カテゴリ:植物( 230 )

万葉集(雪中梅鶯:せっちゅうばいおう)

( 筑波山雪中梅 )
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( 同上 )
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( 雪か梅か  同上 )
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〈 鶯鳴くも   学友N.F さん提供)
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万葉集その七百二十五 (雪中梅鶯)

「雪中梅鶯」(せっちゅうばいおう)とは雪が降りしきる中、
凛として咲く梅や雪を羽根に乗せながらしきりに美しい声を響かせている
情景を想像した筆者の造語です。

万葉人はこのような光景を目の当たりにして、一人静かに楽しみ、
また、愛する人に見せたい、雪が積もる梅の一枝を贈りたいと願いながら
美しく詠い、やがて文学的な表現―雪月花の世界へと進化させてゆきました。

次の歌は越中国司の大伴家持が冬と春の交錯したさまを描きつつ
春到来の喜びを詠ったものです。

「 うち霧(き)らし 雪はふりつつ しかすがに
         我家(わぎへ)の園に うぐひす鳴くも 」
                     巻8-1441 大伴家持

( 空一面をかき曇らせて雪が降り続いている。
 そんな冬の情景なのに我家の園では鶯の声が。
 あぁ、やはり春が来ているのだなぁ。)

立春も過ぎたというのに雪が降りしきっている。
春はまだまだ先だと思っていたら、突然、鶯の声が聞こえてきた。
恐らく梅の蕾も膨らんでいるのでしょう。
喜びの歓声が聞こえてくるような一首です。

    うち霧らし: 空を一面にかき曇らせて
    しかすがに: その一方では

「 我が背子に 見せむと思(も)ひし 梅の花
      それとも見えず  雪の降れれば 」 
                    巻8-1426    山部赤人

( あの方にお見せしょうと思っていた梅の花、
 その花は雪が枝に降り積もっているので、どれがそれとも
 見分けがつきません。)

当時、梅といえば白梅。
雪が積もると梅かどうかは見分けがつかない。
そういえば大伴旅人の

「 我が園に 梅の花散る ひさかたの
     天(あめ)より雪の 流れ来るかも 」  巻5-822 

という歌もありました。
紅梅が中国から伝わるのはずっと後、奈良時代の終わり頃です。

「 淡雪に 降らえて咲ける 梅の花
     君がり遣(や)らば  よそへてむかも 」 
                      巻8-1641 角 広弁(つの ひろべ 伝未詳)

( 淡雪に降られても健気に咲いた梅の花。
      その花をあなたのところへお届けしたら
      私だと思って偲んで下さるでしょうか。)

          君がり:あなたさまのもとへ
          よそへてむかも: 私だと思って下さるでしょうか
                      よそへ:なぞらえる:見立てる

女は男に惚れているが、男はつれない。
雪に打たれた梅はまるで私のよう。
そんな花をあの方に贈ったらどう思われるだろうか。
少しは健気で可愛いいと思って下さるでしょうか。
宴席でおどけて女の立場でうたったもの。

次の歌は我国和歌史上初めて「雪、月、花」を歌に詠みこんだ
記念すべき1首です。

「 雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花
       折りて贈らむ   はしき子もがも 」 
                    巻18-4134 大伴家持



( 雪の上に照り映えている月の美しいこんな夜に
梅の花を手折って贈ってやれる可愛い娘でもいればなぁ ) 
 
        はしき:「愛し」き
        もがも: 願望 

雪の白、これを照らす月光、さらに白梅とすべて白一色につつまれた庭。
共に眺める美しい女性を目に浮かべる。
これは、まさに文学の世界。

以来、「雪月花」は日本の美の精神を象徴するものとして今日まで
継承されていますが、「花」が梅ではなく「桜」をさすようになったのは
平安時代からで、後代、漢詩で「雪月花」という言葉が見えます。

「 琴詩酒ノ友 皆 我を抛(ナゲウ)チ
       雪月花の時 最も君を憶(オモ)フ 」    白楽天

( 琴や詩や酒を楽しんだ友は皆ばらばらになり
     今は消息も聞かなくなってしまった。
     雪の朝、月の夜、花の時になると
     君のことが思い出されてならない )


      万葉集725(雪中梅鶯)完


   次回の更新は3月1日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-02-21 11:23 | 植物

万葉集その七百二十四 (梅ふふむ)

( 夜の梅 奈良公園  )
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( 白梅  皇居東御苑 )
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( 白梅、紅梅   同上 )
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( 枝垂れ梅ふふむ   下曽我梅林 )
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万葉集その七百二十四 (梅ふふむ)

万葉集で「ふふむ」という言葉は「含む」と漢字表記され
元々口に何かを入れ、その口が膨らんだ様子をさす言葉だそうです。
転じて「内にじっと秘めている」という意になり、
花や若葉がまだ開かないで蕾(つぼ)んでいる状態あるいは成熟していない年頃の女性、
または処女をさすときなどに使われています。

「 春雨を 待つとにしあらし 我がやどの
     若木の梅は いまだふふめり 」 
                     巻4-792 藤原久須麻呂

(  梅の若木は春雨が降るのを待って咲くといわれていますが、
 我家の梅はいまなお蕾のままです。)

大伴家持から送られてきた歌に対する返歌。
当時、春雨は花の開花を促すと信じられていたようです。

作者は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの大納言、藤原仲麻呂の子。

この歌には含意があり、作者、久須麻呂が家持の娘を嫁にもらいたいと
何度も申し入れたが、当の娘はまだ12歳。
家持は当惑し
「誠に勿体なくも有難い仰せでございますが、娘は何分幼少ゆえ
 もう少し成長し、事の判断出来るようになるまでお待ち願えませんか。」

と婉曲に断ったのに対し

「 誠に尤もな仰せ、我家の梅もまだ蕾のまま。
  時期が参りましたら改めて。」と深謝したもの。

春雨を作者、若木の梅に家持の娘を寓しています。

「 去年(こぞ)の春 いこじて植えし わがやどの
     若木の梅は 花咲きにけり 」 
                       巻8-1423 阿倍広庭(中納言)


( 去年の春、掘り起こして移し植えた我家の若木の梅。
 今初めて見事に咲きましたよ。)

       いこじて: い:接頭語  こじて:根こそぎ掘り起こすの意

どこからか移植した梅が見事に咲いたと喜びあふれる1首。
当時、梅は珍重され大切に育てられていたようです。

「 春柳 かづらに折りし 梅の花
           誰(た)れか浮かべし 酒杯(さかづき)の上に 」
              巻5-840 村氏彼方(そんじの おちかた)

( 春柳、この柳の蔓(かづら)に添えて挿そうと手折った梅の花。
     その花びらを、めぐる盃に浮かべたのは、どなたでしょうか。)

