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カテゴリ:動物( 88 )

万葉集その七百三十七 (ホトトギスと初夏の花)

( 古の人はホトトギスの初音を心待ちにしていた )
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( 卯の花は現在「うつぎ」とよばれている )
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( 橘の花の香りは清々しい )
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( 万葉人は風に靡く藤を藤波と詠った )
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万葉集その七百三十七 (ホトトギスと初夏の花)

万葉集で詠われているホトトギスは155首。
雁(66首)、鶯(51首)を大きく上回る圧倒的な多さです。

万葉人は何故この鳥をかくも好んだのでしょうか?
155首の歌を大きく分類してみますと、

◎ 懐古の情をかきたて、いにしへを恋ふる鳥
    中国の伝説、『 蜀の望帝が臣下の妻を奪った罪で国を追放され、
    死後、ホトトギスになって故郷に戻り、「不如帰(ホトトギス)」と啼いた』
    という故事による。

◎ 人を結びつける仲立ち役、恋の使い

◎ 初音を待ち焦がれ、恋人を連想させる鳥

◎ 孤愁を感じさせる鳥 
   自分の卵を他の鳥に育てさせる托卵の習性があり、
   「ホトトギスの子は親もなく一人で生まれて可哀想だ」という
   高橋虫麻呂の歌に由来。

◎ 風雅な鳥
   花鳥風月の名の通り、自然、花との取り合わせ(橘、卯の花、藤、菖蒲など)

と多彩な詠われ方をしています。
今回は風雅な鳥と初夏の花々とのコラボです。

「 五月山(さつきやま)  卯の花月夜(うのはなづくよ) ほととぎす
      聞けども飽かず また鳴かぬかも 」 
                           10-1953 作者未詳

      ( 5月の山に 卯の花が咲いている美しい月の夜
        こんな夜のホトトギスは いくら聞いても聞き飽きることがない。
         もう1度鳴いてくれないものかなぁ。)

「卯の花月夜」、なんという美しい万葉人の素晴らしい造語よ。

数多くの鳥の中で初音という言葉が使用されるのは「鶯」、と「ホトトギス」のみ。
その第一声を待ちわびた古代の人々です。

万葉人も「トッキョ キョキャ キョク」とか「テッペン カケタカ」と
聞きなしたのでしょうか。

「 我がやどの 花橘に ほととぎす
     今こそ鳴かめ 友に逢える時 」 
                   巻8-1481 大伴書持(ふみもち)

      ( 我家の庭の花橘に来て、ホトトギスよ さぁ、今こそ鳴いておくれ。
        大切な友に逢っている時に。)

大伴家持の弟,書持は殊の外、花好きでした。
自邸に「花薫れる庭」と称賛されるほど多くの樹木や草花を多く植えていたらしく、
橘も白い花を咲かせて、心地よい香りを漂わせていたことでしょう。

「 藤波の 散らまく惜しみ ほととぎす
        今城の丘を 鳴きて超ゆなり 」 
                        巻10-1944 作者未詳

       ( 藤の花の 散るのを惜しんで ホトトギスが
         今城の丘を 鳴きながら越えている。 )

  今城の丘: 所在不明とされるが万葉集地名総覧(樋口和也著 近代文芸社)によると
          「欽明記にみえる大和国今来郡(いまきのこほり)で後に高市郡と改称された。
          現、吉野郡大淀町今木は巨勢渓谷に接続する今木谷の地」とされる。

  今城(いまき)に類音「今来る」を掛けたか。

「 ほととぎす 鳴く羽触(はぶ)れにも 散りにけり
         盛り過ぐらし 藤波の花 」 
                            巻19-4193 大伴家持

   ( どうやら藤の盛りは過ぎたらしい。
     ホトトギスが鳴きながら羽ばたいているので、僅かな動きでさえ
     ほろほろと散ってしまいそうだ。)

この歌の前に「ホトトギスが藤の枝に止まり、羽ばたいている」と詠う
長歌がありそれを受けたもの。

家持は大のホトトギス好き、63首も詠っています。
その内容も「初音」「鳴かない鳥の恨み節」「名のる鳥」「網で獲り飼育」
「蝶の幼虫を産み付ける橘を庭に植え、ホトトギスを誘う」「夏到来」
「卯の花、藤、菖蒲(しようぶ)、栴檀、萩」との取り合わせなど実に多彩。
これだけで1冊の本を書けそうな凄さです。

万葉人に詠われたホトトギスは平安時代の古今集、新古今和歌集にも受け継がれ、
四季を代表する詠題となりました。
そして、ホトトギスのことを一通り知らないものは歌人の資格なしとまで
言われるくらい重要な季語になったのです。

余談ながらホトトギスは口の中が赤く、子規とも書きます。
かの正岡子規は肺結核で喀血して以来雅号を「子規」と名付けたとか。

   「 時鳥 時世の一句 なかりしや 」 正岡子規




         万葉集737 (ホトトギスと初夏の花)完


           次回の更新は5月24日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-05-16 14:52 | 動物

万葉集その七百三十六 (燕来りて雁帰る)

( 燕わが家に来たれり )
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( 雛も生まれる )
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( 箱根の燕は青い )
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〈帰る雁   宮城県伊豆沼)
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万葉集その七百三十六 (燕来りて雁帰る)

古代中国では、陰暦3月最初の巳の日は禊(みそぎ)を行う格別の吉日でした。
後に3月3日に固定され、上巳(じょうし)とよばれていましたが、
いつしか美しい庭園の清冽な流れに盃を浮かべて詩歌を詠う行事、
曲水の宴に変わっていったそうです。

元正、聖武天皇の時代、この雅やかな行事が渡来して王侯貴族の屋敷に
流水の庭園が造られ盛んに詩歌が詠われましたが、中でも漢詩が好まれ、
我国最初の漢詩集「懐風藻」が編まれたのも この時期でした。

都から遠く離れた越中在任の粋人、大伴池主も漢詩に興じ、
川の流れに舟を浮かべて「柳桃」の詩を詠み、心の友、大伴家持に送りました。
しかしながら家持は長患いに罹っていたので病床から、
「宴に参上できないのはくれぐれも残念だった」と返しています。

 次の文は池主の漢詩を訳したものです。(漢文は省略)

「 晩春のうららかな日ざしは賛美の甲斐あり、
  上巳の爽やかな風景は遊覧に値する、
  柳の路は川に沿って、人々の晴着の色をさまざまに染め、
  桃の花咲く里は、流れが海に通じていて、そこに舟を浮かべる、
  雲雷模様の酒壺に桂の香を酌み入れて清酒(すみざけ)を満々、
  鳥の型をした盃は 詩詠をうながし 曲がりくねる水面はよどみなく流れる、
  欲しいままに酔い、陶然となって彼我を忘れ
  酩酊して所かまわず 座り込むばかり 」
  
対する家持の漢詩返歌訳文です。(同)

「 晩春の暖かい日ざしの中 佳景はことのほかうららか、
  上巳の穏やかな風は 頬をかすめて吹くともなしに吹く、
  訪れる燕は泥を含み 我が家を祝福して翔(かけ)り入り
  帰りゆく雁は 葦をくわえて遠く沖に飛び去る
  聞けば君は友と詩歌を詠じて 今年もまた曲水を祝い
  上巳の酒宴に盃を勧めて 清流に浮かべられたと
  我もまた佳宴に列なりたいと思いつつ
  病苦いまだ抜けやらず脚下よろめくことを覚ゆ 」

