カテゴリ:生活( 159 )

万葉集その六百九十六 (立秋の七夕)

( 仙台七夕は8月に開催される )
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( 古式豊かな模様  同上 )
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(  斬新な模様も  同上 )
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( 月の船  上田勝也  奈良万葉文化館蔵 我が国では牽牛が織姫のもとへ)
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( 月の船 藤代清二 中国伝説では織姫が牽牛のもとへ )
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   万葉集その六百九十六 (立秋の七夕)

我国の7月7日、七夕節会の記録は持統天皇の691年が最古とされています。
現在の8月上旬、立秋の頃、天皇列席のもと公卿以下が参列して宴を賜り、
朝服を下される宮廷儀礼でした。

さらに734年、聖武天皇の時代になると、7月7日に相撲を奉納し、
その夕方、文人に七夕の歌を詠ませる行事が定着し、相撲と七夕の節会を
同じ日に行ない、五穀豊穣、国土繁栄を祈ったのです。

一方、民間では古くから夏秋の行き会いの時期に水辺に掛け作りにした棚の上で
遠来のまれびと神の訪れを待って機(ハタ)を織るタナバタツメの習俗がありました。
「タナバタツメ」とはタナ(横板)を付けたハタ(機)で布を織る女(ツメ)の意です。

偶然にも中国には女子が機織り等の手芸で巧みになる事を祈る
乞巧奠(きこうでん)という古来の行事がありました。
さらに7月7日の夜、織姫星が天の川を渡って牽牛星に逢うという
空想豊かな恋物語を遣唐使(山上憶良?)が帰国後、伝えたところ、
このロマンティクな伝説は、たちまち人々の心をとらえ、かつ魅了しました。

そして我国古来の「タナバタツメ」に中国伝来の七夕という字を当て
「タナバタ」とよんだのです。

万葉集で「天の川」を詠ったものは130首余もありますが、
中國の物語と違うところは2つ。

我国では通い婚の風習があったため、牽牛が織姫のもとに通う。
( 中国では織姫が牽牛のもとに通う )

いま一つは、空想の物語を現実の自分の身に置き換えて詠う、
そう、柿本人麻呂、山上憶良らが天上の物語を一気に庶民のものとしたのです。

「 天地(あめつち)と 別れし時ゆ 己(おの)が妻
          しかぞ離(か)れてあり  秋待つ我は  」 
                        巻10-2005 柿本人麻呂歌集

( 天と地と別れたはるか遠い時代からずっと
 わが妻とこのように別れ別れに暮らしていながら
 ひたすら秋が来るのを待っているのだ。この私は。)

 当時は男性が女性のもとに通うのが習い。
 しかも、月が出ている間に訪れ、夜が明けぬ間に帰る。
 そう頻繁に通えるものではありません

「 渡り守  舟早(はや)渡せ 一年(ひととせ)に
         ふたたび通ふ 君にあらなくに 」
                  巻10-2077  作者未詳

( 渡し守よ 舟を早く岸に着けて下さいな。
 1年のうちに2度も通ってこられる方ではないのですから。)

今か今かと待ち続ける織姫は現実の私。
祈るような気持ちで詠っています。

「 天の川 相向き立ちて 我(あ)が恋ひし
        君来ますなり  紐解き設(ま)けな 」 
                           巻8-1518 山上憶良

( 天の川、この川に向かい立ってお待ちしていました。
いよいよ、愛しいあの方がお出でになるらしい。
さぁ、衣の紐を解いてお待ちしましょう。 )

万葉集で年代がはっきりしている最初の七夕歌とされています。
この「紐解き設(ま)けな」で、天上の物語が一気に現実のものになりました。
7月7日は男が女を訪ね、相睦む日になったのです。

 「 恋ふる日は 日(け)長きものを 今夜(こよひ)だに
            ともしむべしや  逢ふべきものを 」
                巻10-2079  作者未詳

( 恋焦がれた日が随分長かったんだもの、せめて今宵だけは
 飽き足りない思いをさせないで。
 今夜は誰にも遠慮なく逢うことが出来る日なのだから 。)

        ともしむべし や: 「物足りなく思わせる」の意 「や」は反語

「 ただ今夜(こよひ)  逢ひたる子らに 言(こと)どひも
          いまだ せずして さ夜ぞ明けにける 」
                       巻10-2060  作者未詳 

( 年にたった一夜の今宵。
 やっと逢うことができた愛しい子と、まだ満足な言葉も
 交わさないうちに夜が明けてしまった。)

久しぶりにお互い心ゆくまで抱き合い話をする間もなかった。
無常にも夜明けが近づいてくる。
そして別れの時間です。                 

 「天(あめ)の海に 雲の波立ち 月の船
          星の林に  漕ぎ隠る見ゆ 」  
                    巻 7-1068  柿本人麻呂歌集

舟に乗って帰ってゆく愛しい人。
空を見上げると、煌々と輝く三日月。
あたかもあの人を乗せて行く舟のよう。
雲の波、きらめく星の林。

あぁ、次第に遠ざかって行く。
さようなら、また会う日まで。

 「 七夕や 逢えばくちびる のみとなる」  水原秋桜子

七夕行事は夏の7月7日に行う地方も多いですが、本来は初秋のもの。
季語も秋に分類されております。
立秋、この時期になると夜空が澄みはじめ星もさやかに見えるのです。
 
  「 星合(ほしあひ)の 夕べすずしき 天の川
              紅葉の橋を  わたる秋風 」 
                       藤原公経  新古今和歌集

( 七夕の夕べは涼しく、 天の川に架けられた もみじの橋を
    秋風が涼やかに吹きわたるよ )

古代、機織りの上達を願って行われた七夕行事は、次第に拡大解釈されて
様々な願い事を星に祈る行事に変わり、江戸時代、庶民の間に
手習いが広まると、色とりどりの短冊に願い事を書いて笹竹に飾るようになり
現在に至っています。

  「 七夕や 秋を定(さだむ)る 夜の初(はじめ)」 芭蕉

 今年の立秋は8月7日。
 間もなく朝夕涼しい風が吹きはじめることでしょう。


         万葉集696(立秋の七夕)  完


         

       次回の更新は8月10日(金)の予定です。
 
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by uqrx74fd | 2018-08-02 11:09 | 生活

万葉集その六百九十二 (鮎釣る乙女:旅人幻想)

( 幾く年も この場所一人 鮎を釣る     寒川逸司   木津川 奈良)
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( 吉野の鮎売り   奈良 )
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( 鮎の宿 つたや  京都 奥嵯峨 )
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( 銘菓 吉野川   奈良の老舗 鶴屋徳満製 )
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   万葉集その六百九十二 (鮎釣る乙女:旅人幻想)

今から約1300年前、大宰府長官、大伴旅人は九州、唐津の東に位置する
松浦郡玉島あたりに旅しました。
昔、神功皇后が鮎を釣り上げたという伝説の地です。

美しい渓流を眺めながら、やおら持参した瓢(ふくべ:酒入れ)を取り出し、
盃をかたむけはじめます。

爽やかな初夏の風が心地よく吹き渡り、陶然とした心持。
しだいに瞼が重くなり、うつらうつら。

やがて、川のほとりにこの世のものとも思われない美しい乙女が現れ、
楽しい夢の世界へと誘ってくれたのです。

物語のあらすじは

『 松浦の地に赴いてあちらこちらを歩いているうちに、ふと玉島川で
  鮎を釣っている乙女たちに出会った。

  あまりにも美しく照り輝く容姿なので、「もしや仙女ではないか」と尋ねると
  「いやいや私共は漁師の子で、あばら家に住む名もない者、
  名乗るほどの身分ではありません。
  ただ生まれつき水に親しみ、また山を楽しんでいます。

  あるときは川に臨んで魚の身を羨み、あるときは煙霞の美景に
  眺め入っておりましたが、今日ここに今たまたま高貴なお方に巡り合い、
  嬉しさを包み隠すことができません。

