<   2018年 02月 ( 4 )   > この月の画像一覧

万葉集その六百七十三 (梅に鶯)

( メジロ 皇居東御苑 )
b0162728_15173349.jpg

( ウグイス  山の辺の道  奈良 )
b0162728_15174614.jpg

( 凛と咲く白梅  皇居東御苑 )
b0162728_15175917.jpg

( 月ヶ瀬梅林  奈良 )
b0162728_15181457.jpg

( 同上 )
b0162728_15183963.jpg

   万葉集その六百七十三 (梅に鶯)

「 りんりんと 梅枝のべて 風に耐ゆ 」 中村汀女

清楚で気品が高く、早春百花に先駆けて咲く梅は呼び名も多く、 
好文木(こうぶんぼく)・春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)、
風待草(かぜまちぐさ)、初名草(はつなぐさ)、さらに、花の兄(え)とも
よばれています。

「花の兄(え)」とは室町前期の連歌師、浅山梵燈(ぼんとう)の
「よろづの草木の先に花開くがゆゑに、花の兄と申すなり」(袖下集:そでしたしゅう)
に由来するそうな。

一方、鶯も梅の花咲く頃、人里近くで鳴くので「春告げ鳥」の異名があり、
その鳴き声が「ホーホケキョ」(法 法華経 )と聞き慣わされているところから
経読鳥(きょうよみどり)とも。
詩歌での「初音」は鶯とホトトギスのみに使われる専売特許です。

古くから人々に愛された梅と鶯。
万葉集では梅119首、鶯51首も詠われており、いずれも待望の春到来を
寿ぎ喜ぶ歌ばかり。

まずは、梅、鶯を待ちきれずの歌から。

 「 春されば ををりに ををり うぐひすの
          鳴く我が山斎(しま)ぞ   やまず通はせ 」   
                              6-1012 古歌

( 春ともなれば 枝も撓むばかりに花が咲き乱れ
     鶯が来て鳴く我家の庭園です。
     その時になったら、ぜひとも欠かさずにお出でくださいませ。)

      「春されば」: 春になったら
      「ををりに ををり」: 花が咲き撓むことをいう
      「山斎」(しま):  林泉や築山がある庭園

正月も過ぎたころ、古い歌舞を扱う役所の官人たちが、
葛井広成(ふじい ひろなり)宅に招かれて宴を催した時の一首。

古歌とされていますが、実際は主人広成が作って披露したものと思われます。
この歌の前に梅が詠みこまれているで、枝も撓むほどに咲く花は梅。

女性の立場で詠ったらしく、間遠くなった男の訪れを少し皮肉り
「 歓待してさしあげますから、しょっちゅういらして下さいね」と
おどけて詠ったものです。

そして、いよいよ春到来。

  「 うぐひすの 春になるらし 春日山
           霞たなびく 夜目(よめ)に見れども 」
                       巻10-1845  作者未詳

( 待ちに待った鶯の鳴く春になったらしいなぁ。
  春日山に霞が棚引いていることが夜目に見てもはっきり分かるよ。)

霞が棚引くのは春到来のしるし。
作者は毎日朝夜となく、春日山を眺め今か今かと待っていたのでしょう。
歓喜雀躍している様子が感じられる一首です。


「 春の野に 鳴くや うぐひす なつけむと
     我が家(へ)の園に 梅が花咲く 」 
                  巻5-837 算師 志氏大道 (さんし しじの おほみち)

( 春の野で咲く鶯、その鶯を手なずけようとして
  この我らが園に 梅の花が咲いているよ。 )

なつけむと:なつけようとして
算師: 租税、経理などの仕事を司る官人

730年 大宰府帥、大伴旅人邸で行われた梅花の宴での歌32首のうちの1首。
総勢32名余の歌会は我国詩歌史でも画期的な出来事です。
歌の趣旨は鶯の鳴き声を聞きたい時にいつでも鳴かすことができるよう
梅の花が自身の魅力で引き付け、飼い馴らそうとしているようだ、
というのです。

「 わがやどの 梅の下枝(しづえ)に 遊びつつ 
          うぐひす鳴くも 散らまく惜しみ 」
                 巻5-842  薩摩目 高氏海人 (さつまのさくわん かうじのあま )

