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万葉集その六百九十五 (雷神)

( 一天にわかにかき曇り ゴジラ登場:右端  N.F さん提供 )
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( 雷電とは雷と稲妻  では稲妻とは?( 委細は本文で)
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( 風神雷神図屏風  俵屋宗達  東京国立美術館蔵 )
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( 暴風雨の中の遣唐使船  奈良万葉文化館 )
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  万葉集その六百九十五 (雷神)

雷は昔から地震と共に恐れられ、その被害も大きかったので
神の仕業と思われていました。
雷(いかづち)の語源は「厳(いか)つ霊(ち)」で「畏怖すべき神」。
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」では鬼形で描かれています。

また雷の光は稲と結合して実を結ぶと信じられていたことから、
稲妻という言葉も生まれました。
雷が鳴り雷光が頻繁に光ると空中の窒素が分解されて地中の窒素肥料となり
地上の稲を妊娠させる。
つまり、稲妻は豊年のしるしなのです。
勿論、古の人達はそのような科学的根拠を知る由もありませんが、
その自然観察の正確さには ただただ驚嘆するばかりです。

古代の雷は「鳴る神」とよばれ、原文表記は雷神、鳴神、響神。
いずれも「なるかみ」と訓まれていますが、当時はそれほど恐ろしいと
感じていなかったのか枕詞や恋歌に登場します。

「 鳴る神の 音のみ聞きし 巻向(まきむく)の
    檜原の山を 今日(けふ)見つるかも 」 
                  巻7-1092 柿本人麻呂歌集

( 噂に鳴り響いていた巻向の檜原の山。
 ようやく念願かなって、今日この目ではっきりと見たよ )

人麻呂は巻向周辺で多くの歌を詠っており、この近くに妻が住んでいたためと
思われます。
この歌も格調の高く、人麻呂が詠ったものと推定され、
初めて巻向を見た人の立場になり、大いに感動した心を述べています。
巻向は山の辺の道、三輪山近くにあり、檜原神社は伊勢神宮の本家と
されている由緒ある社です。

「 鳴る神の 少し響(とよ)みて さし曇り
       雨も降らぬが 君を留めむ」 
                     巻11-2513 作者未詳

( 雷がちよっとだけ鳴って、空がかき曇って雨でも降ってくれないかなぁ。
 そしたらあなたをお引止めできるのに)

二人は逢い引きの最中。
まだまだ別れたくない女。
雷に事寄せて男に甘えています。
それに対して男は

「 鳴る神の 少し響(とよ)みて 降らずとも
      我(わ)は留まらむ  妹し留めば  」  
                      巻11-2514  作者未詳

( お前さんが 俺の袖を引っ張って胸に飛び込んでくれたら
 雷など鳴らなくても、ずっと一緒にいるさ。)

「 すがってこなければ帰っちゃうぞ 」と半ば体の関係を持ちたい
下心がある男。
伊藤博氏によれば、
「 雷雨などをもちだして不安や悲哀を述べるのは日本の歌の伝統 」
なのだそうです。

「 あまのはら 踏みとどろかし 鳴る神も
        おもふ仲をば 裂くるものかは 」  
                 読み人しらず 古今和歌集

( 広い大空を踏みとどろかせて鳴る雷とて、愛し合う我々二人の
 仲を離すことなど出来はしないよ )

どうやら抱き合っていた二人が突然轟いた雷の音に驚き、
ますます強く抱きしめた場面のようです。
すこし大げさでながらユーモラスな一首。

「 逢うことは 雲居はるかに 鳴る神の
     音に聞きつつ 恋ひわたるかな 」 
                         紀貫之 古今和歌集

(  あなたにお逢いすることは、遥か遠くに隔てられているため果たし得ず
  ただただ噂に聞くだけで恋い慕い続けていることです。)

雲居はるかは宮中奥深いの含意があり、相手は高貴な女性なのでしょう。
男女が逢うことは結ばれること、でも、ままならない忍ぶ恋。

  「遠雷を聞く」は「噂に聞く」の意。

古代の人達にとって「鳴る神」は恋を取り持つ神様だったようです。

 「 脳天に 雷火(らいか) くらひし その刹那 」   緒方句狂

以下は長谷川櫂著 「季節の言葉(小学館)」からです。

「 右大臣菅原道真は藤原氏の讒言(ざんげん)により大宰府に左遷され
悲しみと憤りのうちにそこで亡くなる。
その後、都では落雷が相次いだために、道真の怨霊が雷になって
たたりをなしているに違いないと信じられた。
ところが、都でかって道真の邸宅があった場所には一度も雷が落ちない。
そこが桑原というところであったので、後に「桑原、くわばら」と
唱えると、雷除けになるという言い伝えが生まれた。 」

