カテゴリ:植物( 220 )

万葉集その六百九十三 (山桑伝説)

 ( ヤマグワ   東京都薬用植物園 )
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(  ヤマグワの実   同上 )
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( 桑の花   同上 )
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( 桑の実 濃紫色になると食べごろ  同上 )
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   万葉集693(山桑伝説)

「 昔々 吉野に美稲(うましね)という男がいて、川に梁(やな)をかけて
  鮎をとる生活をしていた。
  ある日、川の上から当時、柘(つみ)とよばれていた山桑の枝が流れてきて
  その梁にかかったので取り上げて家に持ち帰ったところ、突然
  絶世の美女に変身した。

  美稲(うましね)は驚き、かつ喜び、契りを交わし妻にして、
  仲睦まじく暮らしていたが、この美女はもともと仙女であり、
  水の精の仮の姿であったので、やがて領巾布(ひれぬの)をまとって、
  常世の国に飛び立ち再び戻ってくることはなかった。
                                 ( 続日本後記、懐風藻)

奈良時代、このような伝説が広く知られていたらしく、万葉集では
この話をふまえた歌が3首残されています。
いずれも宴席で詠われたもので、まずは吉野川で仙女と出会い手を取りあって
山を越える場面を想像しています。

    「 霰(あられ)降り 吉志美(きしみ)が岳(たけ)を 険(さが)しみと
                      草とり放ち 妹が手を取る 」 
                                   巻3-385 作者未詳

( 霰が降ってきしむ、その吉志美の岳が険阻なので、
  私は手でつかんだ草を放して、いとしい子の手を取ったことだ。)

     「 霰降り」: 吉志美が岳の枕詞 
              霰の音が「かしましい」(やかましい)の類音
       
     「 吉志美(きしみ)が岳 」 : 吉野山中の一嶺と考えられるが所在不明

この歌は民謡として流布していたらしく、愛人と共に山に登るという設定は
歌垣などでよく詠われたようです。
仙女伝説とは関係がないように思われますが、宴席でまず美女と
手を取り合っての道行きを演出したのではないかと思われます。

「この夕(ゆうへ) 柘(つみ)のさ枝 流れ来(こ)ば
       梁(やな)は打たずて 取らずかもあらむ 」
                         巻3-386 作者未詳

( 今宵、もし、柘の枝が流れてきたならば、簗は仕掛けていないので
  枝を取らずじまいになるのではなかろうか。)

宴は夕暮れ時の川のほとりで催され、味稲(うましね)が梁を仕掛けた
伝説をふまえて詠ったもの。
今は梁がないので美女を手に入れることが出来ないのが残念だ
との意がこもります。

「 いにしへに 梁打つ人の なかりせば
    ここにもあらまし  柘(つみ)の枝はも 」 
                    巻3-387 若宮年魚麻呂(わかみやの あゆまろ )

( 遠い遠いずっと昔、この川辺で梁を仕掛けたという味稲(うましね)という
      男がいなかったら、ひよっとして柘(つみ)の枝は今もここにあるかも しれないな。
      なんとかあやかりたいものだ。)

「 あぁ、昔の味稲が羨ましい。
  俺たちもこのような幸運に恵まれないものかな。」

と笑いながら盃を重ねて談笑する男達です。

竹取物語と似たこの話は「柘枝伝」(しゃしでん)ともいわれていますが、
まとまった物語としては今日伝わっておりません。

ただ、日本書紀や懐風藻に同類の話が部分的に載っているので、
この話を知っていた人が「こんな昔話もあったようだ」
と宴席を盛り上げるために披露したものと思われます。

簗(やな)とは今日でも鮎漁に用いられている魚を捕るための仕掛けで、
木を打ち並べて水を堰(せ)き止め、一箇所に流れるようにして流れてくる魚を
簗簀(やなす)に落とし入れるもの。

    「 桑やりて 蚕棚は 青くなりてゆく 」 山口青邨

万葉集での柘(つみ)すなわち「山桑」は在来種。
桑とよばれるものは「マグワ」で中国渡来の外来種。

また、桑(くわ)の語源は蚕が食べる葉すなわち食葉(くわ)あるいは
蚕葉(くは)が訛ったものと考えられています。

5世紀中ごろ、雄略天皇が后妃に養蚕を勧め、諸国に桑を植えさせて以来、
養蚕は女性の最も大事な仕事の一つとされました。
この伝統は現在の皇室、皇后陛下にまで受け継がれております。

 「 生あたたかき 桑の実はむと 桑畑に
                幼き頃は よく遊びけり 」    佐藤佐太郎 
                            
               はむと:食むと

初夏になると小粒のイチゴの様な実がなり、濃紫色に熟すると食べごろ。
養蚕盛んなりし頃は至るところで桑の木が植えられていたので
あの甘酸っぱい味を覚えておられる方も多いことでしょう。

    「 黒くまた赤し 桑の実 なつかしき 」  高野素十


            万葉集693 (山桑伝説)完


            次回の更新は7月20(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-07-12 08:27 | 植物

万葉集その六百九十一 (末摘花)

( 末摘花は紅花の別名。 花の先端を摘むのでその名がある。 )
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(  染料や口紅の原料になるが、絹2反染めるのに紅花12kg必要とされる超高級品 )
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( 最初は黄色 だんだん赤くなります。 種から油をとり、葉は漢方薬に )
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( 黄の色素は水に流れるのでこの性質を利用して紅の原料を取り出す、)
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万葉集その六百九十一 (末摘花)

「末摘花(すえつむはな)」は「紅花」の別名で、開いた花の先端だけを
摘み取って染料や口紅の原料にすることからその名があります。

1991年、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から
大量の紅花の花粉が発見され、綿密な調査分析の結果、3世紀中頃には
加工技術を携えてきた渡来人がこの地域で染物や化粧品などの生産を
していたことが判明しました。

魏志倭人伝に記載されている卑弥呼が魏の皇帝に献じた赤色の織物は、
これらの紅花が使われた可能性もあるとされています。

古代の王朝人にとって紅は紫と共に最高の色。
紫は高貴、紅は情熱。
男達を魅了した恋の色でした。

万葉集では26首が紅(くれない)、1首が末摘花と詠われています。

「  紅の裾引く道を 中に置きて
      我れか通はむ 君が来まさむ 」 
                       巻11-2655 作者未詳

( 紅の裳裾を引いて歩きなれた道。
 こんな道が真中で二人の間を少し隔てているだけなのに、
 ちっとも会えない。
 いっそのこと、私の方からあなたのもとへ行きましょうか。
 それとも、あなた様からお出でくださいますか。)

男から女のもとに通うのが習いの時代。
すぐ近くに住んでいるのに一向に訪れてこない男。

毎日毎日、今か今かと待ち続けるも、とうとう我慢が出来なくなって、
自分の方から押しかけようかと催促しています。
でもこれはルール違反。
ちょっと脅迫めいた詠いぶりです。
そんな女に嫌気がさして男は心変わりしたのかもしれません。

「 紅に 深く染(しみ)にし 心かも
    奈良の都に 年の経(へ)ぬべき 」 
                        巻6-1044  作者未詳

( 紅に色深く染まるように深く馴染んだ気持のままで、私は奈良の都で
   これからの年月を過ごせるのであろうか、)

740年10月の終わり、伊勢に向かった聖武天皇が12月15日に突然
恭仁京遷都を決め、造都を急ぐため5位以上の官吏をすべて新宮に移住させました。

この歌は奈良に残された老人が詠ったものと思われ、荒れるに任せている都の
惨状を眺めながら、華やかだった頃を懐かしみ、これから先、愛情を持ち続けて
住み続けることが出来るだろうかと嘆いています。
老人の瞼には都の建物の赤い柱や行き交う乙女の紅の衣が
目に浮かんでいたのでしょう。

