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カテゴリ:植物( 233 )

万葉集その七百三十二 (カタクリ回想記)

( 本稿歓談の友人たちと訪れた森野旧薬園 
           :奈良県宇陀市大宇陀 江戸時代から続く我国唯一の薬草園)
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( 弘前城公園のカタクリ)
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( 同上)
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( 青梅市 東京都  吉野梅林への途中で )
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万葉集その七百三十二 (カタクリ回想記)

「 冬が去り大地を覆っていた雪が消えるとカタクリは
  いち早く地上に芽を出し可憐なオペラ色の花を咲かせます。
  晴れた日に朝日を受けて開き、花片を極端に反り返らせ、
  さながらイナバウァ-のようです。
  カタクリの命は短く、一ヶ月余り経つと花も葉も茎も跡形なく消え去り、
  次の春まで地下で眠りこけるので「春のプリマは眠り姫」と
  形容した人もいるそうです。」

この文章は2007年4月2日付の本ブログ
「堅香子の花:カタカゴはカタクリの古名」のイントロの部分の要約です。
ここから友人たちとの賑やかな放談が始まりました。

まず筆者(以下Y.S)の解説

『 カタクリをトリノオリンピック金メダルの荒川静香さんの十八番イナバウアーに
  譬えるのも唐突だけど、あとに続くオペラ色は水彩絵具の美しいピンク色と
  スケート曲トウーランドット、つまり歌劇のオペラと掛けたんだよ。 』

 すかさずオペラに凝り始めた「I.N」さん

『 最初に読んだとき 「これは何じゃと」思ったが、そうかぁ、
  そんなら後に続く「春のプリマは眠り姫」は「眠れる美女」とも
  関連するんだ。なぁるほど、納得、納得 』

とご機嫌。

「N.F」さんいわく

『 こういう仕掛けになっていたとは、気づきませんでしたねぇ。
  オペラ音痴の当方では、「春のプリマは眠り姫」と言われてもピンと来ません。
  N君が言うならわかるが、オマエがここまでオペラに強いとは知らなかったよ~。』

「Y.S」  『 エヘン! どうだい、恐れ入ったか、ハハハ。 』

続くは万葉歌です。

「 もののふの  八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
          寺井の上の 堅香子の花 」   
                             巻19-4143 大伴家持

    ( 泉のほとりへ美しい乙女たちが三々五々、水桶を携えて集まってきます。
     そのかたわらにカタクリの花が咲き乱れて-- 何と美しいことよ )

雪国は長い冬からようやく待望の春を迎え、その喜びに溢れんばかりです。
こんこんと湧く清泉、入り乱れる乙女、群生する美しい花。
乙女たちの笑い声や水の音まで聞こえてくるような気がいたします。

「N.Fさん」

『 この歌の「もののふ」はどんな役割を果たしているのでしょうか
 「もののふ」ときけば「武士」、広辞苑を引いてみたら、
 「上代、朝廷に仕えた官人」としかありません。

「Y.S」

『 「もののふの」は枕詞ですが、その意味を知って歌を味わうとさらに
  面白いものになります。
  仰せの通り「上代、朝廷に仕えた官人」が原義ですが
  古代の朝廷には職掌ごとに氏族が奉仕しており、
  それらの総称として「もののふ(物部)」 という言葉が用いられました。
   (武士のイメージとなるのは後代です)

  そこから「もののふ」=氏(ウジ)=「宇治」に掛かる枕詞となり、
  さらに朝廷に奉仕する氏族が多かったことから八十(やそ=数が多い意)にも
  掛かる枕詞となったものです。

  従って、この歌の「もののふの八十娘子:やそおとめ」を細かく意訳すると、
  「 数え切れない位の氏族の人たちがいるように、多くの美しい乙女が」
  となりますが、煩雑になりますので
  冒頭では「大勢の美しい乙女」さらに「カタクリの群生」を
  イメージさせる枕詞としてとらえて下さい。
 
次に自らオペラを演じ、絵も堪能な「T.S」さん

 『 "こんこんと湧く清泉、入り乱れる乙女、群生する美しい花。
   乙女たちの笑い声や水の音まで聞こえてくるような”<情景>を詠った歌、
  (家持が実際に見た光景を詠んだものなのでしょうが)
  あまりに美しくて、現実の景色というより、家持にとっての理想の
  桃源郷を詠ったような気がしました。

  水辺の美女は、洋の東西を問わず、芸術作品の対象になることが多いような
  気がしますが、どうでしょうか。

  片栗の花といえば、数年前に、絵のサークルで、津久井湖の桜を見に行く途中で
  立ち寄った花園(個人が一つの山にいろいろな花の草木を植えたところ)で、
  片栗の群落を見たことがあります。
  一本一本は、小さく可憐な花でも、数百本が集まるとまた別の味わいが出てきますね
。いずれも、美しいものですが、絵や写真で作品にするには難しかったです。 』  
   
「 Y.S 」

 『 おっしゃる通り、この歌の情景はあまりにも美しいので家持は
  咲き乱れるカタクリを眺めながら頭の中で美しい乙女を思い浮かべたのでは
  ないかという説もありますが、伊藤博氏は「実景として受け取った方が自然」と
  述べておられます。(万葉集釋注)

  可憐にして清楚、気品があるカタクリの花は、美しい乙女のイメージと
  重なりますね。
  万葉集に一首しかないのが残念です。

  なお、古代、コンコンと湧き出る水は聖水と考えられており、
  水辺で遊ぶ乙女は聖女か処女のような印象があり、絵や歌の題材として
  好まれたのではないでしょうか。

  この歌の「寺井の上の」は「寺の境内にある井戸のほとり(上)」の意で、
  神聖な場所を暗示しています。 』

「最後にN.Fさん」が総括

『 「 もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
          寺井の上の 堅香子の花 」 
 
  もう春だもの、そうだ そうだ 片栗の花も咲く頃ですねぇ。
  花写真に取り組む機会を与えられたお陰で、無骨者のボクでも
  片栗の花姿を知るようになり、片栗とご縁が出来ました。

  でも、それより早く奥武蔵方面の春山を登山中に、
  「あそこに片栗が咲いている」と言って教えてくれたのは、
  一緒に登った弟でした。
   数株づつ、そこら一帯に群生していたのを思い出します。

  いまや、観光片栗の花となって、あちこちの山の斜面で栽培されるようになり、
  ここに謳われている自然の姿の堅香子を見る機会は、よほど幸運に恵まれないと
  ありませんね。

  そうそう、奥武蔵に自生の片栗の花が咲いている山があり、それを愛でるために
  女性たちがよく登っているそうです。

  万葉の時代は、観光というより食用として栽培されていたかも知れませんね。
  栽培している観光片栗園の親爺さんに尋ねましたら、種から蒔くと花が咲くまで
  7年も掛かるそうです。根っこが深く全部掘り出すのは至難と解説にありますが、
  なるほどと頷けます。
  いずれにしても、こういう光景は、誠に結構なものですなあ。
  若い女性の匂いが香ってきそうです。 』

