カテゴリ:植物( 226 )

万葉集その七百十二 (大和路の紅葉)

( 大仏殿秋色  後方右 二月堂  奈良県庁屋上から )
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( 長谷寺 本堂に向かう僧侶たち    奈良)
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(  談山神社    同上 )
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(  浄瑠璃寺  いずれも2018年11月13日~15日撮影 )
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   万葉集その七百十二 (大和路の紅葉)

大和路の紅葉の名所といえば奈良公園一帯、正歴寺、長谷寺、室生寺、
談山神社、浄瑠璃寺といったところでしょうか。

奈良公園の南大門付近から大仏池、正倉院あたりの楓や銀杏。
春日大社の裏通りの杉や檜の大木に囲まれた色とりどりの紅葉。
奈良県庁の屋上から眺める赤や黄色に染められた春日山、高円山、若草山。

郊外に足を伸ばせば、鬱蒼とした木々に囲まれた正歴寺。
赤、黄、緑、色彩豊かな木立の中の美しい堂塔、室生、長谷寺、
そして藤原鎌足ゆかりの談山神社。
奈良と京都の県境にひっそりと佇み九体の御仏で知られる浄瑠璃寺(京都府)。

そんな古都に惹かれて毎年足を運びます。

万葉集での紅葉は約140首、ほとんど黄葉と表記されています。
まずは春日山から。

 「 今朝の朝明(あさけ) 雁が音聞きつ 春日山
    もみちにけらし 我(あ)が心痛し 」 
                         巻8-1513 穂積皇子

( 今朝の明け方に雁の声を聞いた。
     この分では春日山はもみじしてきたにちがいない。
     それにつけても私の心は痛む )

作者は天武天皇第7皇子、劇的な恋愛の後異母妹但馬皇女を
娶ったが先立たれました。
魂を運んでくるという雁の声を聞き、亡き妻を偲びつつ
共に春日山のもみじを見たかったと想いを馳せている皇子です。

 「 奈良山をにほわす黄葉 手折りきて
      今夜(こよひ)かざしつ 散らば散るとも 」
                  巻8-1588  三手代 人名(みてしろの ひとな)

( 奈良山を色鮮やかに染めているもみじ、そのもみじを折り取ってきて
 今宵はかざしにすることができました。
 もう満足満足、あとは散るなら散ってもかまわないよ。 )

右大臣橘諸兄の子、奈良麻呂邸での宴の席での歌。
親しき仲間と10名でそれぞれ黄葉を詠ったもの。
折り取ってきたもみじの1枝を頭にかざして詠い舞ったのでしょう。
楽しげな様子が目に浮かぶような1首です。

「 もの思ふと 隠(こも)らひ居(を)りて 今日(けふ)見れば
              春日の山は 色づきにけり 」
                  巻10-2199  作者未詳

( 物思いにふさぎこんでずっと家にひきこもっていたが、今日久しぶりに
 見ると 春日山はすっかり色づいているよ )

平城京から東の方を眺めると春日山、御蓋山、高円山、若草山が
一望できます。
万葉人は立ちのぼる朝日の光を受けながら赤く染まりつつある山々に
神々の摂理を感じて遥拝し、新鮮な気持ちで一日のスタートを
切ったことでしょう。

JR奈良駅から約30分桜井駅で近鉄に乗り換え約10分で長谷寺駅。
その昔「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」とよばれ、平城京、平安京からの
参拝客で賑わった地です。

「はつせ(またはハセ)」は初瀬、泊瀬、長谷とも書きますが、
いずれも正しいとされ、
初(ハツ)は「初め」、泊(セ)は「終わり」、「長谷」は「狭くて長い谷」。
そして「こもりく(隠国)」は「山々に囲まれた国」の意です。

すなわち「こもりくのはつせ」は「山々に囲まれた長い谷」にある霊験あらたかなる
観音様を拝して、心機一転の「新しい人生を初め」、生涯の果ては
「人生の泊(とま)りどころ」つまり墓所が営まれた聖なる地なのです。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
    しぐれの雨は 降りにけらしも 」 
                     巻8-1593 大伴坂上郎女


( こもりくの初瀬の山は見事に色づいてきました。
  時雨が早くもあの山々に降ったのでしょうね。)

作者は耳成山東北の地、大伴家の私領、竹田庄に行っていたようです。
古代、早秋の時雨は紅葉の色づきを早め、晩秋のそれは落葉を促すものと
考えられていました。
泊瀬の紅葉は昼夜寒暖の差が大きく色鮮やか、とりわけ長谷寺の
堂宇の間から臨む色とりどりの美しさはこの世のものとは思えません。

以下は堀辰雄著「大和路」からです。(旧仮名遣いのまま)

 『 この頃、私は万葉集をしばしば手にとって見てゐるが、
   源氏物語などの頃とは異なり、宗教思想が未熟だったせゐか、
   生と死との境界さへはっきり分からぬ古代人らしく

 「 秋山に 黄葉あはれと うらぶれて
       入りにし妹は 待てど来まさぬ」
  とか、又、

 「 秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
       妹を求めむ 山道(やまじ)しらずも 」

などといふ考え方でもって死者に対してゐる。

これは歌といふものの性質上、わざと さふいふ原始的な素朴な死の
観念を借りて、山に葬られた自分の妻を、あたかも彼女自身が
秋山の黄葉のあまりの美しさに憑(つ)かれたやうにして、
自ら分け入ってしまったきり道に迷って もう再び帰ってこないやうに
自分も信じてをるがごとくに嘆いて、以つて死者に対する一篇の
レクイエムとしたのかも知れない。

― ― 肉体が死んでも魂は分離して亡びないことを信じてゐた古人は、
深い山の中をさすらってゐる死者の魂を鎮めるために、
その山そのものの美しさを讃え、また死後彼等の居処や木々を
払わず其処(そこ)に漂っている魂の落ちつくまで荒れるがままにさせ、
ときをりその荒廃した有様を手にとるやうに さながら、その死者の
魂に向かっていふようにいふ、
― そんな事を私は万葉の挽歌作者をよみながら考える。 』

                              ( 黒髪山 本郷書林より )
筆者注:

  「 秋山に 黄葉あはれと うらぶれて
            入りにし妹は待てど来まさぬ」
                      巻7-1409 作者未詳

( 秋山のもみじに心惹かれて、なんだかしょぼしょぼと
 その山に入って行ってしまったあの子は、いくら待っても
 帰ってきてくれない )

 「 秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
        妹を求めむ 山道(やまじ)知らずも 」
                 巻2-208 柿本人麻呂

( 秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷い込んだ
 いとおしい子、あの子を探し求めようにもその道さえ分からない)

人麻呂が妻を亡くした時の挽歌

今年の大和路の紅葉は酷暑と度重なる台風の影響で、木々が痛み
色も少し寂しげ。
それでも、ところどころを美しく彩り、私たちを暖かく迎え旅愁を慰めてくれました。

 「 古寺や 紅葉も老て 幾昔 」 桃隣(とうりん) 
                      (江戸時代前期 芭蕉の縁者 )


      万葉集712 (大和路の紅葉)完

     次回の更新は11月30日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-11-22 11:02 | 植物

万葉集その七百八 (美男蔓:びなんかづら)

( 美男蔓はサネカズラの別名 葉や茎から出る粘液は男の整髪料に用いられたのでその名がある
 写真の花は夏から初秋にかけて咲く)
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( 熟した実は鹿の子:京菓子のよう 乾燥させ煎じて整腸、咳止め薬に) 
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万葉集その七百八 (美男葛:びなんかづら)

美男葛はサネカズラの異名で、葉や茎から出る粘り気がある粘液を
男の整髪料に用いられたので、その名があります。
関東以西の山地に自生するモクレン科の常緑つる性植物で、
夏から初秋にかけて黄色の小さな花を咲かせ、晩秋、小さな丸い実が集まって
3㎝位の球状になり美しく紅熟します。

