カテゴリ:自然( 97 )

万葉集その四百六十八(春霞)

( 霞む葛城金剛山脈 山辺の道から)
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( 春日野の朝  後方 春日山 奈良市 )
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( 菜の花畑  後方に霞む二上山  山辺の道から )
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( 梅 後方に三輪山  山の辺の道から )
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(  畝傍山 耳成山 後方金剛葛城山脈 山の辺の道から )
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( 畝傍山  香具山の麓で )
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( 早春の山辺の道   後方二上山)
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( 若草山焼きと朧月)
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( 春日山から顔を出した月 )
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立春を過ぎると歌の世界では今まで霧とよばれていたものが春霞という優雅な言葉に変身します。
しかも夜は朧(おぼろ)とよぶ念の入りようで、季節の移り変わりを観察し
美しい日本語を造り出す昔の人の繊細さには、ただただ驚かされるばかりです。
そもそも現代の人で立つ霧に春を感じる人は一体何人いるでしょうか。

「 うぐひすの 春になるらし 春日山
     霞たなびく 夜目に見れども 」 
                  巻10-1845 作者未詳

( もう、鶯の鳴く季節になったらしいなぁ。
    春日山にもう霞がたなびいているのが夜目にもはっきりとわかるよ )

鶯の初音と霞。
聴覚と視覚で春到来を感じ取った一首です。

暮れなずむ夕べ。
夜の帳が降りようとする頃、妙なる調べが聞こえてきた。
ふと春日山の方角をみると青白い朧が棚引いている。
幻想的な風景です。

「 雪見れば いまだ冬なり しかすがに
   春霞立ち 梅は散りつつ 」
                     巻10-1862 作者未詳 

(  雪が降り、まだ冬の寒さ。
  でも あたりは霞が立ち
  梅の花がもう散りはじめている。
  春が来ているのは間違いないのだなぁ )

予期しない春の雪。
梅の花びらも流れている。
雪か梅か、見まごうばかり。
山見れば残雪の中に棚引く霞
白一色の世界。
寒さの中で春の訪れをしみじみと実感している作者です。

「 春霞 立つ春日野を 行(ゆ)き返り 
     我れは相見む いや年のはに 」
                 巻10-1881 作者未詳  


( 春霞が立ちこめる春日野 この野を行きつ戻りつして
 われらは共に眺めよう。
 来る年も来る年も いついつまでも )

「いや 年のはに」 「いや」は「ますます」
             「年のはに」は 「毎年」

以下は自由意訳です

「 春日野で酒盛りやろうや 」と
  年来の親しい友が集まった

  広い野原の向こうには
  春日、御蓋、高円山
  棚引く霞は紫の帳 

  鹿も顔出し興を添え、
  歌えや踊れ おらが友。
  杯重ね また一献

  黄昏こめる春日野に
  お寺の鐘が鳴り響く。
  盡きることなき語り合い
  楽しきかな、愉快かな

  残り少ない人生を
  共に長生きいたしましょう 
  変わることなき友情は
  生きる元気の飯の種  」     (筆者)
 

「 風鐸の 霞むとみゆる 塔庇(とうひさし) 」  飯田蛇笏  

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by uqrx74fd | 2014-03-21 08:09 | 自然

万葉集その四百五十二(山粧う)

( 奈良県庁屋上より 大仏殿)
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( 同上 若草山、御蓋山 後方春日山)
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( 衣水園より 後方 南大門、若草山)
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( 長谷寺本堂より )
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( 同上 )
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( 長谷寺五重塔 )
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( 長谷寺境内 )
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( 室生寺 )
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 「 しぐれ降る 野山は錦 今日は旅 」  筆者

秋晴れの中、紅葉便りに誘われ、「そうだ 奈良へ行こう!」と早朝、新幹線,
JRを乗り継いで奈良駅に到着したのが午前11時すぎ。
なんと青空が一転かき曇り時雨が降り出しました。

古都の紅葉狩りは県庁の屋上からスタート。
平日の勤務時間内なら外部の人にも無料で開放してくれている有難い役所です。

展望所に立って東を臨むと若草山、春日山、御蓋山、高円山が連なり、大仏殿
二月堂、南大門が甍を並べています。
南に目を転じると佐保丘陵、その昔、大伴一族が邸宅を構えていたところ。
西には大阪につながる生駒山、北の方角は遥かに三輪山、葛城金剛山。

ビル屋上の回廊を巡りながら奈良市内を360度パノラマ状に俯瞰できる
とっておきの場所なのです。

「 雁がねの 声聞くなへに  明日よりは
   春日の山は もみちそめけむ 」   巻10-2195 作者未詳


( 雁の鳴き声が聞こえるようになったなぁ。
  明日からは春日の山も色づきはじめることであろう )

「なへに」は「~につれて」
 
古代の人たちは秋になると草木が赤や黄色に変わる現象を時雨によって
「揉(も)みだされている」と感じ「もみつ」と言い習わしていました。
雁が音を聞きながら、「さぁ紅葉の季節がきたぞと」胸を膨らませている作者。

県庁の屋上から見える春日山はまさに紅葉が始まろうとしているかのように
うっすらと粧いはじめており、麓の正倉院、奈良公園付近は今が見ごろ。
銀杏や楓が錦を織りなしたように美しい。

「 十月(かむなづき) しぐれにあへる 黄葉(もみちば)の
     吹かば散りなむ 風のまにまに 」 
                              巻8-1590 大伴池主


( 十月の時雨に出逢って色づいたもみじ これと同じ山のもみじの葉は
  風が吹いたら 吹かれるままに散ってしまうことであろう )

旧暦の10月は現在の11月中旬。
晩秋から初冬にかけて急にパラパラと降っては止む小雨は奈良の風物詩。
時雨は万葉人にとって、木の葉を美しく色づかせるとともに折角の紅葉を
散らしてしまう雨でもありました。

 「 こもりくの泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
      しぐれの雨は 降りにけらしも 」 
                   巻8-1593 大伴坂上郎女


( こもりくの 初瀬の山は見事に色づいてきました。
  時雨が早くもあの山々に降ったらしい )

