カテゴリ:植物( 214 )

万葉集その五百五十四 (黄葉)

( 談山神社  奈良 )
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( 長谷寺    奈良)
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( 浄瑠璃寺   京都)
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(  同上 )
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( 大湯屋   二月堂参道の途中で   奈良 )
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( 吉城園    奈良 )
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( 春日大社参道途中のお休み処    奈良 )
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( 東大寺指図堂  奈良 )
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( 奈良公園  )
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(  同上 )
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(  同上 )
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( 正倉院近くの大仏池  奈良 )
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( 鹿は銀杏がお好き?  正倉院の前で   奈良 ) 
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「黄葉」は「もみじ」、古くは清音で「もみち」と訓みならわしていました。
秋が深まりゆくと共に、木々の葉が揉(も)み出されるように染まってゆく、
その揉出(もみち)が語源とされています。
万葉集で「もみち」は135余首も詠まれていますが、大半は「黄葉」や
「色づく」「もみつ」などと表記され「紅、赤」の字が見られるのはごく僅かです。

その理由は大和付近の山々は雑木が多く楓類が少なかった、あるいは万葉人が
黄色を好んだ、もしくは、黄も赤もすべて「黄」と表記したとも言われていますが、
定かではありません。
現在のように紅葉と表記されるようになったのは赤に対する憧れが強かった
平安時代からのようです。

「 秋山に もみつ木(こ)の葉の うつりなば
      さらにや秋を 見まく欲りせむ 」 
                           巻8-1516 山部王 (経歴未詳)


( 秋山のこの見事な黄葉、
 木の葉が散ってしまったなら、さらにいっそう見たくてたまらなくなるだろうなぁ。)

晩秋、山野のさまざまな木の葉が思い思いの色に染まって行く。
作者はその光景を眺めながら行く秋を惜しみ、翌年の黄葉に思いを馳せています。

「 あしひきの 山の黄葉(もみちば)今夜(こよひ)もか
    浮かび行(ゆ)くらむ 山川の瀬に 」 
                           巻8-1587 大伴書持(ふみもち
)

( あしひきの山の黄葉、この黄葉の葉は今夜も散って
  山あいの瀬の上を流れていることであろう )

左大臣橘諸兄の子奈良麻呂宅での宴で披露されたもの。

作者は昼間見た奥山の見事な黄葉が はらはらと散り、
川に浮かび流れている様子を瞼に思い浮かべています。
一枚また一枚、表を見せ、裏を返しながら散り落ちた色とりどりの葉が
小舟のように流れてゆく。
月の光を浴びてきらきら光りながら静かに、滑るように。

風情があり、感性豊かな作者の一首です。

「 祝(はふり)らが 斎(いは)ふ社(やしろ)の 黄葉(もみちば)も
    標縄(しめなは)越えて 散るというものを 」
                        巻10-2309 作者未詳


( 神官たちが崇(あが)め祀っているお社の黄葉(もみちば)でさえ
  しめ縄を飛び越えて散るというのに。 )

男がある女に惚れた。
ところが女は親の目を気にして外に出て逢ってくれない。

親の目を神域のしめ縄に譬え、
「 黄葉の葉でさえも軽々としめ縄を飛び越えてゆくではないか。
  お前さんも勇気を出して出ておいで」と
女に呼びかけたもの。
母親をしめ縄に例えるとは面白い。
きっと怖い存在だったのでしょう。

「 このしぐれ いたくな降りそ 我妹子(わぎもこ)に
    見せむがために 黄葉(もみち)取りてむ 」 
                        巻19-4222 久米広縄(ひろつな)


( この時雨よ そんなにひどく降ってくれるな
  いとしいあの子に見せるため 黄葉を折り取っておきたいのでな)

越中、広縄邸で催された宴での歌。
古代、木々の小枝を折り取って頭や着物に挿すことが粋とされ、
またその生命力にあやかろうとしていました。
黄葉を褒め、主人のもてなしへの感謝の気持ちもこめているようです。

「 あしひきの 山の黄葉に しづくあひて
     散らむ山道(やまぢ)を 君が越えまく 」
                       巻19-4225 大伴家持


( あなたさまが、これから越えて行かれる山道は険しいでしょうが
 黄葉はきっと見事なことでしょう。
 時雨と共にはらはらと散る黄葉。
 そんな山路を行かれるのですね  )

越中在任の秦伊美吉 石竹(はだのいみき いはたけ)が国政一般の報告書(朝集帳)を
都に届けるにあたって催された宴での送別歌。
遠路の任務の苦労をねぎらうと共に、美しい紅葉路を行く人に対する羨望が
感じられる1首です。

「 時雨の雨 間(ま)なくな降りそ 紅(くれなゐ)に
    にほへる山の 散らまく惜しも 」 
                           巻8-1594 作者未詳(既出)


( 時雨の雨よ そんなに絶え間なく降らないでおくれ。
  こんなに降ると美しく紅色に照り映えている山の紅葉が散ってしまうよ。
  まだまだ散らすのには惜しいものなぁ )

738年 光明皇后の祖父、藤原鎌足の70周忌にあたり法会が行われた時に
出席者一同で唱和されたもの。
一種の無常観を感じてのことのようですが、この歌はもともと仏教に関係なく、
散り失せるもみじを惜しむ心を詠んだ歌で、「紅にほう」と赤色を使用した
珍しい例です。

北から始まった紅葉前線は今や関西でたけなわ。
京都の高山寺や東福寺、奈良の室生寺や長谷寺は大勢の人たちで
ごった返していることでしょう。
ゆっくりと楽しむため早起きして一番乗り。
では、では、朝靄かすむ長谷寺の長い石段を登るといたしましょうか。

    「 大紅葉 燃え上がらんと しつつあり  」 高濱虚子
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by uqrx74fd | 2015-11-13 06:35 | 植物

万葉集その五百五十一 (芝草)

( 芝草 現代名 力芝  山辺の道 奈良)
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(  野の花々   飛鳥 )
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(  同上  芝草は花の引立て役  同上 )
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(  同上  山辺の道 )
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( 同上    同上 )
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( 薊  同上 )
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( 鶏頭   飛鳥 )
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( 彼岸花 露草 吾亦紅  同上 )
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(  ススキ キバナコシモス  同上 )
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「芝草」は現在、力芝(チカラシバ)とよばれるイネ科の多年草で全国各地の
日当たりのよい草原や道端に生えます。
地面にしっかり根を張り、力一杯引っ張ってもなかなか抜けないのでその名があり、
秋に高さ50㎝内外の茎の先にブラシのような紫色の花穂を付けますが地味、
気を付けて観察しないと見過ごしてしまいそうな存在です。
それでも美しい花々の引き立て役、歌の世界では情緒を醸し出す主役となるのです。

