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カテゴリ:自然( 111 )

万葉集その七百五十一 (潮の歌)

( 瀬戸内海の夜明け )
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( 稚内から利尻富士をのぞむ )
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( 城ケ島 )
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( 安房鴨川 )
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  万葉集その七百五十一 (潮の歌)

海の高さは1日2回、ゆるやかに高くなったり低くなったり、
規則的に変わります。
いわゆる潮の満ち引きで、主に月の引力と地球の自転の遠心力によっておき、
さらに太陽の引力も加わるという天の摂理の妙。

月は地球のまわりを24時間50分かけてまわっていますが、
海面はこの動きに合わせて12時間25分で満潮から満潮へ、
干潮から干潮へと高さが変わるのです。
 
万葉人は月の引力など知るべくもありませんでしたが、
1日2度の満ち引きや満月の時の大潮を十分理解し、舟を操っていました。
有名な額田王の

「 熟田津に 船乗りせむと 月待てば
      潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 」 巻1-8 
は好例です

万葉集に登場する潮の歌は74首。
今回はその中から満潮,干潮、潮騒、渦潮を選んでみました。

「 安胡(あご)の浦に 船乗りすらむ 娘子(をとめ)らが
        赤裳の裾に 潮満つらむか 」 
                     巻15-3610 作者未詳

( 安胡の浦で舟遊びをしている乙女たちの赤い裳の裾、
 その裳裾は、潮が満ちて濡れているであろうか )

安胡の浦:三重県志摩郡阿児町か

航海の途中で乙女たちが舟遊びをしているのが見えた。
「満ちてくる潮が乙女たちの赤い裳裾を濡らしているのではないか。」と
気遣いながら
「かって都から伊勢に旅した時も、美しい女官が磯で赤裳から素肌を出し、
波に濡れながらキヤッキヤッと騒いでいたなぁ。」
と回想している作者です。

なぜ、伊勢を思い出しているのが分かるのでしょうか?
実はこの歌は柿本人麻呂作

「 鳴呼見(あみ)の浦に 船乗りすらむ をとめらが
                 玉藻の裾に 潮満つらむか 」 1-40

の一部を変えて詠ったものなのです。
都の思い出と今見る光景が二重写しになったのでしょう。

当時、旅の途中で古歌を披露したり、一部を詠み変えたりするのが
習いでした。

「 由良の崎 潮干にけらし 白神の
         磯の浦みを あへて漕ぐなり 」 
                   巻9-1671 作者未詳

( 由良の崎は 潮が引いたらしい。
 舟が白神の岩礁のあたりを、難儀しながら漕いでいるようだ。)

701年、文武天皇と持統上皇が紀伊の国牟婁(むろ)の湯に行幸された折に
詠われた13首の中の1.

由良の崎は和歌山県日高郡由良町、白神は場所未詳なるも白浜の近くと
思われます。

我国では太平洋側の満潮と干潮の差は1,5M、日本海側は40㎝位だそうです。
アジアで大きいのは韓国の仁川の10M、うっかり満潮の時に停泊し、
気がついた水か引いて座礁したような状態になることもあったことでしょう。
特に満月の大潮の時は要注意でした。

「 牛窓の 波の潮騒 島響(とよ)み
         寄そりし君に 逢はずかもあらむ 」 
                   巻11-2731 作者未詳

( 牛窓の潮鳴りが島中になり響くように
 私があの方にいい寄せられたという噂が広がってしまった。
 これからあの方とずっと逢うことが出来ないのだろうか。)


「恋は秘密に」というのが当時の決め事、噂が大きくなりすぎて
あの方はもういらしてくれないのではないかと悩む乙女です。

「潮騒」は万葉人の美しい造語。
「波の鼓」という優雅な言葉もあります。

三島由紀夫の名著「潮騒」は柿本人麻呂が詠った伊勢の神島が
舞台になっています。

「 潮騒(しほさい)に 伊良虞(いらご)の 島辺(しまへ) 漕ぐ舟に
     妹乗るらむか 荒き島廻(しまみ)を 」 
                           巻1-42 柿本人麻呂

( さわさわと波が騒いでいる中 あの娘は今頃伊良虞の島あたりを
 廻っている舟に乗っている頃だろうか。 
 あのあたりは風波の荒れるところだが )

伊良虞:渥美半島先端の伊良湖岬(愛知県)と神島(鳥羽市)の二説あるが
神島が有力。

691年持統天皇伊勢行幸の折、都に留まっていた人麻呂は
かって訪れた志摩の海と潮の音を思い描きながら愛しい人への
慕情に思いを募らせたもの。
その愛しい人とは天皇に従った宮廷の女性だったようです。

小説「潮騒」はさらに 少年少女の純愛を題材にしたギリシャの古典文学
「ダフニスとクロエ」 (ロンゴス作) を下敷きにしているといわれ、
三島は東西古典文学の壮大な融合を試みたのでしょうか。

余談ながら 「ダフニスとクロエ」はラベル作曲のバレー音楽になり
世界中で演奏中、また小説「潮騒」も4度映画化されるなど
一世を風靡しました。
「久保明 青山京子」「浜田光夫 吉永小百合」「鶴見辰吾 堀ちえみ」
「三浦友和 山口百恵」主演映画、懐かしいですなぁ。

「 これやこの 名に負ふ鳴門の 渦潮に
          玉藻刈るとふ 海人娘子(あまをとめ)ども 」 
                     巻15-3638 田辺秋庭

( これは まぁ、名にし負う鳴門の渦潮か。
  そんなところで玉藻を刈っている海女さんがいるとは
  たまげたなぁ。)

736年 新羅に派遣された使人が鳴門を通過した時の歌。
作者は外交関係にかかわる家系で渡来人のようです。

名だたる鳴門の渦潮をものともせず、巧みに舟を繰り、海藻を刈る
海女への驚嘆と賛辞。
 「これやこの」は憧れていたものを初めて眼前にした時の
感動を表す慣用句です。

もっとも、渦巻く潮の中で海藻を採ることなど出来ませんから
遠く離れていた海女と渦潮を二重写しにして大げさに詠ったのでしょう。

陰暦8月15日の大潮を、仲秋の名月(望月)にからめて望の潮、あるいは
葉月(8月)潮ともいいます。
満月と新月の夜は大潮、その時に吹く風を時津風。

月の光が映った波を金波 銀色に輝く波は銀波。
太陽のそれは黄金波。

この世のものとは思われない美しい光景です。

 「 月はまん丸 金波や銀波
      やっさ踊りに 夜が更ける 」   ( 広島 三原やっさ節 )


           万葉集751(潮の歌)完


         次回の更新は8月30日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-08-22 08:08 | 自然

万葉集その七百四十九 (海の歌)

( 白砂青松の海 天橋立 )
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( 葉山 富士山が美しい )
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( 江の島  広い海と空 )
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( 松山 万葉人もこのような景色を眺めながら旅をした )
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( 能登 大伴家持も訪れた )
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( ハワイ 海の色が美しい )
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   万葉集その七百四十九(海の歌)

大和は海が無い国。
にもかかわらず万葉集に登場する海や潮、波は約300首余。
一体彼らはどこで詠ったのでしょうか?

