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万葉集その七百十三 (無常)

( ゆく川の流れは絶えずして しかも元の水にはあらず  宇治川 )
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( 巻向の山辺響(とよ)みてゆく水の 水沫(みなわ)のごとし 世の人我れは  :山辺の道)
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( 露の命ははかなくて )
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( 世の中は 漕ぎ去(い)にし 船の跡なきごとし )
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万葉集その七百十三 (無常) 
 
 無常とは読んで字の如く「万物は常ならず」で「非情」「無情」とは
全く別の深い意味を持つ言葉です。 

我国に仏教が伝来したのは552年、欽明天皇の時代、百済王が
釈迦仏、経綸などを献上したことに始まるとされています。
その新教をめぐって崇仏派の蘇我氏、反対派の物部氏が激しく抗争を
繰り返し、蘇我氏が勝利。
物部氏が滅びると急速に仏教が広まり、天武天皇の時代、国教としての
性格をもち、持統天皇の692年には全国の寺院数が545か所に急増しました。

聖武天皇の時代、諸国に国分寺、国分尼寺の建立を命じ、752年、大仏開眼。
以来、仏法を以て国家を鎮定し保護する、いわゆる鎮護国家の道を歩みます。

万葉集も仏教思想の影響を受け、中でも、当代の学識者大伴旅人、
山上憶良、大伴家持などが共感して無常観を詠っています。

「 世の中は 空しきものと 知る時し
    いよいよますます 悲しかりけり 」  
                        巻5-793 大伴旅人

大宰府に赴任してから半年後、都から大伴宿奈麻呂(すくなまろ)他界の知らせを
受け取って悲しんだもの。(異母妹 大伴坂上郎女の夫)
その1か月前に妻を亡くしただけに人生無常を深く感じたようです。

「 常盤なす かくしもがもと 思へども
       世の事理(こと)なれば 留(とど)みかねつも 」 
                                巻5-805 山上憶良

( 常盤のように不変でありたいと思うけれども
 老いや死は人の世の定めであるから 留(とど)めようにも止められない。)

長歌で美しかった乙女はあっという間に老いさらばえ、若々しく凛々しい
青年もやがてよぼよぼになって人に嫌われる。

この世で何とも仕様がないものは、歳月が遠慮なく流れ、
くっついて追いかける老醜があの手この手でわが身に襲いかかる。
どうにも施す術がないと詠ったあとの1首です。

「 うつせみの 世は常なしと 知るものを
     秋風寒み 偲(しの)ひつるかも 」 
                            巻3-465 大伴家持

( この世ははかないものだとわかっているものの、
秋風が寒々と身にしみるので、亡き人が恋しくてたまらない )

739年 3年前、3才位の幼女を残して亡くなった妾を偲んで詠ったもの。
妾とは妻の一人で正妻に次ぐものとして当時の社会では公に認められていたが
いかなる人物か不明。

家持が妾のもとに通い始めたのは16歳頃のようです。
( 幼子は成長して藤原家に嫁す。)

「 巻向の 山辺響(とよ)みて  行(ゆ)く水の
       水沫(みなわ)のごとし 世の人我れは 」 
                         巻7-1269 柿本人麻呂歌集

( 巻向の山辺を鳴り響かせて流れゆく川、うつせみの世にある我らは
 その川面の水沫のようなものだ )

水沫によせて人の無常を詠った人麻呂の名歌。
巻向山の麓、清流が流れるところにこの歌碑が置かれています。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山に 照る月は
       満ち欠けしけり 人の常なき 」    
                      巻7-1270  古歌集

( あの初瀬の山に照っている月は、満ちたり欠けたりしている。
     人もまた不変ではありえないのだなぁ )

初瀬に住む人が毎日月を眺めながら感慨を述べたもの。


仏教思想の「諸行無常」の本来の意味は、

「 万物は絶えず変化しており一瞬たりとも、同じ状態でない。
  それは縁と偶然によって支配され、盛者は滅亡することもあるし、
  栄え続けることもある。
  善行を続けてきた人は必ずしも幸せになるとは限らない。

  この世の世界においては、すべての出来事がなんの保証もなく
  我々の気持ちや思惑を無視して動いてゆく。
   それゆえ、この世に対する不信を仏教によって信に変え、
   無常の中に妙を見出す。」