実(さね)が美しいので漢字で「実葛」、「核葛」とも書かれ
乾燥させて煎じて飲むと、胃腸、滋養強壮,咳き止めに効ある植物です。

万葉集では9首。
蔓が長く伸び、先端がどこかで絡まるので、「後に逢う」と詠ったり、
「さね」が「さ寝」に通じるので、共寝を誘う材料としても好まれました。

「 丹波道(たにはじ)の 大江の山の さなかづら  
      絶えむ心の  我が思はなくに  」 
                           巻12-3071 作者未詳

( 丹波道の大江の山の さね葛、その葛が伸び続けるように
 二人の仲がいつまでも続くと思っております。
 お互いの関係が絶えてしまうなんて一度も思ったことありませんよ。)

 大江山: 京都府西京区大枝沓掛町、老ノ坂を越えると丹波の国

 さなかづら: 「さねかずら」の古名

平安時代になると技巧を凝らした歌になります。

「 思ふこと おほ江の山の さね葛
      暮ると明くとに 嘆きつつのみ 」  藤原知家

( あたたを思うことが多いので、明けても暮れても嘆いてばかり )

  おお江: 「大江山」と「(思うこと)多い」を掛ける
   暮る:  暮れると(長い葛を)繰る の同音に掛け
         「あなたを手繰りよせる」の意を含む

 「木綿(ゆふ)包み 白月山のさね葛 
       後もかならず 逢はむとぞ思ふ 」  
                      巻12-3073 作者未詳

( 木綿包みが白いというではないが、 白月山のさね葛の蔓が
     分かれて延び、また絡まり合うように、私もお前と
     のちにでも必ず逢おうと思っているよ。)

男は旅にでも出るのでしょうか。
「今は別れざるを得ないが、しばらくたったら必ず逢いに来るから心配するな」
と泣き崩れている女を慰めているようです。

       木綿包み: 白にかかる枕詞
       白月山(しらつきやま) :所在不明なるも近江か

「 名にしおはば 逢坂山の さねかづら 
                   人に知られで くるよしもがな 」  
                          藤原定方(三条右大臣) 百人一首

以下は大岡信氏の名訳です。

( 逢坂山のさねかずらよ そなたの名は
  恋人に逢って寝るという こころだときく
  その名の通りであるならば
  私はそなたが欲しい 
  人に知られず そなたをたぐり寄せるように
  こっそりと恋するひとに逢いたいものを )       (百人一首 講談社文庫)

女性に「さねかずら」を添えて送ったもの。

「逢坂山」と「逢う」、「さねかずら」と「さ寝(ね)る」を掛け、
「くる(来る)「繰る」を掛ける。
なぜ繰るのか? サネカズラは蔓草なので(男が女)を
たぐり寄せるイメージを呼び起こす。
しかも「来る」はここでは「行く」の意になる。
  
「 お前と逢って一緒に寝る手立てがあればなぁ 」と

口説いた風流貴公子の技巧の一首です。


 「 低籬(ひくまがき) こごめば見えて さねかずら 」 上林 下草居 
 
          籬(まがき):竹,柴などを粗く編んで作った垣
          ここめば: かがめば


           万葉集708 (美男蔓) 完


          次回の更新は11月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-10-25 11:07 | 植物

万葉集その七百六 (棗:なつめ)

( 棗の木 黄色い小花がいっぱい  赤塚万葉植物園 東京 )
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( 棗の花 拡大  同上 )
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( 棗の実  同上 )
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( ドライなつめ  そのまま食べたりケーキの添え物に )
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    万葉集その七百六 (棗:なつめ)

棗(なつめ)はペルシャからインド西北部にかけて原産するクロウメモドキ科の
落葉小高木で、古い時代に中国を経て渡来したと考えられています。
6月頃、淡黄色の小さな5弁の花を咲かせ、9月になると暗褐色、楕円体の
実を熟し食用とされます。

生で食べるより乾燥させた方が甘味が増し、菓子つくりに利用されたほか、
多くの漢方薬に配合され、利尿、強壮、鎮静に効ありとされている
有用の植物です。

なつめの語源は「夏芽」。
他の木々に遅れて初夏に芽をだすことによるそうな。

万葉集には2首、いずれも宴会の席上での戯れ歌です。

「 玉掃(たまばはき) 刈り来(こ) 鎌麻呂 むろの木と
     棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため 」 
                巻16-3830   長忌寸 意吉麻呂(ながのいむきの おきまろ)

( 鎌麻呂よ 箒にする玉掃を刈ってこい。
 むろの木と棗(なつめ)の木の根元を掃除するために )

「 玉掃 鎌、むろの木 棗(なつめ) 」を詠めといわれ、
 清掃を主題にまとめた宴席での歌。

「棗」は「そう」とも訓み「掃」と「早」(そう)を懸け
「掃除のために早く刈ってこい」の意。
さらに、「刈り」(カリ)、「来」(コ) 、鎌麻呂(カママロ) 
と「カ」行を重ねた機知ある一首です。

「玉箒」の現代名はコウヤボウキ。
キク科の落葉低木で、葉が落ちた後の枝を束ねて箒にし、ガラス玉の
飾りを付けたことからその名があります。
元々、蚕の床を払う用具とされていましたが、次第に華美になり装飾品に。

「むろの木」はヒノキ科ビャクシン属の針葉樹で「実が多くつく」
すなわち「実群(み むろ)」の意からその名があるといわれています。
葉は硬質。鋭く尖っていて、触ると痛いので、昔の人は鼠の通り穴に置いて
その出没を防いだことから「ネズミサシ」、「ネズ」の別名があり、
漢方ではその実を杜松子(としょうじつ)といい利尿、リュウマチに薬効ありと
されています。

さらに棗(なつめ)の枝にも棘があり、そのような歌を即座に思い浮かべることが
出来る作者は大変な才能の持主。
宴席の人気者だったことでしょう。

「 梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の
        後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く 」
                       巻16-3834  作者未詳

( 梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、
  時節が移っているのに、あの方に逢えません。
 でも、延び続ける葛の先のように、
 「後々にでも逢うことが出来ますよ」
 と葵(あふひ)の花が咲いています。 )

言葉遊びの戯れ歌。
宴会で梨、棗(なつめ)、黍(きび)、粟(あわ)、葛、葵を詠みこめと囃されたもの。

すべて食用とされる植物ばかりで
「 季節を経て果物や作物が次から次へと収穫の日を迎えているのに、
  長い間愛しい人に逢えないでいる。
  でも葛の蔓先が長く這うように、長い日を経た後でも、きっと逢えるよと
  葵(あふひ)の花が咲いています。」

つまり、「あふひ(葵)」を「逢う日」に掛けて見事な恋歌に仕立てたのです。
葵は古代「あふひ」とよばれ、他の食用の植物と共に詠われているので
「冬葵」(フユアオイ)とされています。

冬葵は中國原産、葵科の多年草で冬でも枯れないのでその名があり、
春から秋にかけて白や淡紅色の小花を次々と咲かせ若葉は食用に、
実は利尿に効ありとされています。

「 あぢきなし なげきなつめそ うきことに
           あひくる身をば  すてぬものから 」     兵衛  古今和歌集

( どうしょうもないことだから、
 そんなに思いつめて嘆かないように。
 辛いことを経験してきた我が身を捨てることなど出来ないのだから。)

「あぢきなし」: 無益だ 「なし」に「梨(なし)をかくす
「嘆(なげ)きなつめそ」:「なーそ」 禁止の意 「思いつめないように」
                「なつめ」に棗(なつめ)を隠す
「あひくる身(み)」: 「体験してきた我が身」
              あひ「くるみ」に「胡桃(くるみ)を隠す

