万葉集その六百七十一 (菅笠恋歌)

( カサスゲと花穂  奈良万葉植物園 )
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( 冬のカサスゲ   自然教育園  東京 目黒 )
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( 乾燥したカサスゲ   国立歴史民俗博物館  佐倉市 )
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(  菅笠  同上 )
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( 新潟日報の記事  )
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  万葉集その六百七十一 (菅笠恋歌)

菅(すげ)はカヤツリグサ科スゲ属の総称とされ、平地の湿地や沢などに生える
大型の多年草です。
その種類は多く約60種以上もありますが、単に「スゲ」と言う場合は
「カサスゲ」をさすことが多いようです。
カサスゲの草丈は約1m、茎は多数かたまって群落を作り、
初夏に茎の頂に長さ5~8㎝の雄花穂、その下側に2~3個の円柱形をした
雌花穂をつけますが、目立たないのでよく観察しないと分かりません。

古代の人たちは自生、あるいは水田で栽培したものを刈り取り、
乾燥させて菅笠や蓑を作っていました。
蓑笠は雨や寒さ,日ざしを避(よ)ける生活必需品で旅のお供にも欠かせない存在。
万葉集に49首、「菅の根」「菅笠」「菅枕」「白菅」などと詠われ、
大半が恋の歌です。

「 三島菅 いまだ苗にあり 時待たば
       着ずやなりなむ 三島菅笠 」 
                   巻11-2836 作者未詳

( 三島の菅はまだ苗のままだ。
     だからといって笠を編む時まで待っていたら、身に付けずになりはしまいか。
     その三島の菅笠を。)

この歌は将来結婚をするつもりの幼い少女があまりにも可愛いので
放っておくと他の男に横取りされやしないかと心配している場面です。

なぜそのようなことが分かるかと言うと、「譬喩歌」という個所に
分類されているからで、

「菅のいまだ苗」に「まだ幼い恋人」、
「着る」は「結婚する」
「三島菅笠」は「成人した女」に譬えています。

「三島」は現在の三島ではなく、もと摂津国三島郡 淀川下流一帯。

菅笠は生産地それぞれの特色があったらしく、「有馬菅」「難波菅笠」
「白菅」「岩本菅」などとよばれています。

「 大君の 御笠(みかさ)に 縫へる有馬菅(ありますげ)
      ありつつ見れど 事なき我妹(わぎも) 」  
                              巻11-2757 作者未詳

( 「大君の御笠に」と縫っている有馬の菅。
  その名ではないが、ありつつ - ずっと見続けているあの子は
  わが伴侶として申し分ないなぁ。)

有馬菅は摂津(兵庫県東南部と大阪府北部)の名産。
この歌では素晴らしい女性に譬えられています。

「大君」は天皇、いささか大げさな表現ですが、
帝に献上するほど立派な品と同様、自分が選んだ女性は素晴らしいと
言いたかった、とびっきりのお惚気。

「 み吉野の 水隈(みくま)が菅を 編まなくに
    刈りのみ刈りて  乱りてむとや 」  
                     巻11-2837  作者未詳

( み吉野の川隅に生える菅、この菅を編み上げもしないのに
 刈り取るだけ刈って、散らしっぱなしにしておくつもりですか。
 あなたは。)

「菅」:女性自身。

「編まなくに」:「妻にしようとしない」

「刈りのみ 刈りて」: 「 関係を持ちっぱなしで責任を取ろうともしない」

「乱りてむ とや」 : 「とや」相手の意中を反語的に推測する語法
              ここでは「放りっぱなしにするつもり?」の意

体の関係を持ちながら、結婚をしようともしない男の不誠実をなじる女。
それにしても面白い譬え方をするものです。

「 高山の 巌に生(お)ふる 菅の根の
          ねもころごろに  降り置く白雪 」 
                      巻20-4454    橘諸兄

「ねもころごろに」: 根がびっしり凝り固まる状態
             ここでは雪がくまなく降り積もっている様子。
             本義は「ねもころに」で「ねんごろに」の意。

( 高い山の巌に根をおろしている菅。
 その菅の根ではないが、ねんごろに隅々まで置いている白雪の
 なんという鮮やかなことよ。)


756年1月4日、左大臣橘諸兄が子息、奈良麻呂宅で親しい人たちと
宴をした折の1首で、高い山、長い菅の根、降り積もった白雪など
めでたいものを詠みこみ、我が子を祝福したもの。