( この我らが庭の梅の下枝を飛び交いながら、鶯が鳴きたてている。
  花が散るのをいとおしんで。)

作者は薩摩の国の下級官吏。
鶯は時として玉をころがすような美しい声で「ケキョケキョ」と続けざまに鳴く
ことがあり「鶯の谷渡り」といいます。
秋冬になると「チヤッ チヤッ」という鳴き声に変わりこれを「笹鳴き」というそうです。

鶯は梅よりも笹や竹藪など低木の林を好んで棲みます。
鶯は梅と取り合わせて詠われることが多いのは、共に春の先駆けの象徴として
採りあげられた絵画や詩歌の世界、とりわけ中国文学の影響が大きいようです。

鶯が梅に来る時は、木に付着した害虫(蛾の幼虫)を食べにくるからとされ、
普段梅と戯れているのはメジロが多く、鶯は滅多に見かけません。

   「 勅なるぞ 深山鶯(みやまうぐいす) はや来鳴け 」  正岡子規

         ( お上の命令であるぞ、鶯よ すぐ山から降りてきて 早く鳴け )

番外編 (鶯いろいろ)

その一.『 富山、岐阜、愛知では鶯のことを「オグイス」という。
       古くは大(オホ)を「ウ」と 訛ったから、
       かって「ウグヒス」は「大食ス」(オオグイス)と聞こえたはずでまさに万葉調。

        歌に詠まれる名鳥の名の起源が必ずしも優雅なものとは 限らない。』
                             (歳時記語源辞典 橋本大三郎著 文芸社より)

その二 『 「出雲の国(島根県) 嶋根郡の法吉(ほほき)の郷には
        次のような地名起源伝承がある。
        「神魂命(カム ムスビノ ミコト)の御子(みこ)であるウムカヒメの命が
         法吉鳥(ほほきどり)となって飛び渡り、ここに鎮まりましき。
         故にこの地を法吉(ほほき)という。」

        風土記にしても、万葉集にしても鳥や動物は数多く登場してくるが、
        その声を具体的に捉えて地名になる例は希少である。
        ホホキ郷の場合、ウムカヒメが鳥に化身して、この地に飛んできて
        鎮座したという内容である。

        鳥は神の使いとする考えは神話にあるから、この場合鶯が
        ウムカヒメの化身と考えられる。

        この「法吉」は鶯の鳴き声を文字に捉えた珍しい例で
        ホーキあるいはホキと聞き写したか、
        少なくとも今のホーホケキョとする聞きなしではなかったようだが、
        近いところも感ぜられる。

        古代の出雲の国でとらえられた例であるが、仏典「法華経」の
        使者のような鳴き声としてとらえられる以前の聞き写しと
         いうことになる。 』
                          ( 音感万葉集 近藤正義著 はなわ新書より)
  
その三、  『 「和漢三才図会」(寺島良安)という江戸時代の書物に、
         「鶯の産地は奈良が第一、関東産の鶯は鳴き声が濁っている」
         としている。
         そこで元禄のころ、上野の公弁法親王という人物が
         京都から3500羽の鶯を取り寄せて根岸の里に放したところ
         大いに繁殖し、後に江戸を代表する鶯の名所となり
         「初音の里」とも称されるようになった  』
                             ( 万葉の動物に寄せて 角海 武  自家出版 )

根岸の里は江戸時代、粋人の別宅が多かったところで、
JR山手線「鶯谷」の駅名はその名残。

当時の根岸は上野の北東、日暮里、根津、千駄木一帯を含む
広範囲な地域だったそうな。

   「 雀より 鶯多き 根岸哉(かな) 」 正岡子規


     万葉集673(梅に鶯)  完


    次回の更新は3月2日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2018-02-22 15:20 | 動物

万葉集その六百七十二 (足柄の箱根 )

( 富士山  三国峠から )
b0162728_16152043.jpg

( 箱根山は列なる山々の総称  手前芦の湖 )
b0162728_1615338.jpg

( 駒ヶ岳山上から芦の湖 )
b0162728_16144360.jpg

( 駒ヶ岳の杉並木 )
b0162728_16142874.jpg

( 大湧谷 )
b0162728_1614789.jpg

( 懐かしの映画 箱根山のポスター )
b0162728_16134920.jpg

( アマドコロ 万葉名:にこ草  暮らしの植物園 佐倉市 )
b0162728_1613343.jpg

万葉集その六百七十二 (足柄の箱根)

