万葉集その五十二(花は櫻木)

「櫻」という文字は「木」と「嬰」から成り「嬰」の貝2つは
女性の首飾りを指し「とりまく」という意味があります。

よって櫻は花が木を取りまいて咲く木の事とされています。

「櫻」という文字が初めて使われたのは「日本書紀」においてで
西暦400年、時の天皇「履中帝(りちゅうてい)」が后妃を伴い
秋の船上での酒宴のさなかに時ならぬ櫻の花びらが風に吹かれ来て
酒盃に浮かんだという風雅な光景を伝えています。

櫻の語源は諸説あります。

① 古事記に登場する伝説の女神「このはなさくやひめ(木花開耶姫)」の
  「さくや」が転じて「さくら」となった。
  また「さくや」は開映え(さきはえ)で栄えることを意味する。

② 古代稲作農民生活において山から田の神を迎える季節に
   山に咲く花は田の神の顕現とみられた。
   その花の木が「サクラ」とよばれ「サ」は田の神、稲の神の古名で
   「クラ」は神座を表わす (折口信夫、桜井 満)

③麗(うら)らかに咲くという意味の「咲麗(さきうら)」が転じた 等々

万葉人は満開の桜を見ながらその美しさを愛でます。

 「見渡せば 春日の野辺に 霞立ち 
     咲きにほへるは 桜花かも 」 
                 巻10の1872 作者未詳


( 春日野に霞が一面に立つ中、輝くばかりに色美しく咲く桜は
  今真っ盛りです)

  さらに「生命の絶頂に散るゆえ殊に愛惜される」という桜観が
  既に出てまいります。

 「 桜花 時に過ぎねど見る人の
      恋の盛りと 今は散るらむ 」 
                巻10の1855 作者未詳


( 桜の花は花の時節が過ぎ去ったわけでもないのに
  見る人が惜しんでくれる盛りだと思って今こそ散るのであろう。)

桜の自生種を「山桜」、園芸種を「里桜」といい現在二百数十種の
桜品があります。

江戸時代、豊島郡(としまこおり)染井村で発見された
大島桜と江戸彼岸桜との自然交配種である「染井吉野(ソメイヨシノ)」は
花の色が艶やかな上、花つきが多く爆発的な人気を呼び
日本全国に流行しました。
この花期が短く、夥しい落花を伴う桜はやがて歌舞伎にも取り上げられます。

小川和佑氏はその著書「桜と日本人」で
<竹田出雲などの仮名手本忠臣蔵(1748年)判官切腹の場の演出に
  「散る桜」を用い 「花は桜木 男は武士」の台詞は
  日本人の桜観を大きく変えた>と述べられています。

その桜観から「主君のために惜しむことなく潔く命を散らす」という
武士の人生観が形成されていきます。

更に近代では戦意高揚に用いられ、「同期の桜」の歌の中で
「見事に散りましょ 国のため」と歌われていきました。

しかしながら古代より王朝の瑞祥、聖樹、女身のきわみとして歌われた桜は
日本人の心の中に落花の美学があったとしても「花よ長く咲け」と祈るのが
農耕民族であった元々の願いでありました。

何故ならば桜は稲の豊作を予兆する神の花であり、花が予定よりも早く散ると
その年の収穫は悪いと信じられていたからです。

桜は日本列島を美しく彩る花であると共にわが民族の生活の中に深く根ざし
我々と共に生きて参りました。

建国以来、数知れぬ多くの人たちによって守り育てられてきた桜木は
これからも益々多くの人達に愛され続けてゆくことでありましょう 

  「さまざまの こと思ひ出す 桜かな」  芭蕉
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 10:31 | 植物

万葉集その五十一(早蕨:さわらび)

「早蕨の にぎりこぶしを振り上げて
       山の横つら春風ぞ吹く」   
         (四方赤良:江戸時代の狂歌師)


ワラビはウラボシ科の多年草で平地の原野から海抜2,000m前後の
高山まで広く分布し北は北海道から南は九州まで及んでいます。

早春に拳(こぶし)状に巻いた新芽を出します。

上の狂歌は萌え出たばかりの蕨が春風に吹かれていて
その様子が握り拳を振り上げて山の横っ面を引っぱたいて
いるようだと見立てています。(横つら張ると春を掛けている)

