カテゴリ:自然( 100 )

万葉集その六百九十八 (浜風)

( 瀬戸内海の朝 )
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( 稚内から利尻富士を臨む )
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( 安房鴨川  千葉県)
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( 江の島 )
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万葉集その六百九十八(浜風)  

万葉集で詠われている風は180首余、そのうち秋風が圧倒的に多く50首。
他は朝風、神風、春風、東風、港風、湖風、川風、横風、沖つ風、南風、
松風、浜風、比良山風、伊香保風、佐保風、明日香風などさまざまな風が
登場します。

「浜風」は「浜に吹く風、浜から吹き寄せる海風」という気象用語のほか、
大相撲年寄名跡、船名、JRの列車名などにも見られるのは、
爽やかな語感が好まれたのでしょうか。

万葉集の「浜風」は4首。
いずれも旅愁を感じさせる歌ばかりです。

「 淡路の 野島の崎の 浜風に
        妹が結びし 紐吹き返す 」 
                     巻3-251 柿本人麻呂

( 淡路の野島の崎、船から港に降り立てば、
 心地よい浜風が吹いてきた。
 その浜風が旅立ちの時に航海の安全を祈って愛しい妻が
 結んでくれた着物の紐を、はたはたと吹きひるがえしている。)
 
瀬戸内海を旅した時に詠った8連作の中の1首です。

難波から西に向けての旅の途中、淡路島の野島での歌。
大阪湾と播磨灘の境、明石海峡の早い潮流を通り過ぎて最初の船泊。
ようやく最初の難関を無事通過することが出来たという安堵と共に、
故郷大和から遥かに遠ざかってしまった寂寥感を感じている作者。

ふと、折から風が吹き抜け、妻が結んでくれた旅衣の紐がひるがえった。
当時の旅、とりわけ船旅は危険がいっぱい。
妻が自分の魂を込めて結んでくれた紐。
あぁ、妻のお守りのお蔭でやっと無事に着いた。

それにしても今ごろ、どうしているだろうか。
まだまだ旅が続くが、無事を祈ってくれよ。と呟く。

古の人にとって浜風は単なる潮風ではなく、魂を運ぶ使者なのです。

  「 我妹子(わぎもこ)を 早見浜風 大和なる
           我れ松椿 吹かずあるなゆめ 」  
                      巻1-73  長皇子

( 我が妻を早く見たいと思うその名の早見浜風よ、
 大和で私を待っている松や椿、そいつを吹き忘れるでないぞ。
  決して 。)

作者は天武天皇皇子。
文武天皇難波行幸の折の宴席での歌です。

 早見に「早く(妻)を見たい」 
 松に「待つ」、
 椿の「つば」に「妻」をかけています。

 ゆめ:決して
 早見浜風:大阪住吉あたり(早見)を吹く浜風

作者は言葉遊びが好きだったらしく、技巧をこらしながら
望郷の思いを述べています。
大和から難波までそう離れていないのに、古代は徒歩の旅。
険しい山々も越えなくてはなりません。

「 浜風よ 私を待つ妻に伝えてくれ。
  もう少しの辛抱だと 」

「あさりすと 磯に棲む鶴(たづ) 明けされば
         浜風寒み  己妻(おのづま)呼ぶも 」 
                            巻7-1198 作者未詳

( 餌をあさろうと 磯に居ついている鶴。
 その鶴も明け方になると 浜風が冷たいので
 自分の妻を呼び求めて鳴いているよ )

当時は全国いたるところで鶴が見られたようです。
妻呼ぶ声に自分自身の気持ちを重ねている作者。
しみじみとした寂寥感、旅愁を感じさせる1首です。

古代の人達が詠った浜風は今日我々が感じるニユーアンスとは
かなり違っていたようです。

海が無い奈良の都の人たちにとって、海風に吹かれるのは遠く離れた旅先。
特に、難波から九州、新羅、唐への長い船旅は生還を期し難い決死行。
愛する家族に再び会いまみえることが出来るかどうか?
そのような気持ちが風を詠む歌にも滲み出たのでしょう。

 「 浜風や 球(たま)は流れて 右左(みぎひだり) 」  筆者

今風の「浜風」といえば「甲子園球場」
それは、海から吹き上がり球場のライトからレフトに流れる風。
ライト方向に高く上がった打球が押し戻されたり、
レフト方向に舞い上がった打球が風に乗ってスタンドイン。
選手泣かせの気まぐれ風は夏に多く、100年来の甲子園名物なのです。

さぁ、今日も熱闘甲子園を観戦するとしましょうか。

 「 浜風や 球(たま)見失い 泣く球児 」  筆者



        万葉集698 (浜風) 完


        次回の更新は8月24日(金)の予定です。
 
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by uqrx74fd | 2018-08-16 18:17 | 自然

万葉集その六百九十七 (雲の峰)

( 美幌峠  北海道網走郡 )
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( 雲の峰  山辺の道 奈良 )
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(  南アルプス連峰 )
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( 三輪山:正面  巻向山 :左側 )
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万葉集その六百九十七(雲の峰)

 「雲の峰 立つに崩るる こと早し 」   稲畑汀子

「雲の峰」という語の由来は中国の陶淵明の詩「四時(しいじ)」にみえる
「夏雲奇峰多し」によるものとされています。

日ざしの強いときの上昇気流によって生じる積乱雲のことで、またの名は入道雲。
夏歌の格好の景観ですが、古のやんごとなき堂上貴族にとって、
むくつけき雲は興を引かなかったのか、歌語として定着したのは
元禄時代以降だそうです。

万葉人はそのような雲を「立てる白雲」と詠いました。

「 はしたての 倉橋山に 立てる白雲
    見まく欲(ほ)り 我がするなへに  立てる白雲 」  
                           巻7-1282 柿本人麻呂歌集

( 倉橋山に むくむくと湧きたっている白雲よ 。
見たいと思っていたときに
 ちょうど立ち昇った雲よ。
 懐かしいあの人を偲ばせる白雲よ。)

はしたて: 梯子のことで高床式の倉に上る階段、倉にかかる枕詞
倉橋山: 奈良県桜井市の音羽山か。山の辺の道から臨める。

この歌は旋頭歌といい五七七.五七七を基本形とし、
もとは問答の掛け合いに由来します。

かって愛した女性との思い出の場所。
その面影を雲に見たいと思いつつ空を眺めていたら、
雲が湧き上がってきたと感動しています。

古代の人にとっての雲は、大切な人を偲ぶよすが。
旅に出ては故郷の方角に向かって「雲よ俺は元気だと伝えてくれ」と祈り、
恋人と離れている乙女は、毎日雲に向かって「あなた」と
呼びかけていたのです。

