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万葉集その六百六十九 ( 楮の衣と和紙)

( 楮の木   奈良万葉植物園 )
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( 和紙の里  東秩父村 埼玉県 )
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( 楮を切りそろえる→釜蒸しする  同上 )
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( 表皮を剥く   同上)
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( 剥いた皮を天日干し、白木は燃料に  以下の作業は本文で  同上 )
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( 紙漉きの絵  紙の博物館  飛鳥山公園 東京王子 )
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( トロロアオイ 紙製  根を細かくして楮の繊維と混ぜる;
  糊の役割を果たす不可欠な材料    同上)
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( 東大寺修二会:お水取りの練行衆:僧が法衣の上に着る紙衣 ) 
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( 歌舞伎舞台衣装 中村扇雀が着用 遠藤忠雄作  紙の博物館 )
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( 紙布の着物:桜井貞子作と ペーパーデニム エドウイン社  同上 )
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   万葉集その六百六十九 (楮の衣と和紙)

古代、楮(こうぞ)は栲(たく)、織った衣を栲(たへ)とよんでいました。
中でも白栲(しろたへ)は上質な織物とされ、次の名歌

「 春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたへ)の
      衣干したり  天の香具山 」    巻1-28 持統天皇

の白栲は香具山で春の菜摘み行事などの神事に奉仕した人々が身に付けた白衣
(渡瀬昌忠氏 万葉一枝)、あるいは巫女たちの斎衣(伊藤博氏 釋注)
とされています。

丈夫な繊維を持つ楮は、古くから衣類、網、縄、衾(ふすま:寝具)、
領布(ひれ:女性が首から肩にかけていたスカーフのような布)、
神事に用いる木綿(ゆふ)とよばれる襷(たすき)や幣(ぬさ)、
加うるに和紙の重要な材料とされていました。

万葉集に詠われている栲(たく、たへ)は115首、木綿(ゆふ)が27首 
合計142首の多きにのぼりますが、和紙の歌は1首もありません。

和紙の歴史を紐解くと、奈良時代には既に独自の製紙法を開発しており、

「 610年高句麗の僧曇微(どんちょう)が最新の技術をもたらし(日本書紀)
  飛躍的に進歩した。」

「 現存最古の紙は聖徳太子筆といわれる法華義疏(ほっけぎしょ)但し産地は不明。」

「 最古の和紙は701年の美濃、筑前、豊前各国の戸籍に用いられたもので、
  いずれも正倉院文書として保存。」

「 奈良時代の正倉院文書は約1万点保存されているが、その多くに産地が記されており
  紙漉きを行っていた国は20カ国に及んだ。」

「 各国府で政庁の指導の下に製紙場が設けられて各地で消費する紙をまかない、
  上質のものは中央に貢納された。」

など多くの記録が存在しますが、それにもかかわらず、紙の歌が一首も
残されていないのは不思議なことです。

考えられることは、当時、紙は極めて貴重かつ高価だったため、
使途は天皇の詔、朝廷の重要な公式記録、戸籍、租税記録、
写経、仏典などに限られ、通常の記録は木簡を用いていました。

従って一般の人にとって紙は無縁の存在であり、歌の対象は自ずと
日常生活に密着した衣や白妙,木綿(ゆふ)などに集中した為ではなかろうかと
思われます。

なお、紙の衣は楮を細かく切って縒(よ)り、糸にして織ったものを
何重にも重ねあわせて強度を増やし、さらに揉んで軟らかくするという
高度な技術が必要とされ、古代の人達が自家薬籠中の物にしていたとは、
驚きを禁じ得ません。

「 馬並(な)めて 多賀(たか)の山辺を 白栲に
     にほはしたるは 梅の花かも 」 
                   巻10-1859 作者未詳


( 馬を勢揃いして手綱をたく(る)、そのたくではないが、この多賀の山辺を
  真っ白に染めているのは、梅の花なのであろうか )

馬並めて: 多賀の枕詞 手綱を繰(たく)る意の「たく」の類音で掛かる
多賀の山辺: 京都府綴喜郡(つづきぐん)
にほはしたる: 「にほふ」は色や香りが他のものに移り染みつくことをいう。
主に視覚に用いられ嗅覚を表す例は少ない。

数人で馬を並べてゆっくり走らせる。
向うに見える丘は一面真白。
よくよく見ると、梅が満開。
おぉー、見事、見事、梅が丘を美しい色に染めたのだなぁ。

「 荒栲(あらたへ)の 布衣(ぬのきぬ)をだに 着せかてに
        かくや嘆かむ  為(せ)む すべをなみ 」   
                         巻5-901 山上憶良

( 粗末な着物すら着せてやれなくて、このように嘆かなくてはならぬのか。
  一体どうしたらよいのか、手のほどこしようがないままに- -。)