ワラビは栄養価が極めて高く煮物や漬物にしたり又その根茎から取った
澱粉は糊やわらび餅の原料として古代から重用されてきました。

天智天皇の第七皇子である志貴(しきの)皇子は
春到来の歓びを生き生きと詠います。

「 石(いわ)走る 垂水の上の さわらびの
     萌え出づる 春になりにけるかも」 
                   巻8の1418


( しぶきをあげながら岩の上を流れる水がキラキラ光っている。
  水音も清々しい滝のほとりに ほら、早蕨が芽を出しているよ。
  あぁもう春だ。待ちに待った春がとうとうやってきたねぇ)

「歌は心の音楽」これは犬養孝さんの言葉です。
以下、犬養節名解説の一部です。

「 今日、一般に和歌を黙読することに馴れているようだが
  歌は声をあげてうたわれるべきもの。
  この歌も声を出してうたってみれば何と豊かな律動感に
  あふれている事であろうか。
 <垂水の上のさわらびの>と<の>の音を重ねてゆく呼吸は
  ぎくしゃくとしないでとけて流れてよどみない流動感にあふれている。

 その上<萌え出づる・春に・なりに・けるかも>は意味の内容から言えば
 単純なことを律動感あふれて四節にひきのばし、
 あたかも駘蕩の陶酔を思わせるようである。

  作者の志貴皇子は1260余年前に世を去ってしまっているが、
  彼が残した心の音楽はよどみない心のうねりに乗って
  千年の響きにかえって止まないようである」
                ( 犬養孝著 万葉十二ヶ月 新潮文庫より)

「早蕨」で思い出される歌といえばやはり「源氏物語」の早蕨の巻

源氏の君はすでに世を去り息子薫は二十五歳。
薫と共に仏道を学んだ「八の宮」とその娘「姉の大君」の二人に先立たれ、
ひとり淋しく宇治の山荘に残された「中の君」は気持ちが晴れず、
沈みこんで鬱々としています。
そこへ山の阿闍梨(あじゃり:父の友人で有徳の高僧)が
蕨や土筆を風流な籠に入れて贈ってくれたので中姫君は歌を返します。

 「 この春は たれにか見せむ 亡き人の
    かたみに摘める 峰の早蕨 」


「かたみ」は形見と筐(かたみ:竹篭)を掛ける

(亡き父君の形見と思って摘んで下すった山の蕨も
 姉君までお亡くなりなされた今年の春は誰に見て戴いたら
 よいのでせうか。 谷崎潤一郎訳)

この歌によりこの巻は「早蕨」と名付けられました。
また源氏絵の一つとしてよく描かれる場面です。

源氏物語五十四帳の表題の中に万葉集に出てくる言葉が多く使われています。

(早蕨、空蝉、朝顔 花散里、乙女、玉蔓、行幸、藤袴、若菜、雲隠、等)
また物語の中で万葉集の伝説を下敷きとした場面(浮舟)もあり、紫式部も万葉集から
色々な着想を得ていたようです。

また同時代の「枕草子」の作者、清少納言の父、清原元輔は高名な歌学者で
村上天皇の勅命により万葉集の訓読を手掛けた五人のメンバーの一人です。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 10:30 | 植物

万葉集その五十(桃李)

 「 桃李云わざれども 
      下(した)自(おの)ずから 蹊(みち)を成す」(史記)


この言葉は
「桃や李(スモモ)は何も言わなくても、その美しい花や美味しい実にひかれて
多くの人が集まり、木の下には自然に小道が出来る。
立派な人格者の周りには自分は招かなくても自然と人が慕い寄ってくることの例え」
とされています。

中国では早くから「桃李」は熟字として使われ美人の形容に「容華桃李の如し」
(芸文類聚)とも用いられました。

日本では日本書紀に616年「春正月に桃李実(みな)れり」
626年「春正月に桃李咲けり」と出てまいります。

万葉時代、宮廷貴族にとって漢詩は必須の教養で唐詩選なども
競って読まれ751年には我が国最初の漢詩集「懐風藻」が編まれます。

越中にあった大伴家持も父旅人の薫陶よろしきを得、深く漢詩を学び
750年着想をえて「桃李」二首の歌を詠いました。

所謂越中名吟の始まりです。

「 春の苑(その) 紅にほふ 桃の花
     下照る道に 出(い)で立つ 少女(おとめ) 」 
                巻19の4139

「 わが園の 李(すもも)の花が 庭に降る
     はだれのいまだ 残りたるかも」 
              巻19の4140


  はだれ:斑雪(まだらゆき)

