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カテゴリ:自然( 108 )

万葉集その七百二十三 (春立ちぬ)

( 春霞  山の辺の道 奈良  筆者撮影 )
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( 手賀沼幻想  学友N.F さん提供 )
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( 藪椿    同上 )
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( 八重桜  同上 )
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( 枝垂れ桜  同上 )
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( 薔薇   同上 )
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  万葉集その七百二十三 (春立ちぬ)

    「 月数(つきよ)めば いまだ冬なり しかすがに
              霞たなびく 春立ちぬとか 」 
                         巻20-4492 大伴家持

( 月日を暦で数えてみると、まだ冬。
     ところが、あたりは一面に霞がたなびいている。
     やはり季節の春が到来しているのだなぁ。)

795年12月23日、現在の太陽暦2月6日頃、
治部少輔 大原今城邸での宴席での歌です。

以下は60年来の親友N.F君のコメントです。

 『 寒中見舞いでも出そうと思いながら、ぐずぐずしている内に、
   もう立春がそこまで来てしまいましたか。
   そういえば、先週のNHK-BSの「俳句王国」の兼題は、
   「春隣」(はるどなり)でした。

   「 結露せし 窓の青空  春隣 」
   「 齢(よわい)積む 音閑かなり 春隣 」

 1月26日、町会の防犯パトロールで集会所に集ったとき、
 隣の梅林の梅の枝を眺めたら、もうツボミが大きく膨らんでいました。
 「梅のツボミも膨らんできたねぇ」と、さり気なく言うのは、
 写真をやったり万葉を学んだりしている小生であります。

 すかさず女性陣が「桜も膨らんできてるわよ。
 風も”ぬるんだ”感じがするわねぇ」と応じてくれました。

 山登りを趣味とする者には、春霞はいささか迷惑なのであります。
 冬の山は、峻厳な冷気のせいで山並みをクッキリと見せてくれますが、
 春の訪れとともにガスがかかるようになり、遠くの山がぼやけてしまいます。

 山男は、せっかくの春霞を愛でることを知らず、恨めしげに
 「ガスってやがらあ」と無粋なことを申します。
 とっさに、「霞み立つ 春立つらしも」と、一首ものすることができれば、
 洒落てるのですがねぇ。 』

「 うち靡く 春立ちぬらし 我が門(かど)の
    柳の末(うれ)に うぐひす鳴きつ 」 
                       巻10-1819 作者未詳

(  草木の靡く春がいよいよやって来たらしいなぁ。
  我が家の柳の枝先で 鶯が鳴きはじめたよ )

 古代「靡く」という言葉は
 「 草や髪の毛が風に靡く、人が横になる、服従する、引きつけられる、慕う 」
 などの意味に使われ、そのほとんどが現代に継承されています

 この言葉が「うち靡く春」すなわち、春の枕詞になると、
 今まで静かに冬眠していた草木や動物が暖かい日差しを浴びて生き生きと動き出し、
 花が咲き、鳥が囀りながら木々を渡ってゆく躍動感あふれる情景を醸し出す。
 たった二文字「うち」の凄さ、日本語の奥深さです。

 「柳に鶯」は珍しい組み合わせですが、鶯は笹の多い林の下や藪を好みます。
 「梅に鶯」は詩歌や絵の世界で多く採りあげられていますが、
 梅の蜜を吸いに来るのはメジロが多く、時には雀が花を啄んでいることも。

  「 ひさかたの  天(あめ)の香具山  この夕べ
          霞たなびく 春立つらしも 」 
                  巻10―1812 柿本人麻呂歌集

( 長い冬が過ぎて寒々としていた大和平野にも何時とはなく夕靄が立ちはじめ、
  美しい香具山がおぼろに煙って見える。 
  ああ 春が来たのだなぁ。)

おおらかな調べで、美しくも堂々たる風格を感じさせる一首。
「この夕べ」の「この」で「今日の夕べ」という時をはっきり限定し
「春立つらしも」と詠い収め「暦が春になったその日」即ち立春を寿ぐ歌です。

「伊予国風土記」によると香具山は天上より天降(くだ)った時二つに分かれて
一つは大和に落ち、もう一つは伊予に落ちて天山になったとか。
このような由来から香具山は神の山と考えられ「天の」が冠せられています。

再びN.F君です。

 『 これから久しぶりに南高尾山稜の往復(約5時間)を単騎で歩いてきます。
   1月6日以来の山歩きです。
   きょうは、最高気温が15℃を越えるかもしれません。

   「 春の初めの歌枕  霞たなびく丹沢連峰 」、
   「 富士の山  霞たなびく 春立つらしも 」

   ということでガッカリでしょう。 』 

 「 時は今 春になりぬと み雪降る
      遠山の辺(へ)に 霞たなびく 」 
                  巻8-1439 中臣 武良自(むらじ)

( ようやく春になったのだなぁ。 
  いまだに雪が降り積もっている遠くの山のあたりにも
 霞がたなびいているよ。)
 
「春は霞と共にやって来る」と考えていた古(いにしえ)の人々。
「時は今」という言葉に待ちに待ったに春到来の喜びがあふれているようです。

N.F君いわく

 『 春がいいか、秋がいいかという問いに、秋に軍配を上げたのは
   額田王だったと思うが、 ボクは、みずみずしい新緑の春の方が好きだ。
   年齢的な気分もあるかも知れない。
   やはり、待ちに待った春だね。
   登山をやる者には、春霞は遠望がきかず、時として邪魔者扱いするが、
   「春霞」として古来、日本人には愛されてきたようだ。

 「 時は今 春になりぬと み雪降る
         遠山の辺(へ)に 霞たなびく 」 

  いまのボクの気分にぴったりだなあ。
  「春は霞とともにやってくる」かあ。
  植物が、寒い冬の間じっと耐えながらも、春の喜びのために着々と春の準備をしていた。
  それが今、一斉に芽吹き始めた。
  庭の山椒も芽吹いてきて、もういつでも筍と一緒に召し上がれと告げている。 』

「 春の野に 心延(の)べむと 思ふどち
         来(こ)し今日(けふ)の日は  暮れずもあらぬか 」
                   巻10-1882 作者未詳

( 親しい仲間同士で、伸び伸び一日過ごそうと春の野にやってきました。
 今日は何時までも日が暮れないで欲しいものだなぁ )

心を許したもの同士の会話は何時まで経っても尽きることがありません。
時よ止まれ!
 