万葉集では2首登場し、いずれも道端に生い茂っている雑草として
詠われています。

「 たち変(かは)り 古き都と なりぬれば
      道の芝草(しばくさ) 長く生ひにけり 」
                             巻6-1048 田辺福麻呂
 

( あの華やかな都の様子がすっかり変わり、今や古びた廃墟になってしまった。
 道の芝草も生茂り、伸び放題になっていることよ )

740年 大宰府で藤原広嗣が反乱を起こしたことに衝撃を受けた聖武天皇は
平城京から恭仁京(山背)へ都を遷します。
建物はすべて解体移設され、官人たちも新しい京に異動。
きらびやかな奈良の都は瞬く間に荒廃し、人も馬も通らない道は草茫々となって
しまいました。
最後の宮廷歌人といわれる作者は元正太上天皇が新都に移住する折に長歌とともに
この歌を詠い、去りゆく旧都の地霊を鎮めたものと思われます。

   「 畳薦(たたみこも) 隔て編む数 通はさば
          道の芝草 生ひずあらましを 」
                       巻11-2777 作者未詳


( 畳にする薦(こも)を 隔て隔てして編む、 その編み目の数ほど頻繁に
  通って下さったら 道の芝草も生い茂ったりしなかったでしょうに )

畳薦(たたみこも)はイネ科のマコモで編んだむしろのような敷物。
竹の小片で作った筬(おさ)という道具を用いて編みますが大変根気がいる仕事です。
「 私のもとに通ってくれなくなってからどれくらいになるのかしら。
  あまりにも間遠くなったので、通い道が草茫々になってしまった。
  はぁー。」
と、誠意なく遠のいた男を恨む女です。

いささか大げさな詠いぶりで、宴席での余興歌であったかもしれません。

「 訪(と)ふ人も あらし吹きそふ 秋は来て
      木の葉に埋(うづ)む  宿の道芝 」 
                      俊成卿女(藤原俊成の孫娘) 新古今和歌集


( もはやあの人は訪れてこないでしょう。
 ただでさえ淋しい上に嵐が吹く秋がやってきて、
あの方が踏み分けてきた私の家の道芝は、木の葉に埋もれてしまいました )

平安時代になると芝草は道芝と詠われ、道端に生える草の総称になります。
この歌では丈の短い芝。

「訪ふ人もあらじ」「あらし吹きそふ」と、「あらし」に「嵐」と「有らじ」を掛け、
王朝時代の洗練された恋歌となっています。

一見地味な存在である道端の雑草ですが、歌人の興趣を引くのか、
今もなお四季折々の情景や野焼きの芝まで広がりを見せて詠われており、
逞しい生命力の強さを誇っているようです。

  「 枯芝の 土手の日当たり をりをりに
           土の乾きの こぼるるけはい 」   島木赤彦


ある冬の一日。
ポカポカと暖かい日ざしをうけ、かすかに湯気でも立っているのでしょうか。
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by uqrx74fd | 2015-10-22 19:42 | 植物

万葉集その五百四十八 (にこ草)

( ハコネシダ  小石川植物園 )
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( 同上  奈良万葉植物園 )
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(  同上、観賞用 アジアンタムと呼ばれている  yahoo画像検索 )
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(  アマドコロ  奈良万葉植物園 )
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(  アマドコロの花     yahoo画像検索 )
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「にこ草」とは「柔らかい草」の意で、現在のイノモトソウ科の「ハコネシダ」、
ユリ科の「アマドコロ(甘野老)」の2説ありハコネシダ説が有力です。

「ハコネシダ」は江戸時代、オランダ使節の随員であったケンフエル(博物学者、医者)が
箱根で採集し、産前産後の特効薬としたことから知られるようになり、
「和蘭草(オランダソウ)」ともよばれ、また、葉が黄緑色で扇形に広がり、
銀杏に似ているとことから「銀杏草」「銀杏忍(いちようしのぶ)」の別名もあります。

色、形が美しく育てやすいので、近年「アジアンタム」の名で栽培種が出回り、
鑑賞植物として人気を博しているようです。

万葉集で詠われている「にこ草」は4首。
小さな葉がニコニコ笑っているようにも見え、いずれも明るく愉快な恋の歌ばかりです。

「 足柄(あしがり)の 箱根の嶺(ね)ろの にこ草の
    花つ妻なれや 紐解かず寝む 」 
                          巻14-3370 作者未詳(既出)


( お前さんは箱根山の高嶺に咲いている「にこ草」かい。
 まるで手が届かない聖女、花妻みたいじゃないか。
 おれと寝るのが嫌なの?
 そうでないなら、紐を解いて一緒に寝ようよ。
 それとも 体の具合が悪いのかい?)
  

何らかの事情で妻から夜の共寝を拒絶された男の嘆き節。
「花つ妻」という美しい造語は清純な乙女を想像させ、神祭りの時などに
触れてはならない期間の妻、あるいは月の障りかもしれません。

当時、箱根で多く咲いていたのでしょう。
ハコネシダ説を裏付ける根拠になっている一首です。

「 葦垣(あしかき)の 中の にこ草 にこよかに
    我れと笑(え)まして 人に知らゆな 」 
                       巻11-2762 作者未詳


( 葦垣の中に隠れている にこ草。
 その名のように にこよかに私にだけ微笑みかけて下さいな。
 決して周りの人にそれと知られないようにね )

恋は秘密にと言うのが当時の鉄則。
人の噂になるとその恋は成就しないと信じられていた時代です。
初恋なのでしょうか。
憧れの目ざなしで夢みるような うら若き乙女です。

「 秋風に 靡く川びの にこ草の
    にこよかにしも 思ほゆるかも 」 
                      巻20-4309 大伴家持


( 秋風に靡く 川辺の にこ草ではないが
 もう秋風が吹きはじめたかと思うと にこにこ嬉しさがこみあげてくる)

この歌に
「七夕の歌、一人 天の川を仰ぎて作る」との詞書があります。

牽牛、織姫の待ちに待った再会に思いをいたしながら、自身も恋人との
逢い引きを頭にえがいているようです。
相好を崩しながら詠っている作者の様子が目に浮かぶ一首。

「 射(い)ゆ鹿(しし)を 認(つな)ぐ川辺の にこ草の
    身の若かへに さ寝し子らはも 」
                           巻16-3874 作者未詳


( 昔、狩りで矢を射立てた手負いの鹿の足跡を追って歩き廻ったものだ。
 そうそう、川のほとりで「にこ草」が咲いていた。
あの草のように俺もまだ若かったなぁ。
共寝した可愛いあの子は今頃どうしているだろうか  )