「季節の移ろいに驚く風雅の心、流石に時代の新しさを感じさせる(伊藤博)」と
評されている1首。

「山々に囲まれた」という意味を持つ「こもりく(隠国)」の里 。
初瀬の紅葉は今年も見事な粧いを見せてくれました。

長谷寺の懸造(かけづくり)の舞台から眺める山々は時雨に濡れそぼち、
霧が立ち上っています。
春の桜、初夏の牡丹、秋の黄葉、冬は寒牡丹と温泉。
四季折々私たちを癒してくれる初瀬は万葉人の憧れの場所でもありました。
帰りの参道でつまみ食いした「よもぎ餅」の美味しかったこと。

「黄葉(もみちは)の 過ぎまく惜しみ 思ふどち
   遊ぶ今夜(こよひ)は 明けずもあらぬか 」 
                     巻8-1591 大伴家持(既出) 


( もみぢが散ってゆくのを惜しんで 気の逢うもの同士で遊ぶ今宵。
 このまま明けずにいてくれないものか )

燗酒をちびりちびりとやりながら親しいもの同士で語り合う楽しさ。
話題は男と女の恋物語です。

「 松の葉に 月はゆつりぬ 黄葉(もみぢば)の
   過ぐれや君が 逢はぬ夜の多き 」
               巻4-623 池辺王(いけへのおほきみ)


( の葉ごしに 月さま渡る。 
  おいでを待つうち ひと月経った。
  あの世へ行ったか 彼(か)の様の 
  こうも夜離(よがれ)は何とした。) 

万葉学者、橋本四郎氏の名訳。
作者は額田王の曾孫、なかなか洒脱な歌を詠む人物であったようです。

「松の葉」に「待つの端、すなわち、待ったあげく」を掛け 
「月はゆつりぬ」に天体の運行と暦月の推移
「黄葉過ぐ」に 訪れない相手の死に見立てており、

間遠くなった男への恨み節。
後世の

「こなた思うたらこれほど痩せた 
二重(ふたへ)回りが 三重(みへ)回る」 
                    河内の民謡
  回るのは帯
「 声はすれども姿は見えぬ 
              君は深山(みやま)のきりぎりす」
                和泉の民謡  
  キリギリスはコオロギの古称
などを思い出させるお座敷歌です。

深々と更けて行く秋の夜。
万葉人の宴会はまだまだ続いておりますが、我々はここでお別れです。

  「 山暮れて 紅葉の朱(あか)を 奪ひけり 」 蕪村
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by uqrx74fd | 2013-11-29 14:24 | 自然

万葉集その四百五十一(朝霧、山霧)

( 中央アルプス  千畳敷カール )
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( 同上 宝剣岳真下 )
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( 同上 )
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( 南アルプス )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 上高地 )
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( 同上 )
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霧 靄(もや)、霞。
いずれも地表や海面近くの空気が冷却され、その水蒸気が小さな水滴になって
浮遊している現象をいい、気象庁では1㎞先のものが見える時は「靄(もや)」
見えない時は「霧」とよび分けています。
「霞(かすみ)」は気象用語に関係なく、文学、詩歌の世界のものとされ、
古くは万葉集で「霞立つ」と詠われていますが「春の霞」「秋の霧」という
四季の美意識が定着するのは平安時代からです。

万葉集で詠われている霧は70余首、「山霧」「朝霧」「夕霧」「雨霧」
「夜霧」「霧隠(こも)り」「天つ霧」など多彩な表現がなされています。
季節は秋が圧倒的に多く、春のものは2首しかありません。
やはりなんとなく儚さと物寂しさを感じさせる霧は秋にふさわしいのでしょう。

「 九月(ながつき)の しぐれの雨の 山霧の
   いぶせき我(あ)が胸  誰(た)を見ば やまむ 」
                              巻10-2263 作者未詳


( 九月の時雨の雨が霧となって山を包み隠すように、うっとうしく
 晴れ晴れしない我が胸の思い。
この思いは一体どなたを見たら晴れるのでしょうか )

この歌には次のような表現もあるという注記がなされています。

「 十月(かむなづき) しぐれの雨降り 山霧の
    いぶせき我(あ)が胸  誰(た)を見ば やまむ 」
                        ( 巻10-2263 作者未詳 )


「いぶせき」は「心が晴れない」の意で、訪れない男を待ちわび、
「あなたのお顔をみれば晴れ晴れするのに どうして来て下さらないの」と嘆く女。
時雨、山霧が憂鬱な気分を引き立てている1首です。

「 我がゆゑに 言はれし妹は 高山の
   嶺(みね)の朝霧 過ぎにけむかも 」 
                   巻11-2455 柿本人麻呂歌集


( 私のせいでとやかく噂されたあの子、
 あの子は噂に悩むあまり 高山にかかる朝霧がまたまく間に消えて果てるように、
 私から遠のいてしまったのであろうか )

晴れた日の朝霧はあっという間に消えてしまいます。
深い仲になってしまった二人、それは禁断の恋だったのでしょうか。
周囲からあれやこれやと云われ、とうとう居たたまれなくなり朝霧のように
姿を消してしまった乙女。
「あの子は今頃どうしている、無事だろうか、可哀想なことをした」と
万感の思いがこもる作者。

「 我妹子(わぎもこ)に 恋ひすべながり 胸を熱み
     朝戸開くれば 見ゆる霧かも 」
                     巻12-3034  作者未詳


( あの子が恋しくてどうしょうもなく 胸が焼けて痛くなるほどに苦しい。
 悶々としているうちに とうとう朝を迎えてしまった。
 戸を開けると周り一面に霧が立ちこめていることよ )
 
古代の人は「嘆息は霧になる」と信じていたことが次の歌からも窺えます。

「 君が行く 海辺の宿に 霧立たば
     我(あ)が立ち嘆く 息と知りませ 」   
                    巻15-3580  遣新羅使人の妻 (既出)


恋に悶えて寝もやらぬ一夜を過ごした男。
辺り一面に立ちこめる霧は自分自身の嘆きだと詠っているのです。
「恋ひすべながり」は「恋すべ無くあり」で「恋してしまってどうしょうもない」の意 

「 暁(あかとき)の 朝霧隠(ごも)り かへらばに
    何しか恋の 色に出でにける 」  
                      巻12-3035 作者未詳


(  夜明け前の暗がりに朝霧が立ちこめ、何も見えない。
  そのように包み隠したつもりなのに、一体どうしたことか!
  私の恋心が面に出てしまい相手に知られてまったようだ )

「かへらばに」は「自分の思惑と反対に」の意で
 「 心に秘め、隠しおおせていると思っていた恋が、相手に悟られ、
   世間の噂にもなってしまった。
   困ったなぁ。」と嘆きながらも内心喜んでいる男。
 相手は人妻? あるいは 手が届かない高貴な美女? 

