万葉集その六百七十六 (安眠快眠)

( 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花 )
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( カタクリは1年の大半を地中で過ごす眠り姫 )
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( 快眠? エゴンシーレの模写  筆者 )
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( うたた寝 ?  オスカーココシュカの模写  筆者 )
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( 春の夢 パウルクーレ風  筆者 )
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   万葉集その六百七十六 (安眠、快眠)

寒かった冬も過ぎ、ようやく「春眠暁を覚えず」の季節到来。
何物にも代えがたい至福のひとときです。

静かな環境での安眠熟睡。
古代の人達はそのような眠りを「安寐(やすい)」と云っていました。

ところが大伴家持さんは頻繁に歌を交わしあっていた心の友、大伴池主が
越前に転任し、近くにいない寂しさから夜も寝れなくなり、
ホトトギスに友も寝かせるなと詠うのです。

「 ほととぎす 夜鳴きをしつつ 我が背子を
     安寐( やすい)な寝しめ ゆめ心あれ 」 
                        巻19-4179 大伴家持

( ホトトギスよ 夜鳴きをし続けて、わがいとしい人に
  安眠などさせてくれるなよ。
  わが意を体して、ゆめ怠るでないぞ。)

時鳥の声を一人で聞くのはあまりにも寂しいので、
「 池主を寝かさないで鳴き続けてくれ、そして共に過ぎし日を思い出そう」
と恋歌仕立てで詠ったものです。

いささか大げさな感じがいたしますが、心を許した友が身近にいなくなった
寂しさ伝わってくる1首。

          「な寝しめ」:「な-め」で禁止を表す。
                  通常は「なーそ」と使われる。 「寝かすなよ」の意

「 思はぬに 妹が笑(ゑ)まひを 夢(いめ)に見て 
     心のうちに 燃えつつぞ居る 」  
                        巻4-718 大伴家持

( 思いもかけず あなたの笑顔を夢に見て、心の中で
  ますます恋心をたぎらせています )

「娘子に贈る歌7首」のうちの1つで、娘の名は不詳。

「思いがけず夢に見たのはあなたが自分を想ってくれているのだ」と
切々たる恋心を詠っています。

灯りが少なく、蝋燭も高価だった昔、人々は日が暮れると共に床に就き、
そのまま爆睡し愛しい人の夢をみる、あるいは恋する人と
抱き合って睦むことが何よりの楽しみでした。

万葉集には夢を詠ったものが90首もあるのは、当時、通い婚のため
一緒に過ごす時間が少なく、一人寝の日が多かったためと思われますが、
それにもまして、恋人が自分の夢を見てくれると、自分のもとに現れると
信じていたので、寝る前に「どうかあの人が自分の夢を見てくれますように」
と祈ったのです。

ロマンティックな習慣ですねぇ。

「 昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓(ねぶ)の花
         君のみ見めや   戯奴(わけ)さへに見よ 」 
                            巻8-1461 紀 郎女

( 昼間は綺麗な花を咲かせて、夜になればぴったりと葉を合わせ、
  好きな人に抱かれるように眠る合歓。
  ほんとうに羨ましいこと。
  そんな花を主人の私だけが見てもよいものでしょうか。
  お前さんも御覧なさいな。
  あなたと一緒に見ながら抱き合いたいのよ。)

合歓の花木を添え、大伴家持に贈った一首。
漢字の「合歓」は「合歓ぶ(あいよろこぶ)」つまり男と女が抱き合うことを
意味します。

年上で人妻(天智天皇の曾孫 安貴王の妻)でもある作者が
花によせて共寝を誘っているのです。

歌を通じてお互い特別親しい間柄なので、家持を下僕のように呼びかけて
戯れ興じているようですが内心は本気かもしれません。

      「 君のみ見めや」 : 君は主人の意で作者自身をさす

      「 戯奴(わけ) 」 : 年少の召使などを呼ぶ言葉 
                    ここでは大伴家持をさし、年下なので
                    わざと見下したした言い方をしている


ところで、万葉集では二人の共寝を「味寐(うまい)」と表現しています。
「味寐」(うまい)とは云い得て妙。
お互い抱き合いながら「美味かった」、「よーく味わった」
というニユーアンスが含まれているのですから。

「 人の寝(ぬ)る 味寐(うまい)は寝ずて はしきやし
        君が目すらを  欲りし嘆かむ  」 
                          巻11-2369 作者未詳