難波宮が営まれていたことから住吉、難波潟。
数回の天皇の紀伊行幸、遣唐使、遣新羅使の渡航、
防人が大宰府をめざして通過した瀬戸内海、
多くの官人の各地赴任先での歌等々。
意外と多くの場所で詠われているのです。

初めて海を目の前にした感激は如何ばかりであったことでしょう。
彼等は白砂青松を讃え、暴風雨に見舞われて神の仕業かと恐れ、
余りの長旅に望郷の念を禁じえなかったり。

その中から各地の海の美しさを讃えたもの、長旅を無事終えた歌を
ピックアップしてみました。

「 住吉(すみのえ)の 沖つ白波 風吹けば
      来寄する浜を 見れば清(きよ)しも 」  
                           巻7-1158 作者未詳

( 住吉の沖の白波、風が吹き出すとその白波が打ち寄せてくる浜は
 見れば見るほど清らかだ。)

住吉は古くは「すみのえ」とよばれ、現在の大阪市住吉区一帯。
当時、海が内陸の住吉神社あたりまで入りこみ、海岸線に沿って
白砂青松がうち続く景勝の地であったようです。

沖で鯨が見られ、浜では蜆(しじみ)、高台では染料となる黄土が
豊富であったことも伝えられています。

近くに難波宮、住吉大社、また遣唐使、遣隋使、防人の出発点として
栄えた難波津(港)を控えていたため殷賑をきわめ、当然のことながら
美しい女性が待つ歓楽街も多く、都の官人たちはこの地を
訪れることを心待ちにしていたことが多くの歌から窺われます。

「 難波潟 潮干(しほひ)に立ちて 見わたせば
       淡路の島に 鶴(たづ)渡る見ゆ 」 
                        巻7-1160 作者未詳

( 難波潟 この潮が引いた千潟に立って見渡すと
 淡路の島の彼方に向かって鶴が鳴き渡ってゆくよ 。)

淡路島は難波港のすぐ先、目の前です。
瀬戸内海を渡り、美しい島々を眺めながら、鶴が飛んでゆく光景に
見惚れている作者が目に浮かぶよう。

当時の難波は葦が多く生え、鶴の生息地としても知られていました。

「 若狭にある 三方(みかた)の海の 浜清み
       い行(ゆ)き帰らひ 見れど飽かぬかも 」 
                          巻7-1177 作者未詳

( 若狭の国にある三方の海の浜が清らかなので
 行きつ戻りつしながら、見ても見ても飽きることがありません。)

若狭は奈良との関係が深く「海のある奈良」とよばれています。
すなわち、お水取りと東大寺の縁、聖徳太子の勅願寺、行基創建の寺、
孝謙天皇勅願寺、白鳳期の仏像のほか多くの御仏。
さながら奈良を歩いているよう。
そして山の上から俯瞰すると日本海。

京都、奈良の人との行き来も多かったことでしょう。

三方海:福井県三方郡の三方湖とされているが汽水湖で
昔は海とつながっており美浜とよばれる海岸線とする説もある。

「 能登の海に 釣りする海人の 漁(いざ)り火の
        光にい行く 月待ちがてり 」
                    巻12-3169 作者未詳

( 能登の海で夜釣りしている海人の漁火
 その光をたよりにして私は旅をしてゆきます。
 月の出を待ちながら 。)

漁火はイカ釣りのものか。
漆黒の闇の先にチラチラと灯りが見える。
やがて月が出て、海面を美しく照らすことでしょう。
美しい光景を想像させる一首です。

  「い行く」:「い」は強意の接頭語
  「月待ちがてり」:「がてり」は 「~をしながら」

当時の能登半島は越中の国に属し、大和から山背(山城)、琵琶湖上水路を経て
朝鮮半島に至る交通の要衝地であり新羅からの渡来人もかなり移り住んで
いたようです。

748年、越中国司大伴家持は支配地の実情調査の為、高岡の国庁を出発し
1か月をかけて約300㎞に及ぶ巡行の旅に出掛けたという記録も残ります。

「 家島は 名にこそありけれ 海原(うなはら)を
            我(あ)が恋ひ来つる  妹もあらなくに 」
                巻15-3718 遣新羅使人

( 家島とは名ばかり。
    遥かな海原を渡り、ようやく帰り着いたのに
    恋焦がれている人がいないのに家とは何だ。)

新羅へ派遣された使人が散々苦労した挙句、ようやく筑紫を回航し
姫路沖の家島群島にたどり着いた。

何と長い旅だったのであろうか。
家を出てから間もなく9か月。
一刻も早く愛する人に逢いたい。
都まであと少し、もう安心だ。
そんな気持ちから、島の名をからかう余裕が出てきた作者です。

「 住吉(すみのえ)の 岸の松が根 うちさらし
    寄せ来る波の 音のさやけさ 」  
                     巻7-1159 作者未詳

 ( 住吉の岸に生い立つ松の根、
   その根を洗い出して打ち寄せてくる波の音の
   何とまぁ清々しいことか )

洗われる松の根、聳え立つ松の緑、打ち寄せる白波の音。
視覚と聴覚の両面から海の清らかさ、爽やかさを讃えたもの。

白砂青松は我国の海辺独特のもので、中でも天橋立、三保の松原の
美しさはよく知られていますが、住吉の松原は護岸工事のため
残念ながら今は見る影もありません。

以下は世界各地の海岸を巡られた大仏次郎氏の一文です。

「 私には平凡な鎌倉の昼間の海が美しく見えた。
  それから、これまでに訪れた各所の海の眺めから考えても
 日本の風景が世界でも美しいものだと、確信を感じた。
 これには、とくに四季による色の変化を考える。
 朝霧や夕靄の魔術が、日本では、どんなに微妙にやわらかに
 海の風景を変化させることか?
 また松の木の多い自然が如何にも美しく海と調和しているのも
 我国だけである。」

             ( 「海辺にて」 日本の名随筆「海」所収 作品社)


    「 松原遠く 消ゆるところ
        白帆の影は 浮かぶ
        干し網 浜に 高くして
        鴎は低く 空に飛ぶ
        見よ昼の梅 見よ昼の海 」  
                   ( 海 :作詞 作曲  作者未詳 )


            万葉集749 (海の歌)完


            次回の更新は8月16日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-08-08 16:01 | 自然

万葉集その七百四十二 (雨の歌)

( 雨々降れ降れ   N.F さん提供 )
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( はねず  N.F さん提供)
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( 万葉のはねずは庭梅とされている    奈良万葉植物園 )
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( 雨の長谷寺     絵 筆者
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万葉集その七百四十二 (雨の歌)