  思い切ってお打ち明けいたしますが、どうかこれから後は、
  共白髪の夫婦の契りを結んでいただけないでしょうか。」

  私は答えた。

  「 喜んで仰せに従いましょう 」

  折しも日は西に落ち私が乗る黒駒はしきりに帰りを急いでいる。
  そこで私は自分の心の内を述べ次のように詠った。 』 

「 松浦川(まつらがわ) 川の瀬光り 鮎釣ると
           立たせる妹が 裳の裾(すそ)濡れぬ 」
                  巻5-855 さすらい人(大伴旅人)

( 松浦川の川瀬がキラキラ輝いている。
 その中で鮎を釣ろうと立っている美しい乙女よ。
 あれあれ、赤い裳(も)の裾(すそ)が水に濡れて。)

「 遠つ人 松浦の川に 若鮎(わかゆ)釣る
          妹が手元(たもと)を 我れこそ まかめ 」 
                           巻5-857 同上

( 遠くにいる人を待つという名の松浦の川で、若鮎を釣るあなたの手。
 私はその美しい手を枕にしてぜひ寝たいものです。)

すると乙女は応えた

「 若鮎(わかゆ)釣る 松浦(まつら)の川の 川なみの
       並(なみ)にし思(も)はば 我れ恋ひめやも 」 
                            巻5-858 娘子

( 若鮎を釣る松浦川の川なみの、その並という言葉のように
 あなたに対する私の気持ちが並み(通り一遍)のものであったなら、
こんなに想い焦がれることがありましょうか。)

「 松浦川 七瀬(ななせ)の淀は 淀むとも
       我は淀まず 君をし 待たむ 」 
                           巻5-860 娘子

( 松浦川のいくつもある瀬にある淀みは、これから後たとえどんなに淀もうとも
      私はためらわず、ただただあなた様一筋にお待ちいたしましょう。)

  我は淀まず: 心変わりしないの意

この話を聞いた人は後に次のように詠った。

「 松浦川 玉島の浦に 若鮎釣る
    妹らを見らむ 人の羨(とも)しさ 」  
                          巻5-863 後の人が追和(大伴旅人)

( 松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る美しい娘子。
 その乙女たちを見ている人が羨ましくてなりません。)

この「松浦川に遊ぶ」と題する序文と単歌群(11首)はすべて大伴旅人作と
考えられており我国文学史上極めて重要な位置を占める歌物語とされています。

即ち純然たる空想の世界を詠った文藝作品が日本文学の歴史に初めて
出現したのです。

この美しくも面白い作品を生み出した旅人は極めてロマンティスト。
この歌を材料に長編も書く事ができそうです。
同じ大宰府で活躍した山上憶良はリアリスト。
貧窮問答歌などと比べるとその作風の違いは歴然たるものがあります。

この歌物語の材料は、当地に伝わる、神功皇后伝説、中國の仙女との艶なる物語
「遊仙窟」などからヒントを得たものと考えられていますが、
それらを消化した上で、自らの幻想の世界を生み出したのです。

万葉集は歌集と共に物語文学の嚆矢でもあります。


 「 酒旗高し 高野の麓  鮎の里 」 高濱虚子

            ( 高野は和歌山県高野山か )


     万葉集692(鮎釣る乙女 : 旅人幻想 ) 完


      次回の更新は7月13日(金)の予定です。
  
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by uqrx74fd | 2018-07-05 17:06 | 生活

万葉集その六百八十五  (みどり児)

( 筆者1歳のころ  むかしは3歳までをみどり児といった )
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( 奈良時代の中流官吏の子供  奈良万葉文化館 )
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( 左 甘えっ子 岩崎ひひろ風  右 叱られて  作 筆者 )
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( みんなで渡ろう   六義園 東京 )
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万葉集その六百八拾四 (みどり児)

「みどり児」(みどりこ)は生まれたばかりの赤ちゃんや3歳くらいまでの
幼児をいいます。
「みどり」という言葉は本来、
「木々の新芽のように瑞々しく生命力に溢れている」の意とされ、
「瑞々」の「みず」から「みどり」に転訛し、後に色名になったものです。

702年施行の大宝律令に「男女を問わず3歳以下を緑となす」また
戸籍帖にも「緑児」「緑女」とあり、1300年も前からの由緒ある「みどり児」。

現在は「嬰児」と書かれることが多く末尾は濁音で「みどりご」と訓みます。

「嬰」という字は「貝の首飾りをつけた女の子」とする会意文字説と
「えんえんと泣く赤ん坊の泣き声」をあらわす「嚶:えい:なき声」と
同系の擬声語(漢字源)とする説があり、どちらとも定まっておりません。

 万葉集では9首登場していますが、まずは面白歌から。

「 みどり子の ためこそ乳母(おも)は 求むと言え
             乳(ち)飲めや君が  乳母(おも)求むらむ 」 
                        巻12-2925 作者未詳

(  乳母は赤子のためにこそ探し求めるものと云います。
  それなのにあなたはいい年をして私の様な乳母を求めるのですか。)

女が年下の男から求婚され、はねつけた歌のようです。
「 いい年をして私のお乳が欲しいの? 赤子でもないのに。」
からかいながらやんわりと拒絶。
自身を婆さんに見立てて相手を思いやっているユーモアたっぷりの一首です。

「 我が背子に 恋ふとにあらし みどり子の
      夜泣きをしつつ  寐寝(いね)かてなくは 」
                               巻12-2942 作者未詳


( いとしいあなたに心から恋焦がれてしまったみたい。
 まるで赤子のように夜泣きしながら、眠ろうにも眠れずにいる私 。)

好きになってしまった男の面影を目に浮かべながら夜ごとに
忍び音をもらす可愛い女。
ところが相手は「口先ばかり」のいい加減な男だったようです。
「 あぁ、口惜しい、長生きをしてとっちめてやりたい」
と後の歌にありますが、それでも憎みきれないいじらしい女心。

「 時はしも いつもあらむを 心痛く 
      い行く我妹(わぎも)か  みどり子を置きて 」
                       巻3-467  大伴家持

( 死ぬときはいつだってあろうに、よりによって今の今、
 私の心を痛ませて なぜ逝ってしまうのか。
 可愛いい幼子をあとに残して。)

736年ころ16歳の家持は「妾(しよう)」のもとに通っており、
二人の間に3歳ばかりの女の子がいました。
「妾」とは正妻に次ぐ妻の一人で当時の社会では公に認められた慣習ですが
この女性がいかなる人かは不明。

それにしても家持さん16歳にして子持ちとは驚き。

なお、この「おさな児」は後に美しい女性に成長し藤原家に嫁しています。

「 銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
       勝れる宝 子に及(しか)めやも 」 
                              巻5-803  山上憶良

子に対する愛情を詠い今なお多くの人の胸を打つ名歌ですが、
現代の歌人も負けず劣らず切々たる心情を述べています。

「 あるときは 寝入らむとする 乳呑児の
     眼ひき鼻ひき  たはむれあそぶ 」            若山牧水


「 神の恵み 深く尊く授かりし
             子ゆえに親は  いのちのぶらく 」     伊藤左千夫

             いのち のぶらく : 命がのびるのだろう

「 神の手を いまだ離れぬ 幼児(おさなご)は
          うべも尊く 世に染まずけり 」         伊藤左千夫

「 幼児が 母に甘ゆる 笑み面(おも)の
         吾(あ)をも笑まして 言(こと)忘らすも 」      島木赤彦

多くの子供を抱え生活も決して楽ではない歌人たち。
それでも愛情たっぷり、明るく詠っています。
    
     「 万緑の 中や吾子の歯 生え初むる 」  中村草田男

              緑と白い歯の対比が鮮やかな名句。

最後に思い出の名歌です。

「 こんにちは 赤ちゃん 」

「 こんにちは 赤ちゃん あなたの笑顔
  こんにちは 赤ちゃん  あなたの泣き声
  
  その小さな手 つぶらな瞳
  はじめまして  私がママよ

  こんにちは 赤ちゃん あなたの生命(いのち)
  こんにちは  赤ちゃん あなたの未来に
  
  この幸福(しあわせ)が  パパの希望(のぞみ)よ
  はじめまして  わたしがママよ

  二人だけの 愛のしるし
  健やかに 美しく 育てと祈る

  こんにちは赤ちゃん お願いがあるの
  こんにちは 赤ちゃん 時々はパパと

  ほら二人だけの 静かな夜を
  つくってほしいの おやすみなさい

  おねがい赤ちゃん  おやすみ赤ちゃん
  わたしが ママよ    」

 ( 作詞 永 六輔  作曲 中村八大  歌 梓 みちよ)