「 黒牛の海 紅にほふ ももしきの
         大宮人し あさりすらしも 」
                   巻7-1218 藤原卿

( 黒牛の海が紅に照り映えている。
 大宮に仕える女官たちが、浜辺で砂(すなど)りしているらしい。)

作者の藤原卿は不比等、武智麻呂、房前、宇合、麻呂のうちの誰か。
房前が有力視されています。

701年持統太政天皇、文武天皇が紀伊の国、牟婁(むろ)の湯に行幸された折の
歌かもしれません。

黒牛は和歌山県海南市黒江、船尾あたり。
黒と紅を対比させたもの。

女官たちが赤い裳裾(ロングスカート)をたくし上げ、白い素足を出しながら
砂浜で浅利などを獲っている。
マリンブルーの美しい海と白い真砂。
明るい笑い声が響きわたり、絵画のような情景です。

「 外(よそ)のみに 見つつ恋ひなむ 紅の
      末摘花(すえつむはな)の 色に出でずとも 」 
                          巻10-1993 作者未詳

( たとえあの方が 色鮮やかな末摘花のようにはっきりと私のことを好きだと
    素振りに見せて下さらなくともいいのです。
    私は遠くからそっとお慕いしているだけで。 )

万葉集唯一の「末摘花」。
この言葉は古今和歌集に本歌取りされ、源氏物語の主要登場人物の名前「末摘花」
として採られ、そして現在に至るまで夏の季語として使い続けられている。
名もない万葉人の恐るべき造語力です。

「 人知れず 思へば苦し くれなゐの
      末摘花の 色に出でなむ 」 
                    よみ人しらず 古今和歌集

( あの人に知られないままに こっそりと想っているので苦しいことです。
  いっそのこと、あの鮮やかな紅の末摘花のように はっきりと態度に
  出してしまおうか。)

前記の万葉歌(10-1993)を本歌取りしたもの。
こちらは秘めたる恋は苦しいので、いっそのこと相手に告白しようか
と詠っています。

「 なつかしき 色ともなしに 何にこの
           末摘花を袖に ふれけむ 」 
                         源氏物語(末摘花)

( それほど心惹かれたわけでもなかったのに
 なぜ末摘花のような赤い鼻の姫と寝てしまったのか。)

美女が多い源氏物語の中で異色の姫君が登場。
この歌の背景をざっと述べると、


「 光源氏は心惹かれていた優しくしとやかな夕顔を失い思い悩んでいる。

  その頃、故常陸宮の姫が父君亡きあと、荒れゆく館に一人寂しく
  暮らしながら、時折琴をかき鳴らして過ごしていることを耳にする。

  源氏は心を動かされて仕えている命婦に、その琴を聞きたいと手引きを頼む。
  ところが、源氏の親友、頭中将(とうのちゅうじょう)もこの姫に
  心をかけていて、二人競り合っていた。

  源氏はしばしば姫のもとに文を送るが、引っ込み思案の姫からは
  何の返事もなし。
  ある夜、源氏は何としても姫の琴を聞きたいと強引に召使に案内させ、
  とうとう姫の部屋に入り込む。

  暗い夜、灯りもなく容姿は分からないが静かで鷹揚、少し頼りなさそうな
  姫様のようだ。

  そのような様子を奥ゆかしく好ましいと思った源氏は後日再度訪問し、
  遂に共に一夜を過ごす。
  しかしながら、その時も部屋は薄暗く顔かたちははっきり分からない。

  そしてある雪の日、偶然にも姫の顔を見た。 」

俵万智さんの表現を借りると (愛する源氏物語 文芸春秋社より)

「 座高が高くて猫背、鼻は象のように長く、その鼻の先が垂れて赤く
  色づいている。
  髪だけは豊かで美しいが、青ざめた肌に、やけに広い額。
  長い顎、骨ばった肩、身に付けているものも、古臭く
  薄汚く、仰々しい。
  気力をふりしぼって話しかけると、儀式を行う役人のような仕草で
  口もとを押さえ、恥ずかしがる。
  その上、無理な笑顔がニターッと・・・。

  原文は、これより詳しく、まったく容赦のない描きぶりで
  同じ女性として、読んでいて辛くなるような場面である。」

それでも光源氏は、この姫をあとあとまで面倒を見たのですから
立派なものです。

「 百姓の 娘顔よし 紅藍(べに)の花 」 高濱虚子

紅花の栽培地は山形県の月山の麓や最上川のほとりがよく知られていますが、
出羽最上が産地として台頭するのは江戸時代からで、
昔は伊勢、武蔵、上総、下総、大和など二十四か国が税として
納めていました。

6月中旬ころ、飛鳥を一望できる甘樫の丘の西側や石舞台古墳の北側の
丘陵地に咲く数千本の紅花群の中に立つと、遥か昔、卑弥呼が中国に
送った紅染めの衣や飛鳥高松塚古墳壁画の女性の赤色鮮やかな唇が
目に浮かび、遥か遠くの夢の世界に誘(いざな)ってくれます。

  「 わが恋は 末摘花の 莟(つぼみ)かな 」 正岡子規



  万葉集691 (末摘花)完


次回の更新は 7月6日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-28 17:02 | 植物

万葉集その六百九十 (麦の歌)

( オオムギ  奈良万葉植物園 )
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(  コムギ     同上 )
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(  ライムギ  東京都薬用植物園 )
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(  映画 麦秋ポスター  )
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  万葉集その六百九十 (麦の歌)

麦は古代の主要な穀物のひとつで大別して大麦と小麦に分けられます。
大麦の原種はアフガニスタンから西アジア一帯の山岳地に野生する
二条種、穂に粒が二列に並んでいるものとされ、他に進化した六条種も。

我国には3~4世紀に朝鮮からの移民と共に伝来し、
主に醤油、味噌、麦酒、飴などの原料や家畜の飼料に用いられ、
その後色々な品種改良がなされてきました。

 小麦の主要種であるパンコムギの原産地は、西アジアのカピス海南岸を
中心とする地域とされ、4~5世紀に中国北部から朝鮮を経て北九州に。
主にパン、うどん、麺、菓子の原料として広く用いられています。
 
723年、朝廷は飢饉に備えて麦などの雑穀の栽培を奨励する太政官府を
発布しており、オオムギはそのまま粒食し、コムギは主として粉にして、
餅(団子)や煎餅に加工されたようです。

万葉集では3首、それも恋の歌です。

「 馬柵(うませ)越し 麦食む駒の はつはつに
      新肌(にひはだ)触れし 子ろし愛(かな)しも 」 
                      巻14-3537(或る本)   作者未詳

(  柵ごしに麦を食む馬は柵に妨げられて、ほんの少しづつしか食べられない。
  そのように、俺はあの子の新肌に、ほんの少し触れただけ。
  あぁ、あの子が可愛くて、いとおしくてたまらないよ。)

「馬柵越し」:柵を隔てて麦を食う馬の動作、馬は穂の出る前の青麦を好む。

「はつはつに」:「はつかに」から現在の「僅かに」に変わった言葉。

 かわいいあの子の新肌に、ただ一度ほんの少しだけ触れた。
 恥ずかしがっていたあの姿、思い出すたびに益々可愛くなる。
 あぁ、ほんのちょっとでは満足できない。
 心ゆくまで抱きしめてやりたいよ。

馬の比喩が新鮮。情景が目に浮かぶような1首です。

「 馬柵(うませ)越しに 麦食(は)む 駒の 罵(の)らゆれど
       なほし恋しく 思ひかねつも 」 
                         巻12-3096 作者未詳

( 馬柵越しに麦を食べている馬が怒られているように
私も母親から、あの人に会うなと怒鳴りつけられてしまった。
でも、やっぱり恋しくて恋しくて--。
そう簡単に忘れられないわ。 )

好きな男に こっそり逢っているところを母親に見つかり
「もう逢うな」と怒鳴りつけられた。
でも、私は好きなのよ、忘れるなんて無理、無理 。

前掲載14-3537(男歌)の続きと見ると面白い。(巻は離れているが)