 
「 霧にほふ おもき戸障子の うちにねむる 」 石橋辰之助

霧が立ち上るさまは「香のゆくり」のように見えることから
「霧匂ふ」「霧の香」ともよばれます。
 美しくも優雅な言葉です。

霧匂ふ上高地の朝。
日が差すとともに立ち流れてゆく。
夕霧こもる南アルプス。
ところどころに紅葉が斑に浮かび幻想的な世界を醸し出してくれました。

「山霧の 梢に透る 朝日かな 」 召波
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by uqrx74fd | 2013-11-23 22:55 | 自然

万葉集その四百十七 (うち靡く春)

( 氷室神社の柳と枝垂桜 奈良)
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( 浮見堂  奈良 )
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( 長谷寺  奈良 )
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( 又兵衛桜 奈良 )
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( 千鳥ヶ淵  東京 )
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( 同上 )
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( 三春の滝桜  福島 )
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( 東京国立博物館日本庭園  上野 )
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古代「靡く」という言葉は「 草や髪の毛が風に靡く、人が横になる、服従する、
引きつけられる、慕う 」などの意味に使われ、そのほとんどが現代に継承されて
います。

この言葉が「うち靡く春」すなわち、春の枕詞になると、今まで静かに冬眠していた
草木や動物が暖かい日差しを浴びて生き生きと動き出し、花が咲き、鳥が囀りながら
木々を渡ってゆく躍動感あふれる情景を醸し出します。

たった二文字「うち」の凄さ、日本語の奥深さ。
万葉人はこの言葉を思う存分使って春到来の喜びを詠いました。

「 うち靡く 春立ちぬらし 我が門(かど)の
    柳の末(うれ)に うぐひす鳴きつ 」 
                       巻10-1819 作者未詳


(  草木の靡く春がいよいよやって来たらしいなぁ。
  我が家の柳の枝先で 鶯が鳴きはじめたよ )

万葉集で鳥の一番人気は、ホトトギス(155首) 続いて雁(66首)、鶯(51首)、
鶴(45首)と続きます。
「春告げ鳥」、「歌詠み鳥」、「花見鳥」など美しい名前をもらった鶯は
その声ゆえに堂々のベストスリ-入りです。
「柳に鶯」は珍しい組み合わせですが、長い枝がゆらゆらと揺れているさまが
打ち靡いているように感じたのでしょうか。

鶯は笹の多い林の下や藪を好みます。
「梅に鶯」は詩歌や絵の世界で多く採りあげられていますが、実際に梅の蜜を
吸いに来るのはメジロが多く、時々雀が花を啄んでいるのも見かけます。

次の歌は万葉人の観察目の正確さを物語るものです。

「うち靡く 春さり来れば 小竹(しの) の末(うれ)に
   尾羽(をは) 打ち触れて うぐひす鳴くも 」
                        巻10-1830 作者未詳


( 草木の靡く春がやってきました。
 鶯が篠の梢に尾羽を打ち触れて、しきりに囀っていますよ。)

篠竹の梢に止まってしきりに鳴く鶯。
尾羽を小刻みに振り、葉擦れの音も爽やかです。

「うち靡く 春の柳と 我が宿の
   梅の花とを いかにか 分かむ 」
                巻5-826 大典 史氏大原(だいてん しじのおおはら)


( しなやかな春の柳。
 それに我が家の庭の梅の花。
 どちらが趣があるかといわれても、困りますなぁ。
 両方とも素晴らしいものねぇ。)

大宰府の大伴旅人宅で催された梅花の宴での一首。
柳はその生命力の強さが好まれ、邸宅の周囲に魔除けとしても植えられました。
春一番に咲くのはネコヤナギで、通常の柳はそれから2カ月後に芽吹きます。
柳の花の形も面白い。

「 うち靡く 春来るらし 山の際(ま)の
      遠き木末(こぬれ)の 咲きゆく見れば 」 
                   巻8-1422  尾張 連(伝未詳)


( 草木が芽を出して靡く春が今しもやって来たらしい 。
 山あいの遠くの梢の花が次々と咲いてゆくのをみると ) 

作者は春の訪れを心待ちにして毎日遠くの山間を眺めているようです。
花は山桜と思われますが、見るたびに花の数が増えている!
あぁ、やっと春が来たのだ。
静かな詠いぶりながら、内から湧き起る感動と喜びが伝わってくる一首です。

古都奈良では春を告げる行事「お水取り(修二会:しゅにえ)」が
3月1日から14日まで行われました。
梅に続き柳が芽吹き、辛夷(こぶし),木蓮、そして桜といまや春爛漫。
北国の春の訪れも真近なことでしょう。

「 うちなびく 春のかがやき あまねかり 」 筆者
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by uqrx74fd | 2013-03-30 19:48 | 自然

万葉集その四百五(富士山)

( 朝焼け富士 精進湖から)
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( 日の出富士  同上 ) 
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( 三島からの富士 )
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( 西湖からの富士 )
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( 富士五合目から )
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( 夕焼け富士  精進湖 )
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( 稲村ケ崎から )
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( 山中湖から )
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「 初春の 真すみの空に ましろなる
     曙の富士を仰ぎけるかも 」     佐々木信綱


『 世界各国にはそれぞれの名山がある。
  しかし富士山ほど一国を代表し、国民の精神的資産となった山は
  ほかにないだろう。
  「語りつぎ言ひつぎゆかむ」と詠まれた万葉の昔から、われわれ日本人は
  どれほど豊かな情操を富士によって養われてきたことであろう。
  もしこの山がなかったら、日本の歴史はもっと別の道を辿っていたかも
  しれない。 』  
                   ( 深田久弥著  日本百名山  朝日文庫より)

わが国で最初に富士を詠ったのは山部赤人と高橋虫麻呂とされています。
(註:他に東歌ほか数首あるが富士山の景観を詠ったものはない)

