<   2018年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

万葉集その六百八十二 ( 藤波ゆらゆら)

( イチイガシの巨木に絡みつく藤   奈良万葉植物園 )
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( 白藤  同上 )
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(  春日大社境内いたるところで野生の藤が揺れている )
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(  赤紫の色が美しい  奈良万葉植物園 )
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(  こちらの紫も優雅なり    同上 )
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  万葉集その六百八十二 (藤波ゆらゆら)

今年はすべての植物の花期が早くなり、梅、桜、杏子、李、桃、辛夷、
山吹、躑躅などが一斉に咲き、まさに百花繚乱。
さらに例年なら4月下旬から5月にかけて花開く藤まで顔を出す始末です。

古都奈良の春日山山麓は奈良公園をはじめとして春日大社周辺、
春日山原始林、万葉植物園は藤一色、紫の都に染まり、
大木に巻き付いた房が薫風に吹かれてゆらゆら靡くさまはまさに壮観。

このような光景は1300年前にも見られたのでしょう。
はるか九州で都の藤を懐かしむ歌が残されています。

「 藤波の 花は盛りになりにけり
        奈良の都を 思ほすや君 」  
                           巻3-330 大伴四綱  

( ここ大宰府では藤の花が真っ盛りになりました。
  見事なものでございますなぁ。
  そういえば奈良の都の藤も目に浮かびます。
  あなたさまも懐かしく思われていることでしょうね。)

作者は大宰府の役人。
長官、大伴旅人に語りかけたものです。

奈良の藤は野性のものが多く、杉,檜、松などの大木に絡みつき
高い所から房が垂れ下がっています。
風に吹かれると右に左に揺れて、遠くから見ると紫の衣が木に掛かっているよう。

樋口一葉はそのような景を

  「 むらさきの雲かと見しは 谷かげに
          松にかかれる 藤にぞ ありける 」  ( 一葉歌集)

と詠っています。

勿論、万葉植物園には各地から集められた色々な種類の藤棚があり、
こちらも感嘆する美しさですが、なんといっても野性のものに心惹かれます。

春日大社は古代の権力者藤原氏の氏神であり、藤は一族のシンボル。
それ故、春日山は立入禁止、禁断の地として保護されてきました。

幸い春日山原始林は柳生に通じる滝坂の道として解放され、人も多く通りますが、
周辺は特別天然記念物に指定されて環境保全には細心の注意がはらわれており、
昔のままの面影をよく残しています。

  「 藤の花 這うていみじき 樹齢かな」  阿波野青畝

圧巻は万葉植物園のイチイガシの巨木に絡みつく臥龍の藤と
春日大社本殿の砂摺りの藤。
どちらも圧倒的な景観で私たちを魅了してくれます。

「 藤波の 咲く春の野に 延(は)ふ葛の
          下(した)よし恋ひば 久しくもあらむ 」 
                      巻10-1901 作者未詳

( 藤の花が咲く春の野に ひそかに延びてゆく葛のように
 心の奥底でばかり恋い慕っていたら、この思いはいつまでも果てしなく続き
 成就できないでしょう。
 思い切って打ち明けなきゃ。)

藤波とは何と美しい万葉人の造語よ。
風に揺れる藤の花房、それも周囲一面波打つ姿が彷彿されるような言葉です。
作者は男、女両説がありますが、ここでは女性の方がふさわしいか。

下よし: 秘めたる恋の意
       「下」は「目に見えない心の奥底」
       「よ」は「より」
       「し」は強調
         
藤も葛も何かに絡まってどんどん延びる。
葛だけで小さな小山をつくってしまうこともあり、両者とも非常に生命力が強い。
春日神社の巫女さんの髪飾りは藤、優雅なたたずまいの中にも
強固な意志が秘められているようです。

「 藤波の 散らまく惜しみ ほととぎす
    今城(いまき)の岡を 鳴きて越ゆなり 」
                       巻10-1944 作者未詳

( 藤の花の散るのを惜しんで、ほととぎすが今城の岡を
 鳴きながら越えているよ。) 

今城: 所在不明とされるも現在の吉野郡大淀町今木あたりか。
              (万葉集地名歌総覧 樋口和也 近代文芸社 )

藤は時鳥と取り合わせて詠われることが多く、他に卯の花も見えます。

平安時代になると藤は主に松に巻きついて長い花房を垂らし、
それが風に揺れる風景としてとらえられるようになり、「枕草子」で

「 色合いよく 花房長く咲きたる藤の、松にかかりたる」 (第75段) 