 「 初夏の雲の なかなる山の国
       甲斐の畑に 麦刈る子等よ 」  若山牧水

 「 麦刈りや 娘二人の 女わざ 」  村上鬼城

麦収穫の時期を麦秋といい6月一杯。
そうそう、往年の大女優、原節子主演の「麦秋」という映画もありました。
     ( 1951年 小津安二郎監督 )

この時期は蛍飛ぶ季節。
夜空を美しく彩ります。

 「 夜半の風 麦の穂だちに 音信(おとづれ)て
       蛍とふべく 野はなりにけり 」     香川景樹

近代で麦が食料として大活躍したのは先の大戦後。
米が不足するなか50%麦入りの飯,時には80%の麦飯。
真っ黒な弁当におかずは梅干し1つということもありました。

白米は勿論、麦すら食べられない人はさつま芋汁(すいとん)や、
麦粉を焼いてお湯に溶かした焼きこがし。
この匂いはなかなか芳しく、今でも懐かしく思い出されます。

 「 むせるなと 麦の粉くれぬ 男の童 」 召波

それでも何とか健康を維持出来、パンやミルクの配給が始まると、
食糧事情は徐々に好転、餓死する人は少なかったよう。

今や「麦とろ」や「麦入り、雑穀入り飯」は健康食に。
昭和は遠くなりにけりです。

「 麦飯に 瘦せもせぬなり 古男 」   村上鬼城

高度成長期になると、少年少女たちは
     
「 二人が会うのは麦畑 
  仕事の休みに話します
  空には ま白な雲が行く
  二人は楽しい恋人です 」  (スコットランド民謡)

という歌を学校で習い、中年のおじさんたちは

 「 麦笛や 四十の恋の 合図吹く 」  高濱虚子

のでした。


       万葉集690(麦の歌)完



   次回の更新は6月29日(金)の予定です。

                    
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by uqrx74fd | 2018-06-21 16:29 | 植物

万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

( 橘の花  山の辺の道  奈良 )
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( 紫草  東京都薬用植物園 )
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( ニワトコ: 古代名 山たづ  東大小石川植物園 )
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( エゴの木  古代名 山ぢさ   同上 )
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( シロバナヤエウツギ  古代名 卯の花  同上 )
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  万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

藤、躑躅、牡丹、芍薬が過ぎ、今は花菖蒲、紫陽花、紅花、薔薇の季節。
山百合の蕾もふくらんできました。
野山を色とりどりに染める中、白い花々がひっそりと咲いているのも心洗われ、
清々しい気持ちにさせてくれます。

「 わがやどの 花橘を ほととぎす 
        来鳴き響(とよ)めて 本(もと)に散らしつ 」 
                                 巻8-1493  大伴村上

( 我家の庭の橘の花、美しく咲くその花を
     ホトトギスがやってきて鳴きたて、根元に散らしてしまった。)

作者は家持と古くから交流があったようですが、一族の系統は未詳。

橘は近畿地方以西の暖かい海岸線に近い山地に生育するミカン科の常緑高木で、
古くは蜜柑類の総称とされていました。
6月頃、5弁の白い花を咲かせ、秋には黄色の美しい実を付けますが、
古代の橘は我国固有のニホンタチバナと推定され、酸味が強くて食べられなかったので、
もっぱら観賞用として植栽されていたようです。

白い花、黄金色の実、常緑の葉。
橘は永遠の繁栄を人の世にもたらすものとして珍重され
「常世花」(とこよばな)ともよばれていました。

   「 駿河路や 花橘も 茶の匂ひ 」  芭蕉

次は根が赤く紫色の染料になるのでその名がある紫、
花は小さな小さな白色です。

「 韓人(からひと)の 衣(ころも)染むとふ 紫の
                  心に染みて 思ほゆるかも 」 
                   巻4-569 麻田陽春(あさだ やす)


( 韓人が衣を染めるという紫の色が染みつくように
 紫の衣を召されたお姿が私の心に染みついて
 あなた様のことばかり思われてなりません。)

730年、大宰府長官、大伴旅人が大納言に任ぜられ都に栄転することに
なった折の送別の宴での1首。
作者は旅人が高貴な身分に許される紫染めの衣を着用していたので、昇進のお祝いと
尊敬をこめて詠ったものと思われます。

紫草はムラサキ科の多年草で日当たりのよい草地に自生し、
初夏に五弁の白い花を咲かせます。
根が赤紫色をしているのでその名がありますが、古代から紫染めの重要な染料とされ
また乾燥させて皮膚病、解熱、火傷、などの薬用にも用いられていました。

古代の人の憧れであった紫草の栽培は19世紀中頃、石炭の副産物コールタールの
成分から誕生した化学染料の普及により急速に衰退し今や絶滅の危機に瀕しています。

次は「ニワトコ」(古代名 山たず)

ニワトコはスイカズラ科の落葉低木で、まだ寒さ厳しい2月、
多くの木々が冬籠りをしている最中(さなか)に緑も鮮やかな新芽を出し、
「もうそろそろ春だよ」と告げてくれる目出度い木です。
本州、四国、九州の山野に自生し、早春、暖かくなるとブロッコリーのような
蕾から淡いクリーム色の五弁の小花を房状に咲かせ、夏から秋にかけて
美しい赤色の球形の実をつけます。

「 君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山たづの
     迎へを行(ゆ)かむ 待つには待たじ 」 
                            巻2-90 衣通王(そとほりの おほきみ)

( 恋しいあの方との別離以来、随分長い日にちが経ちました。
  もうこれ以上待てません。 
  今すぐにでもお迎えに上がりたいのです。)

この歌の題詞に
「古事記に曰く軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に姧(たは)く。
この故にその太子を伊予の湯に流す。
この時に衣通王(そとほりのおほきみ)恋慕(しのひ)に堪(あ)へずして
追ひ往(ゆ)く時に、歌ひて曰く」  とあります。

軽太子は 第19代允恭天皇の皇子 木梨軽皇子
軽太郎女(かるの おおいらつめ)は 皇子の同母妹で体が光り輝き
衣を通すほど美しかったので衣通王(そとほりのおほきみ)ともよばれていました。

その二人が「同母兄妹の結婚は厳禁」という掟を破ったので皇子は伊予に
流されたのです。
流罪が何時解けるか分からない皇子。
禁忌の恋といえども燃えさかった炎は簡単に消えそうにありません。
衣通姫はついに伊予まで行き皇子に逢おうとしているようです。

逢ったところでまた引き離されるだけなのに- -。

せめて異母兄妹であったなら許されもしたことでしょう。
このような悲恋が起きたのは兄妹別々に育てられたせいかも知れません。

なお、この歌は古事記、日本書紀の話を形を変えて転載されたもの。

「ニワトコ」という名前の由来は古事記の
「山たづといふは、今の造木(みやっこぎ)をいふ」の記述に由来し、
「ミヤッコギ」が「ミヤッコ」→「ミヤトコ」→「ニヤトコ」→「ニワトコ」に
転訛したものと推定されています。

  「 えごの花 一点白し  流れゆく 」 山口青邨

次はエゴの木、果皮にエグ味があるのでその名があり、
   古代「チサ」とよばれていました。

「 息の緒に 思へる我れを 山ぢさの
    花にか君が うつろひぬらむ 」 
                        巻7-1360 作者未詳

( 命がけで思っている私なのに あなたは山ぢさの花のよう。
  もう気持が変わったの? )