楽しい会話はまだまだ続きましたが、この辺で。

 「 かたくりの 若芽摘まむと はだら雪
          片岡野辺に  けふ児等ぞ見ゆ 」  若山牧水



  古代からカタクリ(片栗)は葉も花も球根も大切な食料とされてきました。
  若芽、若葉はおひたし、味噌、胡麻、胡桃、豆腐和え、三杯酢、
  さらに鱗茎(球根)は天麩羅にして食べると美味。

  鱗茎(りんけい)は片栗粉にし、薬用として風邪、下痢、湿疹、切傷にも効ありとされ
  古くから重用されてきましたが、現在は原料不足と手数が掛かるため、
  ジヤガイモからとったものが片栗粉と称して売られています。

  なお、ユリ科多年草のカタクリの古名は「堅香子(かたかご)」。
  「堅」は「片」の意で、種から成長する過程で、まず片葉が生じ、
  数年以上(7年とも)を要してようやく両方の葉がそろうことによります。

  また「香子(かご)」は「鹿の子」、すなわち、鹿の斑点のような葉を持つことに由来し、
  当初「カタハカノコ」とよばれていたものが「カタカゴ」に変化した。

  さらに花の形がユリに似ているところから「片子百合」(カタコユリ)になり、
  真中の「コユ」が「ク」につまって「カタクリ」になったそうな。(諸説あり)

「 恋ほしめる われをみちびき カタカゴの
           花を見せしむ 春の谷道  」   窪田 章一郎




      万葉集732 (カタクリ回想記)完


    次回の更新は4月19日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-04-11 15:57 | 植物

万葉集その七百三十 (花は桜)

( 吉高大桜  千葉県印旛村 )
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( 京都御所御苑 )
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( 千鳥ケ淵  東京 )
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( 浜離宮庭園  東京 )
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万葉集その七百三十(花は桜)

山本健吉氏によると

  『 花といえば桜だが、その時期によって
    「初花、花、残花、余花」という季語がある。
    「初花」は3月、「花」は 4月上中旬、
    「残花」4月中下旬 「余花」5月。

「初花」とはその春に初めて咲く花のことであり、彼岸桜は早く咲くが
その土地々々によって、必ずしも品種を限定していう必要はない。
暖かい伊豆や房州は花が非常に早い。
花を待つ心が深いから「初花」を賞美することも深い。

「残花」は春も末の頃に咲き残った桜の花である。
八重桜は一重桜よりも遅いが、これも必ずしも八重と限ったことではない。
「遅桜」という言葉もあるが、「残花」のほうがもっと寂しい語感がある。

「余花」は初夏になって、やや寒いところや高い山などに、
遅れて咲いている桜の花である。

「残花」と「余花」の区別は、それこそ俳諧上の約束であって
その語感を微妙に感じ分けた結果である 』
                          (日本の名随筆 花 作品社 より )

万葉人はそのような言葉の区別など知る由も無く、蕾の状態を「ふふむ」
「初花」を咲き初(そ)める、満開を「今は盛り」「咲きにほふ」
そして、「散りゆく」と名残惜しそうに詠っています。

「我が背子が 古き垣内(かきつ)の 桜花
      いまだふふめり 一目見に来(こ)ね 」 
                        巻18-4078 大伴家持

( 懐かしい貴方がおられた元の屋敷の桜の花。
     その花はまだ蕾のままです。
     間もなく咲きますので、一目見にお出で下さい。)

越中国司 家持が以前同じ職場で仕事し現在は越前赴任中の大伴池主宛に
送ったもの。
二人は歌を通して生涯堅い絆で結ばれていました。

「 春雨に 争ひかねて わがやどの
     桜の花は 咲きそめにけり 」 
                        巻10-1869 作者未詳

        ( 我が家の庭の桜は、春雨に逆らいかねて
          ようやく咲き始めました。)

当時、春雨は開花をうながすものと考えられていました。
「咲き初め」とは美しい言葉、蕾から初花への段階です。

「 見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 
        咲きにほへるは 桜花かも 」 
                    巻10―1872 作者未詳

       ( 春日野に霞が一面に立つ中、輝くばかりに色美しく咲く桜は今真っ盛りです)

山野一面の桜。
春霞が立ち、桜か霞か判別しがたい。
朧桜とでもいうような景色でしょうか。

「 桜花 時に過ぎねど見る人の
       恋の盛りと 今は散るらむ 」 
                     巻10-1855 作者未詳

        ( 桜の花は、まだ花の時節が過ぎ去ったわけでもないのに
          見る人が惜しんでくれる今が盛りだと思って一斉に散るのであろうか。)

満開の桜が野山を覆い、埋め尽くす。
ところが、ある時点になり、一陣の風が吹くと一斉に散り始めます。
桜はまるで今こそが散りどきと悟っているかのように。
流れるような花吹雪、まさに夢見心地の境地です。

  「 吉野山 こずえの花を 見し日より
           心は身にも そはずなりにき 」  西行 

 桜の魅力に浮かれ出て、心がさまよい行くさまを詠った名歌です
 
西行がこよなく愛した桜。
ところが万葉集に吉野の桜歌が一首も見えません。
当時、山桜の木があったことは間違いなく、「春に花咲く」の歌を
桜とみなすことは出来ますがそれにしても不思議なことです。

吉野の桜史を紐解いてみますと、今から1300年前、
当時の山々には神が宿るとされていました。
のちに修験道の開祖「役君行者」(えのきみ おづぬ)が山深く分け入り、
千日の難行苦行の果てに憤怒の形相も恐ろしい蔵王権現を感得。
そして、その尊像こそ濁世の民衆を救うものだとして桜の木に刻み、
それを山上ヶ岳と吉野山に祀ったと伝えられています。

以来、吉野の桜は御神木とされ、信仰の対象として献木という行為が
延々と続けられました。
それが積りに積もって今日の3万本、日本一の桜の名所に。
吉野の桜は「花見」の為ではなく、信仰の対象として植えられたのです。


     「 花吹雪 浴びてしづかに 昂奮し」   神田敏子


         万葉集730(花は桜)完

     

      次回の更新は4月6日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-03-28 15:39 | 植物

万葉集その七百二十八(皇位継承を祝う木:栂)

( 栂:つが の大木  栗林公園  高松市 )
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( 栂の新葉  奈良万葉植物園 )
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( 吉野山山頂から  奈良 )
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(  三船山と吉野川  奈良 )
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万葉集その七百二十八 (皇位継承を祝う木:栂)  

栂(つが)はマツ科の常緑高木で樹高30m胸高直径1m以上にもなる
我国特産種です。
福島県から屋久島に至るまでの山中に自生し、晩秋マツ科特有の
黄色い花粉を飛ばします。
モミと混生していることが多い樹木で、材質が固いので建築材、パルプ材のほか、
樹皮に含まれるタンニンが漁網の染色に使われるなど有用の木です。