若き日の甘い恋を回想している一老人。
ここでの にこ草は柔らかい若草。
その上で一緒に寝たのです。

「認(つなぐ)」は「綱」と同根 足跡を追って追い求めるの意。
手負いの鹿は水を飲みに里へ出て斃れる習性をもつのだそうです。
「身の若かへに」 わが身が若かりし頃
 
男は好きな女性を見かけ、驚かそうと息をつめて後を追っていた?
鹿狩りに寓した野性の恋。

4首の「にこ草」には箱根、蘆垣、川のほとり(2首)と生育地が示されています。
箱根は別にして他の3首は、ハコネシダと断定するにはいささか無理があります。
シダ類は岩壁にへばりつくように生え、花も咲きません。

そこで出てきたのは「アマドコロ」説。
初夏に細長い釣鐘形の白い小花を咲かせます。
根茎は食用になり甘味があるので「甘野老」という漢字があてられ
「アマドコロ」と訓みます。

古くは「エミクサ」とよばれたことが「にこ草」説の根拠になっていますが
これは「海老草」(えびくさ)が訛ったもので「笑み草」ではありません。
根が肥厚して横に這う姿が海老に似ているところからその名があります。

漢方で強精剤として使われており、飲むと元気になるので「笑み草」?
いやいや、これは無理、無理。

結局のところ「にこ草」は 最初の歌はハコネシダ、残る3首は
柔らかい草の総称と考えるしかないようです。

  「 にこ草の 笑みにあふれる 恋心 」  筆者























 
   
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by uqrx74fd | 2015-10-01 19:39 | 植物

万葉集その五百四十七 (山藍:やまあい)

( 山藍 奈良万葉植物園   花芽から白い小花が咲く )
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( 山藍染めの製作工程 西川康行著 万葉植物の技と心 求龍堂 )
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( 同上  藤色に染め上る )
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( 巫女の神事の時の衣装  白い衣に染められた山藍の模様  どんど焼き 奈良春日大社)
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( 同上  大神神社  )
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( 唐橋幻想  本稿の万葉歌をイメージ  堀 泰明 奈良万葉文化館所収 )
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(  小忌衣:おみごろも  yahoo画像検索  )
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( 徳島藍染   同上 )
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山藍はトウダイ草科の多年草で我国最古の染料とされています。
山地の木陰に群生し、3月から4月にかけて白緑色の小さな花を咲かせ、葉は常緑。
古代の人はその葉や根をすりつぶして出た汁を直接衣類に摺りつけて染めていました。

この植物は藍という名前がついているにもかかわらず、濃紺のインディゴという
色素を含まないため、淡い青緑や薄紫色にしか染まらなかったようですが
青々と茂る葉から染められた上品な色は神聖かつ目出度いものとされ、
白衣に花や鳥の模様を摺りつけた神事用の衣服、とりわけ天皇の大嘗会に
着用する小忌衣(おみごろも)に用いられ現代にまで脈々と継続されています。
 
次の歌は万葉集で唯一山藍。
若い女性も山藍染めの衣服を着ていたことを示すものです。

まずは訳文から

「 ここ 片足羽川(かたしは がわ)の 
 赤い丹塗りの大橋
 この橋の上を 紅に染めた美しい裳裾を長く引き
 山藍染めの薄青い着物を着て
 ただ一人渡って行く子

あの子は若々しい夫がいる身なのか
それとも橿の実のように 独り夜を過ごす身なのか。
妻問いに行きたい可愛い子だけれど
どこのお人か知りたいが その家が分からないことよ 」 
                               巻9-1742 高橋虫麻呂

「 しなでる 片足羽川(かたしはがわ)の 
  さ丹塗りの 大橋の上ゆ
  紅の 赤裳裾引き(あかもすそびき)き 
  山藍(やまあい)もち 摺れる衣(きぬ)着て
  ただひとり い渡らす子は
  若草の 夫(つま)かあるらむ
  橿(かし)の実の  ひとりか寝(ぬ)らむ
  問(と)はまくの 欲しき我妹(わぎも)が  家の知らなく 」
 
                                巻9-1742   高橋虫麻呂

語句解釈

「しなでる」 (級照る) 片足羽川の枕詞
               片のつく地名にかかる
               級(しな)とは坂、階段の意で
               重なるように日が照る、あるいは
               葛(くず:かたともいう)の葉が層をなして重なり日に照るの意とも。

「片足羽川」   大和川が竜田から河内へ流れ出たあたりの川

「橿の実の」   「ひとり」の枕詞 
           橿の実は一つの殻に実が一つしか入っていないことによる

裳裾は腰から下を被う衣服で現在の巻きスカートのようなもの。
紅の赤裳裾を引く女性の姿は当時の男性にとって官能をそそる魅力あるものでした。

朱塗りの大橋の上を一人行く美女に淡い憧れの情をよせる作者。
恐らく夕暮れのひとときなのでしょう。
茜色の夕焼け、朱色の橋、紅色の裳裾に山藍染の衣。

想像するだけでも色彩感豊かな情景が目に浮かびます。
ロマンティックな雰囲気の中にも作者の孤愁が漂う虫麻呂独特の世界です。

反歌

「 大橋の 頭(つめ)に家あらば ま悲しく
              ひとり行く子に やど貸さましを 」 
                                  巻9-1743 高橋虫麻呂


( 大橋のたもとに私の家があったら 
  わびしげに行くあの子に 宿を貸してあげたいのだがなぁ )

   「 頭(つめ) 」 端(つま)と同根の言葉。 ここでは「橋のたもと」

   「 ま悲しく 」  「わびしそうに」の意であるが 悲しは「愛(かな)し」で
             「いとおしい」気持ちが含まれる。

当時河内は渡来人が多く住む先進文化の地で、丹塗りの大橋が掛かるところは高級住宅街。
麗しき女性は上流階級の子女だったのでしょうか。
家の所在が分かれば求婚をしたいという作者の気持ちが籠ります。

「 石根山(いわねやま) やま藍(ゐ)にすれる 小忌衣(をみごろも)
      袂(たもと)ゆたかに 立つぞうれしき 」
            大江匡房(おおえまさふさ)  新千載和歌集

( 石根山で採った山藍で摺り染めた小忌衣
 そのあでやかな袂のように 満を持して皇位にお立ちになるめでたさよ )

石根山は滋賀県甲賀郡の岩根山

鳥羽天皇の大嘗会の席上での賀歌
大嘗会は天皇即位後初めて新穀を神に奉げる一代一回の極めて重要な祭りごとです。

「小忌衣」(おみごろも)とは白布に山藍の汁で草木や小鳥などの文様を描いて
摺りつけた狩衣に似た衣装で、現在、京都の石清水八幡宮で採れる山藍が
用いられ、京都の葵祭、奈良の春日大社の衣装にも使われているそうです。