奈良時代、足柄は上下二郡に分かれ、箱根は足下郡(あしのしもぐん)に属する
山地でした。
東海道の箱根路はまだ開かれておらず、都との往復は駿河の横走駅(御殿場市)から
足利峠(759m)を越えて相模の国に入り足上郡の坂本駅(南足利市関本)に達する
官道を利用していたそうです。
駅とは公用の旅行や通信の為に馬や船、人を常備している場所をいいます。

日本紀略によると、
「 平安時代、桓武天皇802年、富士山が噴火して通行できなくなったので
  箱根路を開いたが、翌年足利路は復旧された」
という記録があり、その後噴火の心配がない箱根峠を通る街道が
次第に整備され、現在に至っております。

万葉集では「箱根」という地名が見られますが、すべて「足柄の箱根」と
詠われており、その地名の由来は、

「足柄」: 足柄山の杉材で造った船の足が軽くて速いことから
       足軽→足柄に転訛された。

「箱根」:「箱」は「山の形が箱型」であるため、
      あるいは古代、急な崖を「ハケ、ハコ、ホキ」などと呼んだことにより
      「崖のような斜面が多い」の意。

「根」は「嶺、山」を意味しているそうです。

 
「 足柄(あしがら)の 箱根飛び越え 行く鶴(たづ)の
      羨(とも)しき見れば  大和し思ほゆ 」
                           巻7-1175 作者未詳

( 足柄の箱根の山を飛び越えて行く鶴、
  その鶴が羨ましくも都をめがけて飛んでゆくのが見える。
  あぁ、妻のいる大和が懐かしくて仕方がない。)

作者は都から東国に向かって旅をしているのでしょう。

足柄峠を越える途中、西に向かって飛んでゆく鶴をみて、都が懐かしく
思い出された。

富士山の美しさに感激しながらも、早く都に帰り、愛する妻子に会いたいと
望郷の念を募らせています。

「 足柄(あしがら)の 箱根の山に 粟(あは)蒔きて
        実とは なれるを 粟無くも あやし 」 
                           巻14-3364 作者未詳

( 足柄の箱根の山に粟を)蒔いて 見事にに実ったというのに粟がないとは
 一体どういう事なのだ。)

「粟なく」に「逢わなく」が掛けられており、
「一生懸命育んだ愛なのに、あの子に逢えないとは一体どういうことだ」と
嘆く男です。

女が心変わりしたのか、親が反対しているのか。
からっとしており、畑仕事の作業歌(伊藤博)、あるいは歌垣で詠われたもの
かもしれません。

「 足柄(あしがら)の 箱根の山に 延(は)ふ葛の
      引かば寄り来(こ)ね 下なほなほに 」 
                    巻14-3364 作者未詳(或る本の歌)

( 足柄の箱根の山に延いまわる葛を引っ張るように
  俺が引っ張ったら、素直にこっちへ来てくれよね。)

       下なほ なほに : 「下」:心底 
       「なほ なほに」:「直直に」で「素直に」

前の歌と同番号で掲載されていますが、内容が違うので、同じく
作業歌だったのかもしれません。
素朴な詠いぶりで、当時葛を引いて収穫する作業は女性の仕事、
束ねて運ぶのは男の仕事だったようです。

「 足柄(あしがり)の 箱根の嶺(ね)ろの にこ草の
    花つ妻なれや 紐解かず寝む 」 
                       巻14-3370 作者未詳

( お前さんが箱根山の嶺に咲いている「にこ草の花」のように手が届かない
  聖女の花妻ならば仕方がないが、そうでないのだから共寝しょうよ。
  何で嫌だと言うのかねぇ?)