万葉集 685 (みどり児)  完





     次回の更新は6月25日(金) の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-17 17:47 | 生活

万葉集その六百八十三 (目には青葉)

( 室生寺の青葉  奈良 )
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( 長谷寺の紅葉若葉   奈良 )
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( 万葉人に愛されたホトトギス)
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( カツオ、タイ 岸浪 百草居 魚百種類献上絵巻の一部 )
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( ヒメウツギ:卯の花  長谷寺  奈良 )
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  万葉集その六百八十三 (目には青葉)

「 目には青葉 山ほととぎす はつ鰹 」  山口素堂

あまりにも有名なこの句は鎌倉で詠まれたとの前書があります。
目にも鮮やかな青葉。(視覚)
山々から下りてきたホトトギスの鳴き声。(聴覚)
それだけでも素晴らしいのに相模の海は初鰹がたっぷり。(味覚)
見てよし、聞いてよし、食べてよし。
三拍子揃った鎌倉はなんと素晴らしい土地柄だろう。

「 不二ひとつ うづみ残して わかばかな 」  蕪村

初夏の色は緑、それも鮮やかな若緑です。
「みどり」という言葉はもともと「瑞々(みずみず)し」に関連する語で
木々草木の新芽をいい、やがて「みず」が」「みど」に変化し色名に
なったと云われています。

しかしながら万葉集で色名を詠ったものは2首しかありません。
当時、緑単独の染料がなく、黄色と青を掛けあわせていたので
青との識別が厳密でなかったためでしょうか。

「 春は萌え 夏は緑に 紅の
     まだらに見ゆる  秋の山かも 」 
                        巻10-2177 作者未詳

「 浅緑 染め懸(か)けたりと見るまでに
     春の柳は 萌えにけるかも 」  
                       巻10-1847 作者未詳

( 薄緑色に糸を染めて、木に懸けたと見まがうほど 
  柳が美しい緑の芽を吹き出しましたよ )

浅緑色は浅葱(あさぎ)色ともいわれ、葱の芽出しのような黄色味を帯びた緑をいい、
句歌では「浅緑」は柳の新芽、「若緑」は松の新芽にと使い分けられています。

また新緑に関する季語は多く「新樹」「若葉」のほか「若楓」「柿若葉」「樫若葉」
「椎若葉」「樟(くす)若葉」など木々の種類によって分類され、
細かなニユーアンスを伝えています。

「 玉垣や 花にもまさる べに若葉 」 阿波野 青畝

日本列島いたるところで木々がいっせいに芽吹く皐月(さつき)。
濃淡鮮やかな緑や紅色が入り交じり目もさめるような美しさ。
いよいよ爽やかな初夏到来です。

「 朝霧の 八重山越えて ほととぎす
       卯の花辺(はなへ)から 鳴きて越え来ぬ 」 
                        巻10-1945 作者未詳

(  立ちこめる朝霧のように幾重も重なる山を越え
       ほととぎすが卯の花の咲いているあたりを越えて
       鳴きたてながらこの里にやってきた。)

ホトトギスは南方から飛来する渡り鳥ですが、昔の人たちは
冬の間、山にこもり、暖かくなると里に下りてくるものとばかり
思っており、山ホトトギスと呼んでいました。
それは「そろそろ田植えの時期だよ」と教えてくれる鳥であり、
その鳴き声を聴き逃すことは収穫に大きな影響を与えることになるので
真剣にその初音を聴き漏らすまいと耳を傾けていたのです。

万葉人は「キヨッキヨキヨキヨ」と独特の鳴き声を響かせるホトトギスに
よほど魅力を感じていたのか155首も歌を残しました。
中でも大伴家持は異常なほどののめり込みようで66首も詠っています。

「 ほととぎす 鳴きわたりぬと 告ぐれども
     我れ聞き継がず 花は過ぎつつ 」  巻19-4194 大伴家持

( 時鳥が、ここを鳴いて渡ったと人が告げてくれたが、
     私はまだ聞いていない。
     花の盛りはどんどん過ぎていくというのに。)

詞書に時鳥が鳴くこと晩(おそ)きを恨むる歌とあります。

家持は当時色々悩み事があり、時鳥の声さえ聴けば心が
晴れるだろうという心境だったようです。
なお、この歌の花は前歌との関係から藤。

 「 谺(こだま)して  山ほととぎす ほしいまま 」 杉田久女 

青葉、ほととぎすに続き最後は鰹。

鰹は世界中の温暖な海域に分布し、日本近海には2月頃から黒潮に乗って
大群で北上し、水温が下がる10月にはまた南に下る回遊魚です。
漁師たちは黒潮が沖合からふくらんできて、その澄んだ海面に山の青葉が
影を映す頃を青葉潮とよび、鰹、ビンナガマグロ、クロマグロの群れが
通過するのを首を長くして待っています。

古代から貴重な栄養源とされてきた鰹は痛みやすく、冷凍などの保存技術が
なかった時代は干したものを食べていたので「堅魚(かたうお)」と
よばれ、それが「かつお」に変わり、漢字も「堅+魚」から
一字の「鰹」になったとか。

万葉集にはただ1首、浦島伝説の魚釣り場面の一節に登場します。

「 - - 水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹釣り鯛釣りほこり
  七日まで 家に来(こ)ずて - - )   
                     巻9-1740 高橋虫麻呂歌集(長歌の一部)

( あの水江の浦の島子が鰹や鯛を釣っていて夢中になり、
      七日経っても家に帰らず-)

「釣りほこり」とは、次から次へといくらでも釣れるので夢中になり
調子に乗ることで、当時は鯛も鰹も豊富に獲れたのでしょう。

  「 ふじ咲(さき)て 松魚(かつお)くふ日を かぞへけり 」   宝井其角 

鰹を松魚を書くのは鰹節の質感が松材に似ているからだそうな。

鰹は蛋白質、ビタミン類、鉄分が豊富な上、うまみ成分であるグルタミン酸が多く
大和朝廷でも重要な食料として各地から貢納させていました。

鰹が生で食べるようになったのは鎌倉時代から。
「勝つ魚」に通じる語感が縁起よく、武士をはじめ庶民、貴族にも大いに
食されたようです。

  「 鎌倉を 生きて出(いで)けむ 初鰹 )  芭蕉

江戸時代、4月末から5月上旬の時期に、伊豆や鎌倉で捕れた鰹は
江戸っ子に熱狂的にもてはやされました。

芭蕉の句は鎌倉で採れた鰹を生きたまま早飛脚で江戸に運ばれ人々に
供されたさまを詠んだもの。

当時「初物を食べれば寿命が延びる」という言い伝えがあり、
女房、子供を質においてでも初鰹を食えと粋がる江戸っ子。
数少ない鮮魚の値段は高騰し小判一枚、今の値段で7万円くらいでしょうか。
無理して買った人は後の支払いにやり繰り算段したようです。

「 聞いたかと 問われて 食ったかと答え」  江戸時代の川柳

(  ホトトギスの初音を聞いたかい?
       聞いた、聞いた、それはそれは、素晴らしい声だったよ。
       ところで、お前さんこそ初鰹を食ったかね? )

そんな会話が庶民の間で交わされていたのでしょう。

食通にいわせると

「 脂の少ない初夏は土佐造り(タタキ)。
 身の外側をさっと炙り、厚く切ってシヨウガ、ニンニク、青ジソなどを盛り
 かんきつ類の汁と醤油で食べる。
 脂の乗った秋は刺身の濃厚な風味を味わうがよし。」

とのことであります。

  「 みどり葉を 敷いて楚々たり  初鰹 」  三橋鷹女


     万葉集683 (目には青葉) 完


     次回の更新は 5月11日 (金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-03 11:03 | 生活

