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万葉集その七百二十二 (雪の恋歌)

( 皇居東御苑 )
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( 高千穂神社  佐倉市 )
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( 同上  桜の蕾も寒そう )
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( はだれ  北の丸公園  東京 )
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万葉集(雪の恋歌)

「 かきくらし ふる白ゆきの いやましに
      深くなりぬる 我(わが) おもひかな 」  樋口一葉

万葉集での雪歌は150首余。
約半数が恋歌、他は白梅、鶯との取り合わせ、新年の賀歌、
大雪の喜びなどが詠われています。

当時、雪は繁栄をもたらす瑞祥と歓迎されていましたが、
大和は降雪が少なく、たまに大雪でも降ろうものなら、外に出て
子供のようにはしゃぎまわり、朝廷の役人たちは、皇居に駆けつけて雪掻きをし、
お上から酒をふるまわれるのを楽しみにしていたのです。

恋の歌は天皇から庶民に至るまで詠われておりますが、今回は
名もなき人々の雪に寄せる純情、淡い恋歌です。

「 わが袖に 降りつる雪も 流れ行(ゆ)きて
      妹が手本(たもと)に い行(ゆ)き触れぬか 」
              巻10-2320  作者未詳

( 私の着物に降りかかった雪よ、ずっと空を流れて、
 あの子の手首に触れてくれないものかなぁ )

愛しい人とは何事も共にしたいと願うのは恋するものの心理。
雪降る中、恋人の姿を目に浮かべ、共に歩いている姿を想像している。
美しい幻想の世界です。

「 わが背子を 今か今かと出(い)でみれば
       淡雪降れり 庭もほどろに 」  
                     巻10-2323 作者未詳

( あの方のお越しを今か今かと待ちかねて、戸口に出て見ると
庭中うっすらと 淡雪が降り積もってしまっているわ。)


愛しい人がいつまで経っても現れない。
折角約束したのに。
とうとう待ちきれなくて外に出てしまった。
切ない思いの女が立ちつくす可憐な姿と淡雪の情景が美しい。

庭もほどろに: 雪が地肌に交ってうっすらと積もる状態

「 笹の葉に はだれ降り覆ひ 消なばかも
      忘れむと言へば  まして思ほゆ 」 
                     巻10―2337 作者未詳

( 「笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように
私の命が消えでもすれば、あなたを忘れることもありましょう。」
などと、あの子がいったものだから、ますますあの子が愛しく思われることよ。)

 はだれ降り:うっすらと降り置いた

「 一目見し 人に恋ふらく 天霧(あめぎ)らし
       降りくる雪の 消ぬべく思ほゆ 」 
                           巻10-2340 作者未詳

( たった一目みただけのあの子、それなのにどうしてこんなに
恋焦がれてしまつたのだろう。
まるで大空をかき曇らせて降ってくる雪のように
身も心も消え入るばかり。 )

天霧(あめぎ)らし:「雪がやがて消えてしまうように
我が身が消え入りそう」の意

以上4首は全て巻10に収蔵されています。
この巻は春、夏、秋、冬、四季整然と区分されており、さらに自然現象、
動植物、相聞に細分化され後の古今和歌集分類の先駆をなすものです。
後の人はこの巻をお手本にして作歌を学んだと思われますが、秀歌も多く
名ある人もあえて読み人知らずとして詠ったものもあるようです。

 「 雪はげし 抱かれて息の つまりしこと 」 橋本多佳子



     万葉集721(雪の恋歌)完

  次回の更新は2月8日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-31 17:50 | 自然

万葉集その七百二十一 (鴨の恋歌)

( マガモ雄  皇居)
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( マガモ雌  田沢湖 )
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( ホシハジロ:中央赤首 キンクロハジロ:左下  皇居 )
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( カルガモ  東寺  京都 )
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万葉集その七百二十一 (鴨の季節)

鴨はカモ科のうち比較的小形の水鳥の総称とされています。
世界で約170種、我国でも30余種といわれ、我々が目にするのは
マガモ、コガモ、ヨシガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、スズガモ、
ホシハジロ、キンクロハジロなど。
中でも一番多いのは、マガモ、別名青頸(あおくび)とよばれ、
単に鴨と言う場合はマガモさすことが多いようです。

