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万葉集その七百四 (秋の味覚)

( うま酒  大神神社 奈良 )
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( 桃 万葉人は毛桃とよんだ 石和温泉 山梨県笛吹市 )
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( 松茸  築地市場 )
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( 栗  山辺の道  奈良 )
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万葉集その七百四 (秋の味覚)

秋の味覚と言えば新米、松茸、桃、柿、栗、梨、林檎、葡萄、芋、秋刀魚。
さらに、秋の夜長には新酒も欠かせません。
万葉集では柿、林檎、葡萄、秋刀魚は登場していませんが、他は色々な形で
詠われています。

まずは稲の歌からまいりましょう。

「 荒城田(あらきだ)の 鹿猪田(ししだ)の稲を 倉に上げて
     あな ひねひねし 我が恋ふらくは 」  
             巻16-3848  忌部首黒麻呂(いむべの おびと くろまろ)

( 荒れた山地を開墾して作った田、
  鹿や猪が荒らす中で苦労しながら、やっと収穫した稲。
  その稲を税として倉に納めたのに、役人めが粗末にしおって
  干からびさせてしまった。
  それにしても、俺の恋も潤いがなく、味気ないものだなぁ。 )

     荒城田:新たに開墾した山地
     倉に上げて: 税として官倉に納める
     あな ひねひねし:あな:感動詞 
                 ひねひねし:干からびて生気がなくなった様子

「夢の中で友に贈った歌」と詞書がありますが、恋歌にかこつけて
お上に対する批判をこめた落首ともいうべきものです。

当時の貴族、官人は朝廷から土地を与えられ、自ら耕す者も
少なくありませんでした。
郊外が多かったようですが、この歌の作者は余程辺鄙なところを
割り与えられたのでしょう。

未開墾の山地、しかも鹿や猪が収穫物を荒らす。
やっとの思いで国に納めたのに、放置され、味も落ちていることだろう。
怒りが収まらない思いを恋歌に託したものと思われます。

「 新米も まだ草の実の 匂ひかな 」 蕪村

 新米が出来たら今度は酒の出番。

万葉の酒仙、大伴旅人は酒賛歌13首を声高らかに詠っており、
下記はそのうちの1首です。

「 言はむすべ 為(せ)むすべ知らず 極まりて
      貴(たふと)きものは 酒にしあるらし 」 
                           巻3-342 大伴旅人

     ( 言葉では言い表しようもない、どうしょうもなく
      この世で貴いものは酒であるらしいよ )

酒好きの人は多けれど旅人は別格。
酒壺になり、毎日酒びたりになりたいと詠い、酒を飲まぬやつは
猿みたいだと、けなすのです。

  「 それが好き あたため酒と いう言葉 」   高濱虚子

次ぎは万葉唯一の松茸。

「 高松の この峰も狭(せ)に 笠立てて
      満ち盛りたる 秋の香のよさ 」 
                      巻10-2233 作者未詳

( 高円山の峰も狭しとばかりに、まぁ見事に茸の傘が立ったことよ。
  眺めもさることながらこの香りの良さ。
  早く食べたいものだなぁ。)

高松は奈良の高円山(たかまどやま)。
全山に松が林立し足の踏み場のない程にびっしりと生い並ぶ松茸が、
今が盛りと かぐわしい芳香を放っている様子を詠ったもので、
今日では想像も出来ない光景です。

茸の歴史は古く縄文時代後期(4000年前)まで遡りますが、
ふんだんに採れた松茸は今や希少品、昭和初期に6000トンを超えていた
国産品の生産量は現在わずか37トンという惨状。

 「 松茸の 今日が底値と すすめられ  」 稲畑汀子

先日百貨店で見かけた大ぶりの国産松茸は1本5万円、とても手が出ませんなぁ。
     しからば栗を。

  「 瓜食めば 子ども思ほゆ 
    栗食めば まして偲はゆ 
    いずくより 来りしものぞ
    まなかひに もとなかかりて 
    安寐(やすい)し寝さぬ 」 
                          巻5-802 山上憶良

( 瓜を食べると子どものことが思われる。
      栗を食べるとそれにも増して偲ばれる。
      こんなに可愛い子どもというものは一体どういう宿縁でどこから我が子として
      生まれてきたものであろうか。 
      やたらに眼前にちらついて、安眠させてくれないよ )