万葉集その六百八十一 (楽しみは2)

( 楽しみは 親しき友と うち集い 桜の山を めぐり歩くとき  筆者 奈良山辺の道)
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( うま酒  大神神社  奈良 )
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( 大伴家持が絶賛した立山連峰  雨晴海岸 富山県 )
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(  若草山焼き    奈良  委細は本文で )
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万葉集その六百八十一 (楽しみは2)

「 たのしみは 庭にうゑたる春秋の
         花のさかりに あへる時々 」  橘 曙覧

四季の移り変わりが美しい日本列島。
春は花、夏、青葉、ホトギス、秋は月、紅葉、そして冬の雪。

娯楽施設など余りなかった昔、貴族、官人たちの何よりの楽しみは宴会。
親しきものたちが四季折々打ち集い、自然の風物を愛でつつ
盃を酌み交わしながら歌を披露する。
庶民たちは歌垣や祭りなどで踊り、詠い、そして恋をする。
いずれも楽しげな歌ばかりです。

「 しなざかる 越の君らと かくしこそ
     柳かづらき  楽しく遊ばめ 」 
                    巻18-4071 大伴家持

( 山野層々として、都から遠く隔たったこの越の国の方々、
      これからもこのように柳を蘰にして、楽しく遊びましょうや。)

越中国司として赴任した作者が郡司の子弟多数と宴をした時の歌。

「級放(しなざか)る」は「階段状に山野、坂が重畳して遠い」の意で(伊藤博)
家持の造語。

 遥々山を越え都から越中に赴任した作者は海越に聳え立つ
立山連峰や、鳥鳴き花咲く野の美しさに感激し、鄙びた風情ながら
越の国は神秘にして佳き国と感じたようです。

希望と期待に満ち、喜びがあふれるような一首で、作歌活動も
充実した日が始まります。

柳かずらき: 柳を蘰(かづら:髪飾り)にして
         柳は生命力が強く、身に付けてあやかろうとしたもの。


庶民にとっての楽しみは祭や歌垣、そして逢い引き。

「 春日野は 今日はな焼きそ  若草の
      つまもこもれり 我もこもれり 」 
                          古今和歌集 よみ人しらず

( 春日野は今日だけは特別に焼かないで!
  愛しい人も、おれも草の中に隠れているのだから )

背丈の高い草むらで睦み合う二人。
そんなことを知らない農夫が恒例の野焼きを始めた。
「オーイ! ここは焼くな、焼くな!
 二人で楽しんでいる最中だ。
 折角逢えたのに、今日だけは勘弁してよ。」
 と叫ぶ男。

「な○○そ」は禁止をあらわす用語で「な焼きそ」は「焼くな」と
強い調子で叫んでいる様。

この歌は次の歌を本歌取りしたものです。

「 おもしろき 野をば な焼きそ 古草に
    新草(にひくさ)交じり 生(お)ひば 生ふるがに 」
                        巻14-3452 作者未詳

( 楽しい思い出が一杯つまっているこの野原をそんなに急いで焼かないでくれ。
  それに新芽もまだ出かかったばかりで可哀想ではないか。
  若草になるまで伸びるだけ伸ばしてやろうよ )

「おもしろき」は「見ていて楽しい」の意で作者は古草を見ながら、
かって若草のもとでの逢引きを思い出しているのでしょうか。

「生ふるがに」は「生ふるがね」が訛ったもので、
「新草が生い茂りたいと思っているのなら、その通りにしてやってほしい」の意。

野焼き作業をしている人に向かって呼びかけた形ですが、草木に対する愛情と、
思い出の場所を焼いてくれるなという淡い恋心が籠ります。

「 玉敷きて 待たましよりは  たけそかに
      来る今夜(こよひ)し 楽しく思ほゆ 」

                   巻6-1015 榎井王(えのゐの おほきみ)


( 玉を敷いて今か今かと待っているよりも、だしぬけに伺ったほうが
     楽しかったのではありますまいか )

            「玉敷きて」: 庭などを掃き清め万端の準備をして
            「たけそかに」:「猛そかに」 無遠慮に

737年正月、門部王(長皇子の孫 天武天皇曾孫)の屋敷に
橘 佐為 (左大臣 諸兄の弟) 以下貴族の子弟が予告もなしに突然押しかけ、
わいわい大騒ぎした折の歌。

作者の榎井王は天智天皇の孫(父、志貴皇子)で、親しい者同士の無礼講、
主人、門部王は友人達の突然の来訪に驚きながらも、
さぞ嬉しかったことでしょう。

親しき友は昔も今も人生の宝物です。

   「 たのしみは とぼしきままに 人集め
            酒飲め 物を食へといふとき 」    橘 曙覧


           万葉集681 (楽しみは2)  完


             次回の更新は4月27日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-04-19 16:58 | 生活

万葉集その六百七十九 (春の苑)

(桃の花 宇陀 奈良 )
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( 桃と桜の競演 山辺の道 奈良 )
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( スモモ 市川万葉植物園  千葉 )
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( カタクリ  森野旧植物園 奈良 」
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(  万葉の春  上村松篁  絵葉書 )
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  万葉集その六百七十九(春の苑)

「 春の苑(その) 紅にほふ 桃の花
      下照る道に 出(い)で立つ 娘子(おとめ) 」 
                           巻19-4139 大伴家持

 訳文
     ( 春の盛りの今、庭園には桃の花が咲き誇っている。
      花も周りも紅色に映えて染まるばかり。
      つと、乙女が木の下にい出立った。
      ふっくらとした頬に刷いた紅も桃の花と一体化して
      輝くばかりの美しさ。
      あぁ何と素晴らしい光景だろう。 ) 

  750年の春たけなわの頃、越中国司の任期も終わりを迎える時期の作。
  文芸性が高く数ある家持の歌の中でも秀吟とされ、正倉院宝物の
  樹下美人図を連想させる1首。
  長らく雪に閉ざされていた北国に、春到来の喜びがはちきれんばかりに
  溢れているようです。

  桃の花が咲き匂ひ、ふくよかな香りを漂わせている。
  暖かい空気が周りを包み、道も紅に染まっているようだ。
  その美しさに見惚れて立ちすくんでいると、絶世の美人がつと木の下に現れた。
  まさに桃源郷、夢の世界。

  長らく別居していた最愛の妻、坂上大嬢もやっと来てくれた。
  心身共に充実していた頃の作で、この後数々の秀作を生み出してゆきます。
  この歌が実景を詠んだのか、中国文学を下敷きにした想像の世界なのか
  学問上の議論はありますが、ここではでは実景と受け止めておきます。

  続いて、李(すもも)。
  桃の紅、李の白 紅白の取り合わせです。

「 わが苑(その)の 李(すもも)の花か 庭に散る
      はだれのいまだ 残りてあるかも 」 
                      巻19-4140 大伴家持


( あれっ! こちらの庭園の上に白いものが見えるよ。
  見上げると李が満開でまるで雪のようだ。
  庭の白さは李の花が散っているのだろうか 
  それとも消え残った雪なのだろうか。)

        はだれ:斑雪(まだらゆき)

庭に点在するのは李の花が散ったものか、残雪か。
見まごうばかりの白の世界。
天から下りてくる梅を雪かと詠った父、旅人の

 「わが園に 梅の花散る ひさかたの 
              天より雪の 流れくるかも 」
                        巻5-822 大伴旅人

を踏まえた構成となっています。

家持はこの美しい光景によほど興趣を感じたのか更に詠います。

   「 桃の花 紅色に 
     にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 
     青柳の 細き眉根を 
     笑み曲がり 朝影見つつ 
     娘子(をとめ)らが  手に取り持てる まそ鏡 - 」

                  巻19-4192(一部) 大伴家持 

(訳文)

(  桃の花のように華やかに映えている顔
   青柳の葉のような細い眉
   その眉が曲がるほどに笑いこぼれている乙女の
   楽しそうな表情を鏡に写している朝の姿の
   なんと美しいことよ
   乙女の手に取っている真澄の鏡 - - 」 
                         19-4192 大伴家持