「栂」と云う字は国字、中国でこの木にあたるものがなかったので、
オリジナルを創らなければならなかったようですが、「木」+「母」としたのは
よほど大切な木とされたからなのでしょうか。

万葉集では5首。すべて長歌ですが、そのうち4首が畝傍山、奈良山、
明日香、吉野など大和の地名が詠みこまれており、当時この地一帯に
大樹が育成していたことが窺われます。(残り1首は越中)

次の歌は723年に元正天皇が吉野に行幸された時、皇太子、首皇子(おびとのみこ:
(のちの聖武天皇)の即位を予祝するものです。

まずは訳文から。

「 み吉野の激流のほとりの三船の山に
  瑞々しい枝をさし延べて
  生い茂っている栂の木

  その栂の木の「つが」という名のように次々と
  代々の天皇が万代の末までもお治めになる

  ここ、み吉野の秋津の宮は 国つ神の神々しいせいか
  まことに尊く、国柄が立派なせいか 誰もが見たいと心惹かれる。

  山も川も、清く爽やかであるので、
  なるほど、遠い神代以来 
  ここ み吉野を
  宮どころと定められたのであるらしい。 」     巻6-907 笠 金村

以下は詠み下し文です。

「 滝の上の 三船の山に    
  瑞枝(みづえ)さし       
  繁(しじ)に生ひたる 栂の木の 
  
  いや継ぎ継ぎに 万代(よろづよ)に 
  かくし知らさむ み吉野の
  秋津の宮は 神(かむ)からか
  貴(たふと)くあらむ 国からか
  見が欲しくあらむ      

  山川を清み さやけみ 
  うべし神代ゆ
  定めけらしも 
                      巻6-907 笠 金村

一行づつ訓み解いてまいりましょう。

「 滝の上の 三船の山に 
   
       (み吉野の)激流のほとりの三船の山に

「 瑞枝(みづえ)さし」 
      
       瑞々しい枝をさし延べて
  
 「 繁(しじ)に生ひたる 栂の木の 」

  
      生い茂っている栂の木

「 いや継ぎ継ぎに 万代(よろづよ)に 」

     その栂の木の「つが」という名のように次々と

 「 かくし知らさむ み吉野の 」

         今、代々の天皇が治めている 吉野 
            「かく」:今 「し」:強調を表す
            「知らす」 領有する

 「秋津の宮は 神(かむ)からか」

        ここ、み吉野の秋津の宮は 国つ神が神々しいせいか

         「秋津」は文末参照。

 「 貴(たふと)くあらむ 国からか」

     まことに尊く国柄が立派なせいか

 「 見が欲しくあらむ  」
    

       誰もが見たいほど心惹かれる

 「 山川を清み さやけみ 」

      山も川も清く清らかであるので

  「うべし神代ゆ 」

         なるほど 遠い神代以来
     
  「定めけらしも 」

           ここ み吉野を 宮処と 定められたのであるらしい

                  巻6-907 笠 金村



引き続いて反歌

「 年のはに かくも見てしか み吉野の
       清き河内(かふち)の  たぎつ白波 」 
                           巻6-908 笠 金村

     (  来る年ごとに こういうふうに見たいものだ
        ここ み吉野の清らかな河内の渦巻き流れる白波を )

「 山高み 白木綿花(しらゆふばな)に 落ちたぎつ
            瀧の河内は 見れど飽かぬかも 」 
                        巻6-909 笠 金村

    ( 山が高いので 白く清い木綿花となってほとばしり落ちる滝
     この滝の渦巻く河内は 見ても見ても飽きることがない )

吉野は天武皇統発祥の地。

当時、首(おびと)皇太子は19歳、天皇の見習い(朝政を聴く)を始めたばかりです。
持統天皇の子、草壁皇子が27歳で早世、世継ぎの文武天皇は即位したものの
わずか25歳で崩御、やむを得ず草壁の皇后が元明、その皇女、元正が女帝として
皇位を継承しながら首皇太子の成長を待ち、ようやくその実現にこぎつけようと
していました。
今回の行幸は前年亡くなった元明上皇の霊を鎮め、穢れを払い、翌年即位する
皇太子に吉野の聖なる魂を付着させ、天皇霊を全うさせることが目的です。

首皇太子の母と皇太子妃はともに臣下の藤原不比等の子。
血統を重んじる周囲の貴族、豪族の中には反対するものも大勢いたので、
即位には入念な根回しが必要と考えられたのです。

しかも、壬申の乱は天武が兄、天智の子、大友皇子を亡ぼしての継承で
あっただけに、その正当性を一層強調する必要がありました。

長歌に「つが」が詠いこまれたのも、聖樹とされている栂の類音をもって
「いや つぎつぎに」を導き出し、神武以来の皇統の連続の確かさを語る
意図があったようです。

  「 つがの木の しみ立つ岩を いめぐりて
         二尾に落つる 滝つ白波 」 伊藤左千夫

              「しみ立つ」 : 茂り立つ

皇統を寿ぐ木とされた「ツガ」は現在、庭園で観賞用としても植えられています。
美しく手入れされた大木は風格と品があり、万物の生命を司る生命の木でもありました。

  註:「秋津」について

   「秋津」は「蜻蛉」とも書き共に「とんぼ」の古名。
   「秋に多く出ずる」の意から「あきづ」に訛ったとされる。
    古代、蜻蛉(とんぼ)が多く飛ぶ時は豊穣のしるしと喜ばれた。

    日本書紀によると神武天皇が国見をして
    「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くにあるかな」と言われたと伝えられる。
    「臀呫(となめ)」とは「とんぼ」の雄雌が尾をくわえ合い、
    輪を作って交尾をする様子をいい、山々に囲まれた美しい国の地形と
     豊饒をもたらす蜻蛉を重ねてイメージされたものと思われる。
    もともと大和の一地方を表わしていたが、やがて「秋津島」すなわち
     日本全体をいう言葉になった。


           万葉集728(皇位継承を祝う木:栂) 完



          次回の更新は3月22日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-03-16 17:10 | 植物

万葉集(雪中梅鶯:せっちゅうばいおう)

( 筑波山雪中梅 )
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( 同上 )
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( 雪か梅か  同上 )
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〈 鶯鳴くも   学友N.F さん提供)
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万葉集その七百二十五 (雪中梅鶯)

「雪中梅鶯」(せっちゅうばいおう)とは雪が降りしきる中、
凛として咲く梅や雪を羽根に乗せながらしきりに美しい声を響かせている
情景を想像した筆者の造語です。

万葉人はこのような光景を目の当たりにして、一人静かに楽しみ、
また、愛する人に見せたい、雪が積もる梅の一枝を贈りたいと願いながら
美しく詠い、やがて文学的な表現―雪月花の世界へと進化させてゆきました。

