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カテゴリ:動物( 91 )

万葉集その七百五十 (奈良の鹿)

( 奈良へようこそ  春日野)
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( 鹿の夫婦  同上 )
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(  親子     同上 )
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( 生まれたばかりの赤ちゃん  同上 )
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万葉集その七百五十 (奈良の鹿)

奈良の鹿は日本全国に生息する鹿と同様、野性種ですが、
他の鹿と極めて異なる点があります。

一つは神鹿として手厚く保護されてきたこと。
その由来はその昔、春日大社創建にあたり、鹿島神宮(茨城県)から
武甕槌命(たけみかづちのみこと)を勧請した際、命(みこと)が白鹿に乗って
御蓋山に入って行ったという言い伝えによります。

その二は国の天然記念物に指定(1957年)されているので、
捕獲殺傷が禁じられている。

その三は奈良公園内で人と共に生活、共存しているという
世界でも類を見ない存在であることです。

ただ、神鹿となったのは、称徳天皇(765~769年)の時代以降なので、
それ以前は、日本中至るところに棲息した鹿を食用や皮、角などを
利用するために狩られていたようです。

万葉集には63首登場しますが、中でも「鹿鳴く」と「詠われたものが
44首も見えます。

 「 山の辺(へ)に い行くさつ男は 多かれど
            山にも野にも さを鹿鳴くも 」 
                  巻10-2147 作者未詳

( 山のあたりには獲物を狙っている猟師がいっぱいうろついているというのに
 山にも野にも雄鹿が鳴きたてています )

猟師が獲物を狙ってうろうろしているのに、そんなに鳴いて大丈夫かと
心配している優しい男

   さつ男:猟師 「さつ」は「さち」が転じたもので、獲物やそれを獲る道具

この歌は猪と共に鹿も猟の対象になっていたことを教えてくれます。

「 春日野に 粟(あは)蒔けりせば 鹿(しし)待ちに
         継ぎて行(ゆ)かまし 社(やしろ)し恨めし 」 
                            巻3-305 佐伯赤麻呂

( あなたが春日野に粟を蒔いたならば、それを求める鹿を狙いに
      毎日行きたいと思うが、それにしてもそこに春日という
      怖い神様が鎮座ましますのは恐ろしい。)

中年、妻子持ちの赤麻呂がある娘を
「 あなたが 怖い神様がおられる春日の社に 
粟畑を作ってくれたら、毎日でも逢いに行くのに」と
「粟」と「逢わむ」を掛けて口説く。

口説かれた女は次の歌で

「それは御気の毒様、怖いのは春日の神様ではなく
 あなたの女房という恐ろしい神さまよ。 残念ね。」
 とからかい、男の誘いを一蹴しました。

「 高円(たかまと)の 秋野の上の 朝霧に
       妻呼ぶを鹿  出でたつらむか 」  
                     巻20-4319  大伴家持

( 高円の秋の野原に立ちこめる朝霧、その霧の中に
 妻呼ぶ雄鹿が 立ち現れていることだろうか )

作者は防人を指揮するため兵部省少輔として難波に赴任しています。

一仕事を終え、夜の一時を過ごしながら、奈良に想いを馳せる。
高円は春日山に連なる高円山一帯、花の白毫寺で有名。

いままで静かに臥せっていた雄鹿が妻を求めてすくっと立ち上がり、
「カーヒョー」と哀調を帯びた声で鳴く。
そんな美しい姿を連想した一首です。

「 さを鹿の 妻どふ時に 月をよみ
          雁が音聞こゆ 今し来らしも 」 
                 巻10-2131 作者未詳

( 雄鹿が妻を求めて鳴いている。
      天空を仰ぐと 月が煌々と冴えわたり、はるか彼方から
     雁の鳴き声が聞こえてくる。
     今しも雁がやってきたらしい。)

澄み切った空気のなか月の光が冴えわたる中、
哀愁かぎりなき鹿の声と幽寂な雁が音の二重奏。
作者はかなりの手腕の持主。
視覚、聴覚を刺激させ、美しい情景を瞼にえがき出させる秀歌です。

「 大和へ 君が立つ日の 近づけば
    野に立つ鹿も 響(とよ)めてぞ鳴く 」 
                  巻4-570 麻田 連 陽春(あさだ むらじ やす)

( 大和へ向けて あなた様が出発する日が近づいたので、
     鹿も寂しいのか、あたりを響かせるほど鳴いて悲しんでおります。)

730年10月、大宰府長官、大伴旅人は大納言に任ぜられ、12月、都に向けて
旅立つことになりました。
この歌は、送別の宴で部下の作者が詠ったもの。
自身の惜別の悲しみを鹿の鳴き声に託しています。

  「 声聞けば あはれせまりて さ男鹿は
          角あるものと 思はれぬかな 」 与謝野 礼厳

「鹿鳴(ろくめい)」という言葉は中国最古の詩集「詩経」の小雅編に拠ります。
この詩は祖霊神が一族のもとに降臨したことを歓待することを述べ、
鹿は神の使者として歌いこまれています。

祖霊に供物を捧げ、音楽を演奏し、歌い、一族の歓待の意を示す。
そのような由来から「鹿鳴」は「親しい人をもてなす」さらに「賓客をもてなす」
「宴会のときに奏する音楽」意に変わり、明治政府は新設の迎賓館を
「鹿鳴館」と名付けたのです。

  「 寄りくるや 豆腐の糟(かす)に 奈良の鹿 」 正岡子規

奈良には毎年大勢の観光客が訪れ、まず足を運ぶのは東大寺大仏殿。
この周辺の南大門、春日神社参道、飛火野一帯に1200頭余の鹿が群がり
好物の鹿煎餅をねだりながらお辞儀をしてくれます。

しかしながら、煎餅を目の前でちらつかせてなかなか与えず、
じらしたりすると角で突いたり足で蹴る鹿も見られ、
怪我人も出はじめました。

中でも困るのは、お握りなど人間の食物を与えたり、
ビニールの袋を食べてしまうこと。
煎餅は無害ですが、人様の食べ物は塩分や鹿にとっての有害物が多く、
死に至らしめることもあります。
ましてやビニールをや。
言葉が通じない外国人も多く、立看板の注意書きだけでは徹底出来ません。

この世に稀なる人間と野性の動物との共生という環境を一人一人が注意をはらい
守っていきたいものです。

  「 宵闇や 鹿に行きあふ 奈良の町 」  内藤鳴雪



      万葉集750(奈良の鹿)完


     次回の更新は8月23日(金)の予定です

by uqrx74fd | 2019-08-15 14:48 | 動物

万葉集その七百四十三 (吉野の鮎)

( 奈良 吉野 宮滝 )
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( 吉野川で泳ぐ子たち  同上 )
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( 万葉人はこのような情景を 鮎走る と詠った  同上 )
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( 鮎の塩焼き   吉野山で )
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万葉集その七百四十三(吉野の鮎)

昨年の夏、奈良は吉野の宮滝を訪れた時のことです。
近鉄下市口下車、炎天下徒歩2時間余の道のりを
吉野川に沿ってテクテク歩き。

車の往来が激しい通りを抜け、田舎道に入ると山百合が咲き乱れ、
周りに心地よい香りを漂わせていました。
胸一杯新鮮な空気を吸い込みながら、およそ1時間ばかり歩き続けたところ、
川べりの鄙びた小屋の脇に「鮎塩焼き 1匹500円」の看板あり。