マガモは雄雌異色で雄は金属光沢がある緑色をしており、襟に白い首輪、
胸は紫ががった栗色と際立つ容姿ですが、雌は全体が地味な黄褐色で
波型の黒い模様があります。
雄は「グェッ グェツ」メスは「グェーグェグェ」と鳴き、
情感には程遠い「だみ声」。

  「 夜ふけたり 何にさわだつ 鴨の声 」 正岡子規

万葉集では29首。
番(つがい)で泳ぐ姿が愛されたのか、恋の歌も多く詠われています。

「 葦辺(あしへ)行く 鴨の羽音の 音のみに
    聞きつつもとな  恋ひわたるかも 」 
                    巻12-3090 作者未詳

( 葦のあたりを飛びわたる鴨の羽音のように
 噂をいたずらに聞くばかり。 
 でも、私は空しいと分かっていても、
 ただ、ただ、あの人をお慕い続けています。)

ひそかに恋する人が、私を好いてくれているという噂はよく聞くが
ちっとも会いに来てくれない。
やはり片想いなのかしらと嘆く女です。
 
「音」:噂
「聞きつつもとな」:「もとな」は「どうしょうもなく」
             噂を聞くばかりでどうしょうも無く

 「 鴨すらも おのがつまどち あさりして
     後(おく)るる間(あいだ)も  恋ふといふものを」
                          12-3091 作者未詳

( 鴨でさえも お互いの連れ合い同士が餌をあさるうちに
 片方が少しでも遅れると、それだけで恋しがるというのに。)

  なかなか会いに来てくれないあの人。
  鴨は少し離れても恋しがるというのに、冷たい人。

       おのが つま どち: 「つま」:「配偶者(男女の別問わず)」
                     「どち」:同士
       あさりして:     「餌を漁(あさ)る」

  「 夫婦鴨 さみしくなれば 光り合ふ 」  松本 旭

  「 鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて
             浮たる心  我(あ)が思はなくに 」

       巻4-711 丹羽大女娘子 ( たにはの おほめ おとめ:伝未詳)

( 鴨が浮かんで遊んでいるこの池に、木の葉が散って浮いている。
 でも、私の気持ちはこんな浮いた心ではありません。
 真剣なのです。)

それなのにあの人はそう思ってくれていない。
作者はいかなる人か分かりませんが、丹波の国の女性か?

3首連続して詠われており、伊藤博氏は
「池のほとりの宴席での遊行女婦(うかれめ:教養ある遊女)であることをうかがわせる。」
とされています。

「 外に居て 恋ひつつあらずは 君が家の
      池に棲むといふ 鴨にあらましを 」 
                       巻4-726 大伴坂上郎女

( 離れていて恋い焦がれてなんかおらずに
 いっそ君のお家に棲むという鴨でありたいものですわ )

聖武天皇に恋歌仕立てで贈ったもの。
作者は宮廷にも活発に出入りしており、大伴家の女主人として家を守り
甥の家持の後押しもしていたようです。
その甲斐あってか、聖武天皇も大伴家に対する信頼は大なるものがありました。

「 横縞の 紺に白添ふ 鴨の翅(はね) 」  山口青邨

鴨は秋に寒地より群れをなして飛来して湖沼、河川に生息し、春になると再び
帰ってゆきますが、カルガモと鴛鴦(おしどり)は留鳥です。

唐沢孝一著 「目からウロコの自然観察」によると

『 鴨類は配偶者を選択するのは雄であり、雄はよく目立つ色彩を進化させた。
  雄が種ごとに独特の色彩をしていることにより、異種との交雑を避けることが出来る。
  ところが10月末~11月ころ、渡来したばかりのカモ類の雄は雌のような
  色彩をしている。

  これをエクリプス羽という。
  エクリプス(eclipse)とは日食や月食のことで、
  食とは欠けていることを意味する。色彩が欠けて地味な羽毛のことである。
  よく目立つ雄の生殖羽は求愛では有利だが天敵に見つかりやすい。

  そこで、天敵の多い北国の繁殖地では換羽して地味なエクリプス羽に変わる。
  そのまま日本に渡って来るので、渡来したばかりの雄は地味な色彩を
  していることになる。』        (中央公論新社 一部要約)
  