730年2月、太宰府長官大伴旅人邸で催された梅花の宴での歌32首の1。
すべての歌に梅、柳、桜、竹、鶯、雪など、めでたい景物が詠いこめられた
文藝史上特筆される一大絵巻です。
この歌は
「どなたか存ぜぬが、杯に花びらを浮かべるとは風流なことをされたことよ 」と、
褒めたたえた1首。

鬘(かずら)は頭に載せる冠のようなもので柳の生命力にあやかろうとしたのです。

「 ひさかたの 月夜を清み 梅の花
      心開けて 我(あ)が思へる君 」
          巻8-1661 紀小鹿女郎女(きの をしか いらつめ)

( 月夜が清らかなので、梅の初花が開くように
 私の心もほんのり開けて、もうお見えになるとお慕いしている私。)

作者は安貴王(天智天皇曾孫)の妻で大伴家持と親交があった女性。
浮いた話も聞かないので、宴席での歌と思われますが、
待つことの喜びを詠った珍しい例とされています。

 ひさかたの: 月の枕詞 光などに掛かる。
 清み:清々しいので

梅の蕾、初花、杯の花びら、月夜の梅。
古代貴族たちの雅やかな生活が偲ばれる歌の数々でした。

 「 りんりんと 梅枝のべて 風に耐ゆ 」 中村汀女

       りんりんと( 凛々と): きりっと



       万葉集724(梅ふふむ)完


   次回の更新は2月22日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-02-14 15:56 | 植物

万葉集その七百十九 (嫁菜:よめな)

( 嫁菜は美味な野菜 奈良万葉植物園 )
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( 嫁菜の花 青  浄瑠璃寺 京都 )
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(嫁菜の花 白 東大小石川植物園 )
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( 枯れ蓮の周囲に咲く嫁菜の花 )
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  万葉集その七百十九(嫁菜:よめな)

ヨメナはキク科の多年草で本州中部以西の山野や田の周囲など、
やや湿った場所に多く見られ、秋に青紫,白色の可愛い小花を群生させます。

古くは「ウハギ」「オハギ」とよばれ、前川文夫氏によると
「オハギ」は「麻剥ぎ(おはぎ)」で枯れた茎が霜で皮がささくれているさまが
「麻(オ)の皮を剥ぐ」のに似ているからとされていますが今1つピンときません。
                          (植物の名前の話:八坂書房)

また、現代名のヨメナは「嫁菜」でその由来は
「食用とする若芽の中で最も美味で形が美しい」
「若葉が柔らかくて、花が可愛い」
など諸説あり、いずれも新妻の楚々とした美しさに譬えたものです。

万葉集には2首、すべて「ウハギ」と詠われています。

「 春日野に 煙立つ見ゆ 娘子(をとめ)らし
           春野のうはぎ  摘みて煮らしも 」        
                           巻10-1879 作者未詳

( 春日野の方に煙が立っているのが見える。
 あれはきっと娘さんたちが嫁菜(ヨメナ)を摘んで煮ているのだろうよ )

春日野は現在の奈良公園飛火野一帯。
緑の野原、焚き火の赤い炎、細く長く立つ白い煙。
色とりどりの衣裳をまとい、楽しそうにおしゃべりをしながら、
若菜を摘んだり煮たりしている大勢の美しい乙女たち。

作者は遠くに見える白い煙から仙境のような絵画的な場面を
思い描いたのでしょうか。

この歌は後々好まれ、春日野と言えば若菜摘みの代名詞になります。

「 春日野の 草は緑になりにけり
                 若葉摘まむと 誰かしめけむ 」  
                  壬生忠見(みぶのただみ) 新古今和歌集

( 緑になった春日野に標(しめ)がしてあるのは、
 一体誰が若菜を摘もうとしたのであろうか。)

            標:占有の目印

万葉集の2首目は異色の歌です。

「 妻もあらば 摘みて食(た)げまし 沙弥(さみ)の山
      野の上のうはぎ 過ぎにけらすや 」 
                   巻2-221 柿本人麻呂

( せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに
     狭岑(さみね)の山の 野辺一帯の嫁菜はもう盛りが過ぎてしまっている
     のだろうか。)

歌の詞書と長歌に

「 讃岐に旅した時、那珂の港(丸亀市)から東へ船出して間もなく
  突風に襲われた。
  やむなく沙岑(さみ)の島に寄港したとき、岩床に行商人らしき人が
  臥して死んでいた。」とあり

当時このような場合、亡き人の鎮魂をするべく歌を詠い、
合わせて自身の行路の安全を祈るのが習いでした。

人麻呂は行商人が餓死したとみなしたらしく、
嫁菜でも食べていたら飢えをしのげただろうに、と悼んでいます。

          狭岑の山: 香川県沙弥島 埋立てによって今は坂出と陸続き

 「 紫を俤(おもかげ)にして嫁菜かな 」 松根 東洋城

嫁菜は春菊のような香りがあり古くから人気がありました。
美味な上、解熱,解毒など薬草としても効あり、根を含む全草を採取して
水洗いをし、日干しして保存していたようです。

カリウム、ナトリウム、マグネシユウム、リン、鉄などを多く含み
栄養食としても満点。
その上、美味ともなれば現在にいたる重宝されているのも無理からぬことです。

   「 炊き上げて うすき緑や 嫁菜飯」  杉田久女


          万葉集719(嫁菜:よめな)完


         次回の更新は1月18日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-10 21:06 | 植物

万葉集その七百十八 (7日七草粥)

( 春の七草 向島百花園 上中央:ごぎょう 上左:すずな(蕪) 上右:すずしろ(大根)
 中央:なずな 下左: はこべら 下右:せり 下中央: 仏の座 ) 
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( セリの花 同上 )
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( スズナの花  奈良万葉植物園 )
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( ニラの花 山辺の道 奈良 )
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万葉集その七百十八 (7日:七草粥)

お屠蘇気分が抜けない正月7日。
ふと、暦を見ると七草。
そうだ、7日は七草粥の日だった。

 「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ 
          すずな  すずしろ  春の七草 」

春の七草は南北朝時代(1336~1392年)、四辻善成が初めて選定したとされ(河海抄)、
その後、歌道師範で名高い冷泉家に上記の歌として伝えられたといわれています。

古代の人達はこれらの野菜は栄養価が高く、病気への抵抗力を強くする
薬効成分が多いことを長い間の経験で会得しており、春菜摘みは
生活上なくてはならない庶民の行事として定着していました。

そして次第に上流階級の人々の間にも普及して儀礼化され、
平安時代になると朝廷の行事になり、醍醐天皇延喜年間(901~914)には、
正月最初の子の日(のち七日)、天皇に若菜を奉る公式儀式に制定されます。

然しながら、現在の七草粥の姿になるのは鎌倉時代からで、
平安時代の七種(ななくさ)は菜ではなく七種の穀類。
「 米 粟:あわ、 黍:きび、 稗:ひえ、小豆、胡麻、
 篁子:みの=水田に生える野草の実)」
で炊かれて正月15日(小正月)に食され、のちに小豆粥として継承されます。