「 鳴神や 暗くなりつつ 能最中(さなか)  」 松本たかし

      能狂言で「くわばら くわばら」は良く使われ、
      それと重ねあわせると味わい深くなる句です。


  万葉集695(雷神)完


 次回の更新は8月3日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-07-26 08:04 | 自然

万葉集その六百九十四 (伊豆と湯河原)

( 伊豆の海 城ケ島 )
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( 修善寺温泉 )
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( 映画 伊豆の踊子ポスター )
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( 富士山5合目 )
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万葉集その六百九十四 (伊豆と湯河原) 

古代の伊豆はもともと独立した国でしたが、大化の改新(645年)のとき、
駿河国に併合され、681年(天武10年)、再び1国としてたてられた
という歴史をもちます。

温暖な気候、風光明媚な海山の自然、新鮮な魚介類や山の恵み、
疲れを癒す温泉など人々が住むには申し分ない環境ながら、
都と直結する交通の要衝、東海道から外れていたためか、
万葉集に登場する歌は少なく、伊豆の海、伊豆の高嶺に寄せた恋歌
そして伊豆で作られた船を詠ったもののみです。

「 伊豆の海に 立つ白波の ありつつも
           継ぎなむものを 乱れしめめや 」 
                      巻14- 3360 作者未詳

( 伊豆の海に 立ちしきる白波のように 
     私は二人の仲を このままずっと長く続けていこうと思っているのに
     何であなたの心を乱したりなどいたしましょうか。)

男から「何でこんなことを言うのか、俺が嫌いになったのか」と
問われて応えたものと思われます。

今まで男から体を求められいつも応じていたのに、今日は拒否した。
あの人、他の女と浮気しているのかもしれない。
ちょっと気持ちを確かめてみようと拗ねてみせたのかも。

「 白波は強風にあおられて立ち騒ぐかと思えばたちまちにして消え、
また瞬時に現れ立つ。
伊豆乙女の恋心はとつおいつ揺れ動き、これまで幾度となく恋人から
離れ戻りしたようで何とも心もとない。」
                      (永井郁 万葉の道 日本教文社 )

ありつつも: 同じ動作を継続することを示す。 ここでは「ずっと」。
乱れしめめや: あなたの心を乱れさせるようなことをいたしましょうか。

「 伊豆の海に 立つ白雲の 絶えつつも
       継がむと思(も)へや 乱れそめけむ 」 
                             巻14-3360 同 (或る本)

( 伊豆の海に湧き立つ白雲のように、湧きあがっては消え
  湧いてはまた流れ去ってゆく。
  そのようにお互いの行き来が途絶えがちであっても、
  なお 二人の仲を続けようと思う気持ちが私にあるから、
  心が乱れはじめてしまったのでしょうか。)

そんな生易しい気持ちで恋したのではないのに、
あの人の訪れが途絶えがちなので気持ちが乱れる。
いっそのこと別れてしまった方が、どんなに楽になることか。
でも、どうしても忘れられない。

乱れそめけむ: 相手に逢いたいゆえ心が乱れるの意

次の歌は東国の方言交りで分かりにくいですが、歌意は面白い。

 「 ま愛(かな)しみ 寝(ぬ)らく 及(し)けらく さ鳴らくは
             伊豆の高嶺の 鳴沢(なるさは)なすよ 」
                     巻14-3358 作者未詳(或る本)

( かわいさのあまり 寝たのはしょっちゅう。
 それにつけても噂のとどろきは、伊豆の高嶺の鳴沢なみよ。)

    ま愛(かな)しみ : 可愛くて可愛くて仕方がない

    及(し)けらく: 繰り返すの意 ここでは何度も抱いた

    さ鳴くなくは: 噂が大きいのは

    伊豆の高嶺: 天城山、あるいは伊豆から見える富士山とも

伊藤博氏によると
「 鳴沢とは高く音を立てる渓谷をいう、富士山には西部の大沢など
  岩石が崩れ落ちる。
  その崩壊の音の凄まじさを世間の噂に譬えたもの。」(万葉集釋注)