「花つ妻」は花のように美しい妻、あるいは新妻。
美しい万葉人の造語です。

何らかの事情で夜の共寝を拒絶された男の嘆き節と思われますが、
拒絶されたのは、神祭りの時など触れてはならない期間、あるいは月の障り?
男の恨めしげな顔が目に浮かぶようです。

折口信夫氏は「結婚前、ある期間厳粛な隔離生活をする処女」とされていますが
結婚後でも新嘗祭などで一定期間精進潔斎する人妻の歌がみられるところから
結婚の有無に関わりなく神に仕えている間の女性か。

「にこ草」:  ハコネシダ、アマドコロ説あるも未詳
         「似児草」「和草」の字が当てられており
         「花が咲く柔らかい草」の意とも。

   「 春祭り  足柄峠  下り来れば 」  平野青坡


        万葉集672 (足柄の箱根) 完


        次回の更新は2月23日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2018-02-15 16:16 | 万葉の旅

万葉集その六百七十一 (菅笠恋歌)

( カサスゲと花穂  奈良万葉植物園 )
b0162728_15553277.jpg

( 冬のカサスゲ   自然教育園  東京 目黒 )
b0162728_15551475.jpg

( 乾燥したカサスゲ   国立歴史民俗博物館  佐倉市 )
b0162728_15545053.jpg

(  菅笠  同上 )
b0162728_1554337.jpg

( 新潟日報の記事  )
b0162728_15541598.jpg

  万葉集その六百七十一 (菅笠恋歌)

菅(すげ)はカヤツリグサ科スゲ属の総称とされ、平地の湿地や沢などに生える
大型の多年草です。
その種類は多く約60種以上もありますが、単に「スゲ」と言う場合は
「カサスゲ」をさすことが多いようです。
カサスゲの草丈は約1m、茎は多数かたまって群落を作り、
初夏に茎の頂に長さ5~8㎝の雄花穂、その下側に2~3個の円柱形をした
雌花穂をつけますが、目立たないのでよく観察しないと分かりません。

古代の人たちは自生、あるいは水田で栽培したものを刈り取り、
乾燥させて菅笠や蓑を作っていました。
蓑笠は雨や寒さ,日ざしを避(よ)ける生活必需品で旅のお供にも欠かせない存在。
万葉集に49首、「菅の根」「菅笠」「菅枕」「白菅」などと詠われ、
大半が恋の歌です。

「 三島菅 いまだ苗にあり 時待たば
       着ずやなりなむ 三島菅笠 」 
                   巻11-2836 作者未詳

( 三島の菅はまだ苗のままだ。
     だからといって笠を編む時まで待っていたら、身に付けずになりはしまいか。
     その三島の菅笠を。)

この歌は将来結婚をするつもりの幼い少女があまりにも可愛いので
放っておくと他の男に横取りされやしないかと心配している場面です。

なぜそのようなことが分かるかと言うと、「譬喩歌」という個所に
分類されているからで、

「菅のいまだ苗」に「まだ幼い恋人」、
「着る」は「結婚する」
「三島菅笠」は「成人した女」に譬えています。

「三島」は現在の三島ではなく、もと摂津国三島郡 淀川下流一帯。

菅笠は生産地それぞれの特色があったらしく、「有馬菅」「難波菅笠」
「白菅」「岩本菅」などとよばれています。

「 大君の 御笠(みかさ)に 縫へる有馬菅(ありますげ)
      ありつつ見れど 事なき我妹(わぎも) 」  
                              巻11-2757 作者未詳

( 「大君の御笠に」と縫っている有馬の菅。
  その名ではないが、ありつつ - ずっと見続けているあの子は
  わが伴侶として申し分ないなぁ。)

有馬菅は摂津(兵庫県東南部と大阪府北部)の名産。
この歌では素晴らしい女性に譬えられています。

「大君」は天皇、いささか大げさな表現ですが、
帝に献上するほど立派な品と同様、自分が選んだ女性は素晴らしいと
言いたかった、とびっきりのお惚気。

「 み吉野の 水隈(みくま)が菅を 編まなくに
    刈りのみ刈りて  乱りてむとや 」  
                     巻11-2837  作者未詳

( み吉野の川隅に生える菅、この菅を編み上げもしないのに
 刈り取るだけ刈って、散らしっぱなしにしておくつもりですか。
 あなたは。)

「菅」:女性自身。

「編まなくに」:「妻にしようとしない」

「刈りのみ 刈りて」: 「 関係を持ちっぱなしで責任を取ろうともしない」

「乱りてむ とや」 : 「とや」相手の意中を反語的に推測する語法
              ここでは「放りっぱなしにするつもり?」の意

体の関係を持ちながら、結婚をしようともしない男の不誠実をなじる女。
それにしても面白い譬え方をするものです。

「 高山の 巌に生(お)ふる 菅の根の
          ねもころごろに  降り置く白雪 」 
                      巻20-4454    橘諸兄