奈良時代は七草の名はなくても、セリ、ヨモギ、ニラ、ノビル、ヨメナ、
ワラビ、カタクリ、スミレ(食用にされた)、スズナなどが万葉集に見え、
それらを総称した若菜、春菜も多く詠われています。

娯楽が少ない当時、ピクニックや花見は最大の楽しみ。
人々はこぞって早春の山や野原に出かけて若菜を摘み、その場で煮て食べたり
持ち帰って羹(あつもの:汁物)、菜飯、菜粥など長い冬の間の栄養不足を
補うべくいそしんだのです。


また、美しい乙女たちが集い楽しげに騒いでいる姿は男達にとっても
最大の目の保養、遠くから眺めながら詠います。

「 春山の 咲きのををりに 春菜摘む
         妹が白紐(しらひも) 見らくし よしも 」
          巻8-1421 尾張 連 (をはりのむらじ:伝未詳)

( 春山の花が咲き乱れているあたりで春菜摘んでいる乙女、
 その子が結んでいる清々しい白紐を見るのはなかなか
 気持ちがいいものよなぁ。)

山に花が咲き、野原は一面の緑。
そんな中、美しい乙女が無心に春菜を摘んでいる。
突然一陣の春風が吹き、乙女の白い腰紐が風に靡く。
はっと手を休めて立ち上がった子の輝くばかりの美しさ。
なんと気持ちの良い光景なのだろう。

色とりどりの花、野山の緑、着物の紐の白。
色彩の対比が美しく、春到来の喜びが感じられる歌です。

    咲きの ををりに: 枝がたわむばかりに咲いている

「 難波辺(なにわへ)に 人の行けば 遅れ居て
      春菜摘む子を 見るが悲しさ 」 
               巻8-1442 丹比屋主真人( たじひの やぬし まひと:官人)

( 夫が難波の方に出かけているので、一人後に残って
 春菜を摘んでいる子。
 その子を見ると、いとおしくてならない。)

娘たちが大勢で春菜摘みをしている。
その中で一人、ぽつんと離れて寂しそうな子がいた。
あぁ、あの子の夫は難波の方へ仕事で出かけているんだ。
さぞ、寂しいことだろうなぁ。
好意を寄せている人妻に惹かれている男です。

「 川上に 洗ふ若菜の 流れ来て
      妹があたりにの 瀬にこそ寄らめ 」
                      巻11-2838 作者未詳

( あの子が川上で採れた若菜を洗っている。
 これが流れていって、あの子が住む家のあたりまで
 寄ってくれたらいいのになぁ。)

 好きな女が川で摘みたての若菜を洗っている。
あぁ俺は若菜になりたい。
そして彼女の家の近くの川の瀬に流れ着きたい。

好意をいだく女性を遠くから眺めながら、叶わぬ恋を嘆く男。
気が弱くて口説けないのか。

「 摘みいそげ 木曽の沢井の 雪芹の
          いや清くして うまかるらしき 」   太田水穂

日本人は大の野菜好きですが日本原産の野菜は極めて少なく、
芹、水菜、蔓菜(つるな)、 蕗(ふき)、 韮 、茗荷、 独活(うど)、
三つ葉、 山芋位しかなく、それもほとんど葉菜です。
   ( 菜とは「草の茎 葉根の食べられるものの総称」)。

数ある葉菜の中でもとりわけ芹は我国栽培史上最も古く、
栄養価の高い野菜の一つで今日なお、ほとんど改良の手が
加えられていない昔のままの姿を持つ数少ない貴重な植物です。

  「韮茹でて あらたに春と 思ひけり 」   八十島祥子

韮の葉、茎はベーターカロチン、ビタミン類、カルシュウム、リン、鉄分など
多く含み、栄養価が極めて高い菜として通年栽培されていますが旬は早春。
お腹の調子が悪い時や二日酔いに最適の韮粥です。

 「 蕪肥えたり 蕪村生まれし 村の土 」 正岡子規

「カブ」の古名は蔓菁(青菜)、「スズナ」。

古事記に栽培の記録が見られるほど古くから大切な野菜とされてきました。
形も色も様々で現在80種類以上もあるそうです。

煮ても、蒸しても、漬物にしても美味。
中でも飛騨高山の赤蕪漬、京都の千枚漬、スグキ、
北陸の鰤ズシ(カブを輪切りにして寒ブリの薄切りをはさんだもの)
などが良く知られております。

 「 そのかみの 禁野(しめの)はいずこ 若菜摘む 」 高橋雨城
    
   そのかみ: 古(いにしえ)の
       禁野(しめの: 天皇の御料地

この句は次の歌をふまえたものです。

「 あかねさす紫野行(ゆ)き 標野(しめの)行き
             野守は見ずや 君が袖振る 」 
                            巻1-20 額田王


        万葉集718(7日七草粥)完


        次回の更新は1月11日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-04 00:00 | 植物

万葉集その七百十二 (大和路の紅葉)

( 大仏殿秋色  後方右 二月堂  奈良県庁屋上から )
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( 長谷寺 本堂に向かう僧侶たち    奈良)
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(  談山神社    同上 )
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(  浄瑠璃寺  いずれも2018年11月13日~15日撮影 )
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   万葉集その七百十二 (大和路の紅葉)

大和路の紅葉の名所といえば奈良公園一帯、正歴寺、長谷寺、室生寺、
談山神社、浄瑠璃寺といったところでしょうか。

奈良公園の南大門付近から大仏池、正倉院あたりの楓や銀杏。
春日大社の裏通りの杉や檜の大木に囲まれた色とりどりの紅葉。
奈良県庁の屋上から眺める赤や黄色に染められた春日山、高円山、若草山。

郊外に足を伸ばせば、鬱蒼とした木々に囲まれた正歴寺。
赤、黄、緑、色彩豊かな木立の中の美しい堂塔、室生、長谷寺、
そして藤原鎌足ゆかりの談山神社。
奈良と京都の県境にひっそりと佇み九体の御仏で知られる浄瑠璃寺(京都府)。

そんな古都に惹かれて毎年足を運びます。

万葉集での紅葉は約140首、ほとんど黄葉と表記されています。
まずは春日山から。

 「 今朝の朝明(あさけ) 雁が音聞きつ 春日山
    もみちにけらし 我(あ)が心痛し 」 
                         巻8-1513 穂積皇子

( 今朝の明け方に雁の声を聞いた。
     この分では春日山はもみじしてきたにちがいない。
     それにつけても私の心は痛む )

作者は天武天皇第7皇子、劇的な恋愛の後異母妹但馬皇女を
娶ったが先立たれました。
魂を運んでくるという雁の声を聞き、亡き妻を偲びつつ
共に春日山のもみじを見たかったと想いを馳せている皇子です。

 「 奈良山をにほわす黄葉 手折りきて
      今夜(こよひ)かざしつ 散らば散るとも 」
                  巻8-1588  三手代 人名(みてしろの ひとな)