N.F君曰く

  『 そうだねぇ、
   春野でジジイ放談でもやりたいものだ。
   ピクニックにでも行きたい気分だ。   』

  「 春いまだ ほろりほろりと 友逝きぬ 」 日野草城

友人達との放談を楽しみにしていたN.F君。
春を待たず昨年末に急逝してしまいました。

前日まで元気だったのに、言葉もありません。
年来の友に先立たれた筆者や仲間は茫然自失。

このブログ開設当初からボクを励まし続け、
適切なアドバイスを寄せてくれた心の友。
返す返すも残念無念、痛恨の極みであります。

キミの春風駘蕩とした大らかな人柄は多くの人達に慕われ、
防犯パトロールで親しくなった小学生の卒業式に
来賓として招かれた時は嬉しそうだったなぁ。

写真はプロ級の腕前、山を愛し花を愛で、名利など振り向きもせず、
ひたすら誠実に生き抜いた男。

酒好き、飲めば飲むほどに人生を語り周囲を楽しく盛り上げてくれる。

あぁ、思いは尽きない。
もっともっと長生きして欲しかった。

ノブさん、

今、君の遺影を前にして、静かに盃を傾けている。
仲間と共に旅した写真をスライドさせながら。

その1コマ1コマから君が語りかけてくれているようだ。
「おい! みんな! いつまでも仲良くしろよ」と。

60余年間の楽しいお付き合いは、ボクの人生をこの上もなく豊かに、
そして幸せにしてもらった。

ありがとう! ノブさん。
さようなら! わが心の友よ。

  「 友情の ただ中に じっと眼をつむる 」  日野草城




     万葉集723 (春立ちぬ)  完


     次回の更新は2月15日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-02-07 15:49 | 自然

万葉集その七百二十二 (雪の恋歌)

( 皇居東御苑 )
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( 高千穂神社  佐倉市 )
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( 同上  桜の蕾も寒そう )
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( はだれ  北の丸公園  東京 )
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万葉集(雪の恋歌)

「 かきくらし ふる白ゆきの いやましに
      深くなりぬる 我(わが) おもひかな 」  樋口一葉

万葉集での雪歌は150首余。
約半数が恋歌、他は白梅、鶯との取り合わせ、新年の賀歌、
大雪の喜びなどが詠われています。

当時、雪は繁栄をもたらす瑞祥と歓迎されていましたが、
大和は降雪が少なく、たまに大雪でも降ろうものなら、外に出て
子供のようにはしゃぎまわり、朝廷の役人たちは、皇居に駆けつけて雪掻きをし、
お上から酒をふるまわれるのを楽しみにしていたのです。

恋の歌は天皇から庶民に至るまで詠われておりますが、今回は
名もなき人々の雪に寄せる純情、淡い恋歌です。

「 わが袖に 降りつる雪も 流れ行(ゆ)きて
      妹が手本(たもと)に い行(ゆ)き触れぬか 」
              巻10-2320  作者未詳

( 私の着物に降りかかった雪よ、ずっと空を流れて、
 あの子の手首に触れてくれないものかなぁ )

愛しい人とは何事も共にしたいと願うのは恋するものの心理。
雪降る中、恋人の姿を目に浮かべ、共に歩いている姿を想像している。
美しい幻想の世界です。

「 わが背子を 今か今かと出(い)でみれば
       淡雪降れり 庭もほどろに 」  
                     巻10-2323 作者未詳

( あの方のお越しを今か今かと待ちかねて、戸口に出て見ると
庭中うっすらと 淡雪が降り積もってしまっているわ。)


愛しい人がいつまで経っても現れない。
折角約束したのに。
とうとう待ちきれなくて外に出てしまった。
切ない思いの女が立ちつくす可憐な姿と淡雪の情景が美しい。

庭もほどろに: 雪が地肌に交ってうっすらと積もる状態

「 笹の葉に はだれ降り覆ひ 消なばかも
      忘れむと言へば  まして思ほゆ 」 
                     巻10―2337 作者未詳

( 「笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように
私の命が消えでもすれば、あなたを忘れることもありましょう。」
などと、あの子がいったものだから、ますますあの子が愛しく思われることよ。)

 はだれ降り:うっすらと降り置いた

「 一目見し 人に恋ふらく 天霧(あめぎ)らし
       降りくる雪の 消ぬべく思ほゆ 」 
                           巻10-2340 作者未詳

( たった一目みただけのあの子、それなのにどうしてこんなに
恋焦がれてしまつたのだろう。
まるで大空をかき曇らせて降ってくる雪のように
身も心も消え入るばかり。 )

天霧(あめぎ)らし:「雪がやがて消えてしまうように
我が身が消え入りそう」の意

以上4首は全て巻10に収蔵されています。
この巻は春、夏、秋、冬、四季整然と区分されており、さらに自然現象、
動植物、相聞に細分化され後の古今和歌集分類の先駆をなすものです。
後の人はこの巻をお手本にして作歌を学んだと思われますが、秀歌も多く
名ある人もあえて読み人知らずとして詠ったものもあるようです。

 「 雪はげし 抱かれて息の つまりしこと 」 橋本多佳子



     万葉集721(雪の恋歌)完

  次回の更新は2月8日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-31 17:50 | 自然

万葉集その七百二十 (雪山賛歌)

( 梅薫る富士  曽我梅林 )
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( 立山連峰 雨晴海岸  富山県 )
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( 東京都内を走る立山連峰  山手線 )
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(筑波山の雪 )
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万葉集その七百二十 (雪山賛歌)

大和の都、藤原京、平城京は低い山々に囲まれた盆地にあり、冬は厳寒。
でも、雪は滅多に降りません。
数年に一度の大雪ともなれば天皇から庶民に至るまで大喜び。
雪の歌が何と150余首も残されているのです。

万葉人はなぜ雪をこんなにも歓迎したのでしょうか。
それは雪は白米とみなされ大雪は豊穣、雪解け水は農作物をうるおす、
国土繁栄のしるしと信じられていたからです。

 「 矢釣山(やつりやま) 木立も見えず 降りまがひ
        雪の騒(さわ)ける 朝(あした)楽しも  」
                 巻3-262 柿本人麻呂

