<   2018年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧

万葉集その六百七十八 (奈良の桜)

( 浮御堂  奈良公園 )
b0162728_20243225.jpg

( 大仏殿の裏から二月堂にかけて桜が多い )
b0162728_20241283.jpg

( 薬師寺遠望  大池前の公園より )
b0162728_20235071.jpg

( 河俣神社前を流れる曽我川  ここから金剛葛城連山が望まれる  近鉄南大阪線坊城駅徒歩5分)
b0162728_20233479.jpg

( 耳成山   藤原京跡の近くで )
b0162728_20231178.jpg

( 美和の森 後方三輪山  山の辺の道 )
b0162728_20224731.jpg

(  長谷寺  桜が終わると牡丹 )
b0162728_20222567.jpg

万葉集その六百七十八 (奈良の桜)

奈良の桜といえば

「 いにしへの 奈良の都の八重桜
    けふ九重(ここのへ)に にほひぬるかな 」  
                 伊勢大輔(いせのたいふ) 詞花集 百人一首


と詠われた八重桜。
ところがナラヤエザクラという品種は増殖力が弱い上、管理を怠ったためか
今はほとんど見られなくなっているのは誠に残念至極です。

「 『 いにしへの 寧楽(なら)のみやこの やえざくら 』―
              ふとくちずさみ 涙うかべり  」    土岐善麿

しかしながら山桜やソメイヨシノなどは

「 あをによし 奈良の都は 咲く花の
   にほふがごとく 今盛りなり 」 
                    巻3-328 小野 老(おゆ)


と昔のまま。

又兵衛桜(大宇陀)、仏隆寺の樹齢900年の老樹、氷川神社のしだれ桜などが
よく知られていますが、名もない桜も奈良公園一帯、佐保川、吉野山、
長谷寺、平城京跡は言うに及ばず山辺の道の美和の杜、飛鳥石舞台、
郡山城跡、など旧跡名所いたるところで咲き誇り桜の都は健在です。

「見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 
     咲きにほへるは 桜花かも 」 
                   巻10-1872 作者未詳

( 春日野に霞が一面に立つ中、輝くばかりに色美しく咲く桜は
  今真っ盛りです)

春日野は現在飛火野とよばれる奈良公園一帯です。
浮見堂、東大寺、戒壇院、二月堂周辺に咲く桜も多く、
古い寺院と調和して実に美しい。
さらに奈良県庁の屋上から眺める奈良市内は若草山、春日山、佐保丘陵など
俯瞰でき、春爛漫の景観です。

「 阿保山の 桜の花は 今日(けふ)もかも
     散り乱(まが)ふらむ  見る人なしに 」 
                          巻10-1867 作者未詳

( 阿保山の桜の花は 今日もまたいたずらに散り乱れているだろうか。
 見る人もいないままに )

作者は昨日見た桜の花びらの乱舞が目に焼き付いていたのでしょうか。

「 散る桜の美しさを愛でる人がいないのは惜しいなぁ。
  自分も見たかったのに今日も行けないのが残念だ 」

阿保山は奈良市の西北の丘稜、在原業平ゆかりの不退寺の裏山とされていますが、
その近くに光明皇后が晩年住んでいたとされる法華寺や磐姫皇后の御陵もあり
少し足をのばすと平城京跡。

ここから西の京の薬師寺、唐招提寺、秋篠寺、西大寺も近い。
薬師寺の裏側大池前の公園から桜越しに眺めると東塔,西塔、金堂が
一望でき絵になる景観です。

「 龍田山 見つつ越え来し 桜花
    散りか過ぎなむ  我が帰るとに 」 
                      巻20-4395 大伴家持

( 龍田山、 その山を越える時に眺めながらやってきた桜。
 私が帰る頃には散り果ててしまっているのではなかろうか)

兵部少輔として防人の管理をしていた作者は当時都と難波を頻繁に行き来
していたようです。
龍田山は奈良県生駒郡三郷町の生駒山連峰の一.
難波との往復によく利用されていた道です。
その麓を流れる龍田川は紅葉の名所としても有名。

数年前、佐保丘陵の山道を歩いていると三本の大きな桜が今盛りなりと
咲いていました。
あまりの見事さに下から眺めていると、突然一陣の風が吹き上がって
花を散らしはじめ、前が見えなくなるくらいの花吹雪。
次から次へと舞い上って流れてゆきます。
周りに誰もいない。
ただただ呆然としながら夢の世界に浸っていました。