「 ゆふだすき 千歳(ちとせ)をかけて あしびきの
   山藍の色は かはらざりけり 」   
                                賀歌 新古今和歌集


( 神事に奉仕するときに木綿襷(ゆふたすき)をかけて着る山藍摺りの衣の色は
 千歳にわたって変わらないなぁ )

神事の長さを詠うことによって、その神に守られている天皇を慶祝する意味を
籠めています。
染色法も摺り染めから、乾燥したものを搗き出して銅塩などの媒染剤を
用いたりして安定したものになっていたようです。

一方、純粋な藍染めは4~5世紀にかけて中国からタデ科のタデが渡来しており
その美しい色は多くの人々を魅了し、播磨、京都、摂津、和歌山ほか
各地で盛んに生産され、税としても貢納されました。

奈良時代には既に高度な染色技術が確立しており、衣服、料紙、経典など
様々なものに用いられ、正倉院御物にも色鮮やかな作品が残されています。

藍染が最盛期を迎えるのは木綿が安価に供給されるようになった江戸時代からで
特に徳島の阿波藍は全国の生産量の三分の一を占めたと云われています。

明治維新以降安価で色鮮やかなインド藍が輸入されるようになると
タデ藍の生産は大打撃をうけ、さらに1897年に始まったドイツのバイエル社による
合成インジゴの生産により、タデ、インド藍による染色は共に壊滅的な打撃を
受けました。

今日、安全志向が高まる中、再び天然染料が注目され、技術保存の努力もなされて、
徐々に生産復活の兆しが見えるようです。

    「 ふるさとや 今も名残の 藍植うる 」  清水良艸(りょうそう)
























 
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by uqrx74fd | 2015-09-26 21:09 | 植物

万葉集その五百四十三 (ノキシノブ)

( 巨木に生えているノキシノブ  唐招提寺 奈良 )
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( ノキシノブの胞子嚢(ほうしのう)  長谷寺  奈良 )
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( 神木杉の苔と一緒に生えているノキシノブ  大神神社  奈良 )
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( ツリシノブ   ほおずき市  浅草 )
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( ほおずきと一緒にならぶツリシノブ)
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( ほおずき市は美人揃い  浅草 )
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(  同上 ついつい買ってしまいます )
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( 万葉人が 恋忘れ草 と呼んだヤブカンゾウ )
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( 同上  ノカンゾウ )
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「ノキシノブ」はウラボシ科の常緑多年草で古くは「シダクサ」とよばれました。
古木の樹皮や岩、崖、家の屋根などに根茎を分枝して着生する羊歯(しだ)類で
昔、屋根の軒場(のきば)によく生えていたことに由来する命名です。

花は咲かず、20㎝ほどの葉は柳のように細長く、表面は緑。
裏面に褐色の胞子嚢(ほうしのう)があり

「 朽ちかけて 苔むす幹の しのぶ草
        ことごとく葉うらに 胞子をやどす 」    坂本凱二


とも詠われています。

乾燥して煎じて飲めば利尿に効ありとされ、別名ヤツメランとも。

「 わがやどは 甍(いらか)しだ草 生ひたれど
       恋忘れ草 見るに いまだ生ひず 」 
                      巻11-2475 柿本人麻呂歌集(既出)


 ( 我家の屋根の軒(甍)に「しだ草」がいっぱい生えているけれど、
  恋の苦しみを忘れさせるという恋忘れ草はいくら探してみても
  ちっとも生えてくれません。 )
 
万葉集唯一の「しだ草」です。
恋の苦しさから逃れたいと願いながらも忘れることが出来ず悶々としている男。

「忘れ草」とは現在の萱草とされ、「萱」という字には忘れるという意味があるそうです。
別名「ヤブカンゾウ」ともよばれ、中国原産の「本萱草」の変種とされていますが、
この母種は我国には存在せず、古い昔に渡来したものが今では完全に我が風土に
帰化したものと考えられています。

夏の山々や高原を美しく彩る「ニッコウキスゲ」、「ユウスゲ」、「エゾキスゲ」
「ノカンゾウ」なども同じワスレグサ属の仲間です。

平安時代になると「しだ草」は「忍ぶ草」という優雅な名前に変わります。

「 わが宿の 忍ぶ草おふる 板間あらみ
     降る春雨の もりやしぬなむ 」        紀貫之


( 我家は忍ぶ草が生い茂ってる古家。
 板を張った屋根の隙間が荒いので春雨が漏っているのではないかなぁ。)

「ポトリ、ポトリ」と音が聞こえてくる。
草茫々の屋根から雨漏りがしているのかしらと訝(いぶか)る作者。
荒れ放題の屋敷で悠然と春雨を楽しんでいる姿が目に浮かびます。

「 君しのぶ 草に やつるる ふるさとは
     松虫の音(ね)ぞ 悲しかりける 」
                            古今和歌集 詠み人しらず


( あなたを偲ぶという名をもつ「忍草」が生い茂って荒れ果てているこの地。
 お出ましを待って鳴く松虫の声が悲しく聞こえておりますこと )

「(あなた)を偲ぶ」と「忍草」、 「松虫」と「待つ」を掛けています。

「やつるる」は 荒れ果てた 
「ふるさと」は 二人で過ごした思い出の地

男が通ってこなくなった女の悲しみ。
茫々に生えた忍草と松虫の声が寂寥感を誘います。

ノキシノブは古木、岸壁、古家などいたるところで見られますが
「釣りしのぶ」は夏の風物詩。
葉のついた忍草の根茎を井桁(いげた)や舟形に仕立てたもので
軒や出窓につるし、水を滴らせたりします。

江戸時代、深川周辺の植木屋によって作られ、出入りの屋敷で飾られるように
なったそうですが、深山に生える苔や羊歯の清涼感と
疫病、魔除けとして取り付けられた風鈴の涼やかな音が人気をよび、
瞬く間に全国に広まったそうです。

現在は一般の家庭で飾るところは少ないようですが、毎年7月上旬、
浅草寺境内で催される「ほおずき市」でその風雅な姿を見ることができます。

「 忍ぶ釣 軒に寄添ふ 女かな 」 高桑蘭更(たかくわ らんこう)
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by uqrx74fd | 2015-08-27 17:04 | 植物

万葉集その五百四十二 ( 葵 )

( 冬葵 フユアオイ  春日大社神苑 万葉植物園 )
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(  同上 )
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(  同上    自宅近くの花壇で )
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(  立葵  タチアオイ  山辺の道  奈良 )
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(  同上 )
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( 同上 )
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( ウスベニアオイ    自宅 )
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( モミジアオイ   向島百花園   東京 )
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(  フタバアオイ    yahoo画像検索 )
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葵は古代「あふひ」とよばれ、万葉集に一首のみ詠われています。
他の食用の植物と共に詠われているので「冬葵」(フユアオイ)とされていますが
少数派ながら「立葵(タチアオイ)」説(牧野富太郎)もあります。