朝廷に仕える二人が、都から東国への長い旅の途中、初めて冠雪の秀峰を
仰ぎ見た時の感動は口では言い尽くせないものがあったことでしょう。
最大限の言葉で褒め讃えた歌を残していますが、それはお互いの個性の違いが
顕著に表れたものでした。

赤人は、富士は悠久の昔から崇高、清浄、雄大にして、四方を睥睨してそそり立ち、
太陽の光も照る月も白雲も、行くのを躊躇する厳然たる存在であり、
その美しい姿を後々にまで「 語り、言い継いでゆこう」と讃え、
反歌で次のように詠っています。 (長歌は文末に記載) 

「 田子の浦ゆ うち出(い)でてみれば 真白にぞ 
               富士の高嶺に 雪は降りける 」  
                             巻3の318  山部赤人(既出)


百人一首にも採用されている あまりにも有名な一首。
田子の浦を通り、薩捶峠(さったとうげ)あたりに出た時、突然 視界が開けて
目に飛び込んできた雄大かつ秀麗な富士の姿を、海、山、空とパノラマのような
大きなスケールで簡潔平明に詠った万葉屈指の秀歌です。

赤人が駿河から見た富士を詠ったのに対し、虫麻呂は驚異的な観察力を駆使して、
富士山は甲斐と駿河の中間に聳え立つ山という地理的な位置を明確にし、
盛んに噴火しているさま、富士五湖の一つである西湖、さらには富士川を俯瞰するという
まるでルポライターのような表現をしました。

以下、訳文、訓み下し文、数行ごとの解説と続けます。

高橋虫麻呂の歌 全訳文

「 甲斐、駿河の二つの国の真中から聳え立っている富士の高嶺は
  空ゆく雲も行くのを躊躇し、飛ぶ鳥も山が高きが故に飛び上がれない。

  噴火している火を雪で消し 降る雪を火で消し続けて 
  富士は言葉に出して言いようもなく 名付けようもないほど霊妙にまします神である。

  「せの海」と名付けている湖(うみ)も 富士山が塞(せ)きとめた湖だ。
  富士川といって人の渡る川も その山からほとばしり落ちた水だ。

  この山こそ、日の本の大和の国の鎮めとしても まします神。
  国の宝ともなっている山である。

  駿河の富士の高嶺は 本当に見ても見ても見飽きることがない 」(巻3-319)


(訓み下し文)

「 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と 
  こちごちの 国の み中ゆ 

  出でたてる富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 
  飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず

  燃ゆる火を 雪もち消ち  降る雪を 火もち消ちつつ
  言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも

  せの海と 名付けてあるも その山の 堤(つつ)める海ぞ
  富士川と 人の渡るも  その山の 水のたぎちぞ

  日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも  
  宝とも なれる山かも 

  駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも 」 
                          巻3-319 高橋虫麻呂歌集


以下、数行ごとに読み砕いていきます。

「 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と
  こちごちの 国の み中ゆ 」


「なまよみ」は甲斐の枕詞。掛かり方が未詳なので単に「甲斐の国」と訳します。
「打ち寄する」は 駿河の枕詞。 「波が打ち寄せる駿河の国の」

「こちごちの」は、「あちらと こちら」

( 甲斐の国と波が打ち寄せる駿河の国。
  あちらとこちらの二つの国の真中に )

「 出でたてる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 
  飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず 」


 (  聳え立つ富士の高嶺は あまりの高さゆえ 雲も行きあぐねて
   飛ぶ鳥も 嶺以上に高く飛べず  )
 
「 燃ゆる火を 雪もち消ち  降る雪を 火もち消ちつつ 」

( 噴火している火を雪で消し、 降る雪を火で消し続けて )

「 言ひも得ず 名付けも知らず  霊(くすし)くも います神かも 」

その姿は、あまりにも偉大すぎて言葉では言い表せない 
また名前も付けようがない 
それは 神々しく霊妙な神である

「 せの海と 名付けてあるも その山の 堤(つつ)める海ぞ 」

( 「せの海」と名付けている湖は富士山が塞きとめた湖だ )

「せの海」は 富士五胡一つである西湖とされ、864年の大爆発によって中間が
埋まるまで精進湖と一体になっていた。

「せ」とは「カメノテ」といわれる貝の名前で当時、多く生殖していたらしい。
石に咲く花のように見えたのか、原文では「石花」となっている。
また、「せ」は「西」(せ)に音が通じる。

「 富士川と 人の渡るも  その山の 水の たぎちぞ 」

( 富士川とよんで皆が渡っている川も
富士山から奔流のように流れ落ちた川だ )

実際は、そうではないが作者にはそのように思われたのでしょう。

「 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも  
  宝とも なれる山かも 
  駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも 」
 
 
  「 富士は日本の鎮めの神の山、国の宝
   何度見ても飽きないことよ 」
                           巻3-319 高橋虫麻呂歌集
   
反歌

「 富士の嶺(ね)に 降り置く雪は 六月(みなつき)の
    十五日(もち)に 消(け)ぬれば その夜降りけり 」 巻3-320 同上


( 富士の嶺に積っている雪は 6月15日に消えると その夜にまた降るというが 
 まったくその通りだ )     

 6月15日は旧暦の大暑にあたり、現在の8月15日頃。
そんな暑い盛りにも雪が降り積もる。

雪は豊作の前兆、目出度いものとされていたので
万年雪は国土豊穣のしるしという意も含まれているのでしょう。

「 富士の嶺(ね)を 高み畏(かしこ)み 天雲も
    い行きはばかり たなびくものを 」 巻3-321 同上


( 富士の嶺が高く畏れ鎮まっているので 天雲さえ行きためらって 
たなびいているではないか あぁ )

虫麻呂は富士山に霊性を感じて神とみなし、忿怒のごとく噴火するさまを
躍動的に伝えています。

斜面を転がり落ちる溶岩、火と雪を巻き上げた噴煙、悲鳴にも似た鳥の声、
富士川の奔流をなして流れる音が今にも聞こえてきそうな臨場感。
まさに赤人の静に対する動の世界。