(  人様がするような共寝は出来ずに、あぁ。
   せめてあの方の顔だけでもと溜息ばかりついているうちに
   すっかり夜があけてしまいました。)

         「はしきやし」: 愛(は)しきやし 詠嘆をあらわす修飾句 
                   ここでは「あぁ-」
         「君が目すらを 欲りし」 : 一目だけでも見たい

「 白妙の 手本(てもと)ゆたけく 人の寝(ぬ)る
        味寐(うまい)は寝ずや  恋ひわたりなむ 」 
                        巻12-2963 作者未詳

( 手枕もゆったりと打ちくつろいで、人さまが寝るような
  快く楽しい眠りは出来ないので、おれはこうしていつまでも
  恋に悩み続けるのだろうか )

            「手本ゆたけく」: 女の腕を枕にして心楽しく

伊藤博氏は

『 従来「安寐(やすい)は安眠、「味寐」(うまい)は熟睡、安眠の意と解釈されていた。
  ところが、若い後輩が ヤスイとは「一人寝の熟睡」ウマイとは
  「男女二人で共寝する熟睡」と発表した。後生畏るべし。
  そう思って用例にあたってみると、まさしくことごとくがこの新見に
  よって処理できる。

  そもそも「安し」は自己の心情の安らかさ、「味し」は対象自体に具わる
  性質の良さをいう語であるから、「安寐」と「味寐」とのあいだに
  相違があるのは当然なのである。

  それにしても、いかにもおっとり自然に歌を詠んでいるように見えながら
  万葉人が、ことばづかいにきわめて厳密であった点に、
  感服しないわけにはゆかない。) 』

と述べられ、さらに、

「 人や犬など、意思あるものが(何かを)越えるについて
  「越ゆ:自ら越えるの意」といい、
  風や波など、意思なきものが越えるについては「越す:神が越させるの意 」
  といって厳しく使い分けたり、また原則として降る現象が見えない霜、露に
  ついては「置く」、降る現象が「雨」「雪」には「降る」と
  いって区別したりするなど、かような姿勢が「安寐」「味寐」一つに
   限らないことを思えば、なおさらである。」

と付け加えておられます。
                       ( 万葉のいのち はなわ書房 )
       

「 朝寝して 風呂酒一献  昼寝して
              時々起きて   居眠りをする 」  筆者

               ( この人物は小原庄助さん )
ご参考

( 民謡 会津磐梯山 )
 
  会津磐梯山は宝の山よ 
  笹に黄金がなりさがる

  何故に磐梯あのように若い 
  湖水鏡で化粧する

  北は磐梯 南は湖水 
  中に浮き立つ翁島

  主は笛吹く 私は踊る  
  櫓太鼓の上と下 

  小原庄助さん 何で身上(しんしょう)潰した
  朝寝 朝酒 朝湯が好きで
  それで身上つぶした
  ハァ もっともだ もっともだ


           万葉集676 (安眠快眠) 完

           次回の更新は3月23日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-03-17 17:24 | 生活

万葉集その六百七十五 (鬼平万葉集)

( 歌姫町の風雅な農家  鬼平犯科帳に歌姫街道として登場する 奈良平城京跡近く )
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( 鬼平犯科帳にも 万葉集歌が登場する   本文ご参照))
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( この本にも万葉歌が  同上 )
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( 剣客商売 )
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( 同 包丁ごよみ )
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( 昔の味  グルメめぐりの指南書  挿絵も正太郎氏)
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(  同上 )
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  万葉集その六百七十五 (鬼平万葉集)

御存じ池波正太郎氏は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人 藤枝梅安」
「真田太平記」など数えきれないほどの傑作を書いておられますが、
その作品のなかでプロ顔負けの数々の料理や自身が描かれた挿絵も登場します。
さらに驚くべきことに、それらの小説の中で万葉集がさりげなく
挿入されているのです。

今回は、肩の力を抜いて池波文学と万葉集のコラボをどうぞ。

 先ずは「 池波正太郎  鬼平犯科帳 凶剣 文芸春秋」より。

鬼平こと長谷川平蔵が休暇で京都に行った折、旧知の浦部与力が
奈良を案内する場面です。

『 (浦部) 「 宇治をあとまわしになさいますなら石清水から山沿いの古道をたどり、
         奈良へ入りますのが、おもむきが深いかと思われます。」

 (平蔵) 「 ほほう。これはおもしろい」

 (浦部) 「 は。この道を歌姫越えと申しまして、むかしむかし、奈良に
        皇都(みやこ)がありましたときは、この道こそが奈良と山城の国-
        京をむすぶ大道でございましたそうで 」