と高貴な色の紫 常緑長寿のシンボル松と取り合わせ「めでたきもの」と
されます。

さらに常緑の逞しい男性的な松。それに寄り添う優雅で芯が強い藤。
それは男に絡みつく艶めかしい女性を想像させるようになり、

「 住の江の 松の緑も 紫の
         色にてかくる  岸の藤波 」   後拾遺集 よみ人しらず

など、多くの歌に詠われるようになりました。

  「 春日野の 瑠璃空の下(もと)  杉が枝に
              むらさき妙なり  藤の垂り花 」    木下利玄


      万葉集682 (藤波ゆらゆら)  完


      次回の更新は5月4日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-04-26 16:55 | 植物

万葉集その六百八十一 (楽しみは2)

( 楽しみは 親しき友と うち集い 桜の山を めぐり歩くとき  筆者 奈良山辺の道)
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( うま酒  大神神社  奈良 )
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( 大伴家持が絶賛した立山連峰  雨晴海岸 富山県 )
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(  若草山焼き    奈良  委細は本文で )
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万葉集その六百八十一 (楽しみは2)

「 たのしみは 庭にうゑたる春秋の
         花のさかりに あへる時々 」  橘 曙覧

四季の移り変わりが美しい日本列島。
春は花、夏、青葉、ホトギス、秋は月、紅葉、そして冬の雪。

娯楽施設など余りなかった昔、貴族、官人たちの何よりの楽しみは宴会。
親しきものたちが四季折々打ち集い、自然の風物を愛でつつ
盃を酌み交わしながら歌を披露する。
庶民たちは歌垣や祭りなどで踊り、詠い、そして恋をする。
いずれも楽しげな歌ばかりです。

「 しなざかる 越の君らと かくしこそ
     柳かづらき  楽しく遊ばめ 」 
                    巻18-4071 大伴家持

( 山野層々として、都から遠く隔たったこの越の国の方々、
      これからもこのように柳を蘰にして、楽しく遊びましょうや。)

越中国司として赴任した作者が郡司の子弟多数と宴をした時の歌。

「級放(しなざか)る」は「階段状に山野、坂が重畳して遠い」の意で(伊藤博)
家持の造語。

 遥々山を越え都から越中に赴任した作者は海越に聳え立つ
立山連峰や、鳥鳴き花咲く野の美しさに感激し、鄙びた風情ながら
越の国は神秘にして佳き国と感じたようです。

希望と期待に満ち、喜びがあふれるような一首で、作歌活動も
充実した日が始まります。

柳かずらき: 柳を蘰(かづら:髪飾り)にして
         柳は生命力が強く、身に付けてあやかろうとしたもの。


庶民にとっての楽しみは祭や歌垣、そして逢い引き。

「 春日野は 今日はな焼きそ  若草の
      つまもこもれり 我もこもれり 」 
                          古今和歌集 よみ人しらず

( 春日野は今日だけは特別に焼かないで!
  愛しい人も、おれも草の中に隠れているのだから )

背丈の高い草むらで睦み合う二人。
そんなことを知らない農夫が恒例の野焼きを始めた。
「オーイ! ここは焼くな、焼くな!
 二人で楽しんでいる最中だ。
 折角逢えたのに、今日だけは勘弁してよ。」
 と叫ぶ男。

「な○○そ」は禁止をあらわす用語で「な焼きそ」は「焼くな」と
強い調子で叫んでいる様。

この歌は次の歌を本歌取りしたものです。

「 おもしろき 野をば な焼きそ 古草に
    新草(にひくさ)交じり 生(お)ひば 生ふるがに 」
                        巻14-3452 作者未詳

( 楽しい思い出が一杯つまっているこの野原をそんなに急いで焼かないでくれ。
  それに新芽もまだ出かかったばかりで可哀想ではないか。
  若草になるまで伸びるだけ伸ばしてやろうよ )

「おもしろき」は「見ていて楽しい」の意で作者は古草を見ながら、
かって若草のもとでの逢引きを思い出しているのでしょうか。

「生ふるがに」は「生ふるがね」が訛ったもので、
「新草が生い茂りたいと思っているのなら、その通りにしてやってほしい」の意。

野焼き作業をしている人に向かって呼びかけた形ですが、草木に対する愛情と、
思い出の場所を焼いてくれるなという淡い恋心が籠ります。

「 玉敷きて 待たましよりは  たけそかに
      来る今夜(こよひ)し 楽しく思ほゆ 」

                   巻6-1015 榎井王(えのゐの おほきみ)