  「 初旅の 伊豆湯ヶ島に あくがるる 」 矢島渚男

古代、伊豆で作られた船は材質が良く、難波の港でも見られたようです。

「 防人の 堀江漕ぎ出(づ)る 伊豆手船
      楫(かじ)取る間なく  恋は繁(しげ)けむ 」  
                               巻20-4336 大伴家持

( 防人が難波堀江から漕ぎ出してゆく伊豆手船、 
     その楫を漕ぐ手の休む間がないように、防人たちはひっきりなしに
     故郷の妻を恋しく思っていることであろう。)

東国各地から難波に集結した防人が、港から九州に出発するため、
次から次へと堀江から小舟に乗り、漕ぎ出している様子を見ながら、
「もう二度と逢えないかもしれない。
さぞかし望郷の念に駆られていることであろう 」

と、防人を監督する家持がその心中を思いやった1首です。

伊豆手船とは伊豆仕様の船のことで、当時、伊豆の他、能登、熊野、足柄での
造船が盛んだったことが知られています。
その造船方法は山で伐採した丸木をその場で刳りぬき、
刳り船として川に流し海辺で舷側などをつける作業をしていたそうです。

    楫(かじ)とる間もなく: ひっきりなしに

  「 湯河原や 山蟻走る 奥湯径(おくゆみち) 」 赤松薫子

風土記によると、道後(伊予国)、牟婁(むろ:紀伊国)、湯本、湯河原(伊豆国)、
有馬(摂津)などは、古代からすでに著名な湯治場として知られており、
それぞれ万葉集にも登場しています。

次の歌は万葉唯一「温泉が湧き出ている」と表現したもので、
もともとは民謡であったとも。

「 足柄(あしがり)の 土肥(とひ)の河内(かふち)に 出(い)づる湯の
        よにも たよらに 子ろが言はなくに 」  
                            巻14-3368 作者未詳

( ここ足柄の河内でお湯が勢いよく湧き出て、ゆらゆらと揺れています。
  私の心もあの湯と同じ。
  いつも不安で揺らいでいるのです。
  あの子は「迷っている」などと少しも言っていないのに、
  やっぱり心配だなぁ。)

よにも : 決して
たよらに: ゆらいで安定しないさま 

「足柄の土肥の河内」は現在の湯河原町(神奈川県)と伊豆の国境(静岡県境)を流れる
千歳川沿いの奥湯河原温泉とされています。
梅の産地であることから「小梅湯」(こごめゆ)ともよばれ、
「こごめ」には「子産め」という意味も含まれているとか。

なお、現在、伊豆に土肥という地名があり温泉と金山跡で知られていますが、
こちらは万葉歌とは関係なく、1611年、土肥金山開発中当地にある安楽寺境内の
坑口から温泉が湧出したのが土肥温泉の始まりで、この源泉は発見者の
間部(まぶ)彦平に因み「まぶ湯」と名づけられたそうな。

 「 滑(なめ)らなる 岩はだに触(ふ)りて  吾がひたる
        御湯は古りにし   玉湯とぞおもふ 」  中村憲吉


           万葉集694(伊豆と湯河原)  完



次回の更新は7月27日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-07-19 18:09 | 万葉の旅

万葉集その六百九十三 (山桑伝説)

 ( ヤマグワ   東京都薬用植物園 )
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(  ヤマグワの実   同上 )
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( 桑の花   同上 )
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( 桑の実 濃紫色になると食べごろ  同上 )
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   万葉集693(山桑伝説)

「 昔々 吉野に美稲(うましね)という男がいて、川に梁(やな)をかけて
  鮎をとる生活をしていた。
  ある日、川の上から当時、柘(つみ)とよばれていた山桑の枝が流れてきて
  その梁にかかったので取り上げて家に持ち帰ったところ、突然
  絶世の美女に変身した。

  美稲(うましね)は驚き、かつ喜び、契りを交わし妻にして、
  仲睦まじく暮らしていたが、この美女はもともと仙女であり、
  水の精の仮の姿であったので、やがて領巾布(ひれぬの)をまとって、
  常世の国に飛び立ち再び戻ってくることはなかった。
                                 ( 続日本後記、懐風藻)

奈良時代、このような伝説が広く知られていたらしく、万葉集では
この話をふまえた歌が3首残されています。
いずれも宴席で詠われたもので、まずは吉野川で仙女と出会い手を取りあって
山を越える場面を想像しています。

