カテゴリ:動物( 82 )

万葉集その六百八十 (万葉人は鯛がお好き)

( 鯛 築地魚市場 )
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( 鯛 高橋由一 高松金毘羅宮 高橋由一館 )
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( 千葉 安房鴨川歩道トンネルの壁画 地元小学生作 )
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(  同上 )
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( コナギ:ミズアオイ  万葉時代葉を食用にした  奈良万葉植物園 )
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    万葉集その六百八十 (万葉人は鯛がお好き)

「 水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛釣りほこり
    七日まで家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに
    - - 」                        巻9-1740 高橋虫麻呂
   
( 水江(みずのえ)の浦の島子が、鰹(かつを)や鯛を釣っているうちに、
      大漁となって調子づき、7日も家に帰らず、
      とうとう海の境を通り過ぎてしまった。)

この歌は浦島伝説を詠った冒頭後半、鰹や鯛を釣り、大漁になったことを
述べた部分で、水江は摂津(大阪府住吉区)、住吉神社の近く、
明石鯛も獲れたことでしょう。

「日本歳時記」によると

『 鯛、とりわけ真鯛は色、形、味よく海産魚類の王と云われている。
  春産卵のため内海の浅場に群れてくるが、そのころことに雄の真鯛は
  腹部が婚姻色といって性ホルモンの作用で赤味を帯びる。
  ちょうど花時にあたり、その色を賛美して、俗に桜鯛とか花見鯛とか
  いうのである- - 。
  瀬戸内海では、鳴門,紀淡、明石などの諸海峡を通って乗り込むので
  鳴門鯛、明石鯛などの名称がある。 』

このような情景を西行は次のように詠っています。

「 霞しく 波の初花 をりかけて
            さくら鯛つる 沖のあま舟 」  西行 山家集

   ( たなびいている霞の中から 折り返す白波が初花のように見え、
    その沖合で海人たちの舟が、桜鯛を釣っているよ )

そして早速刺身にして戴く。

「 鳴門鯛 うましき春を 来遊びて
         ころころ かたき 鯛の刺身食う 」
              吉植庄亮(よしうえ しょうりょう:1884~1958)

 鯛の刺身が一番美味いのは獲った魚を絞めてから10時間~12時間後。
 旨味を感じるイノシン酸とグルタミン酸の量が最高に達する時なのだ
 そうですが( 京都大学 坂口守彦教授 )、人の好みはそれぞれ、
 獲れたてのコリコリ固いのがお好きな人も多いことでしょう。

万葉人も鯛が好きだった。
しかも「三枚おろし」にした刺身を醤酢(ひしおす)、蒜(ひる)などの調味料を
加えて食していたのです。

「 醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願う
       我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの) 」  巻16-3829 
                       長 忌寸 意吉麻呂 (ながの いみき おきまろ:伝不詳)

  ( わぁ-、今日はご馳走だねぇ。鯛の刺身ではないですか。
    早速ニンニク入りの「酢味噌たれ」をつけていただきましょうよ。
    コラコラ、もおぅ-、 水葱の吸物のようなものを出してきて!
    折角の食欲が落ちるからこんな物は見えないように置いて頂戴。 ) 

語句の解説です。
古代人の食事の内容が窺われます。

   醤(ひしお): 醤油や味噌の元祖でもろみに近い。大豆、うるち、酒、
            小麦を原料として醸造したもの

   酢:   米から作る米酢と酒を腐らせた酒酢があった
        醤酢は今の酢味噌の類

   蒜(ひる): ニンニクや野ビルのことで独特の強い臭気がある
          「蒜搗き合(か)てて」: 蒜をつき砕いて 混ぜて

   水葱(なぎ);   ミズアオイ科の一年草、葉を食用とする。水中に自生

   羹:    熱い汁、吸い物のこと。
         調味料に醤が用いられているだろうから後の味噌汁という説もある(永山久夫)

作者は宴席で周りの人達から囃されて、酢、醤、蒜、鯛、水葱を歌に
詠み込めと言われ即座に作歌したもので

「 高級料理の鯛が出てきて嬉しいねぇ。早くそれを食べたいんだ。
  水葱の吸物のような日常料理なんか見たくもないよ」
とおどけたのです。

この歌を読んだ友人たちは次のような感想を述べてくれました。

まずは「T.Sさん」

『 昨日、NHK朝の番組「徳島の旅」の中で、鳴門の桜鯛
  (渦潮でもまれて身がしまっているらしい)と
  生わかめ(熱湯に入れた瞬間に、茶色から鮮やかな緑に変わる)を
  しゃぶしゃぶにして食べる場面がありました。
  とても、おいしそうで、さしみよりおいしいかもしれないと
  思わせる料理でした。

   万葉の時代には、さしみにして、にんにく入りの酢味噌で食べたとのこと、
   あまりおいしそうではありませんが、当時としては、
   特別の調味料だったのでしょうね。
   「余計な料理より、早く、特別料理を食べされろ」と、
   にぎやかな宴会の様子が見えて面白い。
   鯛は、昔も今も、高級魚の地位を守り続けているのですね。 』

続いて「N.F」さん
                         
  『 近年、日本人の食事も洋風化が進んできましたが、終戦後間もない頃には、
    どうやら食べ方は異なれど、万葉人とさほど変わらないものを
    食していたようですね。
    T.Sさんが言うように、醤醢やらにんにくと鯛の刺身では現代人の口には
    合わないでしょうが交通事情が悪かった往時のこと、ワサビの代わりのような
     一種の消毒剤に用いたかもしれませんな。

    醤醢などは懐かしいですなあ。
    金山寺はいまも売られていますが、醤醢は家庭で作ったものです。
    うまいんだけど。 』 

最後に「I.N」さん

『 「櫻鯛」美しい言葉ですねえ。
  婚姻色の鯛を櫻鯛と言うとは知りませんでしたが、綺麗な言葉ですねえ。
  鯛の骨には、面白い形をした部分がある筈だが、それがどんな形だったか
  記憶にないけれど、鯛の骨が刺さると他の魚の骨が刺さるよりも抜く際に
  ずうーっと痛い。

  それにしても鯛はうまい、料理では、眼の周りのゼラチン質の部分や、
  頬肉は絶品ですなあ、
  機知を競う宴席で「吸い物はいいから早く鯛を食べさせろ!」と
  声高に要求する模様が生き生きと描かれている。

  秘伝のたれのかかった銀座「竹葉亭」の鯛茶漬けが恋しくなりました。 』

    ( 筆者注: 竹葉亭は鰻で有名だが鯛茶漬けも大人気 )

  「 料理して 今日もくらしつ 桜鯛 」  維舟

谷崎潤一郎の「細雪」でも桜の季節に真鯛が旬になり、桜鯛と呼ぶことを
ふまえた一文があります。

『 幸子は昔、貞之助と新婚旅行に行った時に、箱根の旅館で食い物の
  好き嫌ひの話が出、君は魚で何が一番好きかと聞かれたので
 「鯛やわ」と答へて貞之助に可笑しがられたことがあった。

  貞之助が笑ったのは,鯛とはあまり月並みすぎるからであったが、
  しかし彼女の説によると、形から云っても味から云っても鯛こそは
  最も日本的なる魚であり、鯛を好かない日本人は日本人らしくないのであった。

  彼女のそう云ふ心の中には、自分の生まれた上方こそは、日本で鯛の
  最も美味な地方-従って、日本の中で最も日本的な地方であるという
  誇りが潜んでいるのであったが、同様に彼女は、花では何が
  一番好きかと問われれば、躊躇なく桜と答へるのであった。

  - - 鯛でも明石鯛でなければ旨がらない幸子は、花も京都の花で
   なければ見たような気がしないのであった。 』

鯛は今でこそ魚の王として不動の地位を占めますが、古くは「鯉」が
最上とされていました。
中世以降、漁法やさまざまな料理法が発達し、江戸時代以降ようやく
万人に認められて王座を確立し現在に至っています。

縄文時代1mにも及ぶ鯛の骨が出土していますが、最上に美味なのは
40~50㎝程度のものとされ、調理法は刺身を筆頭に塩焼き、
鯛ちり、鯛めし、鯛茶漬けなど、また、頭は兜煮,潮汁、
特に目玉を入れたすまし汁は最高の贅沢とか。