エゴノキの花は美しい純白。
然しながら盛りは短く、すぐに茶色に変色して萎んでしまう。
花のうつろいやすさにかけて男の心変わりを嘆いている可憐な乙女です。

「息の緒」とは、「苦しさのあまり死を思う状況の中で、僅かな生を意識した時に
用いられ、命の極限状態をあらわす言葉(伊藤博)」です。

「エゴノキ」は小川のほとりなどに多く自生しているエゴノキ科の落葉高木。
初夏になると小枝の先に5弁の白い花が塊になって下向きに咲き、花後、
ラグビーボールのような形をした小さい緑色の果実が無数に実り、熟すと
果皮がさけて褐色の堅い卵形の種子が落下します。

昔はその種から油をとり洗濯に使っていたので石鹸の木とも。
実が固く、遺跡が発掘されると良く出てくるそうです。
この果実や葉をすりつぶして採った樹液を川に流して
魚を獲る方法があり(現在は禁止)魚がふらふらになって浮かんでくるそうな。

最後に「夏は来ぬ」と歌われている卯の花。

「 卯の花の 咲く月立ちぬ ほととぎす
     来鳴き響(とよ)めよ  ふふみたりとも 」 
                            巻18-4066 大伴家持

( 卯の花咲く4月がついに来た。
     ホトトギスよ来て鳴きたてておくれ。
     花はまだ蕾のままであろうとも。)

月立ちぬ : 卯の花が咲く月がやってきた 
         ここでの4月は旧暦、現在の5月中旬
ふふみたりとも:「含む(ふふむ)」蕾のままの意

北は北海道か南は九州まで自生する卯の花。
今は空木(ウツギ)とよばれている落葉低木です。
木の中が空洞であるためその名があるといわれていますが、
材質が固いので古くから木釘や杖、槌などに加工されました。

折口信夫氏は
「 この花はその年の稲の豊凶を占う花で、山野に長く咲く年は豊作、
  長雨続きで花が少ないか、あるいは早く散るときは凶作と信じられた」(花と民俗)

と述べておられますが、卯の花の蕾が米に似ているからなのでしょうか。

「 卯の花の 匂う垣根に   
  ほととぎす 早も来鳴きて
  忍音もらす  夏は来ぬ    」  

                 「 夏は来ぬ より 佐々木信綱作詞 小山作之助作曲」



     万葉集688(夏の白い花) 完


     次回の更新は6月15日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-07 16:49 | 植物

万葉集その六百八十七 (花かつみ)

( 花かつみ  現代名 ノハナショウブ  奈良万葉植物園 )
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( 花ショウブ   潮来 )
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(  同上 )
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(  花ショウブの別名は早乙女花  花言葉は 優雅  潮来 )
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    万葉集その六百八十七(花かつみ)

花かつみはアヤメ科の多年草、ノハナショウブの古名で、
現在いたるところでみられる花ショウブの原種とされています。(諸説あり)

日当たりの良い草原や湿原に生え、紫の花弁の基部に黄色い模様、葉は剣形。
華麗な花が多いアヤメ科の中にあって飾り気なく、すらりと立つ姿に気品があり、
心惹かれる花の一つです。

ところが万葉集ではたった1首。
菖蒲(しょうぶ)12首、杜若7首も詠われているのにどうしたことか?

当時、何の花かよく知られていなかった、あるいはカキツバタと
混同されていたのかもしれません。

「 をみなへし 佐紀沢(さきさは)に生ふる 花かつみ
                 かっても知らぬ  恋もするかも 」 
                         巻4-675 中臣郎女

( おみなえしが咲くという佐紀沢に生い茂る花かつみではないが
 かって味わったこともない切ない恋をしてしまったことです。)

作者は伝未詳。
大伴家持に恋した歌5首の中の1。

「花かつみ」の季節にはじまった家持への思慕。
それは今まで経験したことがない激しい恋。
でもその気持ちは相手には伝わっていない。
私だけの心に秘めていつまでも慕い続けましょうと詠う純情な乙女です。

をみなえし:佐紀沢の枕詞 : 
       おみなえしが「咲く」と佐紀(さき)の同音に掛けた。

佐紀沢:  奈良平城京北辺にある水上池周辺の湿地帯
      大伴家が住む佐保に近く、貴公子家持の姿を見て憧れていた?

花かつみ : 花ショウブの原種、ノハナショウブ。 
         他に真菰(マコモ)、アシ、カタバミ説もあるが恋の歌には
         ノハナショウブが相応しい。

  「かつみ」と「かって」の同音を掛けている。

「 みちのくの あさかの沼の 花かつみ
        かつ見る人に 恋ひやわたらん 」 
                         よみ人しらず  古今和歌集

( 陸奥の安積の沼の 花かつみではないが
 一方で既に夫婦同然の関係なのに、他方では人の噂を慮(おもんばか)って
 自分の気持ちが他人に知られないよう心の奥底に秘めている日々。
 あぁ、これからもずっとこのような状態が続くのか。
 切ない切ない私の恋よ。)

     あさか(安積): 福島県安積郡日和田町

     「みちのくの あさかの沼の 花かつみ」: ここまでが「かつ」を導く序。

     「かつ」: 一方で。  「かつ消えかつ結びて」などと使われる

     「わたる」:継続、ここでは 「恋し続ける」

身も心も既に一体の関係。
晴れて結婚したい、堂々と人目はばからずに一緒に歩きたい。
でも、それは叶わぬ夢。
嘆きながらも半ば諦めの気持ちの作者。

二人の関係は不倫の恋、何らかの事情による周囲の反対、
あるいは聖職による禁断の恋なのでしょうか。


以下は2018年5月24日付、読売新聞「暦めくり」からです。
                      ( 編集委員 斎藤雄介氏 )

『 万葉集に「花かつみ」という謎の花がでてくる。
  その正体をめぐって、江戸時代から議論になってきた。

  「おくのほそ道」で福島の安積山(あさかやま)あたりにたどりついた芭蕉は
  「どの草が花かつみか」と地方の人に聞いてまわった。

   歌の世界では、花かつみは安積山の沼に生えているとされていたからである。
   安積山のふもとにあったという大きな沼で、芭蕉のころには
   田んぼになっていたという。

   でも、だれも花かつみを知らない。
   「かつみ、かつみ」と尋ね歩いて、日が暮れてしまった。

   幻の花、花かつみ。
   芭蕉もわからなかったその正体は、マコモであるというのが今の定説と
   なっている。
   しかしマコモの花は地味で、幻の花というほどの美しさがない。

   ノハナショウブこそ花かつみだという説もある。
   わたしは、こちらを信じたいと思う。
   芭蕉のあこがれにふさわしい花である 』   (以下省略)

       「 堀切や 菖蒲花咲く 百姓家 」  正岡子規

花ショウブは江戸時代、大々的に品種改良がなされ、その数二千以上に
達したといわれています。
江戸,肥後、伊勢系などいくつかの系統があり、その華やかさを競い合いながら
多くの人々を楽しませてきました。

湿地でも乾燥地でも栽培出来、花も大きく色も紅紫、紫、白、淡紅など様々。
模様も変化に富み、今日の菖蒲園で一番多く見られる品種です。


     「 はなびらの 垂れて静かや 花菖蒲 」    高濱虚子




             万葉集687( 花かつみ )  完


             次回の更新は6月8日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-31 17:30 | 植物

万葉集その六百八十二 ( 藤波ゆらゆら)

( イチイガシの巨木に絡みつく藤   奈良万葉植物園 )
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( 白藤  同上 )
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(  春日大社境内いたるところで野生の藤が揺れている )
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(  赤紫の色が美しい  奈良万葉植物園 )
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(  こちらの紫も優雅なり    同上 )
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  万葉集その六百八十二 (藤波ゆらゆら)

今年はすべての植物の花期が早くなり、梅、桜、杏子、李、桃、辛夷、
山吹、躑躅などが一斉に咲き、まさに百花繚乱。
さらに例年なら4月下旬から5月にかけて花開く藤まで顔を出す始末です。

古都奈良の春日山山麓は奈良公園をはじめとして春日大社周辺、
春日山原始林、万葉植物園は藤一色、紫の都に染まり、
大木に巻き付いた房が薫風に吹かれてゆらゆら靡くさまはまさに壮観。

