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万葉集その六百八十七 (花かつみ)

( 花かつみ  現代名 ノハナショウブ  奈良万葉植物園 )
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( 花ショウブ   潮来 )
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(  同上 )
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(  花ショウブの別名は早乙女花  花言葉は 優雅  潮来 )
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    万葉集その六百八十七(花かつみ)

花かつみはアヤメ科の多年草、ノハナショウブの古名で、
現在いたるところでみられる花ショウブの原種とされています。(諸説あり)

日当たりの良い草原や湿原に生え、紫の花弁の基部に黄色い模様、葉は剣形。
華麗な花が多いアヤメ科の中にあって飾り気なく、すらりと立つ姿に気品があり、
心惹かれる花の一つです。

ところが万葉集ではたった1首。
菖蒲(しょうぶ)12首、杜若7首も詠われているのにどうしたことか?

当時、何の花かよく知られていなかった、あるいはカキツバタと
混同されていたのかもしれません。

「 をみなへし 佐紀沢(さきさは)に生ふる 花かつみ
                 かっても知らぬ  恋もするかも 」 
                         巻4-675 中臣郎女

( おみなえしが咲くという佐紀沢に生い茂る花かつみではないが
 かって味わったこともない切ない恋をしてしまったことです。)

作者は伝未詳。
大伴家持に恋した歌5首の中の1。

「花かつみ」の季節にはじまった家持への思慕。
それは今まで経験したことがない激しい恋。
でもその気持ちは相手には伝わっていない。
私だけの心に秘めていつまでも慕い続けましょうと詠う純情な乙女です。

をみなえし:佐紀沢の枕詞 : 
       おみなえしが「咲く」と佐紀(さき)の同音に掛けた。

佐紀沢:  奈良平城京北辺にある水上池周辺の湿地帯
      大伴家が住む佐保に近く、貴公子家持の姿を見て憧れていた?

花かつみ : 花ショウブの原種、ノハナショウブ。 
         他に真菰(マコモ)、アシ、カタバミ説もあるが恋の歌には
         ノハナショウブが相応しい。

  「かつみ」と「かって」の同音を掛けている。

「 みちのくの あさかの沼の 花かつみ
        かつ見る人に 恋ひやわたらん 」 
                         よみ人しらず  古今和歌集

( 陸奥の安積の沼の 花かつみではないが
 一方で既に夫婦同然の関係なのに、他方では人の噂を慮(おもんばか)って
 自分の気持ちが他人に知られないよう心の奥底に秘めている日々。
 あぁ、これからもずっとこのような状態が続くのか。
 切ない切ない私の恋よ。)

     あさか(安積): 福島県安積郡日和田町

     「みちのくの あさかの沼の 花かつみ」: ここまでが「かつ」を導く序。

     「かつ」: 一方で。  「かつ消えかつ結びて」などと使われる

     「わたる」:継続、ここでは 「恋し続ける」

身も心も既に一体の関係。
晴れて結婚したい、堂々と人目はばからずに一緒に歩きたい。
でも、それは叶わぬ夢。
嘆きながらも半ば諦めの気持ちの作者。

二人の関係は不倫の恋、何らかの事情による周囲の反対、
あるいは聖職による禁断の恋なのでしょうか。


以下は2018年5月24日付、読売新聞「暦めくり」からです。
                      ( 編集委員 斎藤雄介氏 )

『 万葉集に「花かつみ」という謎の花がでてくる。
  その正体をめぐって、江戸時代から議論になってきた。

  「おくのほそ道」で福島の安積山(あさかやま)あたりにたどりついた芭蕉は
  「どの草が花かつみか」と地方の人に聞いてまわった。

   歌の世界では、花かつみは安積山の沼に生えているとされていたからである。
   安積山のふもとにあったという大きな沼で、芭蕉のころには
   田んぼになっていたという。

   でも、だれも花かつみを知らない。
   「かつみ、かつみ」と尋ね歩いて、日が暮れてしまった。

   幻の花、花かつみ。
   芭蕉もわからなかったその正体は、マコモであるというのが今の定説と
   なっている。
   しかしマコモの花は地味で、幻の花というほどの美しさがない。