この家持の漢詩の中の「訪れる燕 帰りゆく雁」(来燕帰雁)から
万葉集唯一の燕の歌が生まれました。

「 燕来る 時になりぬと 雁がねは
       国偲(しの)ひつつ 雲隠り鳴く 」 
                       巻19―4144 大伴家持

( 燕がやって来て雁さんそろそろ交代の時期ですよ告げています。
 一方、雁は、雲から出たり隠れたりして鳴きわたりながら
北へ向かって飛んでいきました。
 きっと遠くの故郷を思いながら飛んでいるのでしょうね )

家持が越中に着任して早や5年。
「国偲ひつつ」には妻が待つ奈良の都への望郷の念が滲み出ています。

万葉での雁は63首。ほとんどが来る雁を詠い、帰雁は僅か3首(うち家持2首)。
平安時代になると帰雁が主流になるのでその先駆をなすものです。

 「 この鳥の ゆききするとは おもはねど
         燕の飛べば  都おもほゆ 」  岡 麓

燕は3月から5月にかけて台湾、フイリピンから3~4000㎞、
インドネシァ西ジャワから6700㎞という信じられない長い距離を渡って来て
前年と同じ場所に巣を作ります。

然しながら都市化によるコンクリートの舗装で巣を作る泥がなくなり、
また餌にする虫が農薬の影響で減少し、めっきり少なくなったのは残念なことです。

燕は古くから多くの人々に愛され大切に保護されてきました。
何故ならば燕は農作業が始まる頃、害虫である虻、蚊、蝿、ヨコバイ、トビゲラ等を
食べてくれ人間にとって有難い益鳥であるとともに、夫婦仲が良いことや子供を
大切にするところから「燕が巣を作るとその家は繁盛する」という俗信があり
人々はその来訪を心から歓迎したのです。


なお、「つばめ」の語源は「つちばみ」(土食)が訛ったものとする説、
「つばくらめ」(つば:光沢 くら:黒、め:鳥)が訛ったもの。(新井白石)
などあり新井説の支持が多いようです。

また、「燕」という文字の文献での初出は日本書紀が早く、
667年山城国葛野郡(かどのぐん)が「白燕を奉る」、
689年持統天皇が「讃岐国三木郡(こおり)で捕えた白燕は放し飼いにせよ」と
詔されたと伝えられています。
白燕は瑞祥とされたのでしょう。

「 大和路の 宮もわら屋も 燕かな 」 正岡子規

最後に島崎藤村の懐かしい童話「燕の来る頃」からです。

「 沢山な燕が父さんの村へも飛んできました。
一羽、二羽,三羽、四羽、― とても勘定することの出来ない何十羽といふ
燕が村に着いたばかりの時には、直ぐに人家へ舞ひ降りようとはしません。
離れそうで離れない燕の群は、細長い形になったり、円い輪の形になったりして
村の高いところを揃って舞っています。
そのうち一羽空から舞ひ降りたかと思ふと、何十羽という燕が一時(いちどき)に
村へ降りてきます。
そして互いに嬉しそうな声で鳴き合って,旧い馴染みの軒端を尋ね顔に、
思ひ思ひに分かれて飛んで行きます。
父さんの家に、隣の大国屋へ、一軒おいた八幡屋へ- 」
                         ( 1920年刊 ふるさと所収)

「 詩をつくる 友一人来て 青柳(あをやぎ)に
             燕飛ぶ絵を かきていにけり 」   正岡子規


万葉集736(燕来りて雁帰る)完


次回の更新は5月17日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-05-09 11:31 | 動物

万葉集その七百二十一 (鴨の恋歌)

( マガモ雄  皇居)
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( マガモ雌  田沢湖 )
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( ホシハジロ:中央赤首 キンクロハジロ:左下  皇居 )
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( カルガモ  東寺  京都 )
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万葉集その七百二十一 (鴨の季節)

鴨はカモ科のうち比較的小形の水鳥の総称とされています。
世界で約170種、我国でも30余種といわれ、我々が目にするのは
マガモ、コガモ、ヨシガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、スズガモ、
ホシハジロ、キンクロハジロなど。
中でも一番多いのは、マガモ、別名青頸(あおくび)とよばれ、
単に鴨と言う場合はマガモさすことが多いようです。

マガモは雄雌異色で雄は金属光沢がある緑色をしており、襟に白い首輪、
胸は紫ががった栗色と際立つ容姿ですが、雌は全体が地味な黄褐色で
波型の黒い模様があります。
雄は「グェッ グェツ」メスは「グェーグェグェ」と鳴き、
情感には程遠い「だみ声」。

  「 夜ふけたり 何にさわだつ 鴨の声 」 正岡子規

万葉集では29首。
番(つがい)で泳ぐ姿が愛されたのか、恋の歌も多く詠われています。

「 葦辺(あしへ)行く 鴨の羽音の 音のみに
    聞きつつもとな  恋ひわたるかも 」 
                    巻12-3090 作者未詳

( 葦のあたりを飛びわたる鴨の羽音のように
 噂をいたずらに聞くばかり。 
 でも、私は空しいと分かっていても、
 ただ、ただ、あの人をお慕い続けています。)

ひそかに恋する人が、私を好いてくれているという噂はよく聞くが
ちっとも会いに来てくれない。
やはり片想いなのかしらと嘆く女です。
 
「音」:噂
「聞きつつもとな」:「もとな」は「どうしょうもなく」
             噂を聞くばかりでどうしょうも無く

 「 鴨すらも おのがつまどち あさりして
     後(おく)るる間(あいだ)も  恋ふといふものを」
                          12-3091 作者未詳

( 鴨でさえも お互いの連れ合い同士が餌をあさるうちに
 片方が少しでも遅れると、それだけで恋しがるというのに。)

  なかなか会いに来てくれないあの人。
  鴨は少し離れても恋しがるというのに、冷たい人。

       おのが つま どち: 「つま」:「配偶者(男女の別問わず)」
                     「どち」:同士
       あさりして:     「餌を漁(あさ)る」

  「 夫婦鴨 さみしくなれば 光り合ふ 」  松本 旭

  「 鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて
             浮たる心  我(あ)が思はなくに 」

       巻4-711 丹羽大女娘子 ( たにはの おほめ おとめ:伝未詳)

( 鴨が浮かんで遊んでいるこの池に、木の葉が散って浮いている。
 でも、私の気持ちはこんな浮いた心ではありません。
 真剣なのです。)

それなのにあの人はそう思ってくれていない。
作者はいかなる人か分かりませんが、丹波の国の女性か?

3首連続して詠われており、伊藤博氏は
「池のほとりの宴席での遊行女婦(うかれめ:教養ある遊女)であることをうかがわせる。」
とされています。

「 外に居て 恋ひつつあらずは 君が家の
      池に棲むといふ 鴨にあらましを 」 
                       巻4-726 大伴坂上郎女

( 離れていて恋い焦がれてなんかおらずに
 いっそ君のお家に棲むという鴨でありたいものですわ )

聖武天皇に恋歌仕立てで贈ったもの。
作者は宮廷にも活発に出入りしており、大伴家の女主人として家を守り
甥の家持の後押しもしていたようです。
その甲斐あってか、聖武天皇も大伴家に対する信頼は大なるものがありました。

「 横縞の 紺に白添ふ 鴨の翅(はね) 」  山口青邨

鴨は秋に寒地より群れをなして飛来して湖沼、河川に生息し、春になると再び
帰ってゆきますが、カルガモと鴛鴦(おしどり)は留鳥です。

唐沢孝一著 「目からウロコの自然観察」によると

『 鴨類は配偶者を選択するのは雄であり、雄はよく目立つ色彩を進化させた。
  雄が種ごとに独特の色彩をしていることにより、異種との交雑を避けることが出来る。
  ところが10月末~11月ころ、渡来したばかりのカモ類の雄は雌のような
  色彩をしている。

