。

          「あしひきの」: 山の枕詞 山の足(裾野)を長く引く あるいは
                           足を引きずりながら登る
                           の意で山に掛かるとされる説もあるが未詳
          「なほし」: なほ:ますます 
                  し:強調

           「花橘を 貫き交え かづらく」:
                               その日は 端午の節句、5月5日。
                               菖蒲、花橘を糸に通し髪飾り(鬘:かづら)にの意。
 
 「 長命縷(ちょうめいる) かけてながるる 月日かな 」   清原枴童(かいどう)


  「菖蒲と橘の花」あるいは「菖蒲と蓬:よもぎ」を束ねて
  5色の糸に垂らした厄除けのお守りを長命縷(ちょうめいる)といいます。

  また、麝香(じゃこう)や沈香、丁子などを玉に入れて造花で飾り、
  五色の糸に通して作る「続命縷(しょくめいる)」という高級なものも
  上流階級では作られていました。

  最後に「節句」の意味です。
  「節句」の「節」は「節目」(ふしめ)、神が訪れる大切な日。
  「句」は「供」で奉げる供物。

  つまり節句とは元々「神が訪れる大切な節目の日」に「奉げる供物」の
  ことでした。

  薬狩りの時期は「田植え月」とも重なります。
  人々は田畑を荒らす獣の代表である鹿を狩り、五穀豊穣を祈るため
  精進潔斎して供物を供え,田の神様をお待ちする。
  そして、その日は働きずめの女性をねぎらうための安息日でもありました。

  その田植神事と薬狩り、さらに中国伝来の菖蒲を屋根にかけ、粽を食べ、
  蓬人形を作るというしきたりが合体し民間に浸透してゆきます。

  さらに、朝廷では元正太上天皇が「菖蒲の蔓をつけて」不浄を祓い、
  健康を祈るよう詔され、五穀豊穣を祈る田舞いや、走り馬(天皇に献じられた馬を走らせる)、 
  騎射(うまゆみ:馬上から弓矢を射る)が盛んに行われます。

  鎌倉時代になると、菖蒲が尚武に通じるという縁起のため武士の間でも
  流鏑馬(やぶさめ)、菖蒲打ちなど男子中心の勇ましい行事が盛況。
  菖蒲打ちとは菖蒲の葉を編んで棒状にして互いに地面を叩き、
  早く切れた方が負けという子供の遊びです。

  室町時代には兜人形が作られ、江戸時代は男子の健康と出世を祈って
  鯉幟を立てる。

  このようにして古くから積み重ねられてきた風習が継承され
  現在に至っているのです。

 端午の節句の日、奈良の春日大社で「菖蒲祭り」が行われます。
 神前に粽(ちまき)を供え、菖蒲と蓬の小束を献じ、祭祀が行われたあと
 境内にある菖蒲と蓬の小束を残らず社殿の屋根に放り上げ邪気を払う
 という珍しい行事。
 各地の個人の家でもこのような風習が今なお多く見られます。

 5月5日は「子どもの日」。
 昭和23年7月20日発布された祝日法によると
 「 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、
   母に感謝する日」 
  とあります。

 「母に感謝する日」は古代5月5日が女性の安息日だった事にも
  由来するのでしょうか。

  なお、5月の第2日曜は母の日とされていますが、これはアメリカから
  持ち込まれた習慣で法的根拠は全くないものです。


「 いらかの波と 雲の波
   重なる波の 中空を
   たちばな かおる 朝風に
   高く泳ぐや 鯉のぼり

  百瀬の滝を 登りなば
   たちまち龍に なりぬべき
   わが身に似よや 男子(をのこご)と
   空におどるや 鯉のぼり 」

                 「鯉のぼり」 (作者作曲不詳 )


   万葉集735 (端午の節句)完


   次回の更新は5月10日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-05-01 16:01 | 生活

万葉集その七百三十四 (奉祝)

( 天平祭  平城京跡 奈良 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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万葉集その七百三十四 (奉祝)

平成時代も残すところわずか、新しい御代が始まろうとしています。

万葉集には皇位が長く継承されていることを寿ぐ歌が随処に見られますが、
次の歌は孝謙天皇の時代、大伴家持が新年の宴に備えて準備したもので、
歌での「わが大君」は天武以来受け継がれてきた歴代の天皇を象徴しており、
皇統が末永く続くように祈念し、群臣共々声を上げて祝う様子が詠われています。

