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万葉集その六百九十一 (末摘花)

( 末摘花は紅花の別名。 花の先端を摘むのでその名がある。 )
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(  染料や口紅の原料になるが、絹2反染めるのに紅花12kg必要とされる超高級品 )
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( 最初は黄色 だんだん赤くなります。 種から油をとり、葉は漢方薬に )
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( 黄の色素は水に流れるのでこの性質を利用して紅の原料を取り出す、)
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万葉集その六百九十一 (末摘花)

「末摘花(すえつむはな)」は「紅花」の別名で、開いた花の先端だけを
摘み取って染料や口紅の原料にすることからその名があります。

1991年、邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡から
大量の紅花の花粉が発見され、綿密な調査分析の結果、3世紀中頃には
加工技術を携えてきた渡来人がこの地域で染物や化粧品などの生産を
していたことが判明しました。

魏志倭人伝に記載されている卑弥呼が魏の皇帝に献じた赤色の織物は、
これらの紅花が使われた可能性もあるとされています。

古代の王朝人にとって紅は紫と共に最高の色。
紫は高貴、紅は情熱。
男達を魅了した恋の色でした。

万葉集では26首が紅(くれない)、1首が末摘花と詠われています。

「  紅の裾引く道を 中に置きて
      我れか通はむ 君が来まさむ 」 
                       巻11-2655 作者未詳

( 紅の裳裾を引いて歩きなれた道。
 こんな道が真中で二人の間を少し隔てているだけなのに、
 ちっとも会えない。
 いっそのこと、私の方からあなたのもとへ行きましょうか。
 それとも、あなた様からお出でくださいますか。)

男から女のもとに通うのが習いの時代。
すぐ近くに住んでいるのに一向に訪れてこない男。

毎日毎日、今か今かと待ち続けるも、とうとう我慢が出来なくなって、
自分の方から押しかけようかと催促しています。
でもこれはルール違反。
ちょっと脅迫めいた詠いぶりです。
そんな女に嫌気がさして男は心変わりしたのかもしれません。

「 紅に 深く染(しみ)にし 心かも
    奈良の都に 年の経(へ)ぬべき 」 
                        巻6-1044  作者未詳

( 紅に色深く染まるように深く馴染んだ気持のままで、私は奈良の都で
   これからの年月を過ごせるのであろうか、)

740年10月の終わり、伊勢に向かった聖武天皇が12月15日に突然
恭仁京遷都を決め、造都を急ぐため5位以上の官吏をすべて新宮に移住させました。

この歌は奈良に残された老人が詠ったものと思われ、荒れるに任せている都の
惨状を眺めながら、華やかだった頃を懐かしみ、これから先、愛情を持ち続けて
住み続けることが出来るだろうかと嘆いています。
老人の瞼には都の建物の赤い柱や行き交う乙女の紅の衣が
目に浮かんでいたのでしょう。

「 黒牛の海 紅にほふ ももしきの
         大宮人し あさりすらしも 」
                   巻7-1218 藤原卿

( 黒牛の海が紅に照り映えている。
 大宮に仕える女官たちが、浜辺で砂(すなど)りしているらしい。)

作者の藤原卿は不比等、武智麻呂、房前、宇合、麻呂のうちの誰か。
房前が有力視されています。

701年持統太政天皇、文武天皇が紀伊の国、牟婁(むろ)の湯に行幸された折の
歌かもしれません。

黒牛は和歌山県海南市黒江、船尾あたり。
黒と紅を対比させたもの。

女官たちが赤い裳裾(ロングスカート)をたくし上げ、白い素足を出しながら
砂浜で浅利などを獲っている。
マリンブルーの美しい海と白い真砂。
明るい笑い声が響きわたり、絵画のような情景です。

「 外(よそ)のみに 見つつ恋ひなむ 紅の
      末摘花(すえつむはな)の 色に出でずとも 」 
                          巻10-1993 作者未詳

( たとえあの方が 色鮮やかな末摘花のようにはっきりと私のことを好きだと
    素振りに見せて下さらなくともいいのです。
    私は遠くからそっとお慕いしているだけで。 )

万葉集唯一の「末摘花」。
この言葉は古今和歌集に本歌取りされ、源氏物語の主要登場人物の名前「末摘花」
として採られ、そして現在に至るまで夏の季語として使い続けられている。
名もない万葉人の恐るべき造語力です。