「 穴師川(あなしがわ) 川波立ちぬ 巻向の
     弓月が岳に   雲立ちわたる 」  
                  巻7-1087 柿本人麻呂歌集

( 穴師の川に、今しも川波が立っている。
 巻向の弓月が岳に雲が湧き起っているらしい)

「 あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
      弓月が岳に 雲立ちわたる 」 
                       巻7-1088 柿本人麻呂歌集

( 山川の瀬音が高鳴るとともに、 弓月が岳に雲が立ちわたっている)

川音を聞きながら歩いていると、一陣の風が吹きわたり急に波音が高くなった。
ふと上を見ると雲がぐんぐん大きくなり動いていく。
まさに驟雨が襲い掛からんとする状態。

「鳴るなへに」とは鳴るとともにという意味で、聴覚から視覚へ移り
また視覚から聴覚へと動的な変化を見事に表現しており、
その堂々とした力感と格調の高さは万葉名歌中の名歌。
作者は人麻呂と、ほぼ断定されています。

以下は伊藤博氏の解説です。

「 山と川が呼応して動き出した一瞬の緊張を荘重な響きの中に託した
  見事な歌である。
  響き渡る川音を耳にしながら、山雲の湧き立つのを見ている。
  作者は穴師の川をさかのぼって、弓月が岳に近く迫っているのであろう。
  一気呵成、鳴り響く声調の中に山水の緊張関係は更に深められ、
  躍動する自然の力は神秘でさえある。
   弓月の山水はこうして永遠の命を確立した。」 (万葉集釋注4)

 「 あをによし 奈良の都にたなびける
        天の白雲 見れど飽かぬかも 」  
                           巻15-3602 作者未詳

( きらびやかな奈良の都に棚引いている天の白雲
 この雲は見ても見ても見飽きることがありませんね )

遣新羅使人が旅の途中で古歌として披露したもの。
海原の彼方に湧きあがっている雲を眺めながら、懐かしい故郷を思い出す。
瞼に浮かぶ赤や緑の色彩鮮やかな都の大極殿や朱雀門
青空に棚引く白雲。
色彩感にあふれ、しみじみとした郷愁を感じさせる1首です。

 「 雲の峰 いくつ崩れて 月の山 」  芭蕉

「 奥の細道の旅の途中、月山(がっさん:山形県)に登り、頂上の小屋で泊まる。
日が暮れると、炎天にそびえていた、いくつもの雲の峰がみな崩れ果てて、
今、芭蕉たちのいる月山をほのかな月の光が照らしている。」
                              ( 長谷川櫂 季節の言葉 小学館より )

            月の山:月山と月が照らす山を掛けている



          万葉集697. 雲の峰 完


       次回の更新は8月17日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-08-09 18:12 | 自然

万葉集その六百九十五 (雷神)

( 一天にわかにかき曇り ゴジラ登場:右端  N.F さん提供 )
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( 雷電とは雷と稲妻  では稲妻とは?( 委細は本文で)
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( 風神雷神図屏風  俵屋宗達  東京国立美術館蔵 )
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( 暴風雨の中の遣唐使船  奈良万葉文化館 )
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  万葉集その六百九十五 (雷神)

雷は昔から地震と共に恐れられ、その被害も大きかったので
神の仕業と思われていました。
雷(いかづち)の語源は「厳(いか)つ霊(ち)」で「畏怖すべき神」。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」では鬼形で描かれています。

また雷の光は稲と結合して実を結ぶと信じられていたことから、
稲妻という言葉も生まれました。
雷が鳴り雷光が頻繁に光ると空中の窒素が分解されて地中の窒素肥料となり
地上の稲を妊娠させる。
つまり、稲妻は豊年のしるしなのです。
勿論、古の人達はそのような科学的根拠を知る由もありませんが、
その自然観察の正確さには ただただ驚嘆するばかりです。

古代の雷は「鳴る神」とよばれ、原文表記は雷神、鳴神、響神。
いずれも「なるかみ」と訓まれていますが、当時はそれほど恐ろしいと
感じていなかったのか枕詞や恋歌に登場します。

「 鳴る神の 音のみ聞きし 巻向(まきむく)の
    檜原の山を 今日(けふ)見つるかも 」 
                  巻7-1092 柿本人麻呂歌集

( 噂に鳴り響いていた巻向の檜原の山。
 ようやく念願かなって、今日この目ではっきりと見たよ )

人麻呂は巻向周辺で多くの歌を詠っており、この近くに妻が住んでいたためと
思われます。
この歌も格調の高く、人麻呂が詠ったものと推定され、
初めて巻向を見た人の立場になり、大いに感動した心を述べています。
巻向は山の辺の道、三輪山近くにあり、檜原神社は伊勢神宮の本家と
されている由緒ある社です。

「 鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り
       雨も降らぬが 君を留めむ」 
                     巻11-2513 作者未詳

( 雷がちよっとだけ鳴って、空がかき曇って雨でも降ってくれないかなぁ。
 そしたらあなたをお引止めできるのに)

二人は逢い引きの最中。
まだまだ別れたくない女。
雷に事寄せて男に甘えています。
それに対して男は

「 鳴る神の 少し響(とよ)みて 降らずとも
      我(わ)は留まらむ  妹し留めば  」  
                      巻11-2514  作者未詳

( お前さんが 俺の袖を引っ張って胸に飛び込んでくれたら
 雷など鳴らなくても、ずっと一緒にいるさ。)

「 すがってこなければ帰っちゃうぞ 」と半ば体の関係を持ちたい
下心がある男。
伊藤博氏によれば、
「 雷雨などをもちだして不安や悲哀を述べるのは日本の歌の伝統 」
なのだそうです。

「 あまのはら 踏みとどろかし 鳴る神も
        おもふ仲をば 裂くるものかは 」  
                 読み人しらず 古今和歌集

( 広い大空を踏みとどろかせて鳴る雷とて、愛し合う我々二人の
 仲を離すことなど出来はしないよ )

どうやら抱き合っていた二人が突然轟いた雷の音に驚き、
ますます強く抱きしめた場面のようです。
すこし大げさでながらユーモラスな一首。

「 逢うことは 雲居はるかに 鳴る神の
     音に聞きつつ 恋ひわたるかな 」 
                         紀貫之 古今和歌集

(  あなたにお逢いすることは、遥か遠くに隔てられているため果たし得ず
  ただただ噂に聞くだけで恋い慕い続けていることです。)