「 よしさらば こよひは花の蔭にねて
        嵐の桜 ちるをだにみむ 」  小沢蘆庵 

以下は佐野藤右衛門桜守のお話です。

『 桜は全部下を向いて咲くんです。
  ですから中へ入り込んでみて、初めて桜もよろこぶんです。
  横から見てはあきませんものね。
  そやからどんな昔の絵を見ても、みんな幹のまわりで花見を
  してますやろ。
  花が覆いかぶさってくれるのやから、そこへ入ればいいんです。

  - - 桜も早よ来てくれよというて待っているんですわ。
  それを囲んで、人から離してしまうと寂しがりよる。

  わしらでも、桜を見せてもろうたときは自然にぽんぽんぽんと
  幹を叩いてやりまんな。
  そうするとやっぱり花もなびきよるものね。

  ふるふるふると笑いよる。
  その感覚はなんともいえんものがあります。 』
                           ( 桜のいのち庭のこころ 草思社 より )

 桜も「笑ろてんか」なのですね。

  「  花の寺 少女の笑ひ 二間越ゆ 」 飯田龍太


    万葉集678(奈良の桜) 完


    次回の更新は4月6日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2018-03-29 20:26 | 植物

万葉集その六百七十七(修二会:お水取り)

( 奈良二月堂 修二会の大松明 )
b0162728_17552439.jpg

( 同上 次々と登場 )
b0162728_1755852.jpg

( 勢ぞろい )
b0162728_17545443.jpg

( 大車輪 )
b0162728_17543821.jpg

( 飛び散る火花 )
b0162728_17541565.jpg

( 豪華絢爛 )
b0162728_17535456.jpg

万葉集その六百七十七 (修二会:お水取り)

「お水取りが済むと本格的な春到来」。
古くから云い伝えられているこの言葉通り3月14日の今日はポカポカ陽気。

月初から続いた練行衆の厳しい修行も満日を迎え大松明も今夜で終わり。
雄大、豪華絢爛な景観を一目でも見ようと二月堂の舞台の下に数千人の見学者、
さらに海外からの観光客も多数集まっています。
大松明は18時半開始なのに何と昼前から陣取っている人もいるようだ。

「 お松明 燃えて星空 なかりけり 」   開田 華羽

定刻ぴったりに周囲の照明が消されて暗闇に。
長い石段の下から大きな松明が上がってくると「オーー」と、大きなどよめきが
闇夜を揺るがす。

炎が堂上の縁側に上がると、大きく振りかざし風車のようにくるくる回しながら
韋駄天のごとく回廊を駈ける。
四方に飛び散った火花が漆黒の空に舞い上がり舞台の下の参拝者の上に
降りかかる。
その火粉は無病息災のご利益があるそうな。

切れ目なく第2弾、3弾、第4弾。
次から次へと石段を駆けあがり、炎の共演。

大きな火の玉を見ているうちに次の万葉歌が頭に浮かんできました。

「 君が行(ゆ)く 道の長手を 繰り畳(たた)ね
       焼き滅(ほろ)ぼさむ 天(あめ)の火もがも 」

        巻15-3724  狭野弟上娘子(さのの おとかみの をとめ)

( あぁ、あなたが行かれる長い道。
 その道のりを手繰って折りたたんで、焼き滅ぼしてしまいたい。
 神様、そんな天の火を私に与えて下さいませ。)

万葉集中最も有名な絶唱の一つ。

作者は「蔵部女嬬(くらべのにょじゅ)」という天皇の身辺奉仕、雑役に
従事する下級女官で中臣宅守(なかとみやかもり)という人物-
(皇太子の宝物、衣服などを掌る東宮主蔵監に所属する役人)と
結婚したばかりでした。

ところが突然、宅守は勅勘の身となり、越前国府(福井県)の武生に
配流されるという不幸が起きたのです。(740年)
何の罪かは不明ですが政治的な大事件に巻き込まれたのかも知れません。