冬葵は中國原産、葵科の多年草で冬でも枯れないのでその名があり、
春から秋にかけて白や淡紅色の小花を次々と咲かせ若葉は食用に、
実は利尿に効ありとされている有用の植物です。

「 梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の
      後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く 」
                                 巻16-3834  作者未詳


( 梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、
 時節が移っているのに、あの方に逢えません。
 でも、延び続ける葛の先のように、
 「後々にでも逢うことが出来ますよ」
 と葵(あふひ)の花が咲いています。 )

言葉遊びの戯れ歌。
宴会で梨、棗(なつめ)、黍(きび)、粟(あわ)、葛、葵を詠みこめと囃されたものと
思われます。

すべて食用とされる植物ばかりで

「 季節を経て果物や作物が次から次へと収穫の日を迎えているのに、
  長い間愛しい人に逢えないでいる。
  でも葛の蔓先が長く這うように、長い日を経た後でも、きっと逢えるよと
  葵(あふひ)の花が咲いています。」

  つまり、「あふひ(葵)」を「逢う日」に掛けて見事な恋歌に仕立てたのです。

さらにこの歌は中国の艶物語「遊仙窟」の中の姉妹の次の会話をふまえているそうです。

「 相知不在棗 」 ( 相知ること棗(そう=早)にあらず) 
                ( あの方を愛しているなら早く決めなさい )

「 密不忍即分梨 」 ( 忍びずして すなわち分梨(ぶんり=離)す
                  ( あの方を愛していますが わざと離れているのです)

棗(なつめ)梨にそれぞれ「早、離」の意を含ませており、万葉歌は
この手法を応用したのかも知れません。
未詳の作者ながら相当な知識の持主。
これだけ多くの物の名を詠みこんだだけでも大した手腕です。

「 かくばかり 逢ふ日のまれに なる人を
    いかがつらしと 思はざるべき 」 
                       詠み人しらず  古今和歌集 


( これほどまでに 逢う日の稀になった人を 
  つれないと 思わずにいられましょうか )

逢う日に「あふひ(葵)」 「いかがつらし」の「がつら」に桂を掛け
葵と桂を詠みこんだ技巧歌。
愛する人に「つれなくされて辛い」と嘆く人は、男女どちらとでも解釈できそうです。

葵は京都の葵祭に欠かせないもので、ここでの葵はウマノスズクサ科の
フタバアオイ、徳川将軍家の紋所です。

「 忘れめや あふひを草に 引き結び
         かりねの野べの 露のあけぼの 」 
                      式子内親王(しょくしないしんおう) 新古今和歌集


( あの日のことを忘れることがありましょうか。
 葵を草枕として引き結んで仮寝した神域の野辺の露が
  しとどに置いたあけぼのを )

作者は後白河法皇の皇女。
若き頃、賀茂神社の神事に斎院として奉仕した頃の思い出。
詞に「神館(かんだち:修行場)で」とあるので野宿ではなく建物の中で
宿泊したもの。

「 夜がほのぼのと明けてゆく。
  ふと外を見やると霞んだ野辺に一面の葵。
  日がさしこんでくると、上に置かれた露がキラキラ光る。
  まるでダイヤモンドガ輝いているようだ。
  それは神々しい光、神の世界。 」

ここでの「あふひ」もフタバアオイです。

葵といえば立葵。
茎は直立して枝がなく2m以上にもなります。
ハート形の葉の付け根に5弁の花を付け、次々と咲き登ってゆき
紅、白、ピンク、紫など色とりどりです。

「 日につれて 咲き上りけり 立葵  」    闌更(らんこう 江戸中期)
















   
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by uqrx74fd | 2015-08-20 18:15 | 植物

万葉集その五百四十一 (朝顔、昼顔、夕顔)

( 何度も交配を重ねた変化朝顔  国立歴史民俗博物館付属 くらしの植物苑 (千葉県佐倉市)
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( ヒルガオ科  空色朝顔   同上 )
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( 昼顔   同上 )
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( 夕顔  自宅 )
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(  朝顔市  東京入谷 )
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万葉集で朝顔を詠ったものが5首あり、通説では桔梗のこととされています。
「顔」と言う字はもともと美しい容貌を言い、転じて花を指すようになったそうですが、
何故「朝顔」が「桔梗」なのか?

「 萩の花 尾花葛花 なでしこの花
   をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花 」 
                     巻8-1538  山上憶良 (秋の七草)

「 朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど
    夕影にこそ 咲きまさりけれ 」 
                    巻10-2104 作者未詳

( 朝顔は朝露を受けて咲くというけれども、夕方の光の中でこそ、
  なお一層その美しさが際立つものなのですね。)

先ず、憶良の歌は秋に咲く花7種。
作者未詳歌は夕方になると映える花。
夏の花であり夕べに萎む朝顔はこの2首に該当しません。

さらに、我国最初の漢和辞典「新撰字鏡」(901年頃:僧 昌住著)に
「桔梗、阿佐加保(アサカホ) 又云う 岡止々支(オカトトキ=桔梗の別名)」
の記述があり、中国から朝顔(牽牛花)が渡来したのは平安時代となれば、
キキョウ説が主力となるのは無理からぬところです。

「 君来ずは たれに見せまし 我が宿の
      垣根に咲ける 朝顔の花 」      読み人知らず 拾遺和歌集


 平安時代、垣根に咲くと詠われたこの花は間違いなく朝顔です。

 然しながら、2015年7月31日付 夕刊読売新聞で伊藤重和氏(変化朝顔研究会)が
「 朝顔は奈良時代に薬草として持ち込まれた 」と述べておられ、
もしそうであるならば、下記の万葉歌は朝顔と解釈することも可能になります。

「 わが目妻(めづま) 人は放(さ)くれど 朝顔の
                    としさへこごと 我(わ)は離(さか)るがへ 」 
                                   巻14-3502  作者未詳
( 俺のいとしい人 他人は引き離そうとするけれど
      あのように朝顔のような美しい子を 幾年経(た)とうと離したりするものか )

目妻は愛(め)づる人。
「年さへこごと」は難解で学説が別れますが、「年を経ようとも」の意か。

正式な結婚までいっていないのでしょうか、
周りの人が反対して二人の間を割こうとしているようです。
朝顔は愛しい人を譬えたもの。

「 臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく
               色には出(い)でじ 朝顔の花 」 
                      巻10-2274 作者未詳(既出)


