カテゴリ:自然( 96 )

万葉集そ六百七十四 (はだれ)

( 筑波山残雪 )
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( 早春の草津温泉 )
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( 皇居北の丸公園のはだら雪 )
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( 夜半のはだら雪  翌朝に消えていた  高千穂神社 佐倉市)
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( 鹿の子まだら という語もはだらの縁語 )
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( コハダという名前もはだらに由来 )
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万葉集その六百七十四 (はだれ)

「 この里の 麦畑ぞひの 横山を
           はだらにしたる  けさの薄雪 」  太田水穂

「 昼すぎより 吹雪となりぬ すぐ消えむ
           春の班雪(はだれ)と おもほゆれども 」   斎藤茂吉

「はだれ」とは「雪がはらはらと降り積もるさま」や「消え残った雪や、霜」
のことをさし、「はだら」「ほどろ」ともいわれます。

季語語源成り立ち辞典 (榎木好宏著 平凡社) によると

『 「はだれ」は草木の葉の傾くほどに降った雪、あるいは、
  まだら雪のことですが、歌論書「正徹物語」に
  「 いづれにてもあれ、うすき雪のことなり」と出てきます。
  古くから「葉垂れ説」「まだら説」、さらに「降る雪の形容説」が
  ありましたが、現在の定義は
  「 地上における雪、霜のさま」に落ち着いている。』 そうな。

万葉集では6首登場し、いずれも「薄く降り積もった雪、霜」の意に
用いられています。

「 夜(よ)を寒み 朝戸(あさと)を開き 出で見れば
       庭もはだらに  み雪降りたり 」 
                     巻10-2318 作者未詳

( 夜通し寒かったので、朝、戸を開けて外へ出て見ると、なんと
 庭中雪がうっすらと降り積もっていることよ。)

もう春だと思って寝たら夜中に肌寒さを感じた。
目が覚めてから戸を開けて外を見ると、青々とした草木の上に置く薄雪。

早春によく見られる光景ですが、思わぬ美しい景色を見た作者の喜びが
感じられる一首です。

「 笹の葉に はだれ降り覆ひ 消(け)なばかも
           忘れむと云えば まして思ほゆ 」 
                      巻10-2337 作者未詳

( 「笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように
   私の命が消えでもすれば、あなたを忘れることも出来ましょう 」
  などとあの子が言うものだから、ますますいとおしく思われることだ。)

「 あなたが好きで好きで忘れられない。
  いっそのこと、「はだれ」のようにすぐに消えてしまったら
  苦しみも無くなりどんなにか楽なことでしょう。
  でも、それは無理 」とかき口説く乙女。

 「あぁ、なんと可愛い子だ」
  と相好を崩す男です。

 笹の葉の緑と薄雪の対比が鮮明な一首。

「 御食(みけ)向かう 南淵山の 巌には
              降りし はだれか 消え残りたる 」 
                    巻9-1709 柿本人麻呂歌集

( 南淵山の山肌の巌にいつぞや降った薄ら雪が、
  まだ消え残っているだろうか)

作者が弓削皇子に献じた歌。
伊藤博氏は
「 周囲の雪が瞬く間に消えてしまったのに、南淵山の巌にわずかにでも
 残っている喜びを、疑うような形で詠嘆することによって述べた。
 残雪という題を出されて献じた歌かもしれない。」(万葉集釋注)

とされています。

 御食(みけ)向かう: 「南淵山」(飛鳥川上流)の枕詞
              「御食(みけ)」は天皇など貴人に奉げる食事のことで、
              その一つに蜷(みな:巻貝)があり、同音の南(みな)を掛けたもの。
               他に「粟(あわ)」:「淡路(あわじ)」、
               「酒(き)」:「城上(きのへ)」などの例があり、いずれも
               「御食(みけ)向かう淡路」「御食向かう城上」などと使われている

「 淡雪か はだれに降ると 見るまでに
         流らへ散るは  何の花ぞも 」 
                      巻8-1420 駿河采女

( 淡雪がはらはら降って来るかと見まごうばかりに
 流れ散ってくるのは一体何の花なのであろうか )

白梅の落花を降る雪と見た歌。
梅花を愛でる宴席で散る花の美しさを詠ったようです。

淡雪:白く細かい泡のような雪 

「はだら」については次のような説もあります。

 『 「ハダラ」はマダラの変異形。
   もともとは「接合する」の意の「マジワリ(交わり)」が
   「マザリ」「マダラ」「ハダラ」と転じて接合点、境目、
    区切り、筋目、縞(しま)、ひいては斑紋の意を表したと思われる。

   久留米で小鰭(コハダ)をハダラというが、それは腹に(斑紋ではなく)
   助状(あばらじょう)の筋目があることによる名である。
   ハダラの原義が筋目、縞であることを教える語例であろう。

   斑文のある海獣アザラシのアザラや、筋目や斑文のある貝、浅利(アサリ)も
   ハダラと大本でつながっていよう。

   なお、岡山で雪などがまばらに降ることをハダレルという。
   斑(はだら)から派生した語である。』

              ( 歳時記語源辞典(要約) 橋本文三郎 文芸社 』

たった三文字の「はだら」は、なかなか奥が深い。
そうそう、鹿の毛の白い斑点を「鹿の子まだら」という表現も古くからありました。

  「 うら寒き 春の日ざしは はだら雪
           消(け)のこる杉に  さしこもりたり 」   若山牧水


              万葉集674(はだれ)完


             次回の更新は3月9日(金)の予定です
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by uqrx74fd | 2018-03-01 17:18 | 自然

万葉集その六百七十 (雪の歌)

( 筑波山雪景色 )
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( 箱根 強羅 )
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( 高千穂神社  佐倉市 )
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( 雪の梅  皇居東御苑 )
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(  桜の蕾  同上 )
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(  木の枝が美しく映える 皇居東御苑 ) 
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   万葉集その六百七十 (雪の歌)

雪は古くから詩歌、文学の好材料とされ、万葉集で150余首も詠われています。
特に古代大和では冬の厳しい寒さにもかかわらず、積雪が少なく、
稀に大雪になると子供のようなはしゃぎよう。
加うるに白雪は白米とみなされ、豊穣のしるしとして為政者も寿ぎ喜んだのです。

「 大宮の 内にも外(と)にも めづらしく
       降れる大雪  な踏みそね惜し 」  
                 巻19-4285 大伴家持

( 大宮の内にも外にも一面に 珍しく降り積もっている大雪。
 この見事な雪を踏み荒らしてくれるな。勿体ない。)

753年、正月11日 都に大雪、新暦2月中旬の頃です。
佐保の自宅から出仕してきた作者は宮中の広場の足跡もない美しい景色を
目の当たりにして、心躍る思いだったのでしょう。
感動と喜びがあふれる一首です。

     「な踏みそね」:「な」-「そね」禁止を表現する語法


「 松陰の 浅茅が上の 白雪を
          消たずて置かむ ことは かもなき 」  
                    巻8-1654   大伴坂上郎女

( 松の木陰の上の白雪、
  この雪をそのまま消さないで残しておく手だてがないのが残念です。)

   ことは かもなき: 「こと」は「事」で「手段」 
               「かも」は疑問 

周囲の雪が消え、松陰にのみ わずかに消え残る雪に深い愛惜を述べたもの。
万葉人がいかに雪を珍しく、また、好ましく思っていたのか窺われます。


津軽の雪は「こな雪」「つぶ雪」「わた雪」「みず雪」「かた雪」「ざらめ雪」
「こおり雪」 (太宰治著 津軽 新潮文庫) とよばれているそうですが
万葉集では単なる「雪」と詠ったもの(105首)、淡雪(15)、み雪(14)、白雪(8)、
大雪、雪解,霜雪、はだれ、初雪など負けず劣らず多彩な表現がなされています。