   と浦部はなかなかにくわしい。

( これはおもしろい旅になりそうだ。 浦部をつれてきてよかった )
  平蔵も、こころたのしくなってきている。
 - - 
 (浦部) 「このあたりは、むかしむかし、棚倉野とよばれ、ひろびろとした原野に
        穀物をしまった倉がいくつも建っていたそうでございます。
        かの万葉集にも- -
       「 手束弓(たつかゆみ) 手に取り持ちて 朝猟(あさがり)に
          君は立たしぬ  棚倉の野に 」 
       とございますな 」

(平蔵)  「 これは、おどろいた、おぬしがのう・・・」 』

  万葉歌の訳及び解説 (筆者、以下同)

「 手束弓(たつかゆみ) 手に取り持ちて 朝猟(あさがり)に
        君は立たしぬ  棚倉の野に 」 
                             巻19-4257 古歌 船王伝誦す

( わが君が手束弓をしっかり手に取り持って、朝の狩場にお立ちになっている。
  この棚倉の野に。) 

   「手束弓」: 手に束ねやすい弓、
   「棚倉の野」: 京都府山城町付近の野。

紀飯麻呂(きの いひまろ)という官人の屋敷で催された宴席で披露された
古くから伝わる歌で、「君」は聖武天皇とされています。

かって山城近くに久爾(くに)という都があったとき天皇は盛んに猟をされたらしく、
往時を懐かしむとともに、宴の時期が丁度10月下旬の狩猟の季節にあたっていたので、
それにふさわしいものとして紹介されようです。

    「 歌姫を 鬼の平蔵 過ぎゆけり 」  筆者

                       歌姫:奈良平城京跡近くの街道

次は「 池波正太郎 真田太平記巻5 新潮文庫 」
奈良時代の物流基地とされた「巨椋池」の描写のくだりです。

『 京都の南方、わずか二里のところにある伏見の指月(しげつ)は、
  伏見山の最南端が巨椋池にのぞむ丘陵である。
  このあたりには、平安のむかしに藤原俊綱の山荘がいとなまれたりしたほどで、
  景観もすばらしい。
  眼下にひろがる巨椋池は,池というよりも湖といったほうがよい。
  その大きさは、信州の諏訪湖ほどもあった。
  かの万葉集にも
  「巨椋の入江とよむなり 射目人(いめひと)の伏見が田居に雁わたるらしと」ある。』

 万葉歌の訳と解説

「 巨椋(おほくら)の 入江響(とよ)むなり 射目人(いめひと)の
    伏見が田居に 雁わたるらし 」  
                          巻9-1699 柿本人麻呂歌集

( 巨椋の入江が ざわざわと鳴り響いている。
  射目人(狩人)が身を伏せているいう伏見。
  その田んぼの方へ雁が移動してゆくらしいなぁ )

  射目(いめ)とは猟師が鳥獣を射るために柴などを折って身を隠す道具。
  言葉遊びも取り入れた歌で、

「 弓を射る猟師が身を伏せて待ち構えている伏見の田んぼ。
  その田んぼに向かって、狙われているのも知らない雁の群れが
  わざわざ飛んで行くわい 」 と
  「伏す」「伏見」と「ふ」の音を掛け
  「 そんな危ない所へ飛んで行くこともあるまいのに 」

と興じています。

歌の題詞に「宇治川にして」とあるので、作者は宇治川の岸辺、
巨椋池の注ぎ口の近くにいて、水面に響く雁の羽音を耳にし、
群れが飛び立つさまを推測した一首ですが巨椋池、伏見2つの地名を配して
自然の大きな景色を詠みこんだ秀歌です。

巨椋池(おぐらいけ)は京都府南部、現在の伏見、宇治地域にまたがる場所に
存在していた湖とも言うべき巨大な池で、宇治川、桂川、木津川が
この入江に流れ込み西方の淀川に溢れ出る、いわば遊水池の機能を
はたしていました。

また、飛鳥、平城京への木材運搬の中継地点として重要な役割を担い、
近江など、近郷各地から伐り出された木材を川に落として運び、
一旦ここに集荷してから、順次、木津川へ流し途中から陸路で都へ運搬したのです。
都づくりの最中は水路、陸路ともに殷賑を極めた場所でした。