 「 安宿と あなどるなかれ 桜鯛 」  森田 峠


      万葉集680(万葉人は鯛がお好き)完


      次回の更新は4月20日(金)の予定です。

              
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by uqrx74fd | 2018-04-12 16:32 | 動物

万葉集その六百七十三 (梅に鶯)

( メジロ 皇居東御苑 )
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( ウグイス  山の辺の道  奈良 )
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( 凛と咲く白梅  皇居東御苑 )
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( 月ヶ瀬梅林  奈良 )
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( 同上 )
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   万葉集その六百七十三 (梅に鶯)

「 りんりんと 梅枝のべて 風に耐ゆ 」 中村汀女

清楚で気品が高く、早春百花に先駆けて咲く梅は呼び名も多く、 
好文木(こうぶんぼく)・春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)、
風待草(かぜまちぐさ)、初名草(はつなぐさ)、さらに、花の兄(え)とも
よばれています。

「花の兄(え)」とは室町前期の連歌師、浅山梵燈(ぼんとう)の
「よろづの草木の先に花開くがゆゑに、花の兄と申すなり」(袖下集:そでしたしゅう)
に由来するそうな。

一方、鶯も梅の花咲く頃、人里近くで鳴くので「春告げ鳥」の異名があり、
その鳴き声が「ホーホケキョ」(法 法華経 )と聞き慣わされているところから
経読鳥(きょうよみどり)とも。
詩歌での「初音」は鶯とホトトギスのみに使われる専売特許です。

古くから人々に愛された梅と鶯。
万葉集では梅119首、鶯51首も詠われており、いずれも待望の春到来を
寿ぎ喜ぶ歌ばかり。

まずは、梅、鶯を待ちきれずの歌から。

 「 春されば ををりに ををり うぐひすの
          鳴く我が山斎(しま)ぞ   やまず通はせ 」   
                              6-1012 古歌

( 春ともなれば 枝も撓むばかりに花が咲き乱れ
     鶯が来て鳴く我家の庭園です。
     その時になったら、ぜひとも欠かさずにお出でくださいませ。)

      「春されば」: 春になったら
      「ををりに ををり」: 花が咲き撓むことをいう
      「山斎」(しま):  林泉や築山がある庭園

正月も過ぎたころ、古い歌舞を扱う役所の官人たちが、
葛井広成(ふじい ひろなり)宅に招かれて宴を催した時の一首。

古歌とされていますが、実際は主人広成が作って披露したものと思われます。
この歌の前に梅が詠みこまれているで、枝も撓むほどに咲く花は梅。

女性の立場で詠ったらしく、間遠くなった男の訪れを少し皮肉り
「 歓待してさしあげますから、しょっちゅういらして下さいね」と
おどけて詠ったものです。

そして、いよいよ春到来。

  「 うぐひすの 春になるらし 春日山
           霞たなびく 夜目(よめ)に見れども 」
                       巻10-1845  作者未詳

( 待ちに待った鶯の鳴く春になったらしいなぁ。
  春日山に霞が棚引いていることが夜目に見てもはっきり分かるよ。)

霞が棚引くのは春到来のしるし。
作者は毎日朝夜となく、春日山を眺め今か今かと待っていたのでしょう。
歓喜雀躍している様子が感じられる一首です。


「 春の野に 鳴くや うぐひす なつけむと
     我が家(へ)の園に 梅が花咲く 」 
                  巻5-837 算師 志氏大道 (さんし しじの おほみち)

( 春の野で咲く鶯、その鶯を手なずけようとして
  この我らが園に 梅の花が咲いているよ。 )

なつけむと:なつけようとして
算師: 租税、経理などの仕事を司る官人

730年 大宰府帥、大伴旅人邸で行われた梅花の宴での歌32首のうちの1首。
総勢32名余の歌会は我国詩歌史でも画期的な出来事です。
歌の趣旨は鶯の鳴き声を聞きたい時にいつでも鳴かすことができるよう
梅の花が自身の魅力で引き付け、飼い馴らそうとしているようだ、
というのです。

「 わがやどの 梅の下枝(しづえ)に 遊びつつ 
          うぐひす鳴くも 散らまく惜しみ 」
                 巻5-842  薩摩目 高氏海人 (さつまのさくわん かうじのあま )

( この我らが庭の梅の下枝を飛び交いながら、鶯が鳴きたてている。
  花が散るのをいとおしんで。)

作者は薩摩の国の下級官吏。
鶯は時として玉をころがすような美しい声で「ケキョケキョ」と続けざまに鳴く
ことがあり「鶯の谷渡り」といいます。
秋冬になると「チヤッ チヤッ」という鳴き声に変わりこれを「笹鳴き」というそうです。

鶯は梅よりも笹や竹藪など低木の林を好んで棲みます。
鶯は梅と取り合わせて詠われることが多いのは、共に春の先駆けの象徴として
採りあげられた絵画や詩歌の世界、とりわけ中国文学の影響が大きいようです。

鶯が梅に来る時は、木に付着した害虫(蛾の幼虫)を食べにくるからとされ、
普段梅と戯れているのはメジロが多く、鶯は滅多に見かけません。

   「 勅なるぞ 深山鶯(みやまうぐいす) はや来鳴け 」  正岡子規

         ( お上の命令であるぞ、鶯よ すぐ山から降りてきて 早く鳴け )

番外編 (鶯いろいろ)

その一.『 富山、岐阜、愛知では鶯のことを「オグイス」という。
       古くは大(オホ)を「ウ」と 訛ったから、
       かって「ウグヒス」は「大食ス」(オオグイス)と聞こえたはずでまさに万葉調。

        歌に詠まれる名鳥の名の起源が必ずしも優雅なものとは 限らない。』
                             (歳時記語源辞典 橋本大三郎著 文芸社より)

その二 『 「出雲の国(島根県) 嶋根郡の法吉(ほほき)の郷には
        次のような地名起源伝承がある。
        「神魂命(カム ムスビノ ミコト)の御子(みこ)であるウムカヒメの命が
         法吉鳥(ほほきどり)となって飛び渡り、ここに鎮まりましき。
         故にこの地を法吉(ほほき)という。」

        風土記にしても、万葉集にしても鳥や動物は数多く登場してくるが、
        その声を具体的に捉えて地名になる例は希少である。
        ホホキ郷の場合、ウムカヒメが鳥に化身して、この地に飛んできて
        鎮座したという内容である。

        鳥は神の使いとする考えは神話にあるから、この場合鶯が
        ウムカヒメの化身と考えられる。

        この「法吉」は鶯の鳴き声を文字に捉えた珍しい例で
        ホーキあるいはホキと聞き写したか、
        少なくとも今のホーホケキョとする聞きなしではなかったようだが、
        近いところも感ぜられる。

        古代の出雲の国でとらえられた例であるが、仏典「法華経」の
        使者のような鳴き声としてとらえられる以前の聞き写しと
         いうことになる。 』
                          ( 音感万葉集 近藤正義著 はなわ新書より)
  
その三、  『 「和漢三才図会」(寺島良安)という江戸時代の書物に、
         「鶯の産地は奈良が第一、関東産の鶯は鳴き声が濁っている」
         としている。
         そこで元禄のころ、上野の公弁法親王という人物が
         京都から3500羽の鶯を取り寄せて根岸の里に放したところ
         大いに繁殖し、後に江戸を代表する鶯の名所となり
         「初音の里」とも称されるようになった  』
                             ( 万葉の動物に寄せて 角海 武  自家出版 )

根岸の里は江戸時代、粋人の別宅が多かったところで、
JR山手線「鶯谷」の駅名はその名残。

当時の根岸は上野の北東、日暮里、根津、千駄木一帯を含む
広範囲な地域だったそうな。

   「 雀より 鶯多き 根岸哉(かな) 」 正岡子規


     万葉集673(梅に鶯)  完


    次回の更新は3月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-02-22 15:20 | 動物

万葉集その六百六十八 (鴨の季節)