( 奈良山を色鮮やかに染めているもみじ、そのもみじを折り取ってきて
 今宵はかざしにすることができました。
 もう満足満足、あとは散るなら散ってもかまわないよ。 )

右大臣橘諸兄の子、奈良麻呂邸での宴の席での歌。
親しき仲間と10名でそれぞれ黄葉を詠ったもの。
折り取ってきたもみじの1枝を頭にかざして詠い舞ったのでしょう。
楽しげな様子が目に浮かぶような1首です。

「 もの思ふと 隠(こも)らひ居(を)りて 今日(けふ)見れば
              春日の山は 色づきにけり 」
                  巻10-2199  作者未詳

( 物思いにふさぎこんでずっと家にひきこもっていたが、今日久しぶりに
 見ると 春日山はすっかり色づいているよ )

平城京から東の方を眺めると春日山、御蓋山、高円山、若草山が
一望できます。
万葉人は立ちのぼる朝日の光を受けながら赤く染まりつつある山々に
神々の摂理を感じて遥拝し、新鮮な気持ちで一日のスタートを
切ったことでしょう。

JR奈良駅から約30分桜井駅で近鉄に乗り換え約10分で長谷寺駅。
その昔「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」とよばれ、平城京、平安京からの
参拝客で賑わった地です。

「はつせ(またはハセ)」は初瀬、泊瀬、長谷とも書きますが、
いずれも正しいとされ、
初(ハツ)は「初め」、泊(セ)は「終わり」、「長谷」は「狭くて長い谷」。
そして「こもりく(隠国)」は「山々に囲まれた国」の意です。

すなわち「こもりくのはつせ」は「山々に囲まれた長い谷」にある霊験あらたかなる
観音様を拝して、心機一転の「新しい人生を初め」、生涯の果ては
「人生の泊(とま)りどころ」つまり墓所が営まれた聖なる地なのです。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
    しぐれの雨は 降りにけらしも 」 
                     巻8-1593 大伴坂上郎女


( こもりくの初瀬の山は見事に色づいてきました。
  時雨が早くもあの山々に降ったのでしょうね。)

作者は耳成山東北の地、大伴家の私領、竹田庄に行っていたようです。
古代、早秋の時雨は紅葉の色づきを早め、晩秋のそれは落葉を促すものと
考えられていました。
泊瀬の紅葉は昼夜寒暖の差が大きく色鮮やか、とりわけ長谷寺の
堂宇の間から臨む色とりどりの美しさはこの世のものとは思えません。

以下は堀辰雄著「大和路」からです。(旧仮名遣いのまま)

 『 この頃、私は万葉集をしばしば手にとって見てゐるが、
   源氏物語などの頃とは異なり、宗教思想が未熟だったせゐか、
   生と死との境界さへはっきり分からぬ古代人らしく

 「 秋山に 黄葉あはれと うらぶれて
       入りにし妹は 待てど来まさぬ」
  とか、又、

 「 秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
       妹を求めむ 山道(やまじ)しらずも 」

などといふ考え方でもって死者に対してゐる。

これは歌といふものの性質上、わざと さふいふ原始的な素朴な死の
観念を借りて、山に葬られた自分の妻を、あたかも彼女自身が
秋山の黄葉のあまりの美しさに憑(つ)かれたやうにして、
自ら分け入ってしまったきり道に迷って もう再び帰ってこないやうに
自分も信じてをるがごとくに嘆いて、以つて死者に対する一篇の
レクイエムとしたのかも知れない。

― ― 肉体が死んでも魂は分離して亡びないことを信じてゐた古人は、
深い山の中をさすらってゐる死者の魂を鎮めるために、
その山そのものの美しさを讃え、また死後彼等の居処や木々を
払わず其処(そこ)に漂っている魂の落ちつくまで荒れるがままにさせ、
ときをりその荒廃した有様を手にとるやうに さながら、その死者の
魂に向かっていふようにいふ、
― そんな事を私は万葉の挽歌作者をよみながら考える。 』

                              ( 黒髪山 本郷書林より )
筆者注:

  「 秋山に 黄葉あはれと うらぶれて
            入りにし妹は待てど来まさぬ」
                      巻7-1409 作者未詳

( 秋山のもみじに心惹かれて、なんだかしょぼしょぼと
 その山に入って行ってしまったあの子は、いくら待っても
 帰ってきてくれない )

 「 秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
        妹を求めむ 山道(やまじ)知らずも 」
                 巻2-208 柿本人麻呂

( 秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷い込んだ
 いとおしい子、あの子を探し求めようにもその道さえ分からない)

人麻呂が妻を亡くした時の挽歌

今年の大和路の紅葉は酷暑と度重なる台風の影響で、木々が痛み
色も少し寂しげ。
それでも、ところどころを美しく彩り、私たちを暖かく迎え旅愁を慰めてくれました。

 「 古寺や 紅葉も老て 幾昔 」 桃隣(とうりん) 
                      (江戸時代前期 芭蕉の縁者 )


      万葉集712 (大和路の紅葉)完

     次回の更新は11月30日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-11-22 11:02 | 植物

万葉集その七百八 (美男蔓:びなんかづら)

( 美男蔓はサネカズラの別名 葉や茎から出る粘液は男の整髪料に用いられたのでその名がある
 写真の花は夏から初秋にかけて咲く)
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( 熟した実は鹿の子:京菓子のよう 乾燥させ煎じて整腸、咳止め薬に) 
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万葉集その七百八 (美男葛:びなんかづら)

美男葛はサネカズラの異名で、葉や茎から出る粘り気がある粘液を
男の整髪料に用いられたので、その名があります。
関東以西の山地に自生するモクレン科の常緑つる性植物で、
夏から初秋にかけて黄色の小さな花を咲かせ、晩秋、小さな丸い実が集まって
3㎝位の球状になり美しく紅熟します。

実(さね)が美しいので漢字で「実葛」、「核葛」とも書かれ
乾燥させて煎じて飲むと、胃腸、滋養強壮,咳き止めに効ある植物です。

万葉集では9首。
蔓が長く伸び、先端がどこかで絡まるので、「後に逢う」と詠ったり、
「さね」が「さ寝」に通じるので、共寝を誘う材料としても好まれました。

「 丹波道(たにはじ)の 大江の山の さなかづら  
      絶えむ心の  我が思はなくに  」 
                           巻12-3071 作者未詳

( 丹波道の大江の山の さね葛、その葛が伸び続けるように
 二人の仲がいつまでも続くと思っております。
 お互いの関係が絶えてしまうなんて一度も思ったことありませんよ。)

 大江山: 京都府西京区大枝沓掛町、老ノ坂を越えると丹波の国

 さなかづら: 「さねかずら」の古名

平安時代になると技巧を凝らした歌になります。

「 思ふこと おほ江の山の さね葛
      暮ると明くとに 嘆きつつのみ 」  藤原知家

( あたたを思うことが多いので、明けても暮れても嘆いてばかり )

