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万葉集その七百八 (美男蔓:びなんかづら)

( 美男蔓はサネカズラの別名 葉や茎から出る粘液は男の整髪料に用いられたのでその名がある
 写真の花は夏から初秋にかけて咲く)
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( 熟した実は鹿の子:京菓子のよう 乾燥させ煎じて整腸、咳止め薬に) 
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万葉集その七百八 (美男葛:びなんかづら)

美男葛はサネカズラの異名で、葉や茎から出る粘り気がある粘液を
男の整髪料に用いられたので、その名があります。
関東以西の山地に自生するモクレン科の常緑つる性植物で、
夏から初秋にかけて黄色の小さな花を咲かせ、晩秋、小さな丸い実が集まって
3㎝位の球状になり美しく紅熟します。

実(さね)が美しいので漢字で「実葛」、「核葛」とも書かれ
乾燥させて煎じて飲むと、胃腸、滋養強壮,咳き止めに効ある植物です。

万葉集では9首。
蔓が長く伸び、先端がどこかで絡まるので、「後に逢う」と詠ったり、
「さね」が「さ寝」に通じるので、共寝を誘う材料としても好まれました。

「 丹波道(たにはじ)の 大江の山の さなかづら  
      絶えむ心の  我が思はなくに  」 
                           巻12-3071 作者未詳

( 丹波道の大江の山の さね葛、その葛が伸び続けるように
 二人の仲がいつまでも続くと思っております。
 お互いの関係が絶えてしまうなんて一度も思ったことありませんよ。)

 大江山: 京都府西京区大枝沓掛町、老ノ坂を越えると丹波の国

 さなかづら: 「さねかずら」の古名

平安時代になると技巧を凝らした歌になります。

「 思ふこと おほ江の山の さね葛
      暮ると明くとに 嘆きつつのみ 」  藤原知家

( あたたを思うことが多いので、明けても暮れても嘆いてばかり )

  おお江: 「大江山」と「(思うこと)多い」を掛ける
   暮る:  暮れると(長い葛を)繰る の同音に掛け
         「あなたを手繰りよせる」の意を含む

 「木綿(ゆふ)包み 白月山のさね葛 
       後もかならず 逢はむとぞ思ふ 」  
                      巻12-3073 作者未詳

( 木綿包みが白いというではないが、 白月山のさね葛の蔓が
     分かれて延び、また絡まり合うように、私もお前と
     のちにでも必ず逢おうと思っているよ。)

男は旅にでも出るのでしょうか。
「今は別れざるを得ないが、しばらくたったら必ず逢いに来るから心配するな」
と泣き崩れている女を慰めているようです。

       木綿包み: 白にかかる枕詞
       白月山(しらつきやま) :所在不明なるも近江か

「 名にしおはば 逢坂山の さねかづら 
                   人に知られで くるよしもがな 」  
                          藤原定方(三条右大臣) 百人一首

以下は大岡信氏の名訳です。

( 逢坂山のさねかずらよ そなたの名は
  恋人に逢って寝るという こころだときく
  その名の通りであるならば
  私はそなたが欲しい 
  人に知られず そなたをたぐり寄せるように
  こっそりと恋するひとに逢いたいものを )       (百人一首 講談社文庫)

女性に「さねかずら」を添えて送ったもの。

「逢坂山」と「逢う」、「さねかずら」と「さ寝(ね)る」を掛け、
「くる(来る)「繰る」を掛ける。
なぜ繰るのか? サネカズラは蔓草なので(男が女)を
たぐり寄せるイメージを呼び起こす。
しかも「来る」はここでは「行く」の意になる。
  
「 お前と逢って一緒に寝る手立てがあればなぁ 」と

口説いた風流貴公子の技巧の一首です。


 「 低籬(ひくまがき) こごめば見えて さねかずら 」 上林 下草居 
 
          籬(まがき):竹,柴などを粗く編んで作った垣
          ここめば: かがめば


           万葉集708 (美男蔓) 完


          次回の更新は11月2日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-25 11:07 | 植物

万葉集その七百七 (雲よ!)

( 畝傍山  飛鳥甘樫の丘から  奈良 )
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( 飛鳥稲渕の棚田 )
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( 浅芽が原  奈良公園 )
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( 薬師寺   後方若草山 御蓋山   奈良 )
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万葉集その七百七 (雲よ!)