当時、孝謙女帝の時代。
寵を得た藤原仲麻呂の専横の振る舞いが多く、諸兄は苦々しく思っていたのでしょう。
つい朝廷批判の言葉を漏らしたと密告され失脚の原因となった酒席。
心許した部下ばかりのはずが- -。
口は災いのもと油断大敵です。

「 ゆく道に 隧道(すいどう)の口  見えにしが
            山菅背負ひて 人いできたれり 」   古泉千樫

             隧道: 山腹や地中をうがって通した道 トンネル。

菅は7月頃刈り取られ天日干しにして保存され、雪の季節になると
編まれて蓑笠、莚(むしろ)、草履などに変身します。
古くは農作業閑静期の夜なべ仕事だったのでしょう。

菅笠は今でも野良仕事や四国八十八ケ所巡礼お遍路の旅などの必需品。
海外からの客人にも大人気で、お土産に持ち帰る人も多いそうな。

  「 菅笠を 上げて眺むる  讃岐富士 」     筆者

              讃岐富士: 丸亀、坂出市境にある飯野山

             万葉集671 (菅笠恋歌)   完


            次回の更新は2月16日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-02-08 15:57 | 心象

万葉集その六百七十 (雪の歌)

( 筑波山雪景色 )
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( 箱根 強羅 )
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( 高千穂神社  佐倉市 )
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( 雪の梅  皇居東御苑 )
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(  桜の蕾  同上 )
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(  木の枝が美しく映える 皇居東御苑 ) 
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   万葉集その六百七十 (雪の歌)

雪は古くから詩歌、文学の好材料とされ、万葉集で150余首も詠われています。
特に古代大和では冬の厳しい寒さにもかかわらず、積雪が少なく、
稀に大雪になると子供のようなはしゃぎよう。
加うるに白雪は白米とみなされ、豊穣のしるしとして為政者も寿ぎ喜んだのです。

「 大宮の 内にも外(と)にも めづらしく
       降れる大雪  な踏みそね惜し 」  
                 巻19-4285 大伴家持

( 大宮の内にも外にも一面に 珍しく降り積もっている大雪。
 この見事な雪を踏み荒らしてくれるな。勿体ない。)

753年、正月11日 都に大雪、新暦2月中旬の頃です。
佐保の自宅から出仕してきた作者は宮中の広場の足跡もない美しい景色を
目の当たりにして、心躍る思いだったのでしょう。
感動と喜びがあふれる一首です。

     「な踏みそね」:「な」-「そね」禁止を表現する語法


「 松陰の 浅茅が上の 白雪を
          消たずて置かむ ことは かもなき 」  
                    巻8-1654   大伴坂上郎女

( 松の木陰の上の白雪、
  この雪をそのまま消さないで残しておく手だてがないのが残念です。)

   ことは かもなき: 「こと」は「事」で「手段」 
               「かも」は疑問 

周囲の雪が消え、松陰にのみ わずかに消え残る雪に深い愛惜を述べたもの。
万葉人がいかに雪を珍しく、また、好ましく思っていたのか窺われます。


津軽の雪は「こな雪」「つぶ雪」「わた雪」「みず雪」「かた雪」「ざらめ雪」
「こおり雪」 (太宰治著 津軽 新潮文庫) とよばれているそうですが
万葉集では単なる「雪」と詠ったもの(105首)、淡雪(15)、み雪(14)、白雪(8)、
大雪、雪解,霜雪、はだれ、初雪など負けず劣らず多彩な表現がなされています。

いずれも「雪よ降り積もれ」と詠ったものが多い中、次の歌は恋人との逢瀬を前にして、
「雪よ降るな」と願った珍しい例です。

「 わが背子が 言(こと)うるはしみ 出(い)でて行(ゆ)かば
      裳引き(もびき)しるけむ  雪な降りそね 」 
                            巻10-2343  作者未詳

( あのお方の優しいお言葉に引かれて外に出て行ったら
  裳を引きずった跡がはっきり残ってしまいます。
  雪よ! そんなに降り積もらないでおくれ。)

   「 言(こと)うるはしみ 」: 「やさしさに心惹かれる」の意
   「 裳引きしるけむ 」 : 「裳の裾を引きずって歩いた跡」の意

今日は待望のデートの日。
男は「家の近くに来たら合図をするから出てこいよ」と約束してくれた。
ところが生憎、雪が降りしきっている。
スカートのような長い裳を引きずって行ったら跡が残ってまわりのものに
知られてしまう。
恋は秘密にというのが当時の定め、噂になったらどんな中傷があるか分からない。