   ノハナショウブこそ花かつみだという説もある。
   わたしは、こちらを信じたいと思う。
   芭蕉のあこがれにふさわしい花である 』   (以下省略)

       「 堀切や 菖蒲花咲く 百姓家 」  正岡子規

花ショウブは江戸時代、大々的に品種改良がなされ、その数二千以上に
達したといわれています。
江戸,肥後、伊勢系などいくつかの系統があり、その華やかさを競い合いながら
多くの人々を楽しませてきました。

湿地でも乾燥地でも栽培出来、花も大きく色も紅紫、紫、白、淡紅など様々。
模様も変化に富み、今日の菖蒲園で一番多く見られる品種です。


     「 はなびらの 垂れて静かや 花菖蒲 」    高濱虚子




             万葉集687( 花かつみ )  完


             次回の更新は6月8日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-31 17:30 | 植物

万葉集その六百八十六 (ちはやぶる)

( ちはやぶるは神に関係ある言葉  大神神社  奈良
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( 大神神社の巫女 )
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( 紅葉の名所 龍田川   奈良 ) 
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(  映画 ちはやふる  広瀬すず主演のポスター )
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万葉集その六百八十六 (ちはやぶる)

「ちはやぶる」は「いちはやぶる」の略とされ、いにしへの昔の言葉です。

その原義は「「いちはや」は「逸早や」で最速、最強。
「ぶる」は「荒ぶる」「大人ぶる」と同じく「さま(様)」の意。
したがって「ちはやぶる」は
「畏怖すべき霊力、活力に満ち、凶暴で荒々しいさま」のことで、
主に神や神社のある地名にかかる枕詞として使われ
「ちはやふる」と清音でいわれることもあります。

古代、神は山、川、海、坂、道などを領有する自然界の支配者であり、
また、熊、龍、虎、狼、蛇などにも神霊が宿り、怒らせると猛威を振るう
恐ろしい存在と考えられていました。
人々はその怒りを鎮めるために住む地区ごと、道の岐路、坂の上などに
神社や祠(ほこら)を設け、供え物をして祈ったのです。

やがて時代を経ると神には恐ろしい「荒魂:あらたま」ばかりではなく
敬虔に祈ると願い事をかなえてくれる「和魂:にぎたま」をも持つ
存在として崇めることになり現在に至っています。

万葉集での「ちはやぶる」は16例。
うち12例が神や神に関する枕詞として用いられています。

次の4首は道ならぬ恋をしてしまった男女の嘆きの歌です。

「 夜(よ)並べて 君を来ませと ちはやぶる
     神の社を 祷(の)まぬ日はなし 」  
                      巻11-2660 作者未詳(女)

( 毎晩続けて、あなたどうかいらして下さいと霊験あらたかな神の社に
 祈らぬ日など1日もありません。)

     祷の)む: 祈祷する


「 霊(たま)ぢはふ 神も我れをば 打棄(うつ)てこそ
      しえや命の 惜しけくもなし 」 
                     巻11-2661 作者未詳(女)

     ( 霊験あらたかなる神様、 今はもうこの私を見捨ててくださいまし。
       ええい!もうこんな命など惜しくありません 。)

       霊(たま)ぢはふ :神の枕詞 ちはやぶるよりも神の内面に目を向けた表現
       しえや: ええい、もう 
                赤塚不二夫の漫画「おそまつ君」の決め言葉「シエー」の原語

「 我妹子(わぎもこ)に またも逢はむと ちはやぶる
        神の社に 祷(の)まぬ日はなし 」 
                           巻11-2662 作者未詳(男)

   (いとしいあの子にもう一度逢わせて下さいと、霊験あらたかな
    神の社に祈らぬ日など1日もない。)

「  ちはやぶる 神の斎垣(いかき)も 越えぬべし
     今は我が名の 惜しけくもなし 」 
                           巻11-2663 作者未詳

      ( 霊験あらたかなる神の社の玉垣さえも越えてしまいそうだ。
        今となってはもう私の名前なんかちっとも惜しくない。)

       斎垣(いかき)は神域の周囲の垣根でこれを越えることは禁忌。
       当時、名を捨てることは命を絶つほど重要なこととされていました。

どうやら男は人妻に恋し、女も男に惚れてしまったようです。
結末がどうなったのか、続く歌がないので分かりませんが、
二人とも神の祟りをも恐れぬ決意をしている様子から結ばれたか?