雲居はるかは宮中奥深いの含意があり、相手は高貴な女性なのでしょう。
男女が逢うことは結ばれること、でも、ままならない忍ぶ恋。

  「遠雷を聞く」は「噂に聞く」の意。

古代の人達にとって「鳴る神」は恋を取り持つ神様だったようです。

 「 脳天に 雷火(らいか) くらひし その刹那 」   緒方句狂

以下は長谷川櫂著 「季節の言葉(小学館)」からです。

「 右大臣菅原道真は藤原氏の讒言(ざんげん)により大宰府に左遷され
悲しみと憤りのうちにそこで亡くなる。
その後、都では落雷が相次いだために、道真の怨霊が雷になって
たたりをなしているに違いないと信じられた。
ところが、都でかって道真の邸宅があった場所には一度も雷が落ちない。
そこが桑原というところであったので、後に「桑原、くわばら」と
唱えると、雷除けになるという言い伝えが生まれた。 」

「 鳴神や 暗くなりつつ 能最中(さなか)  」 松本たかし

      能狂言で「くわばら くわばら」は良く使われ、
      それと重ねあわせると味わい深くなる句です。


  万葉集695(雷神)完


 次回の更新は8月3日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-07-26 08:04 | 自然

万葉集その六百八十九 (入梅)

( 傘さす子供   春日大社  奈良 )
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( 卯の花  歌の世界では 「卯の花腐:くた)し」 と詠われる   奈良万葉植物園)
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( フサフジウツギ  ウツギは卯の花の現代名  小石川東大植物園 )
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(  6月に咲いたカワラナデシコ   奈良明日香 ) 
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( 雨の露草  法華寺  奈良 )
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   万葉集その六百八十九 (入梅)

暦の上での入梅は立春から135日目。
梅の実が熟する頃です。
通常6月11,12日あたりから始まる約30日の長雨と予測されていますが、
今年は6月6日に近畿、東海、関東甲信越が梅雨の入り。

「梅の雨」という言葉は室町時代の本に見える(倉嶋 厚:季節しみじみ事典)そうですが、
歌語としてよく使われるようになったのは江戸時代。

   「 降る音や 耳も酸(す)ふなる 梅の雨 」  芭蕉

( 梅雨時の連日の雨音は、いいかげんに聞き飽きて、
  耳も酸っぱくなる感じである。
  「酸っぱいのも道理、梅の雨だもの。」
   という洒落 )

が早い例とされていますが、万葉時代この季節の雨は「卯の花腐(くた)し」と
詠われました。

「 卯の花を腐(くた)す長雨(ながめ)の 水始(みずはな)に
    寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ子もがも」 
                                19―4217 大伴家持

( 卯の花を痛める長雨で水かさが多くなった川、その流れの先に木の屑が
  いっぱい集まっています。
  このような木屑のように私のところに美しい女性が
  集まってくれたらいいのになぁ。)

    水始(みずはな):  「はなみず」とも読み水量の増した流れの先端のこと。
                 ここでの「腐(くた)す」は「腐らす」ではなく「散らす」「だめにする」
                 の意です。

万葉人にとって、この時期の長雨は卯の花だけではなく、
撫子、花橘も散らし、ホトトギスを山にとどめておく恨めしい雨でした。

「 かくばかり 雨の降らくに ほととぎす
      卯の花山に なほか鳴くらむ 」  
                     巻10-1963 作者未詳

( こんなに雨が降っているのに、 ホトトギスは卯の花の咲く山辺で
 今もなお鳴きたてているのであろうか )

「 ホトトギスよ!
お前がいくら卯の花を好むかといっても、こんな雨が降る中、
いつまでも山の中にこもって鳴きたてていなくてもよいだろう。
早く里に下りてきて、ここで鳴いておくれよ 。」

と初音を待ちわびる作者です。

「 見わたせば 向ひの野辺の なでしこの
           散らまく惜しも 雨な降りそね  」
                  巻10-1970 作者未詳

( 見わたすと ま向かいの野辺に美しく咲いている。
  雨よ 降らないでくれ。
  こんな美しい花を散らすのが惜しいんだよ。)

撫子は花期が早く6~7月から咲き出します。
桔梗も然り。
秋の7草が一堂に会することは、もはや無理かもしれません。

「 雨間(あめま)明けて 国見もせむを 故郷の
       花橘は 散りにけむかも 」  
                         巻10-1971  作者未詳

( 雨の晴れ間を待って山野を眺めたいと思っているのに
 故郷の橘の花は 雨に打たれてもう散ってしまったことであろうか )

作者は旅に出て帰郷する途中のようです。
はるか彼方の故郷の方角を眺めながら、「懐かしい花橘よ、散らずに待っていておくれ。」
と願う作者。

「 卯の花腐(くた)し」は平安時代になると「五月雨」(さみだれ)と共に
詠われるようになります。

「 いとどしく 賤(しづ)の庵(いほり)の いぶせきに
       卯の花腐し  五月雨(さみだれ)ぞする 」 
                            藤原 基俊(もととし)

( ただでさえ鬱陶しいわび住いの庵なのに、五月雨が降り続き
  卯も花を傷めつけていることよ 。)

梅雨時の憂鬱を表現するため、花を次第に弱らせていく「卯の花腐し」と
「五月雨」をかさねあわせたもの。

「 五月雨に 物思ひおれば 時鳥
    夜深く鳴きて  何地(いづち)ゆくらむ 」 
                        紀友則 古今和歌集

( 五月雨の季節です。
物思いにふけってじっとしていると、ホトトギスの声が聞こえる。
こんなに夜更けに鳴いていったい何処へいくのであろうか。)

千々に思い乱れている恋する人。
「さ乱れ」と「五月雨(さみだれ)」 を掛けた技巧の歌です。

そして江戸時代にやっと梅雨が登場します。

 「 筍の 合羽(かっぱ)着て出る 入梅(ついり)かな 」 支考

筍(たけのこ)の皮を合羽に見立てた洒落。
この時期は筍がにょきにょきと伸びる季節です。

 「 五月雨を 集めてはやし 最上川 」  芭蕉

梅雨の語源は多湿を意味する「つゆ」とされ、湿っぽく感じますが、
五月雨の語感は強く爽やか。

そして現在。

「梅雨」は主に時候,雨期を、「卯の花腐し」「五月雨」は共に
雨そのものを詠うという繊細な表現がなされています。

以下はそれぞれの使用例です。

「 谷川に 卯の花腐し ほとばしる 」 高濱虚子

「 五月雨(さみだれ)は 今ふりやみて 青草の
      遠(とほ)の大野を 雲歩みゆく 」  太田水穂

「 これよりの 梅雨の憂き日の 一日目 」  稲畑汀子



       万葉集689 (入梅) 完


      次回の更新は6月22日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-14 17:50 | 自然

万葉集そ六百七十四 (はだれ)