「 どうしょう、雪よ積るな、消えておくれ。」

と天を仰ぎながら願う乙女です。

  「 大原の をか(丘)の お神が 降らす雪
            大和国はら(原)   道もなきかな 」   上田秋成

江戸時代後期、雨月物語で知られた作者は雪の秀歌を多く残しました。
上記の歌は万葉集から本歌取りしたものです。

「 わが岡の おかみに言ひて 降らしめし
                 雪の砕けし そこに散りけむ 」    
                        巻2-104 藤原夫人(ぶにん)

( 恐れながらこの雪は私が岡の水の神に言いつけて
      降らせたものでございますよ。
      その雪のかけらがそちらに散ったのでございましょう)

ある日、飛鳥、浄御原(きよみがはら)宮に大雪が降った。
喜んだ天武天皇は実家に帰っている側室、藤原夫人に次のような歌を届けた。
夫人がいる大原(明日香村小原)は、天皇の住居と500mも離れていないのに、
「お前の住む大原は古ぼけた田舎の里」と揶揄され、

「 わが里に 大雪降れり 大原の
    古りにし里に 降らまくは後(のち)」  
                        巻2-103 天武天皇

( オ-ィ わが里に大雪が降ったぞ! 
  そなたは今、大原に里帰りしているようだが
  その古ぼけた里に降るのはずっと後のことであろうなぁ。 )

藤原氏は先祖中臣氏以来、宮廷に伝わる聖なる水の信仰を管理する家柄で
夫人は「 雪をも司る水の神、竜神の本家はこちらでございますよ。
ご自慢なさるのはおかしいわ 」と やり返し、さらに

天皇の「里」に対して「岡」 「大雪」に対して「雪の砕けし」 
「降る」に対して「散る」と機知あふれる応対をされたもので、
二人の仲睦まじい様子が頬笑ましい一幕です。

「 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
          吉野の里に 降れる白雪 」 
                        坂上是則 古今和歌集 百人一首

「朝ぼらけ」: 夜がほのぼのと明けるころ。

大和の吉野で旅寝の朝、目をさましてみると外がぼうっと明るんでいる。
有明の月の光がさしこんでいるのかしら、といぶかって見ると
夜のあいだに一面薄雪が降り敷いていた。
明け方、まだ人の動きも見えない静まりかえった山里。
静寂、清々しさを感じさせる秀歌。
作者は征夷大将軍、坂上田村麻呂の四代の子孫と伝えられています。

「 竹ほどに 直(すぐ)なる物は  なけれども
                ゆきゆき積もれば  末はなびくに 」   隆達小歌

      ゆきゆき: 雪々と行々を掛けている

( いかに真っ直ぐ立っていようとも、雪が積もれば竹だとて
  しまいには枝を垂れなびかせる。
   あの子だって、この俺が行き行き、頻繁に通えばきっと靡くさ。 )


        万葉集670 雪の歌 完


         次回の更新は2月9日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-02-01 14:31 | 自然

万葉集その六百六十九 ( 楮の衣と和紙)

( 楮の木   奈良万葉植物園 )
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( 和紙の里  東秩父村 埼玉県 )
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( 楮を切りそろえる→釜蒸しする  同上 )
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( 表皮を剥く   同上)
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( 剥いた皮を天日干し、白木は燃料に  以下の作業は本文で  同上 )
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( 紙漉きの絵  紙の博物館  飛鳥山公園 東京王子 )
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( トロロアオイ 紙製  根を細かくして楮の繊維と混ぜる;
  糊の役割を果たす不可欠な材料    同上)
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( 東大寺修二会:お水取りの練行衆:僧が法衣の上に着る紙衣 ) 
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( 歌舞伎舞台衣装 中村扇雀が着用 遠藤忠雄作  紙の博物館 )
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( 紙布の着物:桜井貞子作と ペーパーデニム エドウイン社  同上 )
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   万葉集その六百六十九 (楮の衣と和紙)

古代、楮(こうぞ)は栲(たく)、織った衣を栲(たへ)とよんでいました。
中でも白栲(しろたへ)は上質な織物とされ、次の名歌

「 春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたへ)の
      衣干したり  天の香具山 」    巻1-28 持統天皇

の白栲は香具山で春の菜摘み行事などの神事に奉仕した人々が身に付けた白衣
(渡瀬昌忠氏 万葉一枝)、あるいは巫女たちの斎衣(伊藤博氏 釋注)
とされています。

丈夫な繊維を持つ楮は、古くから衣類、網、縄、衾(ふすま:寝具)、
領布(ひれ:女性が首から肩にかけていたスカーフのような布)、
神事に用いる木綿(ゆふ)とよばれる襷(たすき)や幣(ぬさ)、
加うるに和紙の重要な材料とされていました。