二人の絶望と悲哀は如何ばかりだったことでしょう。
二人の間で交わされた歌は63首。
万葉屈指の相聞、歌絵巻です。

「 燃ゆる火も  取りて包みて 袋には
          入ると云わずやも  逢はむ日招(を)くも 」 

                      巻2-160 持統太上天皇

( 燃えさかる火さえも 手に取って袋に包み入れることが
      出来るというではないか。
      そういう奇跡が行われるように、天皇にお逢いする日を招き祈っておりますのに
      どうして私の切ない願いが叶えられないのか。)

686年、天武天皇崩御され、殯宮(もがりのみや)で祭礼を行っている期間
(約2年3か月)に詠われた挽歌。

当時火に故人の魂が宿ると信じられ、袋に包むという方術があったのかも
しれません。

なお、「逢はむ日 招(を)くも」の原文「智勇雲」は難訓。
訓み方が統一されていないので「沢瀉久孝著 万葉集注釈」によりました。

「 如月(きさらぎ)を 奈良いにしへの 御ほとけに
         浄(きよ)き閼伽井(あかゐ)を   汲む夜にぞあふ 」  中村憲吉

東大寺の説明文(要約)によると、
「 東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山
良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が
創始されて以来、平成30年(2018)で1267回を数える。

修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」。
十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、
二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)すること。
修二会が創始された古代、天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、
そうした災いを取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、
万民快楽など、人々の幸福を願う宗教行事とされた。

東大寺の長い歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が灰盤に帰して
しまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間
一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきた。

この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、
もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という
意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。

行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、
「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする
「お香水(おこうずい)」を汲み上げ本堂に運ぶ儀式が行われる。

井戸の中には遠く若狭の国から地下水道を抜けて送られた聖水が
湛えられていると信じられており、この水を1年間の仏事に供するため
壺に汲み取っておくのである。

なお、若狭国から聖水が送られる由来は、昔、遠敷(おこう)という若狭の神様が
魚釣りに夢中になり二月堂の参集に遅れたので、お詫びとして、
二月堂のほとりに清水を湧き出させ、観音様に奉ったとの言い伝えによる。」

炎の競演はまだまだ続いていますが、松明はもともと修行僧が石段を上がる足許を
照らすために始められたものが次第に今日のような盛大な儀式になったとか。

万葉集で重要な行事の歌がないのは大仏開眼とお水取り。
それでも大仏開眼は大仏に塗る金が陸奥で見つかったという歌がみえますが、
お水取りは皆無なのは誠に残念。

修二会は秘行なので一般にあまり知られていなかったため、
歌に馴染まなかったのでしょうか。

  「 水取りや 氷の僧の 沓(くつ)の音 」 芭蕉

  ( 修二会の夜、二月堂に参籠していると、
    内陣の寒気を踏み破る行道僧の沓音が堂中に響いた)


         万葉集677(修二会:お水取り)完


        次回の更新は3月30日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2018-03-22 17:55 | 生活

万葉集その六百七十六 (安眠快眠)

( 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花 )
b0162728_17242093.jpg

( カタクリは1年の大半を地中で過ごす眠り姫 )
b0162728_1724797.jpg

( 快眠? エゴンシーレの模写  筆者 )
b0162728_17235040.jpg

( うたた寝 ?  オスカーココシュカの模写  筆者 )
b0162728_17233672.jpg

( 春の夢 パウルクーレ風  筆者 )
b0162728_1723221.jpg

   万葉集その六百七十六 (安眠、快眠)

寒かった冬も過ぎ、ようやく「春眠暁を覚えず」の季節到来。
何物にも代えがたい至福のひとときです。

静かな環境での安眠熟睡。
古代の人達はそのような眠りを「安寐(やすい)」と云っていました。

ところが大伴家持さんは頻繁に歌を交わしあっていた心の友、大伴池主が
越前に転任し、近くにいない寂しさから夜も寝れなくなり、
ホトトギスに友も寝かせるなと詠うのです。

「 ほととぎす 夜鳴きをしつつ 我が背子を
     安寐( やすい)な寝しめ ゆめ心あれ 」 
                        巻19-4179 大伴家持

( ホトトギスよ 夜鳴きをし続けて、わがいとしい人に
  安眠などさせてくれるなよ。
  わが意を体して、ゆめ怠るでないぞ。)