( 筑波山残雪 )
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( 早春の草津温泉 )
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( 皇居北の丸公園のはだら雪 )
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( 夜半のはだら雪  翌朝に消えていた  高千穂神社 佐倉市)
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( 鹿の子まだら という語もはだらの縁語 )
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( コハダという名前もはだらに由来 )
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万葉集その六百七十四 (はだれ)

「 この里の 麦畑ぞひの 横山を
           はだらにしたる  けさの薄雪 」  太田水穂

「 昼すぎより 吹雪となりぬ すぐ消えむ
           春の班雪(はだれ)と おもほゆれども 」   斎藤茂吉

「はだれ」とは「雪がはらはらと降り積もるさま」や「消え残った雪や、霜」
のことをさし、「はだら」「ほどろ」ともいわれます。

季語語源成り立ち辞典 (榎木好宏著 平凡社) によると

『 「はだれ」は草木の葉の傾くほどに降った雪、あるいは、
  まだら雪のことですが、歌論書「正徹物語」に
  「 いづれにてもあれ、うすき雪のことなり」と出てきます。
  古くから「葉垂れ説」「まだら説」、さらに「降る雪の形容説」が
  ありましたが、現在の定義は
  「 地上における雪、霜のさま」に落ち着いている。』 そうな。

万葉集では6首登場し、いずれも「薄く降り積もった雪、霜」の意に
用いられています。

「 夜(よ)を寒み 朝戸(あさと)を開き 出で見れば
       庭もはだらに  み雪降りたり 」 
                     巻10-2318 作者未詳

( 夜通し寒かったので、朝、戸を開けて外へ出て見ると、なんと
 庭中雪がうっすらと降り積もっていることよ。)

もう春だと思って寝たら夜中に肌寒さを感じた。
目が覚めてから戸を開けて外を見ると、青々とした草木の上に置く薄雪。

早春によく見られる光景ですが、思わぬ美しい景色を見た作者の喜びが
感じられる一首です。

「 笹の葉に はだれ降り覆ひ 消(け)なばかも
           忘れむと云えば まして思ほゆ 」 
                      巻10-2337 作者未詳

( 「笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように
   私の命が消えでもすれば、あなたを忘れることも出来ましょう 」
  などとあの子が言うものだから、ますますいとおしく思われることだ。)

「 あなたが好きで好きで忘れられない。
  いっそのこと、「はだれ」のようにすぐに消えてしまったら
  苦しみも無くなりどんなにか楽なことでしょう。
  でも、それは無理 」とかき口説く乙女。

 「あぁ、なんと可愛い子だ」
  と相好を崩す男です。

 笹の葉の緑と薄雪の対比が鮮明な一首。

「 御食(みけ)向かう 南淵山の 巌には
              降りし はだれか 消え残りたる 」 
                    巻9-1709 柿本人麻呂歌集

( 南淵山の山肌の巌にいつぞや降った薄ら雪が、
  まだ消え残っているだろうか)

作者が弓削皇子に献じた歌。
伊藤博氏は
「 周囲の雪が瞬く間に消えてしまったのに、南淵山の巌にわずかにでも
 残っている喜びを、疑うような形で詠嘆することによって述べた。
 残雪という題を出されて献じた歌かもしれない。」(万葉集釋注)

とされています。

 御食(みけ)向かう: 「南淵山」(飛鳥川上流)の枕詞
              「御食(みけ)」は天皇など貴人に奉げる食事のことで、
              その一つに蜷(みな:巻貝)があり、同音の南(みな)を掛けたもの。
               他に「粟(あわ)」:「淡路(あわじ)」、
               「酒(き)」:「城上(きのへ)」などの例があり、いずれも
               「御食(みけ)向かう淡路」「御食向かう城上」などと使われている

「 淡雪か はだれに降ると 見るまでに
         流らへ散るは  何の花ぞも 」 
                      巻8-1420 駿河采女

( 淡雪がはらはら降って来るかと見まごうばかりに
 流れ散ってくるのは一体何の花なのであろうか )

白梅の落花を降る雪と見た歌。
梅花を愛でる宴席で散る花の美しさを詠ったようです。

淡雪:白く細かい泡のような雪 

「はだら」については次のような説もあります。

 『 「ハダラ」はマダラの変異形。
   もともとは「接合する」の意の「マジワリ(交わり)」が
   「マザリ」「マダラ」「ハダラ」と転じて接合点、境目、
    区切り、筋目、縞(しま)、ひいては斑紋の意を表したと思われる。

   久留米で小鰭(コハダ)をハダラというが、それは腹に(斑紋ではなく)
   助状(あばらじょう)の筋目があることによる名である。
   ハダラの原義が筋目、縞であることを教える語例であろう。

   斑文のある海獣アザラシのアザラや、筋目や斑文のある貝、浅利(アサリ)も
   ハダラと大本でつながっていよう。

   なお、岡山で雪などがまばらに降ることをハダレルという。
   斑(はだら)から派生した語である。』

              ( 歳時記語源辞典(要約) 橋本文三郎 文芸社 』

たった三文字の「はだら」は、なかなか奥が深い。
そうそう、鹿の毛の白い斑点を「鹿の子まだら」という表現も古くからありました。

  「 うら寒き 春の日ざしは はだら雪
           消(け)のこる杉に  さしこもりたり 」   若山牧水


              万葉集674(はだれ)完


             次回の更新は3月9日(金)の予定です
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by uqrx74fd | 2018-03-01 17:18 | 自然

万葉集その六百七十 (雪の歌)

( 筑波山雪景色 )
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( 箱根 強羅 )
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( 高千穂神社  佐倉市 )
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( 雪の梅  皇居東御苑 )
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(  桜の蕾  同上 )
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(  木の枝が美しく映える 皇居東御苑 ) 
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   万葉集その六百七十 (雪の歌)

雪は古くから詩歌、文学の好材料とされ、万葉集で150余首も詠われています。
特に古代大和では冬の厳しい寒さにもかかわらず、積雪が少なく、
稀に大雪になると子供のようなはしゃぎよう。
加うるに白雪は白米とみなされ、豊穣のしるしとして為政者も寿ぎ喜んだのです。

「 大宮の 内にも外(と)にも めづらしく
       降れる大雪  な踏みそね惜し 」  
                 巻19-4285 大伴家持

( 大宮の内にも外にも一面に 珍しく降り積もっている大雪。
 この見事な雪を踏み荒らしてくれるな。勿体ない。)