といったところでしょうか。

「 世間(よのなか)を 何に譬(たと)へむ 朝開き
         漕ぎ去(い)にし船の 跡なきごとし 」
                    巻3-351 沙弥満誓( さみまんぜい)

( 世の中 これをいかなるものに譬えたらよいだろうか。
 いってみれば 朝早く港を漕ぎだして消え去った船の
 その跡がなにもないようなものではないか )

航跡がすぐ消えうせる儚さを人生に譬えた1首です。

ご参考:

教科書で習った懐かしい名文です。

「 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり、
  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
  奢れるもの久しからず ただ春の夜の夢の如し 」  (平家物語)

「 ゆく川の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず
  よどみに浮かぶ うたかたは かつ消えかつ結びて
  久しくとどまりたる ためしなし
  世の中にある 人とすみかと またかくのごとし 」  (方丈記)


「 あだし野に 露消ゆる時なく 鳥辺山の煙立ち去らでのみ
  住み果つる習ひならば いかに もののあはれも なからん
  世は定めなきこそ いみじけれ
  命あるものを見るに 人ばかり久しきはなし 」    (徒然草)

  

          万葉集713 (無常) 完



        次回の更新は12月7日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-11-29 22:14 | 心象

万葉集その七百十二 (大和路の紅葉)

( 大仏殿秋色  後方右 二月堂  奈良県庁屋上から )
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( 長谷寺 本堂に向かう僧侶たち    奈良)
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(  談山神社    同上 )
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(  浄瑠璃寺  いずれも2018年11月13日~15日撮影 )
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   万葉集その七百十二 (大和路の紅葉)

大和路の紅葉の名所といえば奈良公園一帯、正歴寺、長谷寺、室生寺、
談山神社、浄瑠璃寺といったところでしょうか。

奈良公園の南大門付近から大仏池、正倉院あたりの楓や銀杏。
春日大社の裏通りの杉や檜の大木に囲まれた色とりどりの紅葉。
奈良県庁の屋上から眺める赤や黄色に染められた春日山、高円山、若草山。

郊外に足を伸ばせば、鬱蒼とした木々に囲まれた正歴寺。
赤、黄、緑、色彩豊かな木立の中の美しい堂塔、室生、長谷寺、
そして藤原鎌足ゆかりの談山神社。
奈良と京都の県境にひっそりと佇み九体の御仏で知られる浄瑠璃寺(京都府)。

そんな古都に惹かれて毎年足を運びます。

万葉集での紅葉は約140首、ほとんど黄葉と表記されています。
まずは春日山から。

 「 今朝の朝明(あさけ) 雁が音聞きつ 春日山
    もみちにけらし 我(あ)が心痛し 」 
                         巻8-1513 穂積皇子

( 今朝の明け方に雁の声を聞いた。
     この分では春日山はもみじしてきたにちがいない。
     それにつけても私の心は痛む )

作者は天武天皇第7皇子、劇的な恋愛の後異母妹但馬皇女を
娶ったが先立たれました。
魂を運んでくるという雁の声を聞き、亡き妻を偲びつつ
共に春日山のもみじを見たかったと想いを馳せている皇子です。

 「 奈良山をにほわす黄葉 手折りきて
      今夜(こよひ)かざしつ 散らば散るとも 」
                  巻8-1588  三手代 人名(みてしろの ひとな)

( 奈良山を色鮮やかに染めているもみじ、そのもみじを折り取ってきて
 今宵はかざしにすることができました。
 もう満足満足、あとは散るなら散ってもかまわないよ。 )

右大臣橘諸兄の子、奈良麻呂邸での宴の席での歌。
親しき仲間と10名でそれぞれ黄葉を詠ったもの。
折り取ってきたもみじの1枝を頭にかざして詠い舞ったのでしょう。
楽しげな様子が目に浮かぶような1首です。

「 もの思ふと 隠(こも)らひ居(を)りて 今日(けふ)見れば
              春日の山は 色づきにけり 」
                  巻10-2199  作者未詳

( 物思いにふさぎこんでずっと家にひきこもっていたが、今日久しぶりに
 見ると 春日山はすっかり色づいているよ )

平城京から東の方を眺めると春日山、御蓋山、高円山、若草山が
一望できます。
万葉人は立ちのぼる朝日の光を受けながら赤く染まりつつある山々に
神々の摂理を感じて遥拝し、新鮮な気持ちで一日のスタートを
切ったことでしょう。