中國渡来の梅雨という言葉は室町時代の本に「梅の雨」が見え、
本格的に使われるようになったのは江戸時代とされています。

「梅の実が熟する頃に降る雨」なので「梅雨」と表記され、
それを「湿っぽいを」意味する「つゆ」という訓をあてたそうな。

平安時代、この時期の雨は「五月雨(さみだれ)」とよばれました。
「さ」は神聖な稲にかかわる言葉、あるいは五月(皐月)の「さ」、
「みだれ」は「水垂れ」の意だそうです。

万葉集では長雨が3首、その中でも次の歌がこの時期の代表的なものと
されています。

「 卯の花を腐(くた)す長雨(ながめ)の 水始(みずはな)に
    寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ子もがも」 
                       19―4217 大伴家持

( 卯の花を痛める長雨で水かさが多くなった川、
  その流れの先に木の屑がいっぱい集まっています。
  このような木屑のように私のところに美しい女性が
  集まってくれたらいいのになぁ。)

    水始(みずはな):「はなみず」とも訓み水量の増した流れの先端のこと。
                ここでの「腐(くた)す」は「腐らす」ではなく「散らす」「だめにする」。

この「卯の花腐し」は1300年後の今でも使われる季語になっています。
家持の造語力恐るべしです。

   「 書を読むに 卯の花腐し よろしけれ 」 河合 正子


さて、万葉集で雨の歌が130首近く登場しますが、単なる雨と詠われているのが
70首、春雨23首、時雨、26首、村雨、雨霧、など。
その中から色々な場面の歌をピックアップしてみました。

「 夏まけて 咲きたる はねず ひさかたの
       雨うち降らば うつろひなむか 」 
                    巻8-1485 大伴家持

( 夏を待ちうけてやっと咲いたはねず、 その はねずの花は
  雨でも降ったら色があせてしまうのではないか。)

       夏まけて:「まく」は時期が来るのを待ち受けるの意、ここでは夏到来
       うつろふ : 散る、色褪せる

せっかく咲いた可憐な花をいたわり、いつくしんでいる心優しい作者です。

はねず:通説は春咲く庭梅とされるが、モクレン,芙蓉、山梨,
ざくろ、露草など諸説あり。

ここでは夏の花とされているので大柄の芙蓉が相応しいか。

「 大野らに 小雨降りしく 木(こ)の本(もと)に
         時と寄り来ね 我(あ)が思(も)へる人 」 
                       巻11-2457 作者未詳

 ( 人里離れた荒野に 小雨がしきりに降っています。
       この木の根元に今が時だと立ち寄って下さい。
       私の思う人よ)

人気のない荒野を歩いていたら 雨が降り始め慌てて木陰で雨宿りした。
待っても待ってもなかなか降りやまず。
心細くなってきた女は
「ねえ、あなた、私のところへ来て!」 と呟く。

そんな場面でしょうか。

           大野: 荒野
           木の本 : 木の根元
           時と:二人きりで逢う絶好の機会(時)の意を含む

 「 この夕(ゆふへ) 降りくる雨は 彦星の
        早漕ぐ舟の 櫂(かい)の散りかも 」 
                        巻10-2052 作者未詳

( この七夕の夕方に降ってくる雨は、彦星が心をせかしながら
  漕ぐ舟の櫂から飛び散っている飛沫(しぶき)なのであろうか。)

中國の七夕伝説では、織姫が彦星のもとに通いますが、我国では逆。
星がきらめく天の川を彦星が櫂の雫を飛び散らせながら小舟で渡ってゆきます。

空を眺めながら「あぁ、これは彦星が散らした雨だ」
と呟くロマンテイックな万葉人です。

「 鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り
      雨も降らぬか 君を留めむ 」 
                      巻11-2513 作者未詳

( 雷が少しだけ鳴って、空がかき曇り、雨が降ってくれないものでしょうか。
 そしたら、帰りかけるあなたを、しばしお留することができましょうに。)

久しぶりの逢い引き。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、そろそろ帰る時間。
「 雷さん、雨を降らしてくれないかしら。
  そしたら、あなたをもう少し引きとめることが出来ましょうに。」
と甘える女。

それに対して男は  
「 雷なんぞ鳴らなくても、お前がもっといて欲しいといえば、
いくらでも居るよ。」と返します。

「 ひさかたの 雨は降りしく なでしこが
       いや初花に 恋しき我が背 」 
                      巻20-4443 大伴家持

( ひさかたの雨はしとしと降り続いております。
 しかし撫子は今咲いた花ように初々しく、その花さながらに
 心惹かれる貴方様です。)

        「ひさかたの」:雨の枕詞 天、月、都などにも掛かる
                 ひさかた(久方)は久遠の彼方の天空。
                 天の広大無窮を表す褒め言葉とされる。

755年、6月の終わりころ、公用で都に来ていた大原今城が任を終えて
上総に戻るにあたり、家持の屋敷で送別の宴を催したときの4首の中の1。
今城と家持はお互い信頼し合う友。
何時いつまでも貴方さまを忘れることはありませんと、心こもる送辞です。

 「うす日さす 梅雨の晴間に 鳴く虫の
             住みぬる声は 庭に起これり 」 若山牧水

最後に雨が好きだった歌人、若山牧水の一文から。

『 どんより曇った日は、鬱陶しく、
  静かに四辺(あたり)を濡らして降りだしてきた雨を見ると
  漸(ようや)く手足もそれぞれの場所に返ったように身がしまってくる
  中略
  雨はよく季節を教へる。
  だから季節のかわり目ごろの雨が心にとまる。
  梅のころ、若葉のころ、または冬のはじめの時雨など。

  梅の花のつぼみの綻びそむるころ、消え残りの雪のうへに降る強降の
  あたたかい雨がある。
  桜の花の散りすぎたころの草木のうへに、またわが家の屋根、
  うち渡す屋並みの屋根に、列を乱さず降りゐる雨の明るさは
  まことに好ましいものである。

  しやあ しゃあと降るもよく、ひっそりと草木の葉末に
  露を宿して降るもよい 』  
                         ( 「なまけ者と雨」 日本の名随筆 雨 作品社所収 )

 「 あららかに わがたましひを 打つごとき
            この夜の雨を  聴けば なほ降る 」  若山牧水

             あららかに: 荒らかに



万葉集742 (雨の歌)完


次回の更新は6月28日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-06-21 08:16 | 自然

万葉集その七百二十三 (春立ちぬ)

( 春霞  山の辺の道 奈良  筆者撮影 )
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( 手賀沼幻想  学友N.F さん提供 )
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( 藪椿    同上 )
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( 八重桜  同上 )
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( 枝垂れ桜  同上 )
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( 薔薇   同上 )
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  万葉集その七百二十三 (春立ちぬ)

    「 月数(つきよ)めば いまだ冬なり しかすがに
              霞たなびく 春立ちぬとか 」 
                         巻20-4492 大伴家持