           「まなかひ」:「眼の交(かひ)で眼前」 
            「もとな」(元無);わけもなくやたらに」

大宰府に単身赴任していた憶良の子を思う親心がひしひしと伝わってくる有名な長歌。
菓子類が少ない古代では栗やマクワ瓜は子供たちの好物だったことでしょう。
正倉院文書によると栗は一升(今日の四合)、約八文といわれ、米(五文)よりも高い贅沢品
だったようです。

栗は今から9000年前に我国で自生していたといわれ、青森県三内丸山遺跡から
出土したDNAの分析によると縄文時代には既に優良種を選択して栽培していたとも
推測されています。
古代から食料に供されたほか材は堅くて耐水性があるので建築、土木 枕木、造船、家具、
さらに椎茸のほだ木、薪炭など多方面に利用されてきた有用の植物です。

 「 初栗に山上の香も すこしほど 」  飯田蛇笏

次は芋。

稲作栽培以前、古代の人々が主食としていた里芋の原産地は
インドやインドシナ半島などの熱帯アジア地方といわれ、
我国に伝わったのは縄文時代と推定されています。

自然薯(じねんじょ)などのように山で採れるのではなく、家の菜園で栽培されたので
「山芋」に対して「里芋」と呼ばれ、「じゃがいも」や「サツマイモ」が伝わる
江戸時代まで「芋」と言えば里芋をさしていました。

このような大切な食物にも拘らず、万葉集に詠われているのは
次の一首のみです。

「 蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が
      家にあるものは 芋(うも)の葉にあらし 」
                      巻16-3826 長忌寸(ながのいみき)意吉麻呂 

( これが本物の蓮の葉なのですなぁ。なんと豪華なことよ! それに比べて
  わが家にあるのは、似ているようでもやっぱり里芋の葉ですわい。)

作者は愉快な歌、戯れ歌を即興的に詠むのを得意としていました。
宴席で大皿の代わりに蓮の大きな葉に盛られた豪華なご馳走を褒める気持も込めて
大げさに驚いてみせ、我家の小さな芋の葉を卑下してみせたものですが、
蓮と里芋の葉の形が似ているところにこの歌の面白みがあります。

古代、蓮の花は高貴な美女の象徴とされていました。
宴席には主人の妻妃などが接待に出ていたかもしれません。

もしそうだとすれば「イモ」は「妹」を連想させ「素晴らしい女性ばかりですね。
それに比べて我が家の妹(イモ)は野暮ったくて何とも見栄えがしないことです」と
落胆したふりをして満場をどっと沸かせたのでしょう。
奈良時代の貴族達の華やかな歓楽の一幕です。

  「 我が土に 天下の芋を 作りけり 」  高濱虚子

最後はデザートに桃を。


「 我がやどの 毛桃の下に 月夜(つくよ)さし
    下心(したごころ)よし うたてこのころ 」 
                           10-1889 作者未詳

( 我家の庭に月の光が射し込み、桃の実を美しく浮き上がらせています。
  なぜか何時もと違ってウキウキした気分。
  もう楽しくって楽しくって!)

この歌は比喩歌とされ「桃」は 大切に育てている娘 
「月夜さし」は「月水」すなわち娘の「初潮」、
「下心」は自分の心の奥、
「うたて」は「しきりに」で日常と異なる奇妙な心理状態をいいます。

「 大切に育ててきた娘が初潮を迎え、どうやら女性として一人前になったようだ
嬉しいやら 照れくさいやら。
さぁさぁ身内のものに報告をしなくっては 」

と母親が喜んではしゃいでいる歌なのです。
   
日本の桃は江戸時代まであまり美味くなかったらしく栽培されていたのは
もっぱら花の観賞用でした。
日本でおいしい桃が食べられるようになったのは明治7~8年頃
中国大陸から天津水密桃(北シナ系、先が尖っている) や 
上海水密桃(中シナ系、丸桃) が輸入され、
それらの桃に品質改良が加えられてからのこととされています。

世界に冠たる「白桃」は明治32年岡山県可真(かま)村の果樹園で
上海水密の系統をひいた桃が日本の気候に適応し突然変異(自然雑種)して
生まれたものとか。

  「 白桃を 洗ふ誕生の 子のごとく 」 大野林火

           桃は秋の季語とされています。

番外編

 池波正太郎氏はサンマがお好きだったらしく、
次のような一文を書いておられます。

「 初秋ともなれば、いよいよ秋刀魚の季節だ。
  毎日のように食べて飽きない。
  若いころは、どうもワタが食べられなかったものだが、
  いまは、みんな食べてしまう。