「おお!これは、これは」と願ってもない幸運に小躍りしながら
店に入り、早速、塩焼き3匹注文。

「生簀(いけす)の鮎を今から炭火で焼くので少々お待ちを」と店主。

乾いた喉をビールで潤すことしばし。
やがて「おまちどう」と木串にさした鮎が目の前に。
早速、頭からかぶり付き、「旨い!」と思わず声を出す。
「親父さん、こんな美味い鮎、初めて食べたよ」と褒めると
嬉しそうに肯きながら

「 吉野川の鮎は川面に散り浮く櫻の花びらをついばんで食べるので
櫻の匂いが身に沁みて「櫻鮎」とよばれる。
だから、ひときわ風味が良いんだ。」と
教えてくれました。

楽しい鮎談議で一時を過ごしたのち、店主に「ありがとう、また来るよ」と
挨拶し、宮滝へ。

宮滝は天武持統天皇時代、離宮が営まれた風光明媚なところ。
吉野山から流れ込む清流は栄養分がたっぷり。
鮎も気持ちよさそうにスイスイ泳いでいたようです。

「 隼人(はやひと)の瀬戸の巌も 年魚(あゆ)走る
      吉野の滝に なほ及(し)かずけり 」 
                        巻6―960 大伴旅人

( 隼人の瀬戸へ来て見ると白波が大岩に砕け散り実に勇壮な風景だ。
  でも鮎が身を躍らせて走っている吉野の滝の流れの爽やかさの方が
  もっと素晴らしい。)

 隼人の瀬戸:所在については2説あり

「鹿児島県阿久根市 黒の浜と天草諸島長島との間の黒の瀬戸」または
「北九州市門司と下関壇ノ浦との間の早鞆の瀬戸」

旅人は「隼人の瀬戸」の荒々しい海波に感心しながらも、
吉野の流れを思い浮かべて望郷の念に駆られています。

「鮎走る」はピチピチと飛び跳ねながら渓流をさかのぼる鮎を
瞼に思い浮かべているのでしょう。

   「 氷魚(ひお)食えば 瀬々の網代木 見たきかな 」 松瀬青々

氷魚とは鮎の稚魚で琵琶湖など特定の湖に棲むものをいいます。
通常の鮎は初春に海から川を遡上して、上流で川藻を食べながら
体長21~30㎝位に成長したのち、秋には川の下流で産卵し、
その稚魚が海に戻りますが、琵琶湖に棲む鮎は海に下らず生涯湖で暮らします。

その為、体長が6cm位にしかならないので特に子鮎とよばれ、
その稚魚が氷魚(ひを:ひうを)。  
氷のように半透明のためその名があります。
晩秋から冬になると、増水した湖水とともに瀬田川や宇治川へ大量に押し流され、
人々は下流の近江の田上川(たながみがわ)や宇治で網代を用意して捕りました。

網代とは網の代用という意味で、竹や木などを編んで連ねた魚を獲る装置です。

次の一首は宴会の席上、「意味のないナンセンスな歌を詠め」所望があり、
即座に応じたものです。

 「 わが背子が  犢鼻(たふさき)にする 円石(つぶれいし)の
        吉野の山に 氷魚ぞ 懸有(さがれる) 」 
                 巻16-3839 安部朝臣子祖父( あへのあそみ こおほじ)

( 亭主が褌にしている丸石 その丸石の吉野の山に
 氷魚がぶら下がっているわい )

     犢鼻(たふさき): 犢鼻褌の略でいわゆる三尺ふんどし 
     円石(つぶれいし) :角の取れた丸い小石

万葉唯一の氷魚です。

朝廷文化華やかなりし頃、宴席で舎人親王( とねりしんおう:天武皇子)が
「 おおーい 皆のもの! 歌を詠め。
上手く詠んだものには賞金10万円と景品をつかわす。 
但し、条件がある。 
 意味が全く分らない面白歌を作ること。
意味が分かる歌は失格 」

という呼びかけに応じて詠ったもの。

作者は合格、賞金を獲得したそうですが、
この歌の面白味はどこにあるのでしょうか?

まず、 犢鼻(たふさき) と 円石(つぶれいし)
      つまり、「 平たくて薄いふんどし」を「重くて丸い石」といい、
次に  「大きい吉野山」を「小さな丸い石」と戯れ、
さらに 「川の氷魚」が「山にぶらさがっている」 、しかも
琵琶湖にしかいない魚が吉野にいる。

と支離滅裂な表現。
しかし、なんとなく意味ありげ。

そこで伊藤博は

「 女と男のむやむやとした叫びとだけ分るように布石し、
女と男の関係が何かきわどいものが感じられないわけではないと
いうところにくだけて酒などを飲む男たちを満足させる面があったと思う 。
なかなかしたたかな歌 」 と粋な解説です。(万葉集釋注)

 「褌(ふんどし)、氷魚」を男に「吉野の山」を女に見立てると
 このような深読みになるのでしょうか。

1300年前に「言葉遊び」というものが既にあり、
それがのちの俳諧や川柳などに繋がっていると考えると、
この歌も大いに意義があるのでしょう。

  「 吉野川 八十瀬(やそせ)の隅(くま)に 鮎を掛く」 
                          鈴鹿 野風呂(すずか のぶろ)

       八十瀬の隅 ;あちらこちらの隅で
           鮎を掛く: 餌を付けない空の釣針で鮎を引っ掛ける(掛け釣り)。
                  群れをなして泳ぐ魚に行う漁法。

6月1日、鮎釣り解禁。
釣人は喜び勇んで清流に向かいますが、鮎を賞味するなら
土用入りから2週間後が最適。
というのは、梅雨の時期、餌である珪藻が出水で流れとられ
栄養源を失った鮎は痩せ衰えてガリガリなのです。

梅雨明けになると、餌が豊富になり、たっぷり食べた鮎は
丸々太って美味。
筆者が吉野川で食べた頃が、ドンピシャリだったのです。

   「 鮎の骨 強き吉野の 坊泊り 」 百合山 羽公 


 万葉集743(吉野の鮎)完



次回の更新は7月5日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-06-28 09:48 | 動物

万葉集その七百三十九 (呼子鳥:カッコウ)

( カッコウは万葉時代呼子鳥と詠われた )
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( 左から若草山、春日山、御蓋山、高円山へと続く。
  万葉人は山々の重なりを羽がひの山とよんだ)
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( 鏡王女を祀る鏡神社。王女は天智天皇に仕え、藤原鎌足の正嫡となった。
  幟は女王となっているが正式名は鏡王女(かがみのおほきみ) 談山神社内 奈良)
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( 鏡神社は縁結びの神、王女は鎌足を一途に愛した。)
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  万葉集その七百三十九 (呼子鳥=カッコウ)

 『 静かな湖畔の 森のかげから
   もう起きちゃいかがと かっこうが啼く
   カッコウ カッコウ 
   カッコウ カッコウ カッコウ 』   (静かな湖畔 作詞作曲不詳)

古代、呼子鳥(よぶこどり)とよばれていた郭公(かっこう)は、その鳴き声が
愛する人を呼んでいるように聞こえることからか、多くの人々に
詠われてきました。

新緑青葉の頃、林間や山中から響いてくる甲高い声、それを寂しいと聞くか、
陽気と聞くかは人それぞれですが、上記の「静かな湖畔」の歌は明るく、

  「 うき我を さびしがらせよ かんこ鳥 」 芭蕉 は

( 郭公よ、鬱屈した辛い思いをかこつているこの私を
      お前の鳴き声で、安らかな気持ちに落ち着かせておくれ )

と寂寥感を漂わせています。


「 春日なる 羽がひの山ゆ 佐保の内へ
      鳴き行くなるは  誰(た)れ呼子鳥 」 
                           巻10-1828 作者未詳