「ちはやぶる」といえば今も昔も業平,百人一首で大人気の歌。

「 ちはやぶる 神代もきかず竜田川
           からくれなゐに  水くくるとは 」        
                           在原業平 古今和歌集、百人一首

( 神代にもまったく聞いたことがない不思議さであるよ。
      この竜田川にもみじが散り敷いて、水を真っ赤にくくり染めにするとは。)

詞書に「屏風の絵を題にしてよめる」とあるので実景を前にして
詠ったものではありませんが、創造主が川全体を美しい模様に
しているというスケールが大きい歌です。

      竜田川: 奈良県生駒郡を流れる川で古くから紅葉の名所
            川のほとりに竜田神社があり風の神が祀られている
            その神が紅葉を吹き散らされたのであろうかの意がこもる

         からくれない: 韓(から)の国から渡来した紅の意で鮮紅色
         水くくる: くくり染めの意。
                    布地のところどころを糸で括(くく)って染め残し作る
                     「しぼり染め」とよばれる染色法。
                      ここでは紅葉が川一面におおって流れるのではなく
                     一群一団に流れている様子をくくり染めのようだと詠っている。

最後に、この歌をもじった古典落語「千早振る」の一席をどうぞ。

岩田という物知り隠居がおり先生とよばれていた。
ある日、茶を飲んでいると、なじみの八五郎がたずねてくる。
なんでも、娘に小倉百人一首の
「 ちはやふる 神代もきかず竜田川 からくれないに 水くくるとは 」
の意味を聞かれて答えられなかったので隠居に教えを請いにきたという。

隠居もこの意味を知らなかったが、知らぬと言うのも沽券に係わると思い
即興で次のような解釈を披露する。

「 江戸時代人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った。
  その際「千早」という花魁にひとめぼれした。

  ところが千早は力士が嫌いであったため竜田川は振られてしまう。(千早振る)
  振られた竜田川は、それではと妹分の「神代」に云い寄るが、こちらも
  「姐さんが嫌なものは、わきちも嫌いでありんす」という事を聞かない。
   ( 神代も聞かず竜田川)

   そのことから成績不振になった竜田川は力士を廃業し、実家に戻って
   家業の豆腐屋を継いだ。

   それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れ、
   「おからを分けてくれ」と物乞いをした。
   「よしよしわかった」と竜田川がその女をよく見ると、
   なんと零落した千早大夫のなれの果てではないか。

   激怒した竜田川は、おからを放りだし千早を思い切り突き飛ばした。
   千早は井戸のそばに倒れ込み、こうなったのも自分が悪いと
   井戸に飛び込み入水自殺を遂げた。」

   「おからくれない」(からくれない) に「入水」( 水くぐる )

それを聞いた八五郎は

   「 大関とあろうものが、失恋したくらいで廃業しますか 」
   「 いくらなんでも天下の花魁が乞食までおちぶれますか 」

など隠居の解説に首をひねったが、隠居はなんとかごまかして
八五郎を納得させた。

やれやれと思ったところ八五郎は
「 ちはやふる 神代もきかず竜田川 からくれなゐに  水くくる 」 
までは分かりましたが最後の「とは」って何ですか?と突っ込んだ。

隠居はとっさの機転で
『 千早は源氏名で、彼女の本名は「とわ」だった 』  

初代、桂文治作といわれている「千早振る」(別題 百人一首)の一席でした。

「 ちはやぶる 神代もきかぬ ご趣向を
            よく詠みえたり   在五中将 」 蜀山人

                  在五中将:在原業平(阿保親王の第五子)

辛口で知られる太田蜀山人も手放しで褒めた業平の「ちはやぶる」。

今や漫画や青春映画「ちはやふる」(学生のかるた俱楽部の物語)など大人気。
この言葉が1300年前に生れていることを知ったら若者たちは
さぞ驚くことでしょう。

 「 ちはやぶる 春日の野辺に こきまぜて
          花ともみゆる 都人かな 」 
                  凡河内躬恒(おおしこうちの みつね)