次の歌は越中国司の大伴家持が冬と春の交錯したさまを描きつつ
春到来の喜びを詠ったものです。

「 うち霧(き)らし 雪はふりつつ しかすがに
         我家(わぎへ)の園に うぐひす鳴くも 」
                     巻8-1441 大伴家持

( 空一面をかき曇らせて雪が降り続いている。
 そんな冬の情景なのに我家の園では鶯の声が。
 あぁ、やはり春が来ているのだなぁ。)

立春も過ぎたというのに雪が降りしきっている。
春はまだまだ先だと思っていたら、突然、鶯の声が聞こえてきた。
恐らく梅の蕾も膨らんでいるのでしょう。
喜びの歓声が聞こえてくるような一首です。

    うち霧らし: 空を一面にかき曇らせて
    しかすがに: その一方では

「 我が背子に 見せむと思(も)ひし 梅の花
      それとも見えず  雪の降れれば 」 
                    巻8-1426    山部赤人

( あの方にお見せしょうと思っていた梅の花、
 その花は雪が枝に降り積もっているので、どれがそれとも
 見分けがつきません。)

当時、梅といえば白梅。
雪が積もると梅かどうかは見分けがつかない。
そういえば大伴旅人の

「 我が園に 梅の花散る ひさかたの
     天(あめ)より雪の 流れ来るかも 」  巻5-822 

という歌もありました。
紅梅が中国から伝わるのはずっと後、奈良時代の終わり頃です。

「 淡雪に 降らえて咲ける 梅の花
     君がり遣(や)らば  よそへてむかも 」 
                      巻8-1641 角 広弁(つの ひろべ 伝未詳)

( 淡雪に降られても健気に咲いた梅の花。
      その花をあなたのところへお届けしたら
      私だと思って偲んで下さるでしょうか。)

          君がり:あなたさまのもとへ
          よそへてむかも: 私だと思って下さるでしょうか
                      よそへ:なぞらえる:見立てる

女は男に惚れているが、男はつれない。
雪に打たれた梅はまるで私のよう。
そんな花をあの方に贈ったらどう思われるだろうか。
少しは健気で可愛いいと思って下さるでしょうか。
宴席でおどけて女の立場でうたったもの。

次の歌は我国和歌史上初めて「雪、月、花」を歌に詠みこんだ
記念すべき1首です。

「 雪の上に 照れる月夜(つくよ)に 梅の花
       折りて贈らむ   はしき子もがも 」 
                    巻18-4134 大伴家持



( 雪の上に照り映えている月の美しいこんな夜に
梅の花を手折って贈ってやれる可愛い娘でもいればなぁ ) 
 
        はしき:「愛し」き
        もがも: 願望 

雪の白、これを照らす月光、さらに白梅とすべて白一色につつまれた庭。
共に眺める美しい女性を目に浮かべる。
これは、まさに文学の世界。

以来、「雪月花」は日本の美の精神を象徴するものとして今日まで
継承されていますが、「花」が梅ではなく「桜」をさすようになったのは
平安時代からで、後代、漢詩で「雪月花」という言葉が見えます。

「 琴詩酒ノ友 皆 我を抛(ナゲウ)チ
       雪月花の時 最も君を憶(オモ)フ 」    白楽天

( 琴や詩や酒を楽しんだ友は皆ばらばらになり
     今は消息も聞かなくなってしまった。
     雪の朝、月の夜、花の時になると
     君のことが思い出されてならない )


      万葉集725(雪中梅鶯)完


   次回の更新は3月1日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-02-21 11:23 | 植物

万葉集その七百二十四 (梅ふふむ)

( 夜の梅 奈良公園  )
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( 白梅  皇居東御苑 )
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( 白梅、紅梅   同上 )
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( 枝垂れ梅ふふむ   下曽我梅林 )
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万葉集その七百二十四 (梅ふふむ)

万葉集で「ふふむ」という言葉は「含む」と漢字表記され
元々口に何かを入れ、その口が膨らんだ様子をさす言葉だそうです。
転じて「内にじっと秘めている」という意になり、
花や若葉がまだ開かないで蕾(つぼ)んでいる状態あるいは成熟していない年頃の女性、
または処女をさすときなどに使われています。

「 春雨を 待つとにしあらし 我がやどの
     若木の梅は いまだふふめり 」 
                     巻4-792 藤原久須麻呂

(  梅の若木は春雨が降るのを待って咲くといわれていますが、
 我家の梅はいまなお蕾のままです。)

大伴家持から送られてきた歌に対する返歌。
当時、春雨は花の開花を促すと信じられていたようです。

作者は当時飛ぶ鳥を落とす勢いの大納言、藤原仲麻呂の子。

この歌には含意があり、作者、久須麻呂が家持の娘を嫁にもらいたいと
何度も申し入れたが、当の娘はまだ12歳。
家持は当惑し
「誠に勿体なくも有難い仰せでございますが、娘は何分幼少ゆえ
 もう少し成長し、事の判断出来るようになるまでお待ち願えませんか。」

と婉曲に断ったのに対し

「 誠に尤もな仰せ、我家の梅もまだ蕾のまま。
  時期が参りましたら改めて。」と深謝したもの。

春雨を作者、若木の梅に家持の娘を寓しています。

「 去年(こぞ)の春 いこじて植えし わがやどの
     若木の梅は 花咲きにけり 」 
                       巻8-1423 阿倍広庭(中納言)


( 去年の春、掘り起こして移し植えた我家の若木の梅。
 今初めて見事に咲きましたよ。)

       いこじて: い:接頭語  こじて:根こそぎ掘り起こすの意

どこからか移植した梅が見事に咲いたと喜びあふれる1首。
当時、梅は珍重され大切に育てられていたようです。

「 春柳 かづらに折りし 梅の花
           誰(た)れか浮かべし 酒杯(さかづき)の上に 」
              巻5-840 村氏彼方(そんじの おちかた)

( 春柳、この柳の蔓(かづら)に添えて挿そうと手折った梅の花。
     その花びらを、めぐる盃に浮かべたのは、どなたでしょうか。)

730年2月、太宰府長官大伴旅人邸で催された梅花の宴での歌32首の1。
すべての歌に梅、柳、桜、竹、鶯、雪など、めでたい景物が詠いこめられた
文藝史上特筆される一大絵巻です。
この歌は
「どなたか存ぜぬが、杯に花びらを浮かべるとは風流なことをされたことよ 」と、
褒めたたえた1首。

鬘(かずら)は頭に載せる冠のようなもので柳の生命力にあやかろうとしたのです。

「 ひさかたの 月夜を清み 梅の花
      心開けて 我(あ)が思へる君 」
          巻8-1661 紀小鹿女郎女(きの をしか いらつめ)

( 月夜が清らかなので、梅の初花が開くように
 私の心もほんのり開けて、もうお見えになるとお慕いしている私。)