「荒栲の布衣」:楮の繊維の荒い粗末な衣類。

「着せかてに」:着せたいが、それすら出来ないの意。
                  「かて」:することができる 「に」打消しの助動詞

作者は当時、老身(74歳)の上、長年の病で苦しんでいました。
「 いっそのこと死んでしまいたいが、いじらしい子供を置いて死ぬにも死ねない。
この貧しい子供を守ってやれるのは親である自分しかいないではないか。」

という悲愴な気持がひしひしと伝わってくる一首です。
 然しながら憶良は中級官吏の身分であり、困窮していたとは思えないので
 貧窮問答歌と同様、貧しい庶民の生活を代弁したものでしょう。

「 このころの 寐(い)の寝らえぬは 敷栲の
     手枕(たまくら)まきて 寝まく欲(ほ)りこそ 」 
                           巻12-2844 作者未詳

( このごろ よく眠れないわけは あの子と手枕を交わして寝たいと
 思うからなんだなぁ )

敷栲: 寝床の敷物
手枕まきて: 女性の手を枕にして共寝する

この歌は4首連作の1つで、
ある日道を歩いていると美しい女性を見かけ、一目惚れしてしまった。
毎日夢にまで見る。
あぁ、あの子を抱きたいと、悶々としている男です。

「 栲縄の 長き命を 欲(ほ)りしくは
     絶えずて人を  見まく欲りこそ 」 
               巻4-704 巫部 麻蘇娘子(かむなぎべの まそおとめ) 

( 栲縄のような長い命 その命を望んできたのは、ほかでもありません。
      いつもいつも、あのお方のお顔を見たい一心からなのです)

大伴家持を交えた席で詠ったもの。
恋の歌遊びの会合かと思われます。
それにしても貴公子家持はモテモテの男、関係した女性は数知れずです。

「 いっしんに 竹簀(たけす)うごかす 紙漉女(かみすきめ)
           見つつし居れど もの云わずけり 」      吉井勇

冬は楮の季節、和紙を作るための作業が始まります
埼玉県東秩父村小川町に和紙の里があり、丁度、楮の皮むき作業が行われている
最中なので早速見学に行きました。(2018年1月7日)

この里は地元の細川紙が、石州半紙(島根県)、本美濃紙(岐阜県)と共に
ユネスコ無形世界文化遺産に登録されたのを機に整備されたもので
和紙の歴史が展示され、また紙漉体験もできます。

東武東上線池袋から約1時間、更にバスに乗り継いで15分、山々に囲まれた
道の駅の裏手にあり、いかにも山里らしい雰囲気です。

寒風吹きすさぶ中、細長い楮を切りそろえ、皮を剥きやすくする為釜で蒸す。
屋内で数人の方々が手作業で皮を剥く。
剥いた皮を天日干しにしたあと、釜で煮、煮立ったらソーダー灰を加えて
不純物を取り除き、水で晒し、アク抜きと日光漂泊。

棒で丹念に叩いて繊維をほぐし、トロロアオイという植物の根を糊状にしたものを
加えて紙漉をしたのち天日干し。

出来上がったものを切りそろえてやっと終わり。
純白の美しい紙が日に映えて美しい。

それにしても、なんと根気がいる仕事なのでしょうか。
伝統技術を後世に伝え続けてゆこうという里の皆様の熱意と努力に、
ただただ頭が下がる思いがした貴重な体験でした。

   「すたれゆく業を守りて紙を漉く」     藤丸東雲子


番外編 :紙漉の歌

( 紙漉の歌が見えるのは手持ちの文献では江戸時代以降、
  それも江戸後期の橘曙覧:たちばなあけみに集中しています。)

「 家々に 谷川引きて 水湛(たた)え
    歌 うたひつつ  少女(をとめ) 紙すく 」  橘曙覧

「 水に手を 冬も打(うち)ひたし 漉(す)きたてて
        紙の白雪  窓高く積む 」     同

「 居ならびて 紙漉く をとめ 見ほしがり
    垣間見(かいまみ)するは  里の男の子か 」   同

「 黄昏に 咲く花の色も 紙を干す
       板の白さに まけて見えつつ  」     同

「 流れくる  岩間の水に 浸しおきて
     打ち敲(たた)く草の  紙になるとぞ 」    同

「 屏風には 志功版画の 諸天ゐて
    紙漉く家の  炉火(ろび)は なつかし 」    吉井勇

「 翁ゐて 楮ならべる 雪晒(さら)し」        伊藤敬子



     万葉集669 (楮の衣と和紙 ) 完


        次回の更新は2月2日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-25 17:41 | 植物

万葉集その六百六十八 (鴨の季節)

( カルガモ 東寺 京都 )
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( キンクロハジロ  六義園  東京 )
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( ホシハジロ  不忍池  上野 )
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( 鴨の浮寝   旧芝離宮  東京 )
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( マガモ  不忍池  上野 )
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(  マガモ  後方:オナガガモ )
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万葉集その六百六十八 (鴨の季節)