  むかしは安くて旨い。
  この魚が私たちの家の初秋の食膳には、一日置きに出たもので、
  夕暮れになって、子供だった私たちが遊びから帰ってくると、
  家々の路地には秋刀魚を焼く煙りがながれ、
  旨そうなにおいが路地に立ちこめている。 ― 」
                        池波正太郎 ( 味と映画の歳時記 )

そして、佐藤春夫の有名な秋刀魚の歌。

 「あはれ 秋かぜよ
  情(こころ)あらば 伝えてよ
  ― 男ありて
  今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
  さんまを食(くら)ひて
  思ひにふける と 。
 
  さんま さんま 
  そが上に 青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
  さんまを食うは その男のふる里のならひなり。
                      ―  ― 」   (秋刀魚の歌 佐藤春夫)

秋刀魚を味わう王道は塩焼きに大根おろし、スダチ添え。
次いで、蒲焼が旨い。
「蒲焼のたれにワタを隠し味に使うと一段と風味が増す。」とは
料理人、近藤文夫氏の弁です。

   「 秋刀魚焼く 煙の中の 妻を見に 」 山口誓子



     万葉集704(秋の味覚)完

    次回の更新は10月5日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-09-27 10:35 | 植物

万葉集その七百三 (虫の声)

( コオロギ  向島百花園 )
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( スズムシ   同上 )
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( 虫の声  明日香稲渕 案山子祭  奈良 )
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( 虫の演奏会   同上 )
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( 巨大な赤トンボ   同上 )
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   万葉集その七百三 (虫の声)

秋風吹きはじめるころ、日暮れと共に「ルルルル」(邯鄲;カンタン)
「ガチャガチャ」(くつわ虫)、チョンギース(きりぎりす)、「チン チロリン」(松虫)
「コロコロコロリーン」(こおろぎ)、リーンリーン(鈴虫)など賑やかな虫の声が
聞こえて参り、私たちの気持ちを和ませてくれます。

虫の音を聞くことは古代の人達にとっても大きな楽しみでしたが、万葉人は、
秋に鳴く虫はすべて蟋蟀(こおろぎ)とよび、個別に聞き分けて名を付けたのは
平安時代からです。

蟋蟀科の昆虫の種類は日本で90種とも言われ、なかでも
ツズレサセコオロギやエンマコオロギ、ミツカドコオロギなどが
よく知られていますが、単に「こおろぎ」といえばツズレサセコオロギを
指すことが多いようです。

   「 鳴き止むと いふことのなく つづれさせ」    稲畑汀子

「ツズレサセコオロギ」の名は晩秋に生き残って鳴く蟋蟀の鳴き声を
「肩刺せ 裾刺せ 綴(つづ)れさせ」と聞きなし、冬仕度の為の着物の手入れを
するように教えているという俗信に由来するそうですが、
次の歌は平安時代には蟋蟀の鳴き声を「綴れ刺せ」と聞きなしていたことを
示すものです。

「 秋風に ほころびぬらし藤袴
      つづりさせてふ きりぎりす鳴く 」 
                        古今和歌集 在原棟梁(むねやな)

( 秋風に吹かれて藤袴がほころびたらしい。
 「ツズリサセ ツズリサセ」と蟋蟀が袴のほころびをなおしなさいと
  鳴いているよ)

秋の七草の「藤袴」と衣類の絝をかけたもの。
「こおろぎ」は平安時代「きりぎりす」とよばれていました。

短歌の構成(57577)の制約上「こおろぎ」の四文字よりも「きりぎりす」の
五字の方が詠みやすいこともあったようですが、この誤用は延々と
江戸時代まで続きます。

 「 あたたかい雨です
      えんまこほろぎです 」     三橋鷹女

  コオロギの鳴き音は3種類あるそうで、                                 
  「コロコロコロコロ」  ひとり鳴き    
  「コロコロリ・・・コロコロリ」  切ない響き、雄の求愛  
  「キリキリキリッ 」は  縄張り争いの喧嘩鳴き。

「 蔭草(かげくさ)の 生ひたるやどの 夕影に
        鳴くこほろぎは  聞けど飽かぬかも 」  
                       巻10―2159 作者未詳