作者は安貴王(天智天皇曾孫)の妻で大伴家持と親交があった女性。
浮いた話も聞かないので、宴席での歌と思われますが、
待つことの喜びを詠った珍しい例とされています。

 ひさかたの: 月の枕詞 光などに掛かる。
 清み:清々しいので

梅の蕾、初花、杯の花びら、月夜の梅。
古代貴族たちの雅やかな生活が偲ばれる歌の数々でした。

 「 りんりんと 梅枝のべて 風に耐ゆ 」 中村汀女

       りんりんと( 凛々と): きりっと



       万葉集724(梅ふふむ)完


   次回の更新は2月22日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-02-14 15:56 | 植物

万葉集その七百十九 (嫁菜:よめな)

( 嫁菜は美味な野菜 奈良万葉植物園 )
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( 嫁菜の花 青  浄瑠璃寺 京都 )
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(嫁菜の花 白 東大小石川植物園 )
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( 枯れ蓮の周囲に咲く嫁菜の花 )
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  万葉集その七百十九(嫁菜:よめな)

ヨメナはキク科の多年草で本州中部以西の山野や田の周囲など、
やや湿った場所に多く見られ、秋に青紫,白色の可愛い小花を群生させます。

古くは「ウハギ」「オハギ」とよばれ、前川文夫氏によると
「オハギ」は「麻剥ぎ(おはぎ)」で枯れた茎が霜で皮がささくれているさまが
「麻(オ)の皮を剥ぐ」のに似ているからとされていますが今1つピンときません。
                          (植物の名前の話:八坂書房)

また、現代名のヨメナは「嫁菜」でその由来は
「食用とする若芽の中で最も美味で形が美しい」
「若葉が柔らかくて、花が可愛い」
など諸説あり、いずれも新妻の楚々とした美しさに譬えたものです。

万葉集には2首、すべて「ウハギ」と詠われています。

「 春日野に 煙立つ見ゆ 娘子(をとめ)らし
           春野のうはぎ  摘みて煮らしも 」        
                           巻10-1879 作者未詳

( 春日野の方に煙が立っているのが見える。
 あれはきっと娘さんたちが嫁菜(ヨメナ)を摘んで煮ているのだろうよ )

春日野は現在の奈良公園飛火野一帯。
緑の野原、焚き火の赤い炎、細く長く立つ白い煙。
色とりどりの衣裳をまとい、楽しそうにおしゃべりをしながら、
若菜を摘んだり煮たりしている大勢の美しい乙女たち。

作者は遠くに見える白い煙から仙境のような絵画的な場面を
思い描いたのでしょうか。

この歌は後々好まれ、春日野と言えば若菜摘みの代名詞になります。

「 春日野の 草は緑になりにけり
                 若葉摘まむと 誰かしめけむ 」  
                  壬生忠見(みぶのただみ) 新古今和歌集

( 緑になった春日野に標(しめ)がしてあるのは、
 一体誰が若菜を摘もうとしたのであろうか。)

            標:占有の目印

万葉集の2首目は異色の歌です。

「 妻もあらば 摘みて食(た)げまし 沙弥(さみ)の山
      野の上のうはぎ 過ぎにけらすや 」 
                   巻2-221 柿本人麻呂

( せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに
     狭岑(さみね)の山の 野辺一帯の嫁菜はもう盛りが過ぎてしまっている
     のだろうか。)

歌の詞書と長歌に

「 讃岐に旅した時、那珂の港(丸亀市)から東へ船出して間もなく
  突風に襲われた。
  やむなく沙岑(さみ)の島に寄港したとき、岩床に行商人らしき人が
  臥して死んでいた。」とあり

当時このような場合、亡き人の鎮魂をするべく歌を詠い、
合わせて自身の行路の安全を祈るのが習いでした。

人麻呂は行商人が餓死したとみなしたらしく、
嫁菜でも食べていたら飢えをしのげただろうに、と悼んでいます。

          狭岑の山: 香川県沙弥島 埋立てによって今は坂出と陸続き

 「 紫を俤(おもかげ)にして嫁菜かな 」 松根 東洋城

嫁菜は春菊のような香りがあり古くから人気がありました。
美味な上、解熱,解毒など薬草としても効あり、根を含む全草を採取して
水洗いをし、日干しして保存していたようです。

カリウム、ナトリウム、マグネシユウム、リン、鉄などを多く含み
栄養食としても満点。
その上、美味ともなれば現在にいたる重宝されているのも無理からぬことです。

   「 炊き上げて うすき緑や 嫁菜飯」  杉田久女


          万葉集719(嫁菜:よめな)完


         次回の更新は1月18日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-10 21:06 | 植物

万葉集その七百十八 (7日七草粥)

( 春の七草 向島百花園 上中央:ごぎょう 上左:すずな(蕪) 上右:すずしろ(大根)
 中央:なずな 下左: はこべら 下右:せり 下中央: 仏の座 ) 
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( セリの花 同上 )
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( スズナの花  奈良万葉植物園 )
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( ニラの花 山辺の道 奈良 )
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万葉集その七百十八 (7日:七草粥)

お屠蘇気分が抜けない正月7日。
ふと、暦を見ると七草。
そうだ、7日は七草粥の日だった。

 「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ 
          すずな  すずしろ  春の七草 」

春の七草は南北朝時代(1336~1392年)、四辻善成が初めて選定したとされ(河海抄)、
その後、歌道師範で名高い冷泉家に上記の歌として伝えられたといわれています。

古代の人達はこれらの野菜は栄養価が高く、病気への抵抗力を強くする
薬効成分が多いことを長い間の経験で会得しており、春菜摘みは
生活上なくてはならない庶民の行事として定着していました。

そして次第に上流階級の人々の間にも普及して儀礼化され、
平安時代になると朝廷の行事になり、醍醐天皇延喜年間(901~914)には、
正月最初の子の日(のち七日)、天皇に若菜を奉る公式儀式に制定されます。

然しながら、現在の七草粥の姿になるのは鎌倉時代からで、
平安時代の七種(ななくさ)は菜ではなく七種の穀類。
「 米 粟:あわ、 黍:きび、 稗:ひえ、小豆、胡麻、
 篁子:みの=水田に生える野草の実)」
で炊かれて正月15日(小正月)に食され、のちに小豆粥として継承されます。

奈良時代は七草の名はなくても、セリ、ヨモギ、ニラ、ノビル、ヨメナ、
ワラビ、カタクリ、スミレ(食用にされた)、スズナなどが万葉集に見え、
それらを総称した若菜、春菜も多く詠われています。

娯楽が少ない当時、ピクニックや花見は最大の楽しみ。
人々はこぞって早春の山や野原に出かけて若菜を摘み、その場で煮て食べたり
持ち帰って羹(あつもの:汁物)、菜飯、菜粥など長い冬の間の栄養不足を
補うべくいそしんだのです。