いずれも「雪よ降り積もれ」と詠ったものが多い中、次の歌は恋人との逢瀬を前にして、
「雪よ降るな」と願った珍しい例です。

「 わが背子が 言(こと)うるはしみ 出(い)でて行(ゆ)かば
      裳引き(もびき)しるけむ  雪な降りそね 」 
                            巻10-2343  作者未詳

( あのお方の優しいお言葉に引かれて外に出て行ったら
  裳を引きずった跡がはっきり残ってしまいます。
  雪よ! そんなに降り積もらないでおくれ。)

   「 言(こと)うるはしみ 」: 「やさしさに心惹かれる」の意
   「 裳引きしるけむ 」 : 「裳の裾を引きずって歩いた跡」の意

今日は待望のデートの日。
男は「家の近くに来たら合図をするから出てこいよ」と約束してくれた。
ところが生憎、雪が降りしきっている。
スカートのような長い裳を引きずって行ったら跡が残ってまわりのものに
知られてしまう。
恋は秘密にというのが当時の定め、噂になったらどんな中傷があるか分からない。

「 どうしょう、雪よ積るな、消えておくれ。」

と天を仰ぎながら願う乙女です。

  「 大原の をか(丘)の お神が 降らす雪
            大和国はら(原)   道もなきかな 」   上田秋成

江戸時代後期、雨月物語で知られた作者は雪の秀歌を多く残しました。
上記の歌は万葉集から本歌取りしたものです。

「 わが岡の おかみに言ひて 降らしめし
                 雪の砕けし そこに散りけむ 」    
                        巻2-104 藤原夫人(ぶにん)

( 恐れながらこの雪は私が岡の水の神に言いつけて
      降らせたものでございますよ。
      その雪のかけらがそちらに散ったのでございましょう)

ある日、飛鳥、浄御原(きよみがはら)宮に大雪が降った。
喜んだ天武天皇は実家に帰っている側室、藤原夫人に次のような歌を届けた。
夫人がいる大原(明日香村小原)は、天皇の住居と500mも離れていないのに、
「お前の住む大原は古ぼけた田舎の里」と揶揄され、

「 わが里に 大雪降れり 大原の
    古りにし里に 降らまくは後(のち)」  
                        巻2-103 天武天皇

( オ-ィ わが里に大雪が降ったぞ! 
  そなたは今、大原に里帰りしているようだが
  その古ぼけた里に降るのはずっと後のことであろうなぁ。 )

藤原氏は先祖中臣氏以来、宮廷に伝わる聖なる水の信仰を管理する家柄で
夫人は「 雪をも司る水の神、竜神の本家はこちらでございますよ。
ご自慢なさるのはおかしいわ 」と やり返し、さらに

天皇の「里」に対して「岡」 「大雪」に対して「雪の砕けし」 
「降る」に対して「散る」と機知あふれる応対をされたもので、
二人の仲睦まじい様子が頬笑ましい一幕です。

「 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
          吉野の里に 降れる白雪 」 
                        坂上是則 古今和歌集 百人一首

「朝ぼらけ」: 夜がほのぼのと明けるころ。

大和の吉野で旅寝の朝、目をさましてみると外がぼうっと明るんでいる。
有明の月の光がさしこんでいるのかしら、といぶかって見ると
夜のあいだに一面薄雪が降り敷いていた。
明け方、まだ人の動きも見えない静まりかえった山里。
静寂、清々しさを感じさせる秀歌。
作者は征夷大将軍、坂上田村麻呂の四代の子孫と伝えられています。

「 竹ほどに 直(すぐ)なる物は  なけれども
                ゆきゆき積もれば  末はなびくに 」   隆達小歌

      ゆきゆき: 雪々と行々を掛けている

( いかに真っ直ぐ立っていようとも、雪が積もれば竹だとて
  しまいには枝を垂れなびかせる。
   あの子だって、この俺が行き行き、頻繁に通えばきっと靡くさ。 )


        万葉集670 雪の歌 完


         次回の更新は2月9日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-02-01 14:31 | 自然

万葉集その六百五十三 (月)

( 春日山の月  奈良 )
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( 中秋の名月  2017,10,4撮影 )
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(  同上 )
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(  若草山焼きと月    奈良 )
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( 歌川広重も絵に描いた月の松   上野公園 )
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( 狸囃子  明日香 棚田案山子祭り   奈良 )
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( 餅つく兎さん   同上 )
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(  二人で月見   同上 )
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万葉集その六百五十三 (月)

澄み切った秋の空。
地上を煌々と照らす月は爽やかで四季を通じて最も美しい。
それゆえ詩歌の世界で単に「月」と云えば「秋の月」をさし、
他の季節の月をいうときは「春の月」「夏の月」などの、ことわりがいるそうな。

今夜(10月4日)は仲秋の名月。
雲が少し多いが金木犀の香り漂う良夜です。
さぁさぁ、万葉人と一緒にお月見を致しましょう。

「 春日山 おして照らせる この月は
       妹が庭にも  さやけくありけり 」
                     巻7-1074 作者未詳

( 春日山一帯をあまねく照らしているこの月は
 いとしいあの子の家の庭にもさわやかに照り輝いていたなぁ。)

「おして照らせる」: 地上をあまねく照らしている

作者は数日前、愛しい人の家で一緒に月を愛で、その余韻にひたっています。

春日山の上で輝いている月は今日も我家の庭を照らしている。
あの時は彼女も月も美しかった。

酒杯を傾けながら、楽しかったひと時を瞼に思い浮かべ、
今頃、あの子はどうしているだろうか、と呟く男。

次の二首は春日山に隣接する高円山麓での月見歌です。

「 常はかって 思はぬものを この月の
     過ぎ隠らまく 惜しき宵かも 」 
                       巻7-1069  作者未詳

(  日頃はついぞ思ったこともないのに、目の前の月が西に傾いて
  見えなくなるのが、とりわけ惜しまれる今宵ですなぁ。)

招待された客の挨拶歌。
月を褒めることによって、主人への賛辞と謝意を述べたもの。
普段は月が落ちるのを見ても何とも感じなかったが、あなた様とこうして
盃を傾けながら月を愛でていると、時間が立つのが名残惜しく思われてなりません。

「 ますらをの 弓末(ゆずゑ)振り起こし 猟高(かりたか)の
      野辺(のへ)さへ清く 照る月夜(つくよ)かも 」
                              巻7-1070  作者未詳

( ますらおが 弓末を振りたてて猟をするという名の猟高の野。
 今夜はこの野辺まで清らかに照り映えて見えています。
 なんと素晴らしい月夜なのでしょうか。)

猟高: 奈良春日山に隣接する高円山近辺

客人に対する主人の返歌。
あなたさまと一緒に過ごすひとときは何と楽しいことでしょう。
この野原一面を照らす月の光も清々しく、酒も美味い。
さぁ、さぁ、もう一献どうぞ。

「 ぬばたまの 夜わたる月を 留(とど)めむに
        西の山辺(やまへ)に 関もあらぬかも 」 
                        巻7-1077  作者未詳

( 夜空を移つて行く月、この月を何とか引きとめる関所が
     西の山辺にでも ないものでしょうか。)

月を眺めているうちに、夜も更け明け方近くなってきた。
なんとかそのままずっと止まっていてくれないものか。

「 秋風に たなびく雲の 絶え間より
       もれ出づる月の  影のさやけさ 」
                      左京大夫顕輔(さきょうのだいぶ あきすけ)
                      新古今和歌集、百人一首