時鳥の声を一人で聞くのはあまりにも寂しいので、
「 池主を寝かさないで鳴き続けてくれ、そして共に過ぎし日を思い出そう」
と恋歌仕立てで詠ったものです。

いささか大げさな感じがいたしますが、心を許した友が身近にいなくなった
寂しさ伝わってくる1首。

          「な寝しめ」:「な-め」で禁止を表す。
                  通常は「なーそ」と使われる。 「寝かすなよ」の意

「 思はぬに 妹が笑(ゑ)まひを 夢(いめ)に見て 
     心のうちに 燃えつつぞ居る 」  
                        巻4-718 大伴家持

( 思いもかけず あなたの笑顔を夢に見て、心の中で
  ますます恋心をたぎらせています )

「娘子に贈る歌7首」のうちの1つで、娘の名は不詳。

「思いがけず夢に見たのはあなたが自分を想ってくれているのだ」と
切々たる恋心を詠っています。

灯りが少なく、蝋燭も高価だった昔、人々は日が暮れると共に床に就き、
そのまま爆睡し愛しい人の夢をみる、あるいは恋する人と
抱き合って睦むことが何よりの楽しみでした。

万葉集には夢を詠ったものが90首もあるのは、当時、通い婚のため
一緒に過ごす時間が少なく、一人寝の日が多かったためと思われますが、
それにもまして、恋人が自分の夢を見てくれると、自分のもとに現れると
信じていたので、寝る前に「どうかあの人が自分の夢を見てくれますように」
と祈ったのです。

ロマンティックな習慣ですねぇ。

「 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花
         君のみ見めや   戯奴(わけ)さへに見よ 」 
                            巻8-1461 紀 郎女

( 昼間は綺麗な花を咲かせて、夜になればぴったりと葉を合わせ、
  好きな人に抱かれるように眠る合歓。
  ほんとうに羨ましいこと。
  そんな花を主人の私だけが見てもよいものでしょうか。
  お前さんも御覧なさいな。
  あなたと一緒に見ながら抱き合いたいのよ。)

合歓の花木を添え、大伴家持に贈った一首。
漢字の「合歓」は「合歓ぶ(あいよろこぶ)」つまり男と女が抱き合うことを
意味します。

年上で人妻(天智天皇の曾孫 安貴王の妻)でもある作者が
花によせて共寝を誘っているのです。

歌を通じてお互い特別親しい間柄なので、家持を下僕のように呼びかけて
戯れ興じているようですが内心は本気かもしれません。

      「 君のみ見めや」 : 君は主人の意で作者自身をさす

      「 戯奴(わけ) 」 : 年少の召使などを呼ぶ言葉 
                    ここでは大伴家持をさし、年下なので
                    わざと見下したした言い方をしている


ところで、万葉集では二人の共寝を「味寐(うまい)」と表現しています。
「味寐」(うまい)とは云い得て妙。
お互い抱き合いながら「美味かった」、「よーく味わった」
というニユーアンスが含まれているのですから。

「 人の寝(ぬ)る 味寐(うまい)は寝ずて はしきやし
        君が目すらを  欲りし嘆かむ  」 
                          巻11-2369 作者未詳

(  人様がするような共寝は出来ずに、あぁ。
   せめてあの方の顔だけでもと溜息ばかりついているうちに
   すっかり夜があけてしまいました。)

         「はしきやし」: 愛(は)しきやし 詠嘆をあらわす修飾句 
                   ここでは「あぁ-」
         「君が目すらを 欲りし」 : 一目だけでも見たい

「 白妙の 手本(てもと)ゆたけく 人の寝(ぬ)る
        味寐(うまい)は寝ずや  恋ひわたりなむ 」 
                        巻12-2963 作者未詳

( 手枕もゆったりと打ちくつろいで、人さまが寝るような
  快く楽しい眠りは出来ないので、おれはこうしていつまでも
  恋に悩み続けるのだろうか )

            「手本ゆたけく」: 女の腕を枕にして心楽しく

伊藤博氏は

『 従来「安寐(やすい)は安眠、「味寐」(うまい)は熟睡、安眠の意と解釈されていた。
  ところが、若い後輩が ヤスイとは「一人寝の熟睡」ウマイとは
  「男女二人で共寝する熟睡」と発表した。後生畏るべし。
  そう思って用例にあたってみると、まさしくことごとくがこの新見に
  よって処理できる。