       万葉集686 (ちはやぶる)完

     次回の更新は6月1日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-24 15:56 | 心象

万葉集その六百八十五  (みどり児)

( 筆者1歳のころ  むかしは3歳までをみどり児といった )
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( 奈良時代の中流官吏の子供  奈良万葉文化館 )
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( 左 甘えっ子 岩崎ひひろ風  右 叱られて  作 筆者 )
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( みんなで渡ろう   六義園 東京 )
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万葉集その六百八拾四 (みどり児)

「みどり児」(みどりこ)は生まれたばかりの赤ちゃんや3歳くらいまでの
幼児をいいます。
「みどり」という言葉は本来、
「木々の新芽のように瑞々しく生命力に溢れている」の意とされ、
「瑞々」の「みず」から「みどり」に転訛し、後に色名になったものです。

702年施行の大宝律令に「男女を問わず3歳以下を緑となす」また
戸籍帖にも「緑児」「緑女」とあり、1300年も前からの由緒ある「みどり児」。

現在は「嬰児」と書かれることが多く末尾は濁音で「みどりご」と訓みます。

「嬰」という字は「貝の首飾りをつけた女の子」とする会意文字説と
「えんえんと泣く赤ん坊の泣き声」をあらわす「嚶:えい:なき声」と
同系の擬声語(漢字源)とする説があり、どちらとも定まっておりません。

 万葉集では9首登場していますが、まずは面白歌から。

「 みどり子の ためこそ乳母(おも)は 求むと言え
             乳(ち)飲めや君が  乳母(おも)求むらむ 」 
                        巻12-2925 作者未詳

(  乳母は赤子のためにこそ探し求めるものと云います。
  それなのにあなたはいい年をして私の様な乳母を求めるのですか。)

女が年下の男から求婚され、はねつけた歌のようです。
「 いい年をして私のお乳が欲しいの? 赤子でもないのに。」
からかいながらやんわりと拒絶。
自身を婆さんに見立てて相手を思いやっているユーモアたっぷりの一首です。

「 我が背子に 恋ふとにあらし みどり子の
      夜泣きをしつつ  寐寝(いね)かてなくは 」
                               巻12-2942 作者未詳


( いとしいあなたに心から恋焦がれてしまったみたい。
 まるで赤子のように夜泣きしながら、眠ろうにも眠れずにいる私 。)

好きになってしまった男の面影を目に浮かべながら夜ごとに
忍び音をもらす可愛い女。
ところが相手は「口先ばかり」のいい加減な男だったようです。
「 あぁ、口惜しい、長生きをしてとっちめてやりたい」
と後の歌にありますが、それでも憎みきれないいじらしい女心。

「 時はしも いつもあらむを 心痛く 
      い行く我妹(わぎも)か  みどり子を置きて 」
                       巻3-467  大伴家持

( 死ぬときはいつだってあろうに、よりによって今の今、
 私の心を痛ませて なぜ逝ってしまうのか。
 可愛いい幼子をあとに残して。)

736年ころ16歳の家持は「妾(しよう)」のもとに通っており、
二人の間に3歳ばかりの女の子がいました。
「妾」とは正妻に次ぐ妻の一人で当時の社会では公に認められた慣習ですが
この女性がいかなる人かは不明。

それにしても家持さん16歳にして子持ちとは驚き。

なお、この「おさな児」は後に美しい女性に成長し藤原家に嫁しています。

「 銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに
       勝れる宝 子に及(しか)めやも 」 
                              巻5-803  山上憶良