( 秋風に吹かれてたなびいている雲の切れ間から
 もれ出てくる月の光の、なんと明るく澄みきっていることか。)

「影のさやけさ」の「影」は光

秋の夜の華麗な月。
風に吹かれ流れてきた雲が一瞬月を隠す。
雲間から射す月の光もまた清々しく神々しい。
華やかさの背後に、そこはかとない寂しさが滲み出ている名歌です。

      「 月夜よし、 二つ瓢(ふくべ)の 青瓢(あおふくべ)
                   あら へうふらへふ と 見つつおもしろ 」 北原白秋


月に照らされながら ぶら下がっている二つの瓢箪が、
清風に吹かれて微かに揺れている。
盃を傾けながら眺めていると、飲むほどに
「あら、へうふら へふ」と酔いが廻ってきた。
これは、これは、瓢箪が揺れているのか、俺様が揺れているのか。
と興じている作者です。

 「 月読神(つくよみの かみ)にと 供(そな)ふ小机に
               茹で栗 団子 菊添ふすすき 」    窪田空穂



       万葉集653 (月)    完


      次回の更新は10月13日 (金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-10-05 10:56 | 自然

万葉集その六百四十八 (四季の歌)

( 春  桜の花びらの中で咲くスミレ )
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( 夏  海   銚子 )
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( 夏  恋の花  ササユリ )
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( 秋  フジバカマ )
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( 秋  カワラナデシコ )
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( 冬  鶴の親子  学友M.I さん提供 )
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( 尾形光琳 群鶴図屏風のCG 東京国立博物館 )
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万葉集その六百四十八 (四季の歌)

1972年(昭和47年)、「四季の歌」(荒木とよひさ 作詞 作曲)が
芹 洋子さんのレコード発売に伴って大流行し、歌声喫茶、コンサ-トなど、
到るところで歌われました。
現在60~70歳位の人にとって懐かしいメロディーと歌詞です。
今回は四季の歌とそれに合う万葉歌のコラボを試みたいと思います。

「 春を愛する人は 心清き人
  すみれの 花のような 
  僕の友だち  」  
                   ( 四季の歌 1番 荒木とよひさ 作詞 作曲 )

万葉歌は何と言ってもこの歌です。

 「 春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ
       野をなつかしみ 一夜寝にける 」 
                           巻8-1424 山部赤人

( すみれ摘みにやってきたけれどなんと春の景色の美しいこと
  つい見とれているうちにとうとう一夜をあかしてしまいましたよ )

  山部赤人は心清き人だったのでしょう。
 「 春の野にすみれを摘みにやってきた。
  摘んでいるうちにすみれが綺麗なぁ、可愛いいなぁと夢中になり
  ふと気が付いてみたら日が暮れてしまっていたが、なお立ち去りがたく
  とうとう一晩すみれのもとで過ごしてしまった」というのです。

  「野をなつかしみ」というのは「見惚れてあまりそこから離れたくない」の意

「 夏を愛する人は 心強き人
  岩を砕く 波のような
  僕の父親 」        (四季の歌 2番)

岩を砕く波は

「 大海(おほうみ)の 磯もと揺(ゆす)り立つ波の
         寄せむと思へる  浜の清けく 」        
                           万葉集 巻7-1239 作者未詳

( 大海源の岩礁を揺さぶるように、あたって砕ける波が
 打ち寄せようとしている浜辺のなんと清らかなことか )

さて、「僕の父親」ですが、万葉集での父母は約90首。
通い婚の為、母親が家庭を仕切っていたので母父という表記や母のみの歌が多く、
父親単独のものはほとんどありません。

次の歌は駿河国の若者が防人として九州に赴任する途中、
優しい両親を懐かしんで詠ったものです。

「 父母が 頭(かしら)掻き撫で 幸くあれて
            云ひし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる 」 
                    巻20-4346 丈部 稲麻呂( はせつかべの いなまろ)

( 父さん、母さんが俺の頭をなでながら、
  「 気を付けて行くんだよ。達者でな。」 
  と云ってくれた言葉が何時までも忘れられないよ。)

当時、大伴家持が難波で防人の指揮を執っており、その際収録したものです。

 「 秋を愛する人は 心深き人
   愛を語る ハイネのような
   僕の恋人 」  
                           ( 四季の歌 3番 )

ハイネの愛の詩は多くありますが、下記の歌は可愛いですね。

「 おまえの瞳をみていると
  なやみも痛みも消えてゆく

  おまえの口にキスすると
  けろりと元気になれるのだ

  おまえの胸によりそうと
  天国へでもいったよう

  あなた好きよ といわれると
  もう泣かずにゃあ いられない 」 
                    ( ハイネ おまえの瞳を 井上正蔵訳) 

さて万葉歌は恋の達人、大伴坂上郎女の登場です
 
「 恋ひ恋ひて 逢へる時だに うるはしき
     言(こと)尽くしてよ 長くと思はば 」 
                          巻4-661 大伴坂上郎女

( なかなか逢えぬあたたゆえ
  せめて逢う夜は 夜もすがら
  愛の言葉を浴びたいの
  二人の仲が いつまでも
  続けと あなたも思うなら )      永井路子訳 


「 冬を愛する人は 心広き人
  根雪をとかす 大地のような
  僕の母親    」 
                     ( 四季の歌4番)

母親の情愛を詠った万葉歌は何と言ってもこの歌です。

「 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば
     我(あ)が子 羽(は)ぐくめ 天(あめ)の鶴群(たずむら) 」
                      巻9-1791 遣唐使随員の母

( 旅の途中あの子の宿りするところに霜が降ったら、
    どうか空飛ぶ鶴の群れよ、私の息子をその暖かい羽で包んでやっておくれ) 

733年、多治比広成(たじひのひろなり)を大使とする遣唐使一行の船が難波を出港。
渡唐の船はしばしば難破し確実な生還は期しがたいものでした。
船にはこの歌の作者の最愛の一人息子が乗っていました。
母は神に供物を捧げ大切な息子の無事を心を込めて祈ったのです。

古代、大和から難波への一帯は湿原地になっており、多くの鶴が棲息していました。
万葉人たちは旅の行き来に鶴が子供を可愛がる情景を幾度も見ていたのでしょう。
当時は船旅でも陸に上がり野宿をするのが習い。
母親は一人息子が寒い野を行く場面を想像し、鶴が子をいつくしみ、
抱きかかえるように「我が子羽ぐくめ」と空行く鶴群(たずむら)に手を合わせて
頼んだ母親の慈愛あふれる歌です。

伊藤博氏は次のような温かい解説をされています。

「 母親としてまた女としてなしうる神祭りに精魂を傾けることで子の幸を
  祈るだけでは足らず、天の鶴群に呼びかけて鎮護を願っているところが痛ましい。

  <我が子 羽ぐくめ 天の鶴群> には我が身を鶴になして常に子の周辺に
  いたいという母親の身の切るような愛情がにじみ出ている。
  こういう歌を読むと子は母親にとって永遠の胎児であり
  分化を許さないその心情は解説の言葉を寄せ付けないことを痛感せざるを得ない」 
                       (万葉集釋註五より) 

   「 春夏秋冬愛して 僕らは生きている
               太陽の光浴びて 明日の世界へ 」     四季の歌5番



           万葉集648(四季の歌) 完

           次回の更新は9月8日 (金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-09-01 00:00 | 自然

万葉集その六百四十五 (秋立つ)