また、美しい乙女たちが集い楽しげに騒いでいる姿は男達にとっても
最大の目の保養、遠くから眺めながら詠います。

「 春山の 咲きのををりに 春菜摘む
         妹が白紐(しらひも) 見らくし よしも 」
          巻8-1421 尾張 連 (をはりのむらじ:伝未詳)

( 春山の花が咲き乱れているあたりで春菜摘んでいる乙女、
 その子が結んでいる清々しい白紐を見るのはなかなか
 気持ちがいいものよなぁ。)

山に花が咲き、野原は一面の緑。
そんな中、美しい乙女が無心に春菜を摘んでいる。
突然一陣の春風が吹き、乙女の白い腰紐が風に靡く。
はっと手を休めて立ち上がった子の輝くばかりの美しさ。
なんと気持ちの良い光景なのだろう。

色とりどりの花、野山の緑、着物の紐の白。
色彩の対比が美しく、春到来の喜びが感じられる歌です。

    咲きの ををりに: 枝がたわむばかりに咲いている

「 難波辺(なにわへ)に 人の行けば 遅れ居て
      春菜摘む子を 見るが悲しさ 」 
               巻8-1442 丹比屋主真人( たじひの やぬし まひと:官人)

( 夫が難波の方に出かけているので、一人後に残って
 春菜を摘んでいる子。
 その子を見ると、いとおしくてならない。)

娘たちが大勢で春菜摘みをしている。
その中で一人、ぽつんと離れて寂しそうな子がいた。
あぁ、あの子の夫は難波の方へ仕事で出かけているんだ。
さぞ、寂しいことだろうなぁ。
好意を寄せている人妻に惹かれている男です。

「 川上に 洗ふ若菜の 流れ来て
      妹があたりにの 瀬にこそ寄らめ 」
                      巻11-2838 作者未詳

( あの子が川上で採れた若菜を洗っている。
 これが流れていって、あの子が住む家のあたりまで
 寄ってくれたらいいのになぁ。)

 好きな女が川で摘みたての若菜を洗っている。
あぁ俺は若菜になりたい。
そして彼女の家の近くの川の瀬に流れ着きたい。

好意をいだく女性を遠くから眺めながら、叶わぬ恋を嘆く男。
気が弱くて口説けないのか。

「 摘みいそげ 木曽の沢井の 雪芹の
          いや清くして うまかるらしき 」   太田水穂

日本人は大の野菜好きですが日本原産の野菜は極めて少なく、
芹、水菜、蔓菜(つるな)、 蕗(ふき)、 韮 、茗荷、 独活(うど)、
三つ葉、 山芋位しかなく、それもほとんど葉菜です。
   ( 菜とは「草の茎 葉根の食べられるものの総称」)。

数ある葉菜の中でもとりわけ芹は我国栽培史上最も古く、
栄養価の高い野菜の一つで今日なお、ほとんど改良の手が
加えられていない昔のままの姿を持つ数少ない貴重な植物です。

  「韮茹でて あらたに春と 思ひけり 」   八十島祥子

韮の葉、茎はベーターカロチン、ビタミン類、カルシュウム、リン、鉄分など
多く含み、栄養価が極めて高い菜として通年栽培されていますが旬は早春。
お腹の調子が悪い時や二日酔いに最適の韮粥です。

 「 蕪肥えたり 蕪村生まれし 村の土 」 正岡子規

「カブ」の古名は蔓菁(青菜)、「スズナ」。

古事記に栽培の記録が見られるほど古くから大切な野菜とされてきました。
形も色も様々で現在80種類以上もあるそうです。

煮ても、蒸しても、漬物にしても美味。
中でも飛騨高山の赤蕪漬、京都の千枚漬、スグキ、
北陸の鰤ズシ(カブを輪切りにして寒ブリの薄切りをはさんだもの)
などが良く知られております。

 「 そのかみの 禁野(しめの)はいずこ 若菜摘む 」 高橋雨城
    
   そのかみ: 古(いにしえ)の
       禁野(しめの: 天皇の御料地

この句は次の歌をふまえたものです。

「 あかねさす紫野行(ゆ)き 標野(しめの)行き
             野守は見ずや 君が袖振る 」 
                            巻1-20 額田王


        万葉集718(7日七草粥)完


        次回の更新は1月11日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-04 00:00 | 植物

万葉集その七百十二 (大和路の紅葉)

( 大仏殿秋色  後方右 二月堂  奈良県庁屋上から )
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( 長谷寺 本堂に向かう僧侶たち    奈良)
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(  談山神社    同上 )
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(  浄瑠璃寺  いずれも2018年11月13日~15日撮影 )
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   万葉集その七百十二 (大和路の紅葉)

大和路の紅葉の名所といえば奈良公園一帯、正歴寺、長谷寺、室生寺、
談山神社、浄瑠璃寺といったところでしょうか。

奈良公園の南大門付近から大仏池、正倉院あたりの楓や銀杏。
春日大社の裏通りの杉や檜の大木に囲まれた色とりどりの紅葉。
奈良県庁の屋上から眺める赤や黄色に染められた春日山、高円山、若草山。

郊外に足を伸ばせば、鬱蒼とした木々に囲まれた正歴寺。
赤、黄、緑、色彩豊かな木立の中の美しい堂塔、室生、長谷寺、
そして藤原鎌足ゆかりの談山神社。
奈良と京都の県境にひっそりと佇み九体の御仏で知られる浄瑠璃寺(京都府)。

そんな古都に惹かれて毎年足を運びます。

万葉集での紅葉は約140首、ほとんど黄葉と表記されています。
まずは春日山から。

 「 今朝の朝明(あさけ) 雁が音聞きつ 春日山
    もみちにけらし 我(あ)が心痛し 」 
                         巻8-1513 穂積皇子

( 今朝の明け方に雁の声を聞いた。
     この分では春日山はもみじしてきたにちがいない。
     それにつけても私の心は痛む )

作者は天武天皇第7皇子、劇的な恋愛の後異母妹但馬皇女を
娶ったが先立たれました。
魂を運んでくるという雁の声を聞き、亡き妻を偲びつつ
共に春日山のもみじを見たかったと想いを馳せている皇子です。

 「 奈良山をにほわす黄葉 手折りきて
      今夜(こよひ)かざしつ 散らば散るとも 」
                  巻8-1588  三手代 人名(みてしろの ひとな)

( 奈良山を色鮮やかに染めているもみじ、そのもみじを折り取ってきて
 今宵はかざしにすることができました。
 もう満足満足、あとは散るなら散ってもかまわないよ。 )

右大臣橘諸兄の子、奈良麻呂邸での宴の席での歌。
親しき仲間と10名でそれぞれ黄葉を詠ったもの。
折り取ってきたもみじの1枝を頭にかざして詠い舞ったのでしょう。
楽しげな様子が目に浮かぶような1首です。

「 もの思ふと 隠(こも)らひ居(を)りて 今日(けふ)見れば
              春日の山は 色づきにけり 」
                  巻10-2199  作者未詳