( 春日の羽がひの山を通って佐保の内へ鳴いているのは
      いったい誰を呼ぶ呼子鳥なのであろうか。)

    羽がひの山 :山と山が合わさって山ふところをなす山の形 
    ここでは、春日山、御蓋山、高円山の重なりをいうか。
   

「 神なびの 石瀬(いはせ)の杜の 呼子鳥
     いたくな鳴きそ 我(あ)が恋まさる 」 
                          巻8-1419 鏡王女(かがみの おほきみ)
( 神なびの 石瀬の杜の呼子鳥よ、
      そんなにひどくは鳴かないでおくれ。
       私のせつない思いがつのるばかりだ。)

「我が恋まさる」が秀逸、純情な女性を想像させる一首。

作者は額田王の姉にあたる女性と考えられ、後に藤原鎌足の妻となった。
鎌足を祀る談山神社の中に鏡神社があり、縁結びの神様としても知られています。

     神なびの :神がこもるの意 神隠び(かむなび)

     石瀬の杜: 奈良県生駒郡斑鳩町龍田西南方の車瀬(くるませ)の森か
             杜は神が依り憑く森の意

     いたく な鳴きそ : いたく:ひどく 
                  な鳴きそ 「な-そ」は禁止を表す慣用句
                     ここでは「そんなにひどく鳴かないでおくれ」の意

「 我が背子を 莫越(なごし)の山の 呼子鳥
         君呼び返せ 夜(よ)の更けぬとに 」 
                          巻10-1822  作者未詳

( わが背子を 越えさせないでと願う その、な越の山の呼子鳥よ
      私の愛しい人を早く呼び返しておくれ )

       「莫越(なごし)の山」:所在不明なるも万葉集地名歌総覧(樋口和也著)に
                     参考として安房国(千葉県南部)に
                     「莫越山神社」の名があるとされている。
           
                     「な越し(越させるな)」 を掛ける 
                     「な」は禁止をあらわす


   「 郭公啼く かなたに知己の あるごとし 」   飯田蛇笏


郭公は晩春から初夏にかけて東南アジアから飛来するカッコウ科の夏鳥で
北海道から九州に至るまで全国一円に見られます。


巣を作らず、モズ、オオヨシキリ、ホオジロなどに卵を産み付けて
育てさせる托卵の習性があり、しかも、鳥の種類によって卵の色、
形を相手に合わせて生むという逞しい生命力をもつ鳥です。

頭と背中側は青みをおびた灰色、尾は灰色を帯びた黒で白点があり、
胸と腹は白、電線や枯れ枝に止まり、尾を上げるような姿勢で鳴きます。

カッコウと繰り返し鳴きますが「ゴァゴァ」「ピピピピ」と鳴く時も。

因みに閑古鳥(かんこちょう)は「かっこうどり」が訛ったものとされていますが、
のちに商売閑散としている様子を言うようになりました。

 「 郭公啼く 青一色の 深山(みやま)晴れ 」 飯田蛇笏


         万葉集739 (呼子鳥:カッコウ)完


        次回の更新は6月7日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-05-30 17:17 | 動物

万葉集その七百三十七 (ホトトギスと初夏の花)

( 古の人はホトトギスの初音を心待ちにしていた )
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( 卯の花は現在「うつぎ」とよばれている )
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( 橘の花の香りは清々しい )
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( 万葉人は風に靡く藤を藤波と詠った )
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万葉集その七百三十七 (ホトトギスと初夏の花)

万葉集で詠われているホトトギスは155首。
雁(66首)、鶯(51首)を大きく上回る圧倒的な多さです。

万葉人は何故この鳥をかくも好んだのでしょうか?
155首の歌を大きく分類してみますと、

◎ 懐古の情をかきたて、いにしへを恋ふる鳥
    中国の伝説、『 蜀の望帝が臣下の妻を奪った罪で国を追放され、
    死後、ホトトギスになって故郷に戻り、「不如帰(ホトトギス)」と啼いた』
    という故事による。

◎ 人を結びつける仲立ち役、恋の使い

◎ 初音を待ち焦がれ、恋人を連想させる鳥

◎ 孤愁を感じさせる鳥 
   自分の卵を他の鳥に育てさせる托卵の習性があり、
   「ホトトギスの子は親もなく一人で生まれて可哀想だ」という
   高橋虫麻呂の歌に由来。

◎ 風雅な鳥
   花鳥風月の名の通り、自然、花との取り合わせ(橘、卯の花、藤、菖蒲など)

と多彩な詠われ方をしています。
今回は風雅な鳥と初夏の花々とのコラボです。

「 五月山(さつきやま)  卯の花月夜(うのはなづくよ) ほととぎす
      聞けども飽かず また鳴かぬかも 」 
                           10-1953 作者未詳

      ( 5月の山に 卯の花が咲いている美しい月の夜
        こんな夜のホトトギスは いくら聞いても聞き飽きることがない。
         もう1度鳴いてくれないものかなぁ。)

「卯の花月夜」、なんという美しい万葉人の素晴らしい造語よ。

数多くの鳥の中で初音という言葉が使用されるのは「鶯」、と「ホトトギス」のみ。
その第一声を待ちわびた古代の人々です。

万葉人も「トッキョ キョキャ キョク」とか「テッペン カケタカ」と
聞きなしたのでしょうか。

「 我がやどの 花橘に ほととぎす
     今こそ鳴かめ 友に逢える時 」 
                   巻8-1481 大伴書持(ふみもち)

      ( 我家の庭の花橘に来て、ホトトギスよ さぁ、今こそ鳴いておくれ。
        大切な友に逢っている時に。)

大伴家持の弟,書持は殊の外、花好きでした。
自邸に「花薫れる庭」と称賛されるほど多くの樹木や草花を多く植えていたらしく、
橘も白い花を咲かせて、心地よい香りを漂わせていたことでしょう。

「 藤波の 散らまく惜しみ ほととぎす
        今城の丘を 鳴きて超ゆなり 」 
                        巻10-1944 作者未詳

       ( 藤の花の 散るのを惜しんで ホトトギスが
         今城の丘を 鳴きながら越えている。 )

  今城の丘: 所在不明とされるが万葉集地名総覧(樋口和也著 近代文芸社)によると
          「欽明記にみえる大和国今来郡(いまきのこほり)で後に高市郡と改称された。
          現、吉野郡大淀町今木は巨勢渓谷に接続する今木谷の地」とされる。

  今城(いまき)に類音「今来る」を掛けたか。

「 ほととぎす 鳴く羽触(はぶ)れにも 散りにけり
         盛り過ぐらし 藤波の花 」 
                            巻19-4193 大伴家持

   ( どうやら藤の盛りは過ぎたらしい。
     ホトトギスが鳴きながら羽ばたいているので、僅かな動きでさえ
     ほろほろと散ってしまいそうだ。)

この歌の前に「ホトトギスが藤の枝に止まり、羽ばたいている」と詠う
長歌がありそれを受けたもの。

家持は大のホトトギス好き、63首も詠っています。
その内容も「初音」「鳴かない鳥の恨み節」「名のる鳥」「網で獲り飼育」
「蝶の幼虫を産み付ける橘を庭に植え、ホトトギスを誘う」「夏到来」
「卯の花、藤、菖蒲(しようぶ)、栴檀、萩」との取り合わせなど実に多彩。
これだけで1冊の本を書けそうな凄さです。

万葉人に詠われたホトトギスは平安時代の古今集、新古今和歌集にも受け継がれ、
四季を代表する詠題となりました。
そして、ホトトギスのことを一通り知らないものは歌人の資格なしとまで
言われるくらい重要な季語になったのです。