「ねもころごろに」: 根がびっしり凝り固まる状態
             ここでは雪がくまなく降り積もっている様子。
             本義は「ねもころに」で「ねんごろに」の意。

( 高い山の巌に根をおろしている菅。
 その菅の根ではないが、ねんごろに隅々まで置いている白雪の
 なんという鮮やかなことよ。)


756年1月4日、左大臣橘諸兄が子息、奈良麻呂宅で親しい人たちと
宴をした折の1首で、高い山、長い菅の根、降り積もった白雪など
めでたいものを詠みこみ、我が子を祝福したもの。

当時、孝謙女帝の時代。
寵を得た藤原仲麻呂の専横の振る舞いが多く、諸兄は苦々しく思っていたのでしょう。
つい朝廷批判の言葉を漏らしたと密告され失脚の原因となった酒席。
心許した部下ばかりのはずが- -。
口は災いのもと油断大敵です。

「 ゆく道に 隧道(すいどう)の口  見えにしが
            山菅背負ひて 人いできたれり 」   古泉千樫

             隧道: 山腹や地中をうがって通した道 トンネル。

菅は7月頃刈り取られ天日干しにして保存され、雪の季節になると
編まれて蓑笠、莚(むしろ)、草履などに変身します。
古くは農作業閑静期の夜なべ仕事だったのでしょう。

菅笠は今でも野良仕事や四国八十八ケ所巡礼お遍路の旅などの必需品。
海外からの客人にも大人気で、お土産に持ち帰る人も多いそうな。

  「 菅笠を 上げて眺むる  讃岐富士 」     筆者

              讃岐富士: 丸亀、坂出市境にある飯野山

             万葉集671 (菅笠恋歌)   完


            次回の更新は2月16日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2018-02-08 15:57 | 心象

万葉集その六百七十 (雪の歌)

( 筑波山雪景色 )
b0162728_14301115.jpg

( 箱根 強羅 )
b0162728_14294843.jpg

( 高千穂神社  佐倉市 )
b0162728_14292233.jpg

( 雪の梅  皇居東御苑 )
b0162728_14285760.jpg

(  桜の蕾  同上 )
b0162728_14284139.jpg

(  木の枝が美しく映える 皇居東御苑 ) 
b0162728_14282162.jpg


   万葉集その六百七十 (雪の歌)

雪は古くから詩歌、文学の好材料とされ、万葉集で150余首も詠われています。
特に古代大和では冬の厳しい寒さにもかかわらず、積雪が少なく、
稀に大雪になると子供のようなはしゃぎよう。
加うるに白雪は白米とみなされ、豊穣のしるしとして為政者も寿ぎ喜んだのです。

「 大宮の 内にも外(と)にも めづらしく
       降れる大雪  な踏みそね惜し 」  
                 巻19-4285 大伴家持

( 大宮の内にも外にも一面に 珍しく降り積もっている大雪。
 この見事な雪を踏み荒らしてくれるな。勿体ない。)

753年、正月11日 都に大雪、新暦2月中旬の頃です。
佐保の自宅から出仕してきた作者は宮中の広場の足跡もない美しい景色を
目の当たりにして、心躍る思いだったのでしょう。
感動と喜びがあふれる一首です。

     「な踏みそね」:「な」-「そね」禁止を表現する語法


「 松陰の 浅茅が上の 白雪を
          消たずて置かむ ことは かもなき 」  
                    巻8-1654   大伴坂上郎女

( 松の木陰の上の白雪、
  この雪をそのまま消さないで残しておく手だてがないのが残念です。)

   ことは かもなき: 「こと」は「事」で「手段」 
               「かも」は疑問 

周囲の雪が消え、松陰にのみ わずかに消え残る雪に深い愛惜を述べたもの。
万葉人がいかに雪を珍しく、また、好ましく思っていたのか窺われます。


津軽の雪は「こな雪」「つぶ雪」「わた雪」「みず雪」「かた雪」「ざらめ雪」
「こおり雪」 (太宰治著 津軽 新潮文庫) とよばれているそうですが
万葉集では単なる「雪」と詠ったもの(105首)、淡雪(15)、み雪(14)、白雪(8)、
大雪、雪解,霜雪、はだれ、初雪など負けず劣らず多彩な表現がなされています。