このような光景は1300年前にも見られたのでしょう。
はるか九州で都の藤を懐かしむ歌が残されています。

「 藤波の 花は盛りになりにけり
        奈良の都を 思ほすや君 」  
                           巻3-330 大伴四綱  

( ここ大宰府では藤の花が真っ盛りになりました。
  見事なものでございますなぁ。
  そういえば奈良の都の藤も目に浮かびます。
  あなたさまも懐かしく思われていることでしょうね。)

作者は大宰府の役人。
長官、大伴旅人に語りかけたものです。

奈良の藤は野性のものが多く、杉,檜、松などの大木に絡みつき
高い所から房が垂れ下がっています。
風に吹かれると右に左に揺れて、遠くから見ると紫の衣が木に掛かっているよう。

樋口一葉はそのような景を

  「 むらさきの雲かと見しは 谷かげに
          松にかかれる 藤にぞ ありける 」  ( 一葉歌集)

と詠っています。

勿論、万葉植物園には各地から集められた色々な種類の藤棚があり、
こちらも感嘆する美しさですが、なんといっても野性のものに心惹かれます。

春日大社は古代の権力者藤原氏の氏神であり、藤は一族のシンボル。
それ故、春日山は立入禁止、禁断の地として保護されてきました。

幸い春日山原始林は柳生に通じる滝坂の道として解放され、人も多く通りますが、
周辺は特別天然記念物に指定されて環境保全には細心の注意がはらわれており、
昔のままの面影をよく残しています。

  「 藤の花 這うていみじき 樹齢かな」  阿波野青畝

圧巻は万葉植物園のイチイガシの巨木に絡みつく臥龍の藤と
春日大社本殿の砂摺りの藤。
どちらも圧倒的な景観で私たちを魅了してくれます。

「 藤波の 咲く春の野に 延(は)ふ葛の
          下(した)よし恋ひば 久しくもあらむ 」 
                      巻10-1901 作者未詳

( 藤の花が咲く春の野に ひそかに延びてゆく葛のように
 心の奥底でばかり恋い慕っていたら、この思いはいつまでも果てしなく続き
 成就できないでしょう。
 思い切って打ち明けなきゃ。)

藤波とは何と美しい万葉人の造語よ。
風に揺れる藤の花房、それも周囲一面波打つ姿が彷彿されるような言葉です。
作者は男、女両説がありますが、ここでは女性の方がふさわしいか。

下よし: 秘めたる恋の意
       「下」は「目に見えない心の奥底」
       「よ」は「より」
       「し」は強調
         
藤も葛も何かに絡まってどんどん延びる。
葛だけで小さな小山をつくってしまうこともあり、両者とも非常に生命力が強い。
春日神社の巫女さんの髪飾りは藤、優雅なたたずまいの中にも
強固な意志が秘められているようです。

「 藤波の 散らまく惜しみ ほととぎす
    今城(いまき)の岡を 鳴きて越ゆなり 」
                       巻10-1944 作者未詳

( 藤の花の散るのを惜しんで、ほととぎすが今城の岡を
 鳴きながら越えているよ。) 

今城: 所在不明とされるも現在の吉野郡大淀町今木あたりか。
              (万葉集地名歌総覧 樋口和也 近代文芸社 )

藤は時鳥と取り合わせて詠われることが多く、他に卯の花も見えます。

平安時代になると藤は主に松に巻きついて長い花房を垂らし、
それが風に揺れる風景としてとらえられるようになり、「枕草子」で

「 色合いよく 花房長く咲きたる藤の、松にかかりたる」 (第75段) 

と高貴な色の紫 常緑長寿のシンボル松と取り合わせ「めでたきもの」と
されます。

さらに常緑の逞しい男性的な松。それに寄り添う優雅で芯が強い藤。
それは男に絡みつく艶めかしい女性を想像させるようになり、

「 住の江の 松の緑も 紫の
         色にてかくる  岸の藤波 」   後拾遺集 よみ人しらず

など、多くの歌に詠われるようになりました。

  「 春日野の 瑠璃空の下(もと)  杉が枝に
              むらさき妙なり  藤の垂り花 」    木下利玄


      万葉集682 (藤波ゆらゆら)  完


      次回の更新は5月4日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-04-26 16:55 | 植物

万葉集その六百七十八 (奈良の桜)

( 浮御堂  奈良公園 )
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( 大仏殿の裏から二月堂にかけて桜が多い )
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( 薬師寺遠望  大池前の公園より )
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( 河俣神社前を流れる曽我川  ここから金剛葛城連山が望まれる  近鉄南大阪線坊城駅徒歩5分)
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( 耳成山   藤原京跡の近くで )
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( 美和の森 後方三輪山  山の辺の道 )
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(  長谷寺  桜が終わると牡丹 )
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万葉集その六百七十八 (奈良の桜)

奈良の桜といえば

「 いにしへの 奈良の都の八重桜
    けふ九重(ここのへ)に にほひぬるかな 」  
                 伊勢大輔(いせのたいふ) 詞花集 百人一首


と詠われた八重桜。
ところがナラヤエザクラという品種は増殖力が弱い上、管理を怠ったためか
今はほとんど見られなくなっているのは誠に残念至極です。

「 『 いにしへの 寧楽(なら)のみやこの やえざくら 』―
              ふとくちずさみ 涙うかべり  」    土岐善麿

しかしながら山桜やソメイヨシノなどは

「 あをによし 奈良の都は 咲く花の
   にほふがごとく 今盛りなり 」 
                    巻3-328 小野 老(おゆ)


と昔のまま。

又兵衛桜(大宇陀)、仏隆寺の樹齢900年の老樹、氷川神社のしだれ桜などが
よく知られていますが、名もない桜も奈良公園一帯、佐保川、吉野山、
長谷寺、平城京跡は言うに及ばず山辺の道の美和の杜、飛鳥石舞台、
郡山城跡、など旧跡名所いたるところで咲き誇り桜の都は健在です。

「見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 
     咲きにほへるは 桜花かも 」 
                   巻10-1872 作者未詳

( 春日野に霞が一面に立つ中、輝くばかりに色美しく咲く桜は
  今真っ盛りです)

春日野は現在飛火野とよばれる奈良公園一帯です。
浮見堂、東大寺、戒壇院、二月堂周辺に咲く桜も多く、
古い寺院と調和して実に美しい。
さらに奈良県庁の屋上から眺める奈良市内は若草山、春日山、佐保丘陵など
俯瞰でき、春爛漫の景観です。

「 阿保山の 桜の花は 今日(けふ)もかも
     散り乱(まが)ふらむ  見る人なしに 」 
                          巻10-1867 作者未詳

( 阿保山の桜の花は 今日もまたいたずらに散り乱れているだろうか。
 見る人もいないままに )

作者は昨日見た桜の花びらの乱舞が目に焼き付いていたのでしょうか。

「 散る桜の美しさを愛でる人がいないのは惜しいなぁ。
  自分も見たかったのに今日も行けないのが残念だ 」

阿保山は奈良市の西北の丘稜、在原業平ゆかりの不退寺の裏山とされていますが、
その近くに光明皇后が晩年住んでいたとされる法華寺や磐姫皇后の御陵もあり
少し足をのばすと平城京跡。

ここから西の京の薬師寺、唐招提寺、秋篠寺、西大寺も近い。
薬師寺の裏側大池前の公園から桜越しに眺めると東塔,西塔、金堂が
一望でき絵になる景観です。

「 龍田山 見つつ越え来し 桜花
    散りか過ぎなむ  我が帰るとに 」 
                      巻20-4395 大伴家持

( 龍田山、 その山を越える時に眺めながらやってきた桜。
 私が帰る頃には散り果ててしまっているのではなかろうか)