梨、棗、胡桃を掛詞にまきこんだ高度な技巧の歌ですが
万葉歌と比べ難解。

 「 玉工(ぎょくこう)の みがきて細き 棗哉 」 松瀬 青々

抹茶を入れる茶器の「なつめ」は、形が棗の実に
似ていることによるそうです。
余談ながら札幌に鮨の名店「鮨棗」という店があります。
珍しい名前なので由来を調べてみましたら、店主の御祖母様の苗字「夏目」と
茶道具の棗に「おもてなし」の気持ちをこめて命名された由。

このほど高島屋日本橋新館オープンと共に出店。
近くに老舗「吉野鮨」があり、お江戸ど真ん中での競演が楽しみです。

 「 ほとほろと 棗(なつめ)こぼれて 忘れ得ぬ
               をさな むかしの(幼な昔の)  秋風の家 」 岡 稲里  


              万葉集706(棗:なつめ)  完


              次回の更新は10月19日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-10-11 11:44 | 植物

万葉集その七百五 (萩に寄せて)

( 萩の寺 白毫寺  奈良 )
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( 元興寺   奈良 )
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( ヤマハギ  白毫寺 )
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( シロハギ   同上 )
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万葉集その七百五(萩に寄せて)

今日、奈良の萩の名所といえば、平城京跡、飛鳥石舞台公園、
寺社なら白毫寺、新薬師寺、元興寺極楽房、唐招提寺などでしょうか。
なかでも平城京跡の広大な原野に薄とともに靡く萩、
白毫寺の山門に通じる石段の両脇からあふれ出るように群生する萩は
古から多くの人達を魅了してきました。

   「 萩散るや 石段粗き 白毫寺」   筆者

 その昔、平城京の時代、春日山に連なる高円山麓は萩の群生地。
野性の鹿も多数棲んでいて、夜になると妻よぶ鹿の声が響き渡り、
天皇をはじめ皇族は離宮や別宅を設けて行く秋を楽しんでいました。

 また萩は鑑賞用だけではなく、葉は乾燥させて茶葉に、実は食用、
根は婦人薬(めまい、のぼせ)、樹皮は縄、小枝は垣根、屋根葺き、箒、
筆(手に持つ部分)、さらに馬牛などの家畜の飼料など信じられない位
多岐にわたり利用され、家の庭にも植栽されて「わがやどの秋萩」などと
詠われています。

  「 冬枯れて 萩の筆買ふ 白毫寺 」  南浦小糸

 万葉集での萩は140余首、植物の中では人気の梅の120余首を
凌駕するトップ、梅は貴族層に多く詠まれたのに対し、萩は貴賤を問わず
幅広く詠われているのも生活に密着した植物であったからなのでしょう。

 また、萩が咲く時は女が男を誘う絶好のチャンスでもありました。

「 雁がねの 初声聞きて 咲き出たる
      やどの秋萩 見に来(こ)わが背子 」 
                         巻10-2267 作者未詳

( 雁の初声を聞いて待っておりましたとばかりに咲きはじめた
  我家の萩の見事なこと。
  あなた! ぜひ見に来て下さいな。)

雁到来はどちらかといえば、萩が散り始めの時期に詠われることが多いのですが
この女性の庭萩は雁の初声とともに咲き出したようです。
萩と雁、鹿、露、月は万葉人に好まれた取り合わせです。

「 秋萩の 咲き散る野辺(のへ)の 夕露に
         濡れつつ来ませ 夜は更けぬとも 」 
                           巻10-2252 作者未詳

( 秋萩が咲いては散りこぼれる野辺。
  その野の夕露に濡れながらも、お出でくださいませ。
  たとえ夜は更けていようとも。)

今すぐ来てほしいが、無理なら夜が更けてからでも来てほしい。

万葉人は共寝する時に互いの衣を掛け合って寝るので、
濡れることをひどく嫌っていました。

夕刻、待っても待っても訪れがない。
「あなた、衣が濡れていても気にしませんから、どうか来て」
との女の切なる願いです。

この歌は平安時代に好まれたのか、新古今和歌集に柿本人麻呂作として
掲載されています。
優雅な秀歌なので人麻呂が女の立場になって詠んだと
勝手に想像したのでしょうか。

「 藤原の 古りにし里の 秋萩は
      咲きて散りにき 君待ちかねて 」 
                      巻10-2289 作者未詳

( 藤原の古さびた里の秋萩は もう咲ききって散ってしまいましたよ。
 あなたのお越しを待ちあぐんで )

藤原の里は藤原京跡。
平城京遷都後埋め立てられ寂れに寂びれていました。
何らかの事情で、藤原の里に残った女性が都に移り住んだ男に
贈ったものですが、訪れを待つ気持ちがこもります。

「 秋萩の 枝もとををに 置く露の
      消(け)かもしなまし 恋ひつつあらずは 」 
                            巻10-2258 作者未詳

( 秋萩の枝が撓むばかりに置く露が、やがて消えるように
     私も消えうせてしまった方がましだ。
     こんなに恋焦がれ続けるなんて、苦しくて仕方がない)

露を「置く」と詠まれたものは花の最盛期、
「競う」は花芽が咲きかけの直前、
「負う」は露の重みを背負うの意で晩秋花を散らす時期

と極めて繊細な使い分けがなされており、日本人の感性の豊かさに驚かされます。

   「 白萩の 夕日にそまり 高らかに 」 山口青邨

「萩」の文献での初見は「播磨風土記」(713年頃)での「萩原里」。
その昔、神功皇后がこの地に滞在した時、一夜のうちに萩が一本生え出て
たちまち3mばかりになり、その後多くの萩が咲きだしたという
「地名伝説」とされています。

万葉集では「萩」の字はまだ見えず、「芽子」「芽」が当てられ、
「萩」が定着したのは平安時代から。

ハギの語源は「生芽」(ハエギ)が転じて「ハギ」になったといわれ、
根元から絶えず新しい芽が出て、折れたり切れたりしても
次々と芽吹く旺盛な生命力にあやかった命名だそうです。

但し、中国の「萩」はカワラヨモギ、ヒサギとされる別植物。
我国の秋草の代表格に「草冠に秋」がふさわしいとされたのか、
漢字の意味とは関係なく借字したしたものですが、萩は草ではなく低木。
従って秋の七草に加えるのは厳密に言えば誤りですが、まぁ、いいか。
何しろ1300年も続いているのですから。

  「 萩に遊ぶ 人黄昏(たそがれ)て 松に月 」  
                               凡董(きとう:江戸中期


     万葉集705 (萩に寄せて) 完


  次回の更新は10月12日 (金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-10-04 15:26 | 植物

万葉集その七百四 (秋の味覚)

( うま酒  大神神社 奈良 )
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( 桃 万葉人は毛桃とよんだ 石和温泉 山梨県笛吹市 )
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( 松茸  築地市場 )
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( 栗  山辺の道  奈良 )
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万葉集その七百四 (秋の味覚)

秋の味覚と言えば新米、松茸、桃、柿、栗、梨、林檎、葡萄、芋、秋刀魚。
さらに、秋の夜長には新酒も欠かせません。
万葉集では柿、林檎、葡萄、秋刀魚は登場していませんが、他は色々な形で
詠われています。

まずは稲の歌からまいりましょう。

「 荒城田(あらきだ)の 鹿猪田(ししだ)の稲を 倉に上げて
     あな ひねひねし 我が恋ふらくは 」  
             巻16-3848  忌部首黒麻呂(いむべの おびと くろまろ)

( 荒れた山地を開墾して作った田、
  鹿や猪が荒らす中で苦労しながら、やっと収穫した稲。
  その稲を税として倉に納めたのに、役人めが粗末にしおって
  干からびさせてしまった。
  それにしても、俺の恋も潤いがなく、味気ないものだなぁ。 )

