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万葉集その七百十六 (時つ風)

( 海王丸: 日本丸とともに世界の海を帆走)
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( 住吉神社は海の神様 )
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( 古代の船 突如大仏殿のの前に出現)
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( 松風と時津風の天橋立 )
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万葉集その七百十六 (時つ風) 

榎本好宏著「風のなまえ」に次のような一文があります。

『 風の多くは季節を限って吹くが、中には通年にわたって吹くものもある。
  俳句的な分類に従えば「無季風」とでもいうことになろうか。- -
  ともすると相撲部屋と間違えられそうなのが「時津風」だろう。

 「時つ風」と書く事もあるように、「つ」は格助詞の「の」だから
  ほどよいころに吹いてくる風の意になる。
  また、潮が満ちてくる時刻に吹く風といったふうにも使われる。』(白水社)

    「 時津風 部屋の親方 双葉山 」  筆者 
  
      
        ( 双葉山は十二代 現在は十六代
          相撲部屋の入口には今も
         「双葉山相撲道場」の看板が掲げられている)

船名にもみえる めでたい追い風。
万葉集には3首登場し、そのうち1首は枕詞です。

 「 時つ風 吹かまく知らず  吾児(あご)の海の
        朝明(あさけ)の潮に  玉藻刈りてな 」 
                           巻7-1157 作者未詳

( 潮時の風が吹いてくるかもしれない。
 さぁ、今のうちに吾児の海の夜明けの千潟で
 玉藻を刈ろうではないか )

   吾児の海:大阪住吉海岸の一部とされるが所在不明

古代、旅人が旅先の地で玉藻(ホンダワラ)を刈ったりするのは、
その土地の光景に惹かれての風流な行為とされていたようです。

浜辺の美しさ、波音のさやけさ、遠くに見える淡路島と渡る鶴と
住吉海岸の美しさへの賛美が次々と詠われています。

海を見たことがない都人の驚きと喜びが溢れている様が目に浮かぶ歌です。

 「 時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟(かしひがた)
     潮干(しほひ)の浦に  玉藻刈りてな 」
                  巻6-958 小野 老(おゆ)
 
( 海からの風が吹きだしそうな気配。
    香椎潟の潮が引いている間に この入り江で玉藻を刈ってしまおう)

728年 福岡市東北の香椎宮に大宰府長官大伴旅人以下官人が
参拝した折の歌。

「香椎」は日本書記に「橿日」と表記され、海で暮す海人たちが
橿や椎が茂る照葉樹林を聖地と崇めた遠い縄文期を思わせる地名です。

香椎の宮にはこの地で崩御された仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と
橿日浦で髪をすすいで占いをしたと伝えられる神功皇后が鎮座まします。

次の歌は「吹く」という類音の地名の「吹飯(ふけい)」の枕詞として
使われている一首です。

「 時つ風 吹飯(ふけひ)の浜に 出でいつつ
      贖(あか)ふ命は 妹がためこそ 」 
                        巻12-3201 作者未詳

( 時つ風が吹くという吹飯の浜に出て、
 海の神に幣(ぬさ)を奉げて無事を一心に祈るこの命は
  誰の為でもない、いとしいあの子のためなのだ )

  吹飯(ふけひ)の浜: 大阪府泉南郡岬町 深日(ふけひ)港あたり
               港近くに「延喜式」記載の式内社「国玉神社」があり
               称徳天皇が紀伊行幸の際造られた行宮跡とされる。
               風光明媚な景勝地で知られる歌枕。
               江戸時代は難波と江戸を結ぶ廻船の風待ち港として
               繁栄をきわめた。

  贖(あか)ふ: みそぎして神に供え物を捧げ祈る。
 
この歌は4首で構成され、熟田津(愛媛県松山市道後温泉近く)あたりへ
船旅する夫としばしの別れを悲しんでいる物語風の歌群です。

まず妻が海は危険なので、時間がかかっても磯伝いに漕ぎ廻り、無事に
帰ってきて下さい。と詠い、夫は吹飯(ふけひ)の浦に寄せては返す波、
その波のようにひっきりなしにお前のことを思っている、
わざわざ遠回りして吹飯に寄港して海の神に無事を祈るのは、
お前さんのためと返し、最後に妻が熟田津で帰りの船に乗ると
おっしゃっていたのに、いつまでたっても帰ってこないと嘆く、
という筋立てとなっています。