「 人知れず 思へば苦し くれなゐの
      末摘花の 色に出でなむ 」 
                    よみ人しらず 古今和歌集

( あの人に知られないままに こっそりと想っているので苦しいことです。
  いっそのこと、あの鮮やかな紅の末摘花のように はっきりと態度に
  出してしまおうか。)

前記の万葉歌(10-1993)を本歌取りしたもの。
こちらは秘めたる恋は苦しいので、いっそのこと相手に告白しようか
と詠っています。

「 なつかしき 色ともなしに 何にこの
           末摘花を袖に ふれけむ 」 
                         源氏物語(末摘花)

( それほど心惹かれたわけでもなかったのに
 なぜ末摘花のような赤い鼻の姫と寝てしまったのか。)

美女が多い源氏物語の中で異色の姫君が登場。
この歌の背景をざっと述べると、


「 光源氏は心惹かれていた優しくしとやかな夕顔を失い思い悩んでいる。

  その頃、故常陸宮の姫が父君亡きあと、荒れゆく館に一人寂しく
  暮らしながら、時折琴をかき鳴らして過ごしていることを耳にする。

  源氏は心を動かされて仕えている命婦に、その琴を聞きたいと手引きを頼む。
  ところが、源氏の親友、頭中将(とうのちゅうじょう)もこの姫に
  心をかけていて、二人競り合っていた。

  源氏はしばしば姫のもとに文を送るが、引っ込み思案の姫からは
  何の返事もなし。
  ある夜、源氏は何としても姫の琴を聞きたいと強引に召使に案内させ、
  とうとう姫の部屋に入り込む。

  暗い夜、灯りもなく容姿は分からないが静かで鷹揚、少し頼りなさそうな
  姫様のようだ。

  そのような様子を奥ゆかしく好ましいと思った源氏は後日再度訪問し、
  遂に共に一夜を過ごす。
  しかしながら、その時も部屋は薄暗く顔かたちははっきり分からない。

  そしてある雪の日、偶然にも姫の顔を見た。 」

俵万智さんの表現を借りると (愛する源氏物語 文芸春秋社より)

「 座高が高くて猫背、鼻は象のように長く、その鼻の先が垂れて赤く
  色づいている。
  髪だけは豊かで美しいが、青ざめた肌に、やけに広い額。
  長い顎、骨ばった肩、身に付けているものも、古臭く
  薄汚く、仰々しい。
  気力をふりしぼって話しかけると、儀式を行う役人のような仕草で
  口もとを押さえ、恥ずかしがる。
  その上、無理な笑顔がニターッと・・・。

  原文は、これより詳しく、まったく容赦のない描きぶりで
  同じ女性として、読んでいて辛くなるような場面である。」

それでも光源氏は、この姫をあとあとまで面倒を見たのですから
立派なものです。

「 百姓の 娘顔よし 紅藍(べに)の花 」 高濱虚子

紅花の栽培地は山形県の月山の麓や最上川のほとりがよく知られていますが、
出羽最上が産地として台頭するのは江戸時代からで、
昔は伊勢、武蔵、上総、下総、大和など二十四か国が税として
納めていました。

6月中旬ころ、飛鳥を一望できる甘樫の丘の西側や石舞台古墳の北側の
丘陵地に咲く数千本の紅花群の中に立つと、遥か昔、卑弥呼が中国に
送った紅染めの衣や飛鳥高松塚古墳壁画の女性の赤色鮮やかな唇が
目に浮かび、遥か遠くの夢の世界に誘(いざな)ってくれます。

  「 わが恋は 末摘花の 莟(つぼみ)かな 」 正岡子規



  万葉集691 (末摘花)完


次回の更新は 7月6日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-28 17:02 | 植物

万葉集その六百九十 (麦の歌)

( オオムギ  奈良万葉植物園 )
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(  コムギ     同上 )
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(  ライムギ  東京都薬用植物園 )
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(  映画 麦秋ポスター  )
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  万葉集その六百九十 (麦の歌)

麦は古代の主要な穀物のひとつで大別して大麦と小麦に分けられます。
大麦の原種はアフガニスタンから西アジア一帯の山岳地に野生する
二条種、穂に粒が二列に並んでいるものとされ、他に進化した六条種も。

我国には3~4世紀に朝鮮からの移民と共に伝来し、
主に醤油、味噌、麦酒、飴などの原料や家畜の飼料に用いられ、
その後色々な品種改良がなされてきました。

 小麦の主要種であるパンコムギの原産地は、西アジアのカピス海南岸を
中心とする地域とされ、4~5世紀に中国北部から朝鮮を経て北九州に。
主にパン、うどん、麺、菓子の原料として広く用いられています。
 