  おお江: 「大江山」と「(思うこと)多い」を掛ける
   暮る:  暮れると(長い葛を)繰る の同音に掛け
         「あなたを手繰りよせる」の意を含む

 「木綿(ゆふ)包み 白月山のさね葛 
       後もかならず 逢はむとぞ思ふ 」  
                      巻12-3073 作者未詳

( 木綿包みが白いというではないが、 白月山のさね葛の蔓が
     分かれて延び、また絡まり合うように、私もお前と
     のちにでも必ず逢おうと思っているよ。)

男は旅にでも出るのでしょうか。
「今は別れざるを得ないが、しばらくたったら必ず逢いに来るから心配するな」
と泣き崩れている女を慰めているようです。

       木綿包み: 白にかかる枕詞
       白月山(しらつきやま) :所在不明なるも近江か

「 名にしおはば 逢坂山の さねかづら 
                   人に知られで くるよしもがな 」  
                          藤原定方(三条右大臣) 百人一首

以下は大岡信氏の名訳です。

( 逢坂山のさねかずらよ そなたの名は
  恋人に逢って寝るという こころだときく
  その名の通りであるならば
  私はそなたが欲しい 
  人に知られず そなたをたぐり寄せるように
  こっそりと恋するひとに逢いたいものを )       (百人一首 講談社文庫)

女性に「さねかずら」を添えて送ったもの。

「逢坂山」と「逢う」、「さねかずら」と「さ寝(ね)る」を掛け、
「くる(来る)「繰る」を掛ける。
なぜ繰るのか? サネカズラは蔓草なので(男が女)を
たぐり寄せるイメージを呼び起こす。
しかも「来る」はここでは「行く」の意になる。
  
「 お前と逢って一緒に寝る手立てがあればなぁ 」と

口説いた風流貴公子の技巧の一首です。


 「 低籬(ひくまがき) こごめば見えて さねかずら 」 上林 下草居 
 
          籬(まがき):竹,柴などを粗く編んで作った垣
          ここめば: かがめば


           万葉集708 (美男蔓) 完


          次回の更新は11月2日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-25 11:07 | 植物

万葉集その七百六 (棗:なつめ)

( 棗の木 黄色い小花がいっぱい  赤塚万葉植物園 東京 )
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( 棗の花 拡大  同上 )
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( 棗の実  同上 )
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( ドライなつめ  そのまま食べたりケーキの添え物に )
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    万葉集その七百六 (棗:なつめ)

棗(なつめ)はペルシャからインド西北部にかけて原産するクロウメモドキ科の
落葉小高木で、古い時代に中国を経て渡来したと考えられています。
6月頃、淡黄色の小さな5弁の花を咲かせ、9月になると暗褐色、楕円体の
実を熟し食用とされます。

生で食べるより乾燥させた方が甘味が増し、菓子つくりに利用されたほか、
多くの漢方薬に配合され、利尿、強壮、鎮静に効ありとされている
有用の植物です。

なつめの語源は「夏芽」。
他の木々に遅れて初夏に芽をだすことによるそうな。

万葉集には2首、いずれも宴会の席上での戯れ歌です。

「 玉掃(たまばはき) 刈り来(こ) 鎌麻呂 むろの木と
     棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため 」 
                巻16-3830   長忌寸 意吉麻呂(ながのいむきの おきまろ)

( 鎌麻呂よ 箒にする玉掃を刈ってこい。
 むろの木と棗(なつめ)の木の根元を掃除するために )

「 玉掃 鎌、むろの木 棗(なつめ) 」を詠めといわれ、
 清掃を主題にまとめた宴席での歌。

「棗」は「そう」とも訓み「掃」と「早」(そう)を懸け
「掃除のために早く刈ってこい」の意。
さらに、「刈り」(カリ)、「来」(コ) 、鎌麻呂(カママロ) 
と「カ」行を重ねた機知ある一首です。

「玉箒」の現代名はコウヤボウキ。
キク科の落葉低木で、葉が落ちた後の枝を束ねて箒にし、ガラス玉の
飾りを付けたことからその名があります。
元々、蚕の床を払う用具とされていましたが、次第に華美になり装飾品に。

「むろの木」はヒノキ科ビャクシン属の針葉樹で「実が多くつく」
すなわち「実群(み むろ)」の意からその名があるといわれています。
葉は硬質。鋭く尖っていて、触ると痛いので、昔の人は鼠の通り穴に置いて
その出没を防いだことから「ネズミサシ」、「ネズ」の別名があり、
漢方ではその実を杜松子(としょうじつ)といい利尿、リュウマチに薬効ありと
されています。

さらに棗(なつめ)の枝にも棘があり、そのような歌を即座に思い浮かべることが
出来る作者は大変な才能の持主。
宴席の人気者だったことでしょう。

「 梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の
        後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く 」
                       巻16-3834  作者未詳

( 梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、
  時節が移っているのに、あの方に逢えません。
 でも、延び続ける葛の先のように、
 「後々にでも逢うことが出来ますよ」
 と葵(あふひ)の花が咲いています。 )

言葉遊びの戯れ歌。
宴会で梨、棗(なつめ)、黍(きび)、粟(あわ)、葛、葵を詠みこめと囃されたもの。

すべて食用とされる植物ばかりで
「 季節を経て果物や作物が次から次へと収穫の日を迎えているのに、
  長い間愛しい人に逢えないでいる。
  でも葛の蔓先が長く這うように、長い日を経た後でも、きっと逢えるよと
  葵(あふひ)の花が咲いています。」

つまり、「あふひ(葵)」を「逢う日」に掛けて見事な恋歌に仕立てたのです。
葵は古代「あふひ」とよばれ、他の食用の植物と共に詠われているので
「冬葵」(フユアオイ)とされています。

冬葵は中國原産、葵科の多年草で冬でも枯れないのでその名があり、
春から秋にかけて白や淡紅色の小花を次々と咲かせ若葉は食用に、
実は利尿に効ありとされています。

「 あぢきなし なげきなつめそ うきことに
           あひくる身をば  すてぬものから 」     兵衛  古今和歌集

( どうしょうもないことだから、
 そんなに思いつめて嘆かないように。
 辛いことを経験してきた我が身を捨てることなど出来ないのだから。)

「あぢきなし」: 無益だ 「なし」に「梨(なし)をかくす
「嘆(なげ)きなつめそ」:「なーそ」 禁止の意 「思いつめないように」
                「なつめ」に棗(なつめ)を隠す
「あひくる身(み)」: 「体験してきた我が身」
              あひ「くるみ」に「胡桃(くるみ)を隠す