( 物思いにふさぎこんでずっと家にひきこもっていたが、今日久しぶりに
 見ると 春日山はすっかり色づいているよ )

平城京から東の方を眺めると春日山、御蓋山、高円山、若草山が
一望できます。
万葉人は立ちのぼる朝日の光を受けながら赤く染まりつつある山々に
神々の摂理を感じて遥拝し、新鮮な気持ちで一日のスタートを
切ったことでしょう。

JR奈良駅から約30分桜井駅で近鉄に乗り換え約10分で長谷寺駅。
その昔「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」とよばれ、平城京、平安京からの
参拝客で賑わった地です。

「はつせ(またはハセ)」は初瀬、泊瀬、長谷とも書きますが、
いずれも正しいとされ、
初(ハツ)は「初め」、泊(セ)は「終わり」、「長谷」は「狭くて長い谷」。
そして「こもりく(隠国)」は「山々に囲まれた国」の意です。

すなわち「こもりくのはつせ」は「山々に囲まれた長い谷」にある霊験あらたかなる
観音様を拝して、心機一転の「新しい人生を初め」、生涯の果ては
「人生の泊(とま)りどころ」つまり墓所が営まれた聖なる地なのです。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
    しぐれの雨は 降りにけらしも 」 
                     巻8-1593 大伴坂上郎女


( こもりくの初瀬の山は見事に色づいてきました。
  時雨が早くもあの山々に降ったのでしょうね。)

作者は耳成山東北の地、大伴家の私領、竹田庄に行っていたようです。
古代、早秋の時雨は紅葉の色づきを早め、晩秋のそれは落葉を促すものと
考えられていました。
泊瀬の紅葉は昼夜寒暖の差が大きく色鮮やか、とりわけ長谷寺の
堂宇の間から臨む色とりどりの美しさはこの世のものとは思えません。

以下は堀辰雄著「大和路」からです。(旧仮名遣いのまま)

 『 この頃、私は万葉集をしばしば手にとって見てゐるが、
   源氏物語などの頃とは異なり、宗教思想が未熟だったせゐか、
   生と死との境界さへはっきり分からぬ古代人らしく

 「 秋山に 黄葉あはれと うらぶれて
       入りにし妹は 待てど来まさぬ」
  とか、又、

 「 秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
       妹を求めむ 山道(やまじ)しらずも 」

などといふ考え方でもって死者に対してゐる。

これは歌といふものの性質上、わざと さふいふ原始的な素朴な死の
観念を借りて、山に葬られた自分の妻を、あたかも彼女自身が
秋山の黄葉のあまりの美しさに憑(つ)かれたやうにして、
自ら分け入ってしまったきり道に迷って もう再び帰ってこないやうに
自分も信じてをるがごとくに嘆いて、以つて死者に対する一篇の
レクイエムとしたのかも知れない。

― ― 肉体が死んでも魂は分離して亡びないことを信じてゐた古人は、
深い山の中をさすらってゐる死者の魂を鎮めるために、
その山そのものの美しさを讃え、また死後彼等の居処や木々を
払わず其処(そこ)に漂っている魂の落ちつくまで荒れるがままにさせ、
ときをりその荒廃した有様を手にとるやうに さながら、その死者の
魂に向かっていふようにいふ、
― そんな事を私は万葉の挽歌作者をよみながら考える。 』

                              ( 黒髪山 本郷書林より )
筆者注:

  「 秋山に 黄葉あはれと うらぶれて
            入りにし妹は待てど来まさぬ」
                      巻7-1409 作者未詳

( 秋山のもみじに心惹かれて、なんだかしょぼしょぼと
 その山に入って行ってしまったあの子は、いくら待っても
 帰ってきてくれない )

 「 秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
        妹を求めむ 山道(やまじ)知らずも 」
                 巻2-208 柿本人麻呂

( 秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷い込んだ
 いとおしい子、あの子を探し求めようにもその道さえ分からない)

人麻呂が妻を亡くした時の挽歌

今年の大和路の紅葉は酷暑と度重なる台風の影響で、木々が痛み
色も少し寂しげ。
それでも、ところどころを美しく彩り、私たちを暖かく迎え旅愁を慰めてくれました。

 「 古寺や 紅葉も老て 幾昔 」 桃隣(とうりん) 
                      (江戸時代前期 芭蕉の縁者 )


      万葉集712 (大和路の紅葉)完

     次回の更新は11月30日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-11-22 11:02 | 植物

万葉集その七百八 (美男蔓:びなんかづら)

( 美男蔓はサネカズラの別名 葉や茎から出る粘液は男の整髪料に用いられたのでその名がある
 写真の花は夏から初秋にかけて咲く)
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( 熟した実は鹿の子:京菓子のよう 乾燥させ煎じて整腸、咳止め薬に) 
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万葉集その七百八 (美男葛:びなんかづら)

美男葛はサネカズラの異名で、葉や茎から出る粘り気がある粘液を
男の整髪料に用いられたので、その名があります。
関東以西の山地に自生するモクレン科の常緑つる性植物で、
夏から初秋にかけて黄色の小さな花を咲かせ、晩秋、小さな丸い実が集まって
3㎝位の球状になり美しく紅熟します。

実(さね)が美しいので漢字で「実葛」、「核葛」とも書かれ
乾燥させて煎じて飲むと、胃腸、滋養強壮,咳き止めに効ある植物です。

万葉集では9首。
蔓が長く伸び、先端がどこかで絡まるので、「後に逢う」と詠ったり、
「さね」が「さ寝」に通じるので、共寝を誘う材料としても好まれました。

「 丹波道(たにはじ)の 大江の山の さなかづら  
      絶えむ心の  我が思はなくに  」 
                           巻12-3071 作者未詳

( 丹波道の大江の山の さね葛、その葛が伸び続けるように
 二人の仲がいつまでも続くと思っております。
 お互いの関係が絶えてしまうなんて一度も思ったことありませんよ。)

 大江山: 京都府西京区大枝沓掛町、老ノ坂を越えると丹波の国

 さなかづら: 「さねかずら」の古名

平安時代になると技巧を凝らした歌になります。

「 思ふこと おほ江の山の さね葛
      暮ると明くとに 嘆きつつのみ 」  藤原知家

( あたたを思うことが多いので、明けても暮れても嘆いてばかり )

  おお江: 「大江山」と「(思うこと)多い」を掛ける
   暮る:  暮れると(長い葛を)繰る の同音に掛け
         「あなたを手繰りよせる」の意を含む

 「木綿(ゆふ)包み 白月山のさね葛 
       後もかならず 逢はむとぞ思ふ 」  
                      巻12-3073 作者未詳

( 木綿包みが白いというではないが、 白月山のさね葛の蔓が
     分かれて延び、また絡まり合うように、私もお前と
     のちにでも必ず逢おうと思っているよ。)