723年、朝廷は飢饉に備えて麦などの雑穀の栽培を奨励する太政官府を
発布しており、オオムギはそのまま粒食し、コムギは主として粉にして、
餅(団子)や煎餅に加工されたようです。

万葉集では3首、それも恋の歌です。

「 馬柵(うませ)越し 麦食む駒の はつはつに
      新肌(にひはだ)触れし 子ろし愛(かな)しも 」 
                      巻14-3537(或る本)   作者未詳

(  柵ごしに麦を食む馬は柵に妨げられて、ほんの少しづつしか食べられない。
  そのように、俺はあの子の新肌に、ほんの少し触れただけ。
  あぁ、あの子が可愛くて、いとおしくてたまらないよ。)

「馬柵越し」:柵を隔てて麦を食う馬の動作、馬は穂の出る前の青麦を好む。

「はつはつに」:「はつかに」から現在の「僅かに」に変わった言葉。

 かわいいあの子の新肌に、ただ一度ほんの少しだけ触れた。
 恥ずかしがっていたあの姿、思い出すたびに益々可愛くなる。
 あぁ、ほんのちょっとでは満足できない。
 心ゆくまで抱きしめてやりたいよ。

馬の比喩が新鮮。情景が目に浮かぶような1首です。

「 馬柵(うませ)越しに 麦食(は)む 駒の 罵(の)らゆれど
       なほし恋しく 思ひかねつも 」 
                         巻12-3096 作者未詳

( 馬柵越しに麦を食べている馬が怒られているように
私も母親から、あの人に会うなと怒鳴りつけられてしまった。
でも、やっぱり恋しくて恋しくて--。
そう簡単に忘れられないわ。 )

好きな男に こっそり逢っているところを母親に見つかり
「もう逢うな」と怒鳴りつけられた。
でも、私は好きなのよ、忘れるなんて無理、無理 。

前掲載14-3537(男歌)の続きと見ると面白い。(巻は離れているが)

 「 初夏の雲の なかなる山の国
       甲斐の畑に 麦刈る子等よ 」  若山牧水

 「 麦刈りや 娘二人の 女わざ 」  村上鬼城

麦収穫の時期を麦秋といい6月一杯。
そうそう、往年の大女優、原節子主演の「麦秋」という映画もありました。
     ( 1951年 小津安二郎監督 )

この時期は蛍飛ぶ季節。
夜空を美しく彩ります。

 「 夜半の風 麦の穂だちに 音信(おとづれ)て
       蛍とふべく 野はなりにけり 」     香川景樹

近代で麦が食料として大活躍したのは先の大戦後。
米が不足するなか50%麦入りの飯,時には80%の麦飯。
真っ黒な弁当におかずは梅干し1つということもありました。

白米は勿論、麦すら食べられない人はさつま芋汁(すいとん)や、
麦粉を焼いてお湯に溶かした焼きこがし。
この匂いはなかなか芳しく、今でも懐かしく思い出されます。

 「 むせるなと 麦の粉くれぬ 男の童 」 召波

それでも何とか健康を維持出来、パンやミルクの配給が始まると、
食糧事情は徐々に好転、餓死する人は少なかったよう。

今や「麦とろ」や「麦入り、雑穀入り飯」は健康食に。
昭和は遠くなりにけりです。

「 麦飯に 瘦せもせぬなり 古男 」   村上鬼城

高度成長期になると、少年少女たちは
     
「 二人が会うのは麦畑 
  仕事の休みに話します
  空には ま白な雲が行く
  二人は楽しい恋人です 」  (スコットランド民謡)

という歌を学校で習い、中年のおじさんたちは

 「 麦笛や 四十の恋の 合図吹く 」  高濱虚子

のでした。


       万葉集690(麦の歌)完



   次回の更新は6月29日(金)の予定です。

                    
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by uqrx74fd | 2018-06-21 16:29 | 植物

万葉集その六百八十九 (入梅)

( 傘さす子供   春日大社  奈良 )
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( 卯の花  歌の世界では 「卯の花腐:くた)し」 と詠われる   奈良万葉植物園)
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( フサフジウツギ  ウツギは卯の花の現代名  小石川東大植物園 )
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(  6月に咲いたカワラナデシコ   奈良明日香 ) 
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( 雨の露草  法華寺  奈良 )
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   万葉集その六百八十九 (入梅)