( 矢釣山の木立も見えないほどに さわさわと降り積もったこの朝は
 何と心楽しいことでありましょうか 。)

    矢釣山:奈良県明日香村東北にある八釣山
    降りまがひ: 粉々に降り乱れて
    騒ける: にぎにぎしく降っているさま

人麻呂が新田部皇子(にひたべみこ:天武天皇皇子)に奉った長歌の反歌。
皇子17歳頃、成年に達したときの宴席での寿ぎ歌と思われます。
繁栄のあかしとされていた雪が賀宴の最中に降ってきた。
それも大雪。
人麻呂は皇子の前途は洋々たるものと感じ、直ちに歌を献上して寿いだのです。

 「 初富士や 舟より上る 武者の凧 」  吉中愛子

大和には高い山がありませんが、山部赤人、高橋虫麻呂、大伴家持は
官用で旅をしたり、転任したりして富士山、立山、筑波山を詠い、
また筑波山は民謡としても残されています。


  「 田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ
        富士の高嶺に 雪は降りける 」
               巻3-318 山部赤人

   ( 田子の浦にうち出て見ると、おお、なんと富士の高嶺に
     真っ白な雪が降り積もっていることよ )

田子の浦を通り、薩捶峠(さったとうげ)あたりに出た時、突然 視界が開けて
目に飛び込んできた雄大かつ秀麗な富士の姿を、海、山、空とパノラマのような
大きなスケールで簡潔平明に詠った万葉屈指の秀歌です。

   「田子の浦ゆ」:「田子の浦を通って」
   「うち出でてみれば」:眼前に障害物のない展望がぱっと開けた地点に
                出た時の感じをいう。

生れて初めて富士山を目にした赤人の感激は如何ばかりだったことでしょう。

 「 立山に 降り置ける雪を 常夏に
          見れども飽かず 神からならし 」
               巻17-4001 大伴家持

   ( 立山に白く降り置いている雪、この雪は夏の真っ盛りの今でも
     白々と輝いている。
     なんと神々しいことだろう。
     これは、きっと神の摂理であるらしい。)

746年、越中国守として赴任した家持は天空に聳え立つ立山連峰を
目のあたりにして その雄大な景色に驚嘆したことでしょう。

「神から」とは「族(うから)」「親族(やから)」「同胞(はらから)」
などの語と同じく血の繋がりがあることを示す古語ですが、
ここでは真夏に白々と雪が残る景色を神の霊力とみた表現です。

立山は古くは「たちやま」とよばれていました。
最高峰の大汝山(おおなんじやま:3015m) 主峰の雄山(おやま:3003m)、
富士の折立(おりたて:2999m)の三つの山からなり、雄山の山頂には日本で
一番高いところにある神社、雄山神社が鎮座まします。

「 筑波嶺(つくばね)に 雪かも降らる いなをかも
            愛(かなし)き子ろが 布(にの)乾さるかも 」
                  巻14-3351 常陸国の歌

( 筑波山に雪が降っているのかな。
     それとも、いとしいあの子が布を乾かしているのかな。)

筑波山は古くから歌垣で知られていた山です。
歌垣とは春秋の季節に関東地区の男女が打ち集い、
山上で歌を歌って舞い楽しみ、お互いのパートナーを見つける、
いわば婚活のような行事。

深田久弥著日本百名山によると
『 筑波山へ登ってその会合で男から結婚を申し込まれないような女は、
一人前ではないと言われさえした。』のです。( 朝日新聞社刊)

この歌もこれから始まる歌垣を前にした男が、
「 あの愛しい子もきっと歌垣に参加するだろう」
と楽しい夜を思い描いていたのかもしれません。

 「 おぼほしく 曇れる空の雨やみて
           筑波の山に 雪ふれりみゆ 」   長塚 節

                 おぼほしく: 憂鬱に

古代、旅するには徒歩か船か馬。
九州へ行く以外ほとんどが徒歩の旅でした。
何日も何日もかけてゆっくり歩く。
時には野宿もいたし方なし。

そんな中でも万葉人は旅を続け、高橋虫麻呂にいたっては
なんと、気晴らしに筑波山に登ったと詠っているのです。

「 草枕 旅の憂へを慰もる こともありやと 
         筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば ― ― 」  
                        巻9-1757 高橋虫麻呂


       万葉集720(雪山賛歌)完


      次回の更新は1月25日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-17 11:11 | 自然

万葉集その七百十六 (時つ風)

( 海王丸: 日本丸とともに世界の海を帆走)
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( 住吉神社は海の神様 )
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( 古代の船 突如大仏殿のの前に出現)
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( 松風と時津風の天橋立 )
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万葉集その七百十六 (時つ風) 

榎本好宏著「風のなまえ」に次のような一文があります。

『 風の多くは季節を限って吹くが、中には通年にわたって吹くものもある。
  俳句的な分類に従えば「無季風」とでもいうことになろうか。- -
  ともすると相撲部屋と間違えられそうなのが「時津風」だろう。

 「時つ風」と書く事もあるように、「つ」は格助詞の「の」だから
  ほどよいころに吹いてくる風の意になる。
  また、潮が満ちてくる時刻に吹く風といったふうにも使われる。』(白水社)

    「 時津風 部屋の親方 双葉山 」  筆者 
  
      
        ( 双葉山は十二代 現在は十六代
          相撲部屋の入口には今も
         「双葉山相撲道場」の看板が掲げられている)

船名にもみえる めでたい追い風。
万葉集には3首登場し、そのうち1首は枕詞です。

 「 時つ風 吹かまく知らず  吾児(あご)の海の
        朝明(あさけ)の潮に  玉藻刈りてな 」 
                           巻7-1157 作者未詳

( 潮時の風が吹いてくるかもしれない。
 さぁ、今のうちに吾児の海の夜明けの千潟で
 玉藻を刈ろうではないか )

   吾児の海:大阪住吉海岸の一部とされるが所在不明

古代、旅人が旅先の地で玉藻(ホンダワラ)を刈ったりするのは、
その土地の光景に惹かれての風流な行為とされていたようです。

浜辺の美しさ、波音のさやけさ、遠くに見える淡路島と渡る鶴と
住吉海岸の美しさへの賛美が次々と詠われています。

海を見たことがない都人の驚きと喜びが溢れている様が目に浮かぶ歌です。

 「 時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟(かしひがた)
     潮干(しほひ)の浦に  玉藻刈りてな 」
                  巻6-958 小野 老(おゆ)
 