( カルガモ 東寺 京都 )
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( キンクロハジロ  六義園  東京 )
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( ホシハジロ  不忍池  上野 )
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( 鴨の浮寝   旧芝離宮  東京 )
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( マガモ  不忍池  上野 )
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(  マガモ  後方:オナガガモ )
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万葉集その六百六十八 (鴨の季節)

詩歌の世界で、晩秋北の国から渡ってくる鴨を「初鴨」、「鴨来る」、
春帰る鴨を「引鴨」(ひきがも)、帰らず残っている鴨を「残る鴨」、
留鳥である「カルガモ」は「夏鴨」とよばれ、単なる鴨という場合は
冬の季語とされています。

鴨類の種類は多く、世界で約170種、我国でも30余種といわれ、
比較的小形のものをひっくるめた総称が鴨。
中でも特に多いマガモ(別名アオクビ)をさすことが多いようです。

万葉集では29首。
美しい羽色、浮寝、鳴声など様々な情景が詠われています。

「 水鳥の 鴨の羽色の 春山の
     おほつかなくも 思ほゆるかも 」  
                        巻8-1451 笠 郎女

( 水鳥の鴨の羽色のような春山が、ぼんやりと霞んで見えるように、
 あなた様のお気持ちが はっきりわからず、 もどかしくてなりません。)

大伴家持に贈ったもの。
片思いの鬱々とした心情を述べ、鴨の羽色を霞かかった春山に譬えています。
色華やかな春の山、池に浮かぶ鴨の美しい姿、霞たなびく空。
様々な情景が目に浮かぶような秀歌です。

「 磯に立ち 沖辺(おきへ)を見れば 藻(め)刈り舟
    海人漕ぎ出(づ)らし  鴨翔(かけ)る見ゆ 」 
                             巻7-1227 作者未詳

( 岩の多い海岸に立ってはるか沖の方を見やると
  鴨が驚いて飛び立った
  海藻を刈る海人たちが舟を漕ぎだしたようだなぁ。)

作者は紀伊方面の旅の途中、沖の藻を刈る小舟を眺めていたようです。
ところが海人が突然舟を漕ぎ出したため、驚いた鴨が一斉に飛びたった。
今にも羽音が聞こえてくるような生き生きとした一首で、
「鴨翔ける」の躍動感が秀逸。

なお、鴨は夜明けから日中沖に浮かび漂い、夜になると川の葦辺や
池の水田で餌を漁ります。

「 我妹子(わぎもこ)に 恋ふれにかあらむ 沖に棲む
                   鴨の浮寝の  安けくもなき 」 
                       巻11-2806 作者未詳

( あの子に恋こがれているからであろうか。
 沖の波を寝ぐらとする浮き寝鴨のように 私の心はゆらゆらとして
 落ち着くことがありません )

「 恋ふれにか あらむ」: 「恋ふれば にかあらむ」の意で
                 恋してしまったからであろうか。

万葉人の素晴らしい造語、「鴨の浮寝」。
今なお使われている言葉です。

   「 日輪が ゆれて浮寝の  鴨まぶし 」   水原秋桜子

次の歌は防人が集合地、難波に向けて出立しょうとしている場面です。

「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
      寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」 
                    巻14-3570  作者未詳(防人歌)

( 葦の葉群れ一面に夕霧が立ちこめ、鴨の鳴き声が寒々と聞こえてくる夕べ。
 そんな夕暮れ時には、お前さんのことが ことさら偲ばれることよ。)

当時の難波は葦の名所、その夕景を思い浮かべながら
妻に別れの挨拶をしています。
作者は東国の人と思われますが、以前難波に行ったことがあるか
防人経験者に話を聞いていたので、このような情景を思い浮かべることが
出来たのでしょう。

しみじみとした哀感がにじみ出ている秀歌ですが、
鴨の雄は「グェッ グェツ」、メスは「グェー グェグェ」と鳴き、
美声には程遠い「だみ声」。
遠くから聞くと寂しげに聞こえたのでしょうか。

「 見るままに 冬はきにけり 鴨のいる
        入江のみぎは うすごほりつつ 」 
                     式子内親王 新古今和歌集

番外編 

   「 鴨喰ふや 湖(うみ)に生身の 鴨のこゑ 」 森澄雄

以下は「池波正太郎著 鬼平料理帳  佐藤隆介編 文春文庫」より

 『 鴨鍋、鴨汁、鴨雑炊、鴨雑煮、鴨のお狩場焼、鴨飯、そうそう
   鴨南蛮を忘れるわけにはいかない。
   江州、長浜に琵琶湖のうまい鴨を食べさせる有名な専門店のあることを
   知っていても、私なんぞ簡単に行けるわけではない。

   それで、せめて浜町の「藪」へでも駈けつけて
   「お酒を一本、それから鴨南蛮をおねがいします」ということになる。

   鴨の肉は脂のついたままを すき身にするのが定法で、これがびっしり並んだ
   熱々の鴨南蛮をすすりこむと、全身に活力がみなぎってくる、ような気がする。
   ちなみに鴨南蛮のナンバンとは葱の異名だそうな。

   「鴨が葱を背負ってきた」といわれるぐらい、鴨には葱がつきものである。
   しかし、料理の本では、鴨に最もよく合うものは芹と教えている。
   たっぷりと脂のついた鴨の肉は、どちらかといえばくどい感じになりやすいから、
   芹で味を中和させるのである。 』

筆者注:

 江戸時代、大阪の難波村は葱の大産地。
 その「ナンバ」が「ナンバン」に転訛したもの。

 「アイガモ」は「アヒル」と「マガモ」を交配させたもの。
 ほとんどの店の鴨南蛮はアイガモが使われ、
 野性のマガモを食べさせる店は少なくなっているそうな。

       「 寒入りは まず鍋焼きに 鴨南蛮 」  筆者


       万葉集668 (鴨の季節)完


     次回の更新は1月26日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-18 17:08 | 動物

万葉集その六百五十七 (万葉人は鮪がお好き)

( 鮪   築地魚市場 )
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( 鮪の尾鰭  プロはこれを見て品定めする  同上 )
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( 鮪の大切り身  同上 )
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( 大トロ  新富寿し   銀座 )
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(  赤身     同上 )
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( トロ巻き     同上 )
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万葉集その六百五十七 (万葉人は鮪がお好き)

726年10月、聖武天皇が播磨国に行幸されたときのことです。
海が見える場所に急造された仮宮に着き、外を眺めると、
鮪釣り舟が多く集まって漁をしており、砂浜では人々が塩を焼いていました。
民たちが天皇歓迎の大漁祭をしていたのかも知れません。
海が無い大和で育った天皇にとって何よりの催し。
思わず身を乗り出し、見入りながら満足げなご様子です。

ややあって、お供の人が歌を奉り声高らかに詠います。
まずは訳文から。

「  あまねく天下を支配されておられる 我らの大君が
   神として 高々と
   宮殿をお造りになっている 
   印南野の邑美(おふみ)の原の中の 
   広々とした海に面した藤井の浦では
   鮪(シビ)を釣ろうとして 海人の舟がたくさん集まり
   また、浜では塩を焼こうとして 人がいっぱい集まっている

   なるほど、浦が良いので  このように 釣りをするのだ
   浜がよいので  このように 塩を焼くのだ

   さればこそ  わが大君も こうしてたびたび お通いになって 
   ご覧になるのだ
   あぁ、なんと清らかな 眺めの素晴らしい白浜であることよ。 」

                              巻6-938  山部赤人

   ( 当時、鮪(マグロ)は「シビ」とよばれていた。)

訓み下し文

「 やすみしし 我が大君の 
  神(かむ)ながら 高知らせる

  印南野(いなみの)の 邑美(おふみ)の原の
  荒袴(あらたへの)  藤井の浦に

  鮪(しび)釣ると 海人舟騒き
  塩焼くと 人ぞ さはにある

  浦をよみ うべも釣りはす
  浜をよみ  うべも塩焼く

  あり通ひ  見さくもしるし
  清き白浜 」
                   巻6-938 山部赤人
語句解釈

 「やすみしし」   我が大君に掛かる枕詞 
                「八隅知し」「安見知し」で八隅をくまなく治める、
                 安らかに天下を治める の意か。