万葉集に詠われている栲(たく、たへ)は115首、木綿(ゆふ)が27首 
合計142首の多きにのぼりますが、和紙の歌は1首もありません。

和紙の歴史を紐解くと、奈良時代には既に独自の製紙法を開発しており、

「 610年高句麗の僧曇微(どんちょう)が最新の技術をもたらし(日本書紀)
  飛躍的に進歩した。」

「 現存最古の紙は聖徳太子筆といわれる法華義疏(ほっけぎしょ)但し産地は不明。」

「 最古の和紙は701年の美濃、筑前、豊前各国の戸籍に用いられたもので、
  いずれも正倉院文書として保存。」

「 奈良時代の正倉院文書は約1万点保存されているが、その多くに産地が記されており
  紙漉きを行っていた国は20カ国に及んだ。」

「 各国府で政庁の指導の下に製紙場が設けられて各地で消費する紙をまかない、
  上質のものは中央に貢納された。」

など多くの記録が存在しますが、それにもかかわらず、紙の歌が一首も
残されていないのは不思議なことです。

考えられることは、当時、紙は極めて貴重かつ高価だったため、
使途は天皇の詔、朝廷の重要な公式記録、戸籍、租税記録、
写経、仏典などに限られ、通常の記録は木簡を用いていました。

従って一般の人にとって紙は無縁の存在であり、歌の対象は自ずと
日常生活に密着した衣や白妙,木綿(ゆふ)などに集中した為ではなかろうかと
思われます。

なお、紙の衣は楮を細かく切って縒(よ)り、糸にして織ったものを
何重にも重ねあわせて強度を増やし、さらに揉んで軟らかくするという
高度な技術が必要とされ、古代の人達が自家薬籠中の物にしていたとは、
驚きを禁じ得ません。

「 馬並(な)めて 多賀(たか)の山辺を 白栲に
     にほはしたるは 梅の花かも 」 
                   巻10-1859 作者未詳


( 馬を勢揃いして手綱をたく(る)、そのたくではないが、この多賀の山辺を
  真っ白に染めているのは、梅の花なのであろうか )

馬並めて: 多賀の枕詞 手綱を繰(たく)る意の「たく」の類音で掛かる
多賀の山辺: 京都府綴喜郡(つづきぐん)
にほはしたる: 「にほふ」は色や香りが他のものに移り染みつくことをいう。
主に視覚に用いられ嗅覚を表す例は少ない。

数人で馬を並べてゆっくり走らせる。
向うに見える丘は一面真白。
よくよく見ると、梅が満開。
おぉー、見事、見事、梅が丘を美しい色に染めたのだなぁ。

「 荒栲(あらたへ)の 布衣(ぬのきぬ)をだに 着せかてに
        かくや嘆かむ  為(せ)む すべをなみ 」   
                         巻5-901 山上憶良

( 粗末な着物すら着せてやれなくて、このように嘆かなくてはならぬのか。
  一体どうしたらよいのか、手のほどこしようがないままに- -。)

「荒栲の布衣」:楮の繊維の荒い粗末な衣類。

「着せかてに」:着せたいが、それすら出来ないの意。
                  「かて」:することができる 「に」打消しの助動詞

作者は当時、老身(74歳)の上、長年の病で苦しんでいました。
「 いっそのこと死んでしまいたいが、いじらしい子供を置いて死ぬにも死ねない。
この貧しい子供を守ってやれるのは親である自分しかいないではないか。」

という悲愴な気持がひしひしと伝わってくる一首です。
 然しながら憶良は中級官吏の身分であり、困窮していたとは思えないので
 貧窮問答歌と同様、貧しい庶民の生活を代弁したものでしょう。

「 このころの 寐(い)の寝らえぬは 敷栲の
     手枕(たまくら)まきて 寝まく欲(ほ)りこそ 」 
                           巻12-2844 作者未詳

( このごろ よく眠れないわけは あの子と手枕を交わして寝たいと
 思うからなんだなぁ )

敷栲: 寝床の敷物
手枕まきて: 女性の手を枕にして共寝する

この歌は4首連作の1つで、
ある日道を歩いていると美しい女性を見かけ、一目惚れしてしまった。
毎日夢にまで見る。
あぁ、あの子を抱きたいと、悶々としている男です。