( 夏と秋が行き交ふ空 )
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( 蟋蟀:コオロギ 向島百花園 )
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( かわづ=カジカ 吉野川 )
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(  残暑お見舞い  朝顔の氷漬け   上野 )
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( 沖縄ビードロ  川崎大師 風鈴市 )
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( 福島 喜多方  同上 )
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( 京都  同上 )
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(  佐賀 伊万里 同上 )
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万葉集その六百四十五 (秋立つ)
 
立秋(8月7日)を過ぎたとはいえ、まだまだ衰えを見せない うだるような暑さ。
寝苦しい夜が続き、「早く秋が来ないかなぁ」と溜息をつく。

そんな時、早朝、起きがけに窓を開けると涼しい風がさっと吹き入り
頬を撫でてくれた。
「あぁ、今までの風とは違う」
やはり、秋は近くまで来ているのです。

古今和歌集では、このような気持ちを次のように詠っています。

「 夏と秋と 行きかふ空の かよひぢは
           かたへすずしき  風や吹くらむ 」 
                   凡河内躬恒 ( おおし こうちの みつね) 古今和歌集

( 夏と秋が入れ違って往来する空の通路は
 片側だけが涼しい秋風が吹いているのであろうか )

「 片側の道から夏が過ぎ去り、その反対側から涼しい秋風が吹きはじめて
  すれ違ってゆくのだろうかと想像(大岡信) 」 し、

「 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 
        風の音にぞ 驚かれぬる 」     藤原敏行  古今和歌集

               「驚かれぬる」:「はっと気がつく」

と続きます。

あまりにも有名なこの歌は1100年前の立秋の日に作られ、
今や多くの日本人がこの歌を心の中で口ずさみながら秋を感じ、
立秋といえば「風の音」と云われるまでになりました。

このように風をめぐる歌を文芸の世界にまで高めた萌芽は
既に万葉時代も多く見られます。

「 初秋風 涼しき夕(ゆうへ) 解かむとぞ
      紐は結びし 妹に逢はむため 」   
                     巻20-4306 大伴家持

( 涼しい初秋風が吹く来年の七夕に再び逢い、着物の紐を解こうと
誓いながらお互いに結びあったのだったなぁ。
 ようやく一年が経ちその日がやってきたよ )

難波に単身赴任中の作者が天の川を仰いで詠んだ一首です。
当時の人々は別れの際にお互いの衣服の紐をしっかり結び合っておけば
再び思う人に逢えると信じていました。
牽牛の待ちに待った喜びを詠ったものですが、
作者自身も妻にまもなく逢えるという気持も込めているのでしょう。

「初秋風」は大伴家持の造語、万葉集中この一例のみ。
古代の七夕は8月7日、「初」という言葉に立秋の意を含ませています。
こちらは「音」ではなく肌で感じた気配です。


「 萩の花 咲きたる野辺(のへ)に ひぐらしの
    鳴くなるなへに  秋の風吹く 」  
                         巻10-2231  作者未詳

( 萩の花が一面に咲いている野辺に ひぐらしの声が聞こえてきた。
 おぉ、秋風が吹いてきたなぁ。
 なんとも清々しいことよ。)

萩、蜩、秋風。
爽やかな秋到来の一首です。

「 庭草に 村雨降りて こほろぎの
       鳴く声聞けば 秋づきにけり 」 
                     巻10-2160 作者未詳

( 庭草に村雨が降り注いでいる折り、こおろぎが鳴いている。
 あぁ、秋らしくなったなぁ。)

「村雨」は「ひとしきり降ってさっと通り過ぎるにわか雨」

なんというセンスある万葉人の美しい造語。
白露の草陰ですだく蟋蟀の涼しげな音(ね)が聞こえてきそうです。

「 神(かむ)なびの 山下響(とよ)み 行(ゆ)く水に
    かわづ鳴くなり 秋と言はむとや 」 
                          巻10-2162 作者未詳

( 神なびの山下も鳴り響くほどに流れゆく川の中で、河鹿がしきりに
    鳴いている。 
    河鹿はもう秋だと云おうとしているのか。)

    神なび:  神のこもるところ。
           ここでは明日香のミハ山(橘寺南東)
    川は飛鳥川。

かわづは蛙の一種です。
清流で雄のみ「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」と
鈴を転がすように鳴き、雌を求めます。
河鹿と書き、当時「かわづ」といえばすべて河鹿蛙のことでしたが、
平安初期から他の種類の蛙と混同し始めいつの間にか蛙全般を
指すようになりました。

風の音、虫の音、河鹿、秋の花々を愛でながら、
ゆったりと時の移り変わりを楽しむ。
まさに日本的感性の萌芽をここに見る万葉人の歌の数々です。

「 横雲の ちぎれて飛ぶや 今朝の秋 」  立花北枝(江戸前期)

                  今朝の秋=立秋


          万葉集645 (秋立つ)完

        次回の更新は8月18日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-08-10 15:38 | 自然

万葉集その六百四十四 ( 海 )

( 江の島 )
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( 三浦海岸 )
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( 安房鴨川 )
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( 小豆島 )
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( 二十四の瞳の教室から   小豆島 )
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( 懐かしの映画 二十四の瞳 )
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( 天橋立 )
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(  海王丸 )
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万葉集その六百四十四 (海)

夏本番、海山の季節です。
人々は涼を求めて海水浴や山登りに繰り出しますが、残念ながら
大和は美しき群山(むらやま)あれど、海には縁なき国。
ところが驚くなかれ、万葉人は海の歌を300首以上も詠っているのです。

一体、彼らはどこで詠ったのか?
天皇がたびたび行幸された伊勢、遣唐使が立ち寄った対馬、難波宮近くの住吉、
防人の航路である瀬戸内海から九州、それに能登や若狭等々。
行幸や防人、遣唐使、遣新羅使などは一度に多くの人が海路を利用するので
必然的に歌も多くなりますが、官人の公用も多かったのでしょう。

人々は全国いたるところで海を見て感動し、海人の姿を楽しみ、潮騒を聞き
時には恐れおののきながら旅を続けていたのです。

「大海に 島もあらなくに 海原(うなはら)の
     たゆたふ波に 立てる白雲 」 
                          巻7-1089  伊勢の従駕(おほみとも)

( ここ大海原には島影一つないのに、海上のたゆたう波の上に
 白雲が立ちわたっている。
 なんという美しい光景だろう。)

作者は天皇の行幸にお供し、生まれて初めて海を見たようです。
今まで雲は山の上にしか立たないと信じていた。
ところが水平線の彼方に雲がむくむくわきあがっている。
エェーッ! 島もないのに雲が! 