詩歌の世界で、晩秋北の国から渡ってくる鴨を「初鴨」、「鴨来る」、
春帰る鴨を「引鴨」(ひきがも)、帰らず残っている鴨を「残る鴨」、
留鳥である「カルガモ」は「夏鴨」とよばれ、単なる鴨という場合は
冬の季語とされています。

鴨類の種類は多く、世界で約170種、我国でも30余種といわれ、
比較的小形のものをひっくるめた総称が鴨。
中でも特に多いマガモ(別名アオクビ)をさすことが多いようです。

万葉集では29首。
美しい羽色、浮寝、鳴声など様々な情景が詠われています。

「 水鳥の 鴨の羽色の 春山の
     おほつかなくも 思ほゆるかも 」  
                        巻8-1451 笠 郎女

( 水鳥の鴨の羽色のような春山が、ぼんやりと霞んで見えるように、
 あなた様のお気持ちが はっきりわからず、 もどかしくてなりません。)

大伴家持に贈ったもの。
片思いの鬱々とした心情を述べ、鴨の羽色を霞かかった春山に譬えています。
色華やかな春の山、池に浮かぶ鴨の美しい姿、霞たなびく空。
様々な情景が目に浮かぶような秀歌です。

「 磯に立ち 沖辺(おきへ)を見れば 藻(め)刈り舟
    海人漕ぎ出(づ)らし  鴨翔(かけ)る見ゆ 」 
                             巻7-1227 作者未詳

( 岩の多い海岸に立ってはるか沖の方を見やると
  鴨が驚いて飛び立った
  海藻を刈る海人たちが舟を漕ぎだしたようだなぁ。)

作者は紀伊方面の旅の途中、沖の藻を刈る小舟を眺めていたようです。
ところが海人が突然舟を漕ぎ出したため、驚いた鴨が一斉に飛びたった。
今にも羽音が聞こえてくるような生き生きとした一首で、
「鴨翔ける」の躍動感が秀逸。

なお、鴨は夜明けから日中沖に浮かび漂い、夜になると川の葦辺や
池の水田で餌を漁ります。

「 我妹子(わぎもこ)に 恋ふれにかあらむ 沖に棲む
                   鴨の浮寝の  安けくもなき 」 
                       巻11-2806 作者未詳

( あの子に恋こがれているからであろうか。
 沖の波を寝ぐらとする浮き寝鴨のように 私の心はゆらゆらとして
 落ち着くことがありません )

「 恋ふれにか あらむ」: 「恋ふれば にかあらむ」の意で
                 恋してしまったからであろうか。

万葉人の素晴らしい造語、「鴨の浮寝」。
今なお使われている言葉です。

   「 日輪が ゆれて浮寝の  鴨まぶし 」   水原秋桜子

次の歌は防人が集合地、難波に向けて出立しょうとしている場面です。

「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
      寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」 
                    巻14-3570  作者未詳(防人歌)

( 葦の葉群れ一面に夕霧が立ちこめ、鴨の鳴き声が寒々と聞こえてくる夕べ。
 そんな夕暮れ時には、お前さんのことが ことさら偲ばれることよ。)

当時の難波は葦の名所、その夕景を思い浮かべながら
妻に別れの挨拶をしています。
作者は東国の人と思われますが、以前難波に行ったことがあるか
防人経験者に話を聞いていたので、このような情景を思い浮かべることが
出来たのでしょう。

しみじみとした哀感がにじみ出ている秀歌ですが、
鴨の雄は「グェッ グェツ」、メスは「グェー グェグェ」と鳴き、
美声には程遠い「だみ声」。
遠くから聞くと寂しげに聞こえたのでしょうか。

「 見るままに 冬はきにけり 鴨のいる
        入江のみぎは うすごほりつつ 」 
                     式子内親王 新古今和歌集

番外編 

   「 鴨喰ふや 湖(うみ)に生身の 鴨のこゑ 」 森澄雄

以下は「池波正太郎著 鬼平料理帳  佐藤隆介編 文春文庫」より

 『 鴨鍋、鴨汁、鴨雑炊、鴨雑煮、鴨のお狩場焼、鴨飯、そうそう
   鴨南蛮を忘れるわけにはいかない。
   江州、長浜に琵琶湖のうまい鴨を食べさせる有名な専門店のあることを
   知っていても、私なんぞ簡単に行けるわけではない。

   それで、せめて浜町の「藪」へでも駈けつけて
   「お酒を一本、それから鴨南蛮をおねがいします」ということになる。

   鴨の肉は脂のついたままを すき身にするのが定法で、これがびっしり並んだ
   熱々の鴨南蛮をすすりこむと、全身に活力がみなぎってくる、ような気がする。
   ちなみに鴨南蛮のナンバンとは葱の異名だそうな。

   「鴨が葱を背負ってきた」といわれるぐらい、鴨には葱がつきものである。
   しかし、料理の本では、鴨に最もよく合うものは芹と教えている。
   たっぷりと脂のついた鴨の肉は、どちらかといえばくどい感じになりやすいから、
   芹で味を中和させるのである。 』