 宴会の余興で詠われたものかもしれません。

次の歌は同じ「ふけひ」でも違う場所の例です。

「 天つ風 ふけゐの浦に ゐる鶴の
       などか雲居に 帰らざるべき 」 
                   藤原清正(きよただ) 新古今和歌集

( 鶴が「ふけゐの浦」の上空に飛んでいってしまって
 帰ってこないということがないように、
 私自身もいつか再び昇殿を許されるはずだ。)

作者は平安中期36歌仙の一人
最終官位は紀伊守。
紀伊守としての赴任、本人は左遷と感じたのでしょう。
殿上人を離れたことを悲しみ、帰京する日を待ちわびる詠です。

ここでの「ふけゐの浦」は紀伊国「吹上の浜」の別名。
雲居に大空と宮中を掛けています。

さぁ、新しい門出も間近。
来るべき年は順風満帆でありますように。

   「 時つ風 船軽やかに 漕ぎ出せり 」   筆者 

         万葉集716 (時つ風) 完


           次回の更新は2019年1月1日(火) 。
           「新年の歌:亥」の予定です。
             ( 12月28日(金)を変更)

by uqrx74fd | 2018-12-20 16:05 | 自然

万葉集その七百十五 (島崎藤村の万葉詩)

( 雷丘:いかづちのおか 左のこんもりした森  右は畝傍山  奈良飛鳥)
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( 天の香久山:右 耳成山:左 甘樫の丘より  同上 )
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( 志賀の海と詠われた琵琶湖 )
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( 豊旗雲と詠われた茜雲 )
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万葉集その七百十五 (島崎藤村の万葉詩) 

島崎藤村に「懐古」と題される万葉集をモチーフにした詩があります。
今回はその詩が「どの万葉歌をイメージされたものなのか」の謎解きです。
まずは藤村の詩の中で万葉に関係ある部分をすべてピックアップしてみます。

「懐古」     島崎藤村

「 天の河原に やほよろづ
  ちよろづ神の かんつどひ
  つどひ いませし あめつちの
  始めのときを 誰か知る
 
( この導入部は古事記、日本書紀の世界、
  以下から万葉の世界に入ります)

 大和の国の 高市の
 雷山(いかづちやま)に 御幸(みゆき)して
 天雲のへに いほりせる
 御輦(くるま)のひびき 今いずこ

 目をめぐらせば さざ波や
 志賀の都は 荒れにしと
 むかしを思ふ 歌人の
 澄(す)める 怨(うらみ)を なにかせん
  
 春は霞(かす)める 高臺(たかどの)に
 のぼりてみれば けふり立つ
 民のかまどの ながめさへ
 消えてあとなき 雲に入る

むかしは遠き 船いくさ
 人の血潮の 流るとも
 今はむなしき わだつみの
 まんまんとして きはみなし

それでは各パートと該当する万葉歌のコラボです。

( 島崎藤村)

「 大和の国の 高市の
  雷山(いかづちやま)に 御幸(みゆき)して
  天雲のへに いほりせる
  御輦(くるま)のひびき 今いずこ 」

この詩に該当する万葉歌

「 大君は 神にしませば 天雲の
               雷の上に 廬(いほ)らせるかも 」 
                          巻3-235 柿本人麻呂

( 天皇は神様でいらっしゃるから、天雲を支配する雷の上に仮宮を
 お作りになっておられることよ )

天皇は持統の他、天武または文武説もあります。
廬(いおり)は身を清めたり休息するための仮屋。
雷の丘に立たれる天皇を誇張し
「 雷神をも支配する偉大な大君は絶対的な存在である」と讃えています。

雷丘は飛鳥甘樫の丘から北に向かって約1㎞の場所にある標高わずか10mの高台。
住宅と田畑に囲まれた一見何の変哲もない丘は人麻呂のお蔭で一躍不滅のものに
なりました。
もし、この歌が残されていなかったら宅地や田畑に転用されて消滅する運命を
辿ったことでしょう。

そもそも天皇が神であると詠われるのは壬申の乱以降です。
兄、天智天皇の子 大友皇子を倒して天武天皇に即位した大海人皇子は
見方によっては反逆、その正統性を疑問視されてもおかしくありません。