     荒城田:新たに開墾した山地
     倉に上げて: 税として官倉に納める
     あな ひねひねし:あな:感動詞 
                 ひねひねし:干からびて生気がなくなった様子

「夢の中で友に贈った歌」と詞書がありますが、恋歌にかこつけて
お上に対する批判をこめた落首ともいうべきものです。

当時の貴族、官人は朝廷から土地を与えられ、自ら耕す者も
少なくありませんでした。
郊外が多かったようですが、この歌の作者は余程辺鄙なところを
割り与えられたのでしょう。

未開墾の山地、しかも鹿や猪が収穫物を荒らす。
やっとの思いで国に納めたのに、放置され、味も落ちていることだろう。
怒りが収まらない思いを恋歌に託したものと思われます。

「 新米も まだ草の実の 匂ひかな 」 蕪村

 新米が出来たら今度は酒の出番。

万葉の酒仙、大伴旅人は酒賛歌13首を声高らかに詠っており、
下記はそのうちの1首です。

「 言はむすべ 為(せ)むすべ知らず 極まりて
      貴(たふと)きものは 酒にしあるらし 」 
                           巻3-342 大伴旅人

     ( 言葉では言い表しようもない、どうしょうもなく
      この世で貴いものは酒であるらしいよ )

酒好きの人は多けれど旅人は別格。
酒壺になり、毎日酒びたりになりたいと詠い、酒を飲まぬやつは
猿みたいだと、けなすのです。

  「 それが好き あたため酒と いう言葉 」   高濱虚子

次ぎは万葉唯一の松茸。

「 高松の この峰も狭(せ)に 笠立てて
      満ち盛りたる 秋の香のよさ 」 
                      巻10-2233 作者未詳

( 高円山の峰も狭しとばかりに、まぁ見事に茸の傘が立ったことよ。
  眺めもさることながらこの香りの良さ。
  早く食べたいものだなぁ。)

高松は奈良の高円山(たかまどやま)。
全山に松が林立し足の踏み場のない程にびっしりと生い並ぶ松茸が、
今が盛りと かぐわしい芳香を放っている様子を詠ったもので、
今日では想像も出来ない光景です。

茸の歴史は古く縄文時代後期(4000年前)まで遡りますが、
ふんだんに採れた松茸は今や希少品、昭和初期に6000トンを超えていた
国産品の生産量は現在わずか37トンという惨状。

 「 松茸の 今日が底値と すすめられ  」 稲畑汀子

先日百貨店で見かけた大ぶりの国産松茸は1本5万円、とても手が出ませんなぁ。
     しからば栗を。

  「 瓜食めば 子ども思ほゆ 
    栗食めば まして偲はゆ 
    いずくより 来りしものぞ
    まなかひに もとなかかりて 
    安寐(やすい)し寝さぬ 」 
                          巻5-802 山上憶良

( 瓜を食べると子どものことが思われる。
      栗を食べるとそれにも増して偲ばれる。
      こんなに可愛い子どもというものは一体どういう宿縁でどこから我が子として
      生まれてきたものであろうか。 
      やたらに眼前にちらついて、安眠させてくれないよ )

           「まなかひ」:「眼の交(かひ)で眼前」 
            「もとな」(元無);わけもなくやたらに」

大宰府に単身赴任していた憶良の子を思う親心がひしひしと伝わってくる有名な長歌。
菓子類が少ない古代では栗やマクワ瓜は子供たちの好物だったことでしょう。
正倉院文書によると栗は一升(今日の四合)、約八文といわれ、米(五文)よりも高い贅沢品
だったようです。

栗は今から9000年前に我国で自生していたといわれ、青森県三内丸山遺跡から
出土したDNAの分析によると縄文時代には既に優良種を選択して栽培していたとも
推測されています。
古代から食料に供されたほか材は堅くて耐水性があるので建築、土木 枕木、造船、家具、
さらに椎茸のほだ木、薪炭など多方面に利用されてきた有用の植物です。

 「 初栗に山上の香も すこしほど 」  飯田蛇笏

次は芋。

稲作栽培以前、古代の人々が主食としていた里芋の原産地は
インドやインドシナ半島などの熱帯アジア地方といわれ、
我国に伝わったのは縄文時代と推定されています。

自然薯(じねんじょ)などのように山で採れるのではなく、家の菜園で栽培されたので
「山芋」に対して「里芋」と呼ばれ、「じゃがいも」や「サツマイモ」が伝わる
江戸時代まで「芋」と言えば里芋をさしていました。

このような大切な食物にも拘らず、万葉集に詠われているのは
次の一首のみです。

「 蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が
      家にあるものは 芋(うも)の葉にあらし 」
                      巻16-3826 長忌寸(ながのいみき)意吉麻呂 

( これが本物の蓮の葉なのですなぁ。なんと豪華なことよ! それに比べて
  わが家にあるのは、似ているようでもやっぱり里芋の葉ですわい。)

作者は愉快な歌、戯れ歌を即興的に詠むのを得意としていました。
宴席で大皿の代わりに蓮の大きな葉に盛られた豪華なご馳走を褒める気持も込めて
大げさに驚いてみせ、我家の小さな芋の葉を卑下してみせたものですが、
蓮と里芋の葉の形が似ているところにこの歌の面白みがあります。

古代、蓮の花は高貴な美女の象徴とされていました。
宴席には主人の妻妃などが接待に出ていたかもしれません。

もしそうだとすれば「イモ」は「妹」を連想させ「素晴らしい女性ばかりですね。
それに比べて我が家の妹(イモ)は野暮ったくて何とも見栄えがしないことです」と
落胆したふりをして満場をどっと沸かせたのでしょう。
奈良時代の貴族達の華やかな歓楽の一幕です。

  「 我が土に 天下の芋を 作りけり 」  高濱虚子

最後はデザートに桃を。


「 我がやどの 毛桃の下に 月夜(つくよ)さし
    下心(したごころ)よし うたてこのころ 」 
                           10-1889 作者未詳

( 我家の庭に月の光が射し込み、桃の実を美しく浮き上がらせています。
  なぜか何時もと違ってウキウキした気分。
  もう楽しくって楽しくって!)

この歌は比喩歌とされ「桃」は 大切に育てている娘 
「月夜さし」は「月水」すなわち娘の「初潮」、
「下心」は自分の心の奥、
「うたて」は「しきりに」で日常と異なる奇妙な心理状態をいいます。

「 大切に育ててきた娘が初潮を迎え、どうやら女性として一人前になったようだ
嬉しいやら 照れくさいやら。
さぁさぁ身内のものに報告をしなくっては 」

と母親が喜んではしゃいでいる歌なのです。
   
日本の桃は江戸時代まであまり美味くなかったらしく栽培されていたのは
もっぱら花の観賞用でした。
日本でおいしい桃が食べられるようになったのは明治7~8年頃
中国大陸から天津水密桃(北シナ系、先が尖っている) や 
上海水密桃(中シナ系、丸桃) が輸入され、
それらの桃に品質改良が加えられてからのこととされています。

世界に冠たる「白桃」は明治32年岡山県可真(かま)村の果樹園で
上海水密の系統をひいた桃が日本の気候に適応し突然変異(自然雑種)して
生まれたものとか。

  「 白桃を 洗ふ誕生の 子のごとく 」 大野林火

           桃は秋の季語とされています。

番外編

 池波正太郎氏はサンマがお好きだったらしく、
次のような一文を書いておられます。

「 初秋ともなれば、いよいよ秋刀魚の季節だ。
  毎日のように食べて飽きない。
  若いころは、どうもワタが食べられなかったものだが、
  いまは、みんな食べてしまう。