( あなたのことを思い悩んで夜も寝られず毎晩寝返りばかり打っている私。
  万が一、恋患いのまま死んでしまうようなことがあっても、
  朝顔の花が咲くように、はっきりと顔に出すようなことはいたしますまい )

「臥(こ)いまろび」の原文表記は「展転」:「横になってころがる」意で
「激しい嘆きや悲しみの姿態として好んで使われる言葉(伊藤博)だそうです。
「灼然(いちしろく)」は→「いちしるし」→「いちじるしい」と現代語に転訛しました。

心の内に秘めた恋の炎。
激しければ激しいほど決して顔に出すまいと決心する。
この女性に桔梗を当てはめると着物姿のキリリとした姿。
朝顔なら浴衣姿の艶な姿。
どちらも甲乙つけがたい。

「うす曇 遠かみなりを 聞く野辺の
              小草がなかの  昼顔の花 」  木下利玄


万葉集で「貌花」と詠われているものが四首あり、
昼顔、カキツバタ、オモダカ、ムクゲ、キキョウ説がありますが昼顔が有力です。

「 高円の 野辺(のへ)の貌花(かほばな) 面影に
          見えつつ妹は 忘れかねつも 」 
                          巻8-1630 大伴家持


( 高円の野辺に咲きにほふ かほ花
 この花のように面影がちらついて
 あたたを忘れようにも忘れられない )

聖武天皇東国巡幸に従った作者が妻、坂上大嬢に贈ったものですが、
昼顔は朝顔ほど華やかではなくどちらかと言えば地味。
作者は単なる美しい花の比喩で「貌花」と詠ったのかもしれません。

昼顔は全国各地の野原、道端など日当たりの良い所ならどこにでも生える
つる性の多年生草本で、夏になると付け根から花柄を出し、その先端に
5cmほどの朝顔に似た紅紫色の花を咲かせます。

「暮そめて 草の葉なびく 風のまに
     垣根すずしき 夕顔の花 」 
                        拾遺愚草 (藤原定家の私歌集)


夕顔はウリ科の蔓性1年草で、夏の夜に平たく5裂した白い花を咲かせ
翌朝には萎みます。
瓢箪と同属で、干瓢の材料となる植物ですが、夕闇に白く浮かび上がる
優雅な姿が好まれ、源氏物語に

「心あてに それかとぞ見る 白露の
             光そへたる 夕顔の花 」  (夕顔の巻)

と詠われています。

夕顔は残念ながら万葉集には登場していません。

  「 夕顔の うしろの闇の 深さかな 」 池田草衣

以下は 「杉本秀太郎著 花ごよみ 講談社学術文庫」からです。

『 江戸も末近く、文化文政の頃、朝顔は江戸の人の栽培熱をあおりたてた。
    大輪,奇花を咲かせ競うのだ。
    江戸の流行はたちまち日本中にひろがり、とび散った朝顔の種は
    庭にも、垣にも、鉢にも、路傍にも、野ずえにも、それこそ浜の真砂の数ほどの
    花を朝ごとに咲かせるようになった。
    明治の世になると、朝顔はいっこうに珍しい花ではなくなった。』
  
国立歴史民俗博物館に付属する「くらしの植物苑」で毎年7月の終わりから夏の間、
珍しい朝顔が展示されます。
突然変異した様々な朝顔を何度も交配を重ねて生み出された変化朝顔も多く、
江戸時代の栽培熱を彷彿させてくれますが、その再現には大変な苦労が
あったことでしょう。

     「 朝顔の 昔の色の 濃むらさき 」  寺谷なみ女
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by uqrx74fd | 2015-08-13 10:35 | 植物

万葉集その五百四十 (檜扇、今盛りなり)

( 檜扇の蕾  ねじれているのは花が終わったもの  春日大社神苑 万葉植物園)
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( 花が開いた瞬間は黄色です    同上 )
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(  徐々に赤くなってゆく    同上 )
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(  美しく咲きました   同上 )
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(  まだまだ咲きます   同上 )
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( 秋になると莢がふくらむ    同上)
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 ( はじけて黒い種が顔を出す 古代の人はこの玉を 「ぬばたま」とよびました  同上 )
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(  名前の由来となった葉   扇を広げたよう   同上 )
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檜扇(ヒオウギ)はアヤメ科の多年草で、根元から広がる葉が檜で作られた扇に
似ているところからその名があります。
夏になると斑点交じりの黄赤色の美しい花を咲かせますが、夕方に
ねじれた棒のようになって萎む一日花です。

「 よわよわと 咲き始めたる 射千(ひおうぎ)の
    いろかなしきは ただ一日のみ 」       斎藤茂吉

                                                                                        
檜扇は「射千(やかん)」とも書きます。
漢方に由来する名で、乾燥させた根茎を喉や咳の薬として用いています。

秋に莢が弾けて光沢がある黒い種が飛び出しますが、古代の人達はこれを
「ぬばたま」とよびました。
万葉集で「烏玉」「黒玉」と原文表記されているものがあるので
「ぬば」は「黒」を意味するものと思われます。

この黒真珠のような美しい玉に魅了された万葉人は何と!79首もの歌を残しました。
ところが、不思議なことに植物そのものを詠ったものは一首もなく、
すべて黒いものに掛かる枕詞として用いられているのです。
中でも多いのは夜(43首)、黒髪(16首) 他に夜床、黒馬、夜霧、夢、など。

照明がない時代、夜の闇は現代よりはるかに暗くて長い。
恋人と共に過ごす時間は何よりの楽しみであったことでしょう。

「 ぬばたまの 黒髪敷きて 長き夜を
    手枕(たまくら)の上に 妹待つらむか 」 
                            巻11-2631 作者未詳


( 黒髪をふさふさと敷き靡かせながら この長い夜を 手枕にむなしく身をまかせて
 あの子はしきりに待っていることであろうか )

「今夜は行くぞ」と約束したのに何らかの理由で果しえなかった男。
女が黒髪を靡かせて寝ている姿を瞼に浮かべながら一人侘びしく過ごしている。
長い長い夜。
この歌の「ぬばたま」は黒髪に掛かる枕詞ですが艶やかな光沢ある長髪を
靡かせている恋人の官能的な寝姿を想像しながら悶えている男を想起させています。

「 ぬばたまの 夜渡る月の さやけくは
     よく見てましを  君が姿を 」 
                       巻12-30007  作者未詳


( 夜空を渡って行く月が皓皓と輝いていたら
 あの方の顔や姿を心ゆくまで見ることができたのに )

明かりが乏しかった当時、月の光が一番の照明。
その月が雲に隠れていて、愛する男の顔姿が良く見えなかったと嘆く純情な乙女です。

「 ぬばたまの 夜渡る月を おもしろみ
     我が居る袖に 露ぞ置きにける 」 
                        巻7-1081 作者未詳

( 夜空を移りゆく月、 この月があまりにも爽やかなので
 寝ないで楽しんでいるうちに 着物の袖がいつの間にか濡れてしまった )