753年、正月11日 都に大雪、新暦2月中旬の頃です。
佐保の自宅から出仕してきた作者は宮中の広場の足跡もない美しい景色を
目の当たりにして、心躍る思いだったのでしょう。
感動と喜びがあふれる一首です。

     「な踏みそね」:「な」-「そね」禁止を表現する語法


「 松陰の 浅茅が上の 白雪を
          消たずて置かむ ことは かもなき 」  
                    巻8-1654   大伴坂上郎女

( 松の木陰の上の白雪、
  この雪をそのまま消さないで残しておく手だてがないのが残念です。)

   ことは かもなき: 「こと」は「事」で「手段」 
               「かも」は疑問 

周囲の雪が消え、松陰にのみ わずかに消え残る雪に深い愛惜を述べたもの。
万葉人がいかに雪を珍しく、また、好ましく思っていたのか窺われます。


津軽の雪は「こな雪」「つぶ雪」「わた雪」「みず雪」「かた雪」「ざらめ雪」
「こおり雪」 (太宰治著 津軽 新潮文庫) とよばれているそうですが
万葉集では単なる「雪」と詠ったもの(105首)、淡雪(15)、み雪(14)、白雪(8)、
大雪、雪解,霜雪、はだれ、初雪など負けず劣らず多彩な表現がなされています。

いずれも「雪よ降り積もれ」と詠ったものが多い中、次の歌は恋人との逢瀬を前にして、
「雪よ降るな」と願った珍しい例です。

「 わが背子が 言(こと)うるはしみ 出(い)でて行(ゆ)かば
      裳引き(もびき)しるけむ  雪な降りそね 」 
                            巻10-2343  作者未詳

( あのお方の優しいお言葉に引かれて外に出て行ったら
  裳を引きずった跡がはっきり残ってしまいます。
  雪よ! そんなに降り積もらないでおくれ。)

   「 言(こと)うるはしみ 」: 「やさしさに心惹かれる」の意
   「 裳引きしるけむ 」 : 「裳の裾を引きずって歩いた跡」の意

今日は待望のデートの日。
男は「家の近くに来たら合図をするから出てこいよ」と約束してくれた。
ところが生憎、雪が降りしきっている。
スカートのような長い裳を引きずって行ったら跡が残ってまわりのものに
知られてしまう。
恋は秘密にというのが当時の定め、噂になったらどんな中傷があるか分からない。

「 どうしょう、雪よ積るな、消えておくれ。」

と天を仰ぎながら願う乙女です。

  「 大原の をか(丘)の お神が 降らす雪
            大和国はら(原)   道もなきかな 」   上田秋成

江戸時代後期、雨月物語で知られた作者は雪の秀歌を多く残しました。
上記の歌は万葉集から本歌取りしたものです。

「 わが岡の おかみに言ひて 降らしめし
                 雪の砕けし そこに散りけむ 」    
                        巻2-104 藤原夫人(ぶにん)

( 恐れながらこの雪は私が岡の水の神に言いつけて
      降らせたものでございますよ。
      その雪のかけらがそちらに散ったのでございましょう)

ある日、飛鳥、浄御原(きよみがはら)宮に大雪が降った。
喜んだ天武天皇は実家に帰っている側室、藤原夫人に次のような歌を届けた。
夫人がいる大原(明日香村小原)は、天皇の住居と500mも離れていないのに、
「お前の住む大原は古ぼけた田舎の里」と揶揄され、

「 わが里に 大雪降れり 大原の
    古りにし里に 降らまくは後(のち)」  
                        巻2-103 天武天皇

( オ-ィ わが里に大雪が降ったぞ! 
  そなたは今、大原に里帰りしているようだが
  その古ぼけた里に降るのはずっと後のことであろうなぁ。 )

藤原氏は先祖中臣氏以来、宮廷に伝わる聖なる水の信仰を管理する家柄で
夫人は「 雪をも司る水の神、竜神の本家はこちらでございますよ。
ご自慢なさるのはおかしいわ 」と やり返し、さらに

天皇の「里」に対して「岡」 「大雪」に対して「雪の砕けし」 
「降る」に対して「散る」と機知あふれる応対をされたもので、
二人の仲睦まじい様子が頬笑ましい一幕です。

「 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
          吉野の里に 降れる白雪 」 
                        坂上是則 古今和歌集 百人一首

「朝ぼらけ」: 夜がほのぼのと明けるころ。

大和の吉野で旅寝の朝、目をさましてみると外がぼうっと明るんでいる。
有明の月の光がさしこんでいるのかしら、といぶかって見ると
夜のあいだに一面薄雪が降り敷いていた。
明け方、まだ人の動きも見えない静まりかえった山里。
静寂、清々しさを感じさせる秀歌。
作者は征夷大将軍、坂上田村麻呂の四代の子孫と伝えられています。

「 竹ほどに 直(すぐ)なる物は  なけれども
                ゆきゆき積もれば  末はなびくに 」   隆達小歌

      ゆきゆき: 雪々と行々を掛けている

( いかに真っ直ぐ立っていようとも、雪が積もれば竹だとて
  しまいには枝を垂れなびかせる。
   あの子だって、この俺が行き行き、頻繁に通えばきっと靡くさ。 )


        万葉集670 雪の歌 完


         次回の更新は2月9日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-02-01 14:31 | 自然

万葉集その六百五十三 (月)

( 春日山の月  奈良 )
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( 中秋の名月  2017,10,4撮影 )
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(  同上 )
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(  若草山焼きと月    奈良 )
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( 歌川広重も絵に描いた月の松   上野公園 )
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( 狸囃子  明日香 棚田案山子祭り   奈良 )
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( 餅つく兎さん   同上 )
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(  二人で月見   同上 )
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万葉集その六百五十三 (月)

澄み切った秋の空。
地上を煌々と照らす月は爽やかで四季を通じて最も美しい。
それゆえ詩歌の世界で単に「月」と云えば「秋の月」をさし、
他の季節の月をいうときは「春の月」「夏の月」などの、ことわりがいるそうな。

今夜(10月4日)は仲秋の名月。
雲が少し多いが金木犀の香り漂う良夜です。
さぁさぁ、万葉人と一緒にお月見を致しましょう。

「 春日山 おして照らせる この月は
       妹が庭にも  さやけくありけり 」
                     巻7-1074 作者未詳

( 春日山一帯をあまねく照らしているこの月は
 いとしいあの子の家の庭にもさわやかに照り輝いていたなぁ。)