子に対する愛情を詠い今なお多くの人の胸を打つ名歌ですが、
現代の歌人も負けず劣らず切々たる心情を述べています。

「 あるときは 寝入らむとする 乳呑児の
     眼ひき鼻ひき  たはむれあそぶ 」            若山牧水


「 神の恵み 深く尊く授かりし
             子ゆえに親は  いのちのぶらく 」     伊藤左千夫

             いのち のぶらく : 命がのびるのだろう

「 神の手を いまだ離れぬ 幼児(おさなご)は
          うべも尊く 世に染まずけり 」         伊藤左千夫

「 幼児が 母に甘ゆる 笑み面(おも)の
         吾(あ)をも笑まして 言(こと)忘らすも 」      島木赤彦

多くの子供を抱え生活も決して楽ではない歌人たち。
それでも愛情たっぷり、明るく詠っています。
    
     「 万緑の 中や吾子の歯 生え初むる 」  中村草田男

              緑と白い歯の対比が鮮やかな名句。

最後に思い出の名歌です。

「 こんにちは 赤ちゃん 」

「 こんにちは 赤ちゃん あなたの笑顔
  こんにちは 赤ちゃん  あなたの泣き声
  
  その小さな手 つぶらな瞳
  はじめまして  私がママよ

  こんにちは 赤ちゃん あなたの生命(いのち)
  こんにちは  赤ちゃん あなたの未来に
  
  この幸福(しあわせ)が  パパの希望(のぞみ)よ
  はじめまして  わたしがママよ

  二人だけの 愛のしるし
  健やかに 美しく 育てと祈る

  こんにちは赤ちゃん お願いがあるの
  こんにちは 赤ちゃん 時々はパパと

  ほら二人だけの 静かな夜を
  つくってほしいの おやすみなさい

  おねがい赤ちゃん  おやすみ赤ちゃん
  わたしが ママよ    」

 ( 作詞 永 六輔  作曲 中村八大  歌 梓 みちよ)



万葉集 685 (みどり児)  完





     次回の更新は6月25日(金) の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-17 17:47 | 生活

万葉集その六百八十四 (雲雀の文学)

( ヒバリ 雄 )
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( 雛に餌やりする ヒバリ 雌 )
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( 揚雲雀 )
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万葉集その六百八十四 (雲雀の文学)

 「 揚雲雀(あげひばり) 見上ぐる高さ より高く 」 稲畑汀子

 雲雀の雄は高い空で「ピーチュル ピーチュル」と囀り、雌は
草の茂みなどで「ビユル ビユル」と鳴きます。
「晴れた日に空高く上がって鳴く」ことから「日晴れ」とよばれ
転じて「ヒバリ」になったとか。

ひとしきり楽しげに囀ったあと一直線に地面に降りてくる雲雀。
その姿から揚雲雀、落雲雀ともよばれ、古代から多くの人達に
親しまれてきました。

 私達にとって楽しげに聞こえる雲雀の囀り- 
でもそれは餌を確保するために縄張りを主張しているのです。

また地面に着陸する時、わざと巣からかなり離れた地点に下り、
そこから忍者さながら潜行して外敵に覚られないように戻って
雛を守るなど、実生活の雲雀さんはなかなか忙しい。

   洋の東西を問わず古くから多くの人たちに愛されてきた雲雀は
   文学、詩、和歌、俳句にいたるところで登場しています。

  まずは中原中也の詩から。

「 ひねもす空で 鳴りますは
  あぁ 電線だ 電線だ
  ひねもす空で 啼きますは
  あぁ 雲の子だ 雲雀奴(ひばりめ)だ 

  碧(あ-ぉ)い 碧(あ-ぉ)い 空の中
  ぐるぐるぐると 潜(もぐ)りこみ
  ピーチクチクと啼きますは
  あゝ雲の子だ、 雲雀奴(ひばりめ)だ  」  (中原中也 「雲雀」より)

次は教科書で習った上田敏の海潮音から

「 時は春 日は朝(あした) 
  朝(あした)は七時 

  片岡に露みちて 
  揚げ雲雀なのりいで
  蝸牛(かたつむり)枝に這ひ 
  神そらに知ろしめす。

  すべて世は事も無し 」
             ロバート ブラウニング 
                          (上田敏訳 海潮音所収 春の朝より) 

勿論万葉集にも登場しています。

「 朝(あさ)な朝(さ)な 上がるひばりになりてしか
             都に行きて早帰り来む 」 
                          巻20-4433 安部沙弥麻呂

( 朝ごとに空高く舞い上がる雲雀になりたいものだ。
そして都に行きすぐに戻ってこよう。)