  そもそも「安し」は自己の心情の安らかさ、「味し」は対象自体に具わる
  性質の良さをいう語であるから、「安寐」と「味寐」とのあいだに
  相違があるのは当然なのである。

  それにしても、いかにもおっとり自然に歌を詠んでいるように見えながら
  万葉人が、ことばづかいにきわめて厳密であった点に、
  感服しないわけにはゆかない。) 』

と述べられ、さらに、

「 人や犬など、意思あるものが(何かを)越えるについて
  「越ゆ:自ら越えるの意」といい、
  風や波など、意思なきものが越えるについては「越す:神が越させるの意 」
  といって厳しく使い分けたり、また原則として降る現象が見えない霜、露に
  ついては「置く」、降る現象が「雨」「雪」には「降る」と
  いって区別したりするなど、かような姿勢が「安寐」「味寐」一つに
   限らないことを思えば、なおさらである。」

と付け加えておられます。
                       ( 万葉のいのち はなわ書房 )
       

「 朝寝して 風呂酒一献  昼寝して
              時々起きて   居眠りをする 」  筆者

               ( この人物は小原庄助さん )
ご参考

( 民謡 会津磐梯山 )
 
  会津磐梯山は宝の山よ 
  笹に黄金がなりさがる

  何故に磐梯あのように若い 
  湖水鏡で化粧する

  北は磐梯 南は湖水 
  中に浮き立つ翁島

  主は笛吹く 私は踊る  
  櫓太鼓の上と下 

  小原庄助さん 何で身上(しんしょう)潰した
  朝寝 朝酒 朝湯が好きで
  それで身上つぶした
  ハァ もっともだ もっともだ


           万葉集676 (安眠快眠) 完

           次回の更新は3月23日(金)の予定です。
[PR]

by uqrx74fd | 2018-03-17 17:24 | 生活

万葉集その六百七十五 (鬼平万葉集)

( 歌姫町の風雅な農家  鬼平犯科帳に歌姫街道として登場する 奈良平城京跡近く )
b0162728_16264264.jpg

( 鬼平犯科帳にも 万葉集歌が登場する   本文ご参照))
b0162728_16262091.jpg

( この本にも万葉歌が  同上 )
b0162728_162693.jpg

( 剣客商売 )
b0162728_16254936.jpg

( 同 包丁ごよみ )
b0162728_16253445.jpg

( 昔の味  グルメめぐりの指南書  挿絵も正太郎氏)
b0162728_16252162.jpg

(  同上 )
b0162728_1625448.jpg

  万葉集その六百七十五 (鬼平万葉集)

御存じ池波正太郎氏は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人 藤枝梅安」
「真田太平記」など数えきれないほどの傑作を書いておられますが、
その作品のなかでプロ顔負けの数々の料理や自身が描かれた挿絵も登場します。
さらに驚くべきことに、それらの小説の中で万葉集がさりげなく
挿入されているのです。

今回は、肩の力を抜いて池波文学と万葉集のコラボをどうぞ。

 先ずは「 池波正太郎  鬼平犯科帳 凶剣 文芸春秋」より。

鬼平こと長谷川平蔵が休暇で京都に行った折、旧知の浦部与力が
奈良を案内する場面です。

『 (浦部) 「 宇治をあとまわしになさいますなら石清水から山沿いの古道をたどり、
         奈良へ入りますのが、おもむきが深いかと思われます。」

 (平蔵) 「 ほほう。これはおもしろい」

 (浦部) 「 は。この道を歌姫越えと申しまして、むかしむかし、奈良に
        皇都(みやこ)がありましたときは、この道こそが奈良と山城の国-
        京をむすぶ大道でございましたそうで 」

   と浦部はなかなかにくわしい。

( これはおもしろい旅になりそうだ。 浦部をつれてきてよかった )
  平蔵も、こころたのしくなってきている。
 - - 
 (浦部) 「このあたりは、むかしむかし、棚倉野とよばれ、ひろびろとした原野に
        穀物をしまった倉がいくつも建っていたそうでございます。
        かの万葉集にも- -
       「 手束弓(たつかゆみ) 手に取り持ちて 朝猟(あさがり)に
          君は立たしぬ  棚倉の野に 」 
       とございますな 」

(平蔵)  「 これは、おどろいた、おぬしがのう・・・」 』

  万葉歌の訳及び解説 (筆者、以下同)