( 春の盛りの今、庭園には桃の花が咲き誇っています。
  花もまわりも光に映えて紅色に染まるばかり。
  木の下へ つと出てきた娘子もまた全身を紅色に染め
 輝くばかりの美しさです。あぁ何と素晴らしい景色だろう ) 

( あれっこちらの庭園の上に白いものが見えるよ。
 あれは李の花が散っているのだろうか 
 それとも消え残った雪だろうか。
 空を見上げると李が満開でまるで雪のようだね)

この歌は華麗なる桃の花の「紅」 純白な李の「白」の「紅白」を
取り合わせ、さらに父、大伴旅人の名歌

「わが園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の流れくるかも」
を踏まえた構成となっており
「まさに美の最高の一つのピークに登りえたと思う (犬養孝)」とまで
賞賛されています。

特に紅の桃と美少女の取合せは正倉院の「樹下美人図」を連想させ
正に幻想の世界です。

さらにこの二首は唐詩選にある劉庭芝(りゅうていし)の「代悲白頭翁」という詩との
関連をも指摘されております。(北陸学院短大 梶井名誉教授) 

「 洛陽城東 桃李の花 飛びきたり飛び去って誰が家に落つ  
  洛陽の女児顔色好し 行く落花に逢(お)うて 長嘆息す 」


この詩はさらにかの有名な

「年々歳々 花相似たり 歳々年々人同じからず」
という成句に続いていき 多くの万葉人に愛唱されたものと思われます。

さて、このような夢のような光景は果たして実在したのでしょうか?

伊藤博、大岡信の両氏は
家持のこの二首は上記のような中国漢詩の詩的感興に裏打ちされていること
及びそのあまりにも美しい情景ではあるが北の国、越中では桃と李が同時に
咲くことはまずありえないなどのことから、この桃李は家持の幻想の世界に
咲いた花で桃の下に立ち出でた美少女も想像上の佳人ではないかと
されています。

多くの万葉人は心の思いのたけを素直に詠いました。
家持は別の次元、つまり創作、文学への道を開拓しつつあったと言えるのです。

この二首を出発点とした越中名吟は爾後、家持の創作意欲をさらにかきたて、
遂に生涯の最高峰とも言うべき作品群の高みへ登り古今和歌集へと
バトンタッチされていきます。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 10:29 | 植物

万葉集その四十九(雪解け)

春になり雪解けの水が流れる川を「雪解川(ゆきげがわ)」と云います。
近代の俳人 前田普羅は

  「 雪解川 名山けづる 響きかな 」 と詠みました。

748年、越の長官大伴家持は公務で越中国内を巡行します。

当時、立山(たてやま)は立山(たちやま)、早月川は延槻川(はひつきがわ)
と呼ばれており、その延槻川を家持は馬に乗って渡ろうとしています。

「 立山の 雪し来(く)らしも 延槻(はひつき)の
        川のわたり瀬(ぜ)鐙(あぶみ)漬(つ)かすも」
            
                     巻17の4024  大伴家持


( 川の水が随分増えているようだ。川水が鐙を浸して足が冷たいことよ。
  遥か彼方の立山の雪解け水が流れてきているのだろうなぁ。
 いよいよこの雪国にも春がやってきたらしいね )

  鐙: 足踏(あぶみ)の意。 鞍の両脇にさげ騎者の足を踏み掛ける馬具


延槻川は立山連峰の主峰剣岳や大日岳から発し西北流し
中新川(なかにいかわ)から魚津市に入り富山湾にいたる川です。

越中随一の急流で春から初夏にかけて立山連峰の雪解水が流れ込みます。

遥か彼方に美しい峰を連ねた山々が聳え立ち、その頂は白雪に覆われ
さながら屏風のように続いています。

その山々を眺望しながら足の裏に水の冷たさを感じ、立山の雪解けを
おもいつつ春の訪れを実感している清々しい歌です。

「 君がため 山田の沢に 恵具(えぐ)摘むと
      雪消(ゆきげ)の水に 裳(も)の裾(すそ)濡れぬ 」
              巻10の1839 作者未詳


(貴方の為に 山田のほとりの沢で「えぐ」を摘もうとして雪解けの水に
 裳の裾を濡らしてしまいました。
 でもいとしい人の為なら裳が濡れることなど何でもありませんわ)

この歌の「えぐ」とは何か?