     「神ながら」     神として(天皇を神とみている)

     「高知らせる」    高々と宮殿(行宮:仮の宮)をお造りになっている

     「印南野の邑美の原」 播磨国(兵庫」明石から加古川のかけての平野
     「藤井の浦」 明石市藤江付近

     「荒栲の」 藤井の枕詞、荒い布の繊維の藤の意

     「人ぞ さはにある」 さは:沢山
     「うべも」 なるほど
     「あり通い」 なんども通い
     「見さくも しるし」   ご覧になるのは当然
                  「見さく」は見るの敬語 「しるし」は著しい
反歌

「 沖つ波  辺波(へなみ)静けみ 漁(いざ)りすと
              藤江の浦に 舟ぞ騒ける 」 
                   巻6-939  山部赤人
( 沖の波も 岸辺の波も 静かなので
      魚を獲ろうとして 藤江の浦に 舟が賑わい、騒いでいる )

当時、播磨灘に面した明石の沖は鮪が沢山獲れ、製塩も盛んだったようです。

ここでは「釣る」とあるので、勇壮な1本釣り。
古代遺跡から、手のひら大の骨製釣り針が古代遺跡から出土していることも
そのことを裏付けています。
また古事記に

「 大きな魚(うお)よ 鮪(しび)突く 海人よ
  その大魚が逃げたら さぞや恋しく悲しかろ
  鮪を突いていろ シビ(人名)さんは 」

との記述があり、銛で突く方法もあったようです。

 「 船傾き 阿吽(あうん)の呼吸で 鮪(まぐろ)釣る 」     楓 巌涛

鮪(まぐろ)の脂身は記憶能力,創造能力を高め、血栓を防ぐ物資が驚くほど
多く含まれていますが、古代人はどのようにして食べていたのでしょうか?

冷蔵能力がなかった時代、考えられるのは塩付けで保存し焼く、いわゆる
鮪のステーキ、あるいは煮る、乾燥させる。
いずれにしても縄文時時代の貝塚から多数の骨が出土しているので、
万葉人の好物だったことは間違いありません。

江戸時代になると、握りずしが考案され鮪が飛躍的に普及しましたが
好まれたのは赤味のみ、脂身のトロは捨てられるか、豚の餌に。
大トロが超高級ネタになったのは戦後の高度成長期以降のことです。

ごく最近の新聞記事で「赤マグロ価格高騰」とありました。
乱獲による資源大幅減が原因のようですが、庶民にとっては何よりのご馳走。
秩序ある漁法で食卓を賑わせてもらいたいものです。

   「 遠つ海の 幸の鮪を 神饌となす 」  黒田 晃世


            万葉集657(万葉人は鮪がお好き)完


   次回の更新は11月12日(日曜日)、通常(金曜日)より遅くなります。

 
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by uqrx74fd | 2017-11-02 17:17 | 動物

万葉集その六百五十二 ( コノシロ:コハダ)

( コノシロ  築地魚市場 )
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( コハダ  同上 )
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( シンコ  新富寿し  銀座 )
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( コハダ  同上 )
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( シンコの酢じめ  )
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( コハダの粟:あわ漬け  正月料理に多い )
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( 寿司乃池  千駄木 )
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万葉集その六百五十二 (コノシロ:コハダ) 

鮗(コノシロ)は、松島湾、佐渡以南の日本各地から南シナ海にかけて、
浅い海底近くで棲息しているニシン科の魚です。
左右に平たく、銀色の表皮の上に美しい白黒の模様、背びれの後端に
まるで自動車に付けたアンテナのような糸状突起があります。

幼魚は「シンコ」、7~10㎝位に成長すると「コハダ」(小鰭)、
15㎝はナカズミ、20~25㎝になると成魚「コノシロ」とよばれる出世魚です。

平城京で出土した木簡に「近代鮨」(このしろすし)と記されたものがあり、
万葉人もコノシロを味わっていたことが窺われますが、
握り鮨は江戸時代からなのでチラシ寿司あるいは酢しめか?

万葉集では、大伴家持 越中国司時代に詠われた長歌1首登場し、
「コノシロ」を「ツナシ」と詠っています。

「 - その秀(ほ)つ鷹は 
  麻都太江(まつだえ)の 浜行き暮(ぐ)らし
  つなし捕る 氷見の江過ぎて 
  多祜(たこ)の島 飛び廻(もとほ)り -」 
                         巻17-4011  大伴家持

( その優れた鷹は麻都太江(まつだえ)の浜を、日暮れまで飛び続け
  つなし漁をする氷見の入江も通り過ぎて、多祜(たこ)の島あたりを
 飛び廻り-)
    
麻都太江(まつだえ) : 高岡市雨晴(あまばらし)から氷見市街へかけての海岸
氷見の江 :     氷見市の布勢の海につながる入江
多祜(たこ)の島 :   布勢の海東南部にあった島、
現在、上田子、下田子の名をとどめる。

747年の秋、家持が都に出かけている間に、可愛がっていた鷹が
管理を任されていた使用人の不注意により逃げてしまった。
それを聞いた家持は、口惜しくて夜も寝られないくらい切歯扼腕し、
悶々とした日を過ごしていたが、ある夜、夢の中で仙女が現れ、
そのうちに帰ってくると告げられて喜んだ歌の一節です。

当時、氷見,七尾など富山湾に面した漁場でコノシロ、コハダが豊富に獲れ、
今もコハダ漁が盛ん、しかも万葉時代のまま「ツナシ」とよばれています。
その呼称は関西にまで及んでいますが、1300年前の魚の名前が今も
そのまま使われているとは驚きです。

「コノシロ」の語源については面白い言い伝えがあります。

「 昔、有馬の皇子が零落して放浪していたところ、下野の国(栃木)で
  五万長者という人物に助けられ、奉公することになった。
  長者には美しい娘がおり、かねてから常陸の国の国司のもとへ
  嫁ぐことに決まっていたが、なんと、皇子と相思相愛の仲になり
  あろうことか懐妊してしまった。

  一方常陸の国からは、矢のような嫁入りの催促。
  困りに困った親は、世間に娘が急病で死んだといい、急遽葬式。
  棺の中に「つなし」を入れて火葬した。

  当時、「つなし」の焼ける匂いが人間のそれと似ていると
  云われていたので、人々はそれを信じ、国司との婚約も無事解消。

  相思相愛の二人は手を取り合って他国へ逃れ、幸せに暮らした。

  それを聞いた後世の人は次のように詠った。

「 東国の 室の やしまに立つ煙
       たが子のしろに つなし焼くらむ 」

( 東国の火葬の室の上に立つ煙、あの煙は どなたの子の身代わりに
 つなしを焼いたのであろうか )

「このしろ」は「子の代」で「子の代わりになった魚」の意。
以後「つなし」は「このしろ」とよばれるようになったそうな。」

        (慈元抄より 末広恭雄 魚の博物事典 講談社学術文庫要約)


『 「このしろ」とよばれた魚は武家の時代に「こはだ」になった。
  「このしろ」は「この城に」通じ、自分の城を食うとはとんでもない。(塵塚談)

  ところが、「江戸懐古録」によると、太田道灌が江の島弁天に
  詣でた帰路、船に「このしろ」が飛び込んだ。
  道灌いわく「九城(このしろ)がわが手に入る。これ我が武を輝かす吉兆なり」
  と喜び、江戸城の築城を思い立った」

   縁起もかつぎようである。  』    ( 末広 恭雄 同上)

   「 市場人に 氷片ふられ 透くコノシロ 」    古沢太穂

「鮨種」となるのは桜の頃の「シンコ」と「コハダ」。
特に、カルシユウム、ビタミンB1を豊富にふくむ「コハダ」は
江戸時代から今に至るまで好まれ続けていますが、
板前さんにとっては手間がかかる材料なのです。

まず、魚の頭も内臓も取り、腹開きしてから塩をうすく振った笊に
皮目を下にして並べて振り塩、その加減が季節、脂ののり加減で微妙に違う。
塩がまわったところで水で塩を洗い流し、1時間ほど水けを切る。
さらに、前日の仕込みで使った酢で、1枚ずつ洗い、新しい酢に漬けて一晩置く。