暦の上での入梅は立春から135日目。
梅の実が熟する頃です。
通常6月11,12日あたりから始まる約30日の長雨と予測されていますが、
今年は6月6日に近畿、東海、関東甲信越が梅雨の入り。

「梅の雨」という言葉は室町時代の本に見える(倉嶋 厚:季節しみじみ事典)そうですが、
歌語としてよく使われるようになったのは江戸時代。

   「 降る音や 耳も酸(す)ふなる 梅の雨 」  芭蕉

( 梅雨時の連日の雨音は、いいかげんに聞き飽きて、
  耳も酸っぱくなる感じである。
  「酸っぱいのも道理、梅の雨だもの。」
   という洒落 )

が早い例とされていますが、万葉時代この季節の雨は「卯の花腐(くた)し」と
詠われました。

「 卯の花を腐(くた)す長雨(ながめ)の 水始(みずはな)に
    寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ子もがも」 
                                19―4217 大伴家持

( 卯の花を痛める長雨で水かさが多くなった川、その流れの先に木の屑が
  いっぱい集まっています。
  このような木屑のように私のところに美しい女性が
  集まってくれたらいいのになぁ。)

    水始(みずはな):  「はなみず」とも読み水量の増した流れの先端のこと。
                 ここでの「腐(くた)す」は「腐らす」ではなく「散らす」「だめにする」
                 の意です。

万葉人にとって、この時期の長雨は卯の花だけではなく、
撫子、花橘も散らし、ホトトギスを山にとどめておく恨めしい雨でした。

「 かくばかり 雨の降らくに ほととぎす
      卯の花山に なほか鳴くらむ 」  
                     巻10-1963 作者未詳

( こんなに雨が降っているのに、 ホトトギスは卯の花の咲く山辺で
 今もなお鳴きたてているのであろうか )

「 ホトトギスよ!
お前がいくら卯の花を好むかといっても、こんな雨が降る中、
いつまでも山の中にこもって鳴きたてていなくてもよいだろう。
早く里に下りてきて、ここで鳴いておくれよ 。」

と初音を待ちわびる作者です。

「 見わたせば 向ひの野辺の なでしこの
           散らまく惜しも 雨な降りそね  」
                  巻10-1970 作者未詳

( 見わたすと ま向かいの野辺に美しく咲いている。
  雨よ 降らないでくれ。
  こんな美しい花を散らすのが惜しいんだよ。)

撫子は花期が早く6~7月から咲き出します。
桔梗も然り。
秋の7草が一堂に会することは、もはや無理かもしれません。

「 雨間(あめま)明けて 国見もせむを 故郷の
       花橘は 散りにけむかも 」  
                         巻10-1971  作者未詳

( 雨の晴れ間を待って山野を眺めたいと思っているのに
 故郷の橘の花は 雨に打たれてもう散ってしまったことであろうか )

作者は旅に出て帰郷する途中のようです。
はるか彼方の故郷の方角を眺めながら、「懐かしい花橘よ、散らずに待っていておくれ。」
と願う作者。

「 卯の花腐(くた)し」は平安時代になると「五月雨」(さみだれ)と共に
詠われるようになります。

「 いとどしく 賤(しづ)の庵(いほり)の いぶせきに
       卯の花腐し  五月雨(さみだれ)ぞする 」 
                            藤原 基俊(もととし)

( ただでさえ鬱陶しいわび住いの庵なのに、五月雨が降り続き
  卯も花を傷めつけていることよ 。)

梅雨時の憂鬱を表現するため、花を次第に弱らせていく「卯の花腐し」と
「五月雨」をかさねあわせたもの。

「 五月雨に 物思ひおれば 時鳥
    夜深く鳴きて  何地(いづち)ゆくらむ 」 
                        紀友則 古今和歌集

( 五月雨の季節です。
物思いにふけってじっとしていると、ホトトギスの声が聞こえる。
こんなに夜更けに鳴いていったい何処へいくのであろうか。)