( 蔭草が生い茂っている庭先の、夕方のかすかな光の中で
 鳴いている蟋蟀の声は、いくら聞いても飽きることがない。)

           蔭草:物陰に生えている草

草むらの蔭から蟋蟀の音がきこえてくる。  
右から左から、真中から、やがて大合唱。  
ひとしきり鳴くとピタリととまり、また鳴きはじめる。  
まるでコーラスだ。                     

「 庭草に 村雨降りて こほろぎの
        鳴く声聞けば  秋づきにけり 」  
                    巻10-2160 作者未詳

( 村雨(ひとしきりの雨) がさっと降りすぎてゆきました。
  おぉ、庭草の間から蟋蟀の鳴きすだく声が聞こえてきたよ。
  もう秋になったのだなぁ)


一人静かに秋を告げる虫の声に耳を傾けている作者の姿が目に浮かび、
「淡々として清く、落ち着いた気韻があって、まことに歌品が高い」(佐々木信綱)
と評されている一首です。

「 秋風の 寒く吹くなへ 我がやどの
      浅茅がもとに  こほろぎ鳴くも 」   
                       巻10-2158 作者未詳

( 秋風が寒く感じる位に吹くおりしも、我家の庭の浅茅の根元で
  こおろぎが鳴いていますよ )

    「なへ」 ~するにつれて 二つの事象が併行して進さまをいう
    「浅茅がもと」:「浅茅」は丈が低い茅(ちがや)
              「もと」は根元

なんとなく肌寒い気配。
ふと気が付くと虫たちが盛んに鳴いている。
深まりゆく秋をしみじみと感じている作者。
調べよく、爽やかな涼気が漂う一首です。

「 我のみや あはれと思はむ きりぎりす
           鳴く夕かげの 大和なでしこ 」 
                    素性法師  古今和歌集

( この秋の夕日の中に可憐な花を咲かせている大和撫子を
  一人で眺めているのは何とも惜しい。
 蟋蟀の声がしみいるように聞こえてくるこの野原で。)

         「大和撫子」はカワラナデシコ(河原撫子)。

「撫子」は「いとしんでいる子」を掛けているようです。
撫でてやりやいくらい愛しい人と一緒に眺めていたいという意が含まれ
秋の夕景、蟋蟀、大和撫子の取り合わせが日本人の繊細な感性を
伝えている一首です。

「こおろぎ」は現代に至るまで錚々たる歌人に多く詠われています。


「 こほろぎが  清く寂しく  鳴き出でぬ
        雲の中なる 奥山にして 」     与謝野晶子

 深々とした奥山。
 作者は寺にでも泊まっていたのでしょうか。

 澄み切った空気に響く蟋蟀の音。
 低く、高く、どことなく寂しげだ。
 これは求愛の声だろうか。

「 わが住みし 山寺(さんじ)の縁に 脱ぎ棄てし
           君が草履に こほろぎの鳴く 」     吉井勇

 愛する女性が訪ねてくれた。
女は案内を待ちきれず、急いて玄関を駆け上がったのか。
乱雑に脱ぎ捨てた草履にまだ温かみが残る。
何となく大人の色気が感じられる一首です。

そして最後に「もののあはれ」を解さぬ人への痛烈な皮肉。

「 部屋には こおろぎがいるのに
  なぜ こおろぎの話をしないのか
  この部屋の人達は みんな女の話ばかりする 」 

                       (村上昭夫  動物哀歌)


             万葉集703 ( 虫の声) 完


            次回の更新は9月28日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-09-20 16:23 | 動物

万葉集その七百二 (山梨)

( 山梨 万葉人は花や実より黄葉を愛でた  奈良万葉植物園 )
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(  山梨の実は小ぶりで酸味あり   同上 )
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(  山梨の花   同上 )
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( 白い清楚な花は美女の代名詞   同上 )
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 万葉集その七百二 (山梨)

万葉集で詠われている「梨」は西日本以南に分布する落葉高木の「山梨」と
されています。
弥生時代、稲作とともに中国から渡来した我国最古の果物の一つで、
現在食されている「二十世紀」「長十郎」などの原種に近いものと
推定されていますが、実は小さく、酸味も強かったようです。