梨、棗、胡桃を掛詞にまきこんだ高度な技巧の歌ですが
万葉歌と比べ難解。

 「 玉工(ぎょくこう)の みがきて細き 棗哉 」 松瀬 青々

抹茶を入れる茶器の「なつめ」は、形が棗の実に
似ていることによるそうです。
余談ながら札幌に鮨の名店「鮨棗」という店があります。
珍しい名前なので由来を調べてみましたら、店主の御祖母様の苗字「夏目」と
茶道具の棗に「おもてなし」の気持ちをこめて命名された由。

このほど高島屋日本橋新館オープンと共に出店。
近くに老舗「吉野鮨」があり、お江戸ど真ん中での競演が楽しみです。

 「 ほとほろと 棗(なつめ)こぼれて 忘れ得ぬ
               をさな むかしの(幼な昔の)  秋風の家 」 岡 稲里  


              万葉集706(棗:なつめ)  完


              次回の更新は10月19日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-11 11:44 | 植物

万葉集その七百五 (萩に寄せて)

( 萩の寺 白毫寺  奈良 )
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( 元興寺   奈良 )
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( ヤマハギ  白毫寺 )
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( シロハギ   同上 )
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万葉集その七百五(萩に寄せて)

今日、奈良の萩の名所といえば、平城京跡、飛鳥石舞台公園、
寺社なら白毫寺、新薬師寺、元興寺極楽房、唐招提寺などでしょうか。
なかでも平城京跡の広大な原野に薄とともに靡く萩、
白毫寺の山門に通じる石段の両脇からあふれ出るように群生する萩は
古から多くの人達を魅了してきました。

   「 萩散るや 石段粗き 白毫寺」   筆者

 その昔、平城京の時代、春日山に連なる高円山麓は萩の群生地。
野性の鹿も多数棲んでいて、夜になると妻よぶ鹿の声が響き渡り、
天皇をはじめ皇族は離宮や別宅を設けて行く秋を楽しんでいました。

 また萩は鑑賞用だけではなく、葉は乾燥させて茶葉に、実は食用、
根は婦人薬(めまい、のぼせ)、樹皮は縄、小枝は垣根、屋根葺き、箒、
筆(手に持つ部分)、さらに馬牛などの家畜の飼料など信じられない位
多岐にわたり利用され、家の庭にも植栽されて「わがやどの秋萩」などと
詠われています。

  「 冬枯れて 萩の筆買ふ 白毫寺 」  南浦小糸

 万葉集での萩は140余首、植物の中では人気の梅の120余首を
凌駕するトップ、梅は貴族層に多く詠まれたのに対し、萩は貴賤を問わず
幅広く詠われているのも生活に密着した植物であったからなのでしょう。

 また、萩が咲く時は女が男を誘う絶好のチャンスでもありました。

「 雁がねの 初声聞きて 咲き出たる
      やどの秋萩 見に来(こ)わが背子 」 
                         巻10-2267 作者未詳

( 雁の初声を聞いて待っておりましたとばかりに咲きはじめた
  我家の萩の見事なこと。
  あなた! ぜひ見に来て下さいな。)

雁到来はどちらかといえば、萩が散り始めの時期に詠われることが多いのですが
この女性の庭萩は雁の初声とともに咲き出したようです。
萩と雁、鹿、露、月は万葉人に好まれた取り合わせです。

「 秋萩の 咲き散る野辺(のへ)の 夕露に
         濡れつつ来ませ 夜は更けぬとも 」 
                           巻10-2252 作者未詳

( 秋萩が咲いては散りこぼれる野辺。
  その野の夕露に濡れながらも、お出でくださいませ。
  たとえ夜は更けていようとも。)

今すぐ来てほしいが、無理なら夜が更けてからでも来てほしい。

万葉人は共寝する時に互いの衣を掛け合って寝るので、
濡れることをひどく嫌っていました。

夕刻、待っても待っても訪れがない。
「あなた、衣が濡れていても気にしませんから、どうか来て」
との女の切なる願いです。

この歌は平安時代に好まれたのか、新古今和歌集に柿本人麻呂作として
掲載されています。
優雅な秀歌なので人麻呂が女の立場になって詠んだと
勝手に想像したのでしょうか。

「 藤原の 古りにし里の 秋萩は
      咲きて散りにき 君待ちかねて 」 
                      巻10-2289 作者未詳

( 藤原の古さびた里の秋萩は もう咲ききって散ってしまいましたよ。
 あなたのお越しを待ちあぐんで )

藤原の里は藤原京跡。
平城京遷都後埋め立てられ寂れに寂びれていました。
何らかの事情で、藤原の里に残った女性が都に移り住んだ男に
贈ったものですが、訪れを待つ気持ちがこもります。

「 秋萩の 枝もとををに 置く露の
      消(け)かもしなまし 恋ひつつあらずは 」 
                            巻10-2258 作者未詳

( 秋萩の枝が撓むばかりに置く露が、やがて消えるように
     私も消えうせてしまった方がましだ。
     こんなに恋焦がれ続けるなんて、苦しくて仕方がない)

露を「置く」と詠まれたものは花の最盛期、
「競う」は花芽が咲きかけの直前、
「負う」は露の重みを背負うの意で晩秋花を散らす時期

と極めて繊細な使い分けがなされており、日本人の感性の豊かさに驚かされます。

   「 白萩の 夕日にそまり 高らかに 」 山口青邨

「萩」の文献での初見は「播磨風土記」(713年頃)での「萩原里」。
その昔、神功皇后がこの地に滞在した時、一夜のうちに萩が一本生え出て
たちまち3mばかりになり、その後多くの萩が咲きだしたという
「地名伝説」とされています。

万葉集では「萩」の字はまだ見えず、「芽子」「芽」が当てられ、
「萩」が定着したのは平安時代から。

ハギの語源は「生芽」(ハエギ)が転じて「ハギ」になったといわれ、
根元から絶えず新しい芽が出て、折れたり切れたりしても
次々と芽吹く旺盛な生命力にあやかった命名だそうです。

但し、中国の「萩」はカワラヨモギ、ヒサギとされる別植物。
我国の秋草の代表格に「草冠に秋」がふさわしいとされたのか、
漢字の意味とは関係なく借字したしたものですが、萩は草ではなく低木。
従って秋の七草に加えるのは厳密に言えば誤りですが、まぁ、いいか。
何しろ1300年も続いているのですから。

  「 萩に遊ぶ 人黄昏(たそがれ)て 松に月 」  
                               凡董(きとう:江戸中期


     万葉集705 (萩に寄せて) 完


  次回の更新は10月12日 (金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-04 15:26 | 植物

万葉集その七百四 (秋の味覚)

( うま酒  大神神社 奈良 )
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( 桃 万葉人は毛桃とよんだ 石和温泉 山梨県笛吹市 )
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( 松茸  築地市場 )
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( 栗  山辺の道  奈良 )
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万葉集その七百四 (秋の味覚)

秋の味覚と言えば新米、松茸、桃、柿、栗、梨、林檎、葡萄、芋、秋刀魚。
さらに、秋の夜長には新酒も欠かせません。
万葉集では柿、林檎、葡萄、秋刀魚は登場していませんが、他は色々な形で
詠われています。