JR奈良駅から約30分桜井駅で近鉄に乗り換え約10分で長谷寺駅。
その昔「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」とよばれ、平城京、平安京からの
参拝客で賑わった地です。

「はつせ(またはハセ)」は初瀬、泊瀬、長谷とも書きますが、
いずれも正しいとされ、
初(ハツ)は「初め」、泊(セ)は「終わり」、「長谷」は「狭くて長い谷」。
そして「こもりく(隠国)」は「山々に囲まれた国」の意です。

すなわち「こもりくのはつせ」は「山々に囲まれた長い谷」にある霊験あらたかなる
観音様を拝して、心機一転の「新しい人生を初め」、生涯の果ては
「人生の泊(とま)りどころ」つまり墓所が営まれた聖なる地なのです。

「 こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 色づきぬ
    しぐれの雨は 降りにけらしも 」 
                     巻8-1593 大伴坂上郎女


( こもりくの初瀬の山は見事に色づいてきました。
  時雨が早くもあの山々に降ったのでしょうね。)

作者は耳成山東北の地、大伴家の私領、竹田庄に行っていたようです。
古代、早秋の時雨は紅葉の色づきを早め、晩秋のそれは落葉を促すものと
考えられていました。
泊瀬の紅葉は昼夜寒暖の差が大きく色鮮やか、とりわけ長谷寺の
堂宇の間から臨む色とりどりの美しさはこの世のものとは思えません。

以下は堀辰雄著「大和路」からです。(旧仮名遣いのまま)

 『 この頃、私は万葉集をしばしば手にとって見てゐるが、
   源氏物語などの頃とは異なり、宗教思想が未熟だったせゐか、
   生と死との境界さへはっきり分からぬ古代人らしく

 「 秋山に 黄葉あはれと うらぶれて
       入りにし妹は 待てど来まさぬ」
  とか、又、

 「 秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
       妹を求めむ 山道(やまじ)しらずも 」

などといふ考え方でもって死者に対してゐる。

これは歌といふものの性質上、わざと さふいふ原始的な素朴な死の
観念を借りて、山に葬られた自分の妻を、あたかも彼女自身が
秋山の黄葉のあまりの美しさに憑(つ)かれたやうにして、
自ら分け入ってしまったきり道に迷って もう再び帰ってこないやうに
自分も信じてをるがごとくに嘆いて、以つて死者に対する一篇の
レクイエムとしたのかも知れない。

― ― 肉体が死んでも魂は分離して亡びないことを信じてゐた古人は、
深い山の中をさすらってゐる死者の魂を鎮めるために、
その山そのものの美しさを讃え、また死後彼等の居処や木々を
払わず其処(そこ)に漂っている魂の落ちつくまで荒れるがままにさせ、
ときをりその荒廃した有様を手にとるやうに さながら、その死者の
魂に向かっていふようにいふ、
― そんな事を私は万葉の挽歌作者をよみながら考える。 』

                              ( 黒髪山 本郷書林より )
筆者注:

  「 秋山に 黄葉あはれと うらぶれて
            入りにし妹は待てど来まさぬ」
                      巻7-1409 作者未詳

( 秋山のもみじに心惹かれて、なんだかしょぼしょぼと
 その山に入って行ってしまったあの子は、いくら待っても
 帰ってきてくれない )

 「 秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
        妹を求めむ 山道(やまじ)知らずも 」
                 巻2-208 柿本人麻呂

( 秋山いっぱいに色づいた草木が茂っているので中に迷い込んだ
 いとおしい子、あの子を探し求めようにもその道さえ分からない)

人麻呂が妻を亡くした時の挽歌

今年の大和路の紅葉は酷暑と度重なる台風の影響で、木々が痛み
色も少し寂しげ。
それでも、ところどころを美しく彩り、私たちを暖かく迎え旅愁を慰めてくれました。

 「 古寺や 紅葉も老て 幾昔 」 桃隣(とうりん) 
                      (江戸時代前期 芭蕉の縁者 )


      万葉集712 (大和路の紅葉)完

     次回の更新は11月30日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-11-22 11:02 | 植物

万葉集その七百十一 (明日香の石橋)

( 明日香の飛び石 昔は石橋とよんだ)
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( 明日香川は今も昔も田畑を潤し続けている )
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( 稲渕の棚田の脇を流れる明日香川 )
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  万葉集その七百十一 (明日香の石橋)