兵部少輔として防人の管理をしていた作者は当時都と難波を頻繁に行き来
していたようです。
龍田山は奈良県生駒郡三郷町の生駒山連峰の一.
難波との往復によく利用されていた道です。
その麓を流れる龍田川は紅葉の名所としても有名。

数年前、佐保丘陵の山道を歩いていると三本の大きな桜が今盛りなりと
咲いていました。
あまりの見事さに下から眺めていると、突然一陣の風が吹き上がって
花を散らしはじめ、前が見えなくなるくらいの花吹雪。
次から次へと舞い上って流れてゆきます。
周りに誰もいない。
ただただ呆然としながら夢の世界に浸っていました。

「 よしさらば こよひは花の蔭にねて
        嵐の桜 ちるをだにみむ 」  小沢蘆庵 

以下は佐野藤右衛門桜守のお話です。

『 桜は全部下を向いて咲くんです。
  ですから中へ入り込んでみて、初めて桜もよろこぶんです。
  横から見てはあきませんものね。
  そやからどんな昔の絵を見ても、みんな幹のまわりで花見を
  してますやろ。
  花が覆いかぶさってくれるのやから、そこへ入ればいいんです。

  - - 桜も早よ来てくれよというて待っているんですわ。
  それを囲んで、人から離してしまうと寂しがりよる。

  わしらでも、桜を見せてもろうたときは自然にぽんぽんぽんと
  幹を叩いてやりまんな。
  そうするとやっぱり花もなびきよるものね。

  ふるふるふると笑いよる。
  その感覚はなんともいえんものがあります。 』
                           ( 桜のいのち庭のこころ 草思社 より )

 桜も「笑ろてんか」なのですね。

  「  花の寺 少女の笑ひ 二間越ゆ 」 飯田龍太


    万葉集678(奈良の桜) 完


    次回の更新は4月6日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-03-29 20:26 | 植物

万葉集その六百六十九 ( 楮の衣と和紙)

( 楮の木   奈良万葉植物園 )
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( 和紙の里  東秩父村 埼玉県 )
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( 楮を切りそろえる→釜蒸しする  同上 )
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( 表皮を剥く   同上)
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( 剥いた皮を天日干し、白木は燃料に  以下の作業は本文で  同上 )
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( 紙漉きの絵  紙の博物館  飛鳥山公園 東京王子 )
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( トロロアオイ 紙製  根を細かくして楮の繊維と混ぜる;
  糊の役割を果たす不可欠な材料    同上)
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( 東大寺修二会:お水取りの練行衆:僧が法衣の上に着る紙衣 ) 
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( 歌舞伎舞台衣装 中村扇雀が着用 遠藤忠雄作  紙の博物館 )
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( 紙布の着物:桜井貞子作と ペーパーデニム エドウイン社  同上 )
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   万葉集その六百六十九 (楮の衣と和紙)

古代、楮(こうぞ)は栲(たく)、織った衣を栲(たへ)とよんでいました。
中でも白栲(しろたへ)は上質な織物とされ、次の名歌

「 春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたへ)の
      衣干したり  天の香具山 」    巻1-28 持統天皇

の白栲は香具山で春の菜摘み行事などの神事に奉仕した人々が身に付けた白衣
(渡瀬昌忠氏 万葉一枝)、あるいは巫女たちの斎衣(伊藤博氏 釋注)
とされています。

丈夫な繊維を持つ楮は、古くから衣類、網、縄、衾(ふすま:寝具)、
領布(ひれ:女性が首から肩にかけていたスカーフのような布)、
神事に用いる木綿(ゆふ)とよばれる襷(たすき)や幣(ぬさ)、
加うるに和紙の重要な材料とされていました。

万葉集に詠われている栲(たく、たへ)は115首、木綿(ゆふ)が27首 
合計142首の多きにのぼりますが、和紙の歌は1首もありません。

和紙の歴史を紐解くと、奈良時代には既に独自の製紙法を開発しており、

「 610年高句麗の僧曇微(どんちょう)が最新の技術をもたらし(日本書紀)
  飛躍的に進歩した。」

「 現存最古の紙は聖徳太子筆といわれる法華義疏(ほっけぎしょ)但し産地は不明。」

「 最古の和紙は701年の美濃、筑前、豊前各国の戸籍に用いられたもので、
  いずれも正倉院文書として保存。」

「 奈良時代の正倉院文書は約1万点保存されているが、その多くに産地が記されており
  紙漉きを行っていた国は20カ国に及んだ。」

「 各国府で政庁の指導の下に製紙場が設けられて各地で消費する紙をまかない、
  上質のものは中央に貢納された。」

など多くの記録が存在しますが、それにもかかわらず、紙の歌が一首も
残されていないのは不思議なことです。

考えられることは、当時、紙は極めて貴重かつ高価だったため、
使途は天皇の詔、朝廷の重要な公式記録、戸籍、租税記録、
写経、仏典などに限られ、通常の記録は木簡を用いていました。

従って一般の人にとって紙は無縁の存在であり、歌の対象は自ずと
日常生活に密着した衣や白妙,木綿(ゆふ)などに集中した為ではなかろうかと
思われます。

なお、紙の衣は楮を細かく切って縒(よ)り、糸にして織ったものを
何重にも重ねあわせて強度を増やし、さらに揉んで軟らかくするという
高度な技術が必要とされ、古代の人達が自家薬籠中の物にしていたとは、
驚きを禁じ得ません。

「 馬並(な)めて 多賀(たか)の山辺を 白栲に
     にほはしたるは 梅の花かも 」 
                   巻10-1859 作者未詳


( 馬を勢揃いして手綱をたく(る)、そのたくではないが、この多賀の山辺を
  真っ白に染めているのは、梅の花なのであろうか )

馬並めて: 多賀の枕詞 手綱を繰(たく)る意の「たく」の類音で掛かる
多賀の山辺: 京都府綴喜郡(つづきぐん)
にほはしたる: 「にほふ」は色や香りが他のものに移り染みつくことをいう。
主に視覚に用いられ嗅覚を表す例は少ない。

数人で馬を並べてゆっくり走らせる。
向うに見える丘は一面真白。
よくよく見ると、梅が満開。
おぉー、見事、見事、梅が丘を美しい色に染めたのだなぁ。

「 荒栲(あらたへ)の 布衣(ぬのきぬ)をだに 着せかてに
        かくや嘆かむ  為(せ)む すべをなみ 」   
                         巻5-901 山上憶良

( 粗末な着物すら着せてやれなくて、このように嘆かなくてはならぬのか。
  一体どうしたらよいのか、手のほどこしようがないままに- -。)

「荒栲の布衣」:楮の繊維の荒い粗末な衣類。

「着せかてに」:着せたいが、それすら出来ないの意。
                  「かて」:することができる 「に」打消しの助動詞

作者は当時、老身(74歳)の上、長年の病で苦しんでいました。
「 いっそのこと死んでしまいたいが、いじらしい子供を置いて死ぬにも死ねない。
この貧しい子供を守ってやれるのは親である自分しかいないではないか。」

という悲愴な気持がひしひしと伝わってくる一首です。
 然しながら憶良は中級官吏の身分であり、困窮していたとは思えないので
 貧窮問答歌と同様、貧しい庶民の生活を代弁したものでしょう。

「 このころの 寐(い)の寝らえぬは 敷栲の
     手枕(たまくら)まきて 寝まく欲(ほ)りこそ 」 
                           巻12-2844 作者未詳

( このごろ よく眠れないわけは あの子と手枕を交わして寝たいと
 思うからなんだなぁ )

敷栲: 寝床の敷物
手枕まきて: 女性の手を枕にして共寝する

この歌は4首連作の1つで、
ある日道を歩いていると美しい女性を見かけ、一目惚れしてしまった。
毎日夢にまで見る。
あぁ、あの子を抱きたいと、悶々としている男です。