まずは稲の歌からまいりましょう。

「 荒城田(あらきだ)の 鹿猪田(ししだ)の稲を 倉に上げて
     あな ひねひねし 我が恋ふらくは 」  
             巻16-3848  忌部首黒麻呂(いむべの おびと くろまろ)

( 荒れた山地を開墾して作った田、
  鹿や猪が荒らす中で苦労しながら、やっと収穫した稲。
  その稲を税として倉に納めたのに、役人めが粗末にしおって
  干からびさせてしまった。
  それにしても、俺の恋も潤いがなく、味気ないものだなぁ。 )

     荒城田:新たに開墾した山地
     倉に上げて: 税として官倉に納める
     あな ひねひねし:あな:感動詞 
                 ひねひねし:干からびて生気がなくなった様子

「夢の中で友に贈った歌」と詞書がありますが、恋歌にかこつけて
お上に対する批判をこめた落首ともいうべきものです。

当時の貴族、官人は朝廷から土地を与えられ、自ら耕す者も
少なくありませんでした。
郊外が多かったようですが、この歌の作者は余程辺鄙なところを
割り与えられたのでしょう。

未開墾の山地、しかも鹿や猪が収穫物を荒らす。
やっとの思いで国に納めたのに、放置され、味も落ちていることだろう。
怒りが収まらない思いを恋歌に託したものと思われます。

「 新米も まだ草の実の 匂ひかな 」 蕪村

 新米が出来たら今度は酒の出番。

万葉の酒仙、大伴旅人は酒賛歌13首を声高らかに詠っており、
下記はそのうちの1首です。

「 言はむすべ 為(せ)むすべ知らず 極まりて
      貴(たふと)きものは 酒にしあるらし 」 
                           巻3-342 大伴旅人

     ( 言葉では言い表しようもない、どうしょうもなく
      この世で貴いものは酒であるらしいよ )

酒好きの人は多けれど旅人は別格。
酒壺になり、毎日酒びたりになりたいと詠い、酒を飲まぬやつは
猿みたいだと、けなすのです。

  「 それが好き あたため酒と いう言葉 」   高濱虚子

次ぎは万葉唯一の松茸。

「 高松の この峰も狭(せ)に 笠立てて
      満ち盛りたる 秋の香のよさ 」 
                      巻10-2233 作者未詳

( 高円山の峰も狭しとばかりに、まぁ見事に茸の傘が立ったことよ。
  眺めもさることながらこの香りの良さ。
  早く食べたいものだなぁ。)

高松は奈良の高円山(たかまどやま)。
全山に松が林立し足の踏み場のない程にびっしりと生い並ぶ松茸が、
今が盛りと かぐわしい芳香を放っている様子を詠ったもので、
今日では想像も出来ない光景です。

茸の歴史は古く縄文時代後期(4000年前)まで遡りますが、
ふんだんに採れた松茸は今や希少品、昭和初期に6000トンを超えていた
国産品の生産量は現在わずか37トンという惨状。

 「 松茸の 今日が底値と すすめられ  」 稲畑汀子

先日百貨店で見かけた大ぶりの国産松茸は1本5万円、とても手が出ませんなぁ。
     しからば栗を。

  「 瓜食めば 子ども思ほゆ 
    栗食めば まして偲はゆ 
    いずくより 来りしものぞ
    まなかひに もとなかかりて 
    安寐(やすい)し寝さぬ 」 
                          巻5-802 山上憶良

( 瓜を食べると子どものことが思われる。
      栗を食べるとそれにも増して偲ばれる。
      こんなに可愛い子どもというものは一体どういう宿縁でどこから我が子として
      生まれてきたものであろうか。 
      やたらに眼前にちらついて、安眠させてくれないよ )

           「まなかひ」:「眼の交(かひ)で眼前」 
            「もとな」(元無);わけもなくやたらに」

大宰府に単身赴任していた憶良の子を思う親心がひしひしと伝わってくる有名な長歌。
菓子類が少ない古代では栗やマクワ瓜は子供たちの好物だったことでしょう。
正倉院文書によると栗は一升(今日の四合)、約八文といわれ、米(五文)よりも高い贅沢品
だったようです。

栗は今から9000年前に我国で自生していたといわれ、青森県三内丸山遺跡から
出土したDNAの分析によると縄文時代には既に優良種を選択して栽培していたとも
推測されています。
古代から食料に供されたほか材は堅くて耐水性があるので建築、土木 枕木、造船、家具、
さらに椎茸のほだ木、薪炭など多方面に利用されてきた有用の植物です。

 「 初栗に山上の香も すこしほど 」  飯田蛇笏

次は芋。

稲作栽培以前、古代の人々が主食としていた里芋の原産地は
インドやインドシナ半島などの熱帯アジア地方といわれ、
我国に伝わったのは縄文時代と推定されています。

自然薯(じねんじょ)などのように山で採れるのではなく、家の菜園で栽培されたので
「山芋」に対して「里芋」と呼ばれ、「じゃがいも」や「サツマイモ」が伝わる
江戸時代まで「芋」と言えば里芋をさしていました。

このような大切な食物にも拘らず、万葉集に詠われているのは
次の一首のみです。

「 蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が
      家にあるものは 芋(うも)の葉にあらし 」
                      巻16-3826 長忌寸(ながのいみき)意吉麻呂 

( これが本物の蓮の葉なのですなぁ。なんと豪華なことよ! それに比べて
  わが家にあるのは、似ているようでもやっぱり里芋の葉ですわい。)

作者は愉快な歌、戯れ歌を即興的に詠むのを得意としていました。
宴席で大皿の代わりに蓮の大きな葉に盛られた豪華なご馳走を褒める気持も込めて
大げさに驚いてみせ、我家の小さな芋の葉を卑下してみせたものですが、
蓮と里芋の葉の形が似ているところにこの歌の面白みがあります。

古代、蓮の花は高貴な美女の象徴とされていました。
宴席には主人の妻妃などが接待に出ていたかもしれません。

もしそうだとすれば「イモ」は「妹」を連想させ「素晴らしい女性ばかりですね。
それに比べて我が家の妹(イモ)は野暮ったくて何とも見栄えがしないことです」と
落胆したふりをして満場をどっと沸かせたのでしょう。
奈良時代の貴族達の華やかな歓楽の一幕です。

  「 我が土に 天下の芋を 作りけり 」  高濱虚子

最後はデザートに桃を。


「 我がやどの 毛桃の下に 月夜(つくよ)さし
    下心(したごころ)よし うたてこのころ 」 
                           10-1889 作者未詳

( 我家の庭に月の光が射し込み、桃の実を美しく浮き上がらせています。
  なぜか何時もと違ってウキウキした気分。
  もう楽しくって楽しくって!)