余談ながらホトトギスは口の中が赤く、子規とも書きます。
かの正岡子規は肺結核で喀血して以来雅号を「子規」と名付けたとか。

   「 時鳥 時世の一句 なかりしや 」 正岡子規




         万葉集737 (ホトトギスと初夏の花)完


           次回の更新は5月24日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-05-16 14:52 | 動物

万葉集その七百三十六 (燕来りて雁帰る)

( 燕わが家に来たれり )
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( 雛も生まれる )
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( 箱根の燕は青い )
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〈帰る雁   宮城県伊豆沼)
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万葉集その七百三十六 (燕来りて雁帰る)

古代中国では、陰暦3月最初の巳の日は禊(みそぎ)を行う格別の吉日でした。
後に3月3日に固定され、上巳(じょうし)とよばれていましたが、
いつしか美しい庭園の清冽な流れに盃を浮かべて詩歌を詠う行事、
曲水の宴に変わっていったそうです。

元正、聖武天皇の時代、この雅やかな行事が渡来して王侯貴族の屋敷に
流水の庭園が造られ盛んに詩歌が詠われましたが、中でも漢詩が好まれ、
我国最初の漢詩集「懐風藻」が編まれたのも この時期でした。

都から遠く離れた越中在任の粋人、大伴池主も漢詩に興じ、
川の流れに舟を浮かべて「柳桃」の詩を詠み、心の友、大伴家持に送りました。
しかしながら家持は長患いに罹っていたので病床から、
「宴に参上できないのはくれぐれも残念だった」と返しています。

 次の文は池主の漢詩を訳したものです。(漢文は省略)

「 晩春のうららかな日ざしは賛美の甲斐あり、
  上巳の爽やかな風景は遊覧に値する、
  柳の路は川に沿って、人々の晴着の色をさまざまに染め、
  桃の花咲く里は、流れが海に通じていて、そこに舟を浮かべる、
  雲雷模様の酒壺に桂の香を酌み入れて清酒(すみざけ)を満々、
  鳥の型をした盃は 詩詠をうながし 曲がりくねる水面はよどみなく流れる、
  欲しいままに酔い、陶然となって彼我を忘れ
  酩酊して所かまわず 座り込むばかり 」
  
対する家持の漢詩返歌訳文です。(同)

「 晩春の暖かい日ざしの中 佳景はことのほかうららか、
  上巳の穏やかな風は 頬をかすめて吹くともなしに吹く、
  訪れる燕は泥を含み 我が家を祝福して翔(かけ)り入り
  帰りゆく雁は 葦をくわえて遠く沖に飛び去る
  聞けば君は友と詩歌を詠じて 今年もまた曲水を祝い
  上巳の酒宴に盃を勧めて 清流に浮かべられたと
  我もまた佳宴に列なりたいと思いつつ
  病苦いまだ抜けやらず脚下よろめくことを覚ゆ 」

この家持の漢詩の中の「訪れる燕 帰りゆく雁」(来燕帰雁)から
万葉集唯一の燕の歌が生まれました。

「 燕来る 時になりぬと 雁がねは
       国偲(しの)ひつつ 雲隠り鳴く 」 
                       巻19―4144 大伴家持

( 燕がやって来て雁さんそろそろ交代の時期ですよ告げています。
 一方、雁は、雲から出たり隠れたりして鳴きわたりながら
北へ向かって飛んでいきました。
 きっと遠くの故郷を思いながら飛んでいるのでしょうね )

家持が越中に着任して早や5年。
「国偲ひつつ」には妻が待つ奈良の都への望郷の念が滲み出ています。

万葉での雁は63首。ほとんどが来る雁を詠い、帰雁は僅か3首(うち家持2首)。
平安時代になると帰雁が主流になるのでその先駆をなすものです。

 「 この鳥の ゆききするとは おもはねど
         燕の飛べば  都おもほゆ 」  岡 麓

燕は3月から5月にかけて台湾、フイリピンから3~4000㎞、
インドネシァ西ジャワから6700㎞という信じられない長い距離を渡って来て
前年と同じ場所に巣を作ります。

然しながら都市化によるコンクリートの舗装で巣を作る泥がなくなり、
また餌にする虫が農薬の影響で減少し、めっきり少なくなったのは残念なことです。

燕は古くから多くの人々に愛され大切に保護されてきました。
何故ならば燕は農作業が始まる頃、害虫である虻、蚊、蝿、ヨコバイ、トビゲラ等を
食べてくれ人間にとって有難い益鳥であるとともに、夫婦仲が良いことや子供を
大切にするところから「燕が巣を作るとその家は繁盛する」という俗信があり
人々はその来訪を心から歓迎したのです。


なお、「つばめ」の語源は「つちばみ」(土食)が訛ったものとする説、
「つばくらめ」(つば:光沢 くら:黒、め:鳥)が訛ったもの。(新井白石)
などあり新井説の支持が多いようです。

また、「燕」という文字の文献での初出は日本書紀が早く、
667年山城国葛野郡(かどのぐん)が「白燕を奉る」、
689年持統天皇が「讃岐国三木郡(こおり)で捕えた白燕は放し飼いにせよ」と
詔されたと伝えられています。
白燕は瑞祥とされたのでしょう。

「 大和路の 宮もわら屋も 燕かな 」 正岡子規

最後に島崎藤村の懐かしい童話「燕の来る頃」からです。

「 沢山な燕が父さんの村へも飛んできました。
一羽、二羽,三羽、四羽、― とても勘定することの出来ない何十羽といふ
燕が村に着いたばかりの時には、直ぐに人家へ舞ひ降りようとはしません。
離れそうで離れない燕の群は、細長い形になったり、円い輪の形になったりして
村の高いところを揃って舞っています。
そのうち一羽空から舞ひ降りたかと思ふと、何十羽という燕が一時(いちどき)に
村へ降りてきます。
そして互いに嬉しそうな声で鳴き合って,旧い馴染みの軒端を尋ね顔に、
思ひ思ひに分かれて飛んで行きます。
父さんの家に、隣の大国屋へ、一軒おいた八幡屋へ- 」
                         ( 1920年刊 ふるさと所収)

「 詩をつくる 友一人来て 青柳(あをやぎ)に
             燕飛ぶ絵を かきていにけり 」   正岡子規


万葉集736(燕来りて雁帰る)完


次回の更新は5月17日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-05-09 11:31 | 動物

万葉集その七百二十一 (鴨の恋歌)

( マガモ雄  皇居)
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( マガモ雌  田沢湖 )
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( ホシハジロ:中央赤首 キンクロハジロ:左下  皇居 )
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( カルガモ  東寺  京都 )
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万葉集その七百二十一 (鴨の季節)

鴨はカモ科のうち比較的小形の水鳥の総称とされています。
世界で約170種、我国でも30余種といわれ、我々が目にするのは
マガモ、コガモ、ヨシガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、スズガモ、
ホシハジロ、キンクロハジロなど。
中でも一番多いのは、マガモ、別名青頸(あおくび)とよばれ、
単に鴨と言う場合はマガモさすことが多いようです。

マガモは雄雌異色で雄は金属光沢がある緑色をしており、襟に白い首輪、
胸は紫ががった栗色と際立つ容姿ですが、雌は全体が地味な黄褐色で
波型の黒い模様があります。
雄は「グェッ グェツ」メスは「グェーグェグェ」と鳴き、
情感には程遠い「だみ声」。