    「 霰(あられ)降り 吉志美(きしみ)が岳(たけ)を 険(さが)しみと
                      草とり放ち 妹が手を取る 」 
                                   巻3-385 作者未詳

( 霰が降ってきしむ、その吉志美の岳が険阻なので、
  私は手でつかんだ草を放して、いとしい子の手を取ったことだ。)

     「 霰降り」: 吉志美が岳の枕詞 
              霰の音が「かしましい」(やかましい)の類音
       
     「 吉志美(きしみ)が岳 」 : 吉野山中の一嶺と考えられるが所在不明

この歌は民謡として流布していたらしく、愛人と共に山に登るという設定は
歌垣などでよく詠われたようです。
仙女伝説とは関係がないように思われますが、宴席でまず美女と
手を取り合っての道行きを演出したのではないかと思われます。

「この夕(ゆうへ) 柘(つみ)のさ枝 流れ来(こ)ば
       梁(やな)は打たずて 取らずかもあらむ 」
                         巻3-386 作者未詳

( 今宵、もし、柘の枝が流れてきたならば、簗は仕掛けていないので
  枝を取らずじまいになるのではなかろうか。)

宴は夕暮れ時の川のほとりで催され、味稲(うましね)が梁を仕掛けた
伝説をふまえて詠ったもの。
今は梁がないので美女を手に入れることが出来ないのが残念だ
との意がこもります。

「 いにしへに 梁打つ人の なかりせば
    ここにもあらまし  柘(つみ)の枝はも 」 
                    巻3-387 若宮年魚麻呂(わかみやの あゆまろ )

( 遠い遠いずっと昔、この川辺で梁を仕掛けたという味稲(うましね)という
      男がいなかったら、ひよっとして柘(つみ)の枝は今もここにあるかも しれないな。
      なんとかあやかりたいものだ。)

「 あぁ、昔の味稲が羨ましい。
  俺たちもこのような幸運に恵まれないものかな。」

と笑いながら盃を重ねて談笑する男達です。

竹取物語と似たこの話は「柘枝伝」(しゃしでん)ともいわれていますが、
まとまった物語としては今日伝わっておりません。

ただ、日本書紀や懐風藻に同類の話が部分的に載っているので、
この話を知っていた人が「こんな昔話もあったようだ」
と宴席を盛り上げるために披露したものと思われます。

簗(やな)とは今日でも鮎漁に用いられている魚を捕るための仕掛けで、
木を打ち並べて水を堰(せ)き止め、一箇所に流れるようにして流れてくる魚を
簗簀(やなす)に落とし入れるもの。

    「 桑やりて 蚕棚は 青くなりてゆく 」 山口青邨

万葉集での柘(つみ)すなわち「山桑」は在来種。
桑とよばれるものは「マグワ」で中国渡来の外来種。

また、桑(くわ)の語源は蚕が食べる葉すなわち食葉(くわ)あるいは
蚕葉(くは)が訛ったものと考えられています。

5世紀中ごろ、雄略天皇が后妃に養蚕を勧め、諸国に桑を植えさせて以来、
養蚕は女性の最も大事な仕事の一つとされました。
この伝統は現在の皇室、皇后陛下にまで受け継がれております。

 「 生あたたかき 桑の実はむと 桑畑に
                幼き頃は よく遊びけり 」    佐藤佐太郎 
                            
               はむと:食むと

初夏になると小粒のイチゴの様な実がなり、濃紫色に熟すると食べごろ。
養蚕盛んなりし頃は至るところで桑の木が植えられていたので
あの甘酸っぱい味を覚えておられる方も多いことでしょう。

    「 黒くまた赤し 桑の実 なつかしき 」  高野素十


            万葉集693 (山桑伝説)完


            次回の更新は7月20(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-07-12 08:27 | 植物

万葉集その六百九十二 (鮎釣る乙女:旅人幻想)

( 幾く年も この場所一人 鮎を釣る     寒川逸司   木津川 奈良)
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( 吉野の鮎売り   奈良 )
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( 鮎の宿 つたや  京都 奥嵯峨 )
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( 銘菓 吉野川   奈良の老舗 鶴屋徳満製 )
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   万葉集その六百九十二 (鮎釣る乙女:旅人幻想)