男は旅にでも出るのでしょうか。
「今は別れざるを得ないが、しばらくたったら必ず逢いに来るから心配するな」
と泣き崩れている女を慰めているようです。

       木綿包み: 白にかかる枕詞
       白月山(しらつきやま) :所在不明なるも近江か

「 名にしおはば 逢坂山の さねかづら 
                   人に知られで くるよしもがな 」  
                          藤原定方(三条右大臣) 百人一首

以下は大岡信氏の名訳です。

( 逢坂山のさねかずらよ そなたの名は
  恋人に逢って寝るという こころだときく
  その名の通りであるならば
  私はそなたが欲しい 
  人に知られず そなたをたぐり寄せるように
  こっそりと恋するひとに逢いたいものを )       (百人一首 講談社文庫)

女性に「さねかずら」を添えて送ったもの。

「逢坂山」と「逢う」、「さねかずら」と「さ寝(ね)る」を掛け、
「くる(来る)「繰る」を掛ける。
なぜ繰るのか? サネカズラは蔓草なので(男が女)を
たぐり寄せるイメージを呼び起こす。
しかも「来る」はここでは「行く」の意になる。
  
「 お前と逢って一緒に寝る手立てがあればなぁ 」と

口説いた風流貴公子の技巧の一首です。


 「 低籬(ひくまがき) こごめば見えて さねかずら 」 上林 下草居 
 
          籬(まがき):竹,柴などを粗く編んで作った垣
          ここめば: かがめば


           万葉集708 (美男蔓) 完


          次回の更新は11月2日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-25 11:07 | 植物

万葉集その七百六 (棗:なつめ)

( 棗の木 黄色い小花がいっぱい  赤塚万葉植物園 東京 )
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( 棗の花 拡大  同上 )
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( 棗の実  同上 )
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( ドライなつめ  そのまま食べたりケーキの添え物に )
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    万葉集その七百六 (棗:なつめ)

棗(なつめ)はペルシャからインド西北部にかけて原産するクロウメモドキ科の
落葉小高木で、古い時代に中国を経て渡来したと考えられています。
6月頃、淡黄色の小さな5弁の花を咲かせ、9月になると暗褐色、楕円体の
実を熟し食用とされます。

生で食べるより乾燥させた方が甘味が増し、菓子つくりに利用されたほか、
多くの漢方薬に配合され、利尿、強壮、鎮静に効ありとされている
有用の植物です。

なつめの語源は「夏芽」。
他の木々に遅れて初夏に芽をだすことによるそうな。

万葉集には2首、いずれも宴会の席上での戯れ歌です。

「 玉掃(たまばはき) 刈り来(こ) 鎌麻呂 むろの木と
     棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため 」 
                巻16-3830   長忌寸 意吉麻呂(ながのいむきの おきまろ)

( 鎌麻呂よ 箒にする玉掃を刈ってこい。
 むろの木と棗(なつめ)の木の根元を掃除するために )

「 玉掃 鎌、むろの木 棗(なつめ) 」を詠めといわれ、
 清掃を主題にまとめた宴席での歌。

「棗」は「そう」とも訓み「掃」と「早」(そう)を懸け
「掃除のために早く刈ってこい」の意。
さらに、「刈り」(カリ)、「来」(コ) 、鎌麻呂(カママロ) 
と「カ」行を重ねた機知ある一首です。

「玉箒」の現代名はコウヤボウキ。
キク科の落葉低木で、葉が落ちた後の枝を束ねて箒にし、ガラス玉の
飾りを付けたことからその名があります。
元々、蚕の床を払う用具とされていましたが、次第に華美になり装飾品に。

「むろの木」はヒノキ科ビャクシン属の針葉樹で「実が多くつく」
すなわち「実群(み むろ)」の意からその名があるといわれています。
葉は硬質。鋭く尖っていて、触ると痛いので、昔の人は鼠の通り穴に置いて
その出没を防いだことから「ネズミサシ」、「ネズ」の別名があり、
漢方ではその実を杜松子(としょうじつ)といい利尿、リュウマチに薬効ありと
されています。

さらに棗(なつめ)の枝にも棘があり、そのような歌を即座に思い浮かべることが
出来る作者は大変な才能の持主。
宴席の人気者だったことでしょう。

「 梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の
        後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く 」
                       巻16-3834  作者未詳

( 梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、
  時節が移っているのに、あの方に逢えません。
 でも、延び続ける葛の先のように、
 「後々にでも逢うことが出来ますよ」
 と葵(あふひ)の花が咲いています。 )

言葉遊びの戯れ歌。
宴会で梨、棗(なつめ)、黍(きび)、粟(あわ)、葛、葵を詠みこめと囃されたもの。

すべて食用とされる植物ばかりで
「 季節を経て果物や作物が次から次へと収穫の日を迎えているのに、
  長い間愛しい人に逢えないでいる。
  でも葛の蔓先が長く這うように、長い日を経た後でも、きっと逢えるよと
  葵(あふひ)の花が咲いています。」

つまり、「あふひ(葵)」を「逢う日」に掛けて見事な恋歌に仕立てたのです。
葵は古代「あふひ」とよばれ、他の食用の植物と共に詠われているので
「冬葵」(フユアオイ)とされています。

冬葵は中國原産、葵科の多年草で冬でも枯れないのでその名があり、
春から秋にかけて白や淡紅色の小花を次々と咲かせ若葉は食用に、
実は利尿に効ありとされています。

「 あぢきなし なげきなつめそ うきことに
           あひくる身をば  すてぬものから 」     兵衛  古今和歌集

( どうしょうもないことだから、
 そんなに思いつめて嘆かないように。
 辛いことを経験してきた我が身を捨てることなど出来ないのだから。)

「あぢきなし」: 無益だ 「なし」に「梨(なし)をかくす
「嘆(なげ)きなつめそ」:「なーそ」 禁止の意 「思いつめないように」
                「なつめ」に棗(なつめ)を隠す
「あひくる身(み)」: 「体験してきた我が身」
              あひ「くるみ」に「胡桃(くるみ)を隠す

梨、棗、胡桃を掛詞にまきこんだ高度な技巧の歌ですが
万葉歌と比べ難解。

 「 玉工(ぎょくこう)の みがきて細き 棗哉 」 松瀬 青々

抹茶を入れる茶器の「なつめ」は、形が棗の実に
似ていることによるそうです。
余談ながら札幌に鮨の名店「鮨棗」という店があります。
珍しい名前なので由来を調べてみましたら、店主の御祖母様の苗字「夏目」と
茶道具の棗に「おもてなし」の気持ちをこめて命名された由。

このほど高島屋日本橋新館オープンと共に出店。
近くに老舗「吉野鮨」があり、お江戸ど真ん中での競演が楽しみです。

 「 ほとほろと 棗(なつめ)こぼれて 忘れ得ぬ
               をさな むかしの(幼な昔の)  秋風の家 」 岡 稲里  


              万葉集706(棗:なつめ)  完


              次回の更新は10月19日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-11 11:44 | 植物