「おもしろみ」 面白いので

清らかな月の光に魅せられて時間が経つのも忘れてしまった男
ぬばたまの夜は漆黒の闇。
それだけに月の光が美しく感じられたのでしょう。
縁側で一献また一献重ねているうちに、いつのまにか夜が更けてゆく。

「 ぬばたまの 黒髪変わり 白(しら)けても
     痛き恋には 逢ふ時ありけり 」 
                          巻4-573 沙弥満誓(さみ まんぜい)

( 黒髪が真っ白に変わる年になっても
 こんなにも強く惹かれる恋心。
 そんなこともあるのですね。
 あなたが懐かしくって、懐かしくって。 )

筑紫在住の大伴旅人が都へ転任になったのち、作者が旅人に贈ったもの。
よほど心を許しあっていた友人同士だったのでしょう。
男が男に恋人仕立ての歌を贈るのは当時の流行だったらしく、この歌も
友情の強さを吐露したものです。

「 夏草の 野に咲く花の 日扇を 
                  狭庭に植つ 日々に見るかに 」  伊藤左千夫


ここ春日大社神苑 万葉植物園の檜扇は真っ盛り。
一日花ですが蕾が多く、次から次へと咲き続けています。
咲き終わった花はくるくる巻いた棒状に。
秋になれば莢が弾けて美しい玉が顔出すことでしょう。

「 九月になれば 日の光やはらかし
     射干(ひおうぎ)の実も 青くふくれて 」      斉藤茂吉

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by uqrx74fd | 2015-08-06 07:44 | 植物

万葉集その五百三十九 (川原撫子)

( カワラナデシコ  皇居東御苑 2015,6,20 )
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( カワラナデシコ  春日大社神苑 万葉植物園 2015,7,21 )
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(  同上 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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(  桔梗も満開  同上 )
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(  ヤブカンゾウ  同上 )
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( メハジキ  同上 )
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( オニユリ  同上 )
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(  ヤマユリ  同上 )
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 秋の七草といえば山上憶良が詠った
「 萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔(桔梗) 」。

以来1250年間変わることなく不動の位置を占め、季語集も当然のごとく秋のものと
されています。(撫子は夏とされているものもある)
ところが近年、撫子は6月頃に咲きだし、秋になると枯れ果ててお目にかかれないのです。
桔梗も然り、萩さえ6月の終わり頃から咲き出している始末。
植物園に秋の七草コーナがありますが、秋まで元気なのは葛と尾花。
葛の花も八月中旬が見頃。

と言う訳で早々と万葉で26首も詠われている撫子を探しに行きました。
撫子は我国原産のものを「カワラナデシコ、大和撫子」中国産を「唐撫子、石竹」
とよんで区別し、万葉集で詠われているのはすべてカワラナデシコ(川原撫子)です。

まずは、皇居東御苑、秋の七草が集められている場所へ。
2015年6月20日のことです。
このコーナーは小さく目立たないところにありますが、3株ばかり咲いていました。
美しいピンク色、形も凛としている。
昨日今日咲いたばかりのようです。

そういえば撫子の別名は「常夏」。
花期が長いので付けられたのでしょうか。
あるいは永遠に変わらぬ美しさを願っての命名かもしれません。

「 わがやどに 蒔きしなでしこ いつしかも
    花に咲きなむ  なそへつつ見む 」
                  巻8-1448 大伴家持


( 我が家の庭に蒔いた撫子、この撫子は何時になったら美しい花になって
  咲き出るのであろうか。
  咲いたなら いつもいつもあなたと思って眺めように )

作者は11首も撫子の歌を残しています。
この歌は15歳の頃、10歳の婚約者坂上大嬢(さかのうえおおいらつめ)に
贈ったものです。
成長を心待ちにしている気持ちを伝えようとしているようですが
果たしてまだあどけない子供に細やかな恋情が理解できたかどうか?
ませていた家持は相手の成長を待ちきれず、他の女性との恋の遍歴を始めてしまいます。

「 蝉の鳴く 松の木かげに 一むらの
    うす花色の 撫子の花 」  伊藤左千夫
             

1か月後の7月21日、再び撫子を求めて奈良の春日大社神苑、万葉植物園へ。
我国最古の万葉の園、約9000坪の広い敷地で自然のままに育てられているのが魅力です。
入口にからほど近いところに春日山を源流とする美しい小川が流れ、
岸辺に山百合、オニユリが。
さらに奥に進むと撫子が群生し、辺りはピンク色に染まっています。

メハジキ、檜扇、女郎花、桔梗も所狭しと咲き、萩もボチボチ咲きはじめ。
灼熱の太陽の下の秋の花々です。

「 射目(いめ)立てて 跡見(とみ)の岡辺の なでしこの花
    ふさ手折り 我れは持ちて行く 奈良人のため 」
                     巻8-1549  紀 鹿人(きの かひと) 旋頭歌


( 跡見の岡辺に咲いている撫子の花
 この花をどっさり手折って私は持ち帰ろうと思います。
 奈良で待つ人のために )

作者は友人、大伴稲公(おおともいなきみ)を訪ね、主人のもてなしに感謝しつつ
素晴らしい当地の花を手土産にしましょうと挨拶した一首。

稲公は大伴旅人の異母弟。
跡見の庄は奈良県桜井市鳥見山の東麓、飛鳥に近いところです。

「射目立てて」は 跡見の枕詞 
射目は鳥獣を射るために隠れて狙う場所、
獣の足跡を見るの意で跡見に掛かるとされている。


「 なでしこは 咲きて散りぬと 人は言えど
     我が標(し)めし野の 花にあらめやも 」 
                             巻8-1510 大伴家持


( なでしこの花は咲いてもう散ったと人は言いますが、
 よもや、私が標を張っておいた野の花のことではありますまいね )

作者が親しくしていた紀郎女(きのいらつめ)に贈った歌。

「わが標し野の花」は自分の彼女である紀郎女を暗示しており、
「咲きて散りぬ」は他人と関係をもったの意。

世間の噂に不安を感じ「よもや心変わりしたのではないでしょうね」
と言いやったもの。
尤も、相手は人妻なので言葉のお遊びかもしれません。

万葉植物園の撫子の群生。
あまりの美しさに魅かれて3日後に再び訪ねました。
ところが、うなだれた様子で元気がありません。
先日見たのは大雨の翌日、その後、連日の猛暑で参っているようです。
やはり撫子は秋がふさわしい。