  むかしは安くて旨い。
  この魚が私たちの家の初秋の食膳には、一日置きに出たもので、
  夕暮れになって、子供だった私たちが遊びから帰ってくると、
  家々の路地には秋刀魚を焼く煙りがながれ、
  旨そうなにおいが路地に立ちこめている。 ― 」
                        池波正太郎 ( 味と映画の歳時記 )

そして、佐藤春夫の有名な秋刀魚の歌。

 「あはれ 秋かぜよ
  情(こころ)あらば 伝えてよ
  ― 男ありて
  今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
  さんまを食(くら)ひて
  思ひにふける と 。
 
  さんま さんま 
  そが上に 青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
  さんまを食うは その男のふる里のならひなり。
                      ―  ― 」   (秋刀魚の歌 佐藤春夫)

秋刀魚を味わう王道は塩焼きに大根おろし、スダチ添え。
次いで、蒲焼が旨い。
「蒲焼のたれにワタを隠し味に使うと一段と風味が増す。」とは
料理人、近藤文夫氏の弁です。

   「 秋刀魚焼く 煙の中の 妻を見に 」 山口誓子



     万葉集704(秋の味覚)完

    次回の更新は10月5日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-09-27 10:35 | 植物

万葉集その七百二 (山梨)

( 山梨 万葉人は花や実より黄葉を愛でた  奈良万葉植物園 )
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(  山梨の実は小ぶりで酸味あり   同上 )
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(  山梨の花   同上 )
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( 白い清楚な花は美女の代名詞   同上 )
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 万葉集その七百二 (山梨)

万葉集で詠われている「梨」は西日本以南に分布する落葉高木の「山梨」と
されています。
弥生時代、稲作とともに中国から渡来した我国最古の果物の一つで、
現在食されている「二十世紀」「長十郎」などの原種に近いものと
推定されていますが、実は小さく、酸味も強かったようです。

春、若葉開く頃、五弁の白い花が咲き、その美しさは古来、美女に形容されて
きました。
また梨は腸の働きを良くし、便秘解消、利尿作用、さらに腎臓病に効ありと
されており、693年、持統天皇は
「 桑、からむし(苧麻:ちょま)、梨、栗、青菜などの草木を植え、五穀の助けとせよ」

との詔を下し全国に栽培をすすめたとの記録(日本書紀)されている有用の植物です。

万葉集では4首、面白いことに梨の実や花ではなく葉の黄葉を
詠ったものばかりです。

 「 十月(かむなづき) しぐれの常か 我が背子が
     やどの黄葉(もみちば) 散りぬべく見ゆ 」 
                            巻19-4259 大伴家持

  ( 十月の時雨はこの時期の習いなのでしょうか。
    あなたさまの庭の梨の葉は色づき、またとなき美しさ。
    今にも散りそうに見えるくらいですが
    いつまでも、この景色を見ていたいものです。)

この歌の後書きに「時に当たりて梨の黄葉を見てこの歌を作る」とあり、
紀飯麻呂(きの いまろ)という官人宅での宴席で梨の黄葉の盛りを褒め、
主人を讃えた一首です。

「しぐれ」は紅葉を促し、かつ散ることを早めるものとされていました。
作者は盛りの梨の黄葉が雨に濡れて、今にも散りそうな様子に風趣を
感じたようです。
主人を褒めるのに「散る」という表現はそぐわないような気がしますが、
気楽な宴席だったからでしょうか。

 「 霜露の 寒き夕(ゆうへ)の秋風に
      もみちにけらし 妻梨の木は 」  
                   巻10-2189 作者未詳

( 露が置き、秋風もひとしお寒く感じられるこの夕べです。
    この寒さで妻なしという梨の木もどうやら色づいたようですね。)

    「妻梨」は「妻なし」で恋人もいない一人身。

夕べは男女の出会いの格別な時間帯。
そんな中でのわびしさは一入。
かわいそうな妻梨さんよと自嘲のからかいがこもる一首です。

    「 甲斐が嶺に 雲こそかかれ 梨の花 」  蕪村

昔、甲斐の国は山梨、八代、巨摩、都留4つの郡がありましたが、
明治4年11月、廃藩置県で「山梨県」になりました。

その地名由来はバラ科ナシ属の「ヤマナシ」という木が多く、
奈良時代、既に「山梨郡」がみられたことによるとされています。(通説)

その他、「なし」は「成す」の連用形「成し(~のある所の意味)」で
「山成し」を由来とする説や、反対に土地が平らで山が無かったことから、
「山無し」の意味とする説もありますが、この両説はピンときません。

   「 法隆寺の まへの梨畑 梨の実を
            ぬすみし若き  旅人なりき 」  若山牧水

我国は世界的な梨の生産国。
江戸時代には150以上の品種がつくられ、今や1000品種あるとか。
果皮の色から黄褐色の赤梨、淡黄緑色の青梨に大別され、赤梨系が主流。
その代表銘柄は幸水、豊水、新高、長十郎。 
青梨の代表格二十世紀。 
産地のベスト3は千葉、茨城、栃木県とされています。(2016年)

熟した果実を生食するほか、ジャムや果実酒の原料にも。

日本梨特有のシャリシャリとした歯触りは秋の味覚の醍醐味ですが、
欧米ではあまり好まれず砂のようだという意味で「サンド・ペア」と
よばれているそうな。

  「 梨むくや 甘き雫の 刃を垂るる 」  正岡子規




     万葉集702 (山梨)  完

     次回の更新は9月21日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-09-13 10:12 | 植物

万葉集その六百九十三 (山桑伝説)

 ( ヤマグワ   東京都薬用植物園 )
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(  ヤマグワの実   同上 )
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( 桑の花   同上 )
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( 桑の実 濃紫色になると食べごろ  同上 )
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   万葉集693(山桑伝説)

「 昔々 吉野に美稲(うましね)という男がいて、川に梁(やな)をかけて
  鮎をとる生活をしていた。
  ある日、川の上から当時、柘(つみ)とよばれていた山桑の枝が流れてきて
  その梁にかかったので取り上げて家に持ち帰ったところ、突然
  絶世の美女に変身した。

  美稲(うましね)は驚き、かつ喜び、契りを交わし妻にして、
  仲睦まじく暮らしていたが、この美女はもともと仙女であり、
  水の精の仮の姿であったので、やがて領巾布(ひれぬの)をまとって、
  常世の国に飛び立ち再び戻ってくることはなかった。
                                 ( 続日本後記、懐風藻)

奈良時代、このような伝説が広く知られていたらしく、万葉集では
この話をふまえた歌が3首残されています。
いずれも宴席で詠われたもので、まずは吉野川で仙女と出会い手を取りあって
山を越える場面を想像しています。

    「 霰(あられ)降り 吉志美(きしみ)が岳(たけ)を 険(さが)しみと
                      草とり放ち 妹が手を取る 」 
                                   巻3-385 作者未詳

( 霰が降ってきしむ、その吉志美の岳が険阻なので、
  私は手でつかんだ草を放して、いとしい子の手を取ったことだ。)

     「 霰降り」: 吉志美が岳の枕詞 
              霰の音が「かしましい」(やかましい)の類音
       
     「 吉志美(きしみ)が岳 」 : 吉野山中の一嶺と考えられるが所在不明

この歌は民謡として流布していたらしく、愛人と共に山に登るという設定は
歌垣などでよく詠われたようです。
仙女伝説とは関係がないように思われますが、宴席でまず美女と
手を取り合っての道行きを演出したのではないかと思われます。

「この夕(ゆうへ) 柘(つみ)のさ枝 流れ来(こ)ば
       梁(やな)は打たずて 取らずかもあらむ 」
                         巻3-386 作者未詳

( 今宵、もし、柘の枝が流れてきたならば、簗は仕掛けていないので
  枝を取らずじまいになるのではなかろうか。)