「 春日にある 御笠(みかさ)の山に  居る雲を
    出(い)でみるごとに 君をしぞ思ふ 」
               巻12-3209  作者未詳

( 春日の御笠の山にかかっている雲
 その雲をみるごとに旅先にいるあの方のことが
 思われてなりません )

万葉集には雲の歌が200首以上見られますが、その大半が恋の歌です。
当時の人は雲に魂が宿ると信じており、眺め続けることにより
その人と意思が通じ合えると思っていました。
そして、朝に夕べに「あなた!」「お前さんよ!」と呼びかけていたのです。

「 白雲の 五百重(いほへ)に隠り 遠くとも
    宵さらず見む  妹があたりは 」 
                    巻10-2026  作者未詳

( 白雲の幾重にも重なる彼方に隠れて、こうして隔たっていても
 毎晩毎晩欠かさずに見ていよう。
 あの子がいるあたりを。)

     五百重(いほへ) :幾重にも重なり
     宵さらず見む: 「宵」は日没から夜中までの時間帯を漠然とさす
         「さらず」は ~ごとに
     妹あたりは: 「妹あたりをば」の意

 一連の七夕歌の中に見える、彦星が織姫を慕う1首ですが、
遠くに旅する男が、故郷の恋人を想って詠ったものとも解釈できます。

「 ひさかたの 天飛ぶ雲に ありてしか
      君を相見む  おつる日なしに 」 
                         巻11-2676 作者未詳

( 天空を飛び通う雲になりたい。
 そうすれば、欠ける日など一日もなしに、あの方にお逢い出来ましょうに。)

    「おつ」る日なしに:「おつ」は欠ける 

雲を眺めているだけでは満足できない。
出来ることなら雲になって毎日愛する人の許へ行きたい。
恋する乙女の切ない思いです。

「 夕ぐれは 雲のはたてに ものぞ思ふ
     天つ空なる 人を恋ふとて 」 
                  よみ人しらず 古今和歌集

( 夕暮れになると 雲の果ての方を眺めて物思いにふけっています。
  私をうわの空にさせるあの人を恋しく思って。)


天空の果てまで広がる夕焼け。
愛しい人を瞼に浮かべながら、うっとりしている女性の姿を彷彿させる
洗練された美しい恋歌です。

「 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ
        をとめの姿 しばしとどめむ 」  
                    僧正遍照 古今和歌集 百人一首

( 空を吹く風よ、雲間の通路を吹き閉ざしてくれ。
    舞が終わって帰ってゆく天女たちの姿を
    もうしばらくここにとどめておきたいのだ。)

新嘗祭のあと天皇が新しい米を食し、群臣にも賜った後の宴
(豊明会:とよあかりのせちえ)での歌。

若き遍照(宗貞)は五人の美しい乙女たちが披露した「五節(ごせち)の舞」の
あでやかな姿に魅了されて、どうにもならない名残惜しさを詠った
即興名歌です。

   「ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の
        塔の上なる  一ひらの雲 」 佐佐木信綱


       万葉集707 (雲よ!)完


    次回の更新は10月26日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-18 10:45 | 自然

万葉集その七百六 (棗:なつめ)

( 棗の木 黄色い小花がいっぱい  赤塚万葉植物園 東京 )
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( 棗の花 拡大  同上 )
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( 棗の実  同上 )
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( ドライなつめ  そのまま食べたりケーキの添え物に )
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    万葉集その七百六 (棗:なつめ)

棗(なつめ)はペルシャからインド西北部にかけて原産するクロウメモドキ科の
落葉小高木で、古い時代に中国を経て渡来したと考えられています。
6月頃、淡黄色の小さな5弁の花を咲かせ、9月になると暗褐色、楕円体の
実を熟し食用とされます。

生で食べるより乾燥させた方が甘味が増し、菓子つくりに利用されたほか、
多くの漢方薬に配合され、利尿、強壮、鎮静に効ありとされている
有用の植物です。

なつめの語源は「夏芽」。
他の木々に遅れて初夏に芽をだすことによるそうな。

万葉集には2首、いずれも宴会の席上での戯れ歌です。

「 玉掃(たまばはき) 刈り来(こ) 鎌麻呂 むろの木と
     棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため 」 
                巻16-3830   長忌寸 意吉麻呂(ながのいむきの おきまろ)

( 鎌麻呂よ 箒にする玉掃を刈ってこい。
 むろの木と棗(なつめ)の木の根元を掃除するために )

「 玉掃 鎌、むろの木 棗(なつめ) 」を詠めといわれ、
 清掃を主題にまとめた宴席での歌。

「棗」は「そう」とも訓み「掃」と「早」(そう)を懸け
「掃除のために早く刈ってこい」の意。
さらに、「刈り」(カリ)、「来」(コ) 、鎌麻呂(カママロ) 
と「カ」行を重ねた機知ある一首です。

「玉箒」の現代名はコウヤボウキ。
キク科の落葉低木で、葉が落ちた後の枝を束ねて箒にし、ガラス玉の
飾りを付けたことからその名があります。
元々、蚕の床を払う用具とされていましたが、次第に華美になり装飾品に。