   面輪: 顔の輪郭の意で顔つき
   青柳の細き眉根: 青柳の葉のような細い眉 
               女性の細くてしなやかな眉を柳に例えたもの。柳眉
   笑み曲がり 朝影見つつ :その眉が曲がるほどに 
                     笑いこぼれている朝の容姿を見ながら 
   まそ鏡  : 鏡箱の蓋の意 ( 次に続く二上山の枕詞) 


「 もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
       寺井の上の 堅香子(かたかご)の花 」   
                              巻19-4143 大伴家持

( 泉のほとりへ美しい乙女たちが三々五々、水桶を携えて集まってきます。
      そのかたわらにカタクリの花が咲き乱れて-- 何と美しいことよ )

こんこんと湧く清泉、入り乱れる乙女、群生する美しいカタクリの花。
乙女たちの笑い声や水の音まで聞こえてくるような気がいたします。

ユリ科多年草のカタクリの古名が「堅香子(かたかご)」
「堅」は「片」の意で、種から成長する過程で、まず片葉が生じ、
数年以上(7年とも)を要してようやく両方の葉がそろうことによります。

また「香子(かご)」は「鹿の子」、すなわち、鹿の斑点のような葉をもつことに由来し、
当初「カタハ カノコ」とよばれていたものが「カタカゴ」に変化したとも。

「もののふ」は元々「朝廷に仕えた上代の官人」が原義でしたが、
古代の朝廷には職掌ごとに多くの氏族が奉仕していたので、
それらの総称として「もののふ(物部)」という言葉が用いられ、
さらに氏族が多かったことから八十(やそ=数が多い意)に掛かる枕詞になりました。

「もののふ」が武士,武辺のイメージとなるのは平安時代からです。

「 日中を 風通りつつ 時折に
        むらさきそよぐ 堅香子の花 」  宮 柊二

家持の桃、カタクリの世界を求めて奈良へ向かいました。
JR奈良駅から桜井経由、近鉄大阪線の榛原駅で下車。
バスに乗り換え約20分。
近くにかぎろひの丘があり、かの人麻呂が

「 東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて
                   かへり見すれば 月かたぶきぬ 」 
                    巻1-48 柿本人麻呂

と詠ったところです。

ここは素通りして江戸時代から続く我国最古の薬草園「森野旧薬園」へ。

町を一望できる小高い丘に数えきれない位の薬草が植えられており、
斜面にカタクリが群生しています。

カタクリの花は夜明けとともに開き、夕暮れになると閉じますが、
雨や曇りの日には開かない天気次第の気難し屋。
当日は美しい姿を見せてくれました。

紅紫色の清楚な花は気品があり、清純な乙女を連想させ、
恥じらうように下向きに咲く姿も初々しく「春の妖精」の名にふさわしい。
だが、「花の命は短くて」の言葉通り、1か月余で花も葉も跡形もなく消え去り、
次の春まで地下で眠ってしまう。

1年の大部分を地下で過ごすのは、夏は樹木の葉の影になって日ざしが届かず、
冬は積雪に耐えられないためで、冬が終わり落葉樹の葉の茂るまでの間に
地表に顔を出し太陽の日ざしを一杯浴びて鱗茎に養分を蓄え、
繁殖のための種を作るのです。

「 うれしくも 桃の初花 見つるかな
           また来む春も 定めなき世に 」   藤原公任

続いて徒歩30分の又兵衛桜へ。
ここでは桜の巨木とともに、桃の木が見られるのです。
後藤又兵衛が植えたと伝えられる老桜は今も健在。
その後ろに桃の群生、ピンクと紅の対比が実に美しい。
ここの桜は毎年開花が遅く、桃の花開くのを待ってから咲いているよう。

桜と桃の競演を堪能した後、山辺の道へ。
崇神天皇陵に向かう途中、農家の庭に桃と桜の巨木があります。
毎年この時期に訪れるとっておきの場所です。

大神神社で参拝を済ませた後、天理の方向に向かって歩くこと約8㎞
左、崇神天皇陵、右相撲神社に道が分かれる少し手前の農家にお目当ての桜と桃。
横にそれる小径があり、自由に行き来させて戴けます。
今年も見事な桃と桜が満開でした。

     「 遠里に 桜も咲くや 桃畑 」    筆者


     万葉集その679 (春の苑)完


   次回の更新は4月13日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-04-05 15:59 | 生活

万葉集その六百七十七(修二会:お水取り)

( 奈良二月堂 修二会の大松明 )
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( 同上 次々と登場 )
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( 勢ぞろい )
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( 大車輪 )
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( 飛び散る火花 )
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( 豪華絢爛 )
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万葉集その六百七十七 (修二会:お水取り)

「お水取りが済むと本格的な春到来」。
古くから云い伝えられているこの言葉通り3月14日の今日はポカポカ陽気。

月初から続いた練行衆の厳しい修行も満日を迎え大松明も今夜で終わり。
雄大、豪華絢爛な景観を一目でも見ようと二月堂の舞台の下に数千人の見学者、
さらに海外からの観光客も多数集まっています。
大松明は18時半開始なのに何と昼前から陣取っている人もいるようだ。

「 お松明 燃えて星空 なかりけり 」   開田 華羽

定刻ぴったりに周囲の照明が消されて暗闇に。
長い石段の下から大きな松明が上がってくると「オーー」と、大きなどよめきが
闇夜を揺るがす。

炎が堂上の縁側に上がると、大きく振りかざし風車のようにくるくる回しながら
韋駄天のごとく回廊を駈ける。
四方に飛び散った火花が漆黒の空に舞い上がり舞台の下の参拝者の上に
降りかかる。
その火粉は無病息災のご利益があるそうな。

切れ目なく第2弾、3弾、第4弾。
次から次へと石段を駆けあがり、炎の共演。

大きな火の玉を見ているうちに次の万葉歌が頭に浮かんできました。

「 君が行(ゆ)く 道の長手を 繰り畳(たた)ね
       焼き滅(ほろ)ぼさむ 天(あめ)の火もがも 」

        巻15-3724  狭野弟上娘子(さのの おとかみの をとめ)

( あぁ、あなたが行かれる長い道。
 その道のりを手繰って折りたたんで、焼き滅ぼしてしまいたい。
 神様、そんな天の火を私に与えて下さいませ。)

万葉集中最も有名な絶唱の一つ。

作者は「蔵部女嬬(くらべのにょじゅ)」という天皇の身辺奉仕、雑役に
従事する下級女官で中臣宅守(なかとみやかもり)という人物-
(皇太子の宝物、衣服などを掌る東宮主蔵監に所属する役人)と
結婚したばかりでした。

ところが突然、宅守は勅勘の身となり、越前国府(福井県)の武生に
配流されるという不幸が起きたのです。(740年)
何の罪かは不明ですが政治的な大事件に巻き込まれたのかも知れません。

二人の絶望と悲哀は如何ばかりだったことでしょう。
二人の間で交わされた歌は63首。
万葉屈指の相聞、歌絵巻です。

「 燃ゆる火も  取りて包みて 袋には
          入ると云わずやも  逢はむ日招(を)くも 」 

                      巻2-160 持統太上天皇

( 燃えさかる火さえも 手に取って袋に包み入れることが
      出来るというではないか。
      そういう奇跡が行われるように、天皇にお逢いする日を招き祈っておりますのに
      どうして私の切ない願いが叶えられないのか。)

686年、天武天皇崩御され、殯宮(もがりのみや)で祭礼を行っている期間
(約2年3か月)に詠われた挽歌。

当時火に故人の魂が宿ると信じられ、袋に包むという方術があったのかも
しれません。

なお、「逢はむ日 招(を)くも」の原文「智勇雲」は難訓。
訓み方が統一されていないので「沢瀉久孝著 万葉集注釈」によりました。

「 如月(きさらぎ)を 奈良いにしへの 御ほとけに
         浄(きよ)き閼伽井(あかゐ)を   汲む夜にぞあふ 」  中村憲吉

東大寺の説明文(要約)によると、
「 東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山
良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が
創始されて以来、平成30年(2018)で1267回を数える。