( 海からの風が吹きだしそうな気配。
    香椎潟の潮が引いている間に この入り江で玉藻を刈ってしまおう)

728年 福岡市東北の香椎宮に大宰府長官大伴旅人以下官人が
参拝した折の歌。

「香椎」は日本書記に「橿日」と表記され、海で暮す海人たちが
橿や椎が茂る照葉樹林を聖地と崇めた遠い縄文期を思わせる地名です。

香椎の宮にはこの地で崩御された仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と
橿日浦で髪をすすいで占いをしたと伝えられる神功皇后が鎮座まします。

次の歌は「吹く」という類音の地名の「吹飯(ふけい)」の枕詞として
使われている一首です。

「 時つ風 吹飯(ふけひ)の浜に 出でいつつ
      贖(あか)ふ命は 妹がためこそ 」 
                        巻12-3201 作者未詳

( 時つ風が吹くという吹飯の浜に出て、
 海の神に幣(ぬさ)を奉げて無事を一心に祈るこの命は
  誰の為でもない、いとしいあの子のためなのだ )

  吹飯(ふけひ)の浜: 大阪府泉南郡岬町 深日(ふけひ)港あたり
               港近くに「延喜式」記載の式内社「国玉神社」があり
               称徳天皇が紀伊行幸の際造られた行宮跡とされる。
               風光明媚な景勝地で知られる歌枕。
               江戸時代は難波と江戸を結ぶ廻船の風待ち港として
               繁栄をきわめた。

  贖(あか)ふ: みそぎして神に供え物を捧げ祈る。
 
この歌は4首で構成され、熟田津(愛媛県松山市道後温泉近く)あたりへ
船旅する夫としばしの別れを悲しんでいる物語風の歌群です。

まず妻が海は危険なので、時間がかかっても磯伝いに漕ぎ廻り、無事に
帰ってきて下さい。と詠い、夫は吹飯(ふけひ)の浦に寄せては返す波、
その波のようにひっきりなしにお前のことを思っている、
わざわざ遠回りして吹飯に寄港して海の神に無事を祈るのは、
お前さんのためと返し、最後に妻が熟田津で帰りの船に乗ると
おっしゃっていたのに、いつまでたっても帰ってこないと嘆く、
という筋立てとなっています。

 宴会の余興で詠われたものかもしれません。

次の歌は同じ「ふけひ」でも違う場所の例です。

「 天つ風 ふけゐの浦に ゐる鶴の
       などか雲居に 帰らざるべき 」 
                   藤原清正(きよただ) 新古今和歌集

( 鶴が「ふけゐの浦」の上空に飛んでいってしまって
 帰ってこないということがないように、
 私自身もいつか再び昇殿を許されるはずだ。)

作者は平安中期36歌仙の一人
最終官位は紀伊守。
紀伊守としての赴任、本人は左遷と感じたのでしょう。
殿上人を離れたことを悲しみ、帰京する日を待ちわびる詠です。

ここでの「ふけゐの浦」は紀伊国「吹上の浜」の別名。
雲居に大空と宮中を掛けています。

さぁ、新しい門出も間近。
来るべき年は順風満帆でありますように。

   「 時つ風 船軽やかに 漕ぎ出せり 」   筆者 

         万葉集716 (時つ風) 完


           次回の更新は2019年1月1日(火) 。
           「新年の歌:亥」の予定です。
             ( 12月28日(金)を変更)

by uqrx74fd | 2018-12-20 16:05 | 自然

万葉集その七百九 (爽籟:そうらい)

( 秋風に靡くススキ   平城京跡 奈良 )
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( オミナエシもゆらゆら   奈良万葉植物園 )
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( 風に流される雲は飛天のよう )
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( 潮風の音、波の音  瀬戸内海  松山にて )
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万葉集その七〇九 (爽籟:そうらい)

「爽籟」と清々しく爽やかな秋の風をいいます。
「籟」は穴が三つある笛のことで、古代の人はその笛を吹くことを
「吹籟:すいらい」とよんでいました。
そして、松を渡る微細な風があたかも笛の音に聞こえることから
「松籟:しょうらい」という言葉が生まれ、さらに秋風の響きを
「爽籟」と名付けたのです。

日本人の繊細な感覚はさらに秋の季語「色なき風」をも生み出しました。

「 吹きくれば 身にもしみける 秋風を
       色なきものと 思ひけるかな 」 
                    紀友則 古今和歌六帖

陰陽五行説の「秋の色は白」に由来するといわれていますが、

芭蕉は 
   「 石山の 石より白し 秋の風」 と詠み

石田波郷は 
     「 吹きおこる 秋風 鶴を あゆましむ」 と

鶴の白さを秋風に重ねています。

華やかな色がない風には寂しさが身にしみとおるような感覚をともない、
のちには「もののあはれ」とも結びつきました。
かの北原白秋の名もその由縁といわれております。

万葉時代にはまだ「爽籟」「色なき風」という言葉は見えませんが、
秋風の肌寒さ、もの寂しさなどを感じている歌は随処にみられ、
日本人の細やかな感性が芽生えていたことを感じさせます。

「 恋ひつつも 稲葉かき分け 家居(いへを)れば
      乏(とも)しくもあらず 秋の夕風 」 
                            巻10-2230 作者未詳


( 家に残してきた妻に恋焦がれながら、一面の稲葉をかきわけて
 ここに居をかまえていると、ひっきりなしに秋の夕風が吹き続いてくるよ。)

作者は農作業にいそしむため、家から離れた田地に掘立小屋を建てて
わび住まいをしているようです。
当時、貴族といえども自身で農作業をしており、大伴坂之上郎女が
畑仕事をしている歌なども残されています。

一人寂しく滞在する仮小屋に秋風が吹きつける。
身も心もわびしさ、寂しさを感じさせる1首です。

    稲葉かきわけ: 収穫期を迎えた稲田の前に庵を造っての意
    乏しくもあらず: 「乏し」:少ない「非ず」反語 
               少なくない。ここでは「ひっきりなしに」