千々に思い乱れている恋する人。
「さ乱れ」と「五月雨(さみだれ)」 を掛けた技巧の歌です。

そして江戸時代にやっと梅雨が登場します。

 「 筍の 合羽(かっぱ)着て出る 入梅(ついり)かな 」 支考

筍(たけのこ)の皮を合羽に見立てた洒落。
この時期は筍がにょきにょきと伸びる季節です。

 「 五月雨を 集めてはやし 最上川 」  芭蕉

梅雨の語源は多湿を意味する「つゆ」とされ、湿っぽく感じますが、
五月雨の語感は強く爽やか。

そして現在。

「梅雨」は主に時候,雨期を、「卯の花腐し」「五月雨」は共に
雨そのものを詠うという繊細な表現がなされています。

以下はそれぞれの使用例です。

「 谷川に 卯の花腐し ほとばしる 」 高濱虚子

「 五月雨(さみだれ)は 今ふりやみて 青草の
      遠(とほ)の大野を 雲歩みゆく 」  太田水穂

「 これよりの 梅雨の憂き日の 一日目 」  稲畑汀子



       万葉集689 (入梅) 完


      次回の更新は6月22日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-14 17:50 | 自然

万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

( 橘の花  山の辺の道  奈良 )
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( 紫草  東京都薬用植物園 )
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( ニワトコ: 古代名 山たづ  東大小石川植物園 )
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( エゴの木  古代名 山ぢさ   同上 )
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( シロバナヤエウツギ  古代名 卯の花  同上 )
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  万葉集その六百八十八 (夏の白い花)

藤、躑躅、牡丹、芍薬が過ぎ、今は花菖蒲、紫陽花、紅花、薔薇の季節。
山百合の蕾もふくらんできました。
野山を色とりどりに染める中、白い花々がひっそりと咲いているのも心洗われ、
清々しい気持ちにさせてくれます。

「 わがやどの 花橘を ほととぎす 
        来鳴き響(とよ)めて 本(もと)に散らしつ 」 
                                 巻8-1493  大伴村上

( 我家の庭の橘の花、美しく咲くその花を
     ホトトギスがやってきて鳴きたて、根元に散らしてしまった。)

作者は家持と古くから交流があったようですが、一族の系統は未詳。

橘は近畿地方以西の暖かい海岸線に近い山地に生育するミカン科の常緑高木で、
古くは蜜柑類の総称とされていました。
6月頃、5弁の白い花を咲かせ、秋には黄色の美しい実を付けますが、
古代の橘は我国固有のニホンタチバナと推定され、酸味が強くて食べられなかったので、
もっぱら観賞用として植栽されていたようです。

白い花、黄金色の実、常緑の葉。
橘は永遠の繁栄を人の世にもたらすものとして珍重され
「常世花」(とこよばな)ともよばれていました。

   「 駿河路や 花橘も 茶の匂ひ 」  芭蕉

次は根が赤く紫色の染料になるのでその名がある紫、
花は小さな小さな白色です。

「 韓人(からひと)の 衣(ころも)染むとふ 紫の
                  心に染みて 思ほゆるかも 」 
                   巻4-569 麻田陽春(あさだ やす)


( 韓人が衣を染めるという紫の色が染みつくように
 紫の衣を召されたお姿が私の心に染みついて
 あなた様のことばかり思われてなりません。)

730年、大宰府長官、大伴旅人が大納言に任ぜられ都に栄転することに
なった折の送別の宴での1首。
作者は旅人が高貴な身分に許される紫染めの衣を着用していたので、昇進のお祝いと
尊敬をこめて詠ったものと思われます。

紫草はムラサキ科の多年草で日当たりのよい草地に自生し、
初夏に五弁の白い花を咲かせます。
根が赤紫色をしているのでその名がありますが、古代から紫染めの重要な染料とされ
また乾燥させて皮膚病、解熱、火傷、などの薬用にも用いられていました。

古代の人の憧れであった紫草の栽培は19世紀中頃、石炭の副産物コールタールの
成分から誕生した化学染料の普及により急速に衰退し今や絶滅の危機に瀕しています。

次は「ニワトコ」(古代名 山たず)

ニワトコはスイカズラ科の落葉低木で、まだ寒さ厳しい2月、
多くの木々が冬籠りをしている最中(さなか)に緑も鮮やかな新芽を出し、
「もうそろそろ春だよ」と告げてくれる目出度い木です。
本州、四国、九州の山野に自生し、早春、暖かくなるとブロッコリーのような
蕾から淡いクリーム色の五弁の小花を房状に咲かせ、夏から秋にかけて
美しい赤色の球形の実をつけます。

「 君が行(ゆ)き 日(け)長くなりぬ 山たづの
     迎へを行(ゆ)かむ 待つには待たじ 」 
                            巻2-90 衣通王(そとほりの おほきみ)

( 恋しいあの方との別離以来、随分長い日にちが経ちました。
  もうこれ以上待てません。 
  今すぐにでもお迎えに上がりたいのです。)