筆者注:

 江戸時代、大阪の難波村は葱の大産地。
 その「ナンバ」が「ナンバン」に転訛したもの。

 「アイガモ」は「アヒル」と「マガモ」を交配させたもの。
 ほとんどの店の鴨南蛮はアイガモが使われ、
 野性のマガモを食べさせる店は少なくなっているそうな。

       「 寒入りは まず鍋焼きに 鴨南蛮 」  筆者


       万葉集668 (鴨の季節)完


     次回の更新は1月26日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-18 17:08 | 動物

万葉集その六百六十七 (黄金色の森)

( 落葉道  自然教育園 東京目黒 )
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( コナラ    同上 )
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( ケヤキ   日比谷公園 )
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( ハン    自然教育園 )
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〈オギ     同上 〉
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〈 同上 )
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〈 オギの中で枯れずに頑張っているマユミ  同上)
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〈 枯れても葉が落ちない ヤマコウバ    同上 )
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万葉集その六百六十七 (黄金色の森)

「 楽しみは 落葉散り敷く 黄金道
           サクサク踏みて 歩くひととき 」  筆者

カエデ、銀杏、桜、柿、栗などの落葉が終わると、冬木立の下は
フカフカの絨毯を敷きつめたような道が出現します。

そして、枯れた後もなかなか落ちないカエデ、コナラ、ハン、ヤマコウバの葉が
真っ青な空に映え、太陽の光を浴びて黄金色に輝く。

池や沼地に目を転じると、イエローオーカ色の葦、荻、菅などが生い茂り、
枯れても直立したままの立居姿はさながら古武士の佇まいのよう。

そんな景色を求めて、まずは色とりどりの葉が残る自然教育園(東京、目黒)の
「こなら」(小楢)の森へ参ります。
数十本の巨木が林立し折柄の日の光を浴びて美しい。

「 み狩する 雁羽(かりは)の小野の 櫟柴(ならしば)の
       なれはまさらず  恋こそまされ 」
                             巻12-3048 作者未詳

( み狩りに因む雁羽の小野の 楢の雑木ではありませんが
 あなたと馴れ親しむ機会が一向増さず、お会いできない苦しみばかりが
 増す一方です )

「み狩(かり)と雁(かり)羽」:「かり」を掛けた小野の枕詞。

「櫟(柴(ならしば)と馴(なれ))とを掛け「一向に馴染まない(なれはまさらず)」の意
                        「柴」は小さい雑木。
雁羽の小野の所在は未詳。

「み狩り」は天皇、皇族の狩をいう(沢瀉久孝)ので
このあたりに皇室の猟場があったと思われる。

一度関係を持ったのにそれっきり。
そのあと一向に見えないのはどうしたことかと嘆く女。
男は心変わりして足遠くなったのでしょうか。

小楢(こなら)はブナ科の落葉高木で、一般的には楢(なら)とよばれています。
生命力極めて旺盛な樹木で、根元から切断しても、その切り株から
新芽を伸ばして再び大きくなり、古くから薪炭の材料やシイタケ培養の
ホダ木として重宝されてきました。

秋、大量に落とす団栗は鳥、シカ、イノシシ、ネズミなどの大好物です。
「鳥の餌になるので持ち帰らないで下さい」と書かれた立札が。

次は欅(けやき)。
公園、林、街路樹など、どこでも見られる木です。
万葉時代「槻:つき」とよばれ、落葉高木(ニレ科)にもかかわらず、
旺盛な生命力、立居姿の美しさから神木とされていました。

「 早来ても 見てましものを 山背(やましろ)の
                多賀の槻群(つきむら) 散りにけるかも 」
                         巻3-277 高市黒人(たけちのくろひと)

( もっと早くやって来たらよかったのに。
     紅葉した欅の木々は もうすっかり散ってしまっていることよ )

         「山背の多賀」:  京都府綴喜郡井手町多賀周辺。
         「槻群」(つきむら) : ケヤキ(欅)が群生している場所

作者は持統、文武期の歌人で度々三河や吉野行幸のお伴をしており、
この歌も北陸か東国からの帰路で詠われたようです。
「紅葉で知られている多賀に息せき切ってやって来たが、
ついに間に合わなかった」
と残念がっています。

古来、旅の歌は道中の不安や怖れ、故郷への思慕の情を詠うものが多かった中で
黒人は自然の風物を感覚的にとらえて旅を楽しんでいる様子を詠い、
この歌も新しい境地の一首とされています。

「けやき」の語源は「ケヤケキ」即ち「秀でた木」の意。
その風格、品格は松とならぶ樹木界の双璧とされ、古くから船材や橋桁、
枝は海苔栽培の粗朶に用いられました。

「 みちみちの 山の樹の間の 榛紅葉(はりもみじ)
              はやわが心 もえ居たるかも 」   中村憲吉

古代「榛」(ハリ)とよばれた「ハンノキ」はカバノキ科の落葉高木で、
湿った低地や河川沿いに群生し、早春、葉に先立って暗紫褐色の花穂を下に垂らして
咲かせ、花後、松かさ状の小さな実をつけます。