「 栲縄の 長き命を 欲(ほ)りしくは
     絶えずて人を  見まく欲りこそ 」 
               巻4-704 巫部 麻蘇娘子(かむなぎべの まそおとめ) 

( 栲縄のような長い命 その命を望んできたのは、ほかでもありません。
      いつもいつも、あのお方のお顔を見たい一心からなのです)

大伴家持を交えた席で詠ったもの。
恋の歌遊びの会合かと思われます。
それにしても貴公子家持はモテモテの男、関係した女性は数知れずです。

「 いっしんに 竹簀(たけす)うごかす 紙漉女(かみすきめ)
           見つつし居れど もの云わずけり 」      吉井勇

冬は楮の季節、和紙を作るための作業が始まります
埼玉県東秩父村小川町に和紙の里があり、丁度、楮の皮むき作業が行われている
最中なので早速見学に行きました。(2018年1月7日)

この里は地元の細川紙が、石州半紙(島根県)、本美濃紙(岐阜県)と共に
ユネスコ無形世界文化遺産に登録されたのを機に整備されたもので
和紙の歴史が展示され、また紙漉体験もできます。

東武東上線池袋から約1時間、更にバスに乗り継いで15分、山々に囲まれた
道の駅の裏手にあり、いかにも山里らしい雰囲気です。

寒風吹きすさぶ中、細長い楮を切りそろえ、皮を剥きやすくする為釜で蒸す。
屋内で数人の方々が手作業で皮を剥く。
剥いた皮を天日干しにしたあと、釜で煮、煮立ったらソーダー灰を加えて
不純物を取り除き、水で晒し、アク抜きと日光漂泊。

棒で丹念に叩いて繊維をほぐし、トロロアオイという植物の根を糊状にしたものを
加えて紙漉をしたのち天日干し。

出来上がったものを切りそろえてやっと終わり。
純白の美しい紙が日に映えて美しい。

それにしても、なんと根気がいる仕事なのでしょうか。
伝統技術を後世に伝え続けてゆこうという里の皆様の熱意と努力に、
ただただ頭が下がる思いがした貴重な体験でした。

   「すたれゆく業を守りて紙を漉く」     藤丸東雲子


番外編 :紙漉の歌

( 紙漉の歌が見えるのは手持ちの文献では江戸時代以降、
  それも江戸後期の橘曙覧:たちばなあけみに集中しています。)

「 家々に 谷川引きて 水湛(たた)え
    歌 うたひつつ  少女(をとめ) 紙すく 」  橘曙覧

「 水に手を 冬も打(うち)ひたし 漉(す)きたてて
        紙の白雪  窓高く積む 」     同

「 居ならびて 紙漉く をとめ 見ほしがり
    垣間見(かいまみ)するは  里の男の子か 」   同

「 黄昏に 咲く花の色も 紙を干す
       板の白さに まけて見えつつ  」     同

「 流れくる  岩間の水に 浸しおきて
     打ち敲(たた)く草の  紙になるとぞ 」    同

「 屏風には 志功版画の 諸天ゐて
    紙漉く家の  炉火(ろび)は なつかし 」    吉井勇

「 翁ゐて 楮ならべる 雪晒(さら)し」        伊藤敬子



     万葉集669 (楮の衣と和紙 ) 完


        次回の更新は2月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-25 17:41 | 植物

万葉集その六百六十七 (黄金色の森)

( 落葉道  自然教育園 東京目黒 )
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( コナラ    同上 )
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( ケヤキ   日比谷公園 )
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( ハン    自然教育園 )
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〈オギ     同上 〉
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〈 同上 )
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〈 オギの中で枯れずに頑張っているマユミ  同上)
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〈 枯れても葉が落ちない ヤマコウバ    同上 )
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万葉集その六百六十七 (黄金色の森)

「 楽しみは 落葉散り敷く 黄金道
           サクサク踏みて 歩くひととき 」  筆者

カエデ、銀杏、桜、柿、栗などの落葉が終わると、冬木立の下は
フカフカの絨毯を敷きつめたような道が出現します。

そして、枯れた後もなかなか落ちないカエデ、コナラ、ハン、ヤマコウバの葉が
真っ青な空に映え、太陽の光を浴びて黄金色に輝く。

池や沼地に目を転じると、イエローオーカ色の葦、荻、菅などが生い茂り、
枯れても直立したままの立居姿はさながら古武士の佇まいのよう。

そんな景色を求めて、まずは色とりどりの葉が残る自然教育園(東京、目黒)の
「こなら」(小楢)の森へ参ります。
数十本の巨木が林立し折柄の日の光を浴びて美しい。

「 み狩する 雁羽(かりは)の小野の 櫟柴(ならしば)の
       なれはまさらず  恋こそまされ 」
                             巻12-3048 作者未詳

( み狩りに因む雁羽の小野の 楢の雑木ではありませんが
 あなたと馴れ親しむ機会が一向増さず、お会いできない苦しみばかりが
 増す一方です )

「み狩(かり)と雁(かり)羽」:「かり」を掛けた小野の枕詞。

「櫟(柴(ならしば)と馴(なれ))とを掛け「一向に馴染まない(なれはまさらず)」の意
                        「柴」は小さい雑木。
雁羽の小野の所在は未詳。

「み狩り」は天皇、皇族の狩をいう(沢瀉久孝)ので
このあたりに皇室の猟場があったと思われる。

一度関係を持ったのにそれっきり。
そのあと一向に見えないのはどうしたことかと嘆く女。
男は心変わりして足遠くなったのでしょうか。

小楢(こなら)はブナ科の落葉高木で、一般的には楢(なら)とよばれています。
生命力極めて旺盛な樹木で、根元から切断しても、その切り株から
新芽を伸ばして再び大きくなり、古くから薪炭の材料やシイタケ培養の
ホダ木として重宝されてきました。

秋、大量に落とす団栗は鳥、シカ、イノシシ、ネズミなどの大好物です。
「鳥の餌になるので持ち帰らないで下さい」と書かれた立札が。

次は欅(けやき)。
公園、林、街路樹など、どこでも見られる木です。
万葉時代「槻:つき」とよばれ、落葉高木(ニレ科)にもかかわらず、
旺盛な生命力、立居姿の美しさから神木とされていました。

「 早来ても 見てましものを 山背(やましろ)の
                多賀の槻群(つきむら) 散りにけるかも 」
                         巻3-277 高市黒人(たけちのくろひと)

( もっと早くやって来たらよかったのに。
     紅葉した欅の木々は もうすっかり散ってしまっていることよ )

         「山背の多賀」:  京都府綴喜郡井手町多賀周辺。
         「槻群」(つきむら) : ケヤキ(欅)が群生している場所

作者は持統、文武期の歌人で度々三河や吉野行幸のお伴をしており、
この歌も北陸か東国からの帰路で詠われたようです。
「紅葉で知られている多賀に息せき切ってやって来たが、
ついに間に合わなかった」
と残念がっています。

古来、旅の歌は道中の不安や怖れ、故郷への思慕の情を詠うものが多かった中で
黒人は自然の風物を感覚的にとらえて旅を楽しんでいる様子を詠い、
この歌も新しい境地の一首とされています。

「けやき」の語源は「ケヤケキ」即ち「秀でた木」の意。
その風格、品格は松とならぶ樹木界の双璧とされ、古くから船材や橋桁、
枝は海苔栽培の粗朶に用いられました。

「 みちみちの 山の樹の間の 榛紅葉(はりもみじ)
              はやわが心 もえ居たるかも 」   中村憲吉

古代「榛」(ハリ)とよばれた「ハンノキ」はカバノキ科の落葉高木で、
湿った低地や河川沿いに群生し、早春、葉に先立って暗紫褐色の花穂を下に垂らして
咲かせ、花後、松かさ状の小さな実をつけます。