修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」。
十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、
二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)すること。
修二会が創始された古代、天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、
そうした災いを取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、
万民快楽など、人々の幸福を願う宗教行事とされた。

東大寺の長い歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が灰盤に帰して
しまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間
一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきた。

この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、
もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という
意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。

行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、
「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする
「お香水(おこうずい)」を汲み上げ本堂に運ぶ儀式が行われる。

井戸の中には遠く若狭の国から地下水道を抜けて送られた聖水が
湛えられていると信じられており、この水を1年間の仏事に供するため
壺に汲み取っておくのである。

なお、若狭国から聖水が送られる由来は、昔、遠敷(おこう)という若狭の神様が
魚釣りに夢中になり二月堂の参集に遅れたので、お詫びとして、
二月堂のほとりに清水を湧き出させ、観音様に奉ったとの言い伝えによる。」

炎の競演はまだまだ続いていますが、松明はもともと修行僧が石段を上がる足許を
照らすために始められたものが次第に今日のような盛大な儀式になったとか。

万葉集で重要な行事の歌がないのは大仏開眼とお水取り。
それでも大仏開眼は大仏に塗る金が陸奥で見つかったという歌がみえますが、
お水取りは皆無なのは誠に残念。

修二会は秘行なので一般にあまり知られていなかったため、
歌に馴染まなかったのでしょうか。

  「 水取りや 氷の僧の 沓(くつ)の音 」 芭蕉

  ( 修二会の夜、二月堂に参籠していると、
    内陣の寒気を踏み破る行道僧の沓音が堂中に響いた)


         万葉集677(修二会:お水取り)完


        次回の更新は3月30日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-03-22 17:55 | 生活

万葉集その六百七十六 (安眠快眠)

( 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花 )
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( カタクリは1年の大半を地中で過ごす眠り姫 )
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( 快眠? エゴンシーレの模写  筆者 )
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( うたた寝 ?  オスカーココシュカの模写  筆者 )
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( 春の夢 パウルクーレ風  筆者 )
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   万葉集その六百七十六 (安眠、快眠)

寒かった冬も過ぎ、ようやく「春眠暁を覚えず」の季節到来。
何物にも代えがたい至福のひとときです。

静かな環境での安眠熟睡。
古代の人達はそのような眠りを「安寐(やすい)」と云っていました。

ところが大伴家持さんは頻繁に歌を交わしあっていた心の友、大伴池主が
越前に転任し、近くにいない寂しさから夜も寝れなくなり、
ホトトギスに友も寝かせるなと詠うのです。

「 ほととぎす 夜鳴きをしつつ 我が背子を
     安寐( やすい)な寝しめ ゆめ心あれ 」 
                        巻19-4179 大伴家持

( ホトトギスよ 夜鳴きをし続けて、わがいとしい人に
  安眠などさせてくれるなよ。
  わが意を体して、ゆめ怠るでないぞ。)

時鳥の声を一人で聞くのはあまりにも寂しいので、
「 池主を寝かさないで鳴き続けてくれ、そして共に過ぎし日を思い出そう」
と恋歌仕立てで詠ったものです。

いささか大げさな感じがいたしますが、心を許した友が身近にいなくなった
寂しさ伝わってくる1首。

          「な寝しめ」:「な-め」で禁止を表す。
                  通常は「なーそ」と使われる。 「寝かすなよ」の意

「 思はぬに 妹が笑(ゑ)まひを 夢(いめ)に見て 
     心のうちに 燃えつつぞ居る 」  
                        巻4-718 大伴家持

( 思いもかけず あなたの笑顔を夢に見て、心の中で
  ますます恋心をたぎらせています )

「娘子に贈る歌7首」のうちの1つで、娘の名は不詳。

「思いがけず夢に見たのはあなたが自分を想ってくれているのだ」と
切々たる恋心を詠っています。

灯りが少なく、蝋燭も高価だった昔、人々は日が暮れると共に床に就き、
そのまま爆睡し愛しい人の夢をみる、あるいは恋する人と
抱き合って睦むことが何よりの楽しみでした。

万葉集には夢を詠ったものが90首もあるのは、当時、通い婚のため
一緒に過ごす時間が少なく、一人寝の日が多かったためと思われますが、
それにもまして、恋人が自分の夢を見てくれると、自分のもとに現れると
信じていたので、寝る前に「どうかあの人が自分の夢を見てくれますように」
と祈ったのです。

ロマンティックな習慣ですねぇ。

「 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花
         君のみ見めや   戯奴(わけ)さへに見よ 」 
                            巻8-1461 紀 郎女

( 昼間は綺麗な花を咲かせて、夜になればぴったりと葉を合わせ、
  好きな人に抱かれるように眠る合歓。
  ほんとうに羨ましいこと。
  そんな花を主人の私だけが見てもよいものでしょうか。
  お前さんも御覧なさいな。
  あなたと一緒に見ながら抱き合いたいのよ。)

合歓の花木を添え、大伴家持に贈った一首。
漢字の「合歓」は「合歓ぶ(あいよろこぶ)」つまり男と女が抱き合うことを
意味します。

年上で人妻(天智天皇の曾孫 安貴王の妻)でもある作者が
花によせて共寝を誘っているのです。

歌を通じてお互い特別親しい間柄なので、家持を下僕のように呼びかけて
戯れ興じているようですが内心は本気かもしれません。

      「 君のみ見めや」 : 君は主人の意で作者自身をさす

      「 戯奴(わけ) 」 : 年少の召使などを呼ぶ言葉 
                    ここでは大伴家持をさし、年下なので
                    わざと見下したした言い方をしている


ところで、万葉集では二人の共寝を「味寐(うまい)」と表現しています。
「味寐」(うまい)とは云い得て妙。
お互い抱き合いながら「美味かった」、「よーく味わった」
というニユーアンスが含まれているのですから。

「 人の寝(ぬ)る 味寐(うまい)は寝ずて はしきやし
        君が目すらを  欲りし嘆かむ  」 
                          巻11-2369 作者未詳

(  人様がするような共寝は出来ずに、あぁ。
   せめてあの方の顔だけでもと溜息ばかりついているうちに
   すっかり夜があけてしまいました。)

         「はしきやし」: 愛(は)しきやし 詠嘆をあらわす修飾句 
                   ここでは「あぁ-」
         「君が目すらを 欲りし」 : 一目だけでも見たい

「 白妙の 手本(てもと)ゆたけく 人の寝(ぬ)る
        味寐(うまい)は寝ずや  恋ひわたりなむ 」 
                        巻12-2963 作者未詳

( 手枕もゆったりと打ちくつろいで、人さまが寝るような
  快く楽しい眠りは出来ないので、おれはこうしていつまでも
  恋に悩み続けるのだろうか )

            「手本ゆたけく」: 女の腕を枕にして心楽しく

伊藤博氏は

『 従来「安寐(やすい)は安眠、「味寐」(うまい)は熟睡、安眠の意と解釈されていた。
  ところが、若い後輩が ヤスイとは「一人寝の熟睡」ウマイとは
  「男女二人で共寝する熟睡」と発表した。後生畏るべし。
  そう思って用例にあたってみると、まさしくことごとくがこの新見に
  よって処理できる。

  そもそも「安し」は自己の心情の安らかさ、「味し」は対象自体に具わる
  性質の良さをいう語であるから、「安寐」と「味寐」とのあいだに
  相違があるのは当然なのである。

  それにしても、いかにもおっとり自然に歌を詠んでいるように見えながら
  万葉人が、ことばづかいにきわめて厳密であった点に、
  感服しないわけにはゆかない。) 』

と述べられ、さらに、

「 人や犬など、意思あるものが(何かを)越えるについて
  「越ゆ:自ら越えるの意」といい、
  風や波など、意思なきものが越えるについては「越す:神が越させるの意 」
  といって厳しく使い分けたり、また原則として降る現象が見えない霜、露に
  ついては「置く」、降る現象が「雨」「雪」には「降る」と
  いって区別したりするなど、かような姿勢が「安寐」「味寐」一つに
   限らないことを思えば、なおさらである。」