私たちもこの歌のように、声高らかにお祝いさせて戴きましょう。

まずは訳文から: 括弧内は枕詞:個別解釈ご参照

「 山のあちこちの峰に生い茂る
  栂の木の名のように つぎからつぎへと

  栄え立つ松の根の 絶えることが無いように
  
(あおによし) ここ奈良の都で 

いついつまでも 安らかに国を治めようと
(やすみしし)  わが大君が 
神のみ心のままに  おぼしめされて

豊の宴(あかり)をなさる今日この日は
もろもろの官人(つかさひと)たちが
御苑(みその)の築山に 赤く輝く橘 その橘を髪飾りに挿し
衣の紐を解いてくつろぎ 

千年万歳を寿いで一斉に祝いの声をあげ  
笑みこぼれてお仕え申し上げているさまを見ると 
まことにただ貴く嬉しい極みでございます。  」 

            巻19-4266 大伴家持

 
次は訓み下し文です。

「 あしひきの 八つ峰(を)の上の 
     栂(つが)の木の いや継ぎ継ぎに 
     松が根の  絶ゆることなく 

     あおによし  奈良の都に 
     万代(よろづよ)に   国知らさむと 
     やすみしし  我が大君の 

     神(かむ)ながら   思ほしめして 
     豊の宴(あかり)   見す今日の日は
 
     もののふの 八十伴の男(やそとものを)の
     島山に 赤る橘  うずに挿し

     紐解き 放(さ)けて  千年(ちとせ)寿(ほ)き
     寿き響(とよ)もし  ゑらゑらに

     仕へまつるを 見るが貴(たふと)さ 」  

                           巻19-4266 大伴家持
  

一行づつ訓み解いてまいりましょう。

 「 あしひきの 八つ峰(を)の上の 」


      あちらこちらの峰の上の

           あしひきの:峰、山の枕詞 
                 掛かり方、語義未詳とされるも
                 山の足(裾野を長く引く)、あるいは
                 足を引きずりなが登る(足引きの) など諸説あり。
 
      八つ峰: あちらこちらの峰
 

「 栂(つが)の木のいや継ぎ継ぎに 」

       つがという名前のように継ぎ継ぎと

           栂の木 :同音の「継ぎ継ぎ」を導く 

「 松が根の  絶ゆることなく 」

       松の根が絶えることがないように
   
「 あおによし  奈良の都に 」
     
        奈良の都で

          あおによし:奈良の枕詞 青丹は彩色に用いる青土

「 万代(よろづよ)に   国知らさむと 」

        万代まで 国を治めようと

「やすみしし  我が大君の」
        
        国の隅々まで 安らかにと我が大君が

          やすみしし:「大君」の枕詞 八隅しし:国の隅々まで


 
「神(かむ)ながら   思ほしめして 」

        神意のままにと  おぼされて

「豊の宴(あかり)   見す今日の日は 」

       豊の宴(あかり)を お催しになる今日は
       
              豊:豊かに盛んなる宴。
              宴(あかり)は御神酒によって顔が赤くなること
              現在、皇居の豊明殿にその名が残る


「もののふの 八十伴の男(やそとものを)の 」

      文武百官が勢ぞろいして
     
            もののふ(大夫):八十にかかる枕詞 
                      大夫はもと氏族のこと。
                      氏が多かったので八十に掛かる
            八十(やそ):  多くの

「 島山に 赤る橘  うずに挿し 」

       庭園に美しく実った橘を冠の翳(かざし)に挿して

            うずに挿し:髪飾りとして花や実を髪に挿して

「紐解き 放(さ)けて  千年(ちとせ)寿(ほ)き」

        着物の結び紐を解き放ってくつろぎ 千年万歳を寿ぎ

「寿き響(とよ)もし  ゑらゑらに 」

      祝福の声が響きわたり

            ゑらゑらに: 大声で楽しむさま 笑みこぼれて

「仕へまつるを 見るが貴(たふと)さ 」  
                                   巻19-4266 大伴家持
        お仕え申し上げているさまを 見るにつけても
        ただただ、貴いことです。