今から約1300年前、大宰府長官、大伴旅人は九州、唐津の東に位置する
松浦郡玉島あたりに旅しました。
昔、神功皇后が鮎を釣り上げたという伝説の地です。

美しい渓流を眺めながら、やおら持参した瓢(ふくべ:酒入れ)を取り出し、
盃をかたむけはじめます。

爽やかな初夏の風が心地よく吹き渡り、陶然とした心持。
しだいに瞼が重くなり、うつらうつら。

やがて、川のほとりにこの世のものとも思われない美しい乙女が現れ、
楽しい夢の世界へと誘ってくれたのです。

物語のあらすじは

『 松浦の地に赴いてあちらこちらを歩いているうちに、ふと玉島川で
  鮎を釣っている乙女たちに出会った。

  あまりにも美しく照り輝く容姿なので、「もしや仙女ではないか」と尋ねると
  「いやいや私共は漁師の子で、あばら家に住む名もない者、
  名乗るほどの身分ではありません。
  ただ生まれつき水に親しみ、また山を楽しんでいます。

  あるときは川に臨んで魚の身を羨み、あるときは煙霞の美景に
  眺め入っておりましたが、今日ここに今たまたま高貴なお方に巡り合い、
  嬉しさを包み隠すことができません。

  思い切ってお打ち明けいたしますが、どうかこれから後は、
  共白髪の夫婦の契りを結んでいただけないでしょうか。」

  私は答えた。

  「 喜んで仰せに従いましょう 」

  折しも日は西に落ち私が乗る黒駒はしきりに帰りを急いでいる。
  そこで私は自分の心の内を述べ次のように詠った。 』 

「 松浦川(まつらがわ) 川の瀬光り 鮎釣ると
           立たせる妹が 裳の裾(すそ)濡れぬ 」
                  巻5-855 さすらい人(大伴旅人)

( 松浦川の川瀬がキラキラ輝いている。
 その中で鮎を釣ろうと立っている美しい乙女よ。
 あれあれ、赤い裳(も)の裾(すそ)が水に濡れて。)

「 遠つ人 松浦の川に 若鮎(わかゆ)釣る
          妹が手元(たもと)を 我れこそ まかめ 」 
                           巻5-857 同上

( 遠くにいる人を待つという名の松浦の川で、若鮎を釣るあなたの手。
 私はその美しい手を枕にしてぜひ寝たいものです。)

すると乙女は応えた

「 若鮎(わかゆ)釣る 松浦(まつら)の川の 川なみの
       並(なみ)にし思(も)はば 我れ恋ひめやも 」 
                            巻5-858 娘子

( 若鮎を釣る松浦川の川なみの、その並という言葉のように
 あなたに対する私の気持ちが並み(通り一遍)のものであったなら、
こんなに想い焦がれることがありましょうか。)

「 松浦川 七瀬(ななせ)の淀は 淀むとも
       我は淀まず 君をし 待たむ 」 
                           巻5-860 娘子

( 松浦川のいくつもある瀬にある淀みは、これから後たとえどんなに淀もうとも
      私はためらわず、ただただあなた様一筋にお待ちいたしましょう。)

  我は淀まず: 心変わりしないの意

この話を聞いた人は後に次のように詠った。

「 松浦川 玉島の浦に 若鮎釣る
    妹らを見らむ 人の羨(とも)しさ 」  
                          巻5-863 後の人が追和(大伴旅人)

( 松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る美しい娘子。
 その乙女たちを見ている人が羨ましくてなりません。)

この「松浦川に遊ぶ」と題する序文と単歌群(11首)はすべて大伴旅人作と
考えられており我国文学史上極めて重要な位置を占める歌物語とされています。

即ち純然たる空想の世界を詠った文藝作品が日本文学の歴史に初めて
出現したのです。

この美しくも面白い作品を生み出した旅人は極めてロマンティスト。
この歌を材料に長編も書く事ができそうです。
同じ大宰府で活躍した山上憶良はリアリスト。
貧窮問答歌などと比べるとその作風の違いは歴然たるものがあります。

この歌物語の材料は、当地に伝わる、神功皇后伝説、中國の仙女との艶なる物語
「遊仙窟」などからヒントを得たものと考えられていますが、
それらを消化した上で、自らの幻想の世界を生み出したのです。

万葉集は歌集と共に物語文学の嚆矢でもあります。


 「 酒旗高し 高野の麓  鮎の里 」 高濱虚子

            ( 高野は和歌山県高野山か )


     万葉集692(鮎釣る乙女 : 旅人幻想 ) 完


      次回の更新は7月13日(金)の予定です。
  
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by uqrx74fd | 2018-07-05 17:06 | 生活