自然の神秘に驚嘆しながらも船上で少し心細さも感じている。
子どものような素直さが微笑ましい秀歌です。

「 大海(おほうみ)の 水底(みなそこ)響(とよ)み 立つ波の
      寄せむと思へる 磯のさやけさ 」
                           巻7-1201 作者未詳

( 大海原の水底までとどろかせながら立つ波。
 磯に打ち寄せようとしているさまの、なんと清々しいことか 。)

寄せる波が岩にあたって砕け散る。
海鳴りがごうごうと響き渡り、また波が引いてゆく。
波濤や真砂の白さが目に染みる。
あぁ、なんと清々しいことよ。

「 黒牛の海 紅にほふ ももしきの
        大宮人し あさりすらしも 」 
                    巻7-1218 藤原卿

( 黒牛の海が紅に照り映えている。
     大宮に仕える女官たちが、浜辺で漁り(すなどり)しているらしいなぁ。)

作者は藤原一族の高官。(不比等か:伊藤博)
701年持統太政天皇、文武天皇紀伊行幸の折の歌。
黒牛の海は和歌県海南市黒江、黒と赤の対比に興趣を感じた一首です。

都から大勢の美しい女官がお供してきたのでしょう。
自由な時間を与えられて、磯で貝などを漁りながら楽しい時間を過ごしている。

波がおし寄せて来ると大きな声をあげて飛び跳ね、
赤い裳裾(もすそ:スカートのようなもの)の割れ目から、
白い素足が見え、男の官能をくすぐる。
作者が目を細めて眺めている光景が浮かんでくるようです。

「 伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波
     畏(かしこ)き人に  恋ひわたるかも 」
                        巻4-600  笠 郎女

( 伊勢の海の磯をとどろかせて打ち寄せる波。
 その波のように畏れ多い方に、私は恋い続けているのです。)

作者は大伴家持に一方的に恋をして、24通の恋文を送りました。
家格が高い相手では成就の見込みがないと思っていたのか「畏き人」と詠っています。
家持の反応は全くなし。
一方的な片恋に終わりましたが、その情熱的な恋歌は私たちを引き付けて
やみません。

「 静けくも 岸には波は 寄せけるか
        これの屋(や)通し 聞きつつ居れば 」 
                         巻7-1237 作者未詳

( この旅寝の襖(ふすま)越しに耳を澄ませて聞いていると、
    潮騒が聞こえてくる。
    今夜の波は、なんと静かにうちよせているのだろう。)

持統天皇伊勢行幸の折、お供した人の作。
賑やかな宴会が終わり、部屋でくつろいでいると、波音が聞こえてくる。
あぁ、今宵は静かだなぁ。
昼間はあんなに大きな音が鳴り響いていたのに。

それにしても都に残してきた妻は今頃どうしていることだろう。

大和から伊勢までは近いといっても徒歩の長旅。
そろそろ郷愁を感じはじめた作者です。

    「 古(いにしえ)の 海を渡りし 名僧の
               肩に止りて 行きし蝶あり 」   石田 比呂志

以下は長谷川櫂氏の解説です。

 「 空海も最澄も中国に留学して仏教を学んだ。
   1200年前のことである。
   その人の肩にとまって1羽の蝶が海を渡っていったという。
   何と軽やかな空想だろうか。
   蝶は未知の国への憧れのようでもあり、その人の英知の輝きの
   ようでもある。」

                    ( 四季のうた―詩歌のくに 中公新書より)


              万葉集644(海)完


        次回の更新は8月11日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-08-03 16:28 | 自然

万葉集その六百三十七 (梅雨の季節)

( 雨、雨 降れ降れ     学友N.Fさん提供 )
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( せっかくのお祝いなのに、、  春日大社 奈良 )
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( 二人で仲良く   海外からの客人か  春日大社参道 )
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( 紫陽花が美しい季節です )
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( 同上 )
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( 雨の長谷寺   本堂から  奈良 )
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(  同上  五重塔 )
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( 紫陽花と僧侶  長谷寺にて  筆者 )
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( 雨の室生寺    奈良 )
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( 雨晴れて   室生寺 )
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万葉集その六百三十七 (梅雨の季節)

日本列島は今や梅雨の季節。
南の沖縄は既に5月半ばからはじまり、関西、関東は6月上旬、
東北は6月中旬、それぞれ約ひと月の間、雨が断続的に降り続きます。

大地を潤し稲や野菜、草木を育てる恵みの雨は、時には洪水や
土砂崩れなどの災害も引き起こす気まぐれもの。
どのように付き合ってゆくのか、大昔から死活上の大問題でした。

梅雨と表記されるのは「梅」の実が黄色く熟れる頃に降る「雨」。
その語源は湿っぽい(多湿)を意味する「つゆ」が本義だそうな。

また、「梅雨」は時候をさし「五月雨」は雨そのものをいう表現。
「さみだれ」の「さ」は神聖な稲にかかわる言葉、あるいは五月(さつき)の「さ」
「みだれ」は「水垂れ」とされています。

またこの時期の長雨を「卯の花腐(くた)し」とも。
盛りの卯の花を腐らせるように降る雨の意です。

「梅雨」が歌語になるのは意外や意外、江戸時代から。
「五月雨」(さみだれ)は平安時代、「卯の花くたし」と「長雨」は万葉集に。

「 卯の花を腐(くた)す長雨(ながめ)の 水始(みずはな)に
    寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ子もがも」 
                                  19―4217 大伴家持

( 卯の花を痛める長雨で水かさが多くなった川、その流れの先に木の屑が
  いっぱい集まっています。
  このような木屑のように私のところに美しい女性が
  集まってくれたらいいのになぁ)

水始(みずはな):「はなみず」とも読み水量の増した流れの先端のこと。
ここでの「腐(くた)す」は「腐らす」ではなく「散らす」「だめにする」の意。
後に「五月雨(さみだれ)」の異名となります。

「 谷川に 卯の花腐し ほとばしる 」 高濱虚子

万葉人にとって雨は大して苦にならなかったらしく、ロマンティックな若者は
乙女の赤い裳裾が雨に濡れて、白い素足がチラチラのぞくさまを
想像しながら詠っています。

「 我妹子(わぎもこ)が 赤裳の裾(すそ)の ひづつらむ
    今日の小雨に 我れさへ濡れな 」 
                        巻7-1090 作者未詳

( 今日は小雨、いとしいあの子は今頃赤裳の裾を濡らしていることだろう。
 おれも濡れながら行こう、あの子を思い出しながら 。)

作者は旅をしながら故郷に残した いとしい人を目に浮かべています。
あの子はきっと雨に濡れていることであろう。
遠くに離れていても心は一緒、俺様も濡れていこうじゃないか。

「赤裳」:
       腰から下に付ける女性の衣服、
       赤い裾が濡れるさまは男の官能をそそった

「ひづつらむ」: 「泥(ひぢ)打つ」の約で「濡れる」、「泥がかかる」の意

このフレーズは近代でも好まれ「浜辺の歌」の3番でも引用されています。

「   疾風(はやち)たちまち  波を吹き
    赤裳の裾(すそ)ぞ  濡れ漬(ひ)じし
    病みし我は  すでに癒えて
    浜辺の真砂  まなご(愛子)いまは 」
  
                     ( 作詞 林 古渓 作曲 成田為三)

上の歌とは逆に「濡らさないでくれ」と詠う男もいました。

「通るべく 雨はな降りそ 我妹子が
   形見の衣 我(あ)れ下に着(け)り 」 
                         巻7-1091  作者未詳

( 着物の中へ通るほど雨は降らないでくれ。
      いとしいあの子と交換した形見の衣をおれは下に着ているのだから.)