春、若葉開く頃、五弁の白い花が咲き、その美しさは古来、美女に形容されて
きました。
また梨は腸の働きを良くし、便秘解消、利尿作用、さらに腎臓病に効ありと
されており、693年、持統天皇は
「 桑、からむし(苧麻:ちょま)、梨、栗、青菜などの草木を植え、五穀の助けとせよ」

との詔を下し全国に栽培をすすめたとの記録(日本書紀)されている有用の植物です。

万葉集では4首、面白いことに梨の実や花ではなく葉の黄葉を
詠ったものばかりです。

 「 十月(かむなづき) しぐれの常か 我が背子が
     やどの黄葉(もみちば) 散りぬべく見ゆ 」 
                            巻19-4259 大伴家持

  ( 十月の時雨はこの時期の習いなのでしょうか。
    あなたさまの庭の梨の葉は色づき、またとなき美しさ。
    今にも散りそうに見えるくらいですが
    いつまでも、この景色を見ていたいものです。)

この歌の後書きに「時に当たりて梨の黄葉を見てこの歌を作る」とあり、
紀飯麻呂(きの いまろ)という官人宅での宴席で梨の黄葉の盛りを褒め、
主人を讃えた一首です。

「しぐれ」は紅葉を促し、かつ散ることを早めるものとされていました。
作者は盛りの梨の黄葉が雨に濡れて、今にも散りそうな様子に風趣を
感じたようです。
主人を褒めるのに「散る」という表現はそぐわないような気がしますが、
気楽な宴席だったからでしょうか。

 「 霜露の 寒き夕(ゆうへ)の秋風に
      もみちにけらし 妻梨の木は 」  
                   巻10-2189 作者未詳

( 露が置き、秋風もひとしお寒く感じられるこの夕べです。
    この寒さで妻なしという梨の木もどうやら色づいたようですね。)

    「妻梨」は「妻なし」で恋人もいない一人身。

夕べは男女の出会いの格別な時間帯。
そんな中でのわびしさは一入。
かわいそうな妻梨さんよと自嘲のからかいがこもる一首です。

    「 甲斐が嶺に 雲こそかかれ 梨の花 」  蕪村

昔、甲斐の国は山梨、八代、巨摩、都留4つの郡がありましたが、
明治4年11月、廃藩置県で「山梨県」になりました。

その地名由来はバラ科ナシ属の「ヤマナシ」という木が多く、
奈良時代、既に「山梨郡」がみられたことによるとされています。(通説)

その他、「なし」は「成す」の連用形「成し(~のある所の意味)」で
「山成し」を由来とする説や、反対に土地が平らで山が無かったことから、
「山無し」の意味とする説もありますが、この両説はピンときません。

   「 法隆寺の まへの梨畑 梨の実を
            ぬすみし若き  旅人なりき 」  若山牧水

我国は世界的な梨の生産国。
江戸時代には150以上の品種がつくられ、今や1000品種あるとか。
果皮の色から黄褐色の赤梨、淡黄緑色の青梨に大別され、赤梨系が主流。
その代表銘柄は幸水、豊水、新高、長十郎。 
青梨の代表格二十世紀。 
産地のベスト3は千葉、茨城、栃木県とされています。(2016年)

熟した果実を生食するほか、ジャムや果実酒の原料にも。

日本梨特有のシャリシャリとした歯触りは秋の味覚の醍醐味ですが、
欧米ではあまり好まれず砂のようだという意味で「サンド・ペア」と
よばれているそうな。

  「 梨むくや 甘き雫の 刃を垂るる 」  正岡子規




     万葉集702 (山梨)  完

     次回の更新は9月21日(金)の予定です。
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by uqrx74fd | 2018-09-13 10:12 | 植物

万葉集その七百一(秋さらば)

( 秋風吹く空 )
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( 鶏頭 古代名:韓藍 からあい  山辺の道 奈良 )
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( ミヤギノハギ  神代植物公園 )
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( 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに 鹿鳴かむ山ぞ 高原の上  京都御所 )
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万葉集その七百一 (秋さらば)

「さる」という言葉は万葉集で130例と多くみられ「去」「離」「避」の
原文表示がなされています。
通常は「移動する」「特定の場所からいなくなる」などの意で使われますが、
時間帯や季節を表す語に付く場合は「やってくる」という逆の意味に変わる
特殊な言葉です。
つまり、「夕さらば」は「夕方になると」、「秋さらば」は「秋になると」。