宴は夕暮れ時の川のほとりで催され、味稲(うましね)が梁を仕掛けた
伝説をふまえて詠ったもの。
今は梁がないので美女を手に入れることが出来ないのが残念だ
との意がこもります。

「 いにしへに 梁打つ人の なかりせば
    ここにもあらまし  柘(つみ)の枝はも 」 
                    巻3-387 若宮年魚麻呂(わかみやの あゆまろ )

( 遠い遠いずっと昔、この川辺で梁を仕掛けたという味稲(うましね)という
      男がいなかったら、ひよっとして柘(つみ)の枝は今もここにあるかも しれないな。
      なんとかあやかりたいものだ。)

「 あぁ、昔の味稲が羨ましい。
  俺たちもこのような幸運に恵まれないものかな。」

と笑いながら盃を重ねて談笑する男達です。

竹取物語と似たこの話は「柘枝伝」(しゃしでん)ともいわれていますが、
まとまった物語としては今日伝わっておりません。

ただ、日本書紀や懐風藻に同類の話が部分的に載っているので、
この話を知っていた人が「こんな昔話もあったようだ」
と宴席を盛り上げるために披露したものと思われます。

簗(やな)とは今日でも鮎漁に用いられている魚を捕るための仕掛けで、
木を打ち並べて水を堰(せ)き止め、一箇所に流れるようにして流れてくる魚を
簗簀(やなす)に落とし入れるもの。

    「 桑やりて 蚕棚は 青くなりてゆく 」 山口青邨

万葉集での柘(つみ)すなわち「山桑」は在来種。
桑とよばれるものは「マグワ」で中国渡来の外来種。

また、桑(くわ)の語源は蚕が食べる葉すなわち食葉(くわ)あるいは
蚕葉(くは)が訛ったものと考えられています。

5世紀中ごろ、雄略天皇が后妃に養蚕を勧め、諸国に桑を植えさせて以来、
養蚕は女性の最も大事な仕事の一つとされました。
この伝統は現在の皇室、皇后陛下にまで受け継がれております。

 「 生あたたかき 桑の実はむと 桑畑に
                幼き頃は よく遊びけり 」    佐藤佐太郎 
                            
               はむと:食むと

初夏になると小粒のイチゴの様な実がなり、濃紫色に熟すると食べごろ。
養蚕盛んなりし頃は至るところで桑の木が植えられていたので
あの甘酸っぱい味を覚えておられる方も多いことでしょう。

    「 黒くまた赤し 桑の実 なつかしき 」  高野素十


            万葉集693 (山桑伝説)完


            次回の更新は7月20(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-07-12 08:27 | 植物

万葉集その六百九十一 (末摘花)

( 末摘花は紅花の別名。 花の先端を摘むのでその名がある。 )
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(  染料や口紅の原料になるが、絹2反染めるのに紅花12kg必要とされる超高級品 )
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( 最初は黄色 だんだん赤くなります。 種から油をとり、葉は漢方薬に )
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( 黄の色素は水に流れるのでこの性質を利用して紅の原料を取り出す、)
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万葉集その六百九十一 (末摘花)

「末摘花(すえつむはな)」は「紅花」の別名で、開いた花の先端だけを
摘み取って染料や口紅の原料にすることからその名があります。

1991年、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から
大量の紅花の花粉が発見され、綿密な調査分析の結果、3世紀中頃には
加工技術を携えてきた渡来人がこの地域で染物や化粧品などの生産を
していたことが判明しました。

魏志倭人伝に記載されている卑弥呼が魏の皇帝に献じた赤色の織物は、
これらの紅花が使われた可能性もあるとされています。

古代の王朝人にとって紅は紫と共に最高の色。
紫は高貴、紅は情熱。
男達を魅了した恋の色でした。

万葉集では26首が紅(くれない)、1首が末摘花と詠われています。

「  紅の裾引く道を 中に置きて
      我れか通はむ 君が来まさむ 」 
                       巻11-2655 作者未詳

( 紅の裳裾を引いて歩きなれた道。
 こんな道が真中で二人の間を少し隔てているだけなのに、
 ちっとも会えない。
 いっそのこと、私の方からあなたのもとへ行きましょうか。
 それとも、あなた様からお出でくださいますか。)

男から女のもとに通うのが習いの時代。
すぐ近くに住んでいるのに一向に訪れてこない男。

毎日毎日、今か今かと待ち続けるも、とうとう我慢が出来なくなって、
自分の方から押しかけようかと催促しています。
でもこれはルール違反。
ちょっと脅迫めいた詠いぶりです。
そんな女に嫌気がさして男は心変わりしたのかもしれません。

「 紅に 深く染(しみ)にし 心かも
    奈良の都に 年の経(へ)ぬべき 」 
                        巻6-1044  作者未詳

( 紅に色深く染まるように深く馴染んだ気持のままで、私は奈良の都で
   これからの年月を過ごせるのであろうか、)

740年10月の終わり、伊勢に向かった聖武天皇が12月15日に突然
恭仁京遷都を決め、造都を急ぐため5位以上の官吏をすべて新宮に移住させました。

この歌は奈良に残された老人が詠ったものと思われ、荒れるに任せている都の
惨状を眺めながら、華やかだった頃を懐かしみ、これから先、愛情を持ち続けて
住み続けることが出来るだろうかと嘆いています。
老人の瞼には都の建物の赤い柱や行き交う乙女の紅の衣が
目に浮かんでいたのでしょう。

「 黒牛の海 紅にほふ ももしきの
         大宮人し あさりすらしも 」
                   巻7-1218 藤原卿

( 黒牛の海が紅に照り映えている。
 大宮に仕える女官たちが、浜辺で砂(すなど)りしているらしい。)

作者の藤原卿は不比等、武智麻呂、房前、宇合、麻呂のうちの誰か。
房前が有力視されています。

701年持統太政天皇、文武天皇が紀伊の国、牟婁(むろ)の湯に行幸された折の
歌かもしれません。

黒牛は和歌山県海南市黒江、船尾あたり。
黒と紅を対比させたもの。

女官たちが赤い裳裾(ロングスカート)をたくし上げ、白い素足を出しながら
砂浜で浅利などを獲っている。
マリンブルーの美しい海と白い真砂。
明るい笑い声が響きわたり、絵画のような情景です。

「 外(よそ)のみに 見つつ恋ひなむ 紅の
      末摘花(すえつむはな)の 色に出でずとも 」 
                          巻10-1993 作者未詳

( たとえあの方が 色鮮やかな末摘花のようにはっきりと私のことを好きだと
    素振りに見せて下さらなくともいいのです。
    私は遠くからそっとお慕いしているだけで。 )

万葉集唯一の「末摘花」。
この言葉は古今和歌集に本歌取りされ、源氏物語の主要登場人物の名前「末摘花」
として採られ、そして現在に至るまで夏の季語として使い続けられている。
名もない万葉人の恐るべき造語力です。

「 人知れず 思へば苦し くれなゐの
      末摘花の 色に出でなむ 」 
                    よみ人しらず 古今和歌集

( あの人に知られないままに こっそりと想っているので苦しいことです。
  いっそのこと、あの鮮やかな紅の末摘花のように はっきりと態度に
  出してしまおうか。)

前記の万葉歌(10-1993)を本歌取りしたもの。
こちらは秘めたる恋は苦しいので、いっそのこと相手に告白しようか
と詠っています。

「 なつかしき 色ともなしに 何にこの
           末摘花を袖に ふれけむ 」 
                         源氏物語(末摘花)

( それほど心惹かれたわけでもなかったのに
 なぜ末摘花のような赤い鼻の姫と寝てしまったのか。)