その偉大な姿は日本の鎮め、国の宝と詠うスケールの大きさ。
虫麻呂の会心の作ともいうべき歌群です。

  「 初凪(はつなぎ)の 五湖へ裾ひく 富士の山 」 竹内和歌枝

東西南北どこからみても美しい富士。
「八方玲瓏という言葉は富士山から生まれた」(深田久弥)そうです。 

桜、新緑、紅葉、雪、さらに 日の出、夕焼け、月、雲 等の借景を添えた
四季折々の美しい姿は私たちを魅了してやまず、古くから数えきれないほどの
句歌や絵、写真、名文の数々が生みだされてきました。
霊峰に向かって祈り、心を癒す人々も多いことでしょう。

国民の心の拠りどころである富士。
それは、天地創造にあたって天が下された我が国民への最大の贈り物でありましょう。

「 見る見るに かたちをかふる むら雲の
      うへにぞ晴れし 冬の富士ヶ嶺 」 若山牧水


(ご参考)   山部赤人の長歌


「 天地の分れし時ゆ 
神さびて 高く貴き駿河なる 富士の高嶺を 
天の原 振り放(さ)けみれば 
渡る日の 影も隠らひ  照る月の 光も見えず 
白雲も い行(ゆ)きはばかり 
時じくぞ 雪は降りける 
語り告げ言い継ぎ行(ゆ)かむ 富士の高嶺は 」   巻3の317 山部赤人

訳文


( 天と地の分れた神代の昔から
神々しく 高く貴い 駿河の富士の高嶺
天空はるかに 振り仰いでみると
空渡る太陽の光も頂に隠れ、 照る月の 光もさえぎられ
白雲も流れなずんで
時に関係なく いつも雪が降り積っている。
あぁ、なんという美しくも神々しい姿。
これからも、後々まで語りつぎ 言いついでいこう、 
富士の高嶺のことを ) 
                         以上
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by uqrx74fd | 2013-01-02 21:47 | 自然

万葉集その三百九十三(春日山)

( 春日野の秋 手前:御蓋山 後方:春日山)
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( 同上 左 若草山 右 春日山 )
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( 薬師寺大池から 若草山、春日山  )
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( 奈良県庁屋上から 若草山 春日山 大仏殿も )
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( 興福寺南円堂の裏から  後方春日山 )
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( 春日山原始林 )
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( 朱雀門から  付近は現在工事中) 
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「かすがのに おしてるつきの ほがらかに
  あきのゆふべと なりにけるかも 」  会津八一


( 春日野に照りわたる月はくまなく澄んで、 まさに秋の夕べとなりました )

    「おしてる」の「おし」は接頭語で「くまなく照る」こと

近鉄奈良駅から市内循環バスに乗り、破石町(わりいしちょう)で下車。
5分ばかり来た道を戻ると右手に広々とした芝の原が広がり、鹿がのんびりと
草を食んでいる様子が目に飛び込んできます。

かっては大宮びとがピクニックを楽しみ、ポロに似た打ち毬(まり)という競技に親しんだ
憩いの場、万葉の面影を伝える春日野です。
この野に立って東の方角を眺めると低い山並みが重なるように続き、左から、丸刈りの
若草山、鬱蒼とした深山を感じさせる花山(498m 通常春日山とよんでいる)、そして
手前の御蓋山。
若草山は昔、端山とされていたのか万葉集には山名が見えませんが、古の人たちは
この三つの山を総称して「春日山」とよんでいました。
東の山から上る太陽は大地を育み、山頂から流れ出る水は佐保川、率川、能登川、
吉城川となって畑を潤す。
人々が都の守り神とした春日山は四季それぞれの景観も素晴らしく桜、新緑、紅葉や、
月に雪、さらには鶯やホトトギス。
雪月花が揃った舞台に万葉人の心が躍り、恋に歌にいそしんだのです。

「 九月(ながつき)の しぐれの雨に 濡れ通り
   春日の山は 色づきにけり 」 
                   巻10-2180  作者未詳


( 長月の時雨に山の芯まで濡れ通って、春日山はすっかり色づいてきたことよ )

旧暦の9月ですから丁度今頃の季節だったのでしょう。
作者未詳の歌ながら秀歌の誉れが高く、伊藤博氏は
『 調子が単純に一気に徹(とお)っていて良い歌。
  潤いがあり、響きがある。
  「濡れ通り」の一句が鮮烈で、時雨の激しさをしっかりとらえている。
  現代文に訳するより繰り返し吟唱するにしくはない。
  かような高い格調を持つ歌が、紅葉の盛りの長月と、奈良の代表的な山
 「春日山」とを詠みこんでいる。』
と評されています。(万葉集釋注 集英社文庫 )

「 春日山 おして照らせる この月は
    妹が庭にも さやけくありけり 」
                巻7-1074 作者未詳


( 春日山一帯をあまねく照らしているこの月.
いとしいあの子の家の庭にも さやかに照り輝いていたなぁ )

作者は春日山を照らす月を見ながら、過ぎし日に愛しい子の家の庭で一緒に眺めた
月を思い出しているのでしょう。
月を仰ぎながら追憶を詠う甘美な一首で、「おして照らせる」という強い表現が
「月光が大地をあまねく照らしている」様子を浮き立たせています。

「 物思ふと 隠(こも)らひ居りて 今日見れば
     春日の山は 色づきにけり 」 
                         巻10-2199 作者未詳


( 物思いにふけり、ずっと家に引きこもっていたが、今日久しぶりに
 外へ出て見ると 春日の山はすっかり色づいているよ )

作者は恋の想いに悶々としていたのでしょうか。
すっかりふさぎ込んで家に閉じこもり、久しぶりに外へ出て見ると、鮮やかな紅葉。
心も少しは軽くなったことでしょう。

春日山の麓には藤原氏の氏神、春日大社が祀られていますが、古くは地元の豪族、
和邇(わに)氏の祭祀による御蓋山を神体とする拝殿だけの社だったと考えられています。
841年、春日山一帯は神域とされ、狩猟や伐木が全面的に禁止されました。
以来、1200年近く300ヘクタールにおよぶ原始林が今日に至るまで保護され
1924年には「春日山原始林」として天然記念物に指定されています。

鬱蒼と繁茂した巨木の林相は、カシ、シイなどの常緑広葉樹のほかフジ、
カギカズラなどの蔓性植物やシダ類、さらに針葉樹も含む175種類の樹木、
598種類の草花が生育し、60種類の鳥類、1180種類の昆虫が棲むわが国でも稀な
生態系の宝庫です。
尤も100%原始林ではなく、豊臣秀吉が1万本の杉を植栽したり、台風被害による
早期回復を図るため在来種で補植されるなど、ある程度は人口の手が加えられている
そうですが。