「 栲縄の 長き命を 欲(ほ)りしくは
     絶えずて人を  見まく欲りこそ 」 
               巻4-704 巫部 麻蘇娘子(かむなぎべの まそおとめ) 

( 栲縄のような長い命 その命を望んできたのは、ほかでもありません。
      いつもいつも、あのお方のお顔を見たい一心からなのです)

大伴家持を交えた席で詠ったもの。
恋の歌遊びの会合かと思われます。
それにしても貴公子家持はモテモテの男、関係した女性は数知れずです。

「 いっしんに 竹簀(たけす)うごかす 紙漉女(かみすきめ)
           見つつし居れど もの云わずけり 」      吉井勇

冬は楮の季節、和紙を作るための作業が始まります
埼玉県東秩父村小川町に和紙の里があり、丁度、楮の皮むき作業が行われている
最中なので早速見学に行きました。(2018年1月7日)

この里は地元の細川紙が、石州半紙(島根県)、本美濃紙(岐阜県)と共に
ユネスコ無形世界文化遺産に登録されたのを機に整備されたもので
和紙の歴史が展示され、また紙漉体験もできます。

東武東上線池袋から約1時間、更にバスに乗り継いで15分、山々に囲まれた
道の駅の裏手にあり、いかにも山里らしい雰囲気です。

寒風吹きすさぶ中、細長い楮を切りそろえ、皮を剥きやすくする為釜で蒸す。
屋内で数人の方々が手作業で皮を剥く。
剥いた皮を天日干しにしたあと、釜で煮、煮立ったらソーダー灰を加えて
不純物を取り除き、水で晒し、アク抜きと日光漂泊。

棒で丹念に叩いて繊維をほぐし、トロロアオイという植物の根を糊状にしたものを
加えて紙漉をしたのち天日干し。

出来上がったものを切りそろえてやっと終わり。
純白の美しい紙が日に映えて美しい。

それにしても、なんと根気がいる仕事なのでしょうか。
伝統技術を後世に伝え続けてゆこうという里の皆様の熱意と努力に、
ただただ頭が下がる思いがした貴重な体験でした。

   「すたれゆく業を守りて紙を漉く」     藤丸東雲子


番外編 :紙漉の歌

( 紙漉の歌が見えるのは手持ちの文献では江戸時代以降、
  それも江戸後期の橘曙覧:たちばなあけみに集中しています。)

「 家々に 谷川引きて 水湛(たた)え
    歌 うたひつつ  少女(をとめ) 紙すく 」  橘曙覧

「 水に手を 冬も打(うち)ひたし 漉(す)きたてて
        紙の白雪  窓高く積む 」     同

「 居ならびて 紙漉く をとめ 見ほしがり
    垣間見(かいまみ)するは  里の男の子か 」   同

「 黄昏に 咲く花の色も 紙を干す
       板の白さに まけて見えつつ  」     同

「 流れくる  岩間の水に 浸しおきて
     打ち敲(たた)く草の  紙になるとぞ 」    同

「 屏風には 志功版画の 諸天ゐて
    紙漉く家の  炉火(ろび)は なつかし 」    吉井勇

「 翁ゐて 楮ならべる 雪晒(さら)し」        伊藤敬子



     万葉集669 (楮の衣と和紙 ) 完


        次回の更新は2月2日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-01-25 17:41 | 植物

万葉集その六百六十八 (鴨の季節)

( カルガモ 東寺 京都 )
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( キンクロハジロ  六義園  東京 )
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( ホシハジロ  不忍池  上野 )
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( 鴨の浮寝   旧芝離宮  東京 )
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( マガモ  不忍池  上野 )
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(  マガモ  後方:オナガガモ )
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万葉集その六百六十八 (鴨の季節)

詩歌の世界で、晩秋北の国から渡ってくる鴨を「初鴨」、「鴨来る」、
春帰る鴨を「引鴨」(ひきがも)、帰らず残っている鴨を「残る鴨」、
留鳥である「カルガモ」は「夏鴨」とよばれ、単なる鴨という場合は
冬の季語とされています。

鴨類の種類は多く、世界で約170種、我国でも30余種といわれ、
比較的小形のものをひっくるめた総称が鴨。
中でも特に多いマガモ(別名アオクビ)をさすことが多いようです。