そこで、天武天皇は「古事記」「日本書紀」の編纂を開始して天孫降臨と
天照大神のお告げ、
「 神の血統である我が子孫が日本の国の王となるべきものである」といういわゆる
「天壌無窮の神勅」を創作し皇位継承の正当性の裏付けとしたのです。

「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」とは「永遠に変わらぬ」の意。

(島崎藤村)

「 目をめぐらせば さざ波や
  志賀の都は 荒れにしと
  むかしを思ふ 歌人の
  澄(す)める 怨(うらみ)を なにかせん 」  

(万葉歌)

「 楽浪(ささなみ)の 志賀(しが)の唐崎 幸(さき)くあれど
        大宮人の 舟待ちかねつ 」
                  巻1-30 柿本人麻呂
( 楽浪の志賀の唐崎よ
     おまえは昔のままに たゆとうているが、ここで遊んだ大宮人の舟
     その舟はいくら待っても もう再び現れないよ )

         楽浪(ささなみ) 琵琶湖西南岸地方一帯の古名
         志賀の唐崎   大津市下阪本町唐崎

 「 楽浪(ささなみ)の 国つ御神(みかみ) うらさびて
      荒れたる都  みれば悲しも 」 
                   巻1-32  高市古人(たけちの ふるひと)

(楽浪の地を支配したまう国つ神の 御魂(みたま)も衰えすさんで
荒れて廃れている都 この都をみると悲しみがこみあげてくる )

壬申の乱によって廃墟となった近江の都。
この地を訪れた人麻呂や高市古人の同胞も多く亡くなったことでしょう。

そして万葉屈指の名歌が生まれました。

「 近江(あふみ)の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
    心もしのに いにしへ 思ほゆ 」   
                       巻3-266 柿本人麻呂

( 近江の海の夕波千鳥よ、お前たちが哀しそうに鳴くのを聞いていると
 心もうつろに萎えて、ひたすら昔のことが思われてならないよ )

心も萎えてしまうほどに昔が思われるのは天智天皇の近江朝。
あの華やかなりし都は壬申の乱で滅亡し今や荒れ果てた廃墟となっています。

万葉人は「鳥」は「英霊を運ぶ使い」と考えていました。
「ちどり」の「ち」は 「いかずち(雷)」「おろち(蛇)」「みずち(鮫龍)」
「ちはやぶる」の「ち」と同じく「霊力」を意味する語であるといわれています。

人麻呂はその千鳥に滅亡した近江朝の人たちの霊魂を見、その鎮魂も含めて
「夕波千鳥よ」と呼びかけたのです。

(島崎藤村)
「 春は霞(かす)める 高臺(たかどの)に
  のぼりてみれば けふり立つ
  民のかまどの ながめさへ
  消えてあとなき 雲に入る  」   
 
(万葉歌)

「 大和には 群山(むらやま)あれど 
  とりよろふ 天(あめ)の香具山
  登り立ち 国見をすれば 
  国原は けぶり立ち立つ 
  海原(うなはら)は かまめ立ち立つ
  うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづ しま) 大和の国は 」 
                             巻1-2 舒明天皇

(意訳)
( 大和には多くの山々があるけれども、その中でも
  木々も豊かに生い茂り、美しく装っている香具山。
  また、神話の時代に天から舞い降りたと伝えられる天の香具山。

  その頂に登り立って国見をすると、
  国土には盛んに炊煙の煙が立っている。
  民の竈(かまど)は豊かなようだ。

  海原(広い池)には、かもめ(ゆりかもめ)が盛んに飛んでいる。
  海の幸も豊かなのであろう。

  この上もなく美しい国よ。
  豊穣をもたらすという蜻蛉が盛んに飛び交う わが日本の国よ  ) 

「国見」とは春の初めに天皇が聖なる山に登り、国土を俯瞰(ふかん)しながら、
そのにぎわいを褒めることにより豊かな秋の実りを予祝する農耕儀礼で、
元々は民間の気楽な行事であったものが次第に儀礼化され、
国の儀式になったものとされています。

以下は伊藤博氏の解説です。

「国原はけぶり立ち立つ 海原はかまめ立ちたつ」の対句は
その土と水とがとも生気に満ちて躍っていることを述べた表現で、
このように、国土の原核であり農耕に必須の媒材である「土」と「水」とが
充実しているということは、国土の繁栄、一年(ひととせ)の
五穀豊穣が確約されたことを意味する。
だから一首はただちに「うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」と
高らかな賛美のもとに結ばれる。