そして鮮やかな色彩に変化した雄は早速婚活開始。
声高らかに鳴き、水をはじいて尾をそらすなどさまざまな
パフオーマンスを披露。

雌が好みの雄を選んでカップルが成立すると、二羽で睦まじく行動し交尾。
めでたく雛が生まれると、雄は早速、別の雌鳥に求愛する。

浮気者め! 
いやいやそうではありません。
というのは、渡り鳥は死亡率が高いので、種の生存保持の上からも
必要な行為なのだとか。

オシドリ夫婦といえば仲良く一生を添い遂げる―「鴛鴦の契り」
というイメージがありますが、鳥の世界では毎年相手が入れ替わっている
仮面夫婦だったのか。

  「 日輪が ゆれて浮寝の 鴨まぶし 」 水原秋桜子 



万葉集721 (鴨の季節)完


次回の更新は2月1日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-24 16:10 | 動物

万葉集その七百二十 (雪山賛歌)

( 梅薫る富士  曽我梅林 )
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( 立山連峰 雨晴海岸  富山県 )
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( 東京都内を走る立山連峰  山手線 )
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(筑波山の雪 )
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万葉集その七百二十 (雪山賛歌)

大和の都、藤原京、平城京は低い山々に囲まれた盆地にあり、冬は厳寒。
でも、雪は滅多に降りません。
数年に一度の大雪ともなれば天皇から庶民に至るまで大喜び。
雪の歌が何と150余首も残されているのです。

万葉人はなぜ雪をこんなにも歓迎したのでしょうか。
それは雪は白米とみなされ大雪は豊穣、雪解け水は農作物をうるおす、
国土繁栄のしるしと信じられていたからです。

 「 矢釣山(やつりやま) 木立も見えず 降りまがひ
        雪の騒(さわ)ける 朝(あした)楽しも  」
                 巻3-262 柿本人麻呂

( 矢釣山の木立も見えないほどに さわさわと降り積もったこの朝は
 何と心楽しいことでありましょうか 。)

    矢釣山:奈良県明日香村東北にある八釣山
    降りまがひ: 粉々に降り乱れて
    騒ける: にぎにぎしく降っているさま

人麻呂が新田部皇子(にひたべみこ:天武天皇皇子)に奉った長歌の反歌。
皇子17歳頃、成年に達したときの宴席での寿ぎ歌と思われます。
繁栄のあかしとされていた雪が賀宴の最中に降ってきた。
それも大雪。
人麻呂は皇子の前途は洋々たるものと感じ、直ちに歌を献上して寿いだのです。

 「 初富士や 舟より上る 武者の凧 」  吉中愛子

大和には高い山がありませんが、山部赤人、高橋虫麻呂、大伴家持は
官用で旅をしたり、転任したりして富士山、立山、筑波山を詠い、
また筑波山は民謡としても残されています。


  「 田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ
        富士の高嶺に 雪は降りける 」
               巻3-318 山部赤人

   ( 田子の浦にうち出て見ると、おお、なんと富士の高嶺に
     真っ白な雪が降り積もっていることよ )

田子の浦を通り、薩捶峠(さったとうげ)あたりに出た時、突然 視界が開けて
目に飛び込んできた雄大かつ秀麗な富士の姿を、海、山、空とパノラマのような
大きなスケールで簡潔平明に詠った万葉屈指の秀歌です。

   「田子の浦ゆ」:「田子の浦を通って」
   「うち出でてみれば」:眼前に障害物のない展望がぱっと開けた地点に
                出た時の感じをいう。

生れて初めて富士山を目にした赤人の感激は如何ばかりだったことでしょう。

 「 立山に 降り置ける雪を 常夏に
          見れども飽かず 神からならし 」
               巻17-4001 大伴家持

   ( 立山に白く降り置いている雪、この雪は夏の真っ盛りの今でも
     白々と輝いている。
     なんと神々しいことだろう。
     これは、きっと神の摂理であるらしい。)

746年、越中国守として赴任した家持は天空に聳え立つ立山連峰を
目のあたりにして その雄大な景色に驚嘆したことでしょう。

「神から」とは「族(うから)」「親族(やから)」「同胞(はらから)」
などの語と同じく血の繋がりがあることを示す古語ですが、
ここでは真夏に白々と雪が残る景色を神の霊力とみた表現です。