  「 夜ふけたり 何にさわだつ 鴨の声 」 正岡子規

万葉集では29首。
番(つがい)で泳ぐ姿が愛されたのか、恋の歌も多く詠われています。

「 葦辺(あしへ)行く 鴨の羽音の 音のみに
    聞きつつもとな  恋ひわたるかも 」 
                    巻12-3090 作者未詳

( 葦のあたりを飛びわたる鴨の羽音のように
 噂をいたずらに聞くばかり。 
 でも、私は空しいと分かっていても、
 ただ、ただ、あの人をお慕い続けています。)

ひそかに恋する人が、私を好いてくれているという噂はよく聞くが
ちっとも会いに来てくれない。
やはり片想いなのかしらと嘆く女です。
 
「音」:噂
「聞きつつもとな」:「もとな」は「どうしょうもなく」
             噂を聞くばかりでどうしょうも無く

 「 鴨すらも おのがつまどち あさりして
     後(おく)るる間(あいだ)も  恋ふといふものを」
                          12-3091 作者未詳

( 鴨でさえも お互いの連れ合い同士が餌をあさるうちに
 片方が少しでも遅れると、それだけで恋しがるというのに。)

  なかなか会いに来てくれないあの人。
  鴨は少し離れても恋しがるというのに、冷たい人。

       おのが つま どち: 「つま」:「配偶者(男女の別問わず)」
                     「どち」:同士
       あさりして:     「餌を漁(あさ)る」

  「 夫婦鴨 さみしくなれば 光り合ふ 」  松本 旭

  「 鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて
             浮たる心  我(あ)が思はなくに 」

       巻4-711 丹羽大女娘子 ( たにはの おほめ おとめ:伝未詳)

( 鴨が浮かんで遊んでいるこの池に、木の葉が散って浮いている。
 でも、私の気持ちはこんな浮いた心ではありません。
 真剣なのです。)

それなのにあの人はそう思ってくれていない。
作者はいかなる人か分かりませんが、丹波の国の女性か?

3首連続して詠われており、伊藤博氏は
「池のほとりの宴席での遊行女婦(うかれめ:教養ある遊女)であることをうかがわせる。」
とされています。

「 外に居て 恋ひつつあらずは 君が家の
      池に棲むといふ 鴨にあらましを 」 
                       巻4-726 大伴坂上郎女

( 離れていて恋い焦がれてなんかおらずに
 いっそ君のお家に棲むという鴨でありたいものですわ )

聖武天皇に恋歌仕立てで贈ったもの。
作者は宮廷にも活発に出入りしており、大伴家の女主人として家を守り
甥の家持の後押しもしていたようです。
その甲斐あってか、聖武天皇も大伴家に対する信頼は大なるものがありました。

「 横縞の 紺に白添ふ 鴨の翅(はね) 」  山口青邨

鴨は秋に寒地より群れをなして飛来して湖沼、河川に生息し、春になると再び
帰ってゆきますが、カルガモと鴛鴦(おしどり)は留鳥です。

唐沢孝一著 「目からウロコの自然観察」によると

『 鴨類は配偶者を選択するのは雄であり、雄はよく目立つ色彩を進化させた。
  雄が種ごとに独特の色彩をしていることにより、異種との交雑を避けることが出来る。
  ところが10月末~11月ころ、渡来したばかりのカモ類の雄は雌のような
  色彩をしている。

  これをエクリプス羽という。
  エクリプス(eclipse)とは日食や月食のことで、
  食とは欠けていることを意味する。色彩が欠けて地味な羽毛のことである。
  よく目立つ雄の生殖羽は求愛では有利だが天敵に見つかりやすい。

  そこで、天敵の多い北国の繁殖地では換羽して地味なエクリプス羽に変わる。
  そのまま日本に渡って来るので、渡来したばかりの雄は地味な色彩を
  していることになる。』        (中央公論新社 一部要約)
  
そして鮮やかな色彩に変化した雄は早速婚活開始。
声高らかに鳴き、水をはじいて尾をそらすなどさまざまな
パフオーマンスを披露。

雌が好みの雄を選んでカップルが成立すると、二羽で睦まじく行動し交尾。
めでたく雛が生まれると、雄は早速、別の雌鳥に求愛する。

浮気者め! 
いやいやそうではありません。
というのは、渡り鳥は死亡率が高いので、種の生存保持の上からも
必要な行為なのだとか。

オシドリ夫婦といえば仲良く一生を添い遂げる―「鴛鴦の契り」
というイメージがありますが、鳥の世界では毎年相手が入れ替わっている
仮面夫婦だったのか。

  「 日輪が ゆれて浮寝の 鴨まぶし 」 水原秋桜子 



万葉集721 (鴨の季節)完


次回の更新は2月1日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-24 16:10 | 動物

万葉集その七百十 (雁の秋)

( 雁  伊豆沼 宮城県 )
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( 雁いろいろ  野鳥図鑑 )
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( 月に雁  歌川広重 )
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( 月下の雁  菱田春草 )
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万葉集(雁の秋)

「 雁の声 すべて月下を 過ぎ終わる 」  高野素十

毎年9月中旬から10月上旬にかけて国の天然記念物マガンの群れが
国内最大最北の寄留地、宮島沼(美唄市西美唄町)に飛来します。
シベリアから南下して宮城県伊豆沼などへ向かう途中の羽休めで、その数
ピークで約36000羽。
かって全国いたるところで見られた雁は今や北陸と東北地方の一部で
越冬するのみです。

古の人は、雁は常世の国から飛来する神の使者と考えており、
「遠つ人、かり」と枕詞を冠し、また「天つ雁」ともいっていました。

人々は上空を鳴き過ぎる雁の声を熱心に聞き入って「雁音(かりがね)」とよび、
のちに「がね」を接尾語風にみなして雁そのものをいうようになります。

農家の人たちは雁を迎えると、作物の収穫時を知り、文人画家は
秋空に整然とV字型や1列の隊列を組んで渡る雁行や雁の声に
旅情や哀感をそそられ、歌を詠み絵に描いたのです。

万葉集では65余首、鳥類ではホトトギス155首に次ぐ多さです。

「 この夜らは さ夜更けぬらし 雁が音の
    聞こゆる空ゆ  月立ち渡る 」 
                         巻10-2224 作者未詳

( 今夜はもう夜が更けたらしい。
 雁の声が聞こえてくる空を、月が渡ってゆく )

宴会での歌らしく、月と雁の取り合わせが早くもこの時代に出てきます。

マガンは飛びながら「カハハン、カハハン」、「カリカリ」
「クワッカカッ、クワッカカッ」と遠くに響き渡る声で鳴きます。

「雁」という字はカリ、カリガネ ガン、と読み、江戸時代からは
語勢を強める「ガン」が多くなったようです。

「 天雲の 外(よそ)に雁が音 聞きしより
          はだれ霜降り 寒しこの夜は 」 
                      巻10-2132 作者未詳

( 天雲の遥か彼方に雁の鳴き声を聞いたその日から
  薄霜が置いて寒いことだ、このごろの夜は。)

晩秋、冬到来の兆し。
雁が寒さを運んできたなぁと、しみじみ感慨にふける作者。

   「はだれ霜降り 」 : うっすらと降り置いた霜 
                原文は「薄垂(はだれ) 霜雫(しも降り)」

「 鶴(たず)がねの 今朝鳴くなへに 雁がねは
        いづくさしてか 雲隠るらむ 」  
                  巻10-2138 作者未詳

( 鶴がこの朝鳴きたてている。
 折しも雁の声が遠ざかってゆくが、一体どこをめざして
 雲隠れしてとんでいるのであろうか )

鶴の声に対して雁声が薄れてゆく寂しさを詠ったもの。
当時奈良や難波で鶴や雁が多く見られたようです。


「 葦辺(あしへ)にある  荻(おぎ)の葉さやぎ  秋風の
        吹き来るなへに 雁鳴き渡る 」 
                      巻10-2134 作者未詳

