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万葉集その二百五十八(鶚:みさご)

「 みさご飛ぶ 潮ひびかせて 立つ巌 」 上村占魚

鶚(みさご)は大きな魚を主食としているところから「空飛ぶ漁師」とよばれています。
タカ目タカ科の鳥で精悍な顔立ちをしており、頭部と腹側が白で背中は暗褐色。
翼を広げると1.7mにもなり、優雅な姿で飛翔していますが獲物を見つけるや否や
その行動は驚くほどに敏捷です。

万葉集で詠われているミサゴは6首あり、すべて恋歌の序詞に使われています。
夫婦仲が良いので古代の人たちにとっては身近な存在だったのでしょう。

 「 みさごは 関々と鳴きて 河の州にあり
      みめよき女は 君子のよきつれあひ 」    
               (井伏鱒二詩集 みさご)

                             註・ 関々として:のどかに 
ミサゴの雌鳥は「貞淑な婦人」。
その心は「常に連れそって遊ぶが、雌は隔たって相狎(あいなれ)ず」だそうです。

   「 みさご居る 沖つ荒磯(ありそ)に 寄する波
          ゆくへも知らず 我(あ)が恋ふらくは 」  
                        巻11-2739 作者未詳


( みさごが棲んでいる沖の荒磯に寄せる波は、行方定めぬ旅枕。
 私の恋もこの波と同じでどこへ漂ってゆくのやら。)

荒涼たる磯を眺めながら自らの恋の行方に心細さと不安を感じている作者。
寄せる波、返す波の真っ只中に漂っている気分がよく出ている一首です。

   「 みさご居る 州に居る舟の 漕ぎ出(で)なば
         うら恋(ごひ)しけむ 後(のち)は相寝(あひぬ)とも 」
                       巻12-3203 作者未詳


( みさごが棲んでいる州に舟が停泊していますが、やがて漕ぎ出てゆくことでしょう。
 貴方さまも、やがて出航されることを想像すると、なんとも切ない思いです。
 いずれまた、床を共にするようなことがありましょうが- - )

共寝しながら女が男にささやいている情景が想像されるような一首です。
女は遊女かもしれません。旅の男の一夜の契りなのでしょうか。
「港で歌われた民謡の一つ(土屋文明)」とも。

「うら恋しけむ」:何となく恋しかろうの意で「うら」は「心」

さて、「空飛ぶ漁師」ミサゴ漁法の観察です。

まずは、巣から20㎞の範囲内を飛翔しながら魚群を探します。
ミサゴの眼力は人間の5倍。海面50m上空から偵察するので魚は全く気付きません。
魚の群れを見つけると、その上で滞空(ホバリング)しながら狙いをつけます。
狙いが定まるや、たちまちロックオン。そのまま時速60㎞の速度で急降下。
足は顔の真ん中の位置にくる前傾姿勢のまま水中に進入し、あっという間に
魚を捕まえます。その間何と100分の5秒だそうです。

驚くべきことに、足指の外側が自在に反転できるのです。
その上、爪が大きく、掴む力も強いので大きな魚を獲ることが可能です。
ただし、悪天候の日は海中が濁って見えないので港や川の小さな魚で我慢?します。

ミサゴは海岸の岩の上に枯れ枝を積んで皿型の巣を作り、獲った魚は巣に運んで
岩陰に貯えておきますが、その間塩水をかぶり「なれ寿司」のようになるそうです。

これがなかなか美味いらしく、漁師や好事家が掠めとって賞味をしているようですが、
うっかり下からではなく上から取るとたちまち気付き、その後は魚を運ぶのをやめて
巣を他に移します。

この保存食が「握りずし」の始まりという説がありますが、どうやらこれは作り話。
ただし「みさご寿司」という屋号の寿司屋が多いのはこれに因んだものと
いわれております。

  「磯山や さくらのかげの 美さご鮓 」 暁台

# by uqrx74fd | 2010-03-14 20:45 | 動物

万葉集その二百五十七(天平のマリリン・モンロー)

天平時代の歌人、高橋虫麻呂は朝廷の上司である藤原宇合(うまかい)に随行して
常陸国をはじめ東国を巡り、各地の色々な伝説を詠んでいます。

その中に驚く無かれ、風俗物語、しかも主役の女性はマリリン・モンローを
髣髴させるような肉感豊かな美女を登場させているのです。
その娘の名は珠名(たまな)、まずは歌、続いて意訳文をお読み下さい。

 ( 枕詞は〔括弧〕でくくっていますので読み飛ばし下さい。
   意訳は歌と行を合わせています)