「 手束弓(たつかゆみ) 手に取り持ちて 朝猟(あさがり)に
        君は立たしぬ  棚倉の野に 」 
                             巻19-4257 古歌 船王伝誦す

( わが君が手束弓をしっかり手に取り持って、朝の狩場にお立ちになっている。
  この棚倉の野に。) 

   「手束弓」: 手に束ねやすい弓、
   「棚倉の野」: 京都府山城町付近の野。

紀飯麻呂(きの いひまろ)という官人の屋敷で催された宴席で披露された
古くから伝わる歌で、「君」は聖武天皇とされています。

かって山城近くに久爾(くに)という都があったとき天皇は盛んに猟をされたらしく、
往時を懐かしむとともに、宴の時期が丁度10月下旬の狩猟の季節にあたっていたので、
それにふさわしいものとして紹介されようです。

    「 歌姫を 鬼の平蔵 過ぎゆけり 」  筆者

                       歌姫:奈良平城京跡近くの街道

次は「 池波正太郎 真田太平記巻5 新潮文庫 」
奈良時代の物流基地とされた「巨椋池」の描写のくだりです。

『 京都の南方、わずか二里のところにある伏見の指月(しげつ)は、
  伏見山の最南端が巨椋池にのぞむ丘陵である。
  このあたりには、平安のむかしに藤原俊綱の山荘がいとなまれたりしたほどで、
  景観もすばらしい。
  眼下にひろがる巨椋池は,池というよりも湖といったほうがよい。
  その大きさは、信州の諏訪湖ほどもあった。
  かの万葉集にも
  「巨椋の入江とよむなり 射目人(いめひと)の伏見が田居に雁わたるらしと」ある。』

 万葉歌の訳と解説

「 巨椋(おほくら)の 入江響(とよ)むなり 射目人(いめひと)の
    伏見が田居に 雁わたるらし 」  
                          巻9-1699 柿本人麻呂歌集

( 巨椋の入江が ざわざわと鳴り響いている。
  射目人(狩人)が身を伏せているいう伏見。
  その田んぼの方へ雁が移動してゆくらしいなぁ )

  射目(いめ)とは猟師が鳥獣を射るために柴などを折って身を隠す道具。
  言葉遊びも取り入れた歌で、

「 弓を射る猟師が身を伏せて待ち構えている伏見の田んぼ。
  その田んぼに向かって、狙われているのも知らない雁の群れが
  わざわざ飛んで行くわい 」 と
  「伏す」「伏見」と「ふ」の音を掛け
  「 そんな危ない所へ飛んで行くこともあるまいのに 」

と興じています。

歌の題詞に「宇治川にして」とあるので、作者は宇治川の岸辺、
巨椋池の注ぎ口の近くにいて、水面に響く雁の羽音を耳にし、
群れが飛び立つさまを推測した一首ですが巨椋池、伏見2つの地名を配して
自然の大きな景色を詠みこんだ秀歌です。

巨椋池(おぐらいけ)は京都府南部、現在の伏見、宇治地域にまたがる場所に
存在していた湖とも言うべき巨大な池で、宇治川、桂川、木津川が
この入江に流れ込み西方の淀川に溢れ出る、いわば遊水池の機能を
はたしていました。

また、飛鳥、平城京への木材運搬の中継地点として重要な役割を担い、
近江など、近郷各地から伐り出された木材を川に落として運び、
一旦ここに集荷してから、順次、木津川へ流し途中から陸路で都へ運搬したのです。
都づくりの最中は水路、陸路ともに殷賑を極めた場所でした。

然しながら、1594年、豊臣秀吉の伏見城築城に伴い、築堤工事を受け持った
前田利家が宇治川を伏見に迂回させたことにより巨椋池は一変しました。

池への流水が絶え、周囲16㎞水域面積8平方km(約(800ha)の孤立した
淡水の湖沼になったのです。

その美しくも歴史ある巨大な池は、昭和8年(1933)、国民への
食糧供給充実という目的で干拓事業が開始され、8年後の昭和16年(1941)に
農地化されて完全に消滅しました。
現在は渡り鳥の飛来地となり、近くの葦の群生地をねぐらとする燕が
毎年数万匹もみられるそうです。

