2012年 04月 22日
万葉集その三百六十八(谷ぐく=ヒキガエル)
( 鏡背にみる月の世界 中央に蛙 中西進 古代日本人・心の宇宙 NHKライブラリー)
( 山の辺の道 玄賓庵にて)
( 自来也 yahoo画像検索より )
「谷ぐく」とはヒキガエル、いわゆるガマの古名で、「谷間を潜(くく)り渡る」
あるいは「谷間の陰湿地に住んでククと鳴く」ことに由来するとも言われています。
早春の2月頃、冬眠から覚めて交尾し、ひも状の寒天のような卵塊を生んだ後、
再び冬眠に入り初夏にモコモコと地上に出てきますが、昼間は土石の中に隠れ、
夜になると食用の昆虫などを求めて活動し、中には鼠を捕食する大きなものも
いるそうです。
そのユーモラスな表情の中に王者の風格さえ感じられ、万葉集では深い意味をもつ
両生類として長歌二首に登場しています。
「 - この照らす 日月の下は
天雲(あまぐも)の 向伏す(むかぶす)極み
谷ぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ - 」
巻5-800 (長歌の一部) 山上憶良
( - この月日を照らす下は
天雲のたなびく果て
蟇(ひきがえる)の這い回る果てまで
大君が治められている 秀(すぐ)れた国なのだ - ) (5-800)
「きこしをす」 は「きこしめす」でお治めになる。
この歌は父母に孝養を尽くすことを忘れ妻子まで捨てて、自ら「世俗に背く先生」と
称して山野を浮浪している民に反省を求めた歌です。
当時、そのような人が多く社会問題になっていたらしく、この歌に続く短歌で
「 天への道のりは遠いのだ。
私のいう道理を認めて、素直に帰り家業に励め」と
聖の真似事などせず、普段の生活に戻れと諭しています。
「 - 山彦の 答へむ極み
谷ぐくの さ渡る極み
国形(くにかた)を 見したまひて
冬こもり 春さりゆかば
飛ぶ鳥の 早く来まさね 」
巻6-971 (長歌の一部) 高橋虫麻呂
( - 山彦のこだまするかぎり
ヒキガエルの這い廻るかぎり
国のありさまをご覧になって
冬木が芽吹く春になったら
空飛ぶ鳥のように 早くお帰り下さい。 ) (6-971)
藤原宇合が対馬、壱岐を含む九州全土の軍事を監督する「西海節度使」に
任じられた時の送別歌です。
憶良の歌共々「谷ぐくのさ渡るきわみ」すなわち「ヒキガエルが地上を這い渡って
行く隅々まで」と、空間のこの上ない広さを示す表現が使われていますが、
鈍重なヒキガエルがなぜそのように詠われたのか?
さらに「さ渡る」と神聖を表す「さ」という敬称がなぜ用いられたのでしょうか?
伊藤博氏は友人の話として
『 ヒキガエルは一定の個所に棲息していて、そこを基地にしつつ、谷から谷へ、
野から野へ、ほとんど現在いう一郡程度の広範囲を這い回る習性を持つと
いうのである。
幼年時代、大きなガマガエルに赤い紐をつけて放置しておいたら2,3日後
2㎞離れた村はずれで奇しくも再会した。
しかしそれにしても,油の筋を地上につけて谷グクのノタウチが一郡に及ぶとは
つゆ知らぬことであった。
万葉びとは一体どのようにして谷グクの生態を知ったのであろうか。
万葉びとの物を見る眼の深さや確かさに、今さらながら驚嘆せずにはいられない 』
と述べておられます。 (万葉のいのち はなわ新書より要約 )
今一つの「さ」という敬称です。
中西進氏は
『 冬眠してまた姿をあらわすことは、死と再生の実修者としてイメージされたらしい。
そもそもヒキともガマともよぶこの動物は和名がヒキ、漢名がガマで、ヒキとは
日招(お)き、つまり太陽を招く動物だと考えられた名前である。
それも太陽の力が 強くなる春に地上に姿をあらわすから、逆にヒキの力によって
太陽が復活すると考えたのであろう。 (万葉時代の日本人 潮出版社) 』
いささか強引な説ですが下記の話は説得力があります。
『 中国の伝説だが、月の世界を描いた鏡の裏の中央に蛙、右上に桂の木、
右下は杵で薬をねっているウサギ、左上は天女に桃、左下の池に2匹の蛙
こうした図像はすべて不老不死をかたどったもので、もちろん月が死と生を
繰り返すからです。
その中の一つとして登場するのがカエルですから、やはりカエルの性格の中心が
死と再生-冬眠にあったことになります。 (添付写真ご参照) 』
( 古代日本人 心の宇宙 NHKライブラリーより要約 )
上記の話をまとめると、古代の人はヒキガエルが広範囲に這い回って活動していることを
子細に観察した上、冬眠を生命の再生、すなわち神のなせる業と考え
「谷ぐくの さ渡る極み」と表現したのです。
たった一行の歌の中にも古代人の限りなく厚い信仰と鋭い洞察力が込められている一例です。
「見る限り 青野ゆたかに起き伏せば
水の中にて ひきがへる鳴く 」 斎藤茂吉
「 ヒキガエルは大型で長い舌端を飛ばせてかなり離れた位置にいる昆虫などを
捕食するため、引きよせるものとして「引き」とよばれたという。
動作は鈍重で姿が醜怪な上に、背にある疣(いぼ)から有毒な粘液を分泌し、
これを捕食しょうとする蛇、イタチ、猫などを撃退する。
これを神秘とする人間が、ガマとよんで怪物の一つと考えるようになり、
近世の怪談や小説にも取り入れられるようになった。
その分泌液からは心臓の作用を刺激強化する蟾酥(せんそ)という白色の薬品が製される。
これを主成分とするのが俗にいう「ガマの油」で切傷や腫れ物に
効ありとされる漢方薬である。
その路傍における効能の口上は大道芸の一つとして、江戸時代から
明治大正期までよく耳にするものであった。」
( 角海 武 万葉の動物に寄せて 自家出版)
ガマの呼称は想像上の怪物。
歌舞伎などで自来也(児来也)が上演され、宮沢賢治は詩を作り、小説でも
「かえるくん東京をすくう」(村上春樹著 神の子どのたちはみな踊る所収 新潮文庫) 、
さらに、忍者コミックなどにも登場する人気者です。
「 雲を吐く 口つきしたり 引蟇(ひきがへる) 」 一茶
番外編
「 宮沢賢治 蛙のゴム靴 」(一部抜粋)
『 一体蛙どもは、みんな、夏の雲の峰を見ることが大すきです。- -
眺めても眺めても厭(あ)きないのです。
そのわけは雲のみねといふものは、どこか蛙の頭の形に肖(に)てゐますし、
それから春の蛙の卵に似てゐます。
それで日本人ならば、丁度花見とか月見とかいふ処を、蛙どもは雲見をやります。
「 どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。 うすい金色だね。 永遠の命を思はせるね。」
「実に僕たちの理想だね。」
雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。
ペネタ形といふのは、蛙どもでは大へん高尚なものになってゐます。
平たいことなのです。 』
( 吉野山にて )
# by uqrx74fd | 2012-04-22 08:28 | 動物