「天皇(すめろき)の  御代万代(みよよろづよ)に
     かくしこそ  見し明らめめ 立つ年のはに 」
                19-4267 大伴家持


( 天皇の御代万代(みよ よろずよ) そのままに いつまでも
  このように豊の宴を催して、お心をお晴らしになられますよう。
  新しく立つ年毎に。)

明治、大正、昭和の前半は戦争の時代。
いまだにその傷が完全に癒えたとは言えません。
しかしながら、平成はその名のごとく一度も戦いがなく、
平和のまま「令和」にバトンタッチされようとしています。

来る新時代が希望と繁栄に満ちた良き御代でありますように。

  「 吉日の つづいて嬉し 初暦 」  村上鬼城


         万葉集734 (奉祝)完

     次回の更新は5月3日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-04-25 11:06 | 生活

万葉集その七百三十三 (吉野賛歌)

( 蜻蛉の滝:せいれいのたき  奈良県吉野郡  N.Fさん提供 )
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( 奥千本  吉野 )
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( 宮滝   同上  この近くで吉野離宮が営まれた )
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( 象山:きさやま  象の形に見えるのでその名がある  )
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(鳥の声 川崎春彦 
   み吉野の 象山の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだも騒く 鳥の声かも  山辺赤人)
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(  奥千本より金峯山寺を臨む  )
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万葉集その七百三十三 (吉野賛歌)

   「 吉野山 下千本の 花がすみ 」  小林あや子

万葉集で「吉野」という地名がみえるのが70余首。
他の地を圧倒する多さ、しかも自然の美しさを讃えると共に
天皇の治世を寿ぐ歌ばかりです。
なぜ吉野は、かくも賛美されたのか?

天智天皇の末期、病重き天皇から譲位を打診された大海人皇子(のち天武)は
兄の言葉の裏に殺意を感じ、にわかに剃髪して僧となり、
妃、鵜野讃良(うののさらら:のち持統)を伴い近江を離れ吉野に隠棲。
そして、忍従苦節9か月の後、壬申の乱に勝利して天皇に即位しました。

以来、吉野は天武朝発祥の聖地と位置づけられ、飛鳥に都が置かれると
吉野川のほとり宮滝付近に離宮が営まれて、歴代天皇の行幸42回、
なかでも持統女帝は32回も訪れたのです。(女帝前後を含めると34回)

吉野は水が豊富に湧き出るほか、水銀、金銀を産する鉱山があり、
歴代天皇は水の神に五穀豊穣を祈り、かたわら鉱物発掘作業督励し、
さらに創建時代の精神に戻って良き国造りへの決意を新たにしたものと
思われます。
 
多くの官人や女性を従えた天皇の行幸。
数百人の人たちが、山々に囲まれた川のほとりの神仙境で賑やかな酒宴を催し、
美しい吉野と良き治世を讃えました。

次の長歌と短歌2首は、725年5月 (神亀2年)、聖武天皇行幸の折のもの。
2首の短歌はあまりにも有名すぎて、長歌が置き去りにされがちですが、
長短歌を同時に鑑賞することにより、作者の意図が鮮明になり、
歌も味わい深いものとなりましょう。

まずは訳文から

「 あまねく天下を支配される われらの大君が 
  高々とお造りになった吉野の宮
  この宮は 幾重にも重なる青い垣のような山々に囲まれ 
  川の流れの清らかな河内である
  春には 山に花が枝もたわわに咲き乱れ      
  秋ともなれば 川面一面に霧が立ち渡る
        
  その山が幾重にも重なるように 幾たびも   
  その川が絶えぬと同様、絶えることなく 
        
  大君に仕える大宮びとは いつの世にも 変わることなく
  ここ吉野に通うことでありましょう 」
                                  巻6-923 山部赤人