( 玉を敷いて今か今かと待っているよりも、だしぬけに伺ったほうが
     楽しかったのではありますまいか )

            「玉敷きて」: 庭などを掃き清め万端の準備をして
            「たけそかに」:「猛そかに」 無遠慮に

737年正月、門部王(長皇子の孫 天武天皇曾孫)の屋敷に
橘 佐為 (左大臣 諸兄の弟) 以下貴族の子弟が予告もなしに突然押しかけ、
わいわい大騒ぎした折の歌。

作者の榎井王は天智天皇の孫(父、志貴皇子)で、親しい者同士の無礼講、
主人、門部王は友人達の突然の来訪に驚きながらも、
さぞ嬉しかったことでしょう。

親しき友は昔も今も人生の宝物です。

   「 たのしみは とぼしきままに 人集め
            酒飲め 物を食へといふとき 」    橘 曙覧


           万葉集681 (楽しみは2)  完


             次回の更新は4月27日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-04-19 16:58 | 生活

万葉集その六百八十 (万葉人は鯛がお好き)

( 鯛 築地魚市場 )
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( 鯛 高橋由一 高松金毘羅宮 高橋由一館 )
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( 千葉 安房鴨川歩道トンネルの壁画 地元小学生作 )
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(  同上 )
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( コナギ:ミズアオイ  万葉時代葉を食用にした  奈良万葉植物園 )
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    万葉集その六百八十 (万葉人は鯛がお好き)

「 水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹(かつを)釣り 鯛釣りほこり
    七日まで家にも来(こ)ずて 海境(うなさか)を 過ぎて漕ぎ行くに
    - - 」                        巻9-1740 高橋虫麻呂
   
( 水江(みずのえ)の浦の島子が、鰹(かつを)や鯛を釣っているうちに、
      大漁となって調子づき、7日も家に帰らず、
      とうとう海の境を通り過ぎてしまった。)

この歌は浦島伝説を詠った冒頭後半、鰹や鯛を釣り、大漁になったことを
述べた部分で、水江は摂津(大阪府住吉区)、住吉神社の近く、
明石鯛も獲れたことでしょう。

「日本歳時記」によると

『 鯛、とりわけ真鯛は色、形、味よく海産魚類の王と云われている。
  春産卵のため内海の浅場に群れてくるが、そのころことに雄の真鯛は
  腹部が婚姻色といって性ホルモンの作用で赤味を帯びる。
  ちょうど花時にあたり、その色を賛美して、俗に桜鯛とか花見鯛とか
  いうのである- - 。
  瀬戸内海では、鳴門,紀淡、明石などの諸海峡を通って乗り込むので
  鳴門鯛、明石鯛などの名称がある。 』

このような情景を西行は次のように詠っています。

「 霞しく 波の初花 をりかけて
            さくら鯛つる 沖のあま舟 」  西行 山家集

   ( たなびいている霞の中から 折り返す白波が初花のように見え、
    その沖合で海人たちの舟が、桜鯛を釣っているよ )

そして早速刺身にして戴く。

「 鳴門鯛 うましき春を 来遊びて
         ころころ かたき 鯛の刺身食う 」
              吉植庄亮(よしうえ しょうりょう:1884~1958)

 鯛の刺身が一番美味いのは獲った魚を絞めてから10時間~12時間後。
 旨味を感じるイノシン酸とグルタミン酸の量が最高に達する時なのだ
 そうですが( 京都大学 坂口守彦教授 )、人の好みはそれぞれ、
 獲れたてのコリコリ固いのがお好きな人も多いことでしょう。

万葉人も鯛が好きだった。
しかも「三枚おろし」にした刺身を醤酢(ひしおす)、蒜(ひる)などの調味料を
加えて食していたのです。

「 醤酢(ひしおす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願う
       我にな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの) 」  巻16-3829 
                       長 忌寸 意吉麻呂 (ながの いみき おきまろ:伝不詳)

  ( わぁ-、今日はご馳走だねぇ。鯛の刺身ではないですか。
    早速ニンニク入りの「酢味噌たれ」をつけていただきましょうよ。
    コラコラ、もおぅ-、 水葱の吸物のようなものを出してきて!
    折角の食欲が落ちるからこんな物は見えないように置いて頂戴。 ) 