755年、防人が難波に集結して大宰府に出発するにあたり
兵士を閲兵、鼓舞する為に勅使が遣わされました。
数々の行事が終わった後、勅使を慰労する宴が催され、兵部省の役人大伴家持たちが
接待にあたります。

主賓の勅使(作者)は
「春めいてきた都にすぐにでも戻りたいが―。
まだ残務があるので残念だ。
雲雀になって空を飛び、とんぼ返りしたいものだなぁ」と詠った。

「 ひばり上る 春へとさやになりぬれば
      都も見えず 霞たなびく 」 
                           巻20-4434 大伴家持

( もう雲雀が舞い上がる季節になったのですね。都の方角も春の使いといわれる
霞がたなびいていて朧気にかすんでおりますなぁ ) 

「さやに」: はっきりと明瞭に 

古代、霞がたなびくと春が到来したと感じられていました。
家持は勅使に対し
「お勤めご苦労様でございます。
都もすっかり春めいて霞で見えないくらいでございます。
帰心矢の如しでございましょうが、今しばらくご辛抱を」
と気を遣ったものです。

当時の防人制度は関東、甲信越、中部地方から21歳~60歳の男が徴兵され
一旦難波に集結して、そこから船で大宰府に派遣されていました。
(防人の定員は3000人で3年に1回1000人ずつ交代。)

当時の定めでは3000人集結するとき 従5位相当の高官
       1000人 〃      内舎人(天皇の付人)
を派遣し慰労の詔勅を下すことになっていましたが、
今回の場合、かなり重要な軍務のため、更に上の高官即ち
従4位、紫微中台首席次官 (官房と親衛隊を兼ねた天皇直属の行政府次官)を
派遣したので家持も格別な接待をしたようです。
 
なお、当時兵部省次官であった家持は防人達に歌を作って差し出すように命じた為、
当時の実態を知ることができ、重要な歴史遺産となっています。

「 うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上(あが)り
     心かなしも   ひとりし思へば 」      
                     19-4292 大伴家持

( うららかな春の日、暖かい太陽の日差しの中を
  雲雀が空を舞い上がっています。
  こんなに素晴らしい日なのに私の気持ちは
  一向に晴れないで、一人物思いにふけっています。)
                        
この歌は人間の不安、さびしさ、心のゆらめきを表現したものとしては
万葉集の中でも稀有のものであり、家持一人が「万葉集」において達成した世界(伊藤博)と
評されています。
 
家持がこのような孤独感を抱くに至った背景には次のような経緯があります。

大伴家は有史以来、天皇家に従い「武」と「歌」で天皇を守護する名門中の名門。
ところが家持の時代になると藤原一族が政治を壟断して完全に朝廷を牛耳り、
大伴家は凋落の一途を辿ります。
強力な後ろ盾であった聖武天皇、橘諸兄は相次いで世を去り、無力となった家持は
中央の政治の舞台から姿を消し、遂に左遷に次ぐ左遷と悲哀のうちに、その生涯を
都から遠く離れた陸奥の国で終えることになります。

然しながら作歌の世界では澄み切った境地に達し、次から次へと秀作を生み出し
永遠の命を得ました。
孤独とはすべての人間の心の深淵に持つ本源的なものであり、
それを超越すると、やがて「無」という境地に達するものでありましょうか。

再び現代詩の世界へ。

「 雲雀の井戸は天にある・・・・あれあれ
  あんなに雲雀はいそいそと
  水を汲みに 舞ひ上がる
  はるかに澄んだ 青空の
  あちらこちらに
  おおき井戸の 枢(くるる)がなっている 」 (三好達治 揚げ雲雀 )

              枢:井戸の釣瓶(つるべ)の回転軸

最後に漱石の草枕から
 
「 たちまち足の下で雲雀の声がした。
  谷を見下ろしたが どこで鳴いているのか影も形も見えぬ。
  ただ声だけが明らかに聞こえる。- 

  あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。
  のどかな春の日を鳴き尽くし鳴きあかし、
  また鳴き暮らさなければ気が済まんとみえる。
  その上どこまでも登って行く。
  いつまでも登って行く。」                    夏目漱石(草枕)