日本列島いたるところに自生し、稲作が広まると収穫後、
木に架けて稲穂を干すために田の畔に植えられ、
農家の人たちはこれを稲架木(ハサギ)とよんでいました。

樹皮と実は染料にし、後世になるとタンニンを抽出して女性の
鉄漿(おはぐろ)などにも用いたそうです。

「 伊香保ろの 沿(そ)ひの榛原(はりはら)  ねもころに
                 奥をなかねそ  まさかし よかば 」
                            巻14-3410  作者未詳

( 伊香保の山沿いの榛原 その榛(はり)の木の根(ネ)ではないが
 そんなにネチネチと心砕いて二人の先の事までこだわらないでくれ。
 今の今さえ幸せであったらそれでいいのではないか 。)

女が男に抱かれながら、「こんな幸せな時間がいつまで続くか心配だ」と
言い募るので男が戸惑いながら、とりなしている場面です。

     「伊香保ろの 沿ひの」 : 伊香保の山(榛名山)一帯

     「ねもころに」 : 元来は「ねんごろに」の意だがここは「くどくど」

     「奥を なかねそ」: 「な」-「そ」は禁止をあらわす言葉 「奥」は将来
                  「かね」は二つのことを兼ねる、ここでは「今も将来も」

     「まさかし よかば」:「まさか」は共寝している今の今 「し」は強調の助辞


東国の方言交りの歌で分かりにくいですが
「なぁ、お前、先の事など心配しないで、今の今を楽しもうや」
というところでしょうか。

「 はらりはらり 荻吹音(おぎふくおと)や 琵琶の海 」  諸九尼

荻(おぎ)には「風ききぐさ」という異名があります。
水辺に繁殖するその草は背丈が高く、細長い葉や茎は風に靡いて
さやさやと鳴る。
それは季節の到来を告げる「荻の声」。

上記の句は荻が琵琶の音色のように奏でていると興じています。

「 妹なろが 付(つ)かふ川津(かわづ)の ささら荻(をぎ)
      葦と人言(ひとごと)  語りよらしも 」 
                        巻14-3446 作者未詳

( あの子がいつも居ついている川の渡し場に茂る 気持ちのよさそうな
  ささら荻。
  そんな素晴らしいささら荻(共寝の床)なのに、世間の連中は
  それは葦(あし)、悪い草だと、勝手に話し合っているんだよなぁ。)

   「妹なろが」:「なろ」は愛称の接尾語

   「付かふ」: 「付く」の継続を表す言葉で洗濯をするため
           いつも寄りついているの意

   「ささら荻」:「ささら」は「さざれ」で小さくて細かい 共寝の床を暗示

   「語りよらしも」: 「語りよろしも」で調子よく語るが如何なものかの意

葦と悪しを掛け、
「あんないい子なのに世間のやつらは悪しざまにいう」とぼやいている男。
宴席で詠われたものかもしれません。


『 「をぐ」という言葉は神または霊魂を招く意で
  霊魂を呼び醒す意味にも用いた。
  だから「をぎ」の名も霊魂に関係した信仰上の意味があったのだ。
  荻は神霊を招き降ろす、
  即ち「招(を)ぐ」ところの「招代 (をぎしろ)」である。

  そのそよぎに神の来臨の声を聞いたのである。
  また、荻がそよそよと揺れることを「そよ」「そそや」などと
  擬声語で現すことがある。
  その「そよ」「そそや」も神の告げを示す言葉である。 』

                (山本健吉: 基本季語500選より要約抜粋)

荻の用途はそれほど多くはありませんが 筵(むしろ)草履、屋根葺き、箒などの
生活必需品に加工されていました。

「 楽しみは  夕日に映える 木のこずえ
                鬱金(うこん)に染まるを  眺め見るとき 」  筆者



           万葉集667(黄金色の森) 完

          次回の更新は12月19日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-11 10:25 | 植物

万葉集その六百六十六 (伊勢の国)

( 伊勢神宮外宮:げぐう 参道 )
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(  同 正宮   衣食住と産業を司る 豊受大御神:とようけおおみかみ を祀る )
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(  同 風の宮 )
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( 宇治橋を渡って内宮参道へ )
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( 宇治橋の下を流れる清冽な五十鈴川 手前の柱は橋を流木から守る木よけ杭 )
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( 伊勢神宮 JRのPRポスター 神々しい雰囲気 )
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( 伊勢神宮 内宮正宮  天照大御神を祀る )
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( おかげ横丁 )
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( おはらい横丁 赤福本店 )
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( 伊勢海老の活き造り  おかげ横丁伊勢丸で)
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(  浜木綿:はまゆふ )
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( 二見が浦 夫婦岩 )
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 万葉集その六百六十六 (伊勢の国)