他の魚のように、さばいて切るだけという訳にはまいりません。
しかも、コハダの産卵期間は半年もあり、生息地が日本海は新潟以南、
太平洋側は宮城以南と範囲が広く、1年を通して手に入る材料だけに、
その時期に応じた調理加減がプロとしての技量が問われるそうな。

 さぁさぁ、今が旬のコハダを戴きにまいりましょうか。

 「 江戸前の 粋な魚よ 銀の肌
    ゴマシオまだらの コハダ美(うま)し 」  筆者 
                     「美味し」と「美しい」を掛けています
追記
 この稿を書き終わると同時に次のようなニユースが発表されました。
( 2017年9月28日  西日本新聞 )

『 極上マグロにも匹敵、「コハダ」ピンチ。
  オスプレイで不漁の恐れ、
  漁師ら懸念、佐賀 』

 記事(要約)によると、

「 築地でコハダ最大の取り扱いを誇るのは佐賀産、全国の4割を占める。
  東京湾で獲れる江戸前より脂が乗っておいしく、形もきれいで理想的だ。
  有明海は餌が豊富なのだろう。
  中でも5~6月に漁獲される幼魚のシンコはとても品質が良く、
  極上のマグロにも匹敵する値段。

  このコハダは漁師が船上で声を押し殺すほど音に敏感だ。
  昨年11月,有明海上を米海兵隊のオスプレイが1機飛んだ。
  自衛隊機の佐賀空港配備を見据え、防衛省が行った試験飛行だ。
  万一、プロペラの音で逃げれば、漁は成り立たない。 

  そんな漁業者の心配を受けて、防衛局は今年の7月と8月にオスプレイの
  飛行音がコハダに与える影響を現地で調べた。
  結果の公表は早くても今秋の見通しだが、いくら問題ないと云われても
  コハダが逃げたおしまい。
  影響は佐賀だけにとどまらない。
  万一、不漁になれば多くの江戸前ずしフアンも悲しむことになる。」
                           

        万葉集652 (コノシロ:コハダ) 完


        次回の更新は10月6日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-09-28 20:53 | 動物

万葉集その六百四十三 (蝉時雨)

( クマゼミ  学友 M.I さん提供 )
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( アブラゼミ )
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( ヒグラシ  雌 )
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( ニイニイゼミ )
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万葉集その六百四十三 (蝉時雨)

夏の晴れたある日。
林の中から蝉の声。

「ジジジジジジ」と「あぶらぜみ」。

ところどころで鳴いてはすぐ止み、
しばらく経つと、またどこかで鳴きはじめる。

「カナカナカナ」(ひぐらし)、
「ミーンミンミンミンミー」(みんみんぜみ)

耳を澄ましていると、やがて大合唱。

「ツクツクボーシ」(つくつくぼうし)、
「センセンセン」(くまぜみ)、
「チ- - ジ- -」(にいにいぜみ)

色々な声が混ざり合った合唱団が奏でる美しいハーモニ-。
やがて、ぴたりと鳴き止み、まわりは元の静寂に。

このような状態を「蝉しぐれ」というのでしょう。

  「 深山木(みやまき)に 雲行く蝉の 奏(しら)べかな 」 飯田蛇笏 

万葉集に見える蝉は10首。
そのうち蜩(ヒグラシ)が9首もありますが、「カナカナカナ」と鳴くものか、
他の蝉かの明確な区別は不明です。

「 石(いは)走る 滝もとどろに 鳴く蝉の
      声をし聞けば 都し思ほゆ 」 
                     巻15-3617 大石蓑麻呂(おほいしの みのまろ)

( 岩に激流する滝の轟くような声で鳴きしきる蝉。
 その蝉の声を聞くと、しきりに都が思い出されてならないよ。)

新羅に派遣された一行が安芸の国、長門の磯辺で停泊したときの1首。
長門の島は広島県呉市南、倉橋島。

滝をなす清流のほとりで遊宴をした折のものですが、
蝉の声を轟々と鳴る滝音に譬える天真爛漫な万葉人。

久しぶりに上陸して蝉の声を聞き、よほど嬉しかったのでしょう。
都の家の近くでも蝉が盛んに鳴いていたさまを思い出し、
しみじみと望郷にふける作者です。

「 恋繁(こひしげ)み 慰めかねて ひぐらしの
     鳴く島影に 廬(いほ)りするかも 」
                     巻15-3620   作者未詳

( 妻恋しさに気を晴らしようもないまま ひぐらしの鳴くこの島陰で
 仮の宿りをしていることよ。)

静かな島のしじまを破るように蜩の声が響いてくる。
「カナカナカナ カナカナカナ」。
身に染みるような涼やかな声。

「あの子は今頃どうしているだろうか」
我が恋の苦しみはますます深く、胸が張り裂けんばかり。

この歌も遣新羅使が長門で詠ったものです。

「 黙(もだ)もあらむ 時も鳴かなむ ひぐらしの
     物思(ものも)ふ時に 鳴きつつもとな 」 
                       巻10-1964 作者未詳

( 気持ちがゆったりしている時に鳴いて欲しいのに、
      こんなに物思いしている時に、むやみやたらと鳴きたてる蜩よ。)

物思う時は女が男を今か今かと待つ夕暮れ。

「黙もあらぬむ時」は 「何もしなくてよい平静な時」

「鳴きつつもとな」の「もとな」は いたづらに

「 普段なら蜩も趣があるのに、心がせいている時はうるさいなぁ。」

「ひぐらしは 時と鳴けども 片恋に
     たわや女(め) 我(あ)れは 時わかず泣く 」 
                             巻10-1982 作者未詳


( 蜩は夜明けや日暮れに時を決めて鳴きます。
 でも私は片思いのため一日中鳴いているのです )

今か今かと待ち続けているのに、あの人は来ない。
今夜も来る当てはないのでしょう。
毎日泣き続けてきた女のある日の夕方の感慨。
しんみりとした可愛い女性の歌です。

「たわやめ」は「弾力がありしなやかな」という意味の「撓(たわ)む」に
「め」(女)がついたものとされ、漢字では「手弱女」という「当て字」で
書かれることが多いので何となく「弱々しい、なよなよとした女」と
いう印象があります。

然しながら、万葉集では「祭祀と執り行う女性」、「芯が強い大和撫子」
さらに、原文表記「幼婦」を「たわやめ」と訓ませて「おさな妻」を
連想させるなど多様な使われ方をしている言葉です。

  「 順番を わきまへて鳴く 山の蝉 」  福田甲子雄

蜩はその涼しげな声から秋の季語とされていますが、
実際には6月下旬からニイニイゼミと共に鳴きだし、アブラゼミ、
ミンミンゼミ、と続き、ツクツクボウシの「秋告げゼミ」で終わります。

小学生の猪瀬真作君は

「 宿題を いそげいそげと ほうしぜみ 」

という秀作句を詠み、( 倉嶋 厚氏紹介)

蝉のメスは鳴かないので、ギリシャの詩人、クセナルクスは

    「 セミは幸福だった。
      沈黙の妻を持つから 」

と云ったそうな。

           万葉集643(蝉時雨)完



          次回の更新は8月4日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-07-26 15:24 | 動物

万葉集その六百三十九 (春蚕繭:はるごまゆ)

( 2017,6、18 付 読売新聞 )
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( 蚕飼する 人は 古代の姿かな  河合曾良 )
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( 多い地方では 春、夏、初秋、晩秋 晩々秋 の5回収穫する )
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( 京都 奥嵯峨野のまゆ村  )
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( 人形をつくる繭  同上 )
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( 繭人形  兎と虎  同上 )
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(  白と赤の対比が美しい人形棚  同上 )
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( ひつじ    同上 )
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万葉集その六百三十九 (春蚕繭:はるごまゆ)