( 葦辺に生えている荻の葉がさやさやとそよぎ
 秋の風が心地よく吹いてくる折しも雁が大空を鳴き渡ってゆくよ。)


 葦、荻、秋風、雁が音。
いかにも秋の情緒を感じさせる1首です。

   「 雁低く 薄の上を 渡りけり 」 正岡子

薄(ススキ)、月、などを好んで絵に描いたのは、歌川広重と菱田春草
特に広重の「月に雁」は特別仕様の切手になっており、
今や希少品になりました。

       「月よぎる けむりのごとき 雁の列 」 大野林火


                万葉集710 雁の秋 完


         
         次回の更新は11月17日(土)の予定。
          (通常より1日遅れます)

by uqrx74fd | 2018-11-07 15:50 | 動物

万葉集その七百三 (虫の声)

( コオロギ  向島百花園 )
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( スズムシ   同上 )
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( 虫の声  明日香稲渕 案山子祭  奈良 )
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( 虫の演奏会   同上 )
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( 巨大な赤トンボ   同上 )
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   万葉集その七百三 (虫の声)

秋風吹きはじめるころ、日暮れと共に「ルルルル」(邯鄲;カンタン)
「ガチャガチャ」(くつわ虫)、チョンギース(きりぎりす)、「チン チロリン」(松虫)
「コロコロコロリーン」(こおろぎ)、リーンリーン(鈴虫)など賑やかな虫の声が
聞こえて参り、私たちの気持ちを和ませてくれます。

虫の音を聞くことは古代の人達にとっても大きな楽しみでしたが、万葉人は、
秋に鳴く虫はすべて蟋蟀(こおろぎ)とよび、個別に聞き分けて名を付けたのは
平安時代からです。

蟋蟀科の昆虫の種類は日本で90種とも言われ、なかでも
ツズレサセコオロギやエンマコオロギ、ミツカドコオロギなどが
よく知られていますが、単に「こおろぎ」といえばツズレサセコオロギを
指すことが多いようです。

   「 鳴き止むと いふことのなく つづれさせ」    稲畑汀子

「ツズレサセコオロギ」の名は晩秋に生き残って鳴く蟋蟀の鳴き声を
「肩刺せ 裾刺せ 綴(つづ)れさせ」と聞きなし、冬仕度の為の着物の手入れを
するように教えているという俗信に由来するそうですが、
次の歌は平安時代には蟋蟀の鳴き声を「綴れ刺せ」と聞きなしていたことを
示すものです。

「 秋風に ほころびぬらし藤袴
      つづりさせてふ きりぎりす鳴く 」 
                        古今和歌集 在原棟梁(むねやな)

( 秋風に吹かれて藤袴がほころびたらしい。
 「ツズリサセ ツズリサセ」と蟋蟀が袴のほころびをなおしなさいと
  鳴いているよ)

秋の七草の「藤袴」と衣類の絝をかけたもの。
「こおろぎ」は平安時代「きりぎりす」とよばれていました。

短歌の構成(57577)の制約上「こおろぎ」の四文字よりも「きりぎりす」の
五字の方が詠みやすいこともあったようですが、この誤用は延々と
江戸時代まで続きます。

 「 あたたかい雨です
      えんまこほろぎです 」     三橋鷹女

  コオロギの鳴き音は3種類あるそうで、                                 
  「コロコロコロコロ」  ひとり鳴き    
  「コロコロリ・・・コロコロリ」  切ない響き、雄の求愛  
  「キリキリキリッ 」は  縄張り争いの喧嘩鳴き。

「 蔭草(かげくさ)の 生ひたるやどの 夕影に
        鳴くこほろぎは  聞けど飽かぬかも 」  
                       巻10―2159 作者未詳

( 蔭草が生い茂っている庭先の、夕方のかすかな光の中で
 鳴いている蟋蟀の声は、いくら聞いても飽きることがない。)

           蔭草:物陰に生えている草

草むらの蔭から蟋蟀の音がきこえてくる。  
右から左から、真中から、やがて大合唱。  
ひとしきり鳴くとピタリととまり、また鳴きはじめる。  
まるでコーラスだ。                     

「 庭草に 村雨降りて こほろぎの
        鳴く声聞けば  秋づきにけり 」  
                    巻10-2160 作者未詳

( 村雨(ひとしきりの雨) がさっと降りすぎてゆきました。
  おぉ、庭草の間から蟋蟀の鳴きすだく声が聞こえてきたよ。
  もう秋になったのだなぁ)


一人静かに秋を告げる虫の声に耳を傾けている作者の姿が目に浮かび、
「淡々として清く、落ち着いた気韻があって、まことに歌品が高い」(佐々木信綱)
と評されている一首です。

「 秋風の 寒く吹くなへ 我がやどの
      浅茅がもとに  こほろぎ鳴くも 」   
                       巻10-2158 作者未詳

( 秋風が寒く感じる位に吹くおりしも、我家の庭の浅茅の根元で
  こおろぎが鳴いていますよ )

    「なへ」 ~するにつれて 二つの事象が併行して進さまをいう
    「浅茅がもと」:「浅茅」は丈が低い茅(ちがや)
              「もと」は根元

なんとなく肌寒い気配。
ふと気が付くと虫たちが盛んに鳴いている。
深まりゆく秋をしみじみと感じている作者。
調べよく、爽やかな涼気が漂う一首です。

「 我のみや あはれと思はむ きりぎりす
           鳴く夕かげの 大和なでしこ 」 
                    素性法師  古今和歌集

( この秋の夕日の中に可憐な花を咲かせている大和撫子を
  一人で眺めているのは何とも惜しい。
 蟋蟀の声がしみいるように聞こえてくるこの野原で。)

         「大和撫子」はカワラナデシコ(河原撫子)。

「撫子」は「いとしんでいる子」を掛けているようです。
撫でてやりやいくらい愛しい人と一緒に眺めていたいという意が含まれ
秋の夕景、蟋蟀、大和撫子の取り合わせが日本人の繊細な感性を
伝えている一首です。

「こおろぎ」は現代に至るまで錚々たる歌人に多く詠われています。


「 こほろぎが  清く寂しく  鳴き出でぬ
        雲の中なる 奥山にして 」     与謝野晶子

 深々とした奥山。
 作者は寺にでも泊まっていたのでしょうか。

 澄み切った空気に響く蟋蟀の音。
 低く、高く、どことなく寂しげだ。
 これは求愛の声だろうか。

「 わが住みし 山寺(さんじ)の縁に 脱ぎ棄てし
           君が草履に こほろぎの鳴く 」     吉井勇

 愛する女性が訪ねてくれた。
女は案内を待ちきれず、急いて玄関を駆け上がったのか。
乱雑に脱ぎ捨てた草履にまだ温かみが残る。
何となく大人の色気が感じられる一首です。

そして最後に「もののあはれ」を解さぬ人への痛烈な皮肉。

「 部屋には こおろぎがいるのに
  なぜ こおろぎの話をしないのか
  この部屋の人達は みんな女の話ばかりする 」 

                       (村上昭夫  動物哀歌)


             万葉集703 ( 虫の声) 完


            次回の更新は9月28日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-09-20 16:23 | 動物

万葉集その六百八十四 (雲雀の文学)

( ヒバリ 雄 )
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( 雛に餌やりする ヒバリ 雌 )
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( 揚雲雀 )
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万葉集その六百八十四 (雲雀の文学)