古代の人は、自分自身の意思にかかわらない自然現象については神意の発動を感じ、
このような用例になったと思われますが、歌語としての5文字は使いやく、
「秋されば」となったり、「冬籠り 春さりくれば」(長い冬が終わり春が来ると)
のように2句目に使われる場合もあります。

「 秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし
     韓藍(からあひ)の花を  誰(た)れか 摘みけむ 」
                      巻7-1362 作者未詳

( 秋になったら移し染めにしようと、私が蒔いておいた鶏頭の花なのに、
 一体、どこの誰が摘み取ってしまったのだろうか。)

韓藍は唐(から)からきた藍(染料の総称)。
鶏頭は染料として衣類に直接摺り染め(移し染め)にしていました。

丹精して育てた鶏頭が見頃になったのに知らない間に摘み
取られてしまった。
いったい誰がこんなひどいことをしたのだろう。

ここでの「移す」には結婚する、あるいは関係を持つという意味が
含まれています。
というのは、この歌は「花に寄せる」比喩歌で鶏頭は最愛の娘を暗示
しており、

「大切に育てたあの子、時が来たらこれと見込んだ男に嫁がせようと
楽しみにしていたのに知らぬ間にあらぬ男にとられてしまった。」
と嘆いている母親の歌と思われます。

「 - - 露霜(つゆしも)の 秋さり来れば 
生駒山 飛火(とぶひ)が岳の 
萩の枝(え)を しがらみ散らし 
さを鹿は 妻呼び響(とよ)む 
- - 」 
             巻6-1047  田辺福麻呂歌集

(- - 露が冷たく置く秋ともなると
 生駒山の飛火が岳で
 萩の枝を からませ散らして
 雄鹿が妻を呼び求めて 声高く鳴く- - )
 
作者は最後の宮廷歌人で、左大臣橘諸兄の庇護を受けていた人物。

741年 聖武天皇が都を恭仁京に遷都した時、平城京が廃都となり
寂びれゆく様子を悲しんだ長歌の一部です。

「飛火」は緊急時伝令の為の狼煙台(のろしだい)。

歌の前段で、春は桜が咲き、カワセミが鳴き飛ぶ美しい都も荒れてゆくと
悲しんでおり、そのうるわしい土地から離れてゆくので神がお怒りにならないよう、
一種の地霊を鎮める役割も担っている長歌です。

「 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに
      鹿鳴(かな)かむ山ぞ  高原(たかはら)の上 」  
                               巻1-84 長皇子

(  秋になったら 今、我らが見ているように
  鹿が妻に恋焦がれてしきりに鳴いているのを見たいと思うような
  高台の山ですね。)

天武天皇の子、長皇子が志貴皇子(しきのみこ:天智皇子)を 奈良佐紀の宮の
私邸に招き宴した時の歌。

二人は佐紀の宮から北に見える小高い丘を見ながら春の景色を楽しんでいます。
そして「今もみるごと」は屋敷の中にある絵。
秋の野で鳴く鹿の屏風絵を見ながら詠っているのです。
邸宅の春の景色を楽しみながら、

「 秋にもまたおいで下さい、きっとこの絵のような景色や鹿の声が
 聞こえますよ。」

と細やかなおもてなし。
天武系と天智系の皇子が打ち解けながら、和気あいあいと楽しんでいる
様子が彷彿されます。

京都御所を拝観している時、このような情景ぴったりの襖絵を見付けました。
妻呼ぶ鹿と萩の取り合わせ。
まるで、この歌のために描かれた絵のようです。

「 この寝(ね)ぬる 夜(よ)のまに秋は 来(き)にけらし
        朝けの風の 昨日(きのふ)にも似ぬ 」 
                         藤原季通(すゑみち)   新古今和歌集

( 寝ていたこの一夜のうちに、秋がいつの間にかやってきたらしい。
 今日の明け方の風は、昨日とちがって涼やかだ。)

風に秋を感じた歌が多い中、肌の冷気で秋到来を詠った一首。

朝夕日増しに深まりゆく秋。
そろそろ熱燗が恋しくなる季節です。

「 夕されば 秋風吹きて 縄のれん 」 筆者


         万葉集701 (秋されば) 完


          次回の更新は9月14日(金)の予定です。




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by uqrx74fd | 2018-09-06 10:38 | 自然