春に収穫した蚕繭(ごまゆ)の出荷が始まる季節になりました。
瑞々しい桑の新芽をたんまり食べた蚕は最上の繭を生み出し、
美しい絹に生まれ変わるのです。

養蚕は今から4000年前に中国の黄河流域で始まり、漢代から絹織物を
西域に輸出していたといわれています。
古代ローマでの絹は金と同じ目方で取引されていたほどの極めて貴重品。
中國の養蚕技術は門外不出、国家機密として厳しく管理されていました。
欧州に伝わったのは6世紀頃、ペルシャ人の僧侶が竹の杖に蚕の卵を隠して
伝えたのがはじまりとか。

我が国でも弥生時代に野生種であった蚕を屋内で飼育して独自の絹を作っており、
「魏志倭人伝」に243年、卑弥呼が魏帝斉王に使いを送り、絹織物などを贈ったと
記されています。
また、5世紀中ごろ、雄略天皇が后妃に養蚕を勧め、諸国に桑を植えさせて以来、
養蚕は女性の最も大事な仕事の一つとされました。

然しながら日本の絹織物は独自のものといっても品質的には中国産に比べて
見劣りしたようです。
養蚕技術が飛躍的に向上したのは、679年遣唐使として派遣されていた
藤原鎌足の長男、僧 定恵(じょうえ)が桑を携えて帰国し、
琵琶湖東岸の古刹、桑実寺に植え、合わせて養蚕の手法を教えて以来からの
ようですが、その頃には中国の技術移転禁止令が解かれていたのでしょうか。

万葉集では春の蚕繭を詠ったものが1首残されています。

「 筑波嶺の 新桑繭(にひぐわまよ)の 衣(きぬ)は あれど
   君が御衣(みけし)し  あやに着欲しも 」 
                            巻14-3350 作者未詳

( 筑波山の麓の新桑で飼った繭の素晴らしい着物を私は持っていますが
  でも、やっぱりあなたのお召し物がむしょうに着たいものですわ)


当時、夫婦や恋人同士が互いに下着を交換して身に付ければ、
片時も離れることがないと信じる習慣がありました。
作者は、高価な絹織物より貴方が着ている衣を身にまとう方がよい、
出来れば一緒に寝たいと詠っています。

     「 美しき人や 蚕飼(こがひ)の 玉襷 」  高濱虚子

蚕は2昼夜糸を吐き続けて繭をつくりやがてその繭の中に閉じこもって
蛹になります。

志村ふくみ氏は繭の中で成長した蛹が、どのようにして外へでていくのか、
次のように述べておられます。

『 蚕がいっしんに白い糸を吐いて繭をつくり蛹になり,蛾になって
  外界に出てゆく時、どうしてあの繭から飛び立つかご存知ですか。
  勿論、繭を喰い破って穴をあけ、そこから飛び立つとお思いでしょう。
  ところが違うのです。

  蚕は口から少しずつ、アルカリを含んだ液を出して、繭の内側の壁を
  溶かしてゆき、小さな穴をあけてそこから飛び出してゆくのです。

  その穴に、大豆を1粒入れて、コロコロころがしながら、糸の口を
  みつけ、静かに引きだしますと、烟(けむり)のような一すじの糸は
  最後まで切れずに続くのです。
  乱暴に喰い破って穴をあけるのは蛹にいる寄生虫の仕業なのです。

  蚕は自分の命とひきかえにつくった白い城をどうしても喰い破ることが
  出来ず、みずからの体液でなめてなめて、溶かしながら門をひらき
  出てゆくのです。 
  一すじの糸も切ることなく。

 とあるひとが語ってくれた。 』  ( 蚕 一色一生 講談社文芸文庫所収)

「 たらちねの 母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
     いぶせくもあるか 妹に逢はずして 」 
                            巻12-2991 作者未詳

( 母さんが飼い育てる蚕の繭ごもりのように、息がつまって、つまって
 何ともうっとうしいことよ。
 あの子に長い間逢わないでいて。)
 
健康な蚕が作った繭は極めて堅固で、湯で煮てほぐす以外に解かす
すべがありません。
身動きが出来ない心情を「いぶせくもあるか」(うっとうしい)と詠っていますが
その原文表示が傑作。

「馬声(い)、蜂音(ぶ)、石花(せ:岩石に付着している貝)
 蜘蛛(くも、)荒鹿(あるか)」と
 あらん限りの動物関係の漢字を使用しています。

「馬声」をイヒーンと聞きなした「イ」
「蜂の羽音」は「ブウーン」の「ブ」
「岩に張り付いたカメノテの固い石花」の「セ」
そして「蜘蛛」のクモ、「荒鹿」の「アルカ」

どれもこれも「うっとうしいなぁ」と。
万葉人の遊び心です。

以下は学友,T.Sさんから。

『 蚕の思い出といえば、終戦直前に3ヶ月半疎開した栃木の田舎で、
 屋根裏のようなところで蚕を飼っていたことを思い出しました。
 何となく、甘ったるい匂いがしていたような気がします。
 また、祖母が、湯に漬けた繭から、糸を引きながら、
 糸を紡いでいたことも思い出しました。
 独特な臭いがしていましたっけ。
 家の近くには、桑の木が沢山植えてありました。
 全く忘れていたことが、この歌をきっかけにいろいろと思い出すのも
 不思議な感じがします。』

「 母在りし その日のごとく 飼屋(かひや)の灯(ひ) 」   松岡悠風



          万葉集639(春蚕繭:はるごまゆ) 完


          次回の更新は7月7日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-06-29 14:33 | 動物

万葉集その六百三十五 (香魚:あゆ)

( 鮎釣る人   木津川  奈良 )
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( 鮎の川上がり    同上 )
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( 今宵の肴     自宅 )
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( 鮎の塩焼き   吉野 )
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( 蓼:タデの花 葉をすりつぶし酢を加えたものが蓼酢 ) 
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( 鮎の宿  つたや  京都 奥嵯峨 )
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( 同   平野屋     同上 )
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( 鮎菓子  奈良の老舗 鶴屋徳満 )
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万葉集その六百三十五( 香魚:あゆ )

「アユ」は その清楚な姿から川魚の王とされ、「鮎」「年魚」「香魚」とも書かれます。
古代、魚を釣って吉凶を占うことがよく行われていたらしく、伝説によると
神功皇后が征韓の成否を占うため、釣り糸を垂らしたところ立派な魚が釣れたので
大いに喜ばれ、その魚を鮎と名付けた、つまり「魚」+「占」(うらない)。

「年魚」と書かれるのは、秋に川で生まれて一冬海で過ごし、桜の季節と共に
再び清流を遡上して晩秋、産卵をして一生を終える1年限りの儚い命ゆえ。

「香魚」は石に付いた珪藻を食べながら成長し、一種独特の香気を持つため。
などと説明されています。

関東地方の鮎釣りの解禁は六月。
この日を待ちかねていた釣り人は、一斉に清流に向かいます。
然しながら、この時期の鮎はまだ小さく、しかも脂が少ない上、香りも立たず、
あまり美味くない。
というのは餌になる岩苔が雨に流されて栄養源を失った魚はガリガリに
痩せているのです。
旬は土用入りから2週間前後、通の人はこの時期の料理を楽しみます。

万葉集に見える鮎は16首。
そのうち作者名未詳ながら大伴旅人と思われる物語風の連作が11首。
ピチピチとした美女との会話を楽しむ幻想のお話。
そして、4首は鵜飼を好んだ家持。
大半が大伴親子作ですが、残念ながら食としての鮎は詠われていません。

「 年のはに  鮎し走らば  辟田川(さきたがわ)
      鵜(う)八つ潜(かづ)けて  川瀬尋ねむ 」 
                         巻19-4158 大伴家持

( 来る年ごとに、鮎が走って飛び跳ねるようになったら
 辟田川(さきたがわ)、この川に鵜を幾羽も潜らせて
 鮎を追いつつ川の瀬を辿って行こう。)

「年のは」毎年
「辟田川(さきたがわ)」所在未詳なるも、高岡市伏木近くの川と思われる。
「八つ」数が多いこと

家持はスポーツとして鵜飼を楽しんだようです。
鮎が棲んでいそうな流れの速い川に入り徒歩で進む。
背中に松明、腰に魚籠(びく)。
片手で鵜をさばきながら流れに逆らって歩く。
しかも徹夜ともなれば相当な運動量です。
もっとも、本職の鵜使いに手伝わせたようですが。