伊勢といえば伊勢神宮、神風、美しい海、浜木綿、伊勢海老、鮑、真珠。
四方山々に囲まれた盆地に住み、海に無縁の都人にとって憧れの国。
天皇の行幸ともなれば従駕(じゅうが)希望者が続出し、いざ出立の日は
官人、女官、数百人がきらびやかに着飾り、徒歩4~5日の旅を楽しみます。

早朝の清々しい空気の中、神宮に詣で、その神々しさに心洗われて気持を新たにした後、
岩をも砕く荒波、浜木綿が咲き乱れている浜辺、海に潜って鮑を獲る海女などを
目の当たりにした人々は思わず歓声をあげ、夜の宴で美味しい酒や魚貝類に
舌鼓をうったことでしょう。

  「 水澄むや 内宮へ木の橋 匂ふ 」  森高 武
 
万葉集には伊勢海老以外すべて歌に詠みこまれています。
まずは壬申の乱に神風を吹かせて大海人皇子(のち天武天皇)を勝利に
導いたとされる伊勢神宮からです。

「 度会(わたらひ)の 斎(いつ)き宮ゆ  
  神風に い吹き惑はし
  天雲を 日の目もみせず  
  常闇(とこやみ)に 覆ひたまひて
  定めてし 瑞穂の国を  神ながら 太敷きまして ― ― 。」
                   巻2-199 長歌の一部  柿本人麻呂

     度会(わたらひ):伊勢国の郡名 伊勢神宮の所在地

( 度会に斎き奉る伊勢の神宮から 
  吹き起こった神風で 敵を迷わせ
  その風がよぶ天雲で 敵に日の目も見せず天を真っ暗にして
  平定なさった瑞穂の国、 この国を我が天皇(天武、持統)が
  神のままに ご統治遊ばされ ― )

人麻呂が詠った歌の中で最も長く、かつ傑作とされているもので、
戦いの陣頭指揮を執り獅子奮迅の活躍をされた天武天皇の長子、高市皇子が
亡くなった時、当時の活躍の様子を偲び、褒めたたえたものです。

672年、近江朝との戦いを決意した大海人皇子は吉野を出発し
味方を集結させながら鈴鹿,不破の関を越えて近江の戦場に向かいました。
山越え、谷を渡り、難儀しながらようやく四日市北部の朝明川に辿りついたとき、
皇子は遥か南方の伊勢神宮に向かい戦勝と武運長久を祈ります。

歌は乱戦の最中、突然神風が吹き天地が暗闇に包まれて敵が混乱しているあいだに
攻め込んで大勝を収め、その結果、天皇が神としてこの瑞穂の国を
統治されていると詠っています。(実際には勝利するまで約1か月かかったようですが)

以来、「神風」は伊勢の枕詞となり、国難に際し必ず天照大神(あまてらす おおみかみ)、
豊受大神(とようけ おおみかみ:衣食住、産業を司る)の二神のご加護があると信じられ、
皇室の氏神を祀る守護神として崇められます。

天武天皇は即位後、感謝の意を奉げ、未婚の皇女(大伯皇女:おおくのみこ) を
神に奉仕させるため斎王(さいおう)に任命、神宮に派遣して絆を強化してゆきます。

斎王の始原は崇神天皇の代と伝えられていますが、その後途絶えており。
制度化されたのは天武時代が初めて。
一代一人限りの任命とされ、以降、南北朝時代まで続けられました。

「 大海(おほうみ)の  磯もとどろに  寄する波
       われて砕けて  さけて散るかも 」    源 実朝

伊勢神宮の参拝終わったあとは憧れの海へ。
荒波が岩礁にあたって砕け散る勇壮な場面が出現し、実朝の名歌は
次の一首を本歌取りしたものです。

「 伊勢の海の 磯もとどろに 寄する波
      畏(かしこ)き人に 恋ひわたるかも 」   
                           巻4-600 笠郎女

( 伊勢の海の磯をとどろかして 打ち寄せる波
      その波のように畏れ多いお方に私は恋ひ続けているのです。)

               畏き人:身分が高い人(大伴家持をさす)

作者は大伴家持に恋をしますが、一向に靡いてくれません。
郎女にとっては厳しくも辛い恋。
あらん限りの心情を吐露した24通の恋文をせっせと送り続けましたが反応なし。
遂に諦めて故郷に帰りました。

「 伊勢の海の 沖つ白波 花にもが
        包みて妹が 家づとにせむ 」 
                  巻3-306 安貴 王 (あきの おほきみ)

( 伊勢の海の沖の白波よ。
  これが花であったらなぁ。
  包んで持ち帰り、いとしいあの子の土産にしょうに。)

作者は志貴皇子の孫(天智天皇の曾孫)。
美しい白波を眺めながら都に残してきた愛しい人の顔を思い浮かべています。
流石、歌の名手の血を引くだけにロマンティックな一首です。

「 伊勢の海の 海人の島津が 鰒玉(あはびたま)
     採りて後もか  恋の繁けむ」   
                        巻7-1322 作者未詳

( 伊勢の海人が、志摩のアワビ真珠を採っています。
 もし私がそのような貴重な真珠、すなわちあの女性を得ることができたならば、
 後々まで変わることなく心を引かれ、思いを募り続けることが出来ようか。)

  困難であった恋がまさに成就しようとしているのですが、
  男はその前途に不安を抱いているようです。
  相手は身分違いの高貴な女性でしょうか?