万葉集では29首。
美しい羽色、浮寝、鳴声など様々な情景が詠われています。

「 水鳥の 鴨の羽色の 春山の
     おほつかなくも 思ほゆるかも 」  
                        巻8-1451 笠 郎女

( 水鳥の鴨の羽色のような春山が、ぼんやりと霞んで見えるように、
 あなた様のお気持ちが はっきりわからず、 もどかしくてなりません。)

大伴家持に贈ったもの。
片思いの鬱々とした心情を述べ、鴨の羽色を霞かかった春山に譬えています。
色華やかな春の山、池に浮かぶ鴨の美しい姿、霞たなびく空。
様々な情景が目に浮かぶような秀歌です。

「 磯に立ち 沖辺(おきへ)を見れば 藻(め)刈り舟
    海人漕ぎ出(づ)らし  鴨翔(かけ)る見ゆ 」 
                             巻7-1227 作者未詳

( 岩の多い海岸に立ってはるか沖の方を見やると
  鴨が驚いて飛び立った
  海藻を刈る海人たちが舟を漕ぎだしたようだなぁ。)

作者は紀伊方面の旅の途中、沖の藻を刈る小舟を眺めていたようです。
ところが海人が突然舟を漕ぎ出したため、驚いた鴨が一斉に飛びたった。
今にも羽音が聞こえてくるような生き生きとした一首で、
「鴨翔ける」の躍動感が秀逸。

なお、鴨は夜明けから日中沖に浮かび漂い、夜になると川の葦辺や
池の水田で餌を漁ります。

「 我妹子(わぎもこ)に 恋ふれにかあらむ 沖に棲む
                   鴨の浮寝の  安けくもなき 」 
                       巻11-2806 作者未詳

( あの子に恋こがれているからであろうか。
 沖の波を寝ぐらとする浮き寝鴨のように 私の心はゆらゆらとして
 落ち着くことがありません )

「 恋ふれにか あらむ」: 「恋ふれば にかあらむ」の意で
                 恋してしまったからであろうか。

万葉人の素晴らしい造語、「鴨の浮寝」。
今なお使われている言葉です。

   「 日輪が ゆれて浮寝の  鴨まぶし 」   水原秋桜子

次の歌は防人が集合地、難波に向けて出立しょうとしている場面です。

「 葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が音(ね)の 
      寒き夕(ゆふへ)し 汝をば偲はむ 」 
                    巻14-3570  作者未詳(防人歌)

( 葦の葉群れ一面に夕霧が立ちこめ、鴨の鳴き声が寒々と聞こえてくる夕べ。
 そんな夕暮れ時には、お前さんのことが ことさら偲ばれることよ。)

当時の難波は葦の名所、その夕景を思い浮かべながら
妻に別れの挨拶をしています。
作者は東国の人と思われますが、以前難波に行ったことがあるか
防人経験者に話を聞いていたので、このような情景を思い浮かべることが
出来たのでしょう。

しみじみとした哀感がにじみ出ている秀歌ですが、
鴨の雄は「グェッ グェツ」、メスは「グェー グェグェ」と鳴き、
美声には程遠い「だみ声」。
遠くから聞くと寂しげに聞こえたのでしょうか。

「 見るままに 冬はきにけり 鴨のいる
        入江のみぎは うすごほりつつ 」 
                     式子内親王 新古今和歌集

番外編 

   「 鴨喰ふや 湖(うみ)に生身の 鴨のこゑ 」 森澄雄

以下は「池波正太郎著 鬼平料理帳  佐藤隆介編 文春文庫」より

 『 鴨鍋、鴨汁、鴨雑炊、鴨雑煮、鴨のお狩場焼、鴨飯、そうそう
   鴨南蛮を忘れるわけにはいかない。
   江州、長浜に琵琶湖のうまい鴨を食べさせる有名な専門店のあることを
   知っていても、私なんぞ簡単に行けるわけではない。

   それで、せめて浜町の「藪」へでも駈けつけて
   「お酒を一本、それから鴨南蛮をおねがいします」ということになる。

   鴨の肉は脂のついたままを すき身にするのが定法で、これがびっしり並んだ
   熱々の鴨南蛮をすすりこむと、全身に活力がみなぎってくる、ような気がする。
   ちなみに鴨南蛮のナンバンとは葱の異名だそうな。

   「鴨が葱を背負ってきた」といわれるぐらい、鴨には葱がつきものである。
   しかし、料理の本では、鴨に最もよく合うものは芹と教えている。
   たっぷりと脂のついた鴨の肉は、どちらかといえばくどい感じになりやすいから、
   芹で味を中和させるのである。 』

筆者注:

 江戸時代、大阪の難波村は葱の大産地。
 その「ナンバ」が「ナンバン」に転訛したもの。

 「アイガモ」は「アヒル」と「マガモ」を交配させたもの。
 ほとんどの店の鴨南蛮はアイガモが使われ、
 野性のマガモを食べさせる店は少なくなっているそうな。

       「 寒入りは まず鍋焼きに 鴨南蛮 」  筆者


       万葉集668 (鴨の季節)完


     次回の更新は1月26日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-01-18 17:08 | 動物

万葉集その六百六十七 (黄金色の森)

( 落葉道  自然教育園 東京目黒 )
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( コナラ    同上 )
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( ケヤキ   日比谷公園 )
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( ハン    自然教育園 )
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〈オギ     同上 〉
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〈 同上 )
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〈 オギの中で枯れずに頑張っているマユミ  同上)
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〈 枯れても葉が落ちない ヤマコウバ    同上 )
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万葉集その六百六十七 (黄金色の森)

「 楽しみは 落葉散り敷く 黄金道
           サクサク踏みて 歩くひととき 」  筆者

カエデ、銀杏、桜、柿、栗などの落葉が終わると、冬木立の下は
フカフカの絨毯を敷きつめたような道が出現します。

そして、枯れた後もなかなか落ちないカエデ、コナラ、ハン、ヤマコウバの葉が
真っ青な空に映え、太陽の光を浴びて黄金色に輝く。

池や沼地に目を転じると、イエローオーカ色の葦、荻、菅などが生い茂り、
枯れても直立したままの立居姿はさながら古武士の佇まいのよう。

そんな景色を求めて、まずは色とりどりの葉が残る自然教育園(東京、目黒)の
「こなら」(小楢)の森へ参ります。
数十本の巨木が林立し折柄の日の光を浴びて美しい。

「 み狩する 雁羽(かりは)の小野の 櫟柴(ならしば)の
       なれはまさらず  恋こそまされ 」
                             巻12-3048 作者未詳

( み狩りに因む雁羽の小野の 楢の雑木ではありませんが
 あなたと馴れ親しむ機会が一向増さず、お会いできない苦しみばかりが
 増す一方です )

「み狩(かり)と雁(かり)羽」:「かり」を掛けた小野の枕詞。

「櫟(柴(ならしば)と馴(なれ))とを掛け「一向に馴染まない(なれはまさらず)」の意
                        「柴」は小さい雑木。
雁羽の小野の所在は未詳。

「み狩り」は天皇、皇族の狩をいう(沢瀉久孝)ので
このあたりに皇室の猟場があったと思われる。

一度関係を持ったのにそれっきり。
そのあと一向に見えないのはどうしたことかと嘆く女。
男は心変わりして足遠くなったのでしょうか。

小楢(こなら)はブナ科の落葉高木で、一般的には楢(なら)とよばれています。
生命力極めて旺盛な樹木で、根元から切断しても、その切り株から
新芽を伸ばして再び大きくなり、古くから薪炭の材料やシイタケ培養の
ホダ木として重宝されてきました。

秋、大量に落とす団栗は鳥、シカ、イノシシ、ネズミなどの大好物です。
「鳥の餌になるので持ち帰らないで下さい」と書かれた立札が。

次は欅(けやき)。
公園、林、街路樹など、どこでも見られる木です。
万葉時代「槻:つき」とよばれ、落葉高木(ニレ科)にもかかわらず、
旺盛な生命力、立居姿の美しさから神木とされていました。

「 早来ても 見てましものを 山背(やましろ)の
                多賀の槻群(つきむら) 散りにけるかも 」
                         巻3-277 高市黒人(たけちのくろひと)

( もっと早くやって来たらよかったのに。
     紅葉した欅の木々は もうすっかり散ってしまっていることよ )

         「山背の多賀」:  京都府綴喜郡井手町多賀周辺。
         「槻群」(つきむら) : ケヤキ(欅)が群生している場所

作者は持統、文武期の歌人で度々三河や吉野行幸のお伴をしており、
この歌も北陸か東国からの帰路で詠われたようです。
「紅葉で知られている多賀に息せき切ってやって来たが、
ついに間に合わなかった」
と残念がっています。

古来、旅の歌は道中の不安や怖れ、故郷への思慕の情を詠うものが多かった中で
黒人は自然の風物を感覚的にとらえて旅を楽しんでいる様子を詠い、
この歌も新しい境地の一首とされています。