私たちは平城宮跡に立って東の方角に臨むと春日山、それに続く高円山を
一望のもとに収めることができます。
大宮びとも朝に夕べに春日山を眺め、愛でていたことでしょう。

修復なった大極殿、朱雀門を眺めながら瞼を閉じて古を想うと艶やかな采女や、
きらびやかな衣装をまとった貴公子の姿が目に浮かんでくるようです。

「 秋されば 春日の山の 黄葉(もみち)見る
      奈良の都の 荒るらく惜しも 」 
                  巻8-1604  大原今城(いまき)

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by uqrx74fd | 2012-10-13 19:55 | 自然

万葉集その三百九十二(飛鳥川)

( 飛鳥川 石舞台近辺で)
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( 同上  稲渕近辺で)
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( 石橋 稲渕上流で)
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( この石橋は渡れるかな? 栢森で) 
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( 女綱  栢森(かやのもり)入口)
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( 男綱  稲渕 )
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( 棚田を潤す飛鳥川 稲渕で)
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( 飛鳥近辺案内図  飛鳥への旅  偕成社より  画面上を左クリックすると拡大出来ます )
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飛鳥川は奈良県北西部、竜門岳(904m)、高取(583m)の山塊を源流とし、
石舞台の近くで多武峰から流れてくる冬野川と合流しながら飛鳥の中心部を横切り、
藤原京、大和三山の間を北流して大和川に至り全長24㎞の旅を終えます。
今は川幅も狭く水量も多くありませんが、往時は

「 世の中は 何か常なる 明日香川
   きのふの淵ぞ けふは瀬になる 」 古今和歌集 よみ人知らず


と詠われているように水かさも多く、時には氾濫することもあったようです。
この歌は
「 この世の中は いったい何をもって不変のものとなしえようか。
明日という名を持つ明日香川も 昨日は深い淵であったところが
今日は浅い瀬になるのだから 」と
明日香川と明日を掛け、昨日、今日、明日の有為転変、人生の無常を述べた歌と
されています。

神聖な禊(みそぎ)の川として崇められた飛鳥川は人々の日常生活に密着して
多くの恵みをもたらしました。
また周辺の美しい景観は人々に親しまれ、折につけて詠われた24首が
万葉集に残されています。

「今日(けふ)もかも 明日香の川の 夕さらず
  かはず鳴く瀬の さやけくあるらむ 」
                 巻3-356 上古麻呂(かみのふるまろ)


( 夕方になるといつも河鹿が鳴く明日香川
 今日もまたあの瀬は清らかに流れていることであろう
また行って見たいものだ。 )

「夕さらず」: 夕方になると相変わらずの意 「さらず」:~ごとに

平城遷都の後、古都となった飛鳥を懐かしんだ歌のようです。
「かはず」は今の「河鹿」(かじか)、
清流に棲息する蛙の一種で、雄は雌を求めて「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」                     と鈴を転がすような声で鳴きます

「明日香川 明日も渡らむ 石橋の
   遠き心は 思ほえぬかも 」
               巻11-2701 作者未詳


( 明日香川 あの川を明日にでも渡って逢いに行こう。
 川の飛び石のように、離れ離れの遠く隔てた気持ちなど
少しも抱いたことがないですよ )

女から疎遠をかこつ苦情が到来したのに対する言い訳(伊藤博 万葉集釋注)のようです。
飛鳥川には大きな石を5つか6つ川床に置いて作った「飛び石」が所々にあり、
当時これを石橋とよんでいました。
川が氾濫すると流されることもあったそうですが、恋人の許に通おうと心を弾ませて
何時もの場所に行ったところ、石が消えていたので泣く泣く諦めたというようなことも
あったことでしょう。
今でも台風や大雨のあと、村の人が機械で修復しているそうです。

「 春されば 花咲きををり 秋づけば 丹のほに もみつ
  味酒(うまさけ)を 神(かむ)なびの山の 帯にせる 明日香の川の
  早き瀬に 生ふる玉藻の うち靡き 心は寄りて 
  朝露の 消(け)なば 消ぬべく  
  恋ひしくも しるくも逢へる 隠(こも)り妻かも 」
                             巻13-3266 作者未詳
反歌
「 明日香川 瀬々の玉藻の うち靡き
    心は妹に 寄りにけるかも 」 巻13-3267 作者未詳


( 春がやってくると、枝いっぱいに花が咲き乱れ、 秋には木の葉が真っ赤に色づく
  その神なび山が 帯にしている明日香川 
  川の早瀬に生い茂る玉藻が、流れのままに靡くように
  私の心はひたすらお前に靡き寄り、 朝露が はかなく消えるように
身も消え果てるなら 消え果ててしまえとばかりに
恋い焦がれた甲斐があって 今こうしてやっと逢うことができた
我が隠り妻よ。  13-3266 )

( 明日香川の瀬という瀬に生い茂って靡いている玉藻のように 私の心は
 ただひたすら お前に靡き寄ってしまったよ 13-3267 )

語句解釈
 「春されば」:春が到来すると   「花咲きををり」:花房の重みで枝が撓み曲がる
 「秋づけば」 : 秋めいてくると 「丹のほ」=丹の秀: 赤く目立つ 
 「しるくも逢へる」:しるく:はっきりと効果があらわれて 逢へる:共寝している
 「隠り妻」 : 男がいることを人に知られないようにしている妻

何らかの事情で人に知られたくない女性に逢うことができた男の喜びを詠ったものですが、
当時の飛鳥川周辺は、春は桜、秋には紅葉、清流の流れは速く、緑鮮やかな川藻が
女性の髪のように靡いていたことがこの歌から窺えます。
「神奈備山」は神の宿る山とされ、橘寺の後方にみえる「ミハ山」と推定され、
「神の山が帯のように巻いている」とは、「山の麓を取り巻くように蛇行している」
の意です。

「 芋茎干す 飛鳥も奥の 柏森(かやのもり) 」 倉持嘉博

飛鳥川源流の麓、柏森集落入口のところに太い綱が飛鳥川に掛けわたされ、
綱の中ほどに藁でつくった大きな鈴のようなものが吊り下げられています。
女綱とよばれる女性の性器を形どったもので、稲渕の入口にある男綱(男根)とともに
子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫の村への侵入を防ぐために設けられた
結界だそうです。
毎年1月11日に新しいものに取り換える神事が行われますが、稲渕は神式、
栢森は仏式というのも面白い。