「 秋風の 吹き扱(こ)き敷ける 花の庭
     清き月夜に 見れど飽かぬかも 」 
                   巻20-4453 大伴家持

( 秋風が吹きしごいて 庭がまるで花絨毯のようです。
 それに月の光の清々しいこと。
 いくら見ても飽きることがないすばらしい夜ですね )

孝謙天皇、聖武太上天皇、光明皇后列席、紫宸殿の宴の席上で
詠うべく用意したが、何らかの事情で奏上できなかったもの。

秋風が吹いて庭の萩を散らす。
澄み切った夜空に煌々と輝く月。
盃を傾けながら見惚れる堂上の人々。

まさに王朝絵巻を彷彿させるような美しい光景。
古今和歌集調に近い洗練された歌です。

吹き扱(こ)き敷ける : 風が吹き萩の花を庭一面に散らしたの意

「 家離(いえざか)り  旅にしあれば 秋風の
     寒き夕(ゆうへ)に 雁鳴き渡る 」 
                       巻7-1161 作者未詳

( 懐かしい家を離れて、ひとり旅空に身を過ごしていると
  秋風がひとしお寒く感じる夕暮れ時だ。
  あぁ、雁が鳴きながら渡って行くよ。 )

古代の人は、雁は家郷と我が身をつなぐ使者であると信じていました。
「雁よ、私が無事だと妻に伝えておくれ」という気持ちがこもる旅愁の歌。

幼い頃によく歌った次の歌詞を思い出させてくれる一首です。

「 更け行く 秋の夜 旅の空の
  わびしき思いに 一人なやむ
  恋しや 故郷 なつかし父母
  夢路に たどるは 故郷(さと)の家路 」 

      ( 旅愁 犬童玉鶏作詞 オードウエイ作曲)


           万葉集709(爽籟)完


          次回の更新は11月9日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-11-01 16:17 | 自然

万葉集その七百七 (雲よ!)

( 畝傍山  飛鳥甘樫の丘から  奈良 )
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( 飛鳥稲渕の棚田 )
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( 浅芽が原  奈良公園 )
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( 薬師寺   後方若草山 御蓋山   奈良 )
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万葉集その七百七 (雲よ!)

「 春日にある 御笠(みかさ)の山に  居る雲を
    出(い)でみるごとに 君をしぞ思ふ 」
               巻12-3209  作者未詳

( 春日の御笠の山にかかっている雲
 その雲をみるごとに旅先にいるあの方のことが
 思われてなりません )

万葉集には雲の歌が200首以上見られますが、その大半が恋の歌です。
当時の人は雲に魂が宿ると信じており、眺め続けることにより
その人と意思が通じ合えると思っていました。
そして、朝に夕べに「あなた!」「お前さんよ!」と呼びかけていたのです。

「 白雲の 五百重(いほへ)に隠り 遠くとも
    宵さらず見む  妹があたりは 」 
                    巻10-2026  作者未詳

( 白雲の幾重にも重なる彼方に隠れて、こうして隔たっていても
 毎晩毎晩欠かさずに見ていよう。
 あの子がいるあたりを。)

     五百重(いほへ) :幾重にも重なり
     宵さらず見む: 「宵」は日没から夜中までの時間帯を漠然とさす
         「さらず」は ~ごとに
     妹あたりは: 「妹あたりをば」の意

 一連の七夕歌の中に見える、彦星が織姫を慕う1首ですが、
遠くに旅する男が、故郷の恋人を想って詠ったものとも解釈できます。

「 ひさかたの 天飛ぶ雲に ありてしか
      君を相見む  おつる日なしに 」 
                         巻11-2676 作者未詳

( 天空を飛び通う雲になりたい。
 そうすれば、欠ける日など一日もなしに、あの方にお逢い出来ましょうに。)

    「おつ」る日なしに:「おつ」は欠ける 

雲を眺めているだけでは満足できない。
出来ることなら雲になって毎日愛する人の許へ行きたい。
恋する乙女の切ない思いです。

「 夕ぐれは 雲のはたてに ものぞ思ふ
     天つ空なる 人を恋ふとて 」 
                  よみ人しらず 古今和歌集

( 夕暮れになると 雲の果ての方を眺めて物思いにふけっています。
  私をうわの空にさせるあの人を恋しく思って。)


天空の果てまで広がる夕焼け。
愛しい人を瞼に浮かべながら、うっとりしている女性の姿を彷彿させる
洗練された美しい恋歌です。

「 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ
        をとめの姿 しばしとどめむ 」  
                    僧正遍照 古今和歌集 百人一首

( 空を吹く風よ、雲間の通路を吹き閉ざしてくれ。
    舞が終わって帰ってゆく天女たちの姿を
    もうしばらくここにとどめておきたいのだ。)

新嘗祭のあと天皇が新しい米を食し、群臣にも賜った後の宴
(豊明会:とよあかりのせちえ)での歌。

若き遍照(宗貞)は五人の美しい乙女たちが披露した「五節(ごせち)の舞」の
あでやかな姿に魅了されて、どうにもならない名残惜しさを詠った
即興名歌です。

   「ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の
        塔の上なる  一ひらの雲 」 佐佐木信綱


       万葉集707 (雲よ!)完


    次回の更新は10月26日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-18 10:45 | 自然

万葉集その七百一(秋さらば)

( 秋風吹く空 )
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( 鶏頭 古代名:韓藍 からあい  山辺の道 奈良 )
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( ミヤギノハギ  神代植物公園 )
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( 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに 鹿鳴かむ山ぞ 高原の上  京都御所 )
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万葉集その七百一 (秋さらば)

「さる」という言葉は万葉集で130例と多くみられ「去」「離」「避」の
原文表示がなされています。
通常は「移動する」「特定の場所からいなくなる」などの意で使われますが、
時間帯や季節を表す語に付く場合は「やってくる」という逆の意味に変わる
特殊な言葉です。
つまり、「夕さらば」は「夕方になると」、「秋さらば」は「秋になると」。

古代の人は、自分自身の意思にかかわらない自然現象については神意の発動を感じ、
このような用例になったと思われますが、歌語としての5文字は使いやく、
「秋されば」となったり、「冬籠り 春さりくれば」(長い冬が終わり春が来ると)
のように2句目に使われる場合もあります。

「 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし
     韓藍(からあひ)の花を  誰(た)れか 摘みけむ 」
                      巻7-1362 作者未詳