「訓み下し文」

「 やすみしし 我(わ)ご大君の 」 

          やすみしし: 「我ご(が)大君」の枕詞、
                 安らかに天下をお治めになる、あるいは八隅をくまなく治めるの意

          我ご大君:  聖武のみならず歴代の天皇

  「高知らす 吉野の宮は 」

          高知らす : 高々とお造りになった

 「 たたなづく 青垣隠(ごも)り 」

         たたなづく: 山がひしめき合って幾重にも重なる

         青垣隠り:青い垣根のように山々に囲まれ

 「 川なみの  清き河内(かふち)ぞ 」

         川なみ: 川の流れているさま

             河内: 川を中心とする山に囲まれた一帯の地

 「 春へは 花咲きををり 」
       
             花咲き ををり: 枝がたわむほどに花が咲き

 「 秋されば  霧立ちわたる 」

 
    「 その山は いやしくしくに 」

          いや しくしくに: しきりに重なる

  「 この川の 絶ゆることなく 」

   「ももしきの 大宮人は  常に通はむ  」

         ももしきの: 大宮人の枕詞 
                 多くの石や木で造られた宮の意

                             巻6-923 山部赤人

さて、この長歌は

「 やすみしし 我(わ)ご大君の 高知らす 吉野の宮は」の導入部のあと、
  交互に「山、川」を対比させ、
「ももしきの 大宮人は  常に通はむ 」 で結句。

一糸も乱れぬ構成で短歌に続きます。

長歌は四季を通じての山川の美しさを、短歌は朝の象山、夜の吉野川を
対比させています。

「 み吉野の 象山の際(ま)の 木末(こぬれ)には
    ここだも騒く  鳥の声かも 」 
                         巻6-924  山部赤人    

( み吉野の 象山の谷あいの梢で 
  こんなにもたくさんの鳥が 鳴き騒いでいる )


「み吉野」と大きく詠いだし、ついで「象山の際」にと場所を特定し、
「木末:こぬれ」と視覚上に焦点を絞り、ここで、にわかに
「聴覚」の世界に転じ、鳴き騒ぐ鳥の声に耳をすまして緊張を持続している。

「自然詠の絶唱としてたたえられるのに値する」(犬養孝)名歌です。

象山(きさやま)は奈良県吉野町宮滝の南正面にあり、
稜線が象の形に見えるところからその名があります。

「きさ」とはは象の古名で象牙の横断面に橒(キサ)すなわち木目に似た
文様が見えることに由来するそうです。
象の渡来は江戸時代とされていますが、万葉人は正倉院御物に描かれた絵や
象にまたがる普賢菩薩像を見てその姿形を知っていたのでしょう。

「 ぬばたまの  夜の更けゆけば  久木(ひさぎ)生ふる
        清き川原(かはら)に  千鳥しば鳴く 」 
                             巻6-925 山部赤人

( 夜が更けてゆくにつれて 久木の生い茂る清らかなこの河原で
     千鳥が鳴きたてている )  
    
「久木」は千鳥が寝ぐらとして好む「アカメガシワ」(落葉高木)。

深々(しんしん)と更けゆく夜。
静寂(しじま)の間から鳥の声が聞こえてくる。
耳をすますと玲瓏と響く川の音と千鳥の澄んだ声。

瞑想することしばし。

昼間に見た清々しい川原と緑鮮やかな木々。
そして飛び交う様々な鳥たちの姿が目に浮かぶ。
それはあたかも眼前でその情景を見ているようだ。

やがて口元から朗々とした調べが。
「 ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる - -」
かくして1300年後に絶賛される名歌が誕生しました。
それは、心の集中から生まれた鮮やかな写生とも言える静寂の極致です。

間もなく平成時代の終わり、この賛歌の吉野を我が美しい日本、
そして脈々と続く皇位継承を寿ぐ歌と読み替えることも出来ましょう。

最後に
「山村暮鳥 日本」 から。

「 日本、うつくしい国だ
  葦(あし)の葉っぱの
  朝露が ぽたりと
  落ちて こぼれて ひとしづく
  それが
  この国となったのだ とも言ひたいやうな日本

  大海(たいかい)のうへに浮いてゐる
  かあいらしい日本
  うつくしい日本
  小さな国だ
  小さいけれど
  その強さは
  鋼鉄(はがね)のやうな精神である
  - -

  静かな国 日本
  小さな国 日本
  つよくあれ
  すこやかであれ
  奢(おご)るな
  日本よ、真実であれ
  馬鹿にされるな    」 
                      
   



           万葉集733(吉野賛歌)完

  

        次回の更新は4月26日(金)の予定です。

# by uqrx74fd | 2019-04-18 16:49 | 万葉の旅