『 〔しなが鳥〕安房に継ぎたる  
  〔梓弓〕 周淮(すゑ)の珠名(たまな)は
  胸別(むなわ)けの 広き我妹(わぎも) 

  腰細(こしぼそ)の  すがる娘子(をとめ)の   (※すがる:ジガ蜂)
  その姿(かほ)の  瑞正(きらきら)しきに
  花のごと 笑みて立てれば
  〔玉鉾の〕道ゆく人は
  おのが行く 道は行(ゆ)かずて
  召(よ)ばなくに  門(かど)に至りぬ

  〔さし並ぶ〕 隣の君は
   あらかじめ  己妻(おのづま) 離(か)れて
   乞はなくに 鍵さへ奉(まつ)る

   人皆の かく惑(まと)へれば 
   容艶(うちしな)ひ  寄りてぞ妹は
   たはれてありける 」          巻9-1738 高橋虫麻呂

「 かな門(と)にし 人の来立(きた)てば  夜中にも
         身はたな知らず 出(い)でてそ 逢ひける 」
                巻9-1739  同

(意訳文)

「 安房の国の隣の土地、上総の周淮(すえ:木更津市)というところに
  珠名(たまな)という名の娘がいました。

  その子のバストは豊満で、
  腰は蜂のようにきゅっとくびれています。

  おまけに容姿は輝くばかりに美しく
  花さながらの微笑を浮かべて立っているので
  道行く男たちはついつい振り返り
  方向転換して
  娘の家の門口まで勝手についてきてしまう始末です。

  さらに大変なのは隣のご主人
  糟糠の妻を前もって離別し
  珠名が頼みもしていないのに、家や蔵の鍵まで差し出してしまいました。

  男という男はみんなこのように娘の色香に惑わされているので
  珠名は益々いい気になってしなを作り、
  男たちにしなだれかかって淫欲のかぎりをつくしているのです。( 巻9-1738 )

  男が家の門にきて珠名を呼ぶと、夜中であろうと夢中になって
  なりふりかまわずに出ていっては男と会っていることです。 ( 巻9-1739 )


性的魅力十分な美女がウインクをするように微笑む。
吸い寄せられるように靡く男たち。
宝の詰まった蔵の鍵を差し出す男。
夜な夜な誘われ、嬉々として家を飛び出す娘。
まるで絵巻物を見るような生々しい描写です。

専門家の方々はこの歌をどのように受け取っておられるのでしょうか?
以下は要約の列記です。(敬称略)

伊藤博: 「躰の魅力を売り物にする極めて特異な女性像を描く。
      類のない東国の女性を人々に紹介する虫麻呂の得意満面の
      表情が見えてくるような歌」

犬養孝: 「まさに、この女性は悪女。
       頽廃の美の極致、人間の弱さを描いている」

中西進: 「美貌と豊満な肉体をもつ女の悲しさ、それによって誤またれる
       男と女の愚かしさ、人間の性(さが)がこの歌の主題である」

北山茂夫: 「女人をひたむきに好色風に描いた。
        ロマンティックな色合いさえある。
       都の歌の愛好家は彼の作品からローカル的な新鮮さを満喫して
       喜びを深くしたと思われる」

久松潜一: 「現実にありそうな女性。
        自己判断によって行動することができない弱い女の陥って行く運命。
       歌の感じから裕福な家の娘であるように思える。」

武田祐吉: 「新鮮な叙述。娼婦型の一娘子を取り扱ったもので、当時の世相の
        一面を描いている珍しい作品。文学作品の形を与えた 」

大岡 信: 「生々(せいせい)として淫奔な美女ぶりをうたった詩は、
        日本の詩歌の歴史において、もちろん画期的なものであり、
        その後もまず類例をみない。
        万葉集最盛期の長歌は厳かで人間離れしているところがあり
        詩歌は神と人間の中間にあった。
        ところが天平時代になると歌は人間的になり、生活感覚が
        匂いたってくるところがある。」

清川 妙 「描写は華やかで官能的。鮮度は抜群。モダンな悪女タイプ。
       “胸別けの広き我妹 腰細のすがる娘子”この描写は私の目を疑わせた。
        万葉集にこんないきいきした現代感覚の描写があるのか。
        このことばは今だって立派に通用するではないか。
        私は感激した。 」

このような歌が1300年前に詠まれ、残されているとは!
まさに万葉集は我国文学の宝庫です。
  
 「 早乙女を みてのめりこむ 村の久米 」

    「田植にうちこむ乙女のヒップの躍動振りをみて、村の久米仙が
     泥田の中へのめりこむ、
     世に久米仙の種はつきまじ - -」 
                        ( 興津 要 :微笑酔談 ペップ出版社 )