旅する時にお互いの下着を交換するのが当時の習い。
形見とは亡くなった人の記念のものではなく、お互いを思い出す
よすがとなるものです。

それにしてもこの男、旅の間中ずっと下着を脱がずに
着ていたのでしょうかね。

「 ひさかたの 雨は降りしけ 思ふ子が
       やどに今夜(こよひ)は 明かしてゆかむ 」 
                               巻6-1040  大伴家持

( 雨よどんどん降り続けるがよい。
      いとしいあの子の家で思う存分夜をあかしてゆこう )

藤原八束の家で宴があり安積皇子と共に招かれた作者が
「雨が降るとはこれ幸い、腰を落ち着けてゆっくり楽しませて戴きますよ」と
謝意を込めて詠ったもの。

八束は藤原房前の第3子、家持の父、旅人と房前が親しかった関係で
子の代になっても親交が続いていたらしく、お互い気心が知れた仲でした。

安積皇子は聖武天皇の子、将来を嘱望されていたが惜しくも
早世された方です。

以下は長谷川櫂氏著「日本人の暦」からです。

『 梅雨は日本人の生活や文化に大きな影響を与えてきました。
  日本人の文化の土台となったのは梅雨だった。
  梅雨がなかったら、それはもっと違ったものになっていたはずです。

  というのは、梅雨のもたらす大量の雨水は大地にしみこみます。
  梅雨が明け、そこに真夏の太陽が照りつけると、水蒸気となって日本列島を
  包み込みます。

  天然の蒸し風呂の中にいるような、この蒸し暑い夏をどうしたら涼しく快適に
  過ごせるのか。これこそ日本人にとって昔からの大問題でした。

  そこでさまざまな工夫がされて生まれたのが、日本人の文化です。
  一言でいうなら、それは「間(ま)」を大事にする文化です。

 物と物、人と人が、べたべたくっつかないようにする十分な「間」をとる。

  切れ目を残す着物の仕立て、さらりとした料理の味付け、
  風通しのいい家づくり、絵画の余白、音楽や芝居の沈黙の部分。
  こうした「間」を重んじる日本の文化を育んだ大きな要素の一つが
  梅雨のもたらす大量の雨水でした。 』 (筑摩書房)

「 日本文化の源泉の一つに梅雨があり 」

なるほど、なるほど。
このような説を唱えられた方は寡聞にして存じませんでした。

「 あふち咲く 外面(そとも)の木陰 露落ちて
              五月晴るる 風わたるなり 」       藤原忠良 新古今和歌集

       外面(そとも):家の外の

高々と伸びて空に枝を広げる栴檀(あふち)の木
梅雨の晴れ間の風が、その薄紫の花を揺らして吹き渡ってゆく。
五月晴れとは梅雨の晴れ間。
清々しい香りが漂ってきそうな気持よい1首です。



万葉集637 (梅雨の季節)完


次回の更新は6月24日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-06-15 18:09 | 自然

万葉集その六百十八 (三日月)

( 月齢1.8日の三日月   学友M.I さん提供 )
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(  少し太った?三日月と星     )
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( 夕焼けと月 )
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( 若草山焼きと朧月  奈良 )
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( 月の船  上田勝也画伯  奈良万葉文化館収蔵 )
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( 月の船   藤代清二展で  )
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天空の太陽、月、地球が一直線に並んだ時を「朔(さく:新月)」といい、
太陽光を反射して光る月面は地球から見えなくなります。

それから3日後、夕方太陽が沈んだ直後、西の空に月の西部分だけが
細く輝いて現れ、古代の人達はそれを「三日月」、「初月」、あるいは
美女の描く細い眉への連想から「眉月」とよびました。

朔(さく)から7日目は上弦の月、15日目は望月(満月)、23日目、下弦の月、
そして30日目に再び朔。
その公転周期は平均して29日12時間44分2,9秒とされています。

夜ごとに満ち欠けしながら形を変え、それを周期的に繰り返す月は、
人間に時を測る術を教えて大陰暦が生まれ、農耕の時節を教える重要な指針として
人々の生活に不可欠なものとなったのです。

月は太陽と共に重要な神とされ、日本神話では太陽神、天照大神の弟であり、
月読命(つくよみのみこと)とよばれています。

万葉集で登場する月は141首。
そのうち三日月は8首、それ以外に白真弓、月の船、月人壮士(おとこ)と
表現されているものもあります。

「 山の端(は)を 追ふ三日月の はつはつに
   妹をぞ見つる 恋しきまでに 」 
                      巻11-2461  作者未詳

( 山の端に向かって今にも隠れようとしている三日月のように、
     ほんのちらっとだけあの子を見ただけなのに、
     こんなに恋しくなってしまうとはなぁ。)

  「はつはつに」 : ほんのわずかに



「 三日月の さやにも見えず 雲隠(がく)り
   見まくぞ欲しき うたて このころ 」 
                        巻11-2464  作者未詳

( 三日月がはっきりと見えないままに 隠れてしまうように
あの子の姿を心ゆくまで見ることが出来ないので、逢いたくてたまらない。
この頃、妙に胸がうずいて。 )

「うたて」: なんだか不思議に

「 天の原 振り放(さ)け見れば 白真弓
        張りて懸けたり 夜道はよけむ 」 
                   巻3-289 間人宿 大浦(はしひとの すくね おほうら)

( 天つ空を遠く振り仰いで見ると、引き絞った白真弓のような月がかかっている。
 この分だと夜道はさぞ歩きやすいであろう )

題詞に初月(みかづき)の歌とあり、三日月を弓に見立てたもの。

古代人は満ちては欠け、欠けては満ちる月を命の再生の象徴とみなし、
月の光には夜の世界を跋扈する悪魔や悪霊を追い払う呪力があると信じていました。

天空から明るい光を照らしてくれる三日月は危険な夜道を急ぐ人にとって、
弓で魔物を射てくれる頼もしい守護神であったことでしょう。

なお、白真弓は木の皮を削って白くした立派な(真)弓という意味ですが、
真弓=檀(まゆみ)、梓弓、槻(つき=けやき)弓など材料の木を表すこともあります。

「張りて懸けたり 」 : 弓の弦を引いて空に架けて


 「 天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の舟
          星の林に 漕ぎ隠るみゆ 」    
                             巻 7-1068 柿本人麻呂歌集

天を海に、雲をその海に立つ波にたとえ、月の船がそこを滑って銀河が輝く
 星の中に漕ぎ隠れて行くさまを詠んだ名歌。

 天土(あめつち)は古代の人たちにとって信仰心の表現や恋心の誓いに
 詠われることが多かったのですが、この歌は純然たる天体の光景に
想像力の翼を広げた叙景歌です。

「 天の海に 月の舟浮け 桂楫(かつらかじ)
                   懸けて漕ぐ見ゆ 月人壮士 」  
                                 巻10-2223 作者未詳

( 天の海に月の船を浮かべ、月の若者が桂で作った楫をとりつけて
  漕いでいるよ。)


「奈良県立万葉文化館」に人麻呂歌集(7-1068)にちなんだ素晴らしい絵が
展示されています。
上田勝也画伯(1944生 東京芸大大学院終了 日展会員)の作品です。

そこには 星が輝く天空の中、雲の間に人間の背丈よりやや大きい
三日月が浮かび、 眼のさめるような貴公子が手に勺を持ち、
ゆったりと月にもたれて座っている。

 上田画伯は

「 この歌に最初に出会った時、すぐ情景が目に浮かび
   イメージがどんどん膨らんでいきました。
   当時の天空へのロマンが1200年余も後の私を現代の感覚と少しも変わらぬ
   時代を超えた新鮮さで幻想の世界へ誘ってくれました。」 

述べられています。

それにしても、万葉人の豊かな想像力、そして美しい世界よ。

      「 三日月に 必ず近き 星一つ 」  素堂

                    星は金星でしょうか。



              万葉集618 (三日月)   完


              次回の更新は2月10日の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-02-02 17:50 | 自然

万葉集その六百十七 ( 落葉道とカワセミ )