この辺りは両岸に山がさしせまり、その間を流れる飛鳥川は稲渕の棚田を潤し、
人々の生活に必要な水を配りながら飛鳥の都に流れ込み、宮殿の直径50mもある
広大な二つの庭池を満たして都人を楽しませ、水時計(漏刻)で時を知らせていました。

万葉人にとって暮らしの動脈であり、心のよりどころとなった母なる川。
飛鳥京は川の流れに沿って営まれていた水の都だったのです。

「 稲渕の 春や男綱の ゆらぎたる」 福島壺

掘辰雄は飛鳥川添いの道を気に入っていたらしく、その印象を次のように書いています。

「 - 軽のあたりをさまよった後、剣の池のほうに出て、それから藁塚(わらづか)の
あちらこちらに うず高く積まれている刈田の中を、香具山や耳成山をたえず
目にしながら歩いているうちに、いつか飛鳥川のまえに出てしまいました。
ここいらへんは まだいかにも田舎じみた小川です。
- なんだか鶺鴒(せきれい)がぴよんぴょん跳ねていたら似合うだろうとおもうような
なんでもない景色です。
それから僕は飛鳥の村のほうへ行く道をとらずに、甘樫の丘の縁を縫いながら、
川ぞいに歩いてゆきました。
ここいらからは、しばらく飛鳥川もたいへん好い。 」
                        ( 大和路、信濃路 新潮文庫より)

「 溝蕎麦に 狭められたり 飛鳥川 」 国枝洋子
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by uqrx74fd | 2012-10-05 21:50 | 自然

万葉集その三百六十四(川の音)

( 橘寺付近の流れ 奈良:明日香)
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( 北鎌倉 明月院脇の小川 )
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( 同上 梅の花筏 )
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( 春日山原始林 佐保川の源流 奈良)
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( 吉野山:宮滝の源流)
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春の訪れは木々の芽吹きや水の流れからはじまります。
「雪が解けて川となって山を下り谷を走る水」は川底の石や土砂を撫で、
時には水際の草木に触れつつバイオリンのような音を奏でながら流れてゆく。
強く、弱く、早く、ゆっくり。
時には淀みで一服し、風に吹かれてはらはらと舞い落ちてくる花びらや枯れ葉を
巻き込みながら再び楽しい旅を続けてゆきます。

私たちは日頃小川の流れに耳を傾けることがどれだけあるでしょうか。
小鳥の鳴き声、海の引き潮、そして川のせせらぎの音。
それらは、すべて疲れた体や心を癒してくれるアルファ波なのです。

「 ふるさとの川よ
  ふるさとの川よ
  よい音をたててながれてゐるだろう 」
                     ( 八木重吉 ふるさとの川 )


古代の人たちも心の安らぎを求めて野や山を歩き廻り、川音に耳を澄ませていました。

「 いにしへも かく聞きつつか 偲(しの)ひけむ
   この布留川(ふるかは)の 清き瀬の音を 」 
                           巻7-1111 作者未詳


( 今から遠い昔も このように耳を傾けながら賞(め)でたことであろうか。
 この布留川の清らかな瀬の音を )

布留川の所在は奈良県天理市布留。
川の名が「古い川」に通じることを意識して「いにしへも」と詠まれたものと思われます。
「うさぎ追いしあの山 小鮒つりしあの川」を思い出させるような一首です。

「 はねかづら 今する妹を うら若み
    いざ率川(いざかは)の 音のさやけさ 」
                       巻7-1112 作者未詳


( はねかずらを着けたばかりのあの子。
  なんと初々しく清らかなのだろう。
  まるで、率川(いざかは)の流れや川音のようだ。
  「 いざ、デートしましょう」と誘ってみたいなぁ。)

率川(いざかは)は奈良、春日山に発し、猿沢の池の南を西流して佐保川に注ぐ小川で
川の名前「いざ」に「さぁ」という誘いを掛けたリズミカルで明るい一首です。

「はねがづら」(羽蔓)は、羽毛で作った髪飾り。
女性が成年になると付けたものといわれ、現在でも和装の若い女性に見受られます。

「 見まく欲(ほ)り 来(こ)しくも しるく 吉野川
    音のさやけさ 見るに ともしく 」 
                       巻9-1724 島足(しまたり)


( 見たい、見たいと熱望していた吉野川にようやくやって来た。
  素晴らしい! それに瀬音のなんと爽やかで清々しいこと。
  見れば見るほど魅力を感じることだ。 )

朝廷に仕える官人たち4人が吉野遊覧の旅に出かけた折、景勝が望める場所での
酒宴の歌と思われます。
「しるく」は「その甲斐あって」
「ともし」は「羨し」でここでは「心ひかれる」

古代の人たちが川の音を「さやけし」と表現したのは水源の山に神が宿ることを
意識したものと考えられています。
過去から現在まで絶えることない無限の永続性と神秘性を宿した生命の水。
それを天からの賜りものと感じ、万葉人は最高の言葉で褒め称えたのです。


「 森のかげに水がながれてゐた
  そのそばに しゃがんでゐると
  こくんとおとがきこえることもある
  音がすると
  なにかそっと咲(ひら)くようなきがする 」
                           (八木重吉 秋の水 )

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by uqrx74fd | 2012-03-24 09:21 | 自然

万葉集その三百四十四 (夕影)

( 手賀沼夕景 T.K氏 :親友の友人提供)
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( 露草と白露 )
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つるべ落としの秋の日ざし。
その中に残るほのかな光を昔の人は夕影とよびました。
ここでの「影」は「月影」と同じようにシャドウではなく光そのものを意味しています。
そして、この雅やかな言葉は私たちを紫に暮れ染まる美しい世界へと導いてくれるのです。

「 蔭草の生ひたるやどの夕影に
    鳴くこほろぎは 聞けど飽かぬかも 」
              巻10-2159  作者未詳


( 我が庭に夕方のかすかな光がさしています。
 おやおや、物蔭に生い茂っている草むらの中からコオロギの声が聞こえてきました。
 美しい音色、いくら聞いても飽きません )