古来から「芹」と「クログワイ」説があります。
「クログワイ」とは「カヤツリ草科」の多年草で池や沼などの湿地に生じ
直径1~2㎝の小さな芋(塊茎<かいけい>)を食用にしました。

「クログワイ」説の根拠は東国の方言に「エゴ」「イゴ」などがあること。
「セリ」説は風土記に「えぐとはせりを言うなり」の記述があること及び
実際に塊茎を掘ってみると「裳の裾濡れぬ」というような優雅なことでは
すまず、冷水の中で泥んこになる(細見末雄氏) などあり

牧野富太郎博士は「方言からみればクログワイなのかもしれぬが
この歌のエグはセリと解したほうが誠に穏当」とされています。

 最後に珠玉のような雪解け水の歌を新古今和歌集から一首。

「 山深み 春ともしらぬ 松の戸に
     絶々(たえだえ)かかる 雪の玉水 」 
               式子内(しょくしない)親王


( 春になったことさえ知らない雪深い山奥の庵 
  そこへ待ちわびた春が尋ねて来たかのように松の
  雪解け水が庵の戸に当たってほとほとと音を立てる。
  後白河天皇の皇女が描く姿なき恋人のような春の訪れ )

       ( 長谷川 櫂 著 四季のうた 中公新書より ) 
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 10:28 | 自然

万葉集その四十八(柳は緑)

「柳は緑 花は紅」 この言葉は13世紀南宋の
道川(どうせん)という禅僧が
「目前ニ法無シ サモアラバアレ 柳ハ緑 華ハ紅」
と説いたことに由来します。

「すべて あるがまま 自然のままに受け入れる心にこそ
悟りの境地がある」と言う意味です。

その言葉が転じて「春の眺めの美しさ」の例えとして用いられ、
さらに花と柳をあわせて遊里、遊女をさす「花柳」という言葉も生まれました。

柳は生命力が強く、春一番に芽を吹くことから我が国では古くから
長寿や繁栄の象徴とされ、さらにその頼もしい生命力に頼り、
悪い妖気を払う守護神として屋敷の周辺や水辺を取り巻くように植えられました。

 古来「柳」という字は葉が細かくて枝か柔らかく垂れる「シダレヤナギ」に用い
「楊」のほうは葉に丸みがあり枝が堅く上向くヤナギ つまり「ネコヤナギ」や
「ヤマネコヤナギ」に用います。

ネコヤナギは芽が銀色に光り柔らかく猫の毛に見えるのでその名があり
二~三月頃に芽吹き、二ヶ月くらい後にシダレヤナギの花が咲きます。

「うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 
       今は春へと なりにけるかも」 
               巻8の1433 大伴坂上郎女


( 春ですねぇ 佐保川の流れに沿ってのぼっていくと柳も
  すっかり芽吹きそよ風に揺れてなんと気持ちの良いこと )

 作家 栗田勇さんは次のような名解説をされています。

「いかにも春が柳の緑となって押し寄せてきているという迫力を感じます。
何故か一本ではなく河岸沿いに新芽がうねっているようです。

本当に躍動するエネルギーのうねりが目に見える歌といえるでしょう。
柳の持っている生命力、芽を吹く不思議な力がせせらぐ流水と一つになって
実感されます」
           「花のある暮らし 岩波新書」より

万葉人は柳の若葉から女性の眉を連想し「柳眉(りゅうび)」という言葉は
美人の代名詞となります。
また女性の美しく細くしなやかな腰を「柳腰」ともいいます。


「梅の花 取り持ちみれば わが屋前(やど)の 
       柳の眉し 思ほゆるかも」      
              巻10の1853 作者未詳


( 梅の花を手折ってじっと見つめていると あの柳の若葉のような
  美しい眉をした新妻が思われてならないよ )

私たちは柳の木をその神秘な生命力にあやかり現在でもなお
「柳の祝い箸」「爪楊枝」
「餅花飾り(米の粉を丸めて作る団子や繭形の餅を柳の木に飾る)」
「結び柳(生け花で柳を輪にして新春に飾る)」など様々な用途に用いています。

余談ではありますが「青柳」という貝があり料理や寿司のネタに使われます。

バカガイの剥き身をいい、足の形が柳の葉に似ており、また千葉県の
青柳で昔たくさん採れたところからその名があるそうです。

また「柳川」という「どじょう鍋」料理がありますが、これは天保時代に江戸の
「柳川」という店で始め、大いに流行ったところからその名が付きました。

従って福岡県の「柳川市」も「柳の下の泥鰌」という諺も
「柳川」という料理名の由来とは無関係のようです。

因みに柳川市の名物料理は「鰻のせいろ蒸し」でこれは
絶品であります。
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# by uqrx74fd | 2009-03-08 10:27 | 植物