( 落葉散り敷く道  国立科学博物館付属自然教育園 2017,1,25 撮影 )
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( 巨大な松   同上 )
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( コナラの林    同上 )
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( ハンの木    同上 )
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( ヤマコウバシの木  葉は枯れても落ちない   同上 )
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(  カワセミ   同上 )
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( オケラ     同上 )
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(  オケラの花  9月24日撮影   同上)
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( エゾアジサイ  まるでドライフラワーのよう  同上 )
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(  アシ、ヒメガマズミ、ススキ  同上 )
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( ヒメガマズミの幾何学模様  同上 )
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( ひょうたん池   秋の紅葉が美しい  同上 )
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( ひょうたん池幻想    同上 )
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本年4回目の植物園ブラ歩き、今回は国立科学博物館付属自然教育園です。
お目当ては分厚い絨毯のような落葉の散歩道とカワセミ。
JR目黒駅から徒歩10分足らず、交通至便、都会のど真ん中。
園の説明書きによると

「 この地は縄文中期に人が住みつき、奈良時代は武蔵国府の管轄、
広大な原野で平安時代にはムラサキの栽培も広範囲に行われていた。
室町時代には豪族が居を構え、江戸時代は増上寺の領地。
1644年徳川光圀の兄 高松藩主、松平讃岐守の下屋敷になり、
明治は陸海軍の火薬庫。
1917年、宮内省帝室林野局の管理となり白金御料地とよばれ、一部朝香邸に。
1949年、天然記念物および史跡に指定され、国立自然教育園として広く
一般に公開されるようになった。 」 そうです。

敷地面積約6万坪、環境保全のため1回300人までに入場制限されているので
ゆったりとした気分で散策できます。
入口から眺めると、松、椎、檪(いちい)、橿等の巨木が鬱蒼と立ち並んでおり、
木々の手前には季節の花々の植え込みもなされています。
奥に水鳥が生息する沼、水生植物が生い茂る湿原地などもあり、
まるで明治時代の武蔵野を歩いているようです。

 太古の時代、海の底にあった武蔵野は悠久の年を経て地上に出現し、
激しい風雨によって山の岩肌が崩れ落ちて砂礫の層を形成していきます。
周囲には盛んに火を噴く日光、浅間、八ヶ岳、富士、箱根などの活火山。
その降灰が関東平野一面を埋め尽くしていきました。

やがて、地型が安定すると、羊歯類などの植物が繁茂して原始林が出現。
谷間からこんこんと湧き出る水は川や池そして沼地を造り、
その周りに色々な動物や人間が集まり住んで、高度な縄文文化が
形づくられていったと推定されています。

然しながら、豊かな原始林は度々の大火で焼失し、奈良、平安時代には
すでに一面見渡す限りの荒野となり、ススキや萱(かや)が生い茂っていたそうです。

奈良時代の武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の横浜市、川崎市を含む
広大な地でムザシ(武蔵)とよばれており、万葉集にも登場しています。

「 武蔵野の 草葉もろ向き かもかくも
      君がまにまに 我(あ)は寄りにしを 」 
                           巻14-3377 作者未詳

(  武蔵野の草葉があちら、こちらへと風にまかせて靡くように
  私はあなた様のおっしゃるまま、自分としてはどうかと思われることでさえ
  ただただ、お言葉に従ってまいりましたのに、どうして今になって
  冷たくなさいますの )

心変わりをした男に恨みを込めながらも、自身の変わらぬ思いを込めている女。
一途に愛を捧げている心情をひたむきに詠っています。

「 わが背子を あどかも云はむ 武蔵野の
                  うけらが花の 時なきものを 」
                            巻14-3379 作者未詳

( あぁ、あの人に この私の想いを何といったらよいのか。
 武蔵野のおけらに花時がないのと同じように、
 私も時を定めずいつも想っているのに。)

「あどかも」は東国の方言で「どのように」。

地味ながらも長く咲き続ける「おけらの花」
その花のようにひっそりと男を慕い続けている女。
想いを男に言い表せないもどかしさ。
東国の可憐な女性の秘めたる恋心です。

「うけら」は現在「朮(おけら)」とよばれ、北海道を除く本州、四国、九州の
日当たりのよい山野に自生しているキク科の多年草です。
春に摘まれる若芽は「山で美味いものは、“ウケラ”に“トトキ”(ツリガネニンジン)」といわれているように、
おいしい山菜の代表格とされています。

秋になるとアザミのような白や淡紅色の小さな花を釣鐘型の総苞(そうほう)の上に
咲かせ、枯れてもドライフラワーのように長く残るので花期がはっきりしない植物です。
ウケラはかってムラサキとともに武蔵野を代表する草花でしたが、今はどちらも
幻の花となってしまいました。

   「 はっきりと 翡翠色に 飛びにけり 」    中村草田男

巨木が立ち並ぶエリアを過ぎ、コナラ(小楢)の林へ。
葉はすべて落として冬木立になっていますが、青空にシルエットが映えて美しい。
沼の近くにくると、美しい鳥が飛び過ぎていきました。
カワセミです。
昨年、子雛が生まれ子育てに忙しかったようですが、今はもう大きくなった?
一羽しか見かけないのでよく分かりませんが、美しい羽を輝かせながら
枝から枝へと飛びまわっています。

「 貎鳥(かほとり)の 間なく しば鳴く 春の野の
        草根の繁き 恋もするかも 」 
                       巻10-1898 作者未詳

( 貎鳥がしきりに鳴いている春の野。その野には草がびっしりと深く茂っています。
  私もその草のように深く、そして貌鳥の鳴き声のように絶え間なくあなたを
  恋い慕い続けております)

男性を慕っている女性の歌と思われ、鋭い声でしきりに鳴く貌鳥によせて
恋人への想いを訴えています。

「貎鳥(カホトリ)」は万葉集に登場する鳥の中でも種類を特定するのが極めて
難解なものとされていますが、万葉学者で動物に詳しい、東 光治氏は

『 「貎鳥(カホトリ)」とはその鳴き声によって名付けられたともいわれ、
  恐らく最初はカッコウに対して呼ばれたらしいが、
  後に美しい姿の鳥、即ち、「カヲヨドリ」までもカホドリと呼ぶようになり
  カワセミや雉などもカホドリの仲間入りをした。
  そのため、とうとう何を指したのか不可解な鳥名となった』
  と述べられています。(万葉動物考)

郭公、アオバト、カハカラス、トラツグミ、ヒバリ、フクロウ、キジ、ヨタカオシドリ、
など諸説あり定まっておりませんが、ここでは翡翠説に従いました。

かわせみ(翡翠)はヒスイ、ショウビンともよばれています。
その名の由来はその鳴き声が蝉に似ているところからきているといわれ、
「虫の蝉」と区別して「川の蝉」というわけです。

雄を「翡」、雌は「翠」といい、背中は光沢のあるコバルトブル-、
腹面がオレンジ、嘴は赤(雌)の美しい鳥で別名「空飛ぶ宝石」。

翡翠(ヒスイ)はこの鳥の羽色から名付けられたもので、鉱物の名前を鳥に
あてたのではなかったのです。

「 鶯の けはひ興りて 鳴きにけり 」   中村草田男 

上を見上げるとハンの木の赤茶色が青空に映えて美しい。
突然、ウグイスの鳴き声が聞こえてきました。
竹藪辺りでしょうが姿は見えません。

「 うち靡く 春ともしるく うぐひすは
    植木の木間(こま)を 鳴きわたるらむ 」 
                          巻20-4495 大伴家持

( 草木一面に靡く待ちに待った春がはっきりやってきたと分かるように
 鶯よ、この植木の木の間を鳴きわたっておくれ )

朝廷での賀式で披露しようと用意していたが、何らかの事情で叶わず
そのままにしておいた1首との詞書があります。

「 足音を つつみて落葉 あつく敷く 」  長谷川 素逝

水鳥の沼を過ぎると、落葉の散歩道が約100m続いています。
ふかふかした絨毯を歩いているようで気持ちいい。
道の両側から舞い落ちてきた葉を積るに任せてしつらえた天然もの。
ところどころに木影が落ちて、まだら模様を作り美しい。