( 秋になったら移し染めにしようと、私が蒔いておいた鶏頭の花なのに、
 一体、どこの誰が摘み取ってしまったのだろうか。)

韓藍は唐(から)からきた藍(染料の総称)。
鶏頭は染料として衣類に直接摺り染め(移し染め)にしていました。

丹精して育てた鶏頭が見頃になったのに知らない間に摘み
取られてしまった。
いったい誰がこんなひどいことをしたのだろう。

ここでの「移す」には結婚する、あるいは関係を持つという意味が
含まれています。
というのは、この歌は「花に寄せる」比喩歌で鶏頭は最愛の娘を暗示
しており、

「大切に育てたあの子、時が来たらこれと見込んだ男に嫁がせようと
楽しみにしていたのに知らぬ間にあらぬ男にとられてしまった。」
と嘆いている母親の歌と思われます。

「 - - 露霜(つゆしも)の 秋さり来れば 
生駒山 飛火(とぶひ)が岳の 
萩の枝(え)を しがらみ散らし 
さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 
- - 」 
             巻6-1047  田辺福麻呂歌集

(- - 露が冷たく置く秋ともなると
 生駒山の飛火が岳で
 萩の枝を からませ散らして
 雄鹿が妻を呼び求めて 声高く鳴く- - )
 
作者は最後の宮廷歌人で、左大臣橘諸兄の庇護を受けていた人物。

741年 聖武天皇が都を恭仁京に遷都した時、平城京が廃都となり
寂びれゆく様子を悲しんだ長歌の一部です。

「飛火」は緊急時伝令の為の狼煙台(のろしだい)。

歌の前段で、春は桜が咲き、カワセミが鳴き飛ぶ美しい都も荒れてゆくと
悲しんでおり、そのうるわしい土地から離れてゆくので神がお怒りにならないよう、
一種の地霊を鎮める役割も担っている長歌です。

「 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに
      鹿鳴(かな)かむ山ぞ  高原(たかはら)の上 」  
                               巻1-84 長皇子

(  秋になったら 今、我らが見ているように
  鹿が妻に恋焦がれてしきりに鳴いているのを見たいと思うような
  高台の山ですね。)

天武天皇の子、長皇子が志貴皇子(しきのみこ:天智皇子)を 奈良佐紀の宮の
私邸に招き宴した時の歌。

二人は佐紀の宮から北に見える小高い丘を見ながら春の景色を楽しんでいます。
そして「今もみるごと」は屋敷の中にある絵。
秋の野で鳴く鹿の屏風絵を見ながら詠っているのです。
邸宅の春の景色を楽しみながら、

「 秋にもまたおいで下さい、きっとこの絵のような景色や鹿の声が
 聞こえますよ。」

と細やかなおもてなし。
天武系と天智系の皇子が打ち解けながら、和気あいあいと楽しんでいる
様子が彷彿されます。

京都御所を拝観している時、このような情景ぴったりの襖絵を見付けました。
妻呼ぶ鹿と萩の取り合わせ。
まるで、この歌のために描かれた絵のようです。

「 この寝(ね)ぬる 夜(よ)のまに秋は 来(き)にけらし
        朝けの風の 昨日(きのふ)にも似ぬ 」 
                         藤原季通(すゑみち)   新古今和歌集

( 寝ていたこの一夜のうちに、秋がいつの間にかやってきたらしい。
 今日の明け方の風は、昨日とちがって涼やかだ。)

風に秋を感じた歌が多い中、肌の冷気で秋到来を詠った一首。

朝夕日増しに深まりゆく秋。
そろそろ熱燗が恋しくなる季節です。

「 夕されば 秋風吹きて 縄のれん 」 筆者


         万葉集701 (秋されば) 完


          次回の更新は9月14日(金)の予定です。




by uqrx74fd | 2018-09-06 10:38 | 自然

万葉集その六百九十九 (あいの風)

( 雨晴海岸から立山連峰を臨む   高岡市)
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( 能登の千枚田 )
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(能登の海 )
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( 能登の海にはあゆの風吹く )
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  万葉集その六百九十九 (あいの風)

テレビ放映で「俳句ランキング プレバト」という人気番組があります。
各界有名人が自作の俳句を披露し、夏井いつき先生の添削よろしきをえて、
それぞれの順位を決定し、名人、素人など格付けを競う。
先生と生徒のやり取りが面白く、また、なかなか勉強になる内容です。

  「 降り立ちて 夜のしじまに あいの風 」  柴田理恵

見事1位になり特待生に昇格した秀句。
よくぞ「あいの風」という季語を見付けてきたものだと感心することしきり。

夏井先生は「地域性をもつ日本海沿岸の独特の夏の季語」と的確な説明を
されていましたが、「あいの風」(あゆの風ともいう)の「あい」(あゆ)とは
どのような意味をもつ風なのでしょうか?

それが、なんと!1300年も前に大伴家持が詠っているのです。

「 東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の
     釣りする小舟(をぶね) 漕ぎ隠る見ゆ 」 
                           巻17-4017  大伴家持

( あゆの風が激しく吹くらしい。
 奈呉(なご)の海人たちの釣りする船が波間にゆらゆらと見え隠れするよ )

注記に「東風(あゆのかぜ) 越の国ことばをいう」とあり、
当時の家持の任地、越中(富山県)の方言だったようです。

  奈呉: 高岡市から射水市にかけての海岸

今日、東風は「こち」と訓まれ、凍てを解き梅を咲かせる春告げ風。
春の季語とされていますが、「あゆの風」は夏の強い風、時には低気圧を伴う
暴風となる危険な風ともされ、「時化(しけ)東風」という言葉もあります。
民俗学者によると、この言葉はもともと瀬戸内海沿岸を主とし、
各地で使われた漁師用語だったそうです。

家持時代の越中の国は能登も含んでおり、山陰地方から吹く北東風が
北西風に転換する地点。
この沖の方から吹いてくる風を「あゆの風」(現在はあいの風)とよんでいたのです。

「 英遠(あを)の浦に  寄する白波 いや増しに
      立ちし き寄せ来(く) 東風(あゆ)をいたみかも 」
                          巻18-4093  大伴家持

( 英遠(あを)の浦に 打ち寄せる白波 この白波はいよいよ立ち増さって
 あとからあとから押し寄せてくる。
あゆの風が激しいからであろうか )