日本列島いたるところに自生し、稲作が広まると収穫後、
木に架けて稲穂を干すために田の畔に植えられ、
農家の人たちはこれを稲架木(ハサギ)とよんでいました。

樹皮と実は染料にし、後世になるとタンニンを抽出して女性の
鉄漿(おはぐろ)などにも用いたそうです。

「 伊香保ろの 沿(そ)ひの榛原(はりはら)  ねもころに
                 奥をなかねそ  まさかし よかば 」
                            巻14-3410  作者未詳

( 伊香保の山沿いの榛原 その榛(はり)の木の根(ネ)ではないが
 そんなにネチネチと心砕いて二人の先の事までこだわらないでくれ。
 今の今さえ幸せであったらそれでいいのではないか 。)

女が男に抱かれながら、「こんな幸せな時間がいつまで続くか心配だ」と
言い募るので男が戸惑いながら、とりなしている場面です。

     「伊香保ろの 沿ひの」 : 伊香保の山(榛名山)一帯

     「ねもころに」 : 元来は「ねんごろに」の意だがここは「くどくど」

     「奥を なかねそ」: 「な」-「そ」は禁止をあらわす言葉 「奥」は将来
                  「かね」は二つのことを兼ねる、ここでは「今も将来も」

     「まさかし よかば」:「まさか」は共寝している今の今 「し」は強調の助辞


東国の方言交りの歌で分かりにくいですが
「なぁ、お前、先の事など心配しないで、今の今を楽しもうや」
というところでしょうか。

「 はらりはらり 荻吹音(おぎふくおと)や 琵琶の海 」  諸九尼

荻(おぎ)には「風ききぐさ」という異名があります。
水辺に繁殖するその草は背丈が高く、細長い葉や茎は風に靡いて
さやさやと鳴る。
それは季節の到来を告げる「荻の声」。

上記の句は荻が琵琶の音色のように奏でていると興じています。

「 妹なろが 付(つ)かふ川津(かわづ)の ささら荻(をぎ)
      葦と人言(ひとごと)  語りよらしも 」 
                        巻14-3446 作者未詳

( あの子がいつも居ついている川の渡し場に茂る 気持ちのよさそうな
  ささら荻。
  そんな素晴らしいささら荻(共寝の床)なのに、世間の連中は
  それは葦(あし)、悪い草だと、勝手に話し合っているんだよなぁ。)

   「妹なろが」:「なろ」は愛称の接尾語

   「付かふ」: 「付く」の継続を表す言葉で洗濯をするため
           いつも寄りついているの意

   「ささら荻」:「ささら」は「さざれ」で小さくて細かい 共寝の床を暗示

   「語りよらしも」: 「語りよろしも」で調子よく語るが如何なものかの意

葦と悪しを掛け、
「あんないい子なのに世間のやつらは悪しざまにいう」とぼやいている男。
宴席で詠われたものかもしれません。


『 「をぐ」という言葉は神または霊魂を招く意で
  霊魂を呼び醒す意味にも用いた。
  だから「をぎ」の名も霊魂に関係した信仰上の意味があったのだ。
  荻は神霊を招き降ろす、
  即ち「招(を)ぐ」ところの「招代 (をぎしろ)」である。

  そのそよぎに神の来臨の声を聞いたのである。
  また、荻がそよそよと揺れることを「そよ」「そそや」などと
  擬声語で現すことがある。
  その「そよ」「そそや」も神の告げを示す言葉である。 』

                (山本健吉: 基本季語500選より要約抜粋)

荻の用途はそれほど多くはありませんが 筵(むしろ)草履、屋根葺き、箒などの
生活必需品に加工されていました。

「 楽しみは  夕日に映える 木のこずえ
                鬱金(うこん)に染まるを  眺め見るとき 」  筆者



           万葉集667(黄金色の森) 完

          次回の更新は12月19日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-11 10:25 | 植物

万葉集六百六十二 (椎の木)

( 椎の木 :スダジイ 自然教育園  東京 )
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( 同上  奈良万葉植物園 )
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( 椎の実 スダジイ  奈良公園 )
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( 同上   マテバシイ  同上 ) 
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( 椎の原木は椎茸のホタギ:榾木 に用いられる  長谷寺参道で 奈良 )
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( クヌギの実   自然教育園  東京 )
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万葉集その六百六十二 (椎の木)  

椎(シイ)はスジダイ(イタジイ)、ツブラジイ(コジイ)、マテバシイの総称とされ、
本州以南に生育する常緑高木です。
照葉樹林の代表的構成種とされ、スジダイ、ツブラジイはブナ科シイ属、
マテバシイは別種マテバシイ属。
共に堅くて弾力があり建築材、家具材とされたほか、木の実はアク(タンニン)が
少なく生食できる上、60%が糖質でカリウムが多く、ビタミンB1、B2、Cなど
栄養価が高いので古代の重要な食糧とされていました。
また、原木は椎茸栽培の榾木(ほだぎ)、薪炭、樹皮は漁網の染料、利尿薬としても
用いられる有用の木です。

万葉集では3首。
生活に密着した樹木にもかかわらず少ないのは意外な気がします。

「 片岡の この向つ峰(を)に 椎蒔かば
            今年の夏の 蔭にならむか 」 
                   巻7-1098 柿本人麻呂歌集

( 片岡と云う名の、この向かいの高みに、椎の実を蒔いたなら
 今年の夏には日かげになるほどに育っていようか )

片岡は奈良県北葛飾郡王寺町から香芝町一帯。
シイは枝葉がよく茂りよく日蔭をつくりますが、大木になるには少なくとも
30年以上かかるとされていますので、この歌は文学的表現。
「恋の種を蒔いたなら、夏に成就するだろうか?」の気持ちが含まれているのかも
しれません。

   「 先ず頼む 椎の木もあり 夏木立 」 芭蕉

元禄2年、6か月を費やした奥羽、北陸の長旅ののち近江、石山の奥
国分山の幻住庵に住むことになった時詠まれた一句。
長い漂泊の旅のあと安住の場を得た安らぎの気持ちを椎の木陰に託したものです。



「 遅早(おそはや)も 汝(な)をこそ 待ため
    向(むか)つ峰(を)の 椎の小枝(こやで)の逢ひは 違(たが)はじ 」 
                                 巻14-3493  作者未詳

( 遅かろうが早かろうが、お前さんの来るのを待とう。
 真向いの峰の椎の小枝が重なりあっているように、
 逢えることは間違いないだろうから。)

「遅早(おそはや)も」: 相手が来るのが遅かろうが早かろうが

「向(むか)つ峰(を)の 椎の小枝」: 
                逢ひを導く序詞で 「向かいの峰の椎の小枝」
                シイは小枝が多く交叉(こうさ)するので
               「小枝(こやで)と女が「来(こ)や」を掛けている。
               小枝(こやで)は小枝(こえだ)の訛り。

向うの山の椎の木を眺めながら女を待っている男。
出来るなら早く来てほしいという気持ちが籠っています。

この歌には次の一首が併記されており、女の歌と思われます。

「 遅早(おそはや)も 君をし 待たむ
    向(むか)つ峰(を)の  椎のさ枝の 時は過ぐとも 」 
                   巻14-3493 或る本の歌  作者未詳

( 遅かろうが早かろうがあなたのお出でを待ちましょう。
 真向いの峰の椎の若枝が茂る時、その約束が過ぎようとも )

        椎のさ枝: 椎の若枝が茂る 「時」を起こす序 

     「 団栗や ころり子供の 言うなりに 」 一茶

                   (団栗(どんぐり)は木の実の総称)

奈良公園は団栗の宝庫、椎をはじめイチイガシの実などいたるところに
落ちています。
大きなもの小さいもの、
細長いものから丸いもの。
中にはトチやコナラの実も。
幼い頃、集めては箱にしまった思い出の宝物です。

  「 椎の実 沢山拾うて来た 息をはづませ 」  河東碧悟桐



         万葉集622(椎の木) 完

         次回の更新は12月15日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-12-07 15:27 | 植物