( 月日を暦で数えてみると、まだ冬。
     ところが、あたりは一面に霞がたなびいている。
     やはり季節の春が到来しているのだなぁ。)

795年12月23日、現在の太陽暦2月6日頃、
治部少輔 大原今城邸での宴席での歌です。

以下は60年来の親友N.F君のコメントです。

 『 寒中見舞いでも出そうと思いながら、ぐずぐずしている内に、
   もう立春がそこまで来てしまいましたか。
   そういえば、先週のNHK-BSの「俳句王国」の兼題は、
   「春隣」(はるどなり)でした。

   「 結露せし 窓の青空  春隣 」
   「 齢(よわい)積む 音閑かなり 春隣 」

 1月26日、町会の防犯パトロールで集会所に集ったとき、
 隣の梅林の梅の枝を眺めたら、もうツボミが大きく膨らんでいました。
 「梅のツボミも膨らんできたねぇ」と、さり気なく言うのは、
 写真をやったり万葉を学んだりしている小生であります。

 すかさず女性陣が「桜も膨らんできてるわよ。
 風も”ぬるんだ”感じがするわねぇ」と応じてくれました。

 山登りを趣味とする者には、春霞はいささか迷惑なのであります。
 冬の山は、峻厳な冷気のせいで山並みをクッキリと見せてくれますが、
 春の訪れとともにガスがかかるようになり、遠くの山がぼやけてしまいます。

 山男は、せっかくの春霞を愛でることを知らず、恨めしげに
 「ガスってやがらあ」と無粋なことを申します。
 とっさに、「霞み立つ 春立つらしも」と、一首ものすることができれば、
 洒落てるのですがねぇ。 』

「 うち靡く 春立ちぬらし 我が門(かど)の
    柳の末(うれ)に うぐひす鳴きつ 」 
                       巻10-1819 作者未詳

(  草木の靡く春がいよいよやって来たらしいなぁ。
  我が家の柳の枝先で 鶯が鳴きはじめたよ )

 古代「靡く」という言葉は
 「 草や髪の毛が風に靡く、人が横になる、服従する、引きつけられる、慕う 」
 などの意味に使われ、そのほとんどが現代に継承されています

 この言葉が「うち靡く春」すなわち、春の枕詞になると、
 今まで静かに冬眠していた草木や動物が暖かい日差しを浴びて生き生きと動き出し、
 花が咲き、鳥が囀りながら木々を渡ってゆく躍動感あふれる情景を醸し出す。
 たった二文字「うち」の凄さ、日本語の奥深さです。

 「柳に鶯」は珍しい組み合わせですが、鶯は笹の多い林の下や藪を好みます。
 「梅に鶯」は詩歌や絵の世界で多く採りあげられていますが、
 梅の蜜を吸いに来るのはメジロが多く、時には雀が花を啄んでいることも。

  「 ひさかたの  天(あめ)の香具山  この夕べ
          霞たなびく 春立つらしも 」 
                  巻10―1812 柿本人麻呂歌集

( 長い冬が過ぎて寒々としていた大和平野にも何時とはなく夕靄が立ちはじめ、
  美しい香具山がおぼろに煙って見える。 
  ああ 春が来たのだなぁ。)

おおらかな調べで、美しくも堂々たる風格を感じさせる一首。
「この夕べ」の「この」で「今日の夕べ」という時をはっきり限定し
「春立つらしも」と詠い収め「暦が春になったその日」即ち立春を寿ぐ歌です。

「伊予国風土記」によると香具山は天上より天降(くだ)った時二つに分かれて
一つは大和に落ち、もう一つは伊予に落ちて天山になったとか。
このような由来から香具山は神の山と考えられ「天の」が冠せられています。

再びN.F君です。

 『 これから久しぶりに南高尾山稜の往復(約5時間)を単騎で歩いてきます。
   1月6日以来の山歩きです。
   きょうは、最高気温が15℃を越えるかもしれません。

   「 春の初めの歌枕  霞たなびく丹沢連峰 」、
   「 富士の山  霞たなびく 春立つらしも 」

   ということでガッカリでしょう。 』 

 「 時は今 春になりぬと み雪降る
      遠山の辺(へ)に 霞たなびく 」 
                  巻8-1439 中臣 武良自(むらじ)

( ようやく春になったのだなぁ。 
  いまだに雪が降り積もっている遠くの山のあたりにも
 霞がたなびいているよ。)
 
「春は霞と共にやって来る」と考えていた古(いにしえ)の人々。
「時は今」という言葉に待ちに待ったに春到来の喜びがあふれているようです。

N.F君いわく

 『 春がいいか、秋がいいかという問いに、秋に軍配を上げたのは
   額田王だったと思うが、 ボクは、みずみずしい新緑の春の方が好きだ。
   年齢的な気分もあるかも知れない。
   やはり、待ちに待った春だね。
   登山をやる者には、春霞は遠望がきかず、時として邪魔者扱いするが、
   「春霞」として古来、日本人には愛されてきたようだ。

 「 時は今 春になりぬと み雪降る
         遠山の辺(へ)に 霞たなびく 」 

  いまのボクの気分にぴったりだなあ。
  「春は霞とともにやってくる」かあ。
  植物が、寒い冬の間じっと耐えながらも、春の喜びのために着々と春の準備をしていた。
  それが今、一斉に芽吹き始めた。
  庭の山椒も芽吹いてきて、もういつでも筍と一緒に召し上がれと告げている。 』

「 春の野に 心延(の)べむと 思ふどち
         来(こ)し今日(けふ)の日は  暮れずもあらぬか 」
                   巻10-1882 作者未詳

( 親しい仲間同士で、伸び伸び一日過ごそうと春の野にやってきました。
 今日は何時までも日が暮れないで欲しいものだなぁ )

心を許したもの同士の会話は何時まで経っても尽きることがありません。
時よ止まれ!
 
N.F君曰く

  『 そうだねぇ、
   春野でジジイ放談でもやりたいものだ。
   ピクニックにでも行きたい気分だ。   』

  「 春いまだ ほろりほろりと 友逝きぬ 」 日野草城

友人達との放談を楽しみにしていたN.F君。
春を待たず昨年末に急逝してしまいました。

前日まで元気だったのに、言葉もありません。
年来の友に先立たれた筆者や仲間は茫然自失。

このブログ開設当初からボクを励まし続け、
適切なアドバイスを寄せてくれた心の友。
返す返すも残念無念、痛恨の極みであります。

キミの春風駘蕩とした大らかな人柄は多くの人達に慕われ、
防犯パトロールで親しくなった小学生の卒業式に
来賓として招かれた時は嬉しそうだったなぁ。

写真はプロ級の腕前、山を愛し花を愛で、名利など振り向きもせず、
ひたすら誠実に生き抜いた男。

酒好き、飲めば飲むほどに人生を語り周囲を楽しく盛り上げてくれる。

あぁ、思いは尽きない。
もっともっと長生きして欲しかった。

ノブさん、

今、君の遺影を前にして、静かに盃を傾けている。
仲間と共に旅した写真をスライドさせながら。

その1コマ1コマから君が語りかけてくれているようだ。
「おい! みんな! いつまでも仲良くしろよ」と。

60余年間の楽しいお付き合いは、ボクの人生をこの上もなく豊かに、
そして幸せにしてもらった。

ありがとう! ノブさん。
さようなら! わが心の友よ。

  「 友情の ただ中に じっと眼をつむる 」  日野草城




     万葉集723 (春立ちぬ)  完


     次回の更新は2月15日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-02-07 15:49 | 自然