 「 揚雲雀(あげひばり) 見上ぐる高さ より高く 」 稲畑汀子

 雲雀の雄は高い空で「ピーチュル ピーチュル」と囀り、雌は
草の茂みなどで「ビユル ビユル」と鳴きます。
「晴れた日に空高く上がって鳴く」ことから「日晴れ」とよばれ
転じて「ヒバリ」になったとか。

ひとしきり楽しげに囀ったあと一直線に地面に降りてくる雲雀。
その姿から揚雲雀、落雲雀ともよばれ、古代から多くの人達に
親しまれてきました。

 私達にとって楽しげに聞こえる雲雀の囀り- 
でもそれは餌を確保するために縄張りを主張しているのです。

また地面に着陸する時、わざと巣からかなり離れた地点に下り、
そこから忍者さながら潜行して外敵に覚られないように戻って
雛を守るなど、実生活の雲雀さんはなかなか忙しい。

   洋の東西を問わず古くから多くの人たちに愛されてきた雲雀は
   文学、詩、和歌、俳句にいたるところで登場しています。

  まずは中原中也の詩から。

「 ひねもす空で 鳴りますは
  あぁ 電線だ 電線だ
  ひねもす空で 啼きますは
  あぁ 雲の子だ 雲雀奴(ひばりめ)だ 

  碧(あ-ぉ)い 碧(あ-ぉ)い 空の中
  ぐるぐるぐると 潜(もぐ)りこみ
  ピーチクチクと啼きますは
  あゝ雲の子だ、 雲雀奴(ひばりめ)だ  」  (中原中也 「雲雀」より)

次は教科書で習った上田敏の海潮音から

「 時は春 日は朝(あした) 
  朝(あした)は七時 

  片岡に露みちて 
  揚げ雲雀なのりいで
  蝸牛(かたつむり)枝に這ひ 
  神そらに知ろしめす。

  すべて世は事も無し 」
             ロバート ブラウニング 
                          (上田敏訳 海潮音所収 春の朝より) 

勿論万葉集にも登場しています。

「 朝(あさ)な朝(さ)な 上がるひばりになりてしか
             都に行きて早帰り来む 」 
                          巻20-4433 安部沙弥麻呂

( 朝ごとに空高く舞い上がる雲雀になりたいものだ。
そして都に行きすぐに戻ってこよう。)

755年、防人が難波に集結して大宰府に出発するにあたり
兵士を閲兵、鼓舞する為に勅使が遣わされました。
数々の行事が終わった後、勅使を慰労する宴が催され、兵部省の役人大伴家持たちが
接待にあたります。

主賓の勅使(作者)は
「春めいてきた都にすぐにでも戻りたいが―。
まだ残務があるので残念だ。
雲雀になって空を飛び、とんぼ返りしたいものだなぁ」と詠った。

「 ひばり上る 春へとさやになりぬれば
      都も見えず 霞たなびく 」 
                           巻20-4434 大伴家持

( もう雲雀が舞い上がる季節になったのですね。都の方角も春の使いといわれる
霞がたなびいていて朧気にかすんでおりますなぁ ) 

「さやに」: はっきりと明瞭に 

古代、霞がたなびくと春が到来したと感じられていました。
家持は勅使に対し
「お勤めご苦労様でございます。
都もすっかり春めいて霞で見えないくらいでございます。
帰心矢の如しでございましょうが、今しばらくご辛抱を」
と気を遣ったものです。

当時の防人制度は関東、甲信越、中部地方から21歳~60歳の男が徴兵され
一旦難波に集結して、そこから船で大宰府に派遣されていました。
(防人の定員は3000人で3年に1回1000人ずつ交代。)

当時の定めでは3000人集結するとき 従5位相当の高官
       1000人 〃      内舎人(天皇の付人)
を派遣し慰労の詔勅を下すことになっていましたが、
今回の場合、かなり重要な軍務のため、更に上の高官即ち
従4位、紫微中台首席次官 (官房と親衛隊を兼ねた天皇直属の行政府次官)を
派遣したので家持も格別な接待をしたようです。
 
なお、当時兵部省次官であった家持は防人達に歌を作って差し出すように命じた為、
当時の実態を知ることができ、重要な歴史遺産となっています。

「 うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上(あが)り
     心かなしも   ひとりし思へば 」      
                     19-4292 大伴家持

( うららかな春の日、暖かい太陽の日差しの中を
  雲雀が空を舞い上がっています。
  こんなに素晴らしい日なのに私の気持ちは
  一向に晴れないで、一人物思いにふけっています。)
                        
この歌は人間の不安、さびしさ、心のゆらめきを表現したものとしては
万葉集の中でも稀有のものであり、家持一人が「万葉集」において達成した世界(伊藤博)と
評されています。
 
家持がこのような孤独感を抱くに至った背景には次のような経緯があります。

大伴家は有史以来、天皇家に従い「武」と「歌」で天皇を守護する名門中の名門。
ところが家持の時代になると藤原一族が政治を壟断して完全に朝廷を牛耳り、
大伴家は凋落の一途を辿ります。
強力な後ろ盾であった聖武天皇、橘諸兄は相次いで世を去り、無力となった家持は
中央の政治の舞台から姿を消し、遂に左遷に次ぐ左遷と悲哀のうちに、その生涯を
都から遠く離れた陸奥の国で終えることになります。

然しながら作歌の世界では澄み切った境地に達し、次から次へと秀作を生み出し
永遠の命を得ました。
孤独とはすべての人間の心の深淵に持つ本源的なものであり、
それを超越すると、やがて「無」という境地に達するものでありましょうか。

再び現代詩の世界へ。

「 雲雀の井戸は天にある・・・・あれあれ
  あんなに雲雀はいそいそと
  水を汲みに 舞ひ上がる
  はるかに澄んだ 青空の
  あちらこちらに
  おおき井戸の 枢(くるる)がなっている 」 (三好達治 揚げ雲雀 )

              枢:井戸の釣瓶(つるべ)の回転軸

最後に漱石の草枕から
 
「 たちまち足の下で雲雀の声がした。
  谷を見下ろしたが どこで鳴いているのか影も形も見えぬ。
  ただ声だけが明らかに聞こえる。- 

  あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。
  のどかな春の日を鳴き尽くし鳴きあかし、
  また鳴き暮らさなければ気が済まんとみえる。
  その上どこまでも登って行く。
  いつまでも登って行く。」                    夏目漱石(草枕)

多くの人たちに愛され親しまれた雲雀は今や余り見かけなくなりました。
緑肥として栽培されていたレンゲソウ、ウマゴヤシ、アブラナ、クローバー、などが
少なくなり、子育てをする場所がなくなったからでしょうか。

「 日輪に きえいりてなく ひばりかな 」 飯田蛇笏


          万葉集684 (雲雀の文学)完


         次回の更新は5月18日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-05-10 15:41 | 動物

万葉集その六百八十 (万葉人は鯛がお好き)

( 鯛 築地魚市場 )
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( 鯛 高橋由一 高松金毘羅宮 高橋由一館 )
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( 千葉 安房鴨川歩道トンネルの壁画 地元小学生作 )
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(  同上 )
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( コナギ:ミズアオイ  万葉時代葉を食用にした  奈良万葉植物園 )
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    万葉集その六百八十 (万葉人は鯛がお好き)

「 水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛釣りほこり
    七日まで家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに
    - - 」                        巻9-1740 高橋虫麻呂
   
( 水江(みずのえ)の浦の島子が、鰹(かつを)や鯛を釣っているうちに、
      大漁となって調子づき、7日も家に帰らず、
      とうとう海の境を通り過ぎてしまった。)