# by uqrx74fd | 2010-03-07 20:22 | 生活

万葉集その二百五十六(ふふむ)

    「 来て見れば 雪消(ゆきげ)の川べの しろがねの
            柳(やなぎ)ふふめり 蕗の薹(ふきのとう)も咲けり 」   斉藤茂吉


「ふふむ」とは元々口に何かを入れ、その口が膨らんだ様子をさす言葉
だったそうです。
転じて、「内にじっと秘めている」という意となり、花や若葉がまだ開かないで
蕾(つぼ)んでいる状態、成熟していない年頃の女性、あるいは処女をさすとき
などに使われています。

      「 我が背子が 古き垣内(かきつ)の 桜花
       いまだふふめり 一目見に来ね 」  巻18-4077 大伴家持


( 懐かしいあなたさまが、昔住んでいた屋敷の桜の花はまだ蕾のままです。
  まもなく咲く頃でしょう。 どうか一目見にお出でなさいませ )

749年、越中国守の作者のもとにかっての部下であり、歌友でもある大伴池主から
「 近くの越前加賀国まで公用で参りましたが残念ながら越中には立ち寄れません。
桜の花が満開だというのに貴方様が居られないので寂しくて仕方がありません」
との書簡と歌が届けられました。
そこで家持は、恋人のやり取りのような女仕立ての歌を返し、懐かしさと、
会えない寂しさが入り混じった切なる気持を伝えたものです。

     「 妹が手を 取りて引き攀(よ)ぢ ふさ手折(たを)り
           我がかざすべく 花咲けるかも 」 
                       巻9-1683 柿本人麻呂歌集


( あの子の手をとって引き寄せるように、たくさんの花を手元に引き寄せて、
  手折り、鬘(かずら)にしてかざす。 
  そんなお誂え向きの花が咲き誇っていることだなぁ )

その昔、舎人皇子(とねりのみこ:天武天皇の子)の邸宅で酒宴があり、作者は
酒趣を盛り上げるつもりで男女の恋の駆け引きの二首を献じました。
この歌は「どんな女も俺様に靡いてくるぞ。お前も俺と一夜どうだ」と傍らの女性に
自慢し、誘った男の一首。
女は答えます。
    「 春山は 散り過ぎぬとも 三輪山は
         いまだふふめり 君待ちかてに 」
                巻9-1684 柿本人麻呂歌集


( 春の山々の桜は散ってしまいましたが、三輪山の桜はまだ蕾のままです。 
  ただひたすら貴方様のお出でをお待ちしているのでしょうね。 )

「春山」はすでに靡いて関係をもった女性を暗示し、
「三輪山」は立ち入り禁止の神山、男がまだ触れていない女性を譬えています。
口説かれた女は
「 あら、あちらの三輪山さんは巫女のように、まだ“うぶ”でいらっしゃいますね。
  あなたさまに相応しいのは三輪山さんでしょう。
 私は貴方に似合いの女ではありませんわ。
 どうぞあちらさんを口説いて下さいな」  とやり返したものと思われます。

    「応仁の 乱のさなかの 三月の
    桜のつぼみ みたいだ あなた 」   坪内稔典(としのり)


( 京の都が焼け野原になった応仁の乱。
 その戦乱の最中にもきっと桜の蕾はふくらんでいた。
 その桜みたいなあなた )

『 五つの「の」を乗り継いで荒れ果てた都の花の蕾にたどり着き、
  そこから一気に春風になぶられる少女の可憐な姿に転じる
 現代歌人によるの恋の短歌 』
               ( 長谷川 櫂 :四季のうた 中公新書)

3月に入り、桜の開花が待たれる今日この頃です。
佐野藤右衛門氏 (16代目植藤造園主。桜守) によると
「 今年咲く花の花芽は前年の盆ごろにできている。
  前の夏の気候の影響が大きく、暑い年は早目に葉を落としてエネルギーを蓄える。
  冬の間の蕾は固いが、二月頃から徐々に変化し、少し暖かいとポッと膨らんで
  次第に尖っていた先が丸くなったときは、ものすごい力を溜め込んでいる。
  そしていよいよ膨らみ、次にパカっと口を開く。
  それを“桜の笑いかけ”という」 そうです。
                ( 「桜のいのち、庭のこころ」要約 草思社)

「 梢梢(こずえこずえ) うすくれなゐを漲(みなぎ)らせ
      咲かむとしつつ 花いまだ咲かず 」   尾上柴舟

# by uqrx74fd | 2010-03-01 12:11 | 心象

万葉集その二百五十五(つらつら椿つらつらに)