  なんとなく侘しさを感じる秋の暮れ。
  目には見えない草陰の中で鳴くこおろぎ。
  深まりゆく秋色を感じさせる佳作で、
 「清純にして風韻に富み、いささかの感傷もないのが快い」(佐佐木信綱)一首です。

「 我がやどの 夕影草の白露の
    消(け)ぬがにもとな 思ほゆるかも 」
                  巻4-594 笠郎女


( 我家の庭草の上に置く露にかすかな夕光があたっています。
 この露がはかなく消えてゆくように、もう私も命が消え入りそう。
それほどに、あの方の事が思われてならないのです。 )

「夕影草」は作者の造語で、
「人麻呂の夕波千鳥に迫る美しさがある」(伊藤博)とも評されています。

「もとな」は「もうたまらなく、これ以上なく」の意で、
大伴家持に寄せる恋心を命あらんかぎりという気持で詠っています。

 暮れゆく中の幻想的な光を受けた草花とその上に置く白露。
胸の想いを精いっぱい訴えてもなんら応えてくれない、つれない男。
細ぼりゆく我が想いは露が消えてゆく儚(はかな)さのよう。
暮色立ちこめる情景と自身の恋情とが一体となった一首で、
『 誠に巧緻な表現。
  歌人として洗練され切った中から生まれてくるような歌』
  (犬養孝 万葉の人びと PHP) です。

「 我がやどの 秋の萩咲く 夕影に
    今も見てしか 妹が姿を 」   巻8-1622
        大伴田村大嬢(おほいらつめ) が妹 坂上大嬢に与えた歌


 ( 私の家の庭の秋萩が夕光の中で咲き乱れています。
  そんな美しい情景の中のあなたを今すぐにでも見たいものです。 
  おいでになりませんか )

都に住む作者から歌を贈られた坂上大嬢は当時、明日香の耳成山の麓、
竹田庄に住んでいました。
異母妹ながら互いに仲がよかったらしく、一刻も早く逢いたいという想いが
あふれています。

夕闇せまる光を背景にしてぼんやりと見える萩の花々。
その中に立つ妹のシルエット。
作者はそのような情景を瞼に思い浮かべながら詠ったのでしょうか。

「 風立ちて 夕かげ明し 刈り棄てに
   そこばくねかす 夏そばの花 」 北原白秋

    
(赤蕎麦畑 埼玉県 栗橋にて)
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by uqrx74fd | 2011-11-06 16:54 | 自然

万葉集その三百十(象山:きさやま)

( 象山)
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『 静寂そのものの吉野の里に象山を求めて歩き廻った。
  万葉の歌の世界が今もそのままじっと、そこにあった。--
  象山はよくみるとアチコチの山全部が象の形に見えてきてしまったが、
  飛鳥の人達が象の山を愛した素直な童心が漂ってくるようで嬉しかった。
 小鳥達のさえずりも明るく、いきいきと心豊かな飛鳥時代の生活が
 目の前に大きく拡がってきた。 』
        ( 川崎春彦(画家) 万葉日本画の世界所収 奈良県立万葉文化館より)

「 み吉野の 象山の際(ま)の 木末(こぬれ)には
   ここだも騒ぐ 鳥の声かも 」    
                     巻6-924 山部赤人


( み吉野の象山の谷あいの梢では あぁ、こんなにもたくさんの鳥が
 鳴き騒いでいる )

象山(きさやま)は奈良県吉野町宮滝の南正面にあり、稜線が象の形に見えるところから
その名があります。
「きさ」は象の古名で象牙の横断面に橒(キサ)すなわち木目に似た文様が
見えることに由来するそうです。
象の渡来は江戸時代とされていますが、万葉人は正倉院御物に描かれた絵や
象にまたがる普賢菩薩像を見てその姿形を知っていたのでしょう。

この歌は725年聖武天皇が吉野離宮へ行幸された折に詠われたもので、
長短歌3首で構成されています。
長歌で柿本人麻呂以来の土地褒めの伝統を踏まえて天皇を讃え、短歌二首では
朝廷賛歌より自然の叙景を前面に打ち出しており、従来の行幸歌の殻を破った
万葉傑作の詠とされています。

以下は犬養孝氏の「万葉の旅:平凡社」からの要約です。

『 吉野川の谷は渡り鳥の通路でもあって、しぜん鳥の声も多く、
宮滝付近の歌にはホトトギス、呼子鳥、千鳥、鴨など、鳥の声が多くよまれている。
  この歌は大きな景から小さい一焦点「木末:こぬれ=枝先」へと「の」の音で
重ねてしぼっていって、そこに たくさんに騒いでいる鳥の声を描く。
そのしぼってゆく呼吸に応じて、作者の心も自然の静寂の中に歩一歩ひそまって
ゆくようで、そのはてに四三、三四音(ここだも騒ぐ 鳥の声かも)の律動に乗って
描かれてゆく鳥の声に、作者の心はもう自然にとけこんでいって、
大自然の鼓動をじかにきいているようである。
この歌一首でも自然詠の絶唱としてたたえられるのに値する。 』

「 ぬばたまの 夜の更(ふ)けゆけば 久木(ひさき)生ふる
      清き川原に 千鳥しば鳴く )  
                     巻6-925 同上


( 夜が更けてゆくにつれて、久木の生い茂る清らかな川原で
 千鳥がチチ チチと鳴きたてている )

久木は「ノウゼンカズラ科のキササゲ」または「トウダイグサ科のアカメガシワ」
(共に落葉高木)とされ、川は象川(きさかわ)です。

深々(しんしん)と更けゆく夜。
静寂(しじま)の間から鳥の声が聞こえてくる。
耳をすますと玲瓏と響く川の音と千鳥の澄んだ声。

瞑想することしばし。

昼間に見た清々しい川原と緑鮮やかな木々。
そして飛び交う様々な鳥たちの姿が目に浮かぶ。
それはあたかも眼前でその情景を見ているようだ。

やがて口元から朗々とした調べが。
「 ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる - -」
かくして1300年後に絶賛される名歌が誕生しました。
それは、心の集中から生まれた鮮やかな写生とも言える静寂の極致です。

「 橡(とち)の実を晒(さら)せる象の小川かな 」   水野露草
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by uqrx74fd | 2011-03-14 08:11 | 自然