立山は古くは「たちやま」とよばれていました。
最高峰の大汝山(おおなんじやま:3015m) 主峰の雄山(おやま:3003m)、
富士の折立(おりたて:2999m)の三つの山からなり、雄山の山頂には日本で
一番高いところにある神社、雄山神社が鎮座まします。

「 筑波嶺(つくばね)に 雪かも降らる いなをかも
            愛(かなし)き子ろが 布(にの)乾さるかも 」
                  巻14-3351 常陸国の歌

( 筑波山に雪が降っているのかな。
     それとも、いとしいあの子が布を乾かしているのかな。)

筑波山は古くから歌垣で知られていた山です。
歌垣とは春秋の季節に関東地区の男女が打ち集い、
山上で歌を歌って舞い楽しみ、お互いのパートナーを見つける、
いわば婚活のような行事。

深田久弥著日本百名山によると
『 筑波山へ登ってその会合で男から結婚を申し込まれないような女は、
一人前ではないと言われさえした。』のです。( 朝日新聞社刊)

この歌もこれから始まる歌垣を前にした男が、
「 あの愛しい子もきっと歌垣に参加するだろう」
と楽しい夜を思い描いていたのかもしれません。

 「 おぼほしく 曇れる空の雨やみて
           筑波の山に 雪ふれりみゆ 」   長塚 節

                 おぼほしく: 憂鬱に

古代、旅するには徒歩か船か馬。
九州へ行く以外ほとんどが徒歩の旅でした。
何日も何日もかけてゆっくり歩く。
時には野宿もいたし方なし。

そんな中でも万葉人は旅を続け、高橋虫麻呂にいたっては
なんと、気晴らしに筑波山に登ったと詠っているのです。

「 草枕 旅の憂へを慰もる こともありやと 
         筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば ― ― 」  
                        巻9-1757 高橋虫麻呂


       万葉集720(雪山賛歌)完


      次回の更新は1月25日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-17 11:11 | 自然

万葉集その七百十九 (嫁菜:よめな)

( 嫁菜は美味な野菜 奈良万葉植物園 )
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( 嫁菜の花 青  浄瑠璃寺 京都 )
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(嫁菜の花 白 東大小石川植物園 )
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( 枯れ蓮の周囲に咲く嫁菜の花 )
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  万葉集その七百十九(嫁菜:よめな)

ヨメナはキク科の多年草で本州中部以西の山野や田の周囲など、
やや湿った場所に多く見られ、秋に青紫,白色の可愛い小花を群生させます。

古くは「ウハギ」「オハギ」とよばれ、前川文夫氏によると
「オハギ」は「麻剥ぎ(おはぎ)」で枯れた茎が霜で皮がささくれているさまが
「麻(オ)の皮を剥ぐ」のに似ているからとされていますが今1つピンときません。
                          (植物の名前の話:八坂書房)

また、現代名のヨメナは「嫁菜」でその由来は
「食用とする若芽の中で最も美味で形が美しい」
「若葉が柔らかくて、花が可愛い」
など諸説あり、いずれも新妻の楚々とした美しさに譬えたものです。

万葉集には2首、すべて「ウハギ」と詠われています。

「 春日野に 煙立つ見ゆ 娘子(をとめ)らし
           春野のうはぎ  摘みて煮らしも 」        
                           巻10-1879 作者未詳

( 春日野の方に煙が立っているのが見える。
 あれはきっと娘さんたちが嫁菜(ヨメナ)を摘んで煮ているのだろうよ )

春日野は現在の奈良公園飛火野一帯。
緑の野原、焚き火の赤い炎、細く長く立つ白い煙。
色とりどりの衣裳をまとい、楽しそうにおしゃべりをしながら、
若菜を摘んだり煮たりしている大勢の美しい乙女たち。

作者は遠くに見える白い煙から仙境のような絵画的な場面を
思い描いたのでしょうか。

この歌は後々好まれ、春日野と言えば若菜摘みの代名詞になります。

「 春日野の 草は緑になりにけり
                 若葉摘まむと 誰かしめけむ 」  
                  壬生忠見(みぶのただみ) 新古今和歌集