 「 ふりかへる 秋篠寺のやぶかげの
     椿の花は みなもの言へり 」     小野 興二郎


 『 古都の椿のゆかしさは、その幹のくねりにも、暗い葉の繁りにも、
   ひっそりと溜まる年月の気配があるからだろう。
   まるで、その年月の深い時間の中から咲きだしたような
   真紅の椿を見る時、それは見る者の心に眠るはるかな時間まで
   開いてみせてくれるようだ。
   ふと見て歩み過ぎ、また振りかえって見てしまう花の貌(かお)、
   それは心なく過ぎてゆく旅の人に、いかにも物言いたげに
   唇を開いているようにみえる。』
                        ( 馬場 あき子 花のうた紀行 新書館 )

今は昔の701年、文武天皇と持統太上天皇が揃って紀伊国に行幸されました。
大和から出発して紀道(きじ)に進むと、飛鳥、高取と続いた平野部が次第に山路に
さしかかります。
このあたり一帯は巨勢(こせ)とよばれ、古代の豪族、巨勢氏の本拠があったので
その名があります。(現在の御所市(ごせし)古瀬、近鉄線吉野口駅の近く)

時は椿の季節にはまだ早い10月の終り頃です。
お供の一人が詠いました。

「 巨勢山の つらつら椿 つらつらに
          見つつ偲(しの)はな 巨勢の春野を 」 
             巻1-54 坂門人足(さかとの ひとたり)


( 巨勢山のつらつら椿 この椿をつらつらと見ながら偲ぼうではありませんか。
  椿の花満開の春野のありさまを。)

「つらつら椿」:列なって咲いている椿、 「つらつらに」:「じっくり」

さらに坂門人足は一同に声をかけます。

「  皆さん、目を閉じて!
   そして、良くご存知の歌を私と一緒に続けて歌って下さい。
  そうすれば丘一面に咲き誇っている椿の花が目の前に浮かぶことでしょう。
  さぁ、はじめますよ! 」 

「 川の上(うへ)の つらつら椿 つらつらに
          見れども飽かず 巨勢の春野は 」 
                  巻1-56(既出)  春日 老(おゆ) 


行幸とはいえ今回は牟婁(むろ)の湯(白浜温泉)への慰安の旅です。
まだ見ぬ黒潮の躍る海、いで湯の楽しみ、そして眼前には色とりどりの秋の花
目を閉じると浮かび上がる幻想の椿。

ツラツラツバキ ツラツラニと「ツ」の連続がはずむ心をかき立てています。
まさに歌は音楽です。

人足(ひとたり)の歌(1-54)は、良く言えば本歌取りの萌芽、悪く言えば盗作とも
言われかねないものですが、古代では良く知られた歌を同じような形で繰り返し
詠えば、元の歌の価値が高くなると考えられていたので、作者としては
古歌を引用するのはごく自然の成り行きであったことでしょう。

巨勢道は都から紀伊に至る幹線道路であるとともに紀伊水門から瀬戸内海や
朝鮮にも通じる海上の道への出発点でもありました。
都の人々は異郷への入口で、その土地の神に幣(ぬさ)を捧げて地霊を鎮め、
旅の安全を祈ったものと思われます。

「 あしひきの 八つ峰(を)の椿 つらつらに
          見とも飽かめや 植ゑてける君 」
                      巻20-4481 大伴家持


( 山の尾根に幾重にも重なるように咲く椿。 
その椿を貴方さまは庭にお植えになったのですね。何と見事なこと!
つくづく見ても見飽きることがありません。
そして、貴方さまとも飽きることなく、いつまでもお会いしていたいものです。)

757年、作者が兵部大丞 大原真人の館の宴に招かれた折、館の庭に植えられた
見事な椿を愛でながら主人を讃えた歌です。
当時の椿はすべて山野に咲くヤブツバキと思われますが、草木を自宅に移し替え、
好みの庭作りをしていたことを伺わせてくれている一首です。

「つらつらに」は現在でも「つらつら思うに」などと使われている言葉ですね。

「あしひきに」は山や峰などに掛かる枕詞で、万葉集に110余例見られますが、
その語源は1.山の足すなわち裾野を引く意で山に掛かる
     2.足を引きずりながら登る意で山に掛かる
     3.「あしひき」の原文表記が「足病」「足疾」であるところから
        足のやまひと解釈し、同音のやまに掛かる
など諸説あり定まっておりません。