「むろの木」はヒノキ科ビャクシン属の針葉樹で「実が多くつく」
すなわち「実群(み むろ)」の意からその名があるといわれています。
葉は硬質。鋭く尖っていて、触ると痛いので、昔の人は鼠の通り穴に置いて
その出没を防いだことから「ネズミサシ」、「ネズ」の別名があり、
漢方ではその実を杜松子(としょうじつ)といい利尿、リュウマチに薬効ありと
されています。

さらに棗(なつめ)の枝にも棘があり、そのような歌を即座に思い浮かべることが
出来る作者は大変な才能の持主。
宴席の人気者だったことでしょう。

「 梨 棗(なつめ) 黍(きみ)に 粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛の
        後(のち)も逢はむと 葵花(あふひはな)咲く 」
                       巻16-3834  作者未詳

( 梨が生り棗(なつめ)や黍(きび)、さらに粟(あわ)も次々と実り、
  時節が移っているのに、あの方に逢えません。
 でも、延び続ける葛の先のように、
 「後々にでも逢うことが出来ますよ」
 と葵(あふひ)の花が咲いています。 )

言葉遊びの戯れ歌。
宴会で梨、棗(なつめ)、黍(きび)、粟(あわ)、葛、葵を詠みこめと囃されたもの。

すべて食用とされる植物ばかりで
「 季節を経て果物や作物が次から次へと収穫の日を迎えているのに、
  長い間愛しい人に逢えないでいる。
  でも葛の蔓先が長く這うように、長い日を経た後でも、きっと逢えるよと
  葵(あふひ)の花が咲いています。」

つまり、「あふひ(葵)」を「逢う日」に掛けて見事な恋歌に仕立てたのです。
葵は古代「あふひ」とよばれ、他の食用の植物と共に詠われているので
「冬葵」(フユアオイ)とされています。

冬葵は中國原産、葵科の多年草で冬でも枯れないのでその名があり、
春から秋にかけて白や淡紅色の小花を次々と咲かせ若葉は食用に、
実は利尿に効ありとされています。

「 あぢきなし なげきなつめそ うきことに
           あひくる身をば  すてぬものから 」     兵衛  古今和歌集

( どうしょうもないことだから、
 そんなに思いつめて嘆かないように。
 辛いことを経験してきた我が身を捨てることなど出来ないのだから。)

「あぢきなし」: 無益だ 「なし」に「梨(なし)をかくす
「嘆(なげ)きなつめそ」:「なーそ」 禁止の意 「思いつめないように」
                「なつめ」に棗(なつめ)を隠す
「あひくる身(み)」: 「体験してきた我が身」
              あひ「くるみ」に「胡桃(くるみ)を隠す

梨、棗、胡桃を掛詞にまきこんだ高度な技巧の歌ですが
万葉歌と比べ難解。

 「 玉工(ぎょくこう)の みがきて細き 棗哉 」 松瀬 青々

抹茶を入れる茶器の「なつめ」は、形が棗の実に
似ていることによるそうです。
余談ながら札幌に鮨の名店「鮨棗」という店があります。
珍しい名前なので由来を調べてみましたら、店主の御祖母様の苗字「夏目」と
茶道具の棗に「おもてなし」の気持ちをこめて命名された由。

このほど高島屋日本橋新館オープンと共に出店。
近くに老舗「吉野鮨」があり、お江戸ど真ん中での競演が楽しみです。

 「 ほとほろと 棗(なつめ)こぼれて 忘れ得ぬ
               をさな むかしの(幼な昔の)  秋風の家 」 岡 稲里  


              万葉集706(棗:なつめ)  完


              次回の更新は10月19日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-11 11:44 | 植物

万葉集その七百五 (萩に寄せて)

( 萩の寺 白毫寺  奈良 )
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( 元興寺   奈良 )
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( ヤマハギ  白毫寺 )
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( シロハギ   同上 )
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万葉集その七百五(萩に寄せて)

今日、奈良の萩の名所といえば、平城京跡、飛鳥石舞台公園、
寺社なら白毫寺、新薬師寺、元興寺極楽房、唐招提寺などでしょうか。
なかでも平城京跡の広大な原野に薄とともに靡く萩、
白毫寺の山門に通じる石段の両脇からあふれ出るように群生する萩は
古から多くの人達を魅了してきました。

   「 萩散るや 石段粗き 白毫寺」   筆者

 その昔、平城京の時代、春日山に連なる高円山麓は萩の群生地。
野性の鹿も多数棲んでいて、夜になると妻よぶ鹿の声が響き渡り、
天皇をはじめ皇族は離宮や別宅を設けて行く秋を楽しんでいました。