  これをエクリプス羽という。
  エクリプス(eclipse)とは日食や月食のことで、
  食とは欠けていることを意味する。色彩が欠けて地味な羽毛のことである。
  よく目立つ雄の生殖羽は求愛では有利だが天敵に見つかりやすい。

  そこで、天敵の多い北国の繁殖地では換羽して地味なエクリプス羽に変わる。
  そのまま日本に渡って来るので、渡来したばかりの雄は地味な色彩を
  していることになる。』        (中央公論新社 一部要約)
  
そして鮮やかな色彩に変化した雄は早速婚活開始。
声高らかに鳴き、水をはじいて尾をそらすなどさまざまな
パフオーマンスを披露。

雌が好みの雄を選んでカップルが成立すると、二羽で睦まじく行動し交尾。
めでたく雛が生まれると、雄は早速、別の雌鳥に求愛する。

浮気者め! 
いやいやそうではありません。
というのは、渡り鳥は死亡率が高いので、種の生存保持の上からも
必要な行為なのだとか。

オシドリ夫婦といえば仲良く一生を添い遂げる―「鴛鴦の契り」
というイメージがありますが、鳥の世界では毎年相手が入れ替わっている
仮面夫婦だったのか。

  「 日輪が ゆれて浮寝の 鴨まぶし 」 水原秋桜子 



万葉集721 (鴨の季節)完


次回の更新は2月1日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-24 16:10 | 動物

万葉集その七百十 (雁の秋)

( 雁  伊豆沼 宮城県 )
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( 雁いろいろ  野鳥図鑑 )
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( 月に雁  歌川広重 )
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( 月下の雁  菱田春草 )
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万葉集(雁の秋)

「 雁の声 すべて月下を 過ぎ終わる 」  高野素十

毎年9月中旬から10月上旬にかけて国の天然記念物マガンの群れが
国内最大最北の寄留地、宮島沼(美唄市西美唄町)に飛来します。
シベリアから南下して宮城県伊豆沼などへ向かう途中の羽休めで、その数
ピークで約36000羽。
かって全国いたるところで見られた雁は今や北陸と東北地方の一部で
越冬するのみです。

古の人は、雁は常世の国から飛来する神の使者と考えており、
「遠つ人、かり」と枕詞を冠し、また「天つ雁」ともいっていました。

人々は上空を鳴き過ぎる雁の声を熱心に聞き入って「雁音(かりがね)」とよび、
のちに「がね」を接尾語風にみなして雁そのものをいうようになります。

農家の人たちは雁を迎えると、作物の収穫時を知り、文人画家は
秋空に整然とV字型や1列の隊列を組んで渡る雁行や雁の声に
旅情や哀感をそそられ、歌を詠み絵に描いたのです。

万葉集では65余首、鳥類ではホトトギス155首に次ぐ多さです。

「 この夜らは さ夜更けぬらし 雁が音の
    聞こゆる空ゆ  月立ち渡る 」 
                         巻10-2224 作者未詳

( 今夜はもう夜が更けたらしい。
 雁の声が聞こえてくる空を、月が渡ってゆく )

宴会での歌らしく、月と雁の取り合わせが早くもこの時代に出てきます。

マガンは飛びながら「カハハン、カハハン」、「カリカリ」
「クワッカカッ、クワッカカッ」と遠くに響き渡る声で鳴きます。

「雁」という字はカリ、カリガネ ガン、と読み、江戸時代からは
語勢を強める「ガン」が多くなったようです。

「 天雲の 外(よそ)に雁が音 聞きしより
          はだれ霜降り 寒しこの夜は 」 
                      巻10-2132 作者未詳

( 天雲の遥か彼方に雁の鳴き声を聞いたその日から
  薄霜が置いて寒いことだ、このごろの夜は。)

晩秋、冬到来の兆し。
雁が寒さを運んできたなぁと、しみじみ感慨にふける作者。

   「はだれ霜降り 」 : うっすらと降り置いた霜 
                原文は「薄垂(はだれ) 霜雫(しも降り)」

「 鶴(たず)がねの 今朝鳴くなへに 雁がねは
        いづくさしてか 雲隠るらむ 」  
                  巻10-2138 作者未詳

( 鶴がこの朝鳴きたてている。
 折しも雁の声が遠ざかってゆくが、一体どこをめざして
 雲隠れしてとんでいるのであろうか )

鶴の声に対して雁声が薄れてゆく寂しさを詠ったもの。
当時奈良や難波で鶴や雁が多く見られたようです。


「 葦辺(あしへ)にある  荻(おぎ)の葉さやぎ  秋風の
        吹き来るなへに 雁鳴き渡る 」 
                      巻10-2134 作者未詳

( 葦辺に生えている荻の葉がさやさやとそよぎ
 秋の風が心地よく吹いてくる折しも雁が大空を鳴き渡ってゆくよ。)


 葦、荻、秋風、雁が音。
いかにも秋の情緒を感じさせる1首です。

   「 雁低く 薄の上を 渡りけり 」 正岡子

薄(ススキ)、月、などを好んで絵に描いたのは、歌川広重と菱田春草
特に広重の「月に雁」は特別仕様の切手になっており、
今や希少品になりました。

       「月よぎる けむりのごとき 雁の列 」 大野林火


                万葉集710 雁の秋 完


         
         次回の更新は11月17日(土)の予定。
          (通常より1日遅れます)

by uqrx74fd | 2018-11-07 15:50 | 動物

万葉集その七百三 (虫の声)

( コオロギ  向島百花園 )
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( スズムシ   同上 )
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( 虫の声  明日香稲渕 案山子祭  奈良 )
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( 虫の演奏会   同上 )
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( 巨大な赤トンボ   同上 )
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   万葉集その七百三 (虫の声)

秋風吹きはじめるころ、日暮れと共に「ルルルル」(邯鄲;カンタン)
「ガチャガチャ」(くつわ虫)、チョンギース(きりぎりす)、「チン チロリン」(松虫)
「コロコロコロリーン」(こおろぎ)、リーンリーン(鈴虫)など賑やかな虫の声が
聞こえて参り、私たちの気持ちを和ませてくれます。

虫の音を聞くことは古代の人達にとっても大きな楽しみでしたが、万葉人は、
秋に鳴く虫はすべて蟋蟀(こおろぎ)とよび、個別に聞き分けて名を付けたのは
平安時代からです。

蟋蟀科の昆虫の種類は日本で90種とも言われ、なかでも
ツズレサセコオロギやエンマコオロギ、ミツカドコオロギなどが
よく知られていますが、単に「こおろぎ」といえばツズレサセコオロギを
指すことが多いようです。

   「 鳴き止むと いふことのなく つづれさせ」    稲畑汀子

「ツズレサセコオロギ」の名は晩秋に生き残って鳴く蟋蟀の鳴き声を
「肩刺せ 裾刺せ 綴(つづ)れさせ」と聞きなし、冬仕度の為の着物の手入れを
するように教えているという俗信に由来するそうですが、
次の歌は平安時代には蟋蟀の鳴き声を「綴れ刺せ」と聞きなしていたことを
示すものです。

「 秋風に ほころびぬらし藤袴
      つづりさせてふ きりぎりす鳴く 」 
                        古今和歌集 在原棟梁(むねやな)

( 秋風に吹かれて藤袴がほころびたらしい。
 「ツズリサセ ツズリサセ」と蟋蟀が袴のほころびをなおしなさいと
  鳴いているよ)