万葉集その七百二十二 (雪の恋歌)

( 皇居東御苑 )
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( 高千穂神社  佐倉市 )
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( 同上  桜の蕾も寒そう )
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( はだれ  北の丸公園  東京 )
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万葉集(雪の恋歌)

「 かきくらし ふる白ゆきの いやましに
      深くなりぬる 我(わが) おもひかな 」  樋口一葉

万葉集での雪歌は150首余。
約半数が恋歌、他は白梅、鶯との取り合わせ、新年の賀歌、
大雪の喜びなどが詠われています。

当時、雪は繁栄をもたらす瑞祥と歓迎されていましたが、
大和は降雪が少なく、たまに大雪でも降ろうものなら、外に出て
子供のようにはしゃぎまわり、朝廷の役人たちは、皇居に駆けつけて雪掻きをし、
お上から酒をふるまわれるのを楽しみにしていたのです。

恋の歌は天皇から庶民に至るまで詠われておりますが、今回は
名もなき人々の雪に寄せる純情、淡い恋歌です。

「 わが袖に 降りつる雪も 流れ行(ゆ)きて
      妹が手本(たもと)に い行(ゆ)き触れぬか 」
              巻10-2320  作者未詳

( 私の着物に降りかかった雪よ、ずっと空を流れて、
 あの子の手首に触れてくれないものかなぁ )

愛しい人とは何事も共にしたいと願うのは恋するものの心理。
雪降る中、恋人の姿を目に浮かべ、共に歩いている姿を想像している。
美しい幻想の世界です。

「 わが背子を 今か今かと出(い)でみれば
       淡雪降れり 庭もほどろに 」  
                     巻10-2323 作者未詳

( あの方のお越しを今か今かと待ちかねて、戸口に出て見ると
庭中うっすらと 淡雪が降り積もってしまっているわ。)


愛しい人がいつまで経っても現れない。
折角約束したのに。
とうとう待ちきれなくて外に出てしまった。
切ない思いの女が立ちつくす可憐な姿と淡雪の情景が美しい。

庭もほどろに: 雪が地肌に交ってうっすらと積もる状態

「 笹の葉に はだれ降り覆ひ 消なばかも
      忘れむと言へば  まして思ほゆ 」 
                     巻10―2337 作者未詳

( 「笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように
私の命が消えでもすれば、あなたを忘れることもありましょう。」
などと、あの子がいったものだから、ますますあの子が愛しく思われることよ。)

 はだれ降り:うっすらと降り置いた

「 一目見し 人に恋ふらく 天霧(あめぎ)らし
       降りくる雪の 消ぬべく思ほゆ 」 
                           巻10-2340 作者未詳

( たった一目みただけのあの子、それなのにどうしてこんなに
恋焦がれてしまつたのだろう。
まるで大空をかき曇らせて降ってくる雪のように
身も心も消え入るばかり。 )

天霧(あめぎ)らし:「雪がやがて消えてしまうように
我が身が消え入りそう」の意

以上4首は全て巻10に収蔵されています。
この巻は春、夏、秋、冬、四季整然と区分されており、さらに自然現象、
動植物、相聞に細分化され後の古今和歌集分類の先駆をなすものです。
後の人はこの巻をお手本にして作歌を学んだと思われますが、秀歌も多く
名ある人もあえて読み人知らずとして詠ったものもあるようです。

 「 雪はげし 抱かれて息の つまりしこと 」 橋本多佳子



     万葉集721(雪の恋歌)完

  次回の更新は2月8日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-31 17:50 | 自然

万葉集その七百二十 (雪山賛歌)

( 梅薫る富士  曽我梅林 )
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( 立山連峰 雨晴海岸  富山県 )
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( 東京都内を走る立山連峰  山手線 )
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(筑波山の雪 )
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万葉集その七百二十 (雪山賛歌)

大和の都、藤原京、平城京は低い山々に囲まれた盆地にあり、冬は厳寒。
でも、雪は滅多に降りません。
数年に一度の大雪ともなれば天皇から庶民に至るまで大喜び。
雪の歌が何と150余首も残されているのです。

万葉人はなぜ雪をこんなにも歓迎したのでしょうか。
それは雪は白米とみなされ大雪は豊穣、雪解け水は農作物をうるおす、
国土繁栄のしるしと信じられていたからです。

 「 矢釣山(やつりやま) 木立も見えず 降りまがひ
        雪の騒(さわ)ける 朝(あした)楽しも  」
                 巻3-262 柿本人麻呂

( 矢釣山の木立も見えないほどに さわさわと降り積もったこの朝は
 何と心楽しいことでありましょうか 。)

    矢釣山:奈良県明日香村東北にある八釣山
    降りまがひ: 粉々に降り乱れて
    騒ける: にぎにぎしく降っているさま

人麻呂が新田部皇子(にひたべみこ:天武天皇皇子)に奉った長歌の反歌。
皇子17歳頃、成年に達したときの宴席での寿ぎ歌と思われます。
繁栄のあかしとされていた雪が賀宴の最中に降ってきた。
それも大雪。
人麻呂は皇子の前途は洋々たるものと感じ、直ちに歌を献上して寿いだのです。

 「 初富士や 舟より上る 武者の凧 」  吉中愛子

大和には高い山がありませんが、山部赤人、高橋虫麻呂、大伴家持は
官用で旅をしたり、転任したりして富士山、立山、筑波山を詠い、
また筑波山は民謡としても残されています。


  「 田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ
        富士の高嶺に 雪は降りける 」
               巻3-318 山部赤人

   ( 田子の浦にうち出て見ると、おお、なんと富士の高嶺に
     真っ白な雪が降り積もっていることよ )

田子の浦を通り、薩捶峠(さったとうげ)あたりに出た時、突然 視界が開けて
目に飛び込んできた雄大かつ秀麗な富士の姿を、海、山、空とパノラマのような
大きなスケールで簡潔平明に詠った万葉屈指の秀歌です。

   「田子の浦ゆ」:「田子の浦を通って」
   「うち出でてみれば」:眼前に障害物のない展望がぱっと開けた地点に
                出た時の感じをいう。

生れて初めて富士山を目にした赤人の感激は如何ばかりだったことでしょう。

 「 立山に 降り置ける雪を 常夏に
          見れども飽かず 神からならし 」
               巻17-4001 大伴家持

   ( 立山に白く降り置いている雪、この雪は夏の真っ盛りの今でも
     白々と輝いている。
     なんと神々しいことだろう。
     これは、きっと神の摂理であるらしい。)