( 緑になった春日野に標(しめ)がしてあるのは、
 一体誰が若菜を摘もうとしたのであろうか。)

            標:占有の目印

万葉集の2首目は異色の歌です。

「 妻もあらば 摘みて食(た)げまし 沙弥(さみ)の山
      野の上のうはぎ 過ぎにけらすや 」 
                   巻2-221 柿本人麻呂

( せめて妻でもここにいたら、一緒に摘んで食べることもできたろうに
     狭岑(さみね)の山の 野辺一帯の嫁菜はもう盛りが過ぎてしまっている
     のだろうか。)

歌の詞書と長歌に

「 讃岐に旅した時、那珂の港(丸亀市)から東へ船出して間もなく
  突風に襲われた。
  やむなく沙岑(さみ)の島に寄港したとき、岩床に行商人らしき人が
  臥して死んでいた。」とあり

当時このような場合、亡き人の鎮魂をするべく歌を詠い、
合わせて自身の行路の安全を祈るのが習いでした。

人麻呂は行商人が餓死したとみなしたらしく、
嫁菜でも食べていたら飢えをしのげただろうに、と悼んでいます。

          狭岑の山: 香川県沙弥島 埋立てによって今は坂出と陸続き

 「 紫を俤(おもかげ)にして嫁菜かな 」 松根 東洋城

嫁菜は春菊のような香りがあり古くから人気がありました。
美味な上、解熱,解毒など薬草としても効あり、根を含む全草を採取して
水洗いをし、日干しして保存していたようです。

カリウム、ナトリウム、マグネシユウム、リン、鉄などを多く含み
栄養食としても満点。
その上、美味ともなれば現在にいたる重宝されているのも無理からぬことです。

   「 炊き上げて うすき緑や 嫁菜飯」  杉田久女


          万葉集719(嫁菜:よめな)完


         次回の更新は1月18日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-10 21:06 | 植物

万葉集その七百十八 (7日七草粥)

( 春の七草 向島百花園 上中央:ごぎょう 上左:すずな(蕪) 上右:すずしろ(大根)
 中央:なずな 下左: はこべら 下右:せり 下中央: 仏の座 ) 
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( セリの花 同上 )
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( スズナの花  奈良万葉植物園 )
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( ニラの花 山辺の道 奈良 )
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万葉集その七百十八 (7日:七草粥)

お屠蘇気分が抜けない正月7日。
ふと、暦を見ると七草。
そうだ、7日は七草粥の日だった。

 「 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ 
          すずな  すずしろ  春の七草 」

春の七草は南北朝時代(1336~1392年)、四辻善成が初めて選定したとされ(河海抄)、
その後、歌道師範で名高い冷泉家に上記の歌として伝えられたといわれています。

古代の人達はこれらの野菜は栄養価が高く、病気への抵抗力を強くする
薬効成分が多いことを長い間の経験で会得しており、春菜摘みは
生活上なくてはならない庶民の行事として定着していました。

そして次第に上流階級の人々の間にも普及して儀礼化され、
平安時代になると朝廷の行事になり、醍醐天皇延喜年間(901~914)には、
正月最初の子の日(のち七日)、天皇に若菜を奉る公式儀式に制定されます。

然しながら、現在の七草粥の姿になるのは鎌倉時代からで、
平安時代の七種(ななくさ)は菜ではなく七種の穀類。
「 米 粟:あわ、 黍:きび、 稗:ひえ、小豆、胡麻、
 篁子:みの=水田に生える野草の実)」
で炊かれて正月15日(小正月)に食され、のちに小豆粥として継承されます。

奈良時代は七草の名はなくても、セリ、ヨモギ、ニラ、ノビル、ヨメナ、
ワラビ、カタクリ、スミレ(食用にされた)、スズナなどが万葉集に見え、
それらを総称した若菜、春菜も多く詠われています。

娯楽が少ない当時、ピクニックや花見は最大の楽しみ。
人々はこぞって早春の山や野原に出かけて若菜を摘み、その場で煮て食べたり
持ち帰って羹(あつもの:汁物)、菜飯、菜粥など長い冬の間の栄養不足を
補うべくいそしんだのです。