 「島津」は「しまの津」すなわち「志摩」の地名(沢瀉久孝)で、
  当時から鮑、真珠の名産地として知られていました。

 万葉集での真珠は主として白玉と詠われ、水晶をも含む白い玉の総称と
 されていますが、アワビのみは別格。
 特に重んじられたのは、希少であることと、
 ピンクや青色の色彩が極めて美しく、まさに珠玉であったのでしょう。

「 伊勢の海女の 朝な夕なに 潜(かづ)くといふ
        鮑の貝の 片思(かたもひ)にして 」 
                      巻11― 2798 作者未詳

( 私の恋は伊勢の海女が朝に晩に水に潜って採るというアワビ貝のように
  片思いなのです。
  あぁ- この恋心。一体どうしたらよいのでしょう )

アワビは二枚の貝を持って生まれますが、生後十五日ほどで
透き通った片方の稚貝を捨ててしまうため「磯のあわびの片思い」と
詠われています。

水が澄み、潮の流れが良い海底の岩肌に居を定め、海藻を食べながら成長し、
古くは朝廷への貢物、お祝いの食用として重宝され、また干し鮑にして
保存されました。
 
「 み熊野の 浦の浜木綿 百重(ももへ)なす
       心は思(も)へど 直(ただ)に 逢はぬかも ) 
                         巻4―496 柿本人麻呂

    熊野: 三重県牟婁(むろ)郡 温泉としても有名

( 黒潮の洋々たる海辺、浜木綿の葉が幾重にも重なり合い白い花は実に美しい。
  このような素晴らしい光景なのに私の心は貴女にじかに会えないので一向に
  晴れやかになりません。
  まるで浜木綿のあの大きな葉が重なり合っているような重々しい気分です。
  貴女に対する熱い想いはあの黒潮の海のように広くて大きいのですが- -)

690年 持統天皇行幸された折の一首。
当時、人麻呂は朝廷の美しい官女に恋をしていたようです。

 浜木綿は茎の先に咲く白い花が神に祈る時に使う木綿の幣(ぬさ)に
似ているところからその名があり、大きな葉は万年青(おもと)に
そっくりなので、「浜おもと」とも。
群生し百合に似た甘美な香りを浜一面に漂わせます。

  「 浜ゆふや はら一ぱいの 花ざかり 」  沾圃(てんほ)

    「はら一ぱい」: 原一杯と腹いっぱい(満足、満足)を掛けているか。
             

江戸時代、「伊勢詣で」は「おかげまいり」と称して爆発的に流行しました。
十分な旅費がなくても道中で無料の食べ物、施行宿があり、神様や街道の
おかげで参宮出来たのです。

以来、現在に至るまで参拝者が絶えることなく大賑わい。
平成25年の年間参拝者は、なんと過去最高の1420万人に達したそうです。

おかげ横丁に入ると昔の面影を残す店の佇まい。
松坂肉、鮑、伊勢海老、赤福餅、美味しそうなものがいっぱいです。

特大の伊勢海老をお造りと焼き海老にしてもらいました。
美味い! 
満ち足りた万葉伊勢の旅。
またいつか訪れたいものです。

   「 伊勢海老の 髭の見事や 生きて着く 」 宮下翠舟


            万葉集666(伊勢の国)完

           次回の更新は1月12日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-04 15:56 | 万葉の旅

万葉集その六百六十五 (新年の歌:戌)

( 謹賀新年 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 吾妻山公園 神奈川から)
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( 本年は戌年  国立新美術館で )
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( 招福干支  東京人形町 )
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(   同上 )
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( おかげ犬 主人の名前を書いた袋を首に下げ伊勢詣でをしたそうな 伊勢おかげ横丁で)
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( 一刀彫  奈良 )
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( 土鈴の犬:神楽坂  起き上がり小法師(会津)  自宅で)
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( ポスター  図書カードPR用 )
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万葉集その六百六十五 (新年の歌:戌 )

「 新(あらた)しき 年の初めの 初春の
    今日(けふ)降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)」 
                         巻20-4516  大伴家持

( 新しい年の初め、この初春の今日降る雪のように
  めでたいことも次々と積み重なれ。 )

「いやしけ」: あとからあとから絶えることなく。

759年、因幡国庁(鳥取県)での賀宴で詠われたもので
万葉集掉尾(ちょうび)を飾る一首。
当時、正月の大雪は豊年の瑞兆と考えられており、さらに、
この年は暦の上で元旦と立春が重なるという吉日。
幾重にもめでたい新年の歌です。 