語句の解説です。
古代人の食事の内容が窺われます。

   醤(ひしお): 醤油や味噌の元祖でもろみに近い。大豆、うるち、酒、
            小麦を原料として醸造したもの

   酢:   米から作る米酢と酒を腐らせた酒酢があった
        醤酢は今の酢味噌の類

   蒜(ひる): ニンニクや野ビルのことで独特の強い臭気がある
          「蒜搗き合(か)てて」: 蒜をつき砕いて 混ぜて

   水葱(なぎ);   ミズアオイ科の一年草、葉を食用とする。水中に自生

   羹:    熱い汁、吸い物のこと。
         調味料に醤が用いられているだろうから後の味噌汁という説もある(永山久夫)

作者は宴席で周りの人達から囃されて、酢、醤、蒜、鯛、水葱を歌に
詠み込めと言われ即座に作歌したもので

「 高級料理の鯛が出てきて嬉しいねぇ。早くそれを食べたいんだ。
  水葱の吸物のような日常料理なんか見たくもないよ」
とおどけたのです。

この歌を読んだ友人たちは次のような感想を述べてくれました。

まずは「T.Sさん」

『 昨日、NHK朝の番組「徳島の旅」の中で、鳴門の桜鯛
  (渦潮でもまれて身がしまっているらしい)と
  生わかめ(熱湯に入れた瞬間に、茶色から鮮やかな緑に変わる)を
  しゃぶしゃぶにして食べる場面がありました。
  とても、おいしそうで、さしみよりおいしいかもしれないと
  思わせる料理でした。

   万葉の時代には、さしみにして、にんにく入りの酢味噌で食べたとのこと、
   あまりおいしそうではありませんが、当時としては、
   特別の調味料だったのでしょうね。
   「余計な料理より、早く、特別料理を食べされろ」と、
   にぎやかな宴会の様子が見えて面白い。
   鯛は、昔も今も、高級魚の地位を守り続けているのですね。 』

続いて「N.F」さん
                         
  『 近年、日本人の食事も洋風化が進んできましたが、終戦後間もない頃には、
    どうやら食べ方は異なれど、万葉人とさほど変わらないものを
    食していたようですね。
    T.Sさんが言うように、醤醢やらにんにくと鯛の刺身では現代人の口には
    合わないでしょうが交通事情が悪かった往時のこと、ワサビの代わりのような
     一種の消毒剤に用いたかもしれませんな。

    醤醢などは懐かしいですなあ。
    金山寺はいまも売られていますが、醤醢は家庭で作ったものです。
    うまいんだけど。 』 

最後に「I.N」さん

『 「櫻鯛」美しい言葉ですねえ。
  婚姻色の鯛を櫻鯛と言うとは知りませんでしたが、綺麗な言葉ですねえ。
  鯛の骨には、面白い形をした部分がある筈だが、それがどんな形だったか
  記憶にないけれど、鯛の骨が刺さると他の魚の骨が刺さるよりも抜く際に
  ずうーっと痛い。

  それにしても鯛はうまい、料理では、眼の周りのゼラチン質の部分や、
  頬肉は絶品ですなあ、
  機知を競う宴席で「吸い物はいいから早く鯛を食べさせろ!」と
  声高に要求する模様が生き生きと描かれている。

  秘伝のたれのかかった銀座「竹葉亭」の鯛茶漬けが恋しくなりました。 』

    ( 筆者注: 竹葉亭は鰻で有名だが鯛茶漬けも大人気 )

  「 料理して 今日もくらしつ 桜鯛 」  維舟

谷崎潤一郎の「細雪」でも桜の季節に真鯛が旬になり、桜鯛と呼ぶことを
ふまえた一文があります。

『 幸子は昔、貞之助と新婚旅行に行った時に、箱根の旅館で食い物の
  好き嫌ひの話が出、君は魚で何が一番好きかと聞かれたので
 「鯛やわ」と答へて貞之助に可笑しがられたことがあった。

  貞之助が笑ったのは,鯛とはあまり月並みすぎるからであったが、
  しかし彼女の説によると、形から云っても味から云っても鯛こそは
  最も日本的なる魚であり、鯛を好かない日本人は日本人らしくないのであった。

  彼女のそう云ふ心の中には、自分の生まれた上方こそは、日本で鯛の
  最も美味な地方-従って、日本の中で最も日本的な地方であるという
  誇りが潜んでいるのであったが、同様に彼女は、花では何が
  一番好きかと問われれば、躊躇なく桜と答へるのであった。