  英遠(あを)の浦: 富山県氷見市の北端、阿尾(あを)の海岸 
  いたみかも: 激しいからだろうか

「 東風(あゆ)をいたみ 奈呉(なご)の浦に 寄する波
     いや千重(ちへ)しきに 恋ひわたるかも 」 
                        巻19-4213 大伴家持

( あゆの風が激しく吹いて 奈呉の浦辺に幾重にも押し寄せる波
 その波のようにあなたのことをしきりに恋しく思い続けています)

註に「京の丹比家(たぢひけ)に贈ると」あり、大伴家から京都に嫁いだ
女性にあてた歌を恋文仕立てにしたもの。

大伴家と丹比家は極めて親しい間柄。
珍しい越中の風や地名を紹介する意図から歌に詠みこんだものと思われます。
奈呉の浦は当時、白砂青松の景勝地で万葉集に14首も詠われていますが、
今はその面影はなく、地名を残すのみです。

万葉集に詠われている「あゆの風」は4首(うち長歌1)あり、全て家持作。
よほど、この国言葉が気に入ったのでしょう。

越中方言の記録としては最古級のもので、もし家持が歌に詠まなかったら
季語として残ったかどうか?
極めて貴重な歌群なのです。

「 家持が 詠いしあゆの 風が吹く
          平成の夜 プレバトに 」     筆者

それでは「あゆ:あえ」とはどういう意味なのか?

山本健吉氏によると
『「あゆ」とか「あえ」という言葉にはもともと特殊な意味があり、
能登の珠洲(すず)市あたりで「あえのこと」といわれる古風な新嘗の祭りが
今も行われている。
霜月(11月)5日、今は新暦の12月5日に家々で田の神に新穀感謝の祭りを
やるのである。

この「あえ」には「饗」の字を当てている。
家のあるじがあたかも眼前に田の神があるように、猪苗代田へ行って神を
家の中に案内してきて、風呂に入れたり数々の饗応をしたりする。
その後、田の神は山に帰り、翌春2月5日に田の神迎えを行い、
これもあえのことと云っている。

 この「あえ」と同じ意味らしい。
あゆ(あえ)の風とは、沖から珍宝をもたらす風なのである。
風によって浜辺に多くの魚介類や海藻などの食物や、木材その他の
漂流物をも吹き寄せるのである。

船が寄ることも、それが財宝を落としていくもので、寄り物の一種だった。
だから、強吹き(こわぶき)であるほど、多くの珍宝をもたらすのである。
 昔は遠洋漁業などはなかった。
ひところの北海道の鰊漁のように浜辺に群来(くき)して寄せてきたものを
拾えばよかった。 

そういう古い風の名がいまだに生きていて、漁民たちの生活に中に
使われているのである。
それはまた、船乗りたちにとっては冬の季節風が終わった合図となり、
あいが吹き出す頃から、港々の船の往き来が頻繁になってくるのである。』
                       (ことばの歳時記 文芸春秋社 要約 )

「 あいの風 松は枯れても 歌枕 」  角川源義
  
          万葉集699(あいの風)完



         次回の更新は8月31日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-08-23 18:27 | 自然

万葉集その六百九十八 (浜風)

( 瀬戸内海の朝 )
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( 稚内から利尻富士を臨む )
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( 安房鴨川  千葉県)
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( 江の島 )
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万葉集その六百九十八(浜風)  

万葉集で詠われている風は180首余、そのうち秋風が圧倒的に多く50首。
他は朝風、神風、春風、東風、港風、湖風、川風、横風、沖つ風、南風、
松風、浜風、比良山風、伊香保風、佐保風、明日香風などさまざまな風が
登場します。

「浜風」は「浜に吹く風、浜から吹き寄せる海風」という気象用語のほか、
大相撲年寄名跡、船名、JRの列車名などにも見られるのは、
爽やかな語感が好まれたのでしょうか。

万葉集の「浜風」は4首。
いずれも旅愁を感じさせる歌ばかりです。

「 淡路の 野島の崎の 浜風に
        妹が結びし 紐吹き返す 」 
                     巻3-251 柿本人麻呂

( 淡路の野島の崎、船から港に降り立てば、
 心地よい浜風が吹いてきた。
 その浜風が旅立ちの時に航海の安全を祈って愛しい妻が
 結んでくれた着物の紐を、はたはたと吹きひるがえしている。)
 
瀬戸内海を旅した時に詠った8連作の中の1首です。

難波から西に向けての旅の途中、淡路島の野島での歌。
大阪湾と播磨灘の境、明石海峡の早い潮流を通り過ぎて最初の船泊。
ようやく最初の難関を無事通過することが出来たという安堵と共に、
故郷大和から遥かに遠ざかってしまった寂寥感を感じている作者。

ふと、折から風が吹き抜け、妻が結んでくれた旅衣の紐がひるがえった。
当時の旅、とりわけ船旅は危険がいっぱい。
妻が自分の魂を込めて結んでくれた紐。
あぁ、妻のお守りのお蔭でやっと無事に着いた。

それにしても今ごろ、どうしているだろうか。
まだまだ旅が続くが、無事を祈ってくれよ。と呟く。

古の人にとって浜風は単なる潮風ではなく、魂を運ぶ使者なのです。

  「 我妹子(わぎもこ)を 早見浜風 大和なる
           我れ松椿 吹かずあるなゆめ 」  
                      巻1-73  長皇子

( 我が妻を早く見たいと思うその名の早見浜風よ、
 大和で私を待っている松や椿、そいつを吹き忘れるでないぞ。
  決して 。)

作者は天武天皇皇子。
文武天皇難波行幸の折の宴席での歌です。

 早見に「早く(妻)を見たい」 
 松に「待つ」、
 椿の「つば」に「妻」をかけています。

 ゆめ:決して
 早見浜風:大阪住吉あたり(早見)を吹く浜風

作者は言葉遊びが好きだったらしく、技巧をこらしながら
望郷の思いを述べています。
大和から難波までそう離れていないのに、古代は徒歩の旅。
険しい山々も越えなくてはなりません。

「 浜風よ 私を待つ妻に伝えてくれ。
  もう少しの辛抱だと 」

「あさりすと 磯に棲む鶴(たづ) 明けされば
         浜風寒み  己妻(おのづま)呼ぶも 」 
                            巻7-1198 作者未詳

