2017年 06月 29日
万葉集その六百三十九 (春蚕繭:はるごまゆ)

( 蚕飼する 人は 古代の姿かな 河合曾良 )

( 多い地方では 春、夏、初秋、晩秋 晩々秋 の5回収穫する )

( 京都 奥嵯峨野のまゆ村 )

( 人形をつくる繭 同上 )

( ひつじ 同上 )

万葉集その六百三十九 (春蚕繭:はるごまゆ)
春に収穫した蚕繭(ごまゆ)の出荷が始まる季節になりました。
瑞々しい桑の新芽をたんまり食べた蚕は最上の繭を生み出し、
美しい絹に生まれ変わるのです。
養蚕は今から4000年前に中国の黄河流域で始まり、漢代から絹織物を
西域に輸出していたといわれています。
古代ローマでの絹は金と同じ目方で取引されていたほどの極めて貴重品。
中國の養蚕技術は門外不出、国家機密として厳しく管理されていました。
欧州に伝わったのは6世紀頃、ペルシャ人の僧侶が竹の杖に蚕の卵を隠して
伝えたのがはじまりとか。
我が国でも弥生時代に野生種であった蚕を屋内で飼育して独自の絹を作っており、
「魏志倭人伝」に243年、卑弥呼が魏帝斉王に使いを送り、絹織物などを贈ったと
記されています。
また、5世紀中ごろ、雄略天皇が后妃に養蚕を勧め、諸国に桑を植えさせて以来、
養蚕は女性の最も大事な仕事の一つとされました。
然しながら日本の絹織物は独自のものといっても品質的には中国産に比べて
見劣りしたようです。
養蚕技術が飛躍的に向上したのは、679年遣唐使として派遣されていた
藤原鎌足の長男、僧 定恵(じょうえ)が桑を携えて帰国し、
琵琶湖東岸の古刹、桑実寺に植え、合わせて養蚕の手法を教えて以来からの
ようですが、その頃には中国の技術移転禁止令が解かれていたのでしょうか。
万葉集では春の蚕繭を詠ったものが1首残されています。
「 筑波嶺の 新桑繭(にひぐわまよ)の 衣(きぬ)は あれど
君が御衣(みけし)し あやに着欲しも 」
巻14-3350 作者未詳
( 筑波山の麓の新桑で飼った繭の素晴らしい着物を私は持っていますが
でも、やっぱりあなたのお召し物がむしょうに着たいものですわ)
当時、夫婦や恋人同士が互いに下着を交換して身に付ければ、
片時も離れることがないと信じる習慣がありました。
作者は、高価な絹織物より貴方が着ている衣を身にまとう方がよい、
出来れば一緒に寝たいと詠っています。
「 美しき人や 蚕飼(こがひ)の 玉襷 」 高濱虚子
蚕は2昼夜糸を吐き続けて繭をつくりやがてその繭の中に閉じこもって
蛹になります。
志村ふくみ氏は繭の中で成長した蛹が、どのようにして外へでていくのか、
次のように述べておられます。
『 蚕がいっしんに白い糸を吐いて繭をつくり蛹になり,蛾になって
外界に出てゆく時、どうしてあの繭から飛び立つかご存知ですか。
勿論、繭を喰い破って穴をあけ、そこから飛び立つとお思いでしょう。
ところが違うのです。
蚕は口から少しずつ、アルカリを含んだ液を出して、繭の内側の壁を
溶かしてゆき、小さな穴をあけてそこから飛び出してゆくのです。
その穴に、大豆を1粒入れて、コロコロころがしながら、糸の口を
みつけ、静かに引きだしますと、烟(けむり)のような一すじの糸は
最後まで切れずに続くのです。
乱暴に喰い破って穴をあけるのは蛹にいる寄生虫の仕業なのです。
蚕は自分の命とひきかえにつくった白い城をどうしても喰い破ることが
出来ず、みずからの体液でなめてなめて、溶かしながら門をひらき
出てゆくのです。
一すじの糸も切ることなく。
とあるひとが語ってくれた。 』 ( 蚕 一色一生 講談社文芸文庫所収)
「 たらちねの 母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
いぶせくもあるか 妹に逢はずして 」
巻12-2991 作者未詳
( 母さんが飼い育てる蚕の繭ごもりのように、息がつまって、つまって
何ともうっとうしいことよ。
あの子に長い間逢わないでいて。)
健康な蚕が作った繭は極めて堅固で、湯で煮てほぐす以外に解かす
すべがありません。
身動きが出来ない心情を「いぶせくもあるか」(うっとうしい)と詠っていますが
その原文表示が傑作。
「馬声(い)、蜂音(ぶ)、石花(せ:岩石に付着している貝)
蜘蛛(くも、)荒鹿(あるか)」と
あらん限りの動物関係の漢字を使用しています。
「馬声」をイヒーンと聞きなした「イ」
「蜂の羽音」は「ブウーン」の「ブ」
「岩に張り付いたカメノテの固い石花」の「セ」
そして「蜘蛛」のクモ、「荒鹿」の「アルカ」
どれもこれも「うっとうしいなぁ」と。
万葉人の遊び心です。
以下は学友,T.Sさんから。
『 蚕の思い出といえば、終戦直前に3ヶ月半疎開した栃木の田舎で、
屋根裏のようなところで蚕を飼っていたことを思い出しました。
何となく、甘ったるい匂いがしていたような気がします。
また、祖母が、湯に漬けた繭から、糸を引きながら、
糸を紡いでいたことも思い出しました。
独特な臭いがしていましたっけ。
家の近くには、桑の木が沢山植えてありました。
全く忘れていたことが、この歌をきっかけにいろいろと思い出すのも
不思議な感じがします。』
「 母在りし その日のごとく 飼屋(かひや)の灯(ひ) 」 松岡悠風
万葉集639(春蚕繭:はるごまゆ) 完
次回の更新は7月7日(金)の予定です。
▲ by uqrx74fd | 2017-06-29 14:33 | 動物