然しながら、1594年、豊臣秀吉の伏見城築城に伴い、築堤工事を受け持った
前田利家が宇治川を伏見に迂回させたことにより巨椋池は一変しました。

池への流水が絶え、周囲16㎞水域面積8平方km(約(800ha)の孤立した
淡水の湖沼になったのです。

その美しくも歴史ある巨大な池は、昭和8年(1933)、国民への
食糧供給充実という目的で干拓事業が開始され、8年後の昭和16年(1941)に
農地化されて完全に消滅しました。
現在は渡り鳥の飛来地となり、近くの葦の群生地をねぐらとする燕が
毎年数万匹もみられるそうです。

最後に鬼平犯科帳「白い粉」の一節から。

 『 「 料理人の勘助が、長谷川平蔵の夕餉の膳の吸い物へ、
    かの毒薬を入れたのは翌々日のことであった。
    吸い物は、鴨の叩き団子と晒葱(さらしねぎ)である。

    役宅の大台所では、平蔵の膳ごしらえは勘助が一人でやっているので、
    声をかけるまでは女中たちも近寄って来ない。

    白い粉を落としたとき、勘助はわれながら落ちついていた。
    ( これで、おたみが帰ってきてくれるのだ。)

    吸い物へ落としこんだ毒薬は、
   ( あっ・・・・)
    という間に溶けた。 』   

( 以下 鬼平料理帳に続く 筆者注 )

『  鴨は日本人にとって最も親しい野禽(やきん)であったらしい。
   それは万葉集にたとえば

  「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
           寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」
   とあるのを見てもわかる。
   日本に渡っている鴨の種類は三十余種もあるという。
   夏の間、北方のシベリア方面で雛を育て、9月上旬から11月頃に大群をなして
   飛来し、3月の上旬から5月にかけて再び北へ帰って行く。

   鴨が真味を持つのは年が明けてからだ。
   渡ってきたはじめの頃は、当然鴨だって長旅の疲れでやせこけている。
   それが、日本の河川湖沼でうまい小魚をたっぷり食べて、丸々と肉がつき、
   脂がのったところを人間サマが食べるのだから、申し訳ないような話。 』

                   ( 池波正太郎 鬼平料理帳 佐藤隆介編 文芸春秋社より)

万葉歌の訳と解説

「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
       寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」 
                        巻14-3570  作者未詳


( 葦の葉群れ一面に夕霧が立ちこめ、鴨の鳴き声が寒々と聞こえてくる夕べ。
  そんな夕暮れ時には、お前さんのことがことさら偲ばれることよ。)

作者は防人として集合地の難波に旅立とうとしています。
当時の難波は葦の名所、その夕景を思い浮かべながら
愛する妻に語りかけた、しみじみとした哀感がにじみ出ている一首。
作者は以前、難波に赴いたことがあるのでしょう。

このように小説、料理、絵画などあらゆる分野に縦横無尽に
腕を振るわれた正太郎氏。
しかも小説の随処に応じた万葉歌をさりげなく挿入されるとは、
よほど勉強されたのでしょう。
その博識、多才に敬服するとともに、初めて鬼平に万葉集が登場したくだりで、
驚愕狂喜したことが懐かしく思い出されます。

    「 ありし日の 鬼平小兵衛 しのばるる 」 筆者

             小兵衛:剣客商売の秋山小兵衛
                 俳優、藤田まことが演じた


           万葉集675(鬼平万葉集) 完


次回の更新は3月18日(日)の予定です。 :通常より遅くなります。
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# by uqrx74fd | 2018-03-08 16:28 | 生活

万葉集そ六百七十四 (はだれ)

( 筑波山残雪 )
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( 早春の草津温泉 )
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( 皇居北の丸公園のはだら雪 )
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( 夜半のはだら雪  翌朝に消えていた  高千穂神社 佐倉市)
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( 鹿の子まだら という語もはだらの縁語 )
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( コハダという名前もはだらに由来 )
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万葉集その六百七十四 (はだれ)