( 餌をあさろうと 磯に居ついている鶴。
 その鶴も明け方になると 浜風が冷たいので
 自分の妻を呼び求めて鳴いているよ )

当時は全国いたるところで鶴が見られたようです。
妻呼ぶ声に自分自身の気持ちを重ねている作者。
しみじみとした寂寥感、旅愁を感じさせる1首です。

古代の人達が詠った浜風は今日我々が感じるニユーアンスとは
かなり違っていたようです。

海が無い奈良の都の人たちにとって、海風に吹かれるのは遠く離れた旅先。
特に、難波から九州、新羅、唐への長い船旅は生還を期し難い決死行。
愛する家族に再び会いまみえることが出来るかどうか?
そのような気持ちが風を詠む歌にも滲み出たのでしょう。

 「 浜風や 球(たま)は流れて 右左(みぎひだり) 」  筆者

今風の「浜風」といえば「甲子園球場」
それは、海から吹き上がり球場のライトからレフトに流れる風。
ライト方向に高く上がった打球が押し戻されたり、
レフト方向に舞い上がった打球が風に乗ってスタンドイン。
選手泣かせの気まぐれ風は夏に多く、100年来の甲子園名物なのです。

さぁ、今日も熱闘甲子園を観戦するとしましょうか。

 「 浜風や 球(たま)見失い 泣く球児 」  筆者



        万葉集698 (浜風) 完


        次回の更新は8月24日(金)の予定です。
 

by uqrx74fd | 2018-08-16 18:17 | 自然

万葉集その六百九十七 (雲の峰)

( 美幌峠  北海道網走郡 )
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( 雲の峰  山辺の道 奈良 )
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(  南アルプス連峰 )
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( 三輪山:正面  巻向山 :左側 )
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万葉集その六百九十七(雲の峰)

 「雲の峰 立つに崩るる こと早し 」   稲畑汀子

「雲の峰」という語の由来は中国の陶淵明の詩「四時(しいじ)」にみえる
「夏雲奇峰多し」によるものとされています。

日ざしの強いときの上昇気流によって生じる積乱雲のことで、またの名は入道雲。
夏歌の格好の景観ですが、古のやんごとなき堂上貴族にとって、
むくつけき雲は興を引かなかったのか、歌語として定着したのは
元禄時代以降だそうです。

万葉人はそのような雲を「立てる白雲」と詠いました。

「 はしたての 倉橋山に 立てる白雲
    見まく欲(ほ)り 我がするなへに  立てる白雲 」  
                           巻7-1282 柿本人麻呂歌集

( 倉橋山に むくむくと湧きたっている白雲よ 。
見たいと思っていたときに
 ちょうど立ち昇った雲よ。
 懐かしいあの人を偲ばせる白雲よ。)

はしたて: 梯子のことで高床式の倉に上る階段、倉にかかる枕詞
倉橋山: 奈良県桜井市の音羽山か。山の辺の道から臨める。

この歌は旋頭歌といい五七七.五七七を基本形とし、
もとは問答の掛け合いに由来します。

かって愛した女性との思い出の場所。
その面影を雲に見たいと思いつつ空を眺めていたら、
雲が湧き上がってきたと感動しています。

古代の人にとっての雲は、大切な人を偲ぶよすが。
旅に出ては故郷の方角に向かって「雲よ俺は元気だと伝えてくれ」と祈り、
恋人と離れている乙女は、毎日雲に向かって「あなた」と
呼びかけていたのです。

「 穴師川(あなしがわ) 川波立ちぬ 巻向の
     弓月が岳に   雲立ちわたる 」  
                  巻7-1087 柿本人麻呂歌集

( 穴師の川に、今しも川波が立っている。
 巻向の弓月が岳に雲が湧き起っているらしい)

「 あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに
      弓月が岳に 雲立ちわたる 」 
                       巻7-1088 柿本人麻呂歌集

( 山川の瀬音が高鳴るとともに、 弓月が岳に雲が立ちわたっている)

川音を聞きながら歩いていると、一陣の風が吹きわたり急に波音が高くなった。
ふと上を見ると雲がぐんぐん大きくなり動いていく。
まさに驟雨が襲い掛からんとする状態。

「鳴るなへに」とは鳴るとともにという意味で、聴覚から視覚へ移り
また視覚から聴覚へと動的な変化を見事に表現しており、
その堂々とした力感と格調の高さは万葉名歌中の名歌。
作者は人麻呂と、ほぼ断定されています。

以下は伊藤博氏の解説です。

「 山と川が呼応して動き出した一瞬の緊張を荘重な響きの中に託した
  見事な歌である。
  響き渡る川音を耳にしながら、山雲の湧き立つのを見ている。
  作者は穴師の川をさかのぼって、弓月が岳に近く迫っているのであろう。
  一気呵成、鳴り響く声調の中に山水の緊張関係は更に深められ、
  躍動する自然の力は神秘でさえある。
   弓月の山水はこうして永遠の命を確立した。」 (万葉集釋注4)

 「 あをによし 奈良の都にたなびける
        天の白雲 見れど飽かぬかも 」  
                           巻15-3602 作者未詳

( きらびやかな奈良の都に棚引いている天の白雲
 この雲は見ても見ても見飽きることがありませんね )

遣新羅使人が旅の途中で古歌として披露したもの。
海原の彼方に湧きあがっている雲を眺めながら、懐かしい故郷を思い出す。
瞼に浮かぶ赤や緑の色彩鮮やかな都の大極殿や朱雀門
青空に棚引く白雲。
色彩感にあふれ、しみじみとした郷愁を感じさせる1首です。

 「 雲の峰 いくつ崩れて 月の山 」  芭蕉

「 奥の細道の旅の途中、月山(がっさん:山形県)に登り、頂上の小屋で泊まる。
日が暮れると、炎天にそびえていた、いくつもの雲の峰がみな崩れ果てて、
今、芭蕉たちのいる月山をほのかな月の光が照らしている。」
                              ( 長谷川櫂 季節の言葉 小学館より )

            月の山:月山と月が照らす山を掛けている



          万葉集697. 雲の峰 完


       次回の更新は8月17日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-08-09 18:12 | 自然