多くの人たちに愛され親しまれた雲雀は今や余り見かけなくなりました。
緑肥として栽培されていたレンゲソウ、ウマゴヤシ、アブラナ、クローバー、などが
少なくなり、子育てをする場所がなくなったからでしょうか。

「 日輪に きえいりてなく ひばりかな 」 飯田蛇笏


          万葉集684 (雲雀の文学)完


         次回の更新は5月18日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-10 15:41 | 動物

万葉集その六百八十三 (目には青葉)

( 室生寺の青葉  奈良 )
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( 長谷寺の紅葉若葉   奈良 )
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( 万葉人に愛されたホトトギス)
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( カツオ、タイ 岸浪 百草居 魚百種類献上絵巻の一部 )
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( ヒメウツギ:卯の花  長谷寺  奈良 )
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  万葉集その六百八十三 (目には青葉)

「 目には青葉 山ほととぎす はつ鰹 」  山口素堂

あまりにも有名なこの句は鎌倉で詠まれたとの前書があります。
目にも鮮やかな青葉。(視覚)
山々から下りてきたホトトギスの鳴き声。(聴覚)
それだけでも素晴らしいのに相模の海は初鰹がたっぷり。(味覚)
見てよし、聞いてよし、食べてよし。
三拍子揃った鎌倉はなんと素晴らしい土地柄だろう。

「 不二ひとつ うづみ残して わかばかな 」  蕪村

初夏の色は緑、それも鮮やかな若緑です。
「みどり」という言葉はもともと「瑞々(みずみず)し」に関連する語で
木々草木の新芽をいい、やがて「みず」が」「みど」に変化し色名に
なったと云われています。

しかしながら万葉集で色名を詠ったものは2首しかありません。
当時、緑単独の染料がなく、黄色と青を掛けあわせていたので
青との識別が厳密でなかったためでしょうか。

「 春は萌え 夏は緑に 紅の
     まだらに見ゆる  秋の山かも 」 
                        巻10-2177 作者未詳

「 浅緑 染め懸(か)けたりと見るまでに
     春の柳は 萌えにけるかも 」  
                       巻10-1847 作者未詳

( 薄緑色に糸を染めて、木に懸けたと見まがうほど 
  柳が美しい緑の芽を吹き出しましたよ )

浅緑色は浅葱(あさぎ)色ともいわれ、葱の芽出しのような黄色味を帯びた緑をいい、
句歌では「浅緑」は柳の新芽、「若緑」は松の新芽にと使い分けられています。

また新緑に関する季語は多く「新樹」「若葉」のほか「若楓」「柿若葉」「樫若葉」
「椎若葉」「樟(くす)若葉」など木々の種類によって分類され、
細かなニユーアンスを伝えています。

「 玉垣や 花にもまさる べに若葉 」 阿波野 青畝

日本列島いたるところで木々がいっせいに芽吹く皐月(さつき)。
濃淡鮮やかな緑や紅色が入り交じり目もさめるような美しさ。
いよいよ爽やかな初夏到来です。

「 朝霧の 八重山越えて ほととぎす
       卯の花辺(はなへ)から 鳴きて越え来ぬ 」 
                        巻10-1945 作者未詳

(  立ちこめる朝霧のように幾重も重なる山を越え
       ほととぎすが卯の花の咲いているあたりを越えて
       鳴きたてながらこの里にやってきた。)

ホトトギスは南方から飛来する渡り鳥ですが、昔の人たちは
冬の間、山にこもり、暖かくなると里に下りてくるものとばかり
思っており、山ホトトギスと呼んでいました。
それは「そろそろ田植えの時期だよ」と教えてくれる鳥であり、
その鳴き声を聴き逃すことは収穫に大きな影響を与えることになるので
真剣にその初音を聴き漏らすまいと耳を傾けていたのです。

万葉人は「キヨッキヨキヨキヨ」と独特の鳴き声を響かせるホトトギスに
よほど魅力を感じていたのか155首も歌を残しました。
中でも大伴家持は異常なほどののめり込みようで66首も詠っています。