  - - 鯛でも明石鯛でなければ旨がらない幸子は、花も京都の花で
   なければ見たような気がしないのであった。 』

鯛は今でこそ魚の王として不動の地位を占めますが、古くは「鯉」が
最上とされていました。
中世以降、漁法やさまざまな料理法が発達し、江戸時代以降ようやく
万人に認められて王座を確立し現在に至っています。

縄文時代1mにも及ぶ鯛の骨が出土していますが、最上に美味なのは
40~50㎝程度のものとされ、調理法は刺身を筆頭に塩焼き、
鯛ちり、鯛めし、鯛茶漬けなど、また、頭は兜煮,潮汁、
特に目玉を入れたすまし汁は最高の贅沢とか。

 「 安宿と あなどるなかれ 桜鯛 」  森田 峠


      万葉集680(万葉人は鯛がお好き)完


      次回の更新は4月20日(金)の予定です。

              
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by uqrx74fd | 2018-04-12 16:32 | 動物

万葉集その六百七十九 (春の苑)

(桃の花 宇陀 奈良 )
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( 桃と桜の競演 山辺の道 奈良 )
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( スモモ 市川万葉植物園  千葉 )
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( カタクリ  森野旧植物園 奈良 」
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(  万葉の春  上村松篁  絵葉書 )
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  万葉集その六百七十九(春の苑)

「 春の苑(その) 紅にほふ 桃の花
      下照る道に 出(い)で立つ 娘子(おとめ) 」 
                           巻19-4139 大伴家持

 訳文
     ( 春の盛りの今、庭園には桃の花が咲き誇っている。
      花も周りも紅色に映えて染まるばかり。
      つと、乙女が木の下にい出立った。
      ふっくらとした頬に刷いた紅も桃の花と一体化して
      輝くばかりの美しさ。
      あぁ何と素晴らしい光景だろう。 ) 

  750年の春たけなわの頃、越中国司の任期も終わりを迎える時期の作。
  文芸性が高く数ある家持の歌の中でも秀吟とされ、正倉院宝物の
  樹下美人図を連想させる1首。
  長らく雪に閉ざされていた北国に、春到来の喜びがはちきれんばかりに
  溢れているようです。

  桃の花が咲き匂ひ、ふくよかな香りを漂わせている。
  暖かい空気が周りを包み、道も紅に染まっているようだ。
  その美しさに見惚れて立ちすくんでいると、絶世の美人がつと木の下に現れた。
  まさに桃源郷、夢の世界。

  長らく別居していた最愛の妻、坂上大嬢もやっと来てくれた。
  心身共に充実していた頃の作で、この後数々の秀作を生み出してゆきます。
  この歌が実景を詠んだのか、中国文学を下敷きにした想像の世界なのか
  学問上の議論はありますが、ここではでは実景と受け止めておきます。

  続いて、李(すもも)。
  桃の紅、李の白 紅白の取り合わせです。

「 わが苑(その)の 李(すもも)の花か 庭に散る
      はだれのいまだ 残りてあるかも 」 
                      巻19-4140 大伴家持


( あれっ! こちらの庭園の上に白いものが見えるよ。
  見上げると李が満開でまるで雪のようだ。
  庭の白さは李の花が散っているのだろうか 
  それとも消え残った雪なのだろうか。)

        はだれ:斑雪(まだらゆき)

庭に点在するのは李の花が散ったものか、残雪か。
見まごうばかりの白の世界。
天から下りてくる梅を雪かと詠った父、旅人の

 「わが園に 梅の花散る ひさかたの 
              天より雪の 流れくるかも 」
                        巻5-822 大伴旅人

を踏まえた構成となっています。

家持はこの美しい光景によほど興趣を感じたのか更に詠います。

   「 桃の花 紅色に 
     にほひたる 面輪(おもわ)のうちに 
     青柳の 細き眉根を 
     笑み曲がり 朝影見つつ 
     娘子(をとめ)らが  手に取り持てる まそ鏡 - 」

                  巻19-4192(一部) 大伴家持 

(訳文)

(  桃の花のように華やかに映えている顔
   青柳の葉のような細い眉
   その眉が曲がるほどに笑いこぼれている乙女の
   楽しそうな表情を鏡に写している朝の姿の
   なんと美しいことよ
   乙女の手に取っている真澄の鏡 - - 」 
                         19-4192 大伴家持