「 この里の 麦畑ぞひの 横山を
           はだらにしたる  けさの薄雪 」  太田水穂

「 昼すぎより 吹雪となりぬ すぐ消えむ
           春の班雪(はだれ)と おもほゆれども 」   斎藤茂吉

「はだれ」とは「雪がはらはらと降り積もるさま」や「消え残った雪や、霜」
のことをさし、「はだら」「ほどろ」ともいわれます。

季語語源成り立ち辞典 (榎木好宏著 平凡社) によると

『 「はだれ」は草木の葉の傾くほどに降った雪、あるいは、
  まだら雪のことですが、歌論書「正徹物語」に
  「 いづれにてもあれ、うすき雪のことなり」と出てきます。
  古くから「葉垂れ説」「まだら説」、さらに「降る雪の形容説」が
  ありましたが、現在の定義は
  「 地上における雪、霜のさま」に落ち着いている。』 そうな。

万葉集では6首登場し、いずれも「薄く降り積もった雪、霜」の意に
用いられています。

「 夜(よ)を寒み 朝戸(あさと)を開き 出で見れば
       庭もはだらに  み雪降りたり 」 
                     巻10-2318 作者未詳

( 夜通し寒かったので、朝、戸を開けて外へ出て見ると、なんと
 庭中雪がうっすらと降り積もっていることよ。)

もう春だと思って寝たら夜中に肌寒さを感じた。
目が覚めてから戸を開けて外を見ると、青々とした草木の上に置く薄雪。

早春によく見られる光景ですが、思わぬ美しい景色を見た作者の喜びが
感じられる一首です。

「 笹の葉に はだれ降り覆ひ 消(け)なばかも
           忘れむと云えば まして思ほゆ 」 
                      巻10-2337 作者未詳

( 「笹の葉に薄雪が降り覆い、やがて消えてしまうように
   私の命が消えでもすれば、あなたを忘れることも出来ましょう 」
  などとあの子が言うものだから、ますますいとおしく思われることだ。)

「 あなたが好きで好きで忘れられない。
  いっそのこと、「はだれ」のようにすぐに消えてしまったら
  苦しみも無くなりどんなにか楽なことでしょう。
  でも、それは無理 」とかき口説く乙女。

 「あぁ、なんと可愛い子だ」
  と相好を崩す男です。

 笹の葉の緑と薄雪の対比が鮮明な一首。

「 御食(みけ)向かう 南淵山の 巌には
              降りし はだれか 消え残りたる 」 
                    巻9-1709 柿本人麻呂歌集

( 南淵山の山肌の巌にいつぞや降った薄ら雪が、
  まだ消え残っているだろうか)

作者が弓削皇子に献じた歌。
伊藤博氏は
「 周囲の雪が瞬く間に消えてしまったのに、南淵山の巌にわずかにでも
 残っている喜びを、疑うような形で詠嘆することによって述べた。
 残雪という題を出されて献じた歌かもしれない。」(万葉集釋注)

とされています。

 御食(みけ)向かう: 「南淵山」(飛鳥川上流)の枕詞
              「御食(みけ)」は天皇など貴人に奉げる食事のことで、
              その一つに蜷(みな:巻貝)があり、同音の南(みな)を掛けたもの。
               他に「粟(あわ)」:「淡路(あわじ)」、
               「酒(き)」:「城上(きのへ)」などの例があり、いずれも
               「御食(みけ)向かう淡路」「御食向かう城上」などと使われている

「 淡雪か はだれに降ると 見るまでに
         流らへ散るは  何の花ぞも 」 
                      巻8-1420 駿河采女

( 淡雪がはらはら降って来るかと見まごうばかりに
 流れ散ってくるのは一体何の花なのであろうか )

白梅の落花を降る雪と見た歌。
梅花を愛でる宴席で散る花の美しさを詠ったようです。

淡雪:白く細かい泡のような雪 

「はだら」については次のような説もあります。

 『 「ハダラ」はマダラの変異形。
   もともとは「接合する」の意の「マジワリ(交わり)」が
   「マザリ」「マダラ」「ハダラ」と転じて接合点、境目、
    区切り、筋目、縞(しま)、ひいては斑紋の意を表したと思われる。

   久留米で小鰭(コハダ)をハダラというが、それは腹に(斑紋ではなく)
   助状(あばらじょう)の筋目があることによる名である。
   ハダラの原義が筋目、縞であることを教える語例であろう。

   斑文のある海獣アザラシのアザラや、筋目や斑文のある貝、浅利(アサリ)も
   ハダラと大本でつながっていよう。

   なお、岡山で雪などがまばらに降ることをハダレルという。
   斑(はだら)から派生した語である。』

              ( 歳時記語源辞典(要約) 橋本文三郎 文芸社 』

たった三文字の「はだら」は、なかなか奥が深い。
そうそう、鹿の毛の白い斑点を「鹿の子まだら」という表現も古くからありました。

  「 うら寒き 春の日ざしは はだら雪
           消(け)のこる杉に  さしこもりたり 」   若山牧水


              万葉集674(はだれ)完


             次回の更新は3月9日(金)の予定です
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# by uqrx74fd | 2018-03-01 17:18 | 自然