「石橋」というと石造りの立派な橋を想像しますが、万葉での石橋は
川を渡るため浅瀬に飛び石を置いたものをいいます。

都の中ならいざ知らず、町並みはずれた田舎町では橋を造る財力も技術もなく、
人々は対岸に渡るため平らで大きな石を探し、川に埋め込んだのです。
それでも結構重く、大変な作業でしたが、日常生活に不可欠な通路は
多くの人達が協力しての産物でした。

石橋は若い人たちにとって恋の通い路。
水かさが増して石が沈んだり、流されたりした時は、恋しい人にも逢えず
悶々とした日を過ごすことになります。

「 明日香川 明日も渡らむ 石橋の
      遠き心は 思ほえぬかも 」 
                  巻11-2701 作者未詳

( 明日香川 あの川を明日にでも渡って逢いに行こう。
 その飛び石のように、離れ離れに遠く隔てた気持ちなど
 少しも持ったことがないよ )

女から「このごろ少しも来てくれないわね。どうしたの。
    心変わりしたの。」
というような便りがきて慌てて言い訳する男。

「 飛び石が離れているような、そんな疎遠な気持ちをもつものか。
 明日にでも行くよ」と
明日香の「あす」と明日(あす)の音を重ねた民謡風の1首。

明日香の稲渕に美しい棚田があります。
その下に明日香川が流れており、上流に向かって歩いてゆく途中
当時の面影を偲ばせる飛び石が残っています。

大きな石で平たく渡りやすい。
でも、少し水かさが増えると足を踏み外しそう。

ごつごつした石を加工したのかもしれませんが、大変な作業だったことでしょう。
岸の草陰にこの歌の歌碑がありました。
昭和57年(1982)8月、大雨による大出水でこの石や近辺の石が
下流に押し流され、復元するのにかなりの機械力が必要とされたらしく、
当時の苦労が偲ばれます。

「 年月(としつき)も  いまだ経(へ)なくに 明日香川
      瀬々ゆ渡しし 石橋もなし 」  
                              巻7-1126 作者未詳

( 年月はまだそれほど経っていないのに
 明日香川のあちらこちらに渡しておいた飛び石は
 もうなくなっている )

しばらく故郷飛鳥を離れていた作者。
久しぶりに帰郷してみると、不変のものと思っていた石橋が消えていた。
かってあの子のもとに頻繁に通い、渡っていた頃の懐かしい思い出。
それも今は遠い昔。

「 秋されば 霧立ちわたる 天の川
     石並(いしなみ)置かば 継ぎて見むかも 」
                 巻20-4310 作者未詳

( 秋になると霧が一面に立ちこめる天の川、
 ここにこっそり飛び石を置いたなら、毎夜々々続けて逢えるだろうか )

秋到来と共に七夕を待たずに逢いたいと心はやる男。
「霧立ちわたる」に「人知れずに川を渡れる、しめた!」の意がこもります。

天の川を仰ぎながら牽牛が織姫のもとに通う様子と、自身の恋の通い路を
重ねたものですが、天の川に石橋を置くとはロマンティックな想像。
その石は星のようにキラキラ光っていたのでしょうか。

  以下は犬養孝氏の解説です。

『 飛鳥が、各地からの訪問者でどんなに充満しているときでも
  飛鳥川の上流、稲渕から栢(かや)ノ森ににかけての一帯は、
  古代の谷間をここに見るような、ひそけさだ。

 きたなくなったという飛鳥川もここでは澄みとおって、
 せんかんと流れ、小魚もぴちぴちと川底に影をうつしている。

 古代には小川の飛び石を渡ってゆくところを「石橋」といった。
 現在、飛鳥川の上流には石橋が五カ所あるが、一つは先年の増水で
 こわされたようだ。

 稲渕の集落のすぐ下にある石橋がいちばん、見事である。
 もちろん、それらが昔のままであるわけはないが、ほぼそんなあたりに
 飛び石がおかれていたにであろう。
 稲渕の石橋を渡ってゆく農家の人にきくと、少し前までは高取から
 壷坂山へゆくだいじな道だったという。
 小魚は、岩のあいだを、ここでもスイスイと泳いでいる。』

                          ( 万葉の里 和泉書院より)

    「 明日香川 小鮎さ走る 石の間を 」    筆者


注: 現在「明日香」は地名、自治体名に
   「飛鳥」は時代、地域名に用いられている。

   古くは万葉集で「飛ぶ鳥の明日香」と詠われたがその由縁は
   鳥が多く飛ぶということは食物が豊富なしるしであり、
   豊穣な地,明日香の褒め言葉として枕詞となり、
   後々、地名に使われるようになった。