「おして照らせる」: 地上をあまねく照らしている

作者は数日前、愛しい人の家で一緒に月を愛で、その余韻にひたっています。

春日山の上で輝いている月は今日も我家の庭を照らしている。
あの時は彼女も月も美しかった。

酒杯を傾けながら、楽しかったひと時を瞼に思い浮かべ、
今頃、あの子はどうしているだろうか、と呟く男。

次の二首は春日山に隣接する高円山麓での月見歌です。

「 常はかって 思はぬものを この月の
     過ぎ隠らまく 惜しき宵かも 」 
                       巻7-1069  作者未詳

(  日頃はついぞ思ったこともないのに、目の前の月が西に傾いて
  見えなくなるのが、とりわけ惜しまれる今宵ですなぁ。)

招待された客の挨拶歌。
月を褒めることによって、主人への賛辞と謝意を述べたもの。
普段は月が落ちるのを見ても何とも感じなかったが、あなた様とこうして
盃を傾けながら月を愛でていると、時間が立つのが名残惜しく思われてなりません。

「 ますらをの 弓末(ゆずゑ)振り起こし 猟高(かりたか)の
      野辺(のへ)さへ清く 照る月夜(つくよ)かも 」
                              巻7-1070  作者未詳

( ますらおが 弓末を振りたてて猟をするという名の猟高の野。
 今夜はこの野辺まで清らかに照り映えて見えています。
 なんと素晴らしい月夜なのでしょうか。)

猟高: 奈良春日山に隣接する高円山近辺

客人に対する主人の返歌。
あなたさまと一緒に過ごすひとときは何と楽しいことでしょう。
この野原一面を照らす月の光も清々しく、酒も美味い。
さぁ、さぁ、もう一献どうぞ。

「 ぬばたまの 夜わたる月を 留(とど)めむに
        西の山辺(やまへ)に 関もあらぬかも 」 
                        巻7-1077  作者未詳

( 夜空を移つて行く月、この月を何とか引きとめる関所が
     西の山辺にでも ないものでしょうか。)

月を眺めているうちに、夜も更け明け方近くなってきた。
なんとかそのままずっと止まっていてくれないものか。

「 秋風に たなびく雲の 絶え間より
       もれ出づる月の  影のさやけさ 」
                      左京大夫顕輔(さきょうのだいぶ あきすけ)
                      新古今和歌集、百人一首


( 秋風に吹かれてたなびいている雲の切れ間から
 もれ出てくる月の光の、なんと明るく澄みきっていることか。)

「影のさやけさ」の「影」は光

秋の夜の華麗な月。
風に吹かれ流れてきた雲が一瞬月を隠す。
雲間から射す月の光もまた清々しく神々しい。
華やかさの背後に、そこはかとない寂しさが滲み出ている名歌です。

      「 月夜よし、 二つ瓢(ふくべ)の 青瓢(あおふくべ)
                   あら へうふらへふ と 見つつおもしろ 」 北原白秋


月に照らされながら ぶら下がっている二つの瓢箪が、
清風に吹かれて微かに揺れている。
盃を傾けながら眺めていると、飲むほどに
「あら、へうふら へふ」と酔いが廻ってきた。
これは、これは、瓢箪が揺れているのか、俺様が揺れているのか。
と興じている作者です。

 「 月読神(つくよみの かみ)にと 供(そな)ふ小机に
               茹で栗 団子 菊添ふすすき 」    窪田空穂



       万葉集653 (月)    完


      次回の更新は10月13日 (金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-10-05 10:56 | 自然

万葉集その六百四十八 (四季の歌)

( 春  桜の花びらの中で咲くスミレ )
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( 夏  海   銚子 )
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( 夏  恋の花  ササユリ )
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( 秋  フジバカマ )
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( 秋  カワラナデシコ )
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( 冬  鶴の親子  学友M.I さん提供 )
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( 尾形光琳 群鶴図屏風のCG 東京国立博物館 )
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万葉集その六百四十八 (四季の歌)

1972年(昭和47年)、「四季の歌」(荒木とよひさ 作詞 作曲)が
芹 洋子さんのレコード発売に伴って大流行し、歌声喫茶、コンサ-トなど、
到るところで歌われました。
現在60~70歳位の人にとって懐かしいメロディーと歌詞です。
今回は四季の歌とそれに合う万葉歌のコラボを試みたいと思います。

「 春を愛する人は 心清き人
  すみれの 花のような 
  僕の友だち  」  
                   ( 四季の歌 1番 荒木とよひさ 作詞 作曲 )

万葉歌は何と言ってもこの歌です。

 「 春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ
       野をなつかしみ 一夜寝にける 」 
                           巻8-1424 山部赤人

( すみれ摘みにやってきたけれどなんと春の景色の美しいこと
  つい見とれているうちにとうとう一夜をあかしてしまいましたよ )

  山部赤人は心清き人だったのでしょう。
 「 春の野にすみれを摘みにやってきた。
  摘んでいるうちにすみれが綺麗なぁ、可愛いいなぁと夢中になり
  ふと気が付いてみたら日が暮れてしまっていたが、なお立ち去りがたく
  とうとう一晩すみれのもとで過ごしてしまった」というのです。

  「野をなつかしみ」というのは「見惚れてあまりそこから離れたくない」の意

「 夏を愛する人は 心強き人
  岩を砕く 波のような
  僕の父親 」        (四季の歌 2番)

岩を砕く波は

「 大海(おほうみ)の 磯もと揺(ゆす)り立つ波の
         寄せむと思へる  浜の清けく 」        
                           万葉集 巻7-1239 作者未詳

( 大海源の岩礁を揺さぶるように、あたって砕ける波が
 打ち寄せようとしている浜辺のなんと清らかなことか )

さて、「僕の父親」ですが、万葉集での父母は約90首。
通い婚の為、母親が家庭を仕切っていたので母父という表記や母のみの歌が多く、
父親単独のものはほとんどありません。

次の歌は駿河国の若者が防人として九州に赴任する途中、
優しい両親を懐かしんで詠ったものです。

「 父母が 頭(かしら)掻き撫で 幸くあれて
            云ひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる 」 
                    巻20-4346 丈部 稲麻呂( はせつかべの いなまろ)

( 父さん、母さんが俺の頭をなでながら、
  「 気を付けて行くんだよ。達者でな。」 
  と云ってくれた言葉が何時までも忘れられないよ。)

当時、大伴家持が難波で防人の指揮を執っており、その際収録したものです。

 「 秋を愛する人は 心深き人
   愛を語る ハイネのような
   僕の恋人 」  
                           ( 四季の歌 3番 )