秋の七草の「藤袴」と衣類の絝をかけたもの。
「こおろぎ」は平安時代「きりぎりす」とよばれていました。

短歌の構成(57577)の制約上「こおろぎ」の四文字よりも「きりぎりす」の
五字の方が詠みやすいこともあったようですが、この誤用は延々と
江戸時代まで続きます。

 「 あたたかい雨です
      えんまこほろぎです 」     三橋鷹女

  コオロギの鳴き音は3種類あるそうで、                                 
  「コロコロコロコロ」  ひとり鳴き    
  「コロコロリ・・・コロコロリ」  切ない響き、雄の求愛  
  「キリキリキリッ 」は  縄張り争いの喧嘩鳴き。

「 蔭草(かげくさ)の 生ひたるやどの 夕影に
        鳴くこほろぎは  聞けど飽かぬかも 」  
                       巻10―2159 作者未詳

( 蔭草が生い茂っている庭先の、夕方のかすかな光の中で
 鳴いている蟋蟀の声は、いくら聞いても飽きることがない。)

           蔭草:物陰に生えている草

草むらの蔭から蟋蟀の音がきこえてくる。  
右から左から、真中から、やがて大合唱。  
ひとしきり鳴くとピタリととまり、また鳴きはじめる。  
まるでコーラスだ。                     

「 庭草に 村雨降りて こほろぎの
        鳴く声聞けば  秋づきにけり 」  
                    巻10-2160 作者未詳

( 村雨(ひとしきりの雨) がさっと降りすぎてゆきました。
  おぉ、庭草の間から蟋蟀の鳴きすだく声が聞こえてきたよ。
  もう秋になったのだなぁ)


一人静かに秋を告げる虫の声に耳を傾けている作者の姿が目に浮かび、
「淡々として清く、落ち着いた気韻があって、まことに歌品が高い」(佐々木信綱)
と評されている一首です。

「 秋風の 寒く吹くなへ 我がやどの
      浅茅がもとに  こほろぎ鳴くも 」   
                       巻10-2158 作者未詳

( 秋風が寒く感じる位に吹くおりしも、我家の庭の浅茅の根元で
  こおろぎが鳴いていますよ )

    「なへ」 ~するにつれて 二つの事象が併行して進さまをいう
    「浅茅がもと」:「浅茅」は丈が低い茅(ちがや)
              「もと」は根元

なんとなく肌寒い気配。
ふと気が付くと虫たちが盛んに鳴いている。
深まりゆく秋をしみじみと感じている作者。
調べよく、爽やかな涼気が漂う一首です。

「 我のみや あはれと思はむ きりぎりす
           鳴く夕かげの 大和なでしこ 」 
                    素性法師  古今和歌集

( この秋の夕日の中に可憐な花を咲かせている大和撫子を
  一人で眺めているのは何とも惜しい。
 蟋蟀の声がしみいるように聞こえてくるこの野原で。)

         「大和撫子」はカワラナデシコ(河原撫子)。

「撫子」は「いとしんでいる子」を掛けているようです。
撫でてやりやいくらい愛しい人と一緒に眺めていたいという意が含まれ
秋の夕景、蟋蟀、大和撫子の取り合わせが日本人の繊細な感性を
伝えている一首です。

「こおろぎ」は現代に至るまで錚々たる歌人に多く詠われています。


「 こほろぎが  清く寂しく  鳴き出でぬ
        雲の中なる 奥山にして 」     与謝野晶子

 深々とした奥山。
 作者は寺にでも泊まっていたのでしょうか。

 澄み切った空気に響く蟋蟀の音。
 低く、高く、どことなく寂しげだ。
 これは求愛の声だろうか。

「 わが住みし 山寺(さんじ)の縁に 脱ぎ棄てし
           君が草履に こほろぎの鳴く 」     吉井勇

 愛する女性が訪ねてくれた。
女は案内を待ちきれず、急いて玄関を駆け上がったのか。
乱雑に脱ぎ捨てた草履にまだ温かみが残る。
何となく大人の色気が感じられる一首です。

そして最後に「もののあはれ」を解さぬ人への痛烈な皮肉。

「 部屋には こおろぎがいるのに
  なぜ こおろぎの話をしないのか
  この部屋の人達は みんな女の話ばかりする 」 

                       (村上昭夫  動物哀歌)


             万葉集703 ( 虫の声) 完


            次回の更新は9月28日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-09-20 16:23 | 動物

万葉集その六百八十四 (雲雀の文学)

( ヒバリ 雄 )
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( 雛に餌やりする ヒバリ 雌 )
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( 揚雲雀 )
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万葉集その六百八十四 (雲雀の文学)

 「 揚雲雀(あげひばり) 見上ぐる高さ より高く 」 稲畑汀子

 雲雀の雄は高い空で「ピーチュル ピーチュル」と囀り、雌は
草の茂みなどで「ビユル ビユル」と鳴きます。
「晴れた日に空高く上がって鳴く」ことから「日晴れ」とよばれ
転じて「ヒバリ」になったとか。

ひとしきり楽しげに囀ったあと一直線に地面に降りてくる雲雀。
その姿から揚雲雀、落雲雀ともよばれ、古代から多くの人達に
親しまれてきました。

 私達にとって楽しげに聞こえる雲雀の囀り- 
でもそれは餌を確保するために縄張りを主張しているのです。

また地面に着陸する時、わざと巣からかなり離れた地点に下り、
そこから忍者さながら潜行して外敵に覚られないように戻って
雛を守るなど、実生活の雲雀さんはなかなか忙しい。

   洋の東西を問わず古くから多くの人たちに愛されてきた雲雀は
   文学、詩、和歌、俳句にいたるところで登場しています。

  まずは中原中也の詩から。

「 ひねもす空で 鳴りますは
  あぁ 電線だ 電線だ
  ひねもす空で 啼きますは
  あぁ 雲の子だ 雲雀奴(ひばりめ)だ 

  碧(あ-ぉ)い 碧(あ-ぉ)い 空の中
  ぐるぐるぐると 潜(もぐ)りこみ
  ピーチクチクと啼きますは
  あゝ雲の子だ、 雲雀奴(ひばりめ)だ  」  (中原中也 「雲雀」より)

次は教科書で習った上田敏の海潮音から

「 時は春 日は朝(あした) 
  朝(あした)は七時 

  片岡に露みちて 
  揚げ雲雀なのりいで
  蝸牛(かたつむり)枝に這ひ 
  神そらに知ろしめす。

  すべて世は事も無し 」
             ロバート ブラウニング 
                          (上田敏訳 海潮音所収 春の朝より) 

勿論万葉集にも登場しています。

「 朝(あさ)な朝(さ)な 上がるひばりになりてしか
             都に行きて早帰り来む 」 
                          巻20-4433 安部沙弥麻呂

( 朝ごとに空高く舞い上がる雲雀になりたいものだ。
そして都に行きすぐに戻ってこよう。)

755年、防人が難波に集結して大宰府に出発するにあたり
兵士を閲兵、鼓舞する為に勅使が遣わされました。
数々の行事が終わった後、勅使を慰労する宴が催され、兵部省の役人大伴家持たちが
接待にあたります。

主賓の勅使(作者)は
「春めいてきた都にすぐにでも戻りたいが―。
まだ残務があるので残念だ。
雲雀になって空を飛び、とんぼ返りしたいものだなぁ」と詠った。

「 ひばり上る 春へとさやになりぬれば
      都も見えず 霞たなびく 」 
                           巻20-4434 大伴家持

( もう雲雀が舞い上がる季節になったのですね。都の方角も春の使いといわれる
霞がたなびいていて朧気にかすんでおりますなぁ ) 

「さやに」: はっきりと明瞭に 

古代、霞がたなびくと春が到来したと感じられていました。
家持は勅使に対し
「お勤めご苦労様でございます。
都もすっかり春めいて霞で見えないくらいでございます。
帰心矢の如しでございましょうが、今しばらくご辛抱を」
と気を遣ったものです。