746年、越中国守として赴任した家持は天空に聳え立つ立山連峰を
目のあたりにして その雄大な景色に驚嘆したことでしょう。

「神から」とは「族(うから)」「親族(やから)」「同胞(はらから)」
などの語と同じく血の繋がりがあることを示す古語ですが、
ここでは真夏に白々と雪が残る景色を神の霊力とみた表現です。

立山は古くは「たちやま」とよばれていました。
最高峰の大汝山(おおなんじやま:3015m) 主峰の雄山(おやま:3003m)、
富士の折立(おりたて:2999m)の三つの山からなり、雄山の山頂には日本で
一番高いところにある神社、雄山神社が鎮座まします。

「 筑波嶺(つくばね)に 雪かも降らる いなをかも
            愛(かなし)き子ろが 布(にの)乾さるかも 」
                  巻14-3351 常陸国の歌

( 筑波山に雪が降っているのかな。
     それとも、いとしいあの子が布を乾かしているのかな。)

筑波山は古くから歌垣で知られていた山です。
歌垣とは春秋の季節に関東地区の男女が打ち集い、
山上で歌を歌って舞い楽しみ、お互いのパートナーを見つける、
いわば婚活のような行事。

深田久弥著日本百名山によると
『 筑波山へ登ってその会合で男から結婚を申し込まれないような女は、
一人前ではないと言われさえした。』のです。( 朝日新聞社刊)

この歌もこれから始まる歌垣を前にした男が、
「 あの愛しい子もきっと歌垣に参加するだろう」
と楽しい夜を思い描いていたのかもしれません。

 「 おぼほしく 曇れる空の雨やみて
           筑波の山に 雪ふれりみゆ 」   長塚 節

                 おぼほしく: 憂鬱に

古代、旅するには徒歩か船か馬。
九州へ行く以外ほとんどが徒歩の旅でした。
何日も何日もかけてゆっくり歩く。
時には野宿もいたし方なし。

そんな中でも万葉人は旅を続け、高橋虫麻呂にいたっては
なんと、気晴らしに筑波山に登ったと詠っているのです。

「 草枕 旅の憂へを慰もる こともありやと 
         筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば ― ― 」  
                        巻9-1757 高橋虫麻呂


       万葉集720(雪山賛歌)完


      次回の更新は1月25日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-17 11:11 | 自然

万葉集その七百十六 (時つ風)

( 海王丸: 日本丸とともに世界の海を帆走)
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( 住吉神社は海の神様 )
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( 古代の船 突如大仏殿のの前に出現)
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( 松風と時津風の天橋立 )
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万葉集その七百十六 (時つ風) 

榎本好宏著「風のなまえ」に次のような一文があります。

『 風の多くは季節を限って吹くが、中には通年にわたって吹くものもある。
  俳句的な分類に従えば「無季風」とでもいうことになろうか。- -
  ともすると相撲部屋と間違えられそうなのが「時津風」だろう。

 「時つ風」と書く事もあるように、「つ」は格助詞の「の」だから
  ほどよいころに吹いてくる風の意になる。
  また、潮が満ちてくる時刻に吹く風といったふうにも使われる。』(白水社)

    「 時津風 部屋の親方 双葉山 」  筆者 
  
      
        ( 双葉山は十二代 現在は十六代
          相撲部屋の入口には今も
         「双葉山相撲道場」の看板が掲げられている)

船名にもみえる めでたい追い風。
万葉集には3首登場し、そのうち1首は枕詞です。

 「 時つ風 吹かまく知らず  吾児(あご)の海の
        朝明(あさけ)の潮に  玉藻刈りてな 」 
                           巻7-1157 作者未詳

( 潮時の風が吹いてくるかもしれない。
 さぁ、今のうちに吾児の海の夜明けの千潟で
 玉藻を刈ろうではないか )

   吾児の海:大阪住吉海岸の一部とされるが所在不明

古代、旅人が旅先の地で玉藻(ホンダワラ)を刈ったりするのは、
その土地の光景に惹かれての風流な行為とされていたようです。

浜辺の美しさ、波音のさやけさ、遠くに見える淡路島と渡る鶴と
住吉海岸の美しさへの賛美が次々と詠われています。

海を見たことがない都人の驚きと喜びが溢れている様が目に浮かぶ歌です。

 「 時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟(かしひがた)
     潮干(しほひ)の浦に  玉藻刈りてな 」
                  巻6-958 小野 老(おゆ)
 
( 海からの風が吹きだしそうな気配。
    香椎潟の潮が引いている間に この入り江で玉藻を刈ってしまおう)

728年 福岡市東北の香椎宮に大宰府長官大伴旅人以下官人が
参拝した折の歌。

「香椎」は日本書記に「橿日」と表記され、海で暮す海人たちが
橿や椎が茂る照葉樹林を聖地と崇めた遠い縄文期を思わせる地名です。

香椎の宮にはこの地で崩御された仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と
橿日浦で髪をすすいで占いをしたと伝えられる神功皇后が鎮座まします。

次の歌は「吹く」という類音の地名の「吹飯(ふけい)」の枕詞として
使われている一首です。

「 時つ風 吹飯(ふけひ)の浜に 出でいつつ
      贖(あか)ふ命は 妹がためこそ 」 
                        巻12-3201 作者未詳

( 時つ風が吹くという吹飯の浜に出て、
 海の神に幣(ぬさ)を奉げて無事を一心に祈るこの命は
  誰の為でもない、いとしいあの子のためなのだ )

  吹飯(ふけひ)の浜: 大阪府泉南郡岬町 深日(ふけひ)港あたり
               港近くに「延喜式」記載の式内社「国玉神社」があり
               称徳天皇が紀伊行幸の際造られた行宮跡とされる。
               風光明媚な景勝地で知られる歌枕。
               江戸時代は難波と江戸を結ぶ廻船の風待ち港として
               繁栄をきわめた。

  贖(あか)ふ: みそぎして神に供え物を捧げ祈る。
 
この歌は4首で構成され、熟田津(愛媛県松山市道後温泉近く)あたりへ
船旅する夫としばしの別れを悲しんでいる物語風の歌群です。

まず妻が海は危険なので、時間がかかっても磯伝いに漕ぎ廻り、無事に
帰ってきて下さい。と詠い、夫は吹飯(ふけひ)の浦に寄せては返す波、
その波のようにひっきりなしにお前のことを思っている、
わざわざ遠回りして吹飯に寄港して海の神に無事を祈るのは、
お前さんのためと返し、最後に妻が熟田津で帰りの船に乗ると
おっしゃっていたのに、いつまでたっても帰ってこないと嘆く、
という筋立てとなっています。