この歌の冒頭の大和は天皇が立つ大和(奈良)であるが、
後の大和は映像を大きく広げて
国全体を意味するヤマト(日本)に変貌している。」(万葉集釋注)

さらに「国原」「海原」の対句は、自然の情景をそのままに詠っており、
叙景歌の萌芽が既に芽生えていることをも示しています。
かくして、この歌は国土の美しさを褒め称えたものであると同時に、
我国文学の幕開けの歌でもあったのです。

(島崎藤村)

「むかしは遠き 船いくさ
 人の血潮の 流るとも
 今はむなしき わだつみの
 まんまんとして きはみなし 」 島崎藤村
  
(万葉歌)

「 海神(わたつみ)の 豊旗雲に 入日さし
      今夜(こよひ)の 月夜(つくよ) さやけくありこそ 」
 
             巻1-15 中大兄皇子(のちの天智天皇)

( 空を見上げると海神が棚引かせたまう豊旗雲、何と素晴らしい光景だろう。
  おぉ、夕陽が射しこんできて空はすっかり茜色に染まってきたぞ。
 今宵の月夜はきっと清々しいことであろうなぁ。 )

万葉屈指の美しい造語「豊旗雲」。
「豊」はその立派さ、壮麗さを讃えた言葉、「旗雲」は幡(ばん)のような
横に靡いている吹流しのような雲。

661年、斉明天皇が征新羅のために九州行幸された途中、播磨灘海岸辺りで
詠まれたもので、額田王が天皇になり替って作ったとも推定されている秀歌。

天には茜色の巨大な豊旗雲、海上には軍船、陸上には軍団の無数の旌旗が靡き、
実に雄大、荘厳な光景が想像されます。
作者は豊旗雲を神の旗と感じ、この船旅が海神に祝福されているとも受取った
ことでありましょう。
さらに美しい夕焼け雲をみて「今夜は月夜も素晴らしそうだ。我々の未来もこのような
バラ色であって欲しい」という祈りと期待をこめて詠ったものと思われます。


齊藤茂吉は「壮麗ともいうべき大きな自然と、それに参入した作者の
気迫と相融合して読者に迫ってくるのであるが、
是の如き壮大雄厳の歌詞というものは遂に後代には跡を絶った。
後代の歌人等は渾身をもって自然に参入して、その写生をするだけの
意力に乏しかった」と絶賛されています。
                           ( 万葉秀歌より : 岩波新書 )

そして藤村の詩の最終章

「 われ今 秋の野にいでて
  奥山高く のぼり行き
  都のかたを 眺むれば
  あぁあぁ熱き なみだかな 


と閉じます。
万葉屈指の名歌を網羅した見事な藤村の世界です。


万葉集715 (島崎藤村の万葉詩)  完


次回の更新は12月21日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-12-13 17:32 | 生活

万葉集その七百十四 (恋の面白歌3)

(恋の花 合歓:互いに合い歓ぶの字は意味深長)
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( 邪鬼 法隆寺五重塔)
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( 想 鹿島喜陌:きよみち 奈良万葉文化館蔵 )
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( 天平祭  平城京跡 奈良 )
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万葉集その七百十四 (恋のおもしろ歌3)

万葉集4500余首のうち約70%が恋の歌。
どの巻を紐解いても恋歌ばかりです。
植物、動物、自然の情景、旅の歌を詠っているように見えても
落ち着くところは、恋人に対する切ない想いを寄せた歌がほとんど。

初恋、火のように燃え上がる恋、心に秘めた恋、人妻への憧れ、
老いらくの恋、片想い、亡き人への愛惜、旅先での慕情等々。
その中で、ユーモアの中にもペーソスが感じられる歌を。

「 家にある 櫃(ひつ)に鏁(かぎ)さし 収めてし
     恋の奴が つかみかかりて 」 
                      巻16-3816 穂積親王

( 家にある櫃(ひつ)に錠前を下して、
      ちゃんとしまいこんでおいたはずなのに
      恋の奴め! 
      またしっこく掴みかかってきよって 。)