と付け加えておられます。
                       ( 万葉のいのち はなわ書房 )
       

「 朝寝して 風呂酒一献  昼寝して
              時々起きて   居眠りをする 」  筆者

               ( この人物は小原庄助さん )
ご参考

( 民謡 会津磐梯山 )
 
  会津磐梯山は宝の山よ 
  笹に黄金がなりさがる

  何故に磐梯あのように若い 
  湖水鏡で化粧する

  北は磐梯 南は湖水 
  中に浮き立つ翁島

  主は笛吹く 私は踊る  
  櫓太鼓の上と下 

  小原庄助さん 何で身上(しんしょう)潰した
  朝寝 朝酒 朝湯が好きで
  それで身上つぶした
  ハァ もっともだ もっともだ


           万葉集676 (安眠快眠) 完

           次回の更新は3月23日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-03-17 17:24 | 生活

万葉集その六百七十五 (鬼平万葉集)

( 歌姫町の風雅な農家  鬼平犯科帳に歌姫街道として登場する 奈良平城京跡近く )
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( 鬼平犯科帳にも 万葉集歌が登場する   本文ご参照))
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( この本にも万葉歌が  同上 )
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( 剣客商売 )
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( 同 包丁ごよみ )
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( 昔の味  グルメめぐりの指南書  挿絵も正太郎氏)
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(  同上 )
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  万葉集その六百七十五 (鬼平万葉集)

御存じ池波正太郎氏は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人 藤枝梅安」
「真田太平記」など数えきれないほどの傑作を書いておられますが、
その作品のなかでプロ顔負けの数々の料理や自身が描かれた挿絵も登場します。
さらに驚くべきことに、それらの小説の中で万葉集がさりげなく
挿入されているのです。

今回は、肩の力を抜いて池波文学と万葉集のコラボをどうぞ。

 先ずは「 池波正太郎  鬼平犯科帳 凶剣 文芸春秋」より。

鬼平こと長谷川平蔵が休暇で京都に行った折、旧知の浦部与力が
奈良を案内する場面です。

『 (浦部) 「 宇治をあとまわしになさいますなら石清水から山沿いの古道をたどり、
         奈良へ入りますのが、おもむきが深いかと思われます。」

 (平蔵) 「 ほほう。これはおもしろい」

 (浦部) 「 は。この道を歌姫越えと申しまして、むかしむかし、奈良に
        皇都(みやこ)がありましたときは、この道こそが奈良と山城の国-
        京をむすぶ大道でございましたそうで 」

   と浦部はなかなかにくわしい。

( これはおもしろい旅になりそうだ。 浦部をつれてきてよかった )
  平蔵も、こころたのしくなってきている。
 - - 
 (浦部) 「このあたりは、むかしむかし、棚倉野とよばれ、ひろびろとした原野に
        穀物をしまった倉がいくつも建っていたそうでございます。
        かの万葉集にも- -
       「 手束弓(たつかゆみ) 手に取り持ちて 朝猟(あさがり)に
          君は立たしぬ  棚倉の野に 」 
       とございますな 」

(平蔵)  「 これは、おどろいた、おぬしがのう・・・」 』

  万葉歌の訳及び解説 (筆者、以下同)

「 手束弓(たつかゆみ) 手に取り持ちて 朝猟(あさがり)に
        君は立たしぬ  棚倉の野に 」 
                             巻19-4257 古歌 船王伝誦す

( わが君が手束弓をしっかり手に取り持って、朝の狩場にお立ちになっている。
  この棚倉の野に。) 

   「手束弓」: 手に束ねやすい弓、
   「棚倉の野」: 京都府山城町付近の野。

紀飯麻呂(きの いひまろ)という官人の屋敷で催された宴席で披露された
古くから伝わる歌で、「君」は聖武天皇とされています。

かって山城近くに久爾(くに)という都があったとき天皇は盛んに猟をされたらしく、
往時を懐かしむとともに、宴の時期が丁度10月下旬の狩猟の季節にあたっていたので、
それにふさわしいものとして紹介されようです。

    「 歌姫を 鬼の平蔵 過ぎゆけり 」  筆者

                       歌姫:奈良平城京跡近くの街道

次は「 池波正太郎 真田太平記巻5 新潮文庫 」
奈良時代の物流基地とされた「巨椋池」の描写のくだりです。

『 京都の南方、わずか二里のところにある伏見の指月(しげつ)は、
  伏見山の最南端が巨椋池にのぞむ丘陵である。
  このあたりには、平安のむかしに藤原俊綱の山荘がいとなまれたりしたほどで、
  景観もすばらしい。
  眼下にひろがる巨椋池は,池というよりも湖といったほうがよい。
  その大きさは、信州の諏訪湖ほどもあった。
  かの万葉集にも
  「巨椋の入江とよむなり 射目人(いめひと)の伏見が田居に雁わたるらしと」ある。』

 万葉歌の訳と解説

「 巨椋(おほくら)の 入江響(とよ)むなり 射目人(いめひと)の
    伏見が田居に 雁わたるらし 」  
                          巻9-1699 柿本人麻呂歌集

( 巨椋の入江が ざわざわと鳴り響いている。
  射目人(狩人)が身を伏せているいう伏見。
  その田んぼの方へ雁が移動してゆくらしいなぁ )

  射目(いめ)とは猟師が鳥獣を射るために柴などを折って身を隠す道具。
  言葉遊びも取り入れた歌で、

「 弓を射る猟師が身を伏せて待ち構えている伏見の田んぼ。
  その田んぼに向かって、狙われているのも知らない雁の群れが
  わざわざ飛んで行くわい 」 と
  「伏す」「伏見」と「ふ」の音を掛け
  「 そんな危ない所へ飛んで行くこともあるまいのに 」

と興じています。

歌の題詞に「宇治川にして」とあるので、作者は宇治川の岸辺、
巨椋池の注ぎ口の近くにいて、水面に響く雁の羽音を耳にし、
群れが飛び立つさまを推測した一首ですが巨椋池、伏見2つの地名を配して
自然の大きな景色を詠みこんだ秀歌です。

巨椋池(おぐらいけ)は京都府南部、現在の伏見、宇治地域にまたがる場所に
存在していた湖とも言うべき巨大な池で、宇治川、桂川、木津川が
この入江に流れ込み西方の淀川に溢れ出る、いわば遊水池の機能を
はたしていました。

また、飛鳥、平城京への木材運搬の中継地点として重要な役割を担い、
近江など、近郷各地から伐り出された木材を川に落として運び、
一旦ここに集荷してから、順次、木津川へ流し途中から陸路で都へ運搬したのです。
都づくりの最中は水路、陸路ともに殷賑を極めた場所でした。

然しながら、1594年、豊臣秀吉の伏見城築城に伴い、築堤工事を受け持った
前田利家が宇治川を伏見に迂回させたことにより巨椋池は一変しました。

池への流水が絶え、周囲16㎞水域面積8平方km(約(800ha)の孤立した
淡水の湖沼になったのです。

その美しくも歴史ある巨大な池は、昭和8年(1933)、国民への
食糧供給充実という目的で干拓事業が開始され、8年後の昭和16年(1941)に
農地化されて完全に消滅しました。
現在は渡り鳥の飛来地となり、近くの葦の群生地をねぐらとする燕が
毎年数万匹もみられるそうです。

最後に鬼平犯科帳「白い粉」の一節から。

 『 「 料理人の勘助が、長谷川平蔵の夕餉の膳の吸い物へ、
    かの毒薬を入れたのは翌々日のことであった。
    吸い物は、鴨の叩き団子と晒葱(さらしねぎ)である。

    役宅の大台所では、平蔵の膳ごしらえは勘助が一人でやっているので、
    声をかけるまでは女中たちも近寄って来ない。

    白い粉を落としたとき、勘助はわれながら落ちついていた。
    ( これで、おたみが帰ってきてくれるのだ。)

    吸い物へ落としこんだ毒薬は、
   ( あっ・・・・)
    という間に溶けた。 』   

( 以下 鬼平料理帳に続く 筆者注 )