最後に鬼平犯科帳「白い粉」の一節から。

 『 「 料理人の勘助が、長谷川平蔵の夕餉の膳の吸い物へ、
    かの毒薬を入れたのは翌々日のことであった。
    吸い物は、鴨の叩き団子と晒葱(さらしねぎ)である。

    役宅の大台所では、平蔵の膳ごしらえは勘助が一人でやっているので、
    声をかけるまでは女中たちも近寄って来ない。

    白い粉を落としたとき、勘助はわれながら落ちついていた。
    ( これで、おたみが帰ってきてくれるのだ。)

    吸い物へ落としこんだ毒薬は、
   ( あっ・・・・)
    という間に溶けた。 』   

( 以下 鬼平料理帳に続く 筆者注 )

『  鴨は日本人にとって最も親しい野禽(やきん)であったらしい。
   それは万葉集にたとえば

  「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
           寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」
   とあるのを見てもわかる。
   日本に渡っている鴨の種類は三十余種もあるという。
   夏の間、北方のシベリア方面で雛を育て、9月上旬から11月頃に大群をなして
   飛来し、3月の上旬から5月にかけて再び北へ帰って行く。

   鴨が真味を持つのは年が明けてからだ。
   渡ってきたはじめの頃は、当然鴨だって長旅の疲れでやせこけている。
   それが、日本の河川湖沼でうまい小魚をたっぷり食べて、丸々と肉がつき、
   脂がのったところを人間サマが食べるのだから、申し訳ないような話。 』

                   ( 池波正太郎 鬼平料理帳 佐藤隆介編 文芸春秋社より)

万葉歌の訳と解説

「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
       寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」 
                        巻14-3570  作者未詳


( 葦の葉群れ一面に夕霧が立ちこめ、鴨の鳴き声が寒々と聞こえてくる夕べ。
  そんな夕暮れ時には、お前さんのことがことさら偲ばれることよ。)

作者は防人として集合地の難波に旅立とうとしています。
当時の難波は葦の名所、その夕景を思い浮かべながら
愛する妻に語りかけた、しみじみとした哀感がにじみ出ている一首。
作者は以前、難波に赴いたことがあるのでしょう。

このように小説、料理、絵画などあらゆる分野に縦横無尽に
腕を振るわれた正太郎氏。
しかも小説の随処に応じた万葉歌をさりげなく挿入されるとは、
よほど勉強されたのでしょう。
その博識、多才に敬服するとともに、初めて鬼平に万葉集が登場したくだりで、
驚愕狂喜したことが懐かしく思い出されます。

    「 ありし日の 鬼平小兵衛 しのばるる 」 筆者

             小兵衛:剣客商売の秋山小兵衛
                 俳優、藤田まことが演じた


           万葉集675(鬼平万葉集) 完


次回の更新は3月18日(日)の予定です。 :通常より遅くなります。
[PR]

by uqrx74fd | 2018-03-08 16:28 | 生活

万葉集そ六百七十四 (はだれ)

( 筑波山残雪 )
b0162728_17175217.jpg

( 早春の草津温泉 )
b0162728_17172571.jpg

( 皇居北の丸公園のはだら雪 )
b0162728_17165927.jpg

( 夜半のはだら雪  翌朝に消えていた  高千穂神社 佐倉市)
b0162728_17163411.jpg

( 鹿の子まだら という語もはだらの縁語 )
b0162728_1716201.jpg

( コハダという名前もはだらに由来 )
b0162728_1716345.jpg

万葉集その六百七十四 (はだれ)

「 この里の 麦畑ぞひの 横山を
           はだらにしたる  けさの薄雪 」  太田水穂

「 昼すぎより 吹雪となりぬ すぐ消えむ
           春の班雪(はだれ)と おもほゆれども 」   斎藤茂吉

「はだれ」とは「雪がはらはらと降り積もるさま」や「消え残った雪や、霜」
のことをさし、「はだら」「ほどろ」ともいわれます。

季語語源成り立ち辞典 (榎木好宏著 平凡社) によると

『 「はだれ」は草木の葉の傾くほどに降った雪、あるいは、
  まだら雪のことですが、歌論書「正徹物語」に
  「 いづれにてもあれ、うすき雪のことなり」と出てきます。
  古くから「葉垂れ説」「まだら説」、さらに「降る雪の形容説」が
  ありましたが、現在の定義は
  「 地上における雪、霜のさま」に落ち着いている。』 そうな。