当時の防人制度は関東、甲信越、中部地方から21歳~60歳の男が徴兵され
一旦難波に集結して、そこから船で大宰府に派遣されていました。
(防人の定員は3000人で3年に1回1000人ずつ交代。)

当時の定めでは3000人集結するとき 従5位相当の高官
       1000人 〃      内舎人(天皇の付人)
を派遣し慰労の詔勅を下すことになっていましたが、
今回の場合、かなり重要な軍務のため、更に上の高官即ち
従4位、紫微中台首席次官 (官房と親衛隊を兼ねた天皇直属の行政府次官)を
派遣したので家持も格別な接待をしたようです。
 
なお、当時兵部省次官であった家持は防人達に歌を作って差し出すように命じた為、
当時の実態を知ることができ、重要な歴史遺産となっています。

「 うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上(あが)り
     心かなしも   ひとりし思へば 」      
                     19-4292 大伴家持

( うららかな春の日、暖かい太陽の日差しの中を
  雲雀が空を舞い上がっています。
  こんなに素晴らしい日なのに私の気持ちは
  一向に晴れないで、一人物思いにふけっています。)
                        
この歌は人間の不安、さびしさ、心のゆらめきを表現したものとしては
万葉集の中でも稀有のものであり、家持一人が「万葉集」において達成した世界(伊藤博)と
評されています。
 
家持がこのような孤独感を抱くに至った背景には次のような経緯があります。

大伴家は有史以来、天皇家に従い「武」と「歌」で天皇を守護する名門中の名門。
ところが家持の時代になると藤原一族が政治を壟断して完全に朝廷を牛耳り、
大伴家は凋落の一途を辿ります。
強力な後ろ盾であった聖武天皇、橘諸兄は相次いで世を去り、無力となった家持は
中央の政治の舞台から姿を消し、遂に左遷に次ぐ左遷と悲哀のうちに、その生涯を
都から遠く離れた陸奥の国で終えることになります。

然しながら作歌の世界では澄み切った境地に達し、次から次へと秀作を生み出し
永遠の命を得ました。
孤独とはすべての人間の心の深淵に持つ本源的なものであり、
それを超越すると、やがて「無」という境地に達するものでありましょうか。

再び現代詩の世界へ。

「 雲雀の井戸は天にある・・・・あれあれ
  あんなに雲雀はいそいそと
  水を汲みに 舞ひ上がる
  はるかに澄んだ 青空の
  あちらこちらに
  おおき井戸の 枢(くるる)がなっている 」 (三好達治 揚げ雲雀 )

              枢:井戸の釣瓶(つるべ)の回転軸

最後に漱石の草枕から
 
「 たちまち足の下で雲雀の声がした。
  谷を見下ろしたが どこで鳴いているのか影も形も見えぬ。
  ただ声だけが明らかに聞こえる。- 

  あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。
  のどかな春の日を鳴き尽くし鳴きあかし、
  また鳴き暮らさなければ気が済まんとみえる。
  その上どこまでも登って行く。
  いつまでも登って行く。」                    夏目漱石(草枕)

多くの人たちに愛され親しまれた雲雀は今や余り見かけなくなりました。
緑肥として栽培されていたレンゲソウ、ウマゴヤシ、アブラナ、クローバー、などが
少なくなり、子育てをする場所がなくなったからでしょうか。

「 日輪に きえいりてなく ひばりかな 」 飯田蛇笏


          万葉集684 (雲雀の文学)完


         次回の更新は5月18日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-05-10 15:41 | 動物

万葉集その六百八十 (万葉人は鯛がお好き)

( 鯛 築地魚市場 )
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( 鯛 高橋由一 高松金毘羅宮 高橋由一館 )
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( 千葉 安房鴨川歩道トンネルの壁画 地元小学生作 )
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(  同上 )
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( コナギ:ミズアオイ  万葉時代葉を食用にした  奈良万葉植物園 )
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    万葉集その六百八十 (万葉人は鯛がお好き)

「 水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛釣りほこり
    七日まで家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに
    - - 」                        巻9-1740 高橋虫麻呂
   
( 水江(みずのえ)の浦の島子が、鰹(かつを)や鯛を釣っているうちに、
      大漁となって調子づき、7日も家に帰らず、
      とうとう海の境を通り過ぎてしまった。)

この歌は浦島伝説を詠った冒頭後半、鰹や鯛を釣り、大漁になったことを
述べた部分で、水江は摂津(大阪府住吉区)、住吉神社の近く、
明石鯛も獲れたことでしょう。

「日本歳時記」によると

『 鯛、とりわけ真鯛は色、形、味よく海産魚類の王と云われている。
  春産卵のため内海の浅場に群れてくるが、そのころことに雄の真鯛は
  腹部が婚姻色といって性ホルモンの作用で赤味を帯びる。
  ちょうど花時にあたり、その色を賛美して、俗に桜鯛とか花見鯛とか
  いうのである- - 。
  瀬戸内海では、鳴門,紀淡、明石などの諸海峡を通って乗り込むので
  鳴門鯛、明石鯛などの名称がある。 』

このような情景を西行は次のように詠っています。

「 霞しく 波の初花 をりかけて
            さくら鯛つる 沖のあま舟 」  西行 山家集

   ( たなびいている霞の中から 折り返す白波が初花のように見え、
    その沖合で海人たちの舟が、桜鯛を釣っているよ )

そして早速刺身にして戴く。

「 鳴門鯛 うましき春を 来遊びて
         ころころ かたき 鯛の刺身食う 」
              吉植庄亮(よしうえ しょうりょう:1884~1958)

 鯛の刺身が一番美味いのは獲った魚を絞めてから10時間~12時間後。
 旨味を感じるイノシン酸とグルタミン酸の量が最高に達する時なのだ
 そうですが( 京都大学 坂口守彦教授 )、人の好みはそれぞれ、
 獲れたてのコリコリ固いのがお好きな人も多いことでしょう。

万葉人も鯛が好きだった。
しかも「三枚おろし」にした刺身を醤酢(ひしおす)、蒜(ひる)などの調味料を
加えて食していたのです。

「 醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願う
       我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの) 」  巻16-3829 
                       長 忌寸 意吉麻呂 (ながの いみき おきまろ:伝不詳)

  ( わぁ-、今日はご馳走だねぇ。鯛の刺身ではないですか。
    早速ニンニク入りの「酢味噌たれ」をつけていただきましょうよ。
    コラコラ、もおぅ-、 水葱の吸物のようなものを出してきて!
    折角の食欲が落ちるからこんな物は見えないように置いて頂戴。 ) 

語句の解説です。
古代人の食事の内容が窺われます。

   醤(ひしお): 醤油や味噌の元祖でもろみに近い。大豆、うるち、酒、
            小麦を原料として醸造したもの

   酢:   米から作る米酢と酒を腐らせた酒酢があった
        醤酢は今の酢味噌の類

   蒜(ひる): ニンニクや野ビルのことで独特の強い臭気がある
          「蒜搗き合(か)てて」: 蒜をつき砕いて 混ぜて

   水葱(なぎ);   ミズアオイ科の一年草、葉を食用とする。水中に自生

   羹:    熱い汁、吸い物のこと。
         調味料に醤が用いられているだろうから後の味噌汁という説もある(永山久夫)