ハイネの愛の詩は多くありますが、下記の歌は可愛いですね。

「 おまえの瞳をみていると
  なやみも痛みも消えてゆく

  おまえの口にキスすると
  けろりと元気になれるのだ

  おまえの胸によりそうと
  天国へでもいったよう

  あなた好きよ といわれると
  もう泣かずにゃあ いられない 」 
                    ( ハイネ おまえの瞳を 井上正蔵訳) 

さて万葉歌は恋の達人、大伴坂上郎女の登場です
 
「 恋ひ恋ひて 逢へる時だに うるはしき
     言(こと)尽くしてよ 長くと思はば 」 
                          巻4-661 大伴坂上郎女

( なかなか逢えぬあたたゆえ
  せめて逢う夜は 夜もすがら
  愛の言葉を浴びたいの
  二人の仲が いつまでも
  続けと あなたも思うなら )      永井路子訳 


「 冬を愛する人は 心広き人
  根雪をとかす 大地のような
  僕の母親    」 
                     ( 四季の歌4番)

母親の情愛を詠った万葉歌は何と言ってもこの歌です。

「 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば
     我(あ)が子 羽(は)ぐくめ 天(あめ)の鶴群(たずむら) 」
                      巻9-1791 遣唐使随員の母

( 旅の途中あの子の宿りするところに霜が降ったら、
    どうか空飛ぶ鶴の群れよ、私の息子をその暖かい羽で包んでやっておくれ) 

733年、多治比広成(たじひのひろなり)を大使とする遣唐使一行の船が難波を出港。
渡唐の船はしばしば難破し確実な生還は期しがたいものでした。
船にはこの歌の作者の最愛の一人息子が乗っていました。
母は神に供物を捧げ大切な息子の無事を心を込めて祈ったのです。

古代、大和から難波への一帯は湿原地になっており、多くの鶴が棲息していました。
万葉人たちは旅の行き来に鶴が子供を可愛がる情景を幾度も見ていたのでしょう。
当時は船旅でも陸に上がり野宿をするのが習い。
母親は一人息子が寒い野を行く場面を想像し、鶴が子をいつくしみ、
抱きかかえるように「我が子羽ぐくめ」と空行く鶴群(たずむら)に手を合わせて
頼んだ母親の慈愛あふれる歌です。

伊藤博氏は次のような温かい解説をされています。

「 母親としてまた女としてなしうる神祭りに精魂を傾けることで子の幸を
  祈るだけでは足らず、天の鶴群に呼びかけて鎮護を願っているところが痛ましい。

  <我が子 羽ぐくめ 天の鶴群> には我が身を鶴になして常に子の周辺に
  いたいという母親の身の切るような愛情がにじみ出ている。
  こういう歌を読むと子は母親にとって永遠の胎児であり
  分化を許さないその心情は解説の言葉を寄せ付けないことを痛感せざるを得ない」 
                       (万葉集釋註五より) 

   「 春夏秋冬愛して 僕らは生きている
               太陽の光浴びて 明日の世界へ 」     四季の歌5番



           万葉集648(四季の歌) 完

           次回の更新は9月8日 (金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-09-01 00:00 | 自然

万葉集その六百四十五 (秋立つ)

( 夏と秋が行き交ふ空 )
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( 蟋蟀:コオロギ 向島百花園 )
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( かわづ=カジカ 吉野川 )
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(  残暑お見舞い  朝顔の氷漬け   上野 )
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( 沖縄ビードロ  川崎大師 風鈴市 )
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( 福島 喜多方  同上 )
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( 京都  同上 )
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(  佐賀 伊万里 同上 )
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万葉集その六百四十五 (秋立つ)
 
立秋(8月7日)を過ぎたとはいえ、まだまだ衰えを見せない うだるような暑さ。
寝苦しい夜が続き、「早く秋が来ないかなぁ」と溜息をつく。

そんな時、早朝、起きがけに窓を開けると涼しい風がさっと吹き入り
頬を撫でてくれた。
「あぁ、今までの風とは違う」
やはり、秋は近くまで来ているのです。

古今和歌集では、このような気持ちを次のように詠っています。

「 夏と秋と 行きかふ空の かよひぢは
           かたへすずしき  風や吹くらむ 」 
                   凡河内躬恒 ( おおし こうちの みつね) 古今和歌集

( 夏と秋が入れ違って往来する空の通路は
 片側だけが涼しい秋風が吹いているのであろうか )

「 片側の道から夏が過ぎ去り、その反対側から涼しい秋風が吹きはじめて
  すれ違ってゆくのだろうかと想像(大岡信) 」 し、

「 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 
        風の音にぞ 驚かれぬる 」     藤原敏行  古今和歌集

               「驚かれぬる」:「はっと気がつく」

と続きます。

あまりにも有名なこの歌は1100年前の立秋の日に作られ、
今や多くの日本人がこの歌を心の中で口ずさみながら秋を感じ、
立秋といえば「風の音」と云われるまでになりました。

このように風をめぐる歌を文芸の世界にまで高めた萌芽は
既に万葉時代も多く見られます。

「 初秋風 涼しき夕(ゆうへ) 解かむとぞ
      紐は結びし 妹に逢はむため 」   
                     巻20-4306 大伴家持

( 涼しい初秋風が吹く来年の七夕に再び逢い、着物の紐を解こうと
誓いながらお互いに結びあったのだったなぁ。
 ようやく一年が経ちその日がやってきたよ )

難波に単身赴任中の作者が天の川を仰いで詠んだ一首です。
当時の人々は別れの際にお互いの衣服の紐をしっかり結び合っておけば
再び思う人に逢えると信じていました。
牽牛の待ちに待った喜びを詠ったものですが、
作者自身も妻にまもなく逢えるという気持も込めているのでしょう。

「初秋風」は大伴家持の造語、万葉集中この一例のみ。
古代の七夕は8月7日、「初」という言葉に立秋の意を含ませています。
こちらは「音」ではなく肌で感じた気配です。


「 萩の花 咲きたる野辺(のへ)に ひぐらしの
    鳴くなるなへに  秋の風吹く 」  
                         巻10-2231  作者未詳

( 萩の花が一面に咲いている野辺に ひぐらしの声が聞こえてきた。
 おぉ、秋風が吹いてきたなぁ。
 なんとも清々しいことよ。)

萩、蜩、秋風。
爽やかな秋到来の一首です。

「 庭草に 村雨降りて こほろぎの
       鳴く声聞けば 秋づきにけり 」 
                     巻10-2160 作者未詳

( 庭草に村雨が降り注いでいる折り、こおろぎが鳴いている。
 あぁ、秋らしくなったなぁ。)