 また萩は鑑賞用だけではなく、葉は乾燥させて茶葉に、実は食用、
根は婦人薬(めまい、のぼせ)、樹皮は縄、小枝は垣根、屋根葺き、箒、
筆(手に持つ部分)、さらに馬牛などの家畜の飼料など信じられない位
多岐にわたり利用され、家の庭にも植栽されて「わがやどの秋萩」などと
詠われています。

  「 冬枯れて 萩の筆買ふ 白毫寺 」  南浦小糸

 万葉集での萩は140余首、植物の中では人気の梅の120余首を
凌駕するトップ、梅は貴族層に多く詠まれたのに対し、萩は貴賤を問わず
幅広く詠われているのも生活に密着した植物であったからなのでしょう。

 また、萩が咲く時は女が男を誘う絶好のチャンスでもありました。

「 雁がねの 初声聞きて 咲き出たる
      やどの秋萩 見に来(こ)わが背子 」 
                         巻10-2267 作者未詳

( 雁の初声を聞いて待っておりましたとばかりに咲きはじめた
  我家の萩の見事なこと。
  あなた! ぜひ見に来て下さいな。)

雁到来はどちらかといえば、萩が散り始めの時期に詠われることが多いのですが
この女性の庭萩は雁の初声とともに咲き出したようです。
萩と雁、鹿、露、月は万葉人に好まれた取り合わせです。

「 秋萩の 咲き散る野辺(のへ)の 夕露に
         濡れつつ来ませ 夜は更けぬとも 」 
                           巻10-2252 作者未詳

( 秋萩が咲いては散りこぼれる野辺。
  その野の夕露に濡れながらも、お出でくださいませ。
  たとえ夜は更けていようとも。)

今すぐ来てほしいが、無理なら夜が更けてからでも来てほしい。

万葉人は共寝する時に互いの衣を掛け合って寝るので、
濡れることをひどく嫌っていました。

夕刻、待っても待っても訪れがない。
「あなた、衣が濡れていても気にしませんから、どうか来て」
との女の切なる願いです。

この歌は平安時代に好まれたのか、新古今和歌集に柿本人麻呂作として
掲載されています。
優雅な秀歌なので人麻呂が女の立場になって詠んだと
勝手に想像したのでしょうか。

「 藤原の 古りにし里の 秋萩は
      咲きて散りにき 君待ちかねて 」 
                      巻10-2289 作者未詳

( 藤原の古さびた里の秋萩は もう咲ききって散ってしまいましたよ。
 あなたのお越しを待ちあぐんで )

藤原の里は藤原京跡。
平城京遷都後埋め立てられ寂れに寂びれていました。
何らかの事情で、藤原の里に残った女性が都に移り住んだ男に
贈ったものですが、訪れを待つ気持ちがこもります。

「 秋萩の 枝もとををに 置く露の
      消(け)かもしなまし 恋ひつつあらずは 」 
                            巻10-2258 作者未詳

( 秋萩の枝が撓むばかりに置く露が、やがて消えるように
     私も消えうせてしまった方がましだ。
     こんなに恋焦がれ続けるなんて、苦しくて仕方がない)

露を「置く」と詠まれたものは花の最盛期、
「競う」は花芽が咲きかけの直前、
「負う」は露の重みを背負うの意で晩秋花を散らす時期

と極めて繊細な使い分けがなされており、日本人の感性の豊かさに驚かされます。

   「 白萩の 夕日にそまり 高らかに 」 山口青邨

「萩」の文献での初見は「播磨風土記」(713年頃)での「萩原里」。
その昔、神功皇后がこの地に滞在した時、一夜のうちに萩が一本生え出て
たちまち3mばかりになり、その後多くの萩が咲きだしたという
「地名伝説」とされています。

万葉集では「萩」の字はまだ見えず、「芽子」「芽」が当てられ、
「萩」が定着したのは平安時代から。

ハギの語源は「生芽」(ハエギ)が転じて「ハギ」になったといわれ、
根元から絶えず新しい芽が出て、折れたり切れたりしても
次々と芽吹く旺盛な生命力にあやかった命名だそうです。

但し、中国の「萩」はカワラヨモギ、ヒサギとされる別植物。
我国の秋草の代表格に「草冠に秋」がふさわしいとされたのか、
漢字の意味とは関係なく借字したしたものですが、萩は草ではなく低木。
従って秋の七草に加えるのは厳密に言えば誤りですが、まぁ、いいか。
何しろ1300年も続いているのですから。

  「 萩に遊ぶ 人黄昏(たそがれ)て 松に月 」  
                               凡董(きとう:江戸中期


     万葉集705 (萩に寄せて) 完


  次回の更新は10月12日 (金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-10-04 15:26 | 植物