作者は宴席で周りの人達から囃されて、酢、醤、蒜、鯛、水葱を歌に
詠み込めと言われ即座に作歌したもので

「 高級料理の鯛が出てきて嬉しいねぇ。早くそれを食べたいんだ。
  水葱の吸物のような日常料理なんか見たくもないよ」
とおどけたのです。

この歌を読んだ友人たちは次のような感想を述べてくれました。

まずは「T.Sさん」

『 昨日、NHK朝の番組「徳島の旅」の中で、鳴門の桜鯛
  (渦潮でもまれて身がしまっているらしい)と
  生わかめ(熱湯に入れた瞬間に、茶色から鮮やかな緑に変わる)を
  しゃぶしゃぶにして食べる場面がありました。
  とても、おいしそうで、さしみよりおいしいかもしれないと
  思わせる料理でした。

   万葉の時代には、さしみにして、にんにく入りの酢味噌で食べたとのこと、
   あまりおいしそうではありませんが、当時としては、
   特別の調味料だったのでしょうね。
   「余計な料理より、早く、特別料理を食べされろ」と、
   にぎやかな宴会の様子が見えて面白い。
   鯛は、昔も今も、高級魚の地位を守り続けているのですね。 』

続いて「N.F」さん
                         
  『 近年、日本人の食事も洋風化が進んできましたが、終戦後間もない頃には、
    どうやら食べ方は異なれど、万葉人とさほど変わらないものを
    食していたようですね。
    T.Sさんが言うように、醤醢やらにんにくと鯛の刺身では現代人の口には
    合わないでしょうが交通事情が悪かった往時のこと、ワサビの代わりのような
     一種の消毒剤に用いたかもしれませんな。

    醤醢などは懐かしいですなあ。
    金山寺はいまも売られていますが、醤醢は家庭で作ったものです。
    うまいんだけど。 』 

最後に「I.N」さん

『 「櫻鯛」美しい言葉ですねえ。
  婚姻色の鯛を櫻鯛と言うとは知りませんでしたが、綺麗な言葉ですねえ。
  鯛の骨には、面白い形をした部分がある筈だが、それがどんな形だったか
  記憶にないけれど、鯛の骨が刺さると他の魚の骨が刺さるよりも抜く際に
  ずうーっと痛い。

  それにしても鯛はうまい、料理では、眼の周りのゼラチン質の部分や、
  頬肉は絶品ですなあ、
  機知を競う宴席で「吸い物はいいから早く鯛を食べさせろ!」と
  声高に要求する模様が生き生きと描かれている。

  秘伝のたれのかかった銀座「竹葉亭」の鯛茶漬けが恋しくなりました。 』

    ( 筆者注: 竹葉亭は鰻で有名だが鯛茶漬けも大人気 )

  「 料理して 今日もくらしつ 桜鯛 」  維舟

谷崎潤一郎の「細雪」でも桜の季節に真鯛が旬になり、桜鯛と呼ぶことを
ふまえた一文があります。

『 幸子は昔、貞之助と新婚旅行に行った時に、箱根の旅館で食い物の
  好き嫌ひの話が出、君は魚で何が一番好きかと聞かれたので
 「鯛やわ」と答へて貞之助に可笑しがられたことがあった。

  貞之助が笑ったのは,鯛とはあまり月並みすぎるからであったが、
  しかし彼女の説によると、形から云っても味から云っても鯛こそは
  最も日本的なる魚であり、鯛を好かない日本人は日本人らしくないのであった。

  彼女のそう云ふ心の中には、自分の生まれた上方こそは、日本で鯛の
  最も美味な地方-従って、日本の中で最も日本的な地方であるという
  誇りが潜んでいるのであったが、同様に彼女は、花では何が
  一番好きかと問われれば、躊躇なく桜と答へるのであった。

  - - 鯛でも明石鯛でなければ旨がらない幸子は、花も京都の花で
   なければ見たような気がしないのであった。 』

鯛は今でこそ魚の王として不動の地位を占めますが、古くは「鯉」が
最上とされていました。
中世以降、漁法やさまざまな料理法が発達し、江戸時代以降ようやく
万人に認められて王座を確立し現在に至っています。

縄文時代1mにも及ぶ鯛の骨が出土していますが、最上に美味なのは
40~50㎝程度のものとされ、調理法は刺身を筆頭に塩焼き、
鯛ちり、鯛めし、鯛茶漬けなど、また、頭は兜煮,潮汁、
特に目玉を入れたすまし汁は最高の贅沢とか。

 「 安宿と あなどるなかれ 桜鯛 」  森田 峠


      万葉集680(万葉人は鯛がお好き)完


      次回の更新は4月20日(金)の予定です。

              

by uqrx74fd | 2018-04-12 16:32 | 動物

万葉集その六百七十三 (梅に鶯)

( メジロ 皇居東御苑 )
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( ウグイス  山の辺の道  奈良 )
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( 凛と咲く白梅  皇居東御苑 )
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( 月ヶ瀬梅林  奈良 )
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( 同上 )
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   万葉集その六百七十三 (梅に鶯)

「 りんりんと 梅枝のべて 風に耐ゆ 」 中村汀女

清楚で気品が高く、早春百花に先駆けて咲く梅は呼び名も多く、 
好文木(こうぶんぼく)・春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)、
風待草(かぜまちぐさ)、初名草(はつなぐさ)、さらに、花の兄(え)とも
よばれています。

「花の兄(え)」とは室町前期の連歌師、浅山梵燈(ぼんとう)の
「よろづの草木の先に花開くがゆゑに、花の兄と申すなり」(袖下集:そでしたしゅう)
に由来するそうな。

一方、鶯も梅の花咲く頃、人里近くで鳴くので「春告げ鳥」の異名があり、
その鳴き声が「ホーホケキョ」(法 法華経 )と聞き慣わされているところから
経読鳥(きょうよみどり)とも。
詩歌での「初音」は鶯とホトトギスのみに使われる専売特許です。

古くから人々に愛された梅と鶯。
万葉集では梅119首、鶯51首も詠われており、いずれも待望の春到来を
寿ぎ喜ぶ歌ばかり。

まずは、梅、鶯を待ちきれずの歌から。

 「 春されば ををりに ををり うぐひすの
          鳴く我が山斎(しま)ぞ   やまず通はせ 」   
                              6-1012 古歌

( 春ともなれば 枝も撓むばかりに花が咲き乱れ
     鶯が来て鳴く我家の庭園です。
     その時になったら、ぜひとも欠かさずにお出でくださいませ。)

      「春されば」: 春になったら
      「ををりに ををり」: 花が咲き撓むことをいう
      「山斎」(しま):  林泉や築山がある庭園

正月も過ぎたころ、古い歌舞を扱う役所の官人たちが、
葛井広成(ふじい ひろなり)宅に招かれて宴を催した時の一首。

古歌とされていますが、実際は主人広成が作って披露したものと思われます。
この歌の前に梅が詠みこまれているで、枝も撓むほどに咲く花は梅。

女性の立場で詠ったらしく、間遠くなった男の訪れを少し皮肉り
「 歓待してさしあげますから、しょっちゅういらして下さいね」と
おどけて詠ったものです。

そして、いよいよ春到来。

  「 うぐひすの 春になるらし 春日山
           霞たなびく 夜目(よめ)に見れども 」
                       巻10-1845  作者未詳

( 待ちに待った鶯の鳴く春になったらしいなぁ。
  春日山に霞が棚引いていることが夜目に見てもはっきり分かるよ。)

霞が棚引くのは春到来のしるし。
作者は毎日朝夜となく、春日山を眺め今か今かと待っていたのでしょう。
歓喜雀躍している様子が感じられる一首です。


「 春の野に 鳴くや うぐひす なつけむと
     我が家(へ)の園に 梅が花咲く 」 
                  巻5-837 算師 志氏大道 (さんし しじの おほみち)