「村雨」は「ひとしきり降ってさっと通り過ぎるにわか雨」

なんというセンスある万葉人の美しい造語。
白露の草陰ですだく蟋蟀の涼しげな音(ね)が聞こえてきそうです。

「 神(かむ)なびの 山下響(とよ)み 行(ゆ)く水に
    かわづ鳴くなり 秋と言はむとや 」 
                          巻10-2162 作者未詳

( 神なびの山下も鳴り響くほどに流れゆく川の中で、河鹿がしきりに
    鳴いている。 
    河鹿はもう秋だと云おうとしているのか。)

    神なび:  神のこもるところ。
           ここでは明日香のミハ山(橘寺南東)
    川は飛鳥川。

かわづは蛙の一種です。
清流で雄のみ「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鈴を転がすように鳴き、雌を求めます。
河鹿と書き、当時「かわづ」といえばすべて河鹿蛙のことでしたが、
平安初期から他の種類の蛙と混同し始めいつの間にか蛙全般を
指すようになりました。

風の音、虫の音、河鹿、秋の花々を愛でながら、
ゆったりと時の移り変わりを楽しむ。
まさに日本的感性の萌芽をここに見る万葉人の歌の数々です。

「 横雲の ちぎれて飛ぶや 今朝の秋 」  立花北枝(江戸前期)

                  今朝の秋=立秋


          万葉集645 (秋立つ)完

        次回の更新は8月18日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-08-10 15:38 | 自然

万葉集その六百四十四 ( 海 )

( 江の島 )
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( 三浦海岸 )
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( 安房鴨川 )
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( 小豆島 )
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( 二十四の瞳の教室から   小豆島 )
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( 懐かしの映画 二十四の瞳 )
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( 天橋立 )
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(  海王丸 )
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万葉集その六百四十四 (海)

夏本番、海山の季節です。
人々は涼を求めて海水浴や山登りに繰り出しますが、残念ながら
大和は美しき群山(むらやま)あれど、海には縁なき国。
ところが驚くなかれ、万葉人は海の歌を300首以上も詠っているのです。

一体、彼らはどこで詠ったのか?
天皇がたびたび行幸された伊勢、遣唐使が立ち寄った対馬、難波宮近くの住吉、
防人の航路である瀬戸内海から九州、それに能登や若狭等々。
行幸や防人、遣唐使、遣新羅使などは一度に多くの人が海路を利用するので
必然的に歌も多くなりますが、官人の公用も多かったのでしょう。

人々は全国いたるところで海を見て感動し、海人の姿を楽しみ、潮騒を聞き
時には恐れおののきながら旅を続けていたのです。

「大海に 島もあらなくに 海原(うなはら)の
     たゆたふ波に 立てる白雲 」 
                          巻7-1089  伊勢の従駕(おほみとも)

( ここ大海原には島影一つないのに、海上のたゆたう波の上に
 白雲が立ちわたっている。
 なんという美しい光景だろう。)

作者は天皇の行幸にお供し、生まれて初めて海を見たようです。
今まで雲は山の上にしか立たないと信じていた。
ところが水平線の彼方に雲がむくむくわきあがっている。
エェーッ! 島もないのに雲が! 

自然の神秘に驚嘆しながらも船上で少し心細さも感じている。
子どものような素直さが微笑ましい秀歌です。

「 大海(おほうみ)の 水底(みなそこ)響(とよ)み 立つ波の
      寄せむと思へる 磯のさやけさ 」
                           巻7-1201 作者未詳

( 大海原の水底までとどろかせながら立つ波。
 磯に打ち寄せようとしているさまの、なんと清々しいことか 。)

寄せる波が岩にあたって砕け散る。
海鳴りがごうごうと響き渡り、また波が引いてゆく。
波濤や真砂の白さが目に染みる。
あぁ、なんと清々しいことよ。

「 黒牛の海 紅にほふ ももしきの
        大宮人し あさりすらしも 」 
                    巻7-1218 藤原卿

( 黒牛の海が紅に照り映えている。
     大宮に仕える女官たちが、浜辺で漁り(すなどり)しているらしいなぁ。)

作者は藤原一族の高官。(不比等か:伊藤博)
701年持統太政天皇、文武天皇紀伊行幸の折の歌。
黒牛の海は和歌県海南市黒江、黒と赤の対比に興趣を感じた一首です。

都から大勢の美しい女官がお供してきたのでしょう。
自由な時間を与えられて、磯で貝などを漁りながら楽しい時間を過ごしている。

波がおし寄せて来ると大きな声をあげて飛び跳ね、
赤い裳裾(もすそ:スカートのようなもの)の割れ目から、
白い素足が見え、男の官能をくすぐる。
作者が目を細めて眺めている光景が浮かんでくるようです。

「 伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波
     畏(かしこ)き人に  恋ひわたるかも 」
                        巻4-600  笠 郎女

( 伊勢の海の磯をとどろかせて打ち寄せる波。
 その波のように畏れ多い方に、私は恋い続けているのです。)

作者は大伴家持に一方的に恋をして、24通の恋文を送りました。
家格が高い相手では成就の見込みがないと思っていたのか「畏き人」と詠っています。
家持の反応は全くなし。
一方的な片恋に終わりましたが、その情熱的な恋歌は私たちを引き付けて
やみません。

「 静けくも 岸には波は 寄せけるか
        これの屋(や)通し 聞きつつ居れば 」 
                         巻7-1237 作者未詳

( この旅寝の襖(ふすま)越しに耳を澄ませて聞いていると、
    潮騒が聞こえてくる。
    今夜の波は、なんと静かにうちよせているのだろう。)

持統天皇伊勢行幸の折、お供した人の作。
賑やかな宴会が終わり、部屋でくつろいでいると、波音が聞こえてくる。
あぁ、今宵は静かだなぁ。
昼間はあんなに大きな音が鳴り響いていたのに。

それにしても都に残してきた妻は今頃どうしていることだろう。

大和から伊勢までは近いといっても徒歩の長旅。
そろそろ郷愁を感じはじめた作者です。

    「 古(いにしえ)の 海を渡りし 名僧の
               肩に止りて 行きし蝶あり 」   石田 比呂志

以下は長谷川櫂氏の解説です。

 「 空海も最澄も中国に留学して仏教を学んだ。
   1200年前のことである。
   その人の肩にとまって1羽の蝶が海を渡っていったという。
   何と軽やかな空想だろうか。
   蝶は未知の国への憧れのようでもあり、その人の英知の輝きの
   ようでもある。」

                    ( 四季のうた―詩歌のくに 中公新書より)


              万葉集644(海)完


        次回の更新は8月11日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-08-03 16:28 | 自然