 「 大いなる 蒲(がま)の穂わたの 通るなり 」    高野素十

やがて水生植物の群生地。
葦(あし:別名ヨシ)、ガマ、岸辺の枯れススキとともに独特の
風景を形づくっており、まるで日本画の世界。

凍った池に、折れ曲がった葦やガマが重なり、幾何学形のよう。

「 葦辺(あしへ)行く 鴨の羽音(はおと)の 音のみに
    聞きつつもとな 恋ひわたるかも 」 
                        巻12-3090  作者未詳

( 葦のあたりを飛びわたる鴨の羽音のように、噂だけを 
     ただ、いたずらに聞くばかりで私は空しくあの人のことを
     慕い続けております )

彼が私を好いてくれているという噂は一向に聞かない。
こんなに慕っているのに片想いなのか?と嘆く女。

鴨は見かけませんでしたが、シロサギが餌を探しながら歩いていました。

   「 武蔵野の 青笹匂(にほ)ふ 茅の輪かな 」  鎌須礼子

武蔵野が雑木林になったのは江戸時代からだそうです。
農家が薪炭用の材木を植林して10年~20年毎に伐採し、さらにその切り株から出る
新芽を育てて繁茂させました。
樹種は薪炭に適した櫟(くぬぎ)、コナラ、欅、エゴ、などが多く、
整然と一定の間隔を残して植えられたので、明治時代には美しい雑木林になり、
また観賞用に梅、櫻、竹、松などが加えられたと伝えられています。
また道端には美しい花々が咲き乱れており、その光景に魅かれて移り住む人も
多かったそうな。

わが国経済が高度成長期にさしかかると、武蔵野周辺は開発のため見るも
無残な姿になり、御料地や官有地として保護されたものが、かろうじて残りました。
もし、自然教育園も民有地であったなら、白金という一等地だけに、今ごろは
高級邸宅やマンションが林立していたことでしょう。

  「 あらうれし 白金台に 武蔵野あり 」   筆者



          万葉集617 (落葉道とカワセミ) 完


          次回の更新は2月3日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-01-26 20:22 | 自然

万葉集その六百八 (朝露)

( 彼岸花に置かれた露  学友N.F さん提供 )
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( キス ミー ? いやいや サザンカの花びらでした  自宅 )
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( ヤマハゼ  室生寺  奈良 )
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(  南天   自宅 )
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(  柚子   同上 )
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(  薔薇   同上 )
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(  薔薇の露は甘い  棲みついたカエル君  同上 )
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(  露草  山辺の道  奈良 )
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「露」は「梅雨」「汁(つゆ)」などに関係する語で元々は「湿っている」ことに
由来するそうですが、歌の世界では秋の季語とされ様々な使い方がされています。

古歌では朝露、夕露、白露の表現が多く、露の消えやすさに人生のはかなさを譬え、
つのる思いの強さゆえにこぼれる涙を「思いの露」といい、
悲しみのためにあふれる涙は「心の露」、言葉の美しさを「言葉の露」、
情愛のうるおいは「情けの露」、縁のうすいことを「縁(ゆかり)の露」などと
言い慣わし、日本人好みの題材として数えきれないほど詠われています。

万葉集での露は115余首。
その中から早朝、草葉に降り置き、美しく輝く朝露を。

「 朝露に にほひそめたる 秋山に
    しぐれな降りそ ありわたるがね 」
                    巻10-2179 柿本人麻呂歌集

( 朝露に濡れて色づきはじめた秋の山に
      時雨よ降らないでおくれ。
      この見事な風情がいついつまで続くように )

「ありわたるがね」 長く続いて欲しい
「あり」 存続をしめす接頭語的用法 「がね」 希望的推測をしめす終助詞

当時、秋の露は紅葉を促すものと考えられていました。
折角美しく映えているのに、冷たい時雨を降らせて枯らすなと詠う作者です。

次の歌は
「白い露がどのようにして木の葉を様々な色に染め上げるのだろうか」
と戯れています。

「 白露の 色はひとつを いかにして
      秋の木(こ)の葉を ちぢにそむらむ 」
                            ( 藤原敏行 古今和歌集 )

( 白露の色は一色であるのに、どのようにして秋の木の葉を
 千々の色に染めるのだろうか )

「 朝露に 咲きすさびたる 月草の
    日(ひ)くたつなへに  消(け)ぬべく 思ほゆ 」 
                           巻10-2281 作者未詳(既出)

( 朝露をあびて咲き誇る露草が 日が傾くと共に萎むように
 日が暮れてゆくにつれて 私の心もしおれて消え入るばかりです )

咲きすさびたる : すさぶ: ほしいままに咲きほこっている
日くたつなへに :くたつ:最盛期を過ぎる 衰える

男が「今夜行くよ」と云っていたのに夜が更けても来ない。
期待に胸をふくらませていたのに、時間の経過と共に萎んでゆく。

月草は露草、朝咲き夕べに萎む儚い運命は露と同じ。

竹久夢二の「宵待草」

「 待てど 暮らせど 来ぬ人を
  宵待草の やるせなさ
  こよひは 月も 出ぬそうな 」   

を思い出させる一首です。

 「 朝露の 消(け)やすき我(あ)が身 老いぬとも
     またをちかへり  君をし待たむ 」 
                            巻11-2689 作者未詳

( 朝露のように今にも消え入りそうなこの身、そんな私の命だけれど
      どんなに老いさらばえようと、また若返ってあなたをお持ちしましょう。)

男から疎まれて振られた女、なにくそ、どんなに老いさらばえようと
必ず彼の気持ちを引き戻してみせると自ら励ましているような歌。
男にとって有りがた迷惑な話?

「 かにかくに 物は思はじ 朝露の
     我(あ)が身ひとつは 君がまにまに 」
                       巻11-2691 作者未詳

( あれやこれやと もう思い悩んだりいたしません。
  朝露のようなはかないこの身のすべては、あなたのお心のまま 。)

さまざまに悩んだ末、決心した女。
もうどうにでもして!
とは云ったものの相手の反応は鈍い?

「 かく恋ひむ ものと知りせば 夕(ゆふへ)置きて
    朝(あした)は消(け)ぬる 露にならましを 」 
                         巻12-3038 作者未詳

( これほど恋焦がれるものと知っていたら、いっそのこと
  夕方に置いて朝方に消えてしまう露であればよかった )

こんなに苦しむのであればいっそのこと露のように
消えてしまった方がましだ。
命を懸けた本気の恋とは楽しく、そして苦しいもの。
それでも諦めない万葉人。

露は晴天の風のない夜、急速に地面が冷えると多くなるそうです。
月の光を浴びながらキラキラ光る玉は正に月の雫。
日本語って美しいですね。

余談ながら「露払い」の由来を。
「露払い」とは「先触れや先導すること」をいいますが、
元々は宮中で蹴鞠(けまり)の会がある時、競技者が出る前に、道具を管理する者が
まず蹴って鞠(まり)にかかっている露を払い落したことに由来するそうです。

室町時代になると、遊芸など最初に演ずることに使われ、
さらに相撲で横綱土俵入りの前駆を勤める力士をいうようになったのは
御承知の通り。
相撲の露払いの起源は古代の蹴鞠にありです。

   「 朝露の ふるればこぼる 楽しさに 」    稲畑汀子




                万葉集608 (朝露)   完

               次回の更新は12月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2016-11-24 19:40 | 自然