 宴会の余興で詠われたものかもしれません。

次の歌は同じ「ふけひ」でも違う場所の例です。

「 天つ風 ふけゐの浦に ゐる鶴の
       などか雲居に 帰らざるべき 」 
                   藤原清正(きよただ) 新古今和歌集

( 鶴が「ふけゐの浦」の上空に飛んでいってしまって
 帰ってこないということがないように、
 私自身もいつか再び昇殿を許されるはずだ。)

作者は平安中期36歌仙の一人
最終官位は紀伊守。
紀伊守としての赴任、本人は左遷と感じたのでしょう。
殿上人を離れたことを悲しみ、帰京する日を待ちわびる詠です。

ここでの「ふけゐの浦」は紀伊国「吹上の浜」の別名。
雲居に大空と宮中を掛けています。

さぁ、新しい門出も間近。
来るべき年は順風満帆でありますように。

   「 時つ風 船軽やかに 漕ぎ出せり 」   筆者 

         万葉集716 (時つ風) 完


           次回の更新は2019年1月1日(火) 。
           「新年の歌:亥」の予定です。
             ( 12月28日(金)を変更)

by uqrx74fd | 2018-12-20 16:05 | 自然

万葉集その七百九 (爽籟:そうらい)

( 秋風に靡くススキ   平城京跡 奈良 )
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( オミナエシもゆらゆら   奈良万葉植物園 )
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( 風に流される雲は飛天のよう )
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( 潮風の音、波の音  瀬戸内海  松山にて )
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万葉集その七〇九 (爽籟:そうらい)

「爽籟」と清々しく爽やかな秋の風をいいます。
「籟」は穴が三つある笛のことで、古代の人はその笛を吹くことを
「吹籟:すいらい」とよんでいました。
そして、松を渡る微細な風があたかも笛の音に聞こえることから
「松籟:しょうらい」という言葉が生まれ、さらに秋風の響きを
「爽籟」と名付けたのです。

日本人の繊細な感覚はさらに秋の季語「色なき風」をも生み出しました。

「 吹きくれば 身にもしみける 秋風を
       色なきものと 思ひけるかな 」 
                    紀友則 古今和歌六帖

陰陽五行説の「秋の色は白」に由来するといわれていますが、

芭蕉は 
   「 石山の 石より白し 秋の風」 と詠み

石田波郷は 
     「 吹きおこる 秋風 鶴を あゆましむ」 と

鶴の白さを秋風に重ねています。

華やかな色がない風には寂しさが身にしみとおるような感覚をともない、
のちには「もののあはれ」とも結びつきました。
かの北原白秋の名もその由縁といわれております。

万葉時代にはまだ「爽籟」「色なき風」という言葉は見えませんが、
秋風の肌寒さ、もの寂しさなどを感じている歌は随処にみられ、
日本人の細やかな感性が芽生えていたことを感じさせます。

「 恋ひつつも 稲葉かき分け 家居(いへを)れば
      乏(とも)しくもあらず 秋の夕風 」 
                            巻10-2230 作者未詳


( 家に残してきた妻に恋焦がれながら、一面の稲葉をかきわけて
 ここに居をかまえていると、ひっきりなしに秋の夕風が吹き続いてくるよ。)

作者は農作業にいそしむため、家から離れた田地に掘立小屋を建てて
わび住まいをしているようです。
当時、貴族といえども自身で農作業をしており、大伴坂之上郎女が
畑仕事をしている歌なども残されています。

一人寂しく滞在する仮小屋に秋風が吹きつける。
身も心もわびしさ、寂しさを感じさせる1首です。

    稲葉かきわけ: 収穫期を迎えた稲田の前に庵を造っての意
    乏しくもあらず: 「乏し」:少ない「非ず」反語 
               少なくない。ここでは「ひっきりなしに」

「 秋風の 吹き扱(こ)き敷ける 花の庭
     清き月夜に 見れど飽かぬかも 」 
                   巻20-4453 大伴家持

( 秋風が吹きしごいて 庭がまるで花絨毯のようです。
 それに月の光の清々しいこと。
 いくら見ても飽きることがないすばらしい夜ですね )

孝謙天皇、聖武太上天皇、光明皇后列席、紫宸殿の宴の席上で
詠うべく用意したが、何らかの事情で奏上できなかったもの。

秋風が吹いて庭の萩を散らす。
澄み切った夜空に煌々と輝く月。
盃を傾けながら見惚れる堂上の人々。

まさに王朝絵巻を彷彿させるような美しい光景。
古今和歌集調に近い洗練された歌です。

吹き扱(こ)き敷ける : 風が吹き萩の花を庭一面に散らしたの意

「 家離(いえざか)り  旅にしあれば 秋風の
     寒き夕(ゆうへ)に 雁鳴き渡る 」 
                       巻7-1161 作者未詳

( 懐かしい家を離れて、ひとり旅空に身を過ごしていると
  秋風がひとしお寒く感じる夕暮れ時だ。
  あぁ、雁が鳴きながら渡って行くよ。 )

古代の人は、雁は家郷と我が身をつなぐ使者であると信じていました。
「雁よ、私が無事だと妻に伝えておくれ」という気持ちがこもる旅愁の歌。

幼い頃によく歌った次の歌詞を思い出させてくれる一首です。

「 更け行く 秋の夜 旅の空の
  わびしき思いに 一人なやむ
  恋しや 故郷 なつかし父母
  夢路に たどるは 故郷(さと)の家路 」 

      ( 旅愁 犬童玉鶏作詞 オードウエイ作曲)


           万葉集709(爽籟)完


          次回の更新は11月9日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-11-01 16:17 | 自然

万葉集その七百七 (雲よ!)

( 畝傍山  飛鳥甘樫の丘から  奈良 )
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( 飛鳥稲渕の棚田 )
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( 浅芽が原  奈良公園 )
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( 薬師寺   後方若草山 御蓋山   奈良 )
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万葉集その七百七 (雲よ!)

「 春日にある 御笠(みかさ)の山に  居る雲を
    出(い)でみるごとに 君をしぞ思ふ 」
               巻12-3209  作者未詳

( 春日の御笠の山にかかっている雲
 その雲をみるごとに旅先にいるあの方のことが
 思われてなりません )

万葉集には雲の歌が200首以上見られますが、その大半が恋の歌です。
当時の人は雲に魂が宿ると信じており、眺め続けることにより
その人と意思が通じ合えると思っていました。
そして、朝に夕べに「あなた!」「お前さんよ!」と呼びかけていたのです。

「 白雲の 五百重(いほへ)に隠り 遠くとも
    宵さらず見む  妹があたりは 」 
                    巻10-2026  作者未詳

( 白雲の幾重にも重なる彼方に隠れて、こうして隔たっていても
 毎晩毎晩欠かさずに見ていよう。
 あの子がいるあたりを。)

     五百重(いほへ) :幾重にも重なり
     宵さらず見む: 「宵」は日没から夜中までの時間帯を漠然とさす
         「さらず」は ~ごとに
     妹あたりは: 「妹あたりをば」の意