この歌は比喩歌とされ「桃」は 大切に育てている娘 
「月夜さし」は「月水」すなわち娘の「初潮」、
「下心」は自分の心の奥、
「うたて」は「しきりに」で日常と異なる奇妙な心理状態をいいます。

「 大切に育ててきた娘が初潮を迎え、どうやら女性として一人前になったようだ
嬉しいやら 照れくさいやら。
さぁさぁ身内のものに報告をしなくっては 」

と母親が喜んではしゃいでいる歌なのです。
   
日本の桃は江戸時代まであまり美味くなかったらしく栽培されていたのは
もっぱら花の観賞用でした。
日本でおいしい桃が食べられるようになったのは明治7~8年頃
中国大陸から天津水密桃(北シナ系、先が尖っている) や 
上海水密桃(中シナ系、丸桃) が輸入され、
それらの桃に品質改良が加えられてからのこととされています。

世界に冠たる「白桃」は明治32年岡山県可真(かま)村の果樹園で
上海水密の系統をひいた桃が日本の気候に適応し突然変異(自然雑種)して
生まれたものとか。

  「 白桃を 洗ふ誕生の 子のごとく 」 大野林火

           桃は秋の季語とされています。

番外編

 池波正太郎氏はサンマがお好きだったらしく、
次のような一文を書いておられます。

「 初秋ともなれば、いよいよ秋刀魚の季節だ。
  毎日のように食べて飽きない。
  若いころは、どうもワタが食べられなかったものだが、
  いまは、みんな食べてしまう。

  むかしは安くて旨い。
  この魚が私たちの家の初秋の食膳には、一日置きに出たもので、
  夕暮れになって、子供だった私たちが遊びから帰ってくると、
  家々の路地には秋刀魚を焼く煙りがながれ、
  旨そうなにおいが路地に立ちこめている。 ― 」
                        池波正太郎 ( 味と映画の歳時記 )

そして、佐藤春夫の有名な秋刀魚の歌。

 「あはれ 秋かぜよ
  情(こころ)あらば 伝えてよ
  ― 男ありて
  今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
  さんまを食(くら)ひて
  思ひにふける と 。
 
  さんま さんま 
  そが上に 青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
  さんまを食うは その男のふる里のならひなり。
                      ―  ― 」   (秋刀魚の歌 佐藤春夫)

秋刀魚を味わう王道は塩焼きに大根おろし、スダチ添え。
次いで、蒲焼が旨い。
「蒲焼のたれにワタを隠し味に使うと一段と風味が増す。」とは
料理人、近藤文夫氏の弁です。

   「 秋刀魚焼く 煙の中の 妻を見に 」 山口誓子



     万葉集704(秋の味覚)完

    次回の更新は10月5日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-09-27 10:35 | 植物

万葉集その七百二 (山梨)

( 山梨 万葉人は花や実より黄葉を愛でた  奈良万葉植物園 )
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(  山梨の実は小ぶりで酸味あり   同上 )
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(  山梨の花   同上 )
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( 白い清楚な花は美女の代名詞   同上 )
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 万葉集その七百二 (山梨)

万葉集で詠われている「梨」は西日本以南に分布する落葉高木の「山梨」と
されています。
弥生時代、稲作とともに中国から渡来した我国最古の果物の一つで、
現在食されている「二十世紀」「長十郎」などの原種に近いものと
推定されていますが、実は小さく、酸味も強かったようです。

春、若葉開く頃、五弁の白い花が咲き、その美しさは古来、美女に形容されて
きました。
また梨は腸の働きを良くし、便秘解消、利尿作用、さらに腎臓病に効ありと
されており、693年、持統天皇は
「 桑、からむし(苧麻:ちょま)、梨、栗、青菜などの草木を植え、五穀の助けとせよ」

との詔を下し全国に栽培をすすめたとの記録(日本書紀)されている有用の植物です。

万葉集では4首、面白いことに梨の実や花ではなく葉の黄葉を
詠ったものばかりです。

 「 十月(かむなづき) しぐれの常か 我が背子が
     やどの黄葉(もみちば) 散りぬべく見ゆ 」 
                            巻19-4259 大伴家持

  ( 十月の時雨はこの時期の習いなのでしょうか。
    あなたさまの庭の梨の葉は色づき、またとなき美しさ。
    今にも散りそうに見えるくらいですが
    いつまでも、この景色を見ていたいものです。)

この歌の後書きに「時に当たりて梨の黄葉を見てこの歌を作る」とあり、
紀飯麻呂(きの いまろ)という官人宅での宴席で梨の黄葉の盛りを褒め、
主人を讃えた一首です。

「しぐれ」は紅葉を促し、かつ散ることを早めるものとされていました。
作者は盛りの梨の黄葉が雨に濡れて、今にも散りそうな様子に風趣を
感じたようです。
主人を褒めるのに「散る」という表現はそぐわないような気がしますが、
気楽な宴席だったからでしょうか。

 「 霜露の 寒き夕(ゆうへ)の秋風に
      もみちにけらし 妻梨の木は 」  
                   巻10-2189 作者未詳

( 露が置き、秋風もひとしお寒く感じられるこの夕べです。
    この寒さで妻なしという梨の木もどうやら色づいたようですね。)

    「妻梨」は「妻なし」で恋人もいない一人身。

夕べは男女の出会いの格別な時間帯。
そんな中でのわびしさは一入。
かわいそうな妻梨さんよと自嘲のからかいがこもる一首です。

    「 甲斐が嶺に 雲こそかかれ 梨の花 」  蕪村

昔、甲斐の国は山梨、八代、巨摩、都留4つの郡がありましたが、
明治4年11月、廃藩置県で「山梨県」になりました。

その地名由来はバラ科ナシ属の「ヤマナシ」という木が多く、
奈良時代、既に「山梨郡」がみられたことによるとされています。(通説)

その他、「なし」は「成す」の連用形「成し(~のある所の意味)」で
「山成し」を由来とする説や、反対に土地が平らで山が無かったことから、
「山無し」の意味とする説もありますが、この両説はピンときません。

   「 法隆寺の まへの梨畑 梨の実を
            ぬすみし若き  旅人なりき 」  若山牧水

我国は世界的な梨の生産国。
江戸時代には150以上の品種がつくられ、今や1000品種あるとか。
果皮の色から黄褐色の赤梨、淡黄緑色の青梨に大別され、赤梨系が主流。
その代表銘柄は幸水、豊水、新高、長十郎。 
青梨の代表格二十世紀。 
産地のベスト3は千葉、茨城、栃木県とされています。(2016年)

熟した果実を生食するほか、ジャムや果実酒の原料にも。

日本梨特有のシャリシャリとした歯触りは秋の味覚の醍醐味ですが、
欧米ではあまり好まれず砂のようだという意味で「サンド・ペア」と
よばれているそうな。

  「 梨むくや 甘き雫の 刃を垂るる 」  正岡子規




     万葉集702 (山梨)  完

     次回の更新は9月21日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-09-13 10:12 | 植物