美女が多い源氏物語の中で異色の姫君が登場。
この歌の背景をざっと述べると、


「 光源氏は心惹かれていた優しくしとやかな夕顔を失い思い悩んでいる。

  その頃、故常陸宮の姫が父君亡きあと、荒れゆく館に一人寂しく
  暮らしながら、時折琴をかき鳴らして過ごしていることを耳にする。

  源氏は心を動かされて仕えている命婦に、その琴を聞きたいと手引きを頼む。
  ところが、源氏の親友、頭中将(とうのちゅうじょう)もこの姫に
  心をかけていて、二人競り合っていた。

  源氏はしばしば姫のもとに文を送るが、引っ込み思案の姫からは
  何の返事もなし。
  ある夜、源氏は何としても姫の琴を聞きたいと強引に召使に案内させ、
  とうとう姫の部屋に入り込む。

  暗い夜、灯りもなく容姿は分からないが静かで鷹揚、少し頼りなさそうな
  姫様のようだ。

  そのような様子を奥ゆかしく好ましいと思った源氏は後日再度訪問し、
  遂に共に一夜を過ごす。
  しかしながら、その時も部屋は薄暗く顔かたちははっきり分からない。

  そしてある雪の日、偶然にも姫の顔を見た。 」

俵万智さんの表現を借りると (愛する源氏物語 文芸春秋社より)

「 座高が高くて猫背、鼻は象のように長く、その鼻の先が垂れて赤く
  色づいている。
  髪だけは豊かで美しいが、青ざめた肌に、やけに広い額。
  長い顎、骨ばった肩、身に付けているものも、古臭く
  薄汚く、仰々しい。
  気力をふりしぼって話しかけると、儀式を行う役人のような仕草で
  口もとを押さえ、恥ずかしがる。
  その上、無理な笑顔がニターッと・・・。

  原文は、これより詳しく、まったく容赦のない描きぶりで
  同じ女性として、読んでいて辛くなるような場面である。」

それでも光源氏は、この姫をあとあとまで面倒を見たのですから
立派なものです。

「 百姓の 娘顔よし 紅藍(べに)の花 」 高濱虚子

紅花の栽培地は山形県の月山の麓や最上川のほとりがよく知られていますが、
出羽最上が産地として台頭するのは江戸時代からで、
昔は伊勢、武蔵、上総、下総、大和など二十四か国が税として
納めていました。

6月中旬ころ、飛鳥を一望できる甘樫の丘の西側や石舞台古墳の北側の
丘陵地に咲く数千本の紅花群の中に立つと、遥か昔、卑弥呼が中国に
送った紅染めの衣や飛鳥高松塚古墳壁画の女性の赤色鮮やかな唇が
目に浮かび、遥か遠くの夢の世界に誘(いざな)ってくれます。

  「 わが恋は 末摘花の 莟(つぼみ)かな 」 正岡子規



  万葉集691 (末摘花)完


次回の更新は 7月6日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-28 17:02 | 植物

万葉集その六百九十 (麦の歌)

( オオムギ  奈良万葉植物園 )
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(  コムギ     同上 )
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(  ライムギ  東京都薬用植物園 )
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(  映画 麦秋ポスター  )
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  万葉集その六百九十 (麦の歌)

麦は古代の主要な穀物のひとつで大別して大麦と小麦に分けられます。
大麦の原種はアフガニスタンから西アジア一帯の山岳地に野生する
二条種、穂に粒が二列に並んでいるものとされ、他に進化した六条種も。

我国には3~4世紀に朝鮮からの移民と共に伝来し、
主に醤油、味噌、麦酒、飴などの原料や家畜の飼料に用いられ、
その後色々な品種改良がなされてきました。

 小麦の主要種であるパンコムギの原産地は、西アジアのカピス海南岸を
中心とする地域とされ、4~5世紀に中国北部から朝鮮を経て北九州に。
主にパン、うどん、麺、菓子の原料として広く用いられています。
 
723年、朝廷は飢饉に備えて麦などの雑穀の栽培を奨励する太政官府を
発布しており、オオムギはそのまま粒食し、コムギは主として粉にして、
餅(団子)や煎餅に加工されたようです。

万葉集では3首、それも恋の歌です。

「 馬柵(うませ)越し 麦食む駒の はつはつに
      新肌(にひはだ)触れし 子ろし愛(かな)しも 」 
                      巻14-3537(或る本)   作者未詳

(  柵ごしに麦を食む馬は柵に妨げられて、ほんの少しづつしか食べられない。
  そのように、俺はあの子の新肌に、ほんの少し触れただけ。
  あぁ、あの子が可愛くて、いとおしくてたまらないよ。)

「馬柵越し」:柵を隔てて麦を食う馬の動作、馬は穂の出る前の青麦を好む。

「はつはつに」:「はつかに」から現在の「僅かに」に変わった言葉。

 かわいいあの子の新肌に、ただ一度ほんの少しだけ触れた。
 恥ずかしがっていたあの姿、思い出すたびに益々可愛くなる。
 あぁ、ほんのちょっとでは満足できない。
 心ゆくまで抱きしめてやりたいよ。

馬の比喩が新鮮。情景が目に浮かぶような1首です。

「 馬柵(うませ)越しに 麦食(は)む 駒の 罵(の)らゆれど
       なほし恋しく 思ひかねつも 」 
                         巻12-3096 作者未詳

( 馬柵越しに麦を食べている馬が怒られているように
私も母親から、あの人に会うなと怒鳴りつけられてしまった。
でも、やっぱり恋しくて恋しくて--。
そう簡単に忘れられないわ。 )

好きな男に こっそり逢っているところを母親に見つかり
「もう逢うな」と怒鳴りつけられた。
でも、私は好きなのよ、忘れるなんて無理、無理 。

前掲載14-3537(男歌)の続きと見ると面白い。(巻は離れているが)

 「 初夏の雲の なかなる山の国
       甲斐の畑に 麦刈る子等よ 」  若山牧水

 「 麦刈りや 娘二人の 女わざ 」  村上鬼城

麦収穫の時期を麦秋といい6月一杯。
そうそう、往年の大女優、原節子主演の「麦秋」という映画もありました。
     ( 1951年 小津安二郎監督 )

この時期は蛍飛ぶ季節。
夜空を美しく彩ります。

 「 夜半の風 麦の穂だちに 音信(おとづれ)て
       蛍とふべく 野はなりにけり 」     香川景樹

近代で麦が食料として大活躍したのは先の大戦後。
米が不足するなか50%麦入りの飯,時には80%の麦飯。
真っ黒な弁当におかずは梅干し1つということもありました。

白米は勿論、麦すら食べられない人はさつま芋汁(すいとん)や、
麦粉を焼いてお湯に溶かした焼きこがし。
この匂いはなかなか芳しく、今でも懐かしく思い出されます。

 「 むせるなと 麦の粉くれぬ 男の童 」 召波

それでも何とか健康を維持出来、パンやミルクの配給が始まると、
食糧事情は徐々に好転、餓死する人は少なかったよう。

今や「麦とろ」や「麦入り、雑穀入り飯」は健康食に。
昭和は遠くなりにけりです。

「 麦飯に 瘦せもせぬなり 古男 」   村上鬼城

高度成長期になると、少年少女たちは
     
「 二人が会うのは麦畑 
  仕事の休みに話します
  空には ま白な雲が行く
  二人は楽しい恋人です 」  (スコットランド民謡)

という歌を学校で習い、中年のおじさんたちは

 「 麦笛や 四十の恋の 合図吹く 」  高濱虚子

のでした。


       万葉集690(麦の歌)完



   次回の更新は6月29日(金)の予定です。

                    
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by uqrx74fd | 2018-06-21 16:29 | 植物