          万葉集711(明日香の石橋)  完


          次回の更新は11月23日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-11-17 11:17 | 万葉の旅

万葉集その七百十 (雁の秋)

( 雁  伊豆沼 宮城県 )
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( 雁いろいろ  野鳥図鑑 )
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( 月に雁  歌川広重 )
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( 月下の雁  菱田春草 )
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万葉集(雁の秋)

「 雁の声 すべて月下を 過ぎ終わる 」  高野素十

毎年9月中旬から10月上旬にかけて国の天然記念物マガンの群れが
国内最大最北の寄留地、宮島沼(美唄市西美唄町)に飛来します。
シベリアから南下して宮城県伊豆沼などへ向かう途中の羽休めで、その数
ピークで約36000羽。
かって全国いたるところで見られた雁は今や北陸と東北地方の一部で
越冬するのみです。

古の人は、雁は常世の国から飛来する神の使者と考えており、
「遠つ人、かり」と枕詞を冠し、また「天つ雁」ともいっていました。

人々は上空を鳴き過ぎる雁の声を熱心に聞き入って「雁音(かりがね)」とよび、
のちに「がね」を接尾語風にみなして雁そのものをいうようになります。

農家の人たちは雁を迎えると、作物の収穫時を知り、文人画家は
秋空に整然とV字型や1列の隊列を組んで渡る雁行や雁の声に
旅情や哀感をそそられ、歌を詠み絵に描いたのです。

万葉集では65余首、鳥類ではホトトギス155首に次ぐ多さです。

「 この夜らは さ夜更けぬらし 雁が音の
    聞こゆる空ゆ  月立ち渡る 」 
                         巻10-2224 作者未詳

( 今夜はもう夜が更けたらしい。
 雁の声が聞こえてくる空を、月が渡ってゆく )

宴会での歌らしく、月と雁の取り合わせが早くもこの時代に出てきます。

マガンは飛びながら「カハハン、カハハン」、「カリカリ」
「クワッカカッ、クワッカカッ」と遠くに響き渡る声で鳴きます。

「雁」という字はカリ、カリガネ ガン、と読み、江戸時代からは
語勢を強める「ガン」が多くなったようです。

「 天雲の 外(よそ)に雁が音 聞きしより
          はだれ霜降り 寒しこの夜は 」 
                      巻10-2132 作者未詳

( 天雲の遥か彼方に雁の鳴き声を聞いたその日から
  薄霜が置いて寒いことだ、このごろの夜は。)

晩秋、冬到来の兆し。
雁が寒さを運んできたなぁと、しみじみ感慨にふける作者。

   「はだれ霜降り 」 : うっすらと降り置いた霜 
                原文は「薄垂(はだれ) 霜雫(しも降り)」

「 鶴(たず)がねの 今朝鳴くなへに 雁がねは
        いづくさしてか 雲隠るらむ 」  
                  巻10-2138 作者未詳

( 鶴がこの朝鳴きたてている。
 折しも雁の声が遠ざかってゆくが、一体どこをめざして
 雲隠れしてとんでいるのであろうか )

鶴の声に対して雁声が薄れてゆく寂しさを詠ったもの。
当時奈良や難波で鶴や雁が多く見られたようです。


「 葦辺(あしへ)にある  荻(おぎ)の葉さやぎ  秋風の
        吹き来るなへに 雁鳴き渡る 」 
                      巻10-2134 作者未詳

( 葦辺に生えている荻の葉がさやさやとそよぎ
 秋の風が心地よく吹いてくる折しも雁が大空を鳴き渡ってゆくよ。)


 葦、荻、秋風、雁が音。
いかにも秋の情緒を感じさせる1首です。

   「 雁低く 薄の上を 渡りけり 」 正岡子

薄(ススキ)、月、などを好んで絵に描いたのは、歌川広重と菱田春草
特に広重の「月に雁」は特別仕様の切手になっており、
今や希少品になりました。

       「月よぎる けむりのごとき 雁の列 」 大野林火


                万葉集710 雁の秋 完


         
         次回の更新は11月17日(土)の予定。
          (通常より1日遅れます)

by uqrx74fd | 2018-11-07 15:50 | 動物

万葉集その七百九 (爽籟:そうらい)