この歌の題詞に
「古事記に曰く軽太子(かるのひつぎのみこ)、軽太郎女(かるのおほいらつめ)に姧(たは)く。
この故にその太子を伊予の湯に流す。
この時に衣通王(そとほりのおほきみ)恋慕(しのひ)に堪(あ)へずして
追ひ往(ゆ)く時に、歌ひて曰く」  とあります。

軽太子は 第19代允恭天皇の皇子 木梨軽皇子
軽太郎女(かるの おおいらつめ)は 皇子の同母妹で体が光り輝き
衣を通すほど美しかったので衣通王(そとほりのおほきみ)ともよばれていました。

その二人が「同母兄妹の結婚は厳禁」という掟を破ったので皇子は伊予に
流されたのです。
流罪が何時解けるか分からない皇子。
禁忌の恋といえども燃えさかった炎は簡単に消えそうにありません。
衣通姫はついに伊予まで行き皇子に逢おうとしているようです。

逢ったところでまた引き離されるだけなのに- -。

せめて異母兄妹であったなら許されもしたことでしょう。
このような悲恋が起きたのは兄妹別々に育てられたせいかも知れません。

なお、この歌は古事記、日本書紀の話を形を変えて転載されたもの。

「ニワトコ」という名前の由来は古事記の
「山たづといふは、今の造木(みやっこぎ)をいふ」の記述に由来し、
「ミヤッコギ」が「ミヤッコ」→「ミヤトコ」→「ニヤトコ」→「ニワトコ」に
転訛したものと推定されています。

  「 えごの花 一点白し  流れゆく 」 山口青邨

次はエゴの木、果皮にエグ味があるのでその名があり、
   古代「チサ」とよばれていました。

「 息の緒に 思へる我れを 山ぢさの
    花にか君が うつろひぬらむ 」 
                        巻7-1360 作者未詳

( 命がけで思っている私なのに あなたは山ぢさの花のよう。
  もう気持が変わったの? )

エゴノキの花は美しい純白。
然しながら盛りは短く、すぐに茶色に変色して萎んでしまう。
花のうつろいやすさにかけて男の心変わりを嘆いている可憐な乙女です。

「息の緒」とは、「苦しさのあまり死を思う状況の中で、僅かな生を意識した時に
用いられ、命の極限状態をあらわす言葉(伊藤博)」です。

「エゴノキ」は小川のほとりなどに多く自生しているエゴノキ科の落葉高木。
初夏になると小枝の先に5弁の白い花が塊になって下向きに咲き、花後、
ラグビーボールのような形をした小さい緑色の果実が無数に実り、熟すと
果皮がさけて褐色の堅い卵形の種子が落下します。

昔はその種から油をとり洗濯に使っていたので石鹸の木とも。
実が固く、遺跡が発掘されると良く出てくるそうです。
この果実や葉をすりつぶして採った樹液を川に流して
魚を獲る方法があり(現在は禁止)魚がふらふらになって浮かんでくるそうな。

最後に「夏は来ぬ」と歌われている卯の花。

「 卯の花の 咲く月立ちぬ ほととぎす
     来鳴き響(とよ)めよ  ふふみたりとも 」 
                            巻18-4066 大伴家持

( 卯の花咲く4月がついに来た。
     ホトトギスよ来て鳴きたてておくれ。
     花はまだ蕾のままであろうとも。)

月立ちぬ : 卯の花が咲く月がやってきた 
         ここでの4月は旧暦、現在の5月中旬
ふふみたりとも:「含む(ふふむ)」蕾のままの意

北は北海道か南は九州まで自生する卯の花。
今は空木(ウツギ)とよばれている落葉低木です。
木の中が空洞であるためその名があるといわれていますが、
材質が固いので古くから木釘や杖、槌などに加工されました。

折口信夫氏は
「 この花はその年の稲の豊凶を占う花で、山野に長く咲く年は豊作、
  長雨続きで花が少ないか、あるいは早く散るときは凶作と信じられた」(花と民俗)

と述べておられますが、卯の花の蕾が米に似ているからなのでしょうか。

「 卯の花の 匂う垣根に   
  ほととぎす 早も来鳴きて
  忍音もらす  夏は来ぬ    」  

                 「 夏は来ぬ より 佐々木信綱作詞 小山作之助作曲」



     万葉集688(夏の白い花) 完


     次回の更新は6月15日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-06-07 16:49 | 植物