( 春の野で咲く鶯、その鶯を手なずけようとして
  この我らが園に 梅の花が咲いているよ。 )

なつけむと:なつけようとして
算師: 租税、経理などの仕事を司る官人

730年 大宰府帥、大伴旅人邸で行われた梅花の宴での歌32首のうちの1首。
総勢32名余の歌会は我国詩歌史でも画期的な出来事です。
歌の趣旨は鶯の鳴き声を聞きたい時にいつでも鳴かすことができるよう
梅の花が自身の魅力で引き付け、飼い馴らそうとしているようだ、
というのです。

「 わがやどの 梅の下枝(しづえ)に 遊びつつ 
          うぐひす鳴くも 散らまく惜しみ 」
                 巻5-842  薩摩目 高氏海人 (さつまのさくわん かうじのあま )

( この我らが庭の梅の下枝を飛び交いながら、鶯が鳴きたてている。
  花が散るのをいとおしんで。)

作者は薩摩の国の下級官吏。
鶯は時として玉をころがすような美しい声で「ケキョケキョ」と続けざまに鳴く
ことがあり「鶯の谷渡り」といいます。
秋冬になると「チヤッ チヤッ」という鳴き声に変わりこれを「笹鳴き」というそうです。

鶯は梅よりも笹や竹藪など低木の林を好んで棲みます。
鶯は梅と取り合わせて詠われることが多いのは、共に春の先駆けの象徴として
採りあげられた絵画や詩歌の世界、とりわけ中国文学の影響が大きいようです。

鶯が梅に来る時は、木に付着した害虫(蛾の幼虫)を食べにくるからとされ、
普段梅と戯れているのはメジロが多く、鶯は滅多に見かけません。

   「 勅なるぞ 深山鶯(みやまうぐいす) はや来鳴け 」  正岡子規

         ( お上の命令であるぞ、鶯よ すぐ山から降りてきて 早く鳴け )

番外編 (鶯いろいろ)

その一.『 富山、岐阜、愛知では鶯のことを「オグイス」という。
       古くは大(オホ)を「ウ」と 訛ったから、
       かって「ウグヒス」は「大食ス」(オオグイス)と聞こえたはずでまさに万葉調。

        歌に詠まれる名鳥の名の起源が必ずしも優雅なものとは 限らない。』
                             (歳時記語源辞典 橋本大三郎著 文芸社より)

その二 『 「出雲の国(島根県) 嶋根郡の法吉(ほほき)の郷には
        次のような地名起源伝承がある。
        「神魂命(カム ムスビノ ミコト)の御子(みこ)であるウムカヒメの命が
         法吉鳥(ほほきどり)となって飛び渡り、ここに鎮まりましき。
         故にこの地を法吉(ほほき)という。」

        風土記にしても、万葉集にしても鳥や動物は数多く登場してくるが、
        その声を具体的に捉えて地名になる例は希少である。
        ホホキ郷の場合、ウムカヒメが鳥に化身して、この地に飛んできて
        鎮座したという内容である。

        鳥は神の使いとする考えは神話にあるから、この場合鶯が
        ウムカヒメの化身と考えられる。

        この「法吉」は鶯の鳴き声を文字に捉えた珍しい例で
        ホーキあるいはホキと聞き写したか、
        少なくとも今のホーホケキョとする聞きなしではなかったようだが、
        近いところも感ぜられる。

        古代の出雲の国でとらえられた例であるが、仏典「法華経」の
        使者のような鳴き声としてとらえられる以前の聞き写しと
         いうことになる。 』
                          ( 音感万葉集 近藤正義著 はなわ新書より)
  
その三、  『 「和漢三才図会」(寺島良安)という江戸時代の書物に、
         「鶯の産地は奈良が第一、関東産の鶯は鳴き声が濁っている」
         としている。
         そこで元禄のころ、上野の公弁法親王という人物が
         京都から3500羽の鶯を取り寄せて根岸の里に放したところ
         大いに繁殖し、後に江戸を代表する鶯の名所となり
         「初音の里」とも称されるようになった  』
                             ( 万葉の動物に寄せて 角海 武  自家出版 )

根岸の里は江戸時代、粋人の別宅が多かったところで、
JR山手線「鶯谷」の駅名はその名残。

当時の根岸は上野の北東、日暮里、根津、千駄木一帯を含む
広範囲な地域だったそうな。

   「 雀より 鶯多き 根岸哉(かな) 」 正岡子規


     万葉集673(梅に鶯)  完


    次回の更新は3月2日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-02-22 15:20 | 動物

万葉集その六百六十八 (鴨の季節)

( キンクロハジロ  六義園  東京 )
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( ホシハジロ  不忍池  上野 )
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( マガモ  不忍池  上野 )
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万葉集その六百六十八 (鴨の季節)

詩歌の世界で、晩秋北の国から渡ってくる鴨を「初鴨」、「鴨来る」、
春帰る鴨を「引鴨」(ひきがも)、帰らず残っている鴨を「残る鴨」、
留鳥である「カルガモ」は「夏鴨」とよばれ、単なる鴨という場合は
冬の季語とされています。

鴨類の種類は多く、世界で約170種、我国でも30余種といわれ、
比較的小形のものをひっくるめた総称が鴨。
中でも特に多いマガモ(別名アオクビ)をさすことが多いようです。

万葉集では29首。
美しい羽色、浮寝、鳴声など様々な情景が詠われています。

「 水鳥の 鴨の羽色の 春山の
     おほつかなくも 思ほゆるかも 」  
                        巻8-1451 笠 郎女

( 水鳥の鴨の羽色のような春山が、ぼんやりと霞んで見えるように、
 あなた様のお気持ちが はっきりわからず、 もどかしくてなりません。)

大伴家持に贈ったもの。
片思いの鬱々とした心情を述べ、鴨の羽色を霞かかった春山に譬えています。
色華やかな春の山、池に浮かぶ鴨の美しい姿、霞たなびく空。
様々な情景が目に浮かぶような秀歌です。

「 磯に立ち 沖辺(おきへ)を見れば 藻(め)刈り舟
    海人漕ぎ出(づ)らし  鴨翔(かけ)る見ゆ 」 
                             巻7-1227 作者未詳

( 岩の多い海岸に立ってはるか沖の方を見やると
  鴨が驚いて飛び立った
  海藻を刈る海人たちが舟を漕ぎだしたようだなぁ。)

作者は紀伊方面の旅の途中、沖の藻を刈る小舟を眺めていたようです。
ところが海人が突然舟を漕ぎ出したため、驚いた鴨が一斉に飛びたった。
今にも羽音が聞こえてくるような生き生きとした一首で、
「鴨翔ける」の躍動感が秀逸。

なお、鴨は夜明けから日中沖に浮かび漂い、夜になると川の葦辺や
池の水田で餌を漁ります。

「 我妹子(わぎもこ)に 恋ふれにかあらむ 沖に棲む
                   鴨の浮寝の  安けくもなき 」 
                       巻11-2806 作者未詳

( あの子に恋こがれているからであろうか。
 沖の波を寝ぐらとする浮き寝鴨のように 私の心はゆらゆらとして
 落ち着くことがありません )

「 恋ふれにか あらむ」: 「恋ふれば にかあらむ」の意で
                 恋してしまったからであろうか。

万葉人の素晴らしい造語、「鴨の浮寝」。
今なお使われている言葉です。

   「 日輪が ゆれて浮寝の  鴨まぶし 」   水原秋桜子

次の歌は防人が集合地、難波に向けて出立しょうとしている場面です。

「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
      寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」 
                    巻14-3570  作者未詳(防人歌)

( 葦の葉群れ一面に夕霧が立ちこめ、鴨の鳴き声が寒々と聞こえてくる夕べ。
 そんな夕暮れ時には、お前さんのことが ことさら偲ばれることよ。)