「 松浦川(まつらがわ) 川の瀬光り 鮎釣ると
       立たせる妹が 裳の裾濡れぬ 」  
                            巻5-855 大伴旅人

( 松浦川の川瀬がきらめき、鮎を釣ろうとして立っているあなた。
  ほらほら、裳の裾が、濡れていますよ。)

鮎釣りに興じている美しい乙女。
燃えるような紅の裳裾から白い素足がチラチラと見えている。
健康な色気を感じさせる幻想的な一首です。
              (作者未詳となっているが実際は大伴旅人作)

「 春されば 我家(わぎえ)の里の 川門(かわと)には
            鮎子さ走る 君待ちがてに 」 
                           巻5-859 大伴旅人

( 春になると我家の里の渡り瀬では若鮎が跳ね回っています。
  あなた様を待ちあぐんで )

上記2首は「序」と十一首の短歌群からなる空想の歌物語の一部で
肥前松浦の玉島川のほとりで遊んだ時のもの。
旅人は玉島川を美しい乙女ばかりが住む神仙境に仕立てています。

玉島川はその昔、神功皇后が鮎を釣ったと伝えられる伝説の地。
それ以来、この地の女性は玉島川で鮎を釣り、男が釣っても
掛からなくなったそうな。

『 松浦川の川瀬に赤い裳裾を濡らして立っている美しい乙女たち、
  彼女達はあたかも川を自由に泳ぎまわる若鮎の化身のよう。
  「若い雌の鮎が雄の鮎を待ちかねていますよ」 と
  彼女たちは積極的に男たちに誘いかけています

勿論、男たちも拒む気持ちはありません。

  「さぁさぁ喜んで釣り上げられましょう」  』

清流のほとりで、そんな想像をしながら、しばし俗世を離れて
幻想の世界に遊んだ旅人です。

  「 鮎釣るや 奔流に岩さかのぼる 」      秋元不死男

鮎の塩焼きによく合うのは「たで酢」。
「蓼」は青タデという柳のような葉をもつ草で、これをすり鉢ですって
酢に加えますが、古代の人も同じような味わい方をしていたことが
次の歌から窺われます。

「 わが宿の 穂蓼古幹(ほたで ふるから) 摘み生(おほ)し
     実になるまでに 君をし待たむ 」 
                            巻11-2759 作者未詳

( 我家の庭の穂蓼の古い茎、その実を摘んで蒔いて育てる。
 そしてまた実が結ぶようになるまで、私はずっとあなたを待ち続けます。)

男は旅に出るのでしょうか。
結婚出来るまでいつまでも待ち続けると願う純情な乙女です。

穂蓼古幹(ほたでふるから): 穂の出た蓼(たで)の古い茎
                   蓼は水辺に自生する1年生草本。
                   秋に穂を出す。
                    葉に辛味があり摘み取って食用とした

以下は「食の万葉集」からです。(廣野卓著 中公新書)

『 現在は蓼の若芽を刺身にそえたり、蓼酢が鮎の塩焼きに不可欠な
  香味料になっているがこの歌では秋になって実を摘んでいる。
  実は香味料になり、根は漢方薬として利用されている。
  「延喜大膳式」によるとタデを4月から9月まで採集すると定めて、
  その計算単位を「把」とするので、実だけではなく
  葉も利用していたようである。』

藤原宮跡や平城京跡から発掘された木簡から「年魚」「鮎」「醤(脾塩:ひしほ)鮎」
「酢年魚」「煮干鮎」などの記述が見え、また、各地の風土記にも
(鮎)「有昧(うま)し」とあり、鮎は様々な料理にされて万葉人の舌を
満足させていたようです。

また、鮎の内臓の塩辛「あゆのうるか」も古来から好まれていたらしく、
木簡にみえる「醤鮎(ひしおあゆ)」もその一種だったかもしれません。

  「 又やたぐひ 長良(ながら)の川の 鮎なます 」 芭蕉 (笈日記)

ある一夜、招かれて長良川名物の鵜飼を初めて見物したときの句。

金華山の木陰に席が設けられていて鵜飼で獲れた鮎を鱠(なます:刺身)にして
出され、「それは それは他に比べようもないほど美味しかった」と
感嘆している作者。

「長良」に「たぐひ なから(長良)ん」つまり、「たぐひなからん美味」と
地名の「長良(なから)」を掛けた即興句です。

「 めづらしや しづく なほある 串の鮎 」    飯田蛇笏

以下は池波正太郎氏の一文から

『 魚の塩焼きといえば、何といっても鮎だろう。(中略)
  魚を食べるのが下手な私だが、気心の知れた相手との食膳ならば、
  鮎を両手に取ってむしゃむしゃとかぶりついてしまう。

  鮎はサケと同類の硬骨魚だそうな。
  清らかな川水に成育するにつれ、水中の石に付着する珪藻(けいそう)や
  藍藻(らんそう:石垢)を餌とするので、それがため、魚肉は一種特別の
  香気を帯びる。

  その香気。
  淡白の味わい。
  たおやかな姿態。
  淡い黄色もふくまれている白い腹の美しさを見ていて
  「 あぁ、処女を抱きたくなった、、、」
  突如けしからぬことを叫んだ男が、私の友だちの中にいる。

  いまは鮪でさえも養殖しょうという世の中になってしまったけれども
  鮎だけは「夏来る」の詩情を保ちつづけている。  』

                   (味と映画の歳時記 新潮文庫から)

   「 鮎の香や 膳の上なる 千曲川 」   松根東洋城 

                   千曲川を他の川名に置き換えても通用する一句。


           万葉集635 (香魚:あゆ)  完


            次回の更新は6月9日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-06-01 16:26 | 動物

万葉集その六百三十四 (雉のほろろ)

(雉のペア 左 雄 右 雌 )
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( 雄は繁殖期になると しきりに羽ばたきして鳴く : 雉のほろろ)
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( 雌は卵を産むと動かず じっと守り続ける )
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( 雉の卵は通常6~12個位 )
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( 巣を狙うカラスを撃退する雄 )
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( 生まれたばかりの雛 )
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( 雉は赤いものを敵とみなす習性があり郵便配達車も襲う。 
 車を止めると配達員の足に噛みつく      NHK放映 )
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万葉集その六百三十四 (雉のほろろ)

1948年国鳥に指定された雉(きじ)は奈良時代「きぎし」とよばれ、
平安時代以降は音の響きがよいのか「きぎす」と詠われることが多くなります。

「きじ」は「きぎし」が短縮されたもので、「きぎ」は鳴き声、
「す」は鳥を表す接尾語とか。(大言海)

春の繁殖期になると、雄は「ケーンケーン」と勇ましく、
雌は「チョン チョン」と可憐、慎ましやかに鳴きます。

雄は闘争心が強く、他の雉が縄張りに入ろうとすると鋭い爪で蹴りあげ、
嘴(くちばし)で喉元を狙って食いちぎろうとして追い払い、我が領域で
複数の雌雉と関係を持つ艶福家でもあります。

一方雌は卵を産むと(通常6~12個)、野火事があっても、外敵が来ても
じっと動かず、覆いかぶさり己を犠牲にして雛を守り続ける母親の鏡です。


「 春の野に あさる雉(きぎし)の 妻恋ひに
    おのがあたりを 人に知れつつ 」  
                       巻8-1446 大伴家持

( 春の野で餌をあさる雉が、妻恋しさにしきりに鳴きたてている。
自分の居所を人に知られてしまい、危険なのになぁ。)

雉の肉は美味、人に知られると捕えられる羽目になるだろうよと
同情している作者。
若き頃の多感な時代に詠われた一首で、前年に父、旅人を亡くし、
雄雉の妻呼ぶ声に春愁を感じているようです。

雉は隠れても頭隠して尻隠さず、しかも「雉も鳴かずば撃たれまい」の
諺の如く、よく鳴くので猟師にとっては見つけやすい獲物でした。

特に、繁殖期になると、しきりに羽ばたきをしながら大きな声で鳴くので
歌や文学の世界では「雉のほろろ」と表現されるようになります。
「ほろろ」とは「ほろほろ」の略です。