「 島山の つらつら椿 緋(ひ)に咲きて
     をとめは われに寄ると なげきぬ 」   岡野 弘彦


うららかな春、潮騒の心地よい音、流れくる微かな潮の香り、
椿また椿の島の山、 たたずむ可憐な乙女、ふと見上げると丘の上に恋人の姿、
慌てて駆け寄るが、一瞬、心に微妙な揺れが。
それは、「寄ると」別れの嘆きに変わるかもしれないという懼(おそ)れの心でしょうか。

   「 松は緑に 砂白き  
     雄松が里の をとめ子は
     赤い椿の 森かげに
     はかない恋に 泣くとかや 」 
                  琵琶湖周航の歌 小口太郎作詞

# by uqrx74fd | 2010-02-21 11:32 | 植物

万葉集その二百五十四(荒ぶる)

日本神話で天の岩屋戸事件を起こしたスサノオノミコトという神様がおられます。
アマテラスオオミカミの弟で、生まれもっての暴れものです。
その名前の「スサ」は「スサブ」という言葉からきており、漢字で「荒(スサ)ぶ」と
書かれます。
すなわち「荒ぶる」という言葉の原義は「荒れすさぶ」の意なのです。

記紀、祝詞では「荒ぶる神」という用例で、未開の土地の恐ろしい神や
自然の猛威など表現し、万葉集での「荒ぶる」は主として人と自然、あるいは
人と人との親密な関係に亀裂が生じて疎遠になる場面で用いられています。

「 筑紫船(つくしふね) いまだも来(こ)ねば あらかじめ
                荒ぶる君を 見るが悲しさ 」 
          巻4-556 賀茂 王(かものおほきみ:長屋王の女(むすめ)


( あなたを乗せてゆく筑紫通いの船 その船がまだ来もしないうちから、
もう気持がすさんでいるあなた。そんな様子を見ているのは本当に悲しいですわ。)

この歌は529年、大伴三依(みより)が筑紫赴任を命ぜられたときに詠われたものです。
作者の父、左大臣長屋王は同年、左道(さどう;不正な道)を学んだ罪に問われ自刃に
追いやられました。
藤原家の政治上の陰謀ともいわれています、
大伴三依はそのような人物の娘と親しくする身の危険性を覚え、遠ざかろうとした
のかもしれません。

「あなたは私から早く離れたいのでしょうか。
長いお別れなのだから少しは優しい言葉をかけてくださってもよいのに」と
嘆いている不憫な女性の姿が目に浮かぶようです。

「 栲領布(たくひれ)の 白浜波の寄りもあへず
              荒ぶる妹に 恋ひつつぞ居(を)る 」
                    巻11-2822 作者未詳


( 波。その白さはまるで栲領布(たくひれ:楮で織ったスカーフ)のようだ。
激しくうち寄せているのでとても近寄れないなぁ。
お前のつっけんどんさ加減はまるでこの波のようだよ。
なぁ、いい加減に機嫌を直してくれんかいな。
そんな愛想がないお前でも俺は惚れているんだから。)

女は男に不満を感じて拗ねているのでしょう。
男の大げさな詠いぶりに余裕、戯れが感じられる一首です。

 以下は 松岡正剛著 「花鳥風月の科学」(中公文庫) から要約抜粋です

『 やがて「スサブ」あるいは「スサビ」という言葉は「口ずさみ」とか
「手すさび」という使い方になってゆき、「口遊び」「手遊び」と綴って
「スサミ(遊み)」と訓ませている。
すなわち、最初の「荒ぶ」の感覚はどこかで「遊ぶ(すさぶ)」に変化して
いったのです。
どのような変移が起こっているかというと、もともとは荒れていくさまに
風情が感じられた時期があり、その感覚がしだいに遊びの対象になる。
つまりわれわれの遊びの文化史では、アソビの背後には必ずスサビの感覚が
控えており、その後も日本の芸能場面の多くに再生してきます。

たとえば歌舞伎には和事(わごと)と荒事(あらごと)とがありますが、
荒ぶる神スサノオのイメージはそのうちの荒事にあたっています。

歌舞伎の荒事の主人公、たとえば曽我五郎、助六、鎌倉権五郎、弁慶、
などはいずれもスサノオの傍若無人のふるまいに似ている。
荒ぶこと、それは人々を遊ばせる大いなる仕掛けとなったのです。 』
  
   「 荒ぶる吹雪の 逆巻くなかに
      球蹴る我等は 銀塊くだく ― ―」
   
          
       (早稲田大学蹴球〔しゅうきゅう:ラグビー〕部部歌 
           小野田康一作詞)

# by uqrx74fd | 2010-02-15 08:39 | 心象