当時の難波は葦の名所、その夕景を思い浮かべながら
妻に別れの挨拶をしています。
作者は東国の人と思われますが、以前難波に行ったことがあるか
防人経験者に話を聞いていたので、このような情景を思い浮かべることが
出来たのでしょう。

しみじみとした哀感がにじみ出ている秀歌ですが、
鴨の雄は「グェッ グェツ」、メスは「グェー グェグェ」と鳴き、
美声には程遠い「だみ声」。
遠くから聞くと寂しげに聞こえたのでしょうか。

「 見るままに 冬はきにけり 鴨のいる
        入江のみぎは うすごほりつつ 」 
                     式子内親王 新古今和歌集

番外編 

   「 鴨喰ふや 湖(うみ)に生身の 鴨のこゑ 」 森澄雄

以下は「池波正太郎著 鬼平料理帳  佐藤隆介編 文春文庫」より

 『 鴨鍋、鴨汁、鴨雑炊、鴨雑煮、鴨のお狩場焼、鴨飯、そうそう
   鴨南蛮を忘れるわけにはいかない。
   江州、長浜に琵琶湖のうまい鴨を食べさせる有名な専門店のあることを
   知っていても、私なんぞ簡単に行けるわけではない。

   それで、せめて浜町の「藪」へでも駈けつけて
   「お酒を一本、それから鴨南蛮をおねがいします」ということになる。

   鴨の肉は脂のついたままを すき身にするのが定法で、これがびっしり並んだ
   熱々の鴨南蛮をすすりこむと、全身に活力がみなぎってくる、ような気がする。
   ちなみに鴨南蛮のナンバンとは葱の異名だそうな。

   「鴨が葱を背負ってきた」といわれるぐらい、鴨には葱がつきものである。
   しかし、料理の本では、鴨に最もよく合うものは芹と教えている。
   たっぷりと脂のついた鴨の肉は、どちらかといえばくどい感じになりやすいから、
   芹で味を中和させるのである。 』

筆者注:

 江戸時代、大阪の難波村は葱の大産地。
 その「ナンバ」が「ナンバン」に転訛したもの。

 「アイガモ」は「アヒル」と「マガモ」を交配させたもの。
 ほとんどの店の鴨南蛮はアイガモが使われ、
 野性のマガモを食べさせる店は少なくなっているそうな。

       「 寒入りは まず鍋焼きに 鴨南蛮 」  筆者


       万葉集668 (鴨の季節)完


     次回の更新は1月26日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-01-18 17:08 | 動物

万葉集その六百五十七 (万葉人は鮪がお好き)

( 鮪   築地魚市場 )
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( 鮪の大切り身  同上 )
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( 大トロ  新富寿し   銀座 )
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(  赤身     同上 )
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( トロ巻き     同上 )
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万葉集その六百五十七 (万葉人は鮪がお好き)

726年10月、聖武天皇が播磨国に行幸されたときのことです。
海が見える場所に急造された仮宮に着き、外を眺めると、
鮪釣り舟が多く集まって漁をしており、砂浜では人々が塩を焼いていました。
民たちが天皇歓迎の大漁祭をしていたのかも知れません。
海が無い大和で育った天皇にとって何よりの催し。
思わず身を乗り出し、見入りながら満足げなご様子です。

ややあって、お供の人が歌を奉り声高らかに詠います。
まずは訳文から。

「  あまねく天下を支配されておられる 我らの大君が
   神として 高々と
   宮殿をお造りになっている 
   印南野の邑美(おふみ)の原の中の 
   広々とした海に面した藤井の浦では
   鮪(シビ)を釣ろうとして 海人の舟がたくさん集まり
   また、浜では塩を焼こうとして 人がいっぱい集まっている

   なるほど、浦が良いので  このように 釣りをするのだ
   浜がよいので  このように 塩を焼くのだ

   さればこそ  わが大君も こうしてたびたび お通いになって 
   ご覧になるのだ
   あぁ、なんと清らかな 眺めの素晴らしい白浜であることよ。 」

                              巻6-938  山部赤人

   ( 当時、鮪(マグロ)は「シビ」とよばれていた。)

訓み下し文

「 やすみしし 我が大君の 
  神(かむ)ながら 高知らせる

  印南野(いなみの)の 邑美(おふみ)の原の
  荒袴(あらたへの)  藤井の浦に

  鮪(しび)釣ると 海人舟騒き
  塩焼くと 人ぞ さはにある

  浦をよみ うべも釣りはす
  浜をよみ  うべも塩焼く

  あり通ひ  見さくもしるし
  清き白浜 」
                   巻6-938 山部赤人
語句解釈

 「やすみしし」   我が大君に掛かる枕詞 
                「八隅知し」「安見知し」で八隅をくまなく治める、
                 安らかに天下を治める の意か。

     「神ながら」     神として(天皇を神とみている)

     「高知らせる」    高々と宮殿(行宮:仮の宮)をお造りになっている

     「印南野の邑美の原」 播磨国(兵庫」明石から加古川のかけての平野
     「藤井の浦」 明石市藤江付近

     「荒栲の」 藤井の枕詞、荒い布の繊維の藤の意

     「人ぞ さはにある」 さは:沢山
     「うべも」 なるほど
     「あり通い」 なんども通い
     「見さくも しるし」   ご覧になるのは当然
                  「見さく」は見るの敬語 「しるし」は著しい
反歌

「 沖つ波  辺波(へなみ)静けみ 漁(いざ)りすと
              藤江の浦に 舟ぞ騒ける 」 
                   巻6-939  山部赤人
( 沖の波も 岸辺の波も 静かなので
      魚を獲ろうとして 藤江の浦に 舟が賑わい、騒いでいる )

当時、播磨灘に面した明石の沖は鮪が沢山獲れ、製塩も盛んだったようです。

ここでは「釣る」とあるので、勇壮な1本釣り。
古代遺跡から、手のひら大の骨製釣り針が古代遺跡から出土していることも
そのことを裏付けています。
また古事記に

「 大きな魚(うお)よ 鮪(しび)突く 海人よ
  その大魚が逃げたら さぞや恋しく悲しかろ
  鮪を突いていろ シビ(人名)さんは 」

との記述があり、銛で突く方法もあったようです。

 「 船傾き 阿吽(あうん)の呼吸で 鮪(まぐろ)釣る 」     楓 巌涛

鮪(まぐろ)の脂身は記憶能力,創造能力を高め、血栓を防ぐ物資が驚くほど
多く含まれていますが、古代人はどのようにして食べていたのでしょうか?

冷蔵能力がなかった時代、考えられるのは塩付けで保存し焼く、いわゆる
鮪のステーキ、あるいは煮る、乾燥させる。
いずれにしても縄文時時代の貝塚から多数の骨が出土しているので、
万葉人の好物だったことは間違いありません。

江戸時代になると、握りずしが考案され鮪が飛躍的に普及しましたが
好まれたのは赤味のみ、脂身のトロは捨てられるか、豚の餌に。
大トロが超高級ネタになったのは戦後の高度成長期以降のことです。

ごく最近の新聞記事で「赤マグロ価格高騰」とありました。
乱獲による資源大幅減が原因のようですが、庶民にとっては何よりのご馳走。
秩序ある漁法で食卓を賑わせてもらいたいものです。

   「 遠つ海の 幸の鮪を 神饌となす 」  黒田 晃世


            万葉集657(万葉人は鮪がお好き)完


   次回の更新は11月12日(日曜日)、通常(金曜日)より遅くなります。

 

by uqrx74fd | 2017-11-02 17:17 | 動物