隣のコーナーは檜扇、夏の花。
こちらは生き生き、今が盛りと咲き誇っていました。

「 酔うて寝む なでしこ咲ける 石の上 」 芭蕉





























 
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by uqrx74fd | 2015-07-30 19:44 | 植物

万葉集その五百三十七 (合歓の花咲く社)

( 高千穂神社  千葉県佐倉市 )
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( 合歓の花満開  見ごろは6月下旬 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 八重桜と躑躅  4月下旬 )
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(  花絨毯  5月上旬 )
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(  雨上がりの紫陽花 ) 
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(  藤棚もあります  初夏 )
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( 龍の髭:山菅の種子 秋 )
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( 雪の松  冬 )
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「 ねむの花さく ほそ道を
  かよふ朝こそ たのしけれ
  そらだのめなる 人の世を
  たのめて老いし 身なれども 」  
                           (三好達治  ねむの花咲く)

            そらだのめ:(空だのめ) あてにならないことをあてにする

千葉県佐倉市に「高千穂神社」という花の社(やしろ)があります。
今から66年前、九州宮崎の高千穂神社から下総国志津ケ峰とよばれていた
丘陵地に勧請され、菊の御紋を許されている鎮守社です。

今は亡き初代宮司、森谷鉄五郎さんは余程花を愛する方だったのでしょう。
閑静な住宅街に囲まれた約1000坪の境内に八重桜、躑躅、藤、合歓、銀杏、橿、椎、
松、蘇鉄(そてつ)、紫陽花、百合、龍の髭(山菅)、コスモス、菖蒲、嫁菜、
萱草、タンポポ、など数えきれない位多くの植物が植えられており、
四季折々咲く花が多くの人々を楽しませてくれているのです。

さて、今日のお目当ては合歓の花です。
まずは手を洗い、口をすすいで二礼二柏一礼。
神前にぬかずき祈りを捧げます。

「 天の川 瀬ごとに幣を たてまつる
    心は君を 幸く来ませと 」
                  巻10-2069  作者未詳


(  天の川の川瀬ごとに 幣を奉ります。
   無事にお渡り下さいとお祈りして )

牽牛が無事に川を渡ることを祈ったものですが、作者自身の愛する人の幸いと
来訪を待ち望む気持ちがこもっている一首です。

家族共々の無病息災を祈りつつ参拝を終え、合歓の木の下へ参ります。

「 総毛だち 花合歓 紅を ぼかし居り 」   川端茅舎

大木の枝が左右に大きく広がる。
いまを盛りと咲く花は絹の刷毛のよう。
淡いピンクと紅の繊細な色合い。
下から見上げると小さな雪洞(ぼんぼり)が無数に灯っているようです。
左右対称に開いた細長い葉は、暗くなるとピタリと閉じ合わせ、
花の心地良い寝床になるのです。

「 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花
         君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ 」 
                      巻8の1461 紀 郎女(既出)


( 昼間は綺麗な花を咲かせて、夜になればぴったりと葉を合わせ、
 好きな人に抱かれるように眠る合歓。
 ほんとうに羨ましいこと。
 そんな花を主人の私だけが見てもよいものでしょうか。
 お前さんも御覧なさいな。
 あなたと一緒に見ながら抱き合いたいのよ。)

合歓の花木を添え、大伴家持に贈った一首。
漢字の「合歓」は「合歓ぶ(あいよろこぶ)」つまり男と女が抱き合うことを意味します。

年上で人妻(天智天皇の曾孫 安貴王の妻)でもある作者が
花によせて共寝を誘っているのです。
歌を通じてお互い特別親しい間柄なので、家持を下僕のように呼びかけて
戯れ興じているようですが内心は本気かもしれません。

「 君のみ見めや」 : 君は主人の意で作者自身をさす
「 戯奴(わけ) 」 : 年少の召使などを呼ぶ言葉 
              ここでは大伴家持をさし、わざと卑下した言い方をしている

「 合歓咲くや 柘(つげ)の小櫛も ほしげにて 」  巣兆

雨に打たれた花糸は共寝したあとの乱れ髪のよう。
鏡台に向かい、櫛で整えている女性を連想させるような一句です。
拝殿の周りは八重桜の老木がならびます。
以前は50本位あり壮観でしたが、今は多くが枯れて20本位。
それでも満開の時は華やかで、風に舞う花びら、散り敷くピンクの絨毯は
この世のものとも思われないほどの美しさです。

「 散る時の 牡丹桜の はげしさよ 」 高濱年尾
                  ( 牡丹桜は八重桜の別称 )


古のうら若き乙女も散る桜を眺めながら詠っています。

「 咲く花は 過(す)ぐる時あれど 我(あ)が恋ふる
          心のうちは やむ時もなし 」 
                            巻11-2785 作者未詳


( 咲く花はいずれ散って消える時があるけれども
 私の心の中の恋は とだえる時とてありません )

初恋でしょうか。
純情一途の恋心です。

対する我が心のうちは恋桜。
桜の季節よ 早く来い(こい)。

「 龍の髭(ひげ) 葉のくらがりに 瑠璃澄ませ 」 下山博子

前庭、横庭、裏庭にも色々な植物が所狭しと植えられています。
中でも注目は龍の髭。
全く目立たないところに植えられており、よくよく注意しないと見つかりません。

「龍の髭」は古代、山菅(やますげ)とよばれた植物で別名「ジャノヒゲ」、
ユリ科の多年草です。
細くて長い葉を龍の髭に見立てたのでその名があり、初夏に白い花を下向きに咲かせます。

秋になると球形の実を結びますが、その実は成熟する過程で果皮が破裂して消滅し
種子がむき出しのままとなり、瑠璃紺色の実と見えるものは種子そのものという
珍しい植物です。
漢方では「麦門冬(バクモントウ)」とよばれ、根を煎じて咳止め、利尿、消炎に
用いられているそうです。

「 咲く花は うつろふ時あり あしひきの
     山菅(やますげ)の根し 長くはありけり 」 
                             巻20-4484 大伴家持


( はなやかに咲く花はいつか色褪せて散り過ぎる時があります。
 でも地下に根を張っている山菅はずっと長く続いているものなのです )

近親者が反逆の罪に問われ大伴一門の危機を感じている作者。
栄華を極めた大伴家が滅びゆくのを座視せざるをえない無力感。

今までの人生を振り返りつつ、これからは山菅の根のように
細く長く、そして、強く生きてゆこうと決意しているようです。

   「 ひそかなる ものは美し 龍の玉 」  中村玲子


ご参考 : 高千穂神社
        京成線 志津駅下車 
        南中野行バス 高千穂神社下車 徒歩3分

お知らせ:  次回の更新は7月26日(日曜日)です。
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by uqrx74fd | 2015-07-16 18:29 | 植物