作者は天武天皇第五皇子。
宴席で機嫌が良くなると良く詠った十八番(おはこ)だそうです。

櫃(ひつ)は蓋つき木箱の物入れでそれ自体装飾された美術品。
鏁(かぎ)は錠前、金編に巣と書きます。

この皇子、よほど女にもてたのか、美貌の天平最高の才女、大伴坂上郎女(家持の叔母)と
結婚し、さらに異母兄高市皇子の妻、但馬皇女を寝取るなど、
華々しい恋の遍歴の持主です。
「恋の奴」という造語も素晴らしい。

但馬皇女との不倫は一大スキヤンダルとなり、持統女帝が穂積を山寺に
蟄居させる騒ぎとなりましたが、皇女の一途な恋はやまず、終生続いたようです。

この歌もおどけながら、亡き皇女にたいする想いを詠ったのかもしれません。

「 寺々の 女餓鬼(めがき)申さく 大神(おほみわ)の
        男餓鬼(をがき)賜(たば)りて その子生まはむ 」
                              巻16-3840 池田朝臣

( 寺々の女餓鬼どもが口々に申しておるぞ。
 大神の男餓鬼をお下げ渡し戴き、そいつの子をたくさん産みたいとな。)

池田某が大神という名の瘦せ男をからかった。
餓鬼は悪業の報いとして餓鬼道に落ちた亡者。
やせ細って喉が細く、飲食することができないので常に飢え渇きに
苦しむ人のことです。

寺々の瘦せ女が、「 瘦せ男のお前の子をいっぱい産みたい」と
神様に頼んでいるぞ。というのですが、大神と云う名は三輪山の神を祀る一族。
神職の男に仏教の男餓鬼をあてた二重の痛烈なからかいです。

「 相思はぬ 人を思ふは 大寺の
     餓鬼の後方(しりへ)に 額(ぬか)つくごとし 」 
                         巻4-608 笠郎女

( 私を想ってもくれない人を想うのは 大寺の餓鬼像を後ろから
 額ずいて拝むようなもの。
 あぁ、もうやめた! あほらしい。)

作者は大伴家持を熱烈に愛し、24首も歌を送りましたが、
かなり年上だった上、家持の好みに合わなかったのか全く相手にされない。

「 あなたを想うのは餓鬼像の尻を拝んでいるようなもの」
と開き直った作者。

奈良の大寺に飾られている餓鬼道に落ちた亡者の像は
仏像の足もとに踏みつけられている哀れな姿をしています。
そんな像を拝んでもご利益がない。
ましてや後ろ姿なんて。
自分自身の姿を餓鬼像に重ねたのかも知れません。

傷心のはて故郷に帰ったが、それでも諦めきれずまた歌を送る。
その恋のお蔭で、笠郎女は劇的な恋の秀歌を詠った万葉女性歌人として
歴史に名を残すことになりました。
自分の恋文を受けとった家持が、万葉集に載せて公開するなどとは
夢だにも思わなかったことでしょう。

「 眉根(まよね)掻き 鼻ひ紐解け 待つらむか
           いつかも見むと 思へる我れを 」
                          巻11-2408 作者未詳

( 眉を掻き くしゃみをし、下着の紐を解いているだろうか。
 何時この俺様にいつ逢えるだろかと首を長くして待っているあの子。 )
  
当時、眉根の根元が痒くなったり、「ハクション」とくしゃみをしたり、
着物の紐が自然に解けると男が訪れると信じられていました。

「 可愛いおぼこの娘は自ら着物の紐を解き、胸をはだけながら、
愛しい俺様を瞼にえがいている。」

と、ちよっと憎たらしいほどの自信満々の男。
今はやりのイケメンだったのでしょうか。
新鮮なエロティシズムを感じさせる1首です。

  「 よしなあの ひくいは少し 出来かかり 」 江戸川柳

『 男が露骨に迫ると、女が「よしなあ(止してよ) 」と拒む。
  だが、それは大声ではなく「ひくい」声で。
  彼女もだいぶオツな気分が出来かかっているのだ。
  艶笑小説などの“いやよ、いやよも好きのうち”である。 』

      ( 下山 弘著 川柳のエロティシズム 新潮選書) より


           万葉集714(恋のおもしろ歌3) 完

           次回の更新は7月14日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2018-12-06 15:32 | 心象