万葉集その六百七十三 (梅に鶯)

( メジロ 皇居東御苑 )
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( ウグイス  山の辺の道  奈良 )
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( 凛と咲く白梅  皇居東御苑 )
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( 月ヶ瀬梅林  奈良 )
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( 同上 )
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   万葉集その六百七十三 (梅に鶯)

「 りんりんと 梅枝のべて 風に耐ゆ 」 中村汀女

清楚で気品が高く、早春百花に先駆けて咲く梅は呼び名も多く、 
好文木(こうぶんぼく)・春告草(はるつげぐさ)、匂草(においぐさ)、
風待草(かぜまちぐさ)、初名草(はつなぐさ)、さらに、花の兄(え)とも
よばれています。

「花の兄(え)」とは室町前期の連歌師、浅山梵燈(ぼんとう)の
「よろづの草木の先に花開くがゆゑに、花の兄と申すなり」(袖下集:そでしたしゅう)
に由来するそうな。

一方、鶯も梅の花咲く頃、人里近くで鳴くので「春告げ鳥」の異名があり、
その鳴き声が「ホーホケキョ」(法 法華経 )と聞き慣わされているところから
経読鳥(きょうよみどり)とも。
詩歌での「初音」は鶯とホトトギスのみに使われる専売特許です。

古くから人々に愛された梅と鶯。
万葉集では梅119首、鶯51首も詠われており、いずれも待望の春到来を
寿ぎ喜ぶ歌ばかり。

まずは、梅、鶯を待ちきれずの歌から。

 「 春されば ををりに ををり うぐひすの
          鳴く我が山斎(しま)ぞ   やまず通はせ 」   
                              6-1012 古歌

( 春ともなれば 枝も撓むばかりに花が咲き乱れ
     鶯が来て鳴く我家の庭園です。
     その時になったら、ぜひとも欠かさずにお出でくださいませ。)

      「春されば」: 春になったら
      「ををりに ををり」: 花が咲き撓むことをいう
      「山斎」(しま):  林泉や築山がある庭園

正月も過ぎたころ、古い歌舞を扱う役所の官人たちが、
葛井広成(ふじい ひろなり)宅に招かれて宴を催した時の一首。

古歌とされていますが、実際は主人広成が作って披露したものと思われます。
この歌の前に梅が詠みこまれているで、枝も撓むほどに咲く花は梅。

女性の立場で詠ったらしく、間遠くなった男の訪れを少し皮肉り
「 歓待してさしあげますから、しょっちゅういらして下さいね」と
おどけて詠ったものです。

そして、いよいよ春到来。

  「 うぐひすの 春になるらし 春日山
           霞たなびく 夜目(よめ)に見れども 」
                       巻10-1845  作者未詳

( 待ちに待った鶯の鳴く春になったらしいなぁ。
  春日山に霞が棚引いていることが夜目に見てもはっきり分かるよ。)

霞が棚引くのは春到来のしるし。
作者は毎日朝夜となく、春日山を眺め今か今かと待っていたのでしょう。
歓喜雀躍している様子が感じられる一首です。


「 春の野に 鳴くや うぐひす なつけむと
     我が家(へ)の園に 梅が花咲く 」 
                  巻5-837 算師 志氏大道 (さんし しじの おほみち)

( 春の野で咲く鶯、その鶯を手なずけようとして
  この我らが園に 梅の花が咲いているよ。 )

なつけむと:なつけようとして
算師: 租税、経理などの仕事を司る官人

730年 大宰府帥、大伴旅人邸で行われた梅花の宴での歌32首のうちの1首。
総勢32名余の歌会は我国詩歌史でも画期的な出来事です。
歌の趣旨は鶯の鳴き声を聞きたい時にいつでも鳴かすことができるよう
梅の花が自身の魅力で引き付け、飼い馴らそうとしているようだ、
というのです。

「 わがやどの 梅の下枝(しづえ)に 遊びつつ 
          うぐひす鳴くも 散らまく惜しみ 」
                 巻5-842  薩摩目 高氏海人 (さつまのさくわん かうじのあま )