この歌は浦島伝説を詠った冒頭後半、鰹や鯛を釣り、大漁になったことを
述べた部分で、水江は摂津(大阪府住吉区)、住吉神社の近く、
明石鯛も獲れたことでしょう。

「日本歳時記」によると

『 鯛、とりわけ真鯛は色、形、味よく海産魚類の王と云われている。
  春産卵のため内海の浅場に群れてくるが、そのころことに雄の真鯛は
  腹部が婚姻色といって性ホルモンの作用で赤味を帯びる。
  ちょうど花時にあたり、その色を賛美して、俗に桜鯛とか花見鯛とか
  いうのである- - 。
  瀬戸内海では、鳴門,紀淡、明石などの諸海峡を通って乗り込むので
  鳴門鯛、明石鯛などの名称がある。 』

このような情景を西行は次のように詠っています。

「 霞しく 波の初花 をりかけて
            さくら鯛つる 沖のあま舟 」  西行 山家集

   ( たなびいている霞の中から 折り返す白波が初花のように見え、
    その沖合で海人たちの舟が、桜鯛を釣っているよ )

そして早速刺身にして戴く。

「 鳴門鯛 うましき春を 来遊びて
         ころころ かたき 鯛の刺身食う 」
              吉植庄亮(よしうえ しょうりょう:1884~1958)

 鯛の刺身が一番美味いのは獲った魚を絞めてから10時間~12時間後。
 旨味を感じるイノシン酸とグルタミン酸の量が最高に達する時なのだ
 そうですが( 京都大学 坂口守彦教授 )、人の好みはそれぞれ、
 獲れたてのコリコリ固いのがお好きな人も多いことでしょう。

万葉人も鯛が好きだった。
しかも「三枚おろし」にした刺身を醤酢(ひしおす)、蒜(ひる)などの調味料を
加えて食していたのです。

「 醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願う
       我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの) 」  巻16-3829 
                       長 忌寸 意吉麻呂 (ながの いみき おきまろ:伝不詳)

  ( わぁ-、今日はご馳走だねぇ。鯛の刺身ではないですか。
    早速ニンニク入りの「酢味噌たれ」をつけていただきましょうよ。
    コラコラ、もおぅ-、 水葱の吸物のようなものを出してきて!
    折角の食欲が落ちるからこんな物は見えないように置いて頂戴。 ) 

語句の解説です。
古代人の食事の内容が窺われます。

   醤(ひしお): 醤油や味噌の元祖でもろみに近い。大豆、うるち、酒、
            小麦を原料として醸造したもの

   酢:   米から作る米酢と酒を腐らせた酒酢があった
        醤酢は今の酢味噌の類

   蒜(ひる): ニンニクや野ビルのことで独特の強い臭気がある
          「蒜搗き合(か)てて」: 蒜をつき砕いて 混ぜて

   水葱(なぎ);   ミズアオイ科の一年草、葉を食用とする。水中に自生

   羹:    熱い汁、吸い物のこと。
         調味料に醤が用いられているだろうから後の味噌汁という説もある(永山久夫)

作者は宴席で周りの人達から囃されて、酢、醤、蒜、鯛、水葱を歌に
詠み込めと言われ即座に作歌したもので

「 高級料理の鯛が出てきて嬉しいねぇ。早くそれを食べたいんだ。
  水葱の吸物のような日常料理なんか見たくもないよ」
とおどけたのです。

この歌を読んだ友人たちは次のような感想を述べてくれました。

まずは「T.Sさん」

『 昨日、NHK朝の番組「徳島の旅」の中で、鳴門の桜鯛
  (渦潮でもまれて身がしまっているらしい)と
  生わかめ(熱湯に入れた瞬間に、茶色から鮮やかな緑に変わる)を
  しゃぶしゃぶにして食べる場面がありました。
  とても、おいしそうで、さしみよりおいしいかもしれないと
  思わせる料理でした。

   万葉の時代には、さしみにして、にんにく入りの酢味噌で食べたとのこと、
   あまりおいしそうではありませんが、当時としては、
   特別の調味料だったのでしょうね。
   「余計な料理より、早く、特別料理を食べされろ」と、
   にぎやかな宴会の様子が見えて面白い。
   鯛は、昔も今も、高級魚の地位を守り続けているのですね。 』

続いて「N.F」さん
                         
  『 近年、日本人の食事も洋風化が進んできましたが、終戦後間もない頃には、
    どうやら食べ方は異なれど、万葉人とさほど変わらないものを
    食していたようですね。
    T.Sさんが言うように、醤醢やらにんにくと鯛の刺身では現代人の口には
    合わないでしょうが交通事情が悪かった往時のこと、ワサビの代わりのような
     一種の消毒剤に用いたかもしれませんな。

    醤醢などは懐かしいですなあ。
    金山寺はいまも売られていますが、醤醢は家庭で作ったものです。
    うまいんだけど。 』 

最後に「I.N」さん

『 「櫻鯛」美しい言葉ですねえ。
  婚姻色の鯛を櫻鯛と言うとは知りませんでしたが、綺麗な言葉ですねえ。
  鯛の骨には、面白い形をした部分がある筈だが、それがどんな形だったか
  記憶にないけれど、鯛の骨が刺さると他の魚の骨が刺さるよりも抜く際に
  ずうーっと痛い。

  それにしても鯛はうまい、料理では、眼の周りのゼラチン質の部分や、
  頬肉は絶品ですなあ、
  機知を競う宴席で「吸い物はいいから早く鯛を食べさせろ!」と
  声高に要求する模様が生き生きと描かれている。

  秘伝のたれのかかった銀座「竹葉亭」の鯛茶漬けが恋しくなりました。 』

    ( 筆者注: 竹葉亭は鰻で有名だが鯛茶漬けも大人気 )

  「 料理して 今日もくらしつ 桜鯛 」  維舟

谷崎潤一郎の「細雪」でも桜の季節に真鯛が旬になり、桜鯛と呼ぶことを
ふまえた一文があります。

『 幸子は昔、貞之助と新婚旅行に行った時に、箱根の旅館で食い物の
  好き嫌ひの話が出、君は魚で何が一番好きかと聞かれたので
 「鯛やわ」と答へて貞之助に可笑しがられたことがあった。

  貞之助が笑ったのは,鯛とはあまり月並みすぎるからであったが、
  しかし彼女の説によると、形から云っても味から云っても鯛こそは
  最も日本的なる魚であり、鯛を好かない日本人は日本人らしくないのであった。

  彼女のそう云ふ心の中には、自分の生まれた上方こそは、日本で鯛の
  最も美味な地方-従って、日本の中で最も日本的な地方であるという
  誇りが潜んでいるのであったが、同様に彼女は、花では何が
  一番好きかと問われれば、躊躇なく桜と答へるのであった。

  - - 鯛でも明石鯛でなければ旨がらない幸子は、花も京都の花で
   なければ見たような気がしないのであった。 』

鯛は今でこそ魚の王として不動の地位を占めますが、古くは「鯉」が
最上とされていました。
中世以降、漁法やさまざまな料理法が発達し、江戸時代以降ようやく
万人に認められて王座を確立し現在に至っています。

縄文時代1mにも及ぶ鯛の骨が出土していますが、最上に美味なのは
40~50㎝程度のものとされ、調理法は刺身を筆頭に塩焼き、
鯛ちり、鯛めし、鯛茶漬けなど、また、頭は兜煮,潮汁、
特に目玉を入れたすまし汁は最高の贅沢とか。

 「 安宿と あなどるなかれ 桜鯛 」  森田 峠


      万葉集680(万葉人は鯛がお好き)完


      次回の更新は4月20日(金)の予定です。

              

by uqrx74fd | 2018-04-12 16:32 | 動物