また、美しい乙女たちが集い楽しげに騒いでいる姿は男達にとっても
最大の目の保養、遠くから眺めながら詠います。

「 春山の 咲きのををりに 春菜摘む
         妹が白紐(しらひも) 見らくし よしも 」
          巻8-1421 尾張 連 (をはりのむらじ:伝未詳)

( 春山の花が咲き乱れているあたりで春菜摘んでいる乙女、
 その子が結んでいる清々しい白紐を見るのはなかなか
 気持ちがいいものよなぁ。)

山に花が咲き、野原は一面の緑。
そんな中、美しい乙女が無心に春菜を摘んでいる。
突然一陣の春風が吹き、乙女の白い腰紐が風に靡く。
はっと手を休めて立ち上がった子の輝くばかりの美しさ。
なんと気持ちの良い光景なのだろう。

色とりどりの花、野山の緑、着物の紐の白。
色彩の対比が美しく、春到来の喜びが感じられる歌です。

    咲きの ををりに: 枝がたわむばかりに咲いている

「 難波辺(なにわへ)に 人の行けば 遅れ居て
      春菜摘む子を 見るが悲しさ 」 
               巻8-1442 丹比屋主真人( たじひの やぬし まひと:官人)

( 夫が難波の方に出かけているので、一人後に残って
 春菜を摘んでいる子。
 その子を見ると、いとおしくてならない。)

娘たちが大勢で春菜摘みをしている。
その中で一人、ぽつんと離れて寂しそうな子がいた。
あぁ、あの子の夫は難波の方へ仕事で出かけているんだ。
さぞ、寂しいことだろうなぁ。
好意を寄せている人妻に惹かれている男です。

「 川上に 洗ふ若菜の 流れ来て
      妹があたりにの 瀬にこそ寄らめ 」
                      巻11-2838 作者未詳

( あの子が川上で採れた若菜を洗っている。
 これが流れていって、あの子が住む家のあたりまで
 寄ってくれたらいいのになぁ。)

 好きな女が川で摘みたての若菜を洗っている。
あぁ俺は若菜になりたい。
そして彼女の家の近くの川の瀬に流れ着きたい。

好意をいだく女性を遠くから眺めながら、叶わぬ恋を嘆く男。
気が弱くて口説けないのか。

「 摘みいそげ 木曽の沢井の 雪芹の
          いや清くして うまかるらしき 」   太田水穂

日本人は大の野菜好きですが日本原産の野菜は極めて少なく、
芹、水菜、蔓菜(つるな)、 蕗(ふき)、 韮 、茗荷、 独活(うど)、
三つ葉、 山芋位しかなく、それもほとんど葉菜です。
   ( 菜とは「草の茎 葉根の食べられるものの総称」)。

数ある葉菜の中でもとりわけ芹は我国栽培史上最も古く、
栄養価の高い野菜の一つで今日なお、ほとんど改良の手が
加えられていない昔のままの姿を持つ数少ない貴重な植物です。

  「韮茹でて あらたに春と 思ひけり 」   八十島祥子

韮の葉、茎はベーターカロチン、ビタミン類、カルシュウム、リン、鉄分など
多く含み、栄養価が極めて高い菜として通年栽培されていますが旬は早春。
お腹の調子が悪い時や二日酔いに最適の韮粥です。

 「 蕪肥えたり 蕪村生まれし 村の土 」 正岡子規

「カブ」の古名は蔓菁(青菜)、「スズナ」。

古事記に栽培の記録が見られるほど古くから大切な野菜とされてきました。
形も色も様々で現在80種類以上もあるそうです。

煮ても、蒸しても、漬物にしても美味。
中でも飛騨高山の赤蕪漬、京都の千枚漬、スグキ、
北陸の鰤ズシ(カブを輪切りにして寒ブリの薄切りをはさんだもの)
などが良く知られております。

 「 そのかみの 禁野(しめの)はいずこ 若菜摘む 」 高橋雨城
    
   そのかみ: 古(いにしえ)の
       禁野(しめの: 天皇の御料地

この句は次の歌をふまえたものです。

「 あかねさす紫野行(ゆ)き 標野(しめの)行き
             野守は見ずや 君が袖振る 」 
                            巻1-20 額田王