( この我らが庭の梅の下枝を飛び交いながら、鶯が鳴きたてている。
  花が散るのをいとおしんで。)

作者は薩摩の国の下級官吏。
鶯は時として玉をころがすような美しい声で「ケキョケキョ」と続けざまに鳴く
ことがあり「鶯の谷渡り」といいます。
秋冬になると「チヤッ チヤッ」という鳴き声に変わりこれを「笹鳴き」というそうです。

鶯は梅よりも笹や竹藪など低木の林を好んで棲みます。
鶯は梅と取り合わせて詠われることが多いのは、共に春の先駆けの象徴として
採りあげられた絵画や詩歌の世界、とりわけ中国文学の影響が大きいようです。

鶯が梅に来る時は、木に付着した害虫(蛾の幼虫)を食べにくるからとされ、
普段梅と戯れているのはメジロが多く、鶯は滅多に見かけません。

   「 勅なるぞ 深山鶯(みやまうぐいす) はや来鳴け 」  正岡子規

         ( お上の命令であるぞ、鶯よ すぐ山から降りてきて 早く鳴け )

番外編 (鶯いろいろ)

その一.『 富山、岐阜、愛知では鶯のことを「オグイス」という。
       古くは大(オホ)を「ウ」と 訛ったから、
       かって「ウグヒス」は「大食ス」(オオグイス)と聞こえたはずでまさに万葉調。

        歌に詠まれる名鳥の名の起源が必ずしも優雅なものとは 限らない。』
                             (歳時記語源辞典 橋本大三郎著 文芸社より)

その二 『 「出雲の国(島根県) 嶋根郡の法吉(ほほき)の郷には
        次のような地名起源伝承がある。
        「神魂命(カム ムスビノ ミコト)の御子(みこ)であるウムカヒメの命が
         法吉鳥(ほほきどり)となって飛び渡り、ここに鎮まりましき。
         故にこの地を法吉(ほほき)という。」

        風土記にしても、万葉集にしても鳥や動物は数多く登場してくるが、
        その声を具体的に捉えて地名になる例は希少である。
        ホホキ郷の場合、ウムカヒメが鳥に化身して、この地に飛んできて
        鎮座したという内容である。

        鳥は神の使いとする考えは神話にあるから、この場合鶯が
        ウムカヒメの化身と考えられる。

        この「法吉」は鶯の鳴き声を文字に捉えた珍しい例で
        ホーキあるいはホキと聞き写したか、
        少なくとも今のホーホケキョとする聞きなしではなかったようだが、
        近いところも感ぜられる。

        古代の出雲の国でとらえられた例であるが、仏典「法華経」の
        使者のような鳴き声としてとらえられる以前の聞き写しと
         いうことになる。 』
                          ( 音感万葉集 近藤正義著 はなわ新書より)
  
その三、  『 「和漢三才図会」(寺島良安)という江戸時代の書物に、
         「鶯の産地は奈良が第一、関東産の鶯は鳴き声が濁っている」
         としている。
         そこで元禄のころ、上野の公弁法親王という人物が
         京都から3500羽の鶯を取り寄せて根岸の里に放したところ
         大いに繁殖し、後に江戸を代表する鶯の名所となり
         「初音の里」とも称されるようになった  』
                             ( 万葉の動物に寄せて 角海 武  自家出版 )

根岸の里は江戸時代、粋人の別宅が多かったところで、
JR山手線「鶯谷」の駅名はその名残。

当時の根岸は上野の北東、日暮里、根津、千駄木一帯を含む
広範囲な地域だったそうな。

   「 雀より 鶯多き 根岸哉(かな) 」 正岡子規


     万葉集673(梅に鶯)  完


    次回の更新は3月2日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-02-22 15:20 | 動物

万葉集その六百七十二 (足柄の箱根 )

( 富士山  三国峠から )
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( 箱根山は列なる山々の総称  手前芦の湖 )
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( 駒ヶ岳山上から芦の湖 )
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( 駒ヶ岳の杉並木 )
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( 大湧谷 )
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( 懐かしの映画 箱根山のポスター )
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( アマドコロ 万葉名:にこ草  暮らしの植物園 佐倉市 )
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万葉集その六百七十二 (足柄の箱根)