のちに「取りつくすべもない」という意味の「けんもほろろ」という言葉が
生れましたが、その由来は不明。
一説によると、「つっけんどん」の「けん」と、雉の鳴き声の「けん」を
掛けたものかとありますが、いささかこじ付けの無理筋か。

「 あしひきの 八つ峰(を)の雉(きぎし) 鳴き響(とよ)む
     朝明(あさけ)の霞 見れば悲しも 」 
                            巻19-4149  大伴家持

( あちらこちらの峰々にいる雉が鳴きたて、夜明けの空に響いてくる。
 それに今朝は一面に霞が棚引いているなぁ。
 雉の鳴き声を聞きながら、この霞を見ていると、やたらと悲しい思いに
 かきたてられることだ。)

眠れぬままに迎えた明け方、折しも激しく鳴きたてる雉の声。
晴れぬ気持ちに覆いかぶせるような霞。
越中に赴任中の作者は都が恋しくなっていたのでしょうか。
あるいは朝廷における大伴家の勢力が衰退しつつある現状に寂しさを感じて
いたのかも知れません。

 「 きぎす鳴く 声もおぼろに聞こゆなり
       霞こめたる 野辺の通い路 」      樋口一葉

最近の雉はゴルフ場にも、街にも出没し人を全く怖がりません。
先日、赤いバイクに乗った郵便配達員が襲われている様子を放映されていましたが
赤色のものは敵とみなす習性があるそうです。
郵便配達中突然、雉が現れ足を食いつかれた人はさぞびっくり仰天した
ことでしょう。

  「 群青の すじひいて 雉 翔(かけ)りけり 」    上村占魚


雉は古来、食肉として珍重され婚礼の祝い膳にも供されていたそうです。
平城京の市でも売られており、「雉」「雉腊(きたい)」と書かれた木簡も
出土しているので人々は「生きた雉」や「干し肉」を市で購入していたことが
窺われます。
中世末には美味三鳥として雉、鶴、雁があげられており、江戸時代には
焼き鳥にされたものが非常に好まれたそうです。

以下はある友人の言です。

『 「焼け野の雉、夜の鶴」 そんな意味からすると、
  焼いてはいけませんなあ-。
  ましてや食うなんて・・・
  ところが人間はそれを「やる」
  美味いもんねぇ。アハハ。 』 

「 焼け野の雉(きぎす) 夜の鶴 」

とは雉は野が火事になっても逃げずに卵を守り、
鶴は羽を広げて子鳥を寒さから守るところから生まれた諺です。


 「 刻々と 雉子(きぎす)歩む ただ青の中 」  中村草田男



      万葉集634(雉のほろろ)完


次回の更新は 6月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-05-25 22:33 | 動物

万葉集その六百二十三 (ちんちん千鳥)

( ケリ 学友の甥御C.Yさん提供 「 今日も鳥日和 (極私的野鳥図鑑) 」
今日も鳥日和(極私的野鳥図鑑)

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( タイゼン 同上 )
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( ハジロコチドリ  同上 )
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( メダイチドリ   同上 )
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( 佐保川  万葉時代チドリ、カワズが多数棲息 川幅も5倍位広かった? 奈良)
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( 吉野川  同上  )
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「 ちんちん千鳥の啼く夜さは  
  啼く夜さは
  硝子戸(がらすど)しめても  まだ寒い
  まだ寒い

  ちんちん千鳥の啼く声は  
  啼く声は
  燈(あかり)を消しても まだ消えぬ
  まだ消えぬ

  ちんちん千鳥 親ないか
  親ないか
  夜風に吹かれて 川の上
  川の上    」 

               ( ちんちん千鳥  北原白秋作詞 近衛秀麿作曲)


幼い頃歌った懐かしい童謡。
澄み切った冬の空気に響きわたるような哀感ただよう曲です。

  「 わたし呼(よぶ) 女の声や 小夜ちどり 」  蕪村

絶え間なく鳴き続けるちんちん千鳥。
それは高く細く透き通るような声。
「ちんちん」とは風鈴あるいは鈴のような音を暗示しているのでしょうか。

鈴は神社の巫女さんが祭礼の時に振っているように、魂を高め、
鎮める道具とされています。
古の人たちはそのようなチドリの声を耳にすると、何とも言えない
うら悲しい気持ちになったり、懐旧の念に駆られて寒い夜を過ごしたのです。

「 さ夜中に 友よぶ千鳥 物思(ものも)ふと
      わびをる時に 鳴きつつもとな 」 
                   巻4-618 大神郎女(おほみわの いらつめ)

( 真夜中につれあいを求めて呼ぶ千鳥よ。
     物思いに沈んでしよげ返っているときに、むやみやたらと鳴いたりして。 )

大伴家持に贈った一首。
作者は奈良の三輪山付近出身の女性と思われますが詳細は未詳です。

家持に恋焦がれ何度も歌を送ったが全く反応なし。
「私にそんなに魅力がないのかしら」と思いに沈んでいる時、
恋人を呼んでいるらしい千鳥の声が響いてきた。

 澄み切った調べが夜空に高く響く。
「こんな鳴き声を聴くとますます寂しくなるではないか」
と溜息をつく作者です。

伊藤博氏によると「鳴きつつもとな」とは
『 環境の状況と作者の心情とのあいだに生ずるやりきれない違和感を
述べる表現として結句に用いられる。

相手の反応がないことを嘆いている自分なのに、
千鳥には応える友がいるらしいことが
「鳴きつつもとな」なのである。』 (万葉集釋注2)

「 夜ぐたちに 寝覚めてをれば 川瀬尋(と)め
    心もしのに 鳴く千鳥かも 」 
                        巻19-4146 大伴家持

( 夜中過ぎに眠れずにいると 川の浅瀬伝いにきて 
    我が心がうち萎れるばかりに鳴く千鳥よ。 )

「 夜ぐたちに」: 夜中を過ぎたころ。「くたち」は「盛りを過ぎる」の意

「 寝覚めてをれば」: 寝床に入っているが眠れないで目をさましていること

「 川瀬尋(と)め」: 川瀬は家持の居館近くを流れる射水川(富山)の浅瀬
             「尋(と)め」:追い求める。ここでは浅瀬伝いにきて

「心もしのに」 : 心が萎えてしまうほどに 

家持の都の留守宅は奈良の佐保川のほとり。
千鳥と河鹿(かじか)がよく鳴くことで知られていました。
真夜中に千鳥の哀しげな声を聴き、都に置いてきた妻が急に懐かしく
思い出したことでしょう。

あぁ、早く都に帰りたい!

「 夜ぐたちて 鳴く川千鳥 うべしこそ
     昔の人も 偲(しの)ひ来にけれ 」 
                       巻19-4147 大伴家持

( 夜中過ぎになって鳴く千鳥。
 昔の人もこの声の切なさに心惹かれてきたのは
 なるほど もっともなことだなぁ。 )

うべしこそ:なるほど、なるほど尤もなことだ。

家持は「昔の人」に人麻呂を意識しているようです。
人麻呂の千鳥の歌といえば

「 近江(あふみ)の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
    心もしのに いにしへ 思ほゆ 」   
                          巻3-266 柿本人麻呂

( 近江の海の夕波千鳥よ、お前たちが哀しそうに鳴くのを聞いていると
 心もうつろに萎えて、ひたすら昔のことが思われてならない )

心も萎えてしまうほどに昔が思われるのは天智天皇の近江朝。
あの華やかなりし都は壬申の乱で滅亡し今や荒れ果てた廃墟になっていたのです。

「夕暮れの波間を鳴きながら群れ飛ぶ千鳥」を、たった4文字に凝縮した「夕波千鳥」。
美しくも哀しさを感じさせる名歌中の名歌です。

    「 夕千鳥 波にまぎれし 如くなり 」 高濱年尾




       万葉集623(ちんちん千鳥)完


       次回の更新は3月19日の予定です。
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by uqrx74fd | 2017-03-09 21:00 | 動物