( 秋風に靡くススキ   平城京跡 奈良 )
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( オミナエシもゆらゆら   奈良万葉植物園 )
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( 風に流される雲は飛天のよう )
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( 潮風の音、波の音  瀬戸内海  松山にて )
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万葉集その七〇九 (爽籟:そうらい)

「爽籟」と清々しく爽やかな秋の風をいいます。
「籟」は穴が三つある笛のことで、古代の人はその笛を吹くことを
「吹籟:すいらい」とよんでいました。
そして、松を渡る微細な風があたかも笛の音に聞こえることから
「松籟:しょうらい」という言葉が生まれ、さらに秋風の響きを
「爽籟」と名付けたのです。

日本人の繊細な感覚はさらに秋の季語「色なき風」をも生み出しました。

「 吹きくれば 身にもしみける 秋風を
       色なきものと 思ひけるかな 」 
                    紀友則 古今和歌六帖

陰陽五行説の「秋の色は白」に由来するといわれていますが、

芭蕉は 
   「 石山の 石より白し 秋の風」 と詠み

石田波郷は 
     「 吹きおこる 秋風 鶴を あゆましむ」 と

鶴の白さを秋風に重ねています。

華やかな色がない風には寂しさが身にしみとおるような感覚をともない、
のちには「もののあはれ」とも結びつきました。
かの北原白秋の名もその由縁といわれております。

万葉時代にはまだ「爽籟」「色なき風」という言葉は見えませんが、
秋風の肌寒さ、もの寂しさなどを感じている歌は随処にみられ、
日本人の細やかな感性が芽生えていたことを感じさせます。

「 恋ひつつも 稲葉かき分け 家居(いへを)れば
      乏(とも)しくもあらず 秋の夕風 」 
                            巻10-2230 作者未詳


( 家に残してきた妻に恋焦がれながら、一面の稲葉をかきわけて
 ここに居をかまえていると、ひっきりなしに秋の夕風が吹き続いてくるよ。)

作者は農作業にいそしむため、家から離れた田地に掘立小屋を建てて
わび住まいをしているようです。
当時、貴族といえども自身で農作業をしており、大伴坂之上郎女が
畑仕事をしている歌なども残されています。

一人寂しく滞在する仮小屋に秋風が吹きつける。
身も心もわびしさ、寂しさを感じさせる1首です。

    稲葉かきわけ: 収穫期を迎えた稲田の前に庵を造っての意
    乏しくもあらず: 「乏し」:少ない「非ず」反語 
               少なくない。ここでは「ひっきりなしに」

「 秋風の 吹き扱(こ)き敷ける 花の庭
     清き月夜に 見れど飽かぬかも 」 
                   巻20-4453 大伴家持

( 秋風が吹きしごいて 庭がまるで花絨毯のようです。
 それに月の光の清々しいこと。
 いくら見ても飽きることがないすばらしい夜ですね )

孝謙天皇、聖武太上天皇、光明皇后列席、紫宸殿の宴の席上で
詠うべく用意したが、何らかの事情で奏上できなかったもの。

秋風が吹いて庭の萩を散らす。
澄み切った夜空に煌々と輝く月。
盃を傾けながら見惚れる堂上の人々。

まさに王朝絵巻を彷彿させるような美しい光景。
古今和歌集調に近い洗練された歌です。

吹き扱(こ)き敷ける : 風が吹き萩の花を庭一面に散らしたの意

「 家離(いえざか)り  旅にしあれば 秋風の
     寒き夕(ゆうへ)に 雁鳴き渡る 」 
                       巻7-1161 作者未詳

( 懐かしい家を離れて、ひとり旅空に身を過ごしていると
  秋風がひとしお寒く感じる夕暮れ時だ。
  あぁ、雁が鳴きながら渡って行くよ。 )

古代の人は、雁は家郷と我が身をつなぐ使者であると信じていました。
「雁よ、私が無事だと妻に伝えておくれ」という気持ちがこもる旅愁の歌。

幼い頃によく歌った次の歌詞を思い出させてくれる一首です。

「 更け行く 秋の夜 旅の空の
  わびしき思いに 一人なやむ
  恋しや 故郷 なつかし父母
  夢路に たどるは 故郷(さと)の家路 」 

      ( 旅愁 犬童玉鶏作詞 オードウエイ作曲)


           万葉集709(爽籟)完


          次回の更新は11月9日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-11-01 16:17 | 自然