奈良時代、足柄は上下二郡に分かれ、箱根は足下郡(あしのしもぐん)に属する
山地でした。
東海道の箱根路はまだ開かれておらず、都との往復は駿河の横走駅(御殿場市)から
足利峠(759m)を越えて相模の国に入り足上郡の坂本駅(南足利市関本)に達する
官道を利用していたそうです。
駅とは公用の旅行や通信の為に馬や船、人を常備している場所をいいます。

日本紀略によると、
「 平安時代、桓武天皇802年、富士山が噴火して通行できなくなったので
  箱根路を開いたが、翌年足利路は復旧された」
という記録があり、その後噴火の心配がない箱根峠を通る街道が
次第に整備され、現在に至っております。

万葉集では「箱根」という地名が見られますが、すべて「足柄の箱根」と
詠われており、その地名の由来は、

「足柄」: 足柄山の杉材で造った船の足が軽くて速いことから
       足軽→足柄に転訛された。

「箱根」:「箱」は「山の形が箱型」であるため、
      あるいは古代、急な崖を「ハケ、ハコ、ホキ」などと呼んだことにより
      「崖のような斜面が多い」の意。

「根」は「嶺、山」を意味しているそうです。

 
「 足柄(あしがら)の 箱根飛び越え 行く鶴(たづ)の
      羨(とも)しき見れば  大和し思ほゆ 」
                           巻7-1175 作者未詳

( 足柄の箱根の山を飛び越えて行く鶴、
  その鶴が羨ましくも都をめがけて飛んでゆくのが見える。
  あぁ、妻のいる大和が懐かしくて仕方がない。)

作者は都から東国に向かって旅をしているのでしょう。

足柄峠を越える途中、西に向かって飛んでゆく鶴をみて、都が懐かしく
思い出された。

富士山の美しさに感激しながらも、早く都に帰り、愛する妻子に会いたいと
望郷の念を募らせています。

「 足柄(あしがら)の 箱根の山に 粟(あは)蒔きて
        実とは なれるを 粟無くも あやし 」 
                           巻14-3364 作者未詳

( 足柄の箱根の山に粟を)蒔いて 見事にに実ったというのに粟がないとは
 一体どういう事なのだ。)

「粟なく」に「逢わなく」が掛けられており、
「一生懸命育んだ愛なのに、あの子に逢えないとは一体どういうことだ」と
嘆く男です。

女が心変わりしたのか、親が反対しているのか。
からっとしており、畑仕事の作業歌(伊藤博)、あるいは歌垣で詠われたもの
かもしれません。

「 足柄(あしがら)の 箱根の山に 延(は)ふ葛の
      引かば寄り来(こ)ね 下なほなほに 」 
                    巻14-3364 作者未詳(或る本の歌)

( 足柄の箱根の山に延いまわる葛を引っ張るように
  俺が引っ張ったら、素直にこっちへ来てくれよね。)

       下なほ なほに : 「下」:心底 
       「なほ なほに」:「直直に」で「素直に」

前の歌と同番号で掲載されていますが、内容が違うので、同じく
作業歌だったのかもしれません。
素朴な詠いぶりで、当時葛を引いて収穫する作業は女性の仕事、
束ねて運ぶのは男の仕事だったようです。

「 足柄(あしがり)の 箱根の嶺(ね)ろの にこ草の
    花つ妻なれや 紐解かず寝む 」 
                       巻14-3370 作者未詳

( お前さんが箱根山の嶺に咲いている「にこ草の花」のように手が届かない
  聖女の花妻ならば仕方がないが、そうでないのだから共寝しょうよ。
  何で嫌だと言うのかねぇ?)

「花つ妻」は花のように美しい妻、あるいは新妻。
美しい万葉人の造語です。

何らかの事情で夜の共寝を拒絶された男の嘆き節と思われますが、
拒絶されたのは、神祭りの時など触れてはならない期間、あるいは月の障り?
男の恨めしげな顔が目に浮かぶようです。

折口信夫氏は「結婚前、ある期間厳粛な隔離生活をする処女」とされていますが
結婚後でも新嘗祭などで一定期間精進潔斎する人妻の歌がみられるところから
結婚の有無に関わりなく神に仕えている間の女性か。

「にこ草」:  ハコネシダ、アマドコロ説あるも未詳
         「似児草」「和草」の字が当てられており
         「花が咲く柔らかい草」の意とも。

   「 春祭り  足柄峠  下り来れば 」  平野青坡


        万葉集672 (足柄の箱根) 完


        次回の更新は2月23日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-02-15 16:16 | 万葉の旅