万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

( 橘の花  山の辺の道  奈良 )
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( 紫草  東京都薬用植物園 )
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( ニワトコ: 古代名 山たづ  東大小石川植物園 )
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( エゴの木  古代名 山ぢさ   同上 )
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( シロバナヤエウツギ  古代名 卯の花  同上 )
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  万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

藤、躑躅、牡丹、芍薬が過ぎ、今は花菖蒲、紫陽花、紅花、薔薇の季節。
山百合の蕾もふくらんできました。
野山を色とりどりに染める中、白い花々がひっそりと咲いているのも心洗われ、
清々しい気持ちにさせてくれます。

「 わがやどの 花橘を ほととぎす 
        来鳴き響(とよ)めて 本(もと)に散らしつ 」 
                                 巻8-1493  大伴村上

( 我家の庭の橘の花、美しく咲くその花を
     ホトトギスがやってきて鳴きたて、根元に散らしてしまった。)

作者は家持と古くから交流があったようですが、一族の系統は未詳。

橘は近畿地方以西の暖かい海岸線に近い山地に生育するミカン科の常緑高木で、
古くは蜜柑類の総称とされていました。
6月頃、5弁の白い花を咲かせ、秋には黄色の美しい実を付けますが、
古代の橘は我国固有のニホンタチバナと推定され、酸味が強くて食べられなかったので、
もっぱら観賞用として植栽されていたようです。

白い花、黄金色の実、常緑の葉。
橘は永遠の繁栄を人の世にもたらすものとして珍重され
「常世花」(とこよばな)ともよばれていました。

   「 駿河路や 花橘も 茶の匂ひ 」  芭蕉

次は根が赤く紫色の染料になるのでその名がある紫、
花は小さな小さな白色です。

「 韓人(からひと)の 衣(ころも)染むとふ 紫の
                  心に染みて 思ほゆるかも 」 
                   巻4-569 麻田陽春(あさだ やす)


( 韓人が衣を染めるという紫の色が染みつくように
 紫の衣を召されたお姿が私の心に染みついて
 あなた様のことばかり思われてなりません。)

730年、大宰府長官、大伴旅人が大納言に任ぜられ都に栄転することに
なった折の送別の宴での1首。
作者は旅人が高貴な身分に許される紫染めの衣を着用していたので、昇進のお祝いと
尊敬をこめて詠ったものと思われます。

紫草はムラサキ科の多年草で日当たりのよい草地に自生し、
初夏に五弁の白い花を咲かせます。
根が赤紫色をしているのでその名がありますが、古代から紫染めの重要な染料とされ
また乾燥させて皮膚病、解熱、火傷、などの薬用にも用いられていました。

古代の人の憧れであった紫草の栽培は19世紀中頃、石炭の副産物コールタールの
成分から誕生した化学染料の普及により急速に衰退し今や絶滅の危機に瀕しています。

次は「ニワトコ」(古代名 山たず)

ニワトコはスイカズラ科の落葉低木で、まだ寒さ厳しい2月、
多くの木々が冬籠りをしている最中(さなか)に緑も鮮やかな新芽を出し、
「もうそろそろ春だよ」と告げてくれる目出度い木です。
本州、四国、九州の山野に自生し、早春、暖かくなるとブロッコリーのような
蕾から淡いクリーム色の五弁の小花を房状に咲かせ、夏から秋にかけて
美しい赤色の球形の実をつけます。

「 君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山たづの
     迎へを行(ゆ)かむ 待つには待たじ 」 
                            巻2-90 衣通王(そとほりの おほきみ)

( 恋しいあの方との別離以来、随分長い日にちが経ちました。
  もうこれ以上待てません。 
  今すぐにでもお迎えに上がりたいのです。)

この歌の題詞に
「古事記に曰く軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に姧(たは)く。
この故にその太子を伊予の湯に流す。
この時に衣通王(そとほりのおほきみ)恋慕(しのひ)に堪(あ)へずして
追ひ往(ゆ)く時に、歌ひて曰く」  とあります。

軽太子は 第19代允恭天皇の皇子 木梨軽皇子
軽太郎女(かるの おおいらつめ)は 皇子の同母妹で体が光り輝き
衣を通すほど美しかったので衣通王(そとほりのおほきみ)ともよばれていました。

その二人が「同母兄妹の結婚は厳禁」という掟を破ったので皇子は伊予に
流されたのです。
流罪が何時解けるか分からない皇子。
禁忌の恋といえども燃えさかった炎は簡単に消えそうにありません。
衣通姫はついに伊予まで行き皇子に逢おうとしているようです。

逢ったところでまた引き離されるだけなのに- -。

せめて異母兄妹であったなら許されもしたことでしょう。
このような悲恋が起きたのは兄妹別々に育てられたせいかも知れません。

なお、この歌は古事記、日本書紀の話を形を変えて転載されたもの。

「ニワトコ」という名前の由来は古事記の
「山たづといふは、今の造木(みやっこぎ)をいふ」の記述に由来し、
「ミヤッコギ」が「ミヤッコ」→「ミヤトコ」→「ニヤトコ」→「ニワトコ」に
転訛したものと推定されています。

  「 えごの花 一点白し  流れゆく 」 山口青邨

次はエゴの木、果皮にエグ味があるのでその名があり、
   古代「チサ」とよばれていました。

「 息の緒に 思へる我れを 山ぢさの
    花にか君が うつろひぬらむ 」 
                        巻7-1360 作者未詳

( 命がけで思っている私なのに あなたは山ぢさの花のよう。
  もう気持が変わったの? )

エゴノキの花は美しい純白。
然しながら盛りは短く、すぐに茶色に変色して萎んでしまう。
花のうつろいやすさにかけて男の心変わりを嘆いている可憐な乙女です。

「息の緒」とは、「苦しさのあまり死を思う状況の中で、僅かな生を意識した時に
用いられ、命の極限状態をあらわす言葉(伊藤博)」です。

「エゴノキ」は小川のほとりなどに多く自生しているエゴノキ科の落葉高木。
初夏になると小枝の先に5弁の白い花が塊になって下向きに咲き、花後、
ラグビーボールのような形をした小さい緑色の果実が無数に実り、熟すと
果皮がさけて褐色の堅い卵形の種子が落下します。

昔はその種から油をとり洗濯に使っていたので石鹸の木とも。
実が固く、遺跡が発掘されると良く出てくるそうです。
この果実や葉をすりつぶして採った樹液を川に流して
魚を獲る方法があり(現在は禁止)魚がふらふらになって浮かんでくるそうな。

最後に「夏は来ぬ」と歌われている卯の花。

「 卯の花の 咲く月立ちぬ ほととぎす
     来鳴き響(とよ)めよ  ふふみたりとも 」 
                            巻18-4066 大伴家持

( 卯の花咲く4月がついに来た。
     ホトトギスよ来て鳴きたてておくれ。
     花はまだ蕾のままであろうとも。)

月立ちぬ : 卯の花が咲く月がやってきた 
         ここでの4月は旧暦、現在の5月中旬
ふふみたりとも:「含む(ふふむ)」蕾のままの意

北は北海道か南は九州まで自生する卯の花。
今は空木(ウツギ)とよばれている落葉低木です。
木の中が空洞であるためその名があるといわれていますが、
材質が固いので古くから木釘や杖、槌などに加工されました。

折口信夫氏は
「 この花はその年の稲の豊凶を占う花で、山野に長く咲く年は豊作、
  長雨続きで花が少ないか、あるいは早く散るときは凶作と信じられた」(花と民俗)

と述べておられますが、卯の花の蕾が米に似ているからなのでしょうか。

「 卯の花の 匂う垣根に   
  ほととぎす 早も来鳴きて
  忍音もらす  夏は来ぬ    」  

                 「 夏は来ぬ より 佐々木信綱作詞 小山作之助作曲」



     万葉集688(夏の白い花) 完


     次回の更新は6月15日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-07 16:49 | 植物