        万葉集718(7日七草粥)完


        次回の更新は1月11日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-04 00:00 | 植物

万葉集その七百十七 ( 新年の歌:亥)

( 謹賀新年 本年もよろしくお願いします。  富士の夜明け 精進湖 )
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 ご来光 南アルプス連峰 )
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( 新年能  翁  春日大社 奈良 )
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( 平城京跡大極殿 壁画  奈良 )
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( 鳥獣戯画  高山寺  京都 )
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( 新しき年の初めの初春の 今日降る雪のいや重け吉事 大伴家持  亥 谷中で) 
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万葉集その七百十七 (新年の歌 亥)

「 正月(むつき)立つ 春の初めに かくしつつ 
                   相(あひ)し笑みてば 時じけめやも  
                           巻18-4137 大伴家持
( 正月、めでたい春の初めに 
      このようにお互いに笑みを交わしているのは
      まことに時宜をえた結構なことでありますなぁ。)

           時じけめやも: 時宜を得た

越中、久米広縄の館で催された新年賀宴での一首。
当時正月に笑うことは邪気を払い、繁栄、幸いをもたらすものと
考えられていました。
まさに「笑う門には福来る」です。

ここでの笑いは大口を開けてではなく微笑み。
一同、にこやかに笑みを交わしながら酒杯を傾け、楽しく語らいあっています。

 「あたらしき 年のはじめは 楽しかり
           わがたましひを 養ひゆかむ 」  斎藤茂吉

本年の干支は亥。
「加藤迪男著 干支の話題辞典」によると 

『 「亥」という字はイノシシまたは豚の骨格をたてに書いた象形文字で
  骨組みが出来上がっている意味を持ち、動物では猪があてられている。

  この年生まれの人の一代運勢は忍耐強く、向上心に富み若年期に
  成功する人が多いが、頑固一徹で融通がきかず柔軟性に欠けるため
  折角の成功も保てないことがあるので、晩年の良運を逃がさぬよう
  心がけることが肝要。』なのだそうです。   (東京堂出版より要約)

万葉集での猪は15首、「鹿猪」「鹿」などと表記されており、
すべて「しし」と訓みます。
そのうちの1首、恋歌です。

「 安達太良の嶺(ね)に伏す鹿猪(しし)の ありつつも
     我(あ)れは至らむ 寝処(ねど)な去りそね 」 
                          巻14-3428 作者未詳

( 安達太良山の鹿や猪はいつも決まった寝床に帰って休むという。
 俺もお前のところへ通い続けるから、いつでも共寝できるように
 待っていてくれよな。)

佐々木幸綱著 万葉集東歌によると
「 二人の間に何かトラブルでもあって、女が“もう通ってこないで!”
  などとすねてしまった。
  そんな場面を思い浮かべればこの歌の意味が理解しやすい」(東京新聞出版局)とのこと。

原始性豊かな山麓の中で鹿や猪と一体になって生活している人々の様子が窺われ、
もともとは山野で働く人達が歌った民謡であったようです。

なお、猪は「猪突猛進」「猪武者」などの諺で知られていますが、実際には
どんなに早く走っていても前方に障害物を見つけたり、身辺に危険を感じると
実に見事に停止し、くるりと向きを変える運動神経敏捷で賢い動物です。

雑食性で小動物から木の根、木の実などの植物を広範囲に食するため、
生命力繁殖力が強く、太古の時代から狩猟、家畜の対象として
人と共に生きてきました。

    「 猪の ねに行(ゆく)かたや 明けの月 」 去来

  本年は新天皇即位の年、希望に満ちた明るい時代となりますように。

「 年のはじめの 例(ためし)とて
  終(おわ)りなき世の めでたさを
  松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
  祝う今日こそ たのしけれ 」 
                小学唱歌 (一月一日:いちげつ いちじつ
                        作曲 上 眞行:うえ さねみち
                        作詞  千家 尊富: せんげ たかとみ)

                          例(ためし)とて: 決まりごとの風習


             万葉集717(新年の歌:亥) 完

             次回の更新は1月4日(金)の予定です。

by uqrx74fd | 2019-01-01 00:00 | 生活