万葉集では6首登場し、いずれも「薄く降り積もった雪、霜」の意に
用いられています。

「 夜(よ)を寒み 朝戸(あさと)を開き 出で見れば
       庭もはだらに  み雪降りたり 」 
                     巻10-2318 作者未詳

( 夜通し寒かったので、朝、戸を開けて外へ出て見ると、なんと
 庭中雪がうっすらと降り積もっていることよ。)

もう春だと思って寝たら夜中に肌寒さを感じた。
目が覚めてから戸を開けて外を見ると、青々とした草木の上に置く薄雪。

早春によく見られる光景ですが、思わぬ美しい景色を見た作者の喜びが
感じられる一首です。

「 笹の葉に はだれ降り覆ひ 消(け)なばかも
           忘れむと云えば まして思ほゆ 」 
                      巻10-2337 作者未詳

( 「笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように
   私の命が消えでもすれば、あなたを忘れることも出来ましょう 」
  などとあの子が言うものだから、ますますいとおしく思われることだ。)

「 あなたが好きで好きで忘れられない。
  いっそのこと、「はだれ」のようにすぐに消えてしまったら
  苦しみも無くなりどんなにか楽なことでしょう。
  でも、それは無理 」とかき口説く乙女。

 「あぁ、なんと可愛い子だ」
  と相好を崩す男です。

 笹の葉の緑と薄雪の対比が鮮明な一首。

「 御食(みけ)向かう 南淵山の 巌には
              降りし はだれか 消え残りたる 」 
                    巻9-1709 柿本人麻呂歌集

( 南淵山の山肌の巌にいつぞや降った薄ら雪が、
  まだ消え残っているだろうか)

作者が弓削皇子に献じた歌。
伊藤博氏は
「 周囲の雪が瞬く間に消えてしまったのに、南淵山の巌にわずかにでも
 残っている喜びを、疑うような形で詠嘆することによって述べた。
 残雪という題を出されて献じた歌かもしれない。」(万葉集釋注)

とされています。

 御食(みけ)向かう: 「南淵山」(飛鳥川上流)の枕詞
              「御食(みけ)」は天皇など貴人に奉げる食事のことで、
              その一つに蜷(みな:巻貝)があり、同音の南(みな)を掛けたもの。
               他に「粟(あわ)」:「淡路(あわじ)」、
               「酒(き)」:「城上(きのへ)」などの例があり、いずれも
               「御食(みけ)向かう淡路」「御食向かう城上」などと使われている

「 淡雪か はだれに降ると 見るまでに
         流らへ散るは  何の花ぞも 」 
                      巻8-1420 駿河采女

( 淡雪がはらはら降って来るかと見まごうばかりに
 流れ散ってくるのは一体何の花なのであろうか )

白梅の落花を降る雪と見た歌。
梅花を愛でる宴席で散る花の美しさを詠ったようです。

淡雪:白く細かい泡のような雪 

「はだら」については次のような説もあります。

 『 「ハダラ」はマダラの変異形。
   もともとは「接合する」の意の「マジワリ(交わり)」が
   「マザリ」「マダラ」「ハダラ」と転じて接合点、境目、
    区切り、筋目、縞(しま)、ひいては斑紋の意を表したと思われる。

   久留米で小鰭(コハダ)をハダラというが、それは腹に(斑紋ではなく)
   助状(あばらじょう)の筋目があることによる名である。
   ハダラの原義が筋目、縞であることを教える語例であろう。

   斑文のある海獣アザラシのアザラや、筋目や斑文のある貝、浅利(アサリ)も
   ハダラと大本でつながっていよう。

   なお、岡山で雪などがまばらに降ることをハダレルという。
   斑(はだら)から派生した語である。』

              ( 歳時記語源辞典(要約) 橋本文三郎 文芸社 』

たった三文字の「はだら」は、なかなか奥が深い。
そうそう、鹿の毛の白い斑点を「鹿の子まだら」という表現も古くからありました。

  「 うら寒き 春の日ざしは はだら雪
           消(け)のこる杉に  さしこもりたり 」   若山牧水


              万葉集674(はだれ)完


             次回の更新は3月9日(金)の予定です
[PR]

by uqrx74fd | 2018-03-01 17:18 | 自然