「 ほととぎす 鳴きわたりぬと 告ぐれども
     我れ聞き継がず 花は過ぎつつ 」  巻19-4194 大伴家持

( 時鳥が、ここを鳴いて渡ったと人が告げてくれたが、
     私はまだ聞いていない。
     花の盛りはどんどん過ぎていくというのに。)

詞書に時鳥が鳴くこと晩(おそ)きを恨むる歌とあります。

家持は当時色々悩み事があり、時鳥の声さえ聴けば心が
晴れるだろうという心境だったようです。
なお、この歌の花は前歌との関係から藤。

 「 谺(こだま)して  山ほととぎす ほしいまま 」 杉田久女 

青葉、ほととぎすに続き最後は鰹。

鰹は世界中の温暖な海域に分布し、日本近海には2月頃から黒潮に乗って
大群で北上し、水温が下がる10月にはまた南に下る回遊魚です。
漁師たちは黒潮が沖合からふくらんできて、その澄んだ海面に山の青葉が
影を映す頃を青葉潮とよび、鰹、ビンナガマグロ、クロマグロの群れが
通過するのを首を長くして待っています。

古代から貴重な栄養源とされてきた鰹は痛みやすく、冷凍などの保存技術が
なかった時代は干したものを食べていたので「堅魚(かたうお)」と
よばれ、それが「かつお」に変わり、漢字も「堅+魚」から
一字の「鰹」になったとか。

万葉集にはただ1首、浦島伝説の魚釣り場面の一節に登場します。

「 - - 水江(みずのえ)の 浦の島子が 鰹釣り鯛釣りほこり
  七日まで 家に来(こ)ずて - - )   
                     巻9-1740 高橋虫麻呂歌集(長歌の一部)

( あの水江の浦の島子が鰹や鯛を釣っていて夢中になり、
      七日経っても家に帰らず-)

「釣りほこり」とは、次から次へといくらでも釣れるので夢中になり
調子に乗ることで、当時は鯛も鰹も豊富に獲れたのでしょう。

  「 ふじ咲(さき)て 松魚(かつお)くふ日を かぞへけり 」   宝井其角 

鰹を松魚を書くのは鰹節の質感が松材に似ているからだそうな。

鰹は蛋白質、ビタミン類、鉄分が豊富な上、うまみ成分であるグルタミン酸が多く
大和朝廷でも重要な食料として各地から貢納させていました。

鰹が生で食べるようになったのは鎌倉時代から。
「勝つ魚」に通じる語感が縁起よく、武士をはじめ庶民、貴族にも大いに
食されたようです。

  「 鎌倉を 生きて出(いで)けむ 初鰹 )  芭蕉

江戸時代、4月末から5月上旬の時期に、伊豆や鎌倉で捕れた鰹は
江戸っ子に熱狂的にもてはやされました。

芭蕉の句は鎌倉で採れた鰹を生きたまま早飛脚で江戸に運ばれ人々に
供されたさまを詠んだもの。

当時「初物を食べれば寿命が延びる」という言い伝えがあり、
女房、子供を質においてでも初鰹を食えと粋がる江戸っ子。
数少ない鮮魚の値段は高騰し小判一枚、今の値段で7万円くらいでしょうか。
無理して買った人は後の支払いにやり繰り算段したようです。

「 聞いたかと 問われて 食ったかと答え」  江戸時代の川柳

(  ホトトギスの初音を聞いたかい?
       聞いた、聞いた、それはそれは、素晴らしい声だったよ。
       ところで、お前さんこそ初鰹を食ったかね? )

そんな会話が庶民の間で交わされていたのでしょう。

食通にいわせると

「 脂の少ない初夏は土佐造り(タタキ)。
 身の外側をさっと炙り、厚く切ってシヨウガ、ニンニク、青ジソなどを盛り
 かんきつ類の汁と醤油で食べる。
 脂の乗った秋は刺身の濃厚な風味を味わうがよし。」

とのことであります。

  「 みどり葉を 敷いて楚々たり  初鰹 」  三橋鷹女


     万葉集683 (目には青葉) 完


     次回の更新は 5月11日 (金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-05-03 11:03 | 生活