いずれも「雪よ降り積もれ」と詠ったものが多い中、次の歌は恋人との逢瀬を前にして、
「雪よ降るな」と願った珍しい例です。

「 わが背子が 言(こと)うるはしみ 出(い)でて行(ゆ)かば
      裳引き(もびき)しるけむ  雪な降りそね 」 
                            巻10-2343  作者未詳

( あのお方の優しいお言葉に引かれて外に出て行ったら
  裳を引きずった跡がはっきり残ってしまいます。
  雪よ! そんなに降り積もらないでおくれ。)

   「 言(こと)うるはしみ 」: 「やさしさに心惹かれる」の意
   「 裳引きしるけむ 」 : 「裳の裾を引きずって歩いた跡」の意

今日は待望のデートの日。
男は「家の近くに来たら合図をするから出てこいよ」と約束してくれた。
ところが生憎、雪が降りしきっている。
スカートのような長い裳を引きずって行ったら跡が残ってまわりのものに
知られてしまう。
恋は秘密にというのが当時の定め、噂になったらどんな中傷があるか分からない。

「 どうしょう、雪よ積るな、消えておくれ。」

と天を仰ぎながら願う乙女です。

  「 大原の をか(丘)の お神が 降らす雪
            大和国はら(原)   道もなきかな 」   上田秋成

江戸時代後期、雨月物語で知られた作者は雪の秀歌を多く残しました。
上記の歌は万葉集から本歌取りしたものです。

「 わが岡の おかみに言ひて 降らしめし
                 雪の砕けし そこに散りけむ 」    
                        巻2-104 藤原夫人(ぶにん)

( 恐れながらこの雪は私が岡の水の神に言いつけて
      降らせたものでございますよ。
      その雪のかけらがそちらに散ったのでございましょう)

ある日、飛鳥、浄御原(きよみがはら)宮に大雪が降った。
喜んだ天武天皇は実家に帰っている側室、藤原夫人に次のような歌を届けた。
夫人がいる大原(明日香村小原)は、天皇の住居と500mも離れていないのに、
「お前の住む大原は古ぼけた田舎の里」と揶揄され、

「 わが里に 大雪降れり 大原の
    古りにし里に 降らまくは後(のち)」  
                        巻2-103 天武天皇

( オ-ィ わが里に大雪が降ったぞ! 
  そなたは今、大原に里帰りしているようだが
  その古ぼけた里に降るのはずっと後のことであろうなぁ。 )

藤原氏は先祖中臣氏以来、宮廷に伝わる聖なる水の信仰を管理する家柄で
夫人は「 雪をも司る水の神、竜神の本家はこちらでございますよ。
ご自慢なさるのはおかしいわ 」と やり返し、さらに

天皇の「里」に対して「岡」 「大雪」に対して「雪の砕けし」 
「降る」に対して「散る」と機知あふれる応対をされたもので、
二人の仲睦まじい様子が頬笑ましい一幕です。

「 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
          吉野の里に 降れる白雪 」 
                        坂上是則 古今和歌集 百人一首

「朝ぼらけ」: 夜がほのぼのと明けるころ。

大和の吉野で旅寝の朝、目をさましてみると外がぼうっと明るんでいる。
有明の月の光がさしこんでいるのかしら、といぶかって見ると
夜のあいだに一面薄雪が降り敷いていた。
明け方、まだ人の動きも見えない静まりかえった山里。
静寂、清々しさを感じさせる秀歌。
作者は征夷大将軍、坂上田村麻呂の四代の子孫と伝えられています。

「 竹ほどに 直(すぐ)なる物は  なけれども
                ゆきゆき積もれば  末はなびくに 」   隆達小歌

      ゆきゆき: 雪々と行々を掛けている

( いかに真っ直ぐ立っていようとも、雪が積もれば竹だとて
  しまいには枝を垂れなびかせる。
   あの子だって、この俺が行き行き、頻繁に通えばきっと靡くさ。 )


        万葉集670 雪の歌 完


         次回の更新は2月9日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2018-02-01 14:31 | 自然