「けやき」の語源は「ケヤケキ」即ち「秀でた木」の意。
その風格、品格は松とならぶ樹木界の双璧とされ、古くから船材や橋桁、
枝は海苔栽培の粗朶に用いられました。

「 みちみちの 山の樹の間の 榛紅葉(はりもみじ)
              はやわが心 もえ居たるかも 」   中村憲吉

古代「榛」(ハリ)とよばれた「ハンノキ」はカバノキ科の落葉高木で、
湿った低地や河川沿いに群生し、早春、葉に先立って暗紫褐色の花穂を下に垂らして
咲かせ、花後、松かさ状の小さな実をつけます。

日本列島いたるところに自生し、稲作が広まると収穫後、
木に架けて稲穂を干すために田の畔に植えられ、
農家の人たちはこれを稲架木(ハサギ)とよんでいました。

樹皮と実は染料にし、後世になるとタンニンを抽出して女性の
鉄漿(おはぐろ)などにも用いたそうです。

「 伊香保ろの 沿(そ)ひの榛原(はりはら)  ねもころに
                 奥をなかねそ  まさかし よかば 」
                            巻14-3410  作者未詳

( 伊香保の山沿いの榛原 その榛(はり)の木の根(ネ)ではないが
 そんなにネチネチと心砕いて二人の先の事までこだわらないでくれ。
 今の今さえ幸せであったらそれでいいのではないか 。)

女が男に抱かれながら、「こんな幸せな時間がいつまで続くか心配だ」と
言い募るので男が戸惑いながら、とりなしている場面です。

     「伊香保ろの 沿ひの」 : 伊香保の山(榛名山)一帯

     「ねもころに」 : 元来は「ねんごろに」の意だがここは「くどくど」

     「奥を なかねそ」: 「な」-「そ」は禁止をあらわす言葉 「奥」は将来
                  「かね」は二つのことを兼ねる、ここでは「今も将来も」

     「まさかし よかば」:「まさか」は共寝している今の今 「し」は強調の助辞


東国の方言交りの歌で分かりにくいですが
「なぁ、お前、先の事など心配しないで、今の今を楽しもうや」
というところでしょうか。

「 はらりはらり 荻吹音(おぎふくおと)や 琵琶の海 」  諸九尼

荻(おぎ)には「風ききぐさ」という異名があります。
水辺に繁殖するその草は背丈が高く、細長い葉や茎は風に靡いて
さやさやと鳴る。
それは季節の到来を告げる「荻の声」。

上記の句は荻が琵琶の音色のように奏でていると興じています。

「 妹なろが 付(つ)かふ川津(かわづ)の ささら荻(をぎ)
      葦と人言(ひとごと)  語りよらしも 」 
                        巻14-3446 作者未詳

( あの子がいつも居ついている川の渡し場に茂る 気持ちのよさそうな
  ささら荻。
  そんな素晴らしいささら荻(共寝の床)なのに、世間の連中は
  それは葦(あし)、悪い草だと、勝手に話し合っているんだよなぁ。)

   「妹なろが」:「なろ」は愛称の接尾語

   「付かふ」: 「付く」の継続を表す言葉で洗濯をするため
           いつも寄りついているの意

   「ささら荻」:「ささら」は「さざれ」で小さくて細かい 共寝の床を暗示

   「語りよらしも」: 「語りよろしも」で調子よく語るが如何なものかの意

葦と悪しを掛け、
「あんないい子なのに世間のやつらは悪しざまにいう」とぼやいている男。
宴席で詠われたものかもしれません。


『 「をぐ」という言葉は神または霊魂を招く意で
  霊魂を呼び醒す意味にも用いた。
  だから「をぎ」の名も霊魂に関係した信仰上の意味があったのだ。
  荻は神霊を招き降ろす、
  即ち「招(を)ぐ」ところの「招代 (をぎしろ)」である。

  そのそよぎに神の来臨の声を聞いたのである。
  また、荻がそよそよと揺れることを「そよ」「そそや」などと
  擬声語で現すことがある。
  その「そよ」「そそや」も神の告げを示す言葉である。 』

                (山本健吉: 基本季語500選より要約抜粋)

荻の用途はそれほど多くはありませんが 筵(むしろ)草履、屋根葺き、箒などの
生活必需品に加工されていました。

「 楽しみは  夕日に映える 木のこずえ
                鬱金(うこん)に染まるを  眺め見るとき 」  筆者



           万葉集667(黄金色の森) 完

          次回の更新は12月19日(金)の予定です。
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# by uqrx74fd | 2018-01-11 10:25 | 植物