 一連の七夕歌の中に見える、彦星が織姫を慕う1首ですが、
遠くに旅する男が、故郷の恋人を想って詠ったものとも解釈できます。

「 ひさかたの 天飛ぶ雲に ありてしか
      君を相見む  おつる日なしに 」 
                         巻11-2676 作者未詳

( 天空を飛び通う雲になりたい。
 そうすれば、欠ける日など一日もなしに、あの方にお逢い出来ましょうに。)

    「おつ」る日なしに:「おつ」は欠ける 

雲を眺めているだけでは満足できない。
出来ることなら雲になって毎日愛する人の許へ行きたい。
恋する乙女の切ない思いです。

「 夕ぐれは 雲のはたてに ものぞ思ふ
     天つ空なる 人を恋ふとて 」 
                  よみ人しらず 古今和歌集

( 夕暮れになると 雲の果ての方を眺めて物思いにふけっています。
  私をうわの空にさせるあの人を恋しく思って。)


天空の果てまで広がる夕焼け。
愛しい人を瞼に浮かべながら、うっとりしている女性の姿を彷彿させる
洗練された美しい恋歌です。

「 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ
        をとめの姿 しばしとどめむ 」  
                    僧正遍照 古今和歌集 百人一首

( 空を吹く風よ、雲間の通路を吹き閉ざしてくれ。
    舞が終わって帰ってゆく天女たちの姿を
    もうしばらくここにとどめておきたいのだ。)

新嘗祭のあと天皇が新しい米を食し、群臣にも賜った後の宴
(豊明会:とよあかりのせちえ)での歌。

若き遍照(宗貞)は五人の美しい乙女たちが披露した「五節(ごせち)の舞」の
あでやかな姿に魅了されて、どうにもならない名残惜しさを詠った
即興名歌です。

   「ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の
        塔の上なる  一ひらの雲 」 佐佐木信綱


       万葉集707 (雲よ!)完


    次回の更新は10月26日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-18 10:45 | 自然

万葉集その七百一(秋さらば)

( 秋風吹く空 )
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( 鶏頭 古代名:韓藍 からあい  山辺の道 奈良 )
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( ミヤギノハギ  神代植物公園 )
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( 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに 鹿鳴かむ山ぞ 高原の上  京都御所 )
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万葉集その七百一 (秋さらば)

「さる」という言葉は万葉集で130例と多くみられ「去」「離」「避」の
原文表示がなされています。
通常は「移動する」「特定の場所からいなくなる」などの意で使われますが、
時間帯や季節を表す語に付く場合は「やってくる」という逆の意味に変わる
特殊な言葉です。
つまり、「夕さらば」は「夕方になると」、「秋さらば」は「秋になると」。

古代の人は、自分自身の意思にかかわらない自然現象については神意の発動を感じ、
このような用例になったと思われますが、歌語としての5文字は使いやく、
「秋されば」となったり、「冬籠り 春さりくれば」(長い冬が終わり春が来ると)
のように2句目に使われる場合もあります。

「 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし
     韓藍(からあひ)の花を  誰(た)れか 摘みけむ 」
                      巻7-1362 作者未詳

( 秋になったら移し染めにしようと、私が蒔いておいた鶏頭の花なのに、
 一体、どこの誰が摘み取ってしまったのだろうか。)

韓藍は唐(から)からきた藍(染料の総称)。
鶏頭は染料として衣類に直接摺り染め(移し染め)にしていました。

丹精して育てた鶏頭が見頃になったのに知らない間に摘み
取られてしまった。
いったい誰がこんなひどいことをしたのだろう。

ここでの「移す」には結婚する、あるいは関係を持つという意味が
含まれています。
というのは、この歌は「花に寄せる」比喩歌で鶏頭は最愛の娘を暗示
しており、

「大切に育てたあの子、時が来たらこれと見込んだ男に嫁がせようと
楽しみにしていたのに知らぬ間にあらぬ男にとられてしまった。」
と嘆いている母親の歌と思われます。

「 - - 露霜(つゆしも)の 秋さり来れば 
生駒山 飛火(とぶひ)が岳の 
萩の枝(え)を しがらみ散らし 
さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 
- - 」 
             巻6-1047  田辺福麻呂歌集

(- - 露が冷たく置く秋ともなると
 生駒山の飛火が岳で
 萩の枝を からませ散らして
 雄鹿が妻を呼び求めて 声高く鳴く- - )
 
作者は最後の宮廷歌人で、左大臣橘諸兄の庇護を受けていた人物。

741年 聖武天皇が都を恭仁京に遷都した時、平城京が廃都となり
寂びれゆく様子を悲しんだ長歌の一部です。

「飛火」は緊急時伝令の為の狼煙台(のろしだい)。

歌の前段で、春は桜が咲き、カワセミが鳴き飛ぶ美しい都も荒れてゆくと
悲しんでおり、そのうるわしい土地から離れてゆくので神がお怒りにならないよう、
一種の地霊を鎮める役割も担っている長歌です。

「 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに
      鹿鳴(かな)かむ山ぞ  高原(たかはら)の上 」  
                               巻1-84 長皇子

(  秋になったら 今、我らが見ているように
  鹿が妻に恋焦がれてしきりに鳴いているのを見たいと思うような
  高台の山ですね。)

天武天皇の子、長皇子が志貴皇子(しきのみこ:天智皇子)を 奈良佐紀の宮の
私邸に招き宴した時の歌。

二人は佐紀の宮から北に見える小高い丘を見ながら春の景色を楽しんでいます。
そして「今もみるごと」は屋敷の中にある絵。
秋の野で鳴く鹿の屏風絵を見ながら詠っているのです。
邸宅の春の景色を楽しみながら、

「 秋にもまたおいで下さい、きっとこの絵のような景色や鹿の声が
 聞こえますよ。」

と細やかなおもてなし。
天武系と天智系の皇子が打ち解けながら、和気あいあいと楽しんでいる
様子が彷彿されます。

京都御所を拝観している時、このような情景ぴったりの襖絵を見付けました。
妻呼ぶ鹿と萩の取り合わせ。
まるで、この歌のために描かれた絵のようです。

「 この寝(ね)ぬる 夜(よ)のまに秋は 来(き)にけらし
        朝けの風の 昨日(きのふ)にも似ぬ 」 
                         藤原季通(すゑみち)   新古今和歌集

( 寝ていたこの一夜のうちに、秋がいつの間にかやってきたらしい。
 今日の明け方の風は、昨日とちがって涼やかだ。)

風に秋を感じた歌が多い中、肌の冷気で秋到来を詠った一首。

朝夕日増しに深まりゆく秋。
そろそろ熱燗が恋しくなる季節です。

「 夕されば 秋風吹きて 縄のれん 」 筆者


         万葉集701 (秋されば) 完


          次回の更新は9月14日(金)の予定です。




by uqrx74fd | 2018-09-06 10:38 | 自然