   面輪: 顔の輪郭の意で顔つき
   青柳の細き眉根: 青柳の葉のような細い眉 
               女性の細くてしなやかな眉を柳に例えたもの。柳眉
   笑み曲がり 朝影見つつ :その眉が曲がるほどに 
                     笑いこぼれている朝の容姿を見ながら 
   まそ鏡  : 鏡箱の蓋の意 ( 次に続く二上山の枕詞) 


「 もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
       寺井の上の 堅香子(かたかご)の花 」   
                              巻19-4143 大伴家持

( 泉のほとりへ美しい乙女たちが三々五々、水桶を携えて集まってきます。
      そのかたわらにカタクリの花が咲き乱れて-- 何と美しいことよ )

こんこんと湧く清泉、入り乱れる乙女、群生する美しいカタクリの花。
乙女たちの笑い声や水の音まで聞こえてくるような気がいたします。

ユリ科多年草のカタクリの古名が「堅香子(かたかご)」
「堅」は「片」の意で、種から成長する過程で、まず片葉が生じ、
数年以上(7年とも)を要してようやく両方の葉がそろうことによります。

また「香子(かご)」は「鹿の子」、すなわち、鹿の斑点のような葉をもつことに由来し、
当初「カタハ カノコ」とよばれていたものが「カタカゴ」に変化したとも。

「もののふ」は元々「朝廷に仕えた上代の官人」が原義でしたが、
古代の朝廷には職掌ごとに多くの氏族が奉仕していたので、
それらの総称として「もののふ(物部)」という言葉が用いられ、
さらに氏族が多かったことから八十(やそ=数が多い意)に掛かる枕詞になりました。

「もののふ」が武士,武辺のイメージとなるのは平安時代からです。

「 日中を 風通りつつ 時折に
        むらさきそよぐ 堅香子の花 」  宮 柊二

家持の桃、カタクリの世界を求めて奈良へ向かいました。
JR奈良駅から桜井経由、近鉄大阪線の榛原駅で下車。
バスに乗り換え約20分。
近くにかぎろひの丘があり、かの人麻呂が

「 東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて
                   かへり見すれば 月かたぶきぬ 」 
                    巻1-48 柿本人麻呂

と詠ったところです。

ここは素通りして江戸時代から続く我国最古の薬草園「森野旧薬園」へ。

町を一望できる小高い丘に数えきれない位の薬草が植えられており、
斜面にカタクリが群生しています。

カタクリの花は夜明けとともに開き、夕暮れになると閉じますが、
雨や曇りの日には開かない天気次第の気難し屋。
当日は美しい姿を見せてくれました。

紅紫色の清楚な花は気品があり、清純な乙女を連想させ、
恥じらうように下向きに咲く姿も初々しく「春の妖精」の名にふさわしい。
だが、「花の命は短くて」の言葉通り、1か月余で花も葉も跡形もなく消え去り、
次の春まで地下で眠ってしまう。

1年の大部分を地下で過ごすのは、夏は樹木の葉の影になって日ざしが届かず、
冬は積雪に耐えられないためで、冬が終わり落葉樹の葉の茂るまでの間に
地表に顔を出し太陽の日ざしを一杯浴びて鱗茎に養分を蓄え、
繁殖のための種を作るのです。

「 うれしくも 桃の初花 見つるかな
           また来む春も 定めなき世に 」   藤原公任

続いて徒歩30分の又兵衛桜へ。
ここでは桜の巨木とともに、桃の木が見られるのです。
後藤又兵衛が植えたと伝えられる老桜は今も健在。
その後ろに桃の群生、ピンクと紅の対比が実に美しい。
ここの桜は毎年開花が遅く、桃の花開くのを待ってから咲いているよう。

桜と桃の競演を堪能した後、山辺の道へ。
崇神天皇陵に向かう途中、農家の庭に桃と桜の巨木があります。
毎年この時期に訪れるとっておきの場所です。

大神神社で参拝を済ませた後、天理の方向に向かって歩くこと約8㎞
左、崇神天皇陵、右相撲神社に道が分かれる少し手前の農家にお目当ての桜と桃。
横にそれる小径があり、自由に行き来させて戴けます。
今年も見事な桃と桜が満開でした。

     「 遠里に 桜も咲くや 桃畑 」    筆者


     万葉集その679 (春の苑)完


   次回の更新は4月13日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-04-05 15:59 | 生活