『  鴨は日本人にとって最も親しい野禽(やきん)であったらしい。
   それは万葉集にたとえば

  「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
           寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」
   とあるのを見てもわかる。
   日本に渡っている鴨の種類は三十余種もあるという。
   夏の間、北方のシベリア方面で雛を育て、9月上旬から11月頃に大群をなして
   飛来し、3月の上旬から5月にかけて再び北へ帰って行く。

   鴨が真味を持つのは年が明けてからだ。
   渡ってきたはじめの頃は、当然鴨だって長旅の疲れでやせこけている。
   それが、日本の河川湖沼でうまい小魚をたっぷり食べて、丸々と肉がつき、
   脂がのったところを人間サマが食べるのだから、申し訳ないような話。 』

                   ( 池波正太郎 鬼平料理帳 佐藤隆介編 文芸春秋社より)

万葉歌の訳と解説

「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
       寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」 
                        巻14-3570  作者未詳


( 葦の葉群れ一面に夕霧が立ちこめ、鴨の鳴き声が寒々と聞こえてくる夕べ。
  そんな夕暮れ時には、お前さんのことがことさら偲ばれることよ。)

作者は防人として集合地の難波に旅立とうとしています。
当時の難波は葦の名所、その夕景を思い浮かべながら
愛する妻に語りかけた、しみじみとした哀感がにじみ出ている一首。
作者は以前、難波に赴いたことがあるのでしょう。

このように小説、料理、絵画などあらゆる分野に縦横無尽に
腕を振るわれた正太郎氏。
しかも小説の随処に応じた万葉歌をさりげなく挿入されるとは、
よほど勉強されたのでしょう。
その博識、多才に敬服するとともに、初めて鬼平に万葉集が登場したくだりで、
驚愕狂喜したことが懐かしく思い出されます。

    「 ありし日の 鬼平小兵衛 しのばるる 」 筆者

             小兵衛:剣客商売の秋山小兵衛
                 俳優、藤田まことが演じた


           万葉集675(鬼平万葉集) 完


次回の更新は3月18日(日)の予定です。 :通常より遅くなります。
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by uqrx74fd | 2018-03-08 16:28 | 生活

万葉集その六百六十五 (新年の歌:戌)

( 謹賀新年 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 吾妻山公園 神奈川から)
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( 本年は戌年  国立新美術館で )
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( 招福干支  東京人形町 )
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(   同上 )
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( おかげ犬 主人の名前を書いた袋を首に下げ伊勢詣でをしたそうな 伊勢おかげ横丁で)
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( 一刀彫  奈良 )
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( 土鈴の犬:神楽坂  起き上がり小法師(会津)  自宅で)
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( ポスター  図書カードPR用 )
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万葉集その六百六十五 (新年の歌:戌 )

「 新(あらた)しき 年の初めの 初春の
    今日(けふ)降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)」 
                         巻20-4516  大伴家持

( 新しい年の初め、この初春の今日降る雪のように
  めでたいことも次々と積み重なれ。 )

「いやしけ」: あとからあとから絶えることなく。

759年、因幡国庁(鳥取県)での賀宴で詠われたもので
万葉集掉尾(ちょうび)を飾る一首。
当時、正月の大雪は豊年の瑞兆と考えられており、さらに、
この年は暦の上で元旦と立春が重なるという吉日。
幾重にもめでたい新年の歌です。 

「 春立つや 新年ふるき 米五升 」  芭蕉

「ふるき米」は旧年中に人が瓢箪にいれてくれた米。
「さぁ、我家のひさごは米五升も入って心豊かな新年がやってきた。」と寿ぐ作者。

 「 犬ころが 越後獅子より あざやかに
        舞ふとて二人 手のひらを打つ 」 与謝野晶子
                                   犬ころ:子犬

本年の十二干支は戌、動物は犬が当てられています。
「戌」は「一」と「伐(ほこ)」を組み合わせた会意文字で、もともと
「刃物で作物を刈ってひとまとめに締めくくり、収穫する」意であったそうですが
干支名となったので原義が忘れられ「犬」と同義語になっています。

また「犬」は「いぬ」を描いた象形文字。
犬と戌がなぜ組み合わされたのかは定かではありません。

犬はあらゆる動物の中で最も古い家畜の一つとされ、今から2万年も前から
先祖である狼かそれに似た動物を長年にわたって飼い馴らし、交配を重ねて
生み出されたものと考えられています。

我国では縄文時代の遺跡から出土した骨などから、人々の良き伴侶して
生活をしていたことが窺われ、その祖先は今日の秋田犬と推定。
大和朝廷では「犬養部」という専門部署を設けて狩猟、警備、労役、軍用、
愛玩用に飼育させる重要な動物でした。

万葉集では3首(うち長歌2)。
次の歌は番犬として詠われたもので、まずは訳文から。

「 赤駒を 馬屋に立たせ 黒駒を馬屋に立たせ
  そいつを大事に世話して 私が乗って行くように
  可愛いい妻が おれの心に乗りかかってきてさ。(男の思い) 」

 「 そうそう、高い山の峰のくぼみに
   射目を設けて鹿猪(しし)を 待ち伏せるように
   寝床を敷いて 私がお越しを待っている方なのだから
   犬よ、やたらに吠えないでおくれ。 (女の思い)  」 
                           巻13-3278 作者未詳

訓みくだし文

「 赤駒を 馬屋に立て 黒駒を 馬屋に立てて
  そを飼ひ  我が行くごとく
  思ひ妻 心に乗りて

  高山の 峰のたをりに
  射目(いめ)立てて  鹿猪(しし)待つごとく
  床敷きて 我が待つ君を
  犬な吠えそね 」
                  巻13-3278  作者未詳

 赤駒: 栗毛の雄馬
          赤駒、黒駒の対句によって勢ぞろいして馬に乗り
          狩りに出かける様子を述べる

     そを飼い: 赤駒、黒駒を大切に飼育し

     心に乗りて: 我が心に乗っかって離れない

     峰のたをりに: 「たをり」峰続きの山の低くなった部分、鞍部で動物の通路

     射目:鳥獣を射るために身を隠す場所

     床敷きて: 共寝するために予め自分の着物を敷くこと
 
 狩猟における収穫の宴の場で身振り,所作を交えながら
 寸劇を演じたものと思われ

「 我家の守りについているワン公よ、私の恋の邪魔立てをするんじゃないよ」と
おどけたユーモラスな一首。

伊藤博氏は
「 健康に満ちた、古代の狩場の高笑いがじかに聞こえてくるような歌で
  興趣が尽きない。
  生産に直結する男女のかような関係を、身をもって興じることは
  幸の寿ぎにつながり、人々の歓楽をこよなく誘ったのであろう 」
  と評されています。

 「 かろやかに 駈けぬけゆきて ふりかへり
            われに見入る 犬のひとみよ 」   若山牧水

犬は古くから作物の獣害を追い払う霊性をもつ神の使いとされていました。
大和朝廷では薩摩隼人(狗人:くびと ともいう)を宮廷の警護や儀式役に任命し、
隼人は見廻りにあたって吠声(はいせい)を発していたそうです。

「吠声」とは犬の吠える声をまねたものですが、邪神、悪鬼を追い払い
あたりを祓い清める呪術とされ、日常の警護のほか天皇の行幸の際にも
大声を出しながら先頭を歩き、さらに幕末に孝明天皇の大嘗祭でも
隼人発声がなされたといわれています。

現在いたるところの神社にみられる狛犬はこのような犬の霊性が
具象化されたものでしょうか。

  「 犬吠(ほえ)て 里遠からず 冬木立 」 正岡子規


   ご参考: 戌年生まれの一代運勢

正直で義理堅く、自尊心が強い。
おおむね他力本願で成功する天運。
したがって謙虚にして、目上に従えば中年になって抜群の出世をする。
但し、強情さを謹んで謙虚にしないと、悔いの多い人生を送る憂いがあるので要注意。

               ( 十二干支の話題辞典 加藤迪男 東京堂出版より )


     
       万葉集665 (新年の歌 戌) 完


     次回の更新は1月5日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-01 00:00 | 生活