「 春立つや 新年ふるき 米五升 」  芭蕉

「ふるき米」は旧年中に人が瓢箪にいれてくれた米。
「さぁ、我家のひさごは米五升も入って心豊かな新年がやってきた。」と寿ぐ作者。

 「 犬ころが 越後獅子より あざやかに
        舞ふとて二人 手のひらを打つ 」 与謝野晶子
                                   犬ころ:子犬

本年の十二干支は戌、動物は犬が当てられています。
「戌」は「一」と「伐(ほこ)」を組み合わせた会意文字で、もともと
「刃物で作物を刈ってひとまとめに締めくくり、収穫する」意であったそうですが
干支名となったので原義が忘れられ「犬」と同義語になっています。

また「犬」は「いぬ」を描いた象形文字。
犬と戌がなぜ組み合わされたのかは定かではありません。

犬はあらゆる動物の中で最も古い家畜の一つとされ、今から2万年も前から
先祖である狼かそれに似た動物を長年にわたって飼い馴らし、交配を重ねて
生み出されたものと考えられています。

我国では縄文時代の遺跡から出土した骨などから、人々の良き伴侶して
生活をしていたことが窺われ、その祖先は今日の秋田犬と推定。
大和朝廷では「犬養部」という専門部署を設けて狩猟、警備、労役、軍用、
愛玩用に飼育させる重要な動物でした。

万葉集では3首(うち長歌2)。
次の歌は番犬として詠われたもので、まずは訳文から。

「 赤駒を 馬屋に立たせ 黒駒を馬屋に立たせ
  そいつを大事に世話して 私が乗って行くように
  可愛いい妻が おれの心に乗りかかってきてさ。(男の思い) 」

 「 そうそう、高い山の峰のくぼみに
   射目を設けて鹿猪(しし)を 待ち伏せるように
   寝床を敷いて 私がお越しを待っている方なのだから
   犬よ、やたらに吠えないでおくれ。 (女の思い)  」 
                           巻13-3278 作者未詳

訓みくだし文

「 赤駒を 馬屋に立て 黒駒を 馬屋に立てて
  そを飼ひ  我が行くごとく
  思ひ妻 心に乗りて

  高山の 峰のたをりに
  射目(いめ)立てて  鹿猪(しし)待つごとく
  床敷きて 我が待つ君を
  犬な吠えそね 」
                  巻13-3278  作者未詳

 赤駒: 栗毛の雄馬
          赤駒、黒駒の対句によって勢ぞろいして馬に乗り
          狩りに出かける様子を述べる

     そを飼い: 赤駒、黒駒を大切に飼育し

     心に乗りて: 我が心に乗っかって離れない

     峰のたをりに: 「たをり」峰続きの山の低くなった部分、鞍部で動物の通路

     射目:鳥獣を射るために身を隠す場所

     床敷きて: 共寝するために予め自分の着物を敷くこと
 
 狩猟における収穫の宴の場で身振り,所作を交えながら
 寸劇を演じたものと思われ

「 我家の守りについているワン公よ、私の恋の邪魔立てをするんじゃないよ」と
おどけたユーモラスな一首。

伊藤博氏は
「 健康に満ちた、古代の狩場の高笑いがじかに聞こえてくるような歌で
  興趣が尽きない。
  生産に直結する男女のかような関係を、身をもって興じることは
  幸の寿ぎにつながり、人々の歓楽をこよなく誘ったのであろう 」
  と評されています。

 「 かろやかに 駈けぬけゆきて ふりかへり
            われに見入る 犬のひとみよ 」   若山牧水

犬は古くから作物の獣害を追い払う霊性をもつ神の使いとされていました。
大和朝廷では薩摩隼人(狗人:くびと ともいう)を宮廷の警護や儀式役に任命し、
隼人は見廻りにあたって吠声(はいせい)を発していたそうです。

「吠声」とは犬の吠える声をまねたものですが、邪神、悪鬼を追い払い
あたりを祓い清める呪術とされ、日常の警護のほか天皇の行幸の際にも
大声を出しながら先頭を歩き、さらに幕末に孝明天皇の大嘗祭でも
隼人発声がなされたといわれています。

現在いたるところの神社にみられる狛犬はこのような犬の霊性が
具象化されたものでしょうか。

  「 犬吠(ほえ)て 里遠からず 冬木立 」 正岡子規


   ご参考: 戌年生まれの一代運勢

正直で義理堅く、自尊心が強い。
おおむね他力本願で成功する天運。
したがって謙虚にして、目上に従えば中年になって抜群の出世をする。
但し、強情さを謹んで謙虚にしないと、悔いの多い人生を送る憂いがあるので要注意。

               ( 十二干支の話題辞典 加藤迪男 東京堂出版より )


     
       万葉集665 (新年の歌